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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(78)
地裁第2民事部でまたも原爆症認定訴訟の歴史に逆行する不当判決!
控訴審で必ず一審判決の誤りを正していこう!
2020年2月5日(水)


 暖かい日の続く今年の冬だが節分が近づくとさすがに寒風が身に厳しい。そんな1月31日(金)、大阪地裁第2民事部においてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の3人の原告が判決言い渡しを迎えた。

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 3人の原告は、Y・Mさん(男性、故人、神戸市、7歳の時長崎の爆心地から4.0㌔で直接被爆、その翌日から入市被爆も、申請疾病は食道がん)、O・Hさん(男性、77歳、大阪市、2歳の時長崎の爆心地から3.0㌔で直接被爆、その後入市被爆も、申請疾病は心筋梗塞)、Y・Iさん(男性、故人、神戸市、長崎の爆心地から4.4㌔で直接被爆、翌日から入市被爆も、申請疾病は大腸がんと胆管がん)。3人は共に幼少時の被爆だが、それだけでなく、直接被爆の爆心地からの距離が原爆症の積極的認定基準とする距離から僅かに上回っているだけのことや、翌日以降爆心地付近まで入市してさらに被爆していることなど、被爆の状況に共通したところが多い。

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 大阪地裁第2民事部は昨秋の11月22日(金)、同じ法廷で3人の原告の訴えをいずれも退ける判決を言い渡したところだ。判決内容も、長年にわたって積み重ねられてきた原爆症認定訴訟の歴史と実績にいっさい学ぼうとせず、国の主張をそのままなぞるような史上最悪で異質なものだった。同じ三輪方大裁判長の下では、今回も同様のひどい結果のあり得ることを予想しなければならない。しかし、どんな判決が出されようとも私たちは決してひるむことなく闘っていこう、と、判決前集会で寒風に立ち向かうような決意を確認して1007号法廷に向かった。

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 午後1時10分開廷。裁判長による主文の読み上げが始まる。最初に読み上げられたのがY・Iさん。意外にも、「国による却下処分を取り消す」と告げられた。後のY・MさんとO・Hさんはいずれも「訴えを却下する」と言い渡された。2人敗訴だが、1人は勝訴、原爆症が認められた。代理人席から旗出しの担当弁護士が正門で待つ支援の人々の前に向かう。旗出しは「勝訴」、「厚労省は原爆症認定制度を改めよ」。一人でも勝てば旗出しは「勝訴」とされるようだった。
 主文に続いて判決理由の要旨がやや早口に述べられていく。傍聴席からは口頭による説明を正確に聞き取るのはなかなか難しい。ただ、Y・MさんとO・Hさんについては、放射線起因性を認めない理由として挙げられた加齢、飲酒、喫煙の言葉が強く耳に残った。どうも他原因を強調して放射線起因性が否定されたらしい。
 閉廷後、会場を大阪弁護士会館に移して報告集会が行われた。
 判決文全文を読みこなす時間も十分にはとれなかった中、愛須勝也弁護団事務局長から3人への判決理由の要点が説明されていった。

 敗訴となったY・Mさんは、入市被爆そのものの事実認定から否定された。被爆者健康手帳の交付を申請する際に書かれた被爆状況が直接被爆だけで入市被爆には触れられていなかった。国はこれを根拠に入市被爆の事実を否定し、裁判の争点になっていた。弁護団はY・Mさんと一緒に被爆したお姉さんを居住地の岐阜県まで訪ねて被爆の実態証言を聞き取り、入市被爆の事実を証明していったが、判決はそのことを信用できないものとして取り扱い、事実認定から退けた。

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 O・Hさんについても同じように、被爆者健康手帳交付申請時に入市被爆の記載がないことを理由に、入市被爆の事実を完全に否定した。本人の記憶も定かでない幼い時の被爆状況を詳細に立証しない限り認めない。そのことを被爆者側に課す不当な判決だ。
 直接被爆だけでも、急性症状発症の状態、そして戦後今日まで二人が襲われ続けてきた数々の病歴のことなどを総合的に検討すれば、積極的に認定する範囲の枠外でも放射線起因性は十分に認められるはずだが、その立場も判決は放棄した。申請疾病について、一般的には放射線被曝との関連性を肯定しながら、「その放射線量がどの程度かを具体的・定量的に認めることはできない」として、被爆者に対して放射線被曝線量の具体的・定量的な確定を求めた。11月22日の判決と同様、これまでの原爆症認定訴訟の積み上げてきた道を踏み外した最悪の判決だ。その上で、加齢、飲酒、喫煙などの他原因をことさらに取り上げ、強調して、放射線の影響を否定した。仮に他原因があったとしても、放射線の影響があればその起因性を認めて原爆症を認定する、それが原爆症認定訴訟の到達点であるはずなのに。
 2人の原告は却下する-はじめに結論ありきで、そのために入市の事実を否定する、そして他原因を粗捜しする、そのような憶測をしたくなるような判決だと、弁護団の中から感想が述べられた。
 Y・Mさん、O・Hさん二人の訴えを退ける一方で、判決はY・Iさんの原爆症を認めた。このことについて原告団・弁護団・支援ネットワークの声明は以下のように述べた。

 「判決は、『放射線被曝線量の推定方法や、放射性物質を体内に取り込んだ場合における人体への影響の度合いについては、いまだ確立したものは見当たらないのであるから、定量化された被曝線量を現時点で明確に示し得ない点をもって、放射線起因性の判断をすることができないとすることはできない』と判示し、かつ、被告が主張した加齢及び性差という他原因による影響を否定し、放射線起因性及び要医療性を認めた。この判断は、これまでの判決の判断の流れに沿うものであって、当然のことである」
これが当然の判決であるべきなのだが、それではなぜY・Mさん、O・Hさん二人に対してはそれとまったく矛盾した判断が下されるのか。まったく理解できない。Y・Iさんも手帳申請時には入市のことは書いておらず、厚労省もそれを根拠に却下処分していた。それでも平成20年になっての本人の釈明書が提出され、それが信用に足るものとされて、判決は入市の事実を認めたようだ。
 入市事実の否定、その根拠とされる被爆者健康手帳申請時の被爆状況記載内容の問題については、報告集会でも参加者、特に被爆者のみなさんから異口同音に強い批判の声があがった。被爆者健康手帳交付申請は様々な状況下で様々な人の手を介して行われているのが実態だ。将来、裁判することなど誰も想定せず、手帳が交付されることだけを念頭に申請してきた。直接被爆だけで申請できるのなら敢えて入市被爆のことまでは書く必要はなかった。そんな手帳申請時の記録を根拠に入市被爆の事実を否定するなど許されることではない、等々。

 入市被爆の事実認定については忘れられない判決の思い出がある。2016年10月30日、大阪地裁第7民事部で山田明裁判長(当時)による2人の原告に対する判決があった。この内の一人は入市被爆の日付・事実認定が争われていて、この時も手帳申請時の記載内容に原告主張との違いがあった。判決は、事実認定について争いのある時は被爆者の供述にこそ重きを置いて判断を下す、と言う明確なものだった。この時裁判所は自ら、原告の供述に基づいて当時の長崎の状況などを詳細に調べ、一つひとつ丁寧な事実認定を行って原告の訴えを認めた。この姿勢こそ、被爆者援護法に基づいて行政を担い、法を執行する者の基本であるべきではないか。
 今回の判決の第2民事部は、援護法の趣旨に立ち返ってどこまで真剣に原告と弁護団の訴えに向き合ってきたのかと疑問に思わざるを得ない。3人の結審は昨年7月24日だった。6ヶ月もの期間があった。その間、何を検討してきたのか、と。
藤原精吾弁護団長から今日の判決の感想と評価が述べられた。

 一人勝訴とはなったが、今回の判決の問題は基本的な考えたが間違っているところにある。原爆症認定訴訟の大きな流れに反した判決だ。原爆症は人類が経験したことのないもので医学的立証はできないこと、被爆放射線量の立証方法もまったくないこと、したがって厳密な証明を求めるのは間違いであること、そして原爆被害は国の起こした戦争によるものであって国に責任のあること、このことを明らかにしながら、国が却下処分を続ける中でも、司法判断によって認定の幅を広げてきたのが原爆症認定訴訟の歴史だ。第2民事部の裁判長はその流れに反した考えにこだわり、ひたすら国のやることに迎合しており、明らかに間違っている。今回の判決の基本的な間違いは控訴によって正していかなければならない。

 原告のY・Mさんは2014年5月16日の提訴だったが、2015年3月7日に他界された。享年76歳だった。裁判は奥さんが承継され、その意見陳述が代理人弁護士によって行われている。Y・Mさんは晩年7回もの入退院を繰り返し、2度の抗癌剤治療を受けるなど苦闘の日々だった。この日は報告集会にもY・Mさんの甥御さんに当たられる方が参加され、お礼の言葉とともに、一人勝訴されたY・Iさんのことは率直に「嬉しい」のその気持ちが述べられた。これから控訴も含めて検討し、みなさんと一緒にやっていきたいと挨拶され、参加者一同から花束が贈られた。

 O・Hさんは唯一人法廷で原告席に座って直接判決を聞くことになった。報告集会にも参加され、胸を詰まらせながら無念の思いを述べられた。判決は加齢が原因というが、私が心筋梗塞を発症したのは50歳の時だ。どうして加齢なのか理解できない。父親はビルマで戦死し私は顔も知らずに育った。加えて自分は被爆者となりダブルパンチの人生だった。戦争さえなければ、原爆さえなければ・・・、この辛い、悔しい気持ちをどこに持っていけばいいのか。もうとことん闘っていきたい。その決意を励ますようにO・Hさんにも花束が贈られた。

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 一人勝訴することのできたY・Iさんは2014年12月の提訴の後、翌年の2015年6月1日に他界された。享年74歳だった。亡くなる2ヶ月前にはホスピスへの入院を余儀なくされ、事態が容易でないことから病床で本人尋問が行われた。申請疾病は大腸癌、胆管癌だったが、その他にも各所に多重の癌を発症していて、辛い抗癌剤治療との格闘の晩年だった。裁判は奥さんが承継されていたが、この日は体調不良で出廷できず、代わりに担当弁護士だった杉野直子弁護士に花束が託された。Y・Iさんについては、国は控訴するな、判決を確定させよ、これ以上被爆者を苦しめるな!の声を上げていく必要がある。

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 報告集会の最後は尾藤廣喜弁護団幹事長によって締めくくられた。前回11月22日も今回も最悪の判決であった。1人勝訴とはなったが、それは国の制度がいかにでたらめかの証でもある。他原因については「これらの危険因子が重畳的に作用して申請疾病が発症したと考えても何ら不自然・不合理ではない」と言いつつ、一方放射線の起因性については厳密な立証を求める。まったく倒錯した判決、不当な判決だ。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟も終末に近づいているが、今日の判決などどうしても覆していかなければならない。そのための努力を尽くそう。

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 最後に、藤原団長の発声で「団結頑張ろう!」を三唱して報告集会を閉じた。
 傍聴記を書くための参考に過去の傍聴記をもう一度読んでみながら思うことがあった。今回判決言い渡しのあった原告は3人とも提訴が2014年だ。Y・Mさん、Y・Iさんはお二人とも残念ながら2015年に亡くなられている。2015年と言えば前回のNPT再検討会議のあった年だ。今年のNPT再検討会議のことを思いながら時間の長さを考えてしまう。あれから5年を費やしたのかと。高齢となった被爆者が長い時間をかけて裁判で争ってでしか原爆症認定を得ることのできない事態の大変さ、深刻さを思わざるを得ない。
 この5年間、世界の反核勢力は着実に絆を強め、核に固執する国々と勢力を包囲してきた。象徴的であり、決定的なのは2017年の核兵器禁止条約の採択だ。まだ条約発効には至らないまでも世界の歴史の歯車はしっかりと回転していくことを実感する。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟も、原爆症認定制度も、そして被爆者援護制度も、正しく確実に前進していくことを信じて頑張っていきたい。

 第2民事部の判決言い渡しのあった2日前、1月29日(水)には大阪高裁の第2民事部(田中敦裁判長)で控訴審の弁論も行われた。控訴した苑田朔爾さん(77歳、神戸市、3歳の時長崎の爆心地から4.0㌔で直接被爆、その後入市、申請疾病は前立腺がん)の3回目の弁論で、この日が弁論終結となる可能性のある法廷だった。
 準備書面の確認などが済まされた後、尾藤弁護団幹事長によって意見陳述が行われた。陳述は前半で原爆症認定訴訟の経過が簡潔に述べられ、その中で特に2008年に採用された「新しい審査の方針」の中の「積極的認定」のことが強調された。「この制度の最も大切な点は、集団訴訟の判決の到達点がこの『積極認定』の基準を上回っていたところから、積極的認定の対象にならない人については、『申請者にかかわる被曝線量、既往歴、環境因子、生活歴等を総合的に勘案し、個別に起因性を総合的に判断する』といういわゆる『総合判定』の制度があり、これにより認定すべき人については、認定するとしてことでした」とし、しかし「総合認定」は極めて消極的に扱われ、実際には直爆3.5㌔、入市時間100時間が壁となってきたことが明らかにされた。
陳述の後半は「総合認定」を積極的に行うことを求め、一審判決の誤り、問題点が5点に渡って指摘された。①放射性降下物の発生・降下機序を無視していること、②放射性降下物の降下状況の下での飲食の生活実態を無視していること、③「総合認定」の視点が欠けていること、④他原因があっても放射線被曝による影響と相まって発症促進したと言える場合は起因性が認められること、⑤加齢を理由に放射線起因性を否定するなどあってはならないこと。
 尾藤弁護士の陳述の後裁判長が弁論の終結を宣言し、これで結審となった。判決言い渡しは4月17日(金)午後2時からと決められた。
 高裁第2民事部の控訴審弁論は今回を含めて結局3回しか行われなかった。初回は昨年の7月25日(木)、原告の苑田さんがあらためてしっかりと意見陳述され、担当の濱本由弁護士がパワーポイントを使って放射性降下物のメカニズムや実態、内部被曝の危険性などを詳しく陳述した。この時は次回以降も充実した陳述、プレゼンが行われるものと期待した。しかし10月15日(火)に開かれた2回目の弁論では、予定していたパワーポイントを使っての陳述は認められず、沢田昭二名古屋大学名誉教授の証人採用申請も却下され、訴訟進行を急ごうとする裁判長の姿勢ばかりが露になった。そして今回3回目の弁論で結審を迎えることになった。
 裁判長の強引な訴訟指揮でここまでの事態となってしまったが、それでも判決まで3ヶ月ある。「公正な判決を求める」署名運動などを最大限強めて勝利をめざしていこう、と報告集会で確認しあった。
 報告集会では、1月21日(火)に最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)で開かれたノーモア・ヒバクシャ訴訟の弁論についてその様子が報告された。原爆症認定訴訟で史上初めて最高裁で開かれた弁論だ。原告は広島地裁、名古屋地裁、長崎地裁でそれぞれ提訴した3人の被爆者で、経過観察などを要医療性の要件に認めるかどうかが争点となっている。法廷では3人の中から広島地裁に提訴した内藤淑子さん(75歳)と、名古屋地裁に提訴した高井ツタヱさん(83歳)のお二人が意見陳述を行い、新聞各紙やテレビ局などメディアでもその内容が報道された。
 傍聴された愛須弁護士から当日の法廷の様子が次のように紹介された。二人の被爆者の方が陳述される姿は神々しいというほどのものだった。被爆者が長年にわたって闘い続け、原爆症認定訴訟も勝利を積み重ね、大きな流れを作って、とうとう最高裁で弁論するまでに至った。二人の被爆者は全国の被爆者の代表としてここに来ている。そして二度と自分たちと同じ経験をすることのないようにと訴えている。最高裁の法廷で、核兵器の廃絶を求め、核兵器禁止条約の発効を訴えている。これは被爆者運動の歴史的瞬間ではないか。記念すべき時ではないか。その場に居合わせ、立ち合えていることに深い感動を覚えた。判決はどのようなものになるかは分からない。しかしどのような判決であっても、決して挫けることなくさらに闘っていく、その決意を促す最高裁の法廷であった。
 最高裁の判決言い渡しは2月25日(火)15時から行われる。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
 2020年 2月25日(火)15:00 最高裁第三小法廷 判決
 2020年 2月28日(金)13:30 控訴審・高裁第6民事部 81号 医師証人尋問
 2020年 4月10日(金)14:00 地裁第2民事部 1007号法廷 N・Kさん判決
 2020年 4月17日(金)14:00 控訴審・高裁第2民事部 82号 苑田さん判決
 2020年 4月22日(水)13:30 控訴審・高裁第6民事部 81号 弁論(結審予定)
 2020年 5月30日(土)14:00 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい

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2020.02.29 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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