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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(72)

近畿訴訟最後の原告N・Kさんの本人尋問と医師証人尋問
 入市の事実認定は被爆者の証言にこそ基づいて判断されなければならない!
2019年4月30日(火)


 2019年4月26日(金)、大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)において、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の原告となるN・Kさん(女性・78歳・神戸市)の本人尋問と医師証人尋問が行われた。N・Kさんは提訴してから原告本人としての意見陳述をする機会がなかった。したがって今日の尋問が初めての法廷であり、しかもいきなり証言台に立って国の代理人や裁判官からの直接の質問に答えなければならない尋問となった。おそらくN・Kさんにとって生まれて初めての体験だろう。その緊張感はどれほどのものかと心中を察せざるをを得ない。そんなN・Kさんを励まし支えようと傍聴席はご家族や支援の人々でいっぱいになった。N・Kさんも少しは心強かったのではないかと思う。

 主尋問は、本人尋問も証人尋問も担当の吉江仁子弁護士によって進められた。最初がN・Kさんの本人尋問。N・Kさんは昭和15年(1940年)9月22日生まれ、原爆投下の時は4歳と10ヶ月だった。自宅は長崎市の南部平山町だったが、たまたまこの日は母親に連れられて母親の妹・叔母さんの家のある長崎市八坂町に来ており、そこで閃光を浴びた。叔母さんの家は爆心地から3.6㌔㍍、屋外の裏庭のような所にいて被爆した。被爆した時のN・Kさん本人の記憶はほとんどなく、薄っすらとしたものでしかない。目の前がぱあーっと光ったこと、いろいろなものが吹き飛んだこと、額に怪我をしたことだけが今でも脳裏に残されていることだ。

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 N・Kさんは翌日の8月10日、11日、2度にわたって、母親に連れられて三菱兵器に勤めていた叔父さんを探すため爆心地付近まで入市している。経路は市内路面電車の線路に沿って歩いた。また原爆投下直後の2~3日は八坂町の叔母さんの家の防空壕で夜を過ごした。この後、ひどい下痢にも見舞われている。
 N・Kさんはその後神戸に移り住み、昭和49年(1974年)、34歳の時に被爆者健康手帳の交付を受けた。それまでは差別されることを恐れて被爆は秘密にしてきていたが、その頃から病気ばかりするようになっていて、それを心配した母親のすすめで手帳はとることにした。幼い時の本人の記憶が乏しいため、手帳申請に必要な被爆状況の記述はほとんど母親が書いてくれた。実は自分の詳しい被爆状況を知ったのは、この時母親から聞かされた話が初めてだった。
 N・Kさんは数々の病気に見舞われ、健康とはほど遠い人生を送ってきた。昭和35年(1960年)20歳の頃から貧血で造血剤を処方され、27歳の頃にはひどいめまい、吐き気も加わり、33歳の時に声帯ポリープで手術、69歳で大腸ポリープ摘出手術、甲状腺機能低下症の診断も受けた。そして平成24年(2012年)、72歳の時に右乳がんを発症して腫瘍摘出手術、3年後に再発し、この乳がんを原爆症認定疾病として申請している。その後、左右の白内障手術も行った。
 こうした母親から聞かされてきた被爆した時の状況、病歴の一つひとつが、吉江弁護士の質問に答える形で確認されていった。 主尋問はさらに、N・Kさんとほとんど一緒に被爆した家族のことにも及び、それはN・Kさんの被爆状況がどれほど深刻なものであったかをより一層明らかにするものであった。一緒に入市した父親は昭和33年(1958年)に肝臓がんで、母親は平成元年(1989年)膀胱がんで亡くなっている。母親の胎内で被爆した弟は昭和21年(1946年)に白血病ではないかと思われる症状で生後間もなく死去、さらには兄も昭和39年(1964年)血液のがんと言われる骨髄異形成症候群で亡くしている。どれも放射線の影響と深く関係する病気ばかりで、しかも若くして命を失っていった家族たち。原爆による犠牲以外のなにものでもない。N・Kさんの健康障害、乳がんの発症も原爆以外には原因は考えられない、そのことを強く印象付けて主尋問は終わった。
 反対尋問は、もっぱら8月10日、11日のN・Kさんの入市の事実を否定しようとするところに焦点を当てて行われた。この日N・Kさんは本当は八坂町の叔母さんの家に預けられたままになっていたのではないか、等々だ。しかし、どのように質問してみても74年前の5歳にも満たなかったN・Kさんの記憶が蘇ることはあり得ない。74年前だけではない。手帳申請時のことだってももう45年も昔のことだ。細かいことは覚えていないのが当たり前で、その記憶をほじくり出そうとするような反対尋問にはそもそも無理があり、聞いていて辟易とする。準備書面において、国が入市の事実を否定している論拠についてはすでに原告側から詳細な反論が加えられているはずで、論争は書面だけで十分なのではないかなどと思いつつ尋問を聴いていた。
 言葉は優しいが質問を繰り出してくる国側の男性代理人は大柄な人だ。それを見上げるようにして、背を丸くした小柄なN・Kさんが懸命に答えていく。「母親が『おまえを連れて(爆心地まで)行ったからひどい被爆をさせることになってしまった』と話してくれたのだから間違いありません」、「幼い私を一人置いてきぼりにして出かけていくようなことはありませんでした」と、母親から聞かされてきたことに確信をもって答えつつ、記憶のないことにははっはきりと「分かりません」「憶えておりません」と言い切っていった。30分を少し超えて主尋問は終了。証言台から原告席に帰るN・Kさんに、傍聴席から「お疲れ様でした」、「ご苦労様でした」の声がそっとかけられた。

 休憩をとることもなく、引き続いて医師証人尋問となった。今回の証人は東神戸診療所所長の郷地秀夫先生。今年2月1日の第2民事部の証人尋問に引き続いての証言台だ。郷地先生はN・Kさんの診察もされており、原爆症認定申請のアドバイスも行われ、医師意見書作成も中心的に担ってこられた。郷地先生はこれまで2000人ほどの被爆者の診療に当たり、300人くらいの認定申請の援助をされている。その経験に基づいて、N・Kさんの認定申請についてはまず二つのことを強調された。一つは、N・Kさんの直爆距離は3.6㌔、国の定める積極的認定基準の3.5㌔にわずか100㍍足りないだけだが、審査方針の「総合的に判断」をすれば十分認定は可能ということ。もう一つは、過去の原爆症認定訴訟で同じような距離の被爆で甲状腺機能低下症が認められた例があり、行政が真摯に司法判断に従えば当然認定されてしかるべき事例だという意見だ。
 N・Kさんの被爆状況については、2月1日の日の証人尋問と同様、原爆投下時もその後の入市においても大量のチリや埃を吸い込んでおり、そのための内部被ばくの危険性、重大性が特に強調された。体内に沈着したアルファ線が今もN・Kさんの体内を被ばくし続けているという証言は、前回同様今回も重い響きを持って伝わってくる。
 本人尋問のところで触れたN・Kさんの既往歴について、そのいずれもが被爆者に多くみられる病気で、放射線被ばくと深く関係していることが、一つひとつの疾病について丁寧に説明されていった。申請疾病である乳がんに止まらず、N・Kさんのそれ以前のいずれの既往歴も原爆症認定申請が可能なほどの病気であると説明された。同様に、N・Kさんの家族、父、母、弟、兄たちが発症し亡くなっていった病気についても放射線被ばくとの深い関係が証言されていった。この他、N・Kさんの申請疾病である乳がんは白血病と並んで放射線に起因する過剰相対リスクが最も高いがんであることが調査報告されていること、N・Kさんは現在も二つの医療機関で経過観察中であることなどが証言された。
 N・Kさんの主な争点は8月10日、11日入市しているかどうかの事実認定であるためか、郷地先生への反対尋問はそれほどしつこいものではなく、そのためいつもは反対尋問を何倍にもして切り返す郷地先生の証言も今回は抑えたものになったように思う。ただ、N・Kさんの爆心地付近への入市をめぐるやりとりの中であった「原爆投下直後の大変な時、これからさらに何が起こるかも分からない不安な時、親は子どもを他に預けて行動することなどできず、いつも一緒に連れていなくてはならなかったはずだ」の証言がとても説得力のあるものだった。
 今回、本人尋問でも、証人尋問でも裁判官からの質問は一切なかった。もはや質問するまでもなくよく理解されているということなのかどうか、すこし気にかかるところだった。
 N・Kさんの審理については10月11日(金)を最終弁論の日とすることが確認されてこの日の法廷は終了した。

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 閉廷後、いつものように大阪弁護士会館に会場を移して報告集会が行われた。N・Kさんも二人の娘さんに囲まれて参加され、今日の感想とお礼の言葉を述べられた。最近はご飯も碌にのどを通らず4㌔も痩せたとのお話が決して大袈裟には聞こえなかった。本当にお疲れ様と申し上げたい。二人の娘さんからもそれぞれお礼が述べられ挨拶された。戦後70年以上も経って被爆者がどうして裁判までしなければならないのか、腹立たしく思いながら傍聴席で聴いていた。今日は本当に貴重な体験をすることができた。これからも母親と共に諦めずに頑張っていきたい。

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 証言された郷地先生からは、被爆状況の事実認定が争われていること自体を批判された。被爆者援護法の精神は被爆者を救済するためのものであり、そうであれば被爆者の立場に立って、被爆者の言っていることを信頼し、それを前提に判断していかなければならない。判断基準が被爆者の請求棄却、切り捨てのための線引きであっては決してならない、と。N・Kさんの裁判はそのことが本当に問われている裁判だと思う。

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 N・Kさん、郷地先生、吉江弁護士に報告集会参加全員からあらためて拍手が贈られ、今日一日のご奮闘を労った。
報告集会の最後に、藤原精吾弁護団長から全国の状況なども含めた要旨以下の報告と説明が行われ、もうひといき頑張っていこうとの訴えが行われた。

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 4月16日(火)、ノーモア・ヒバクシャ長崎訴訟の一人の原告の福岡高裁控訴審判決があり不当にも敗訴判決だった。申請疾病は白内障で争点は要医療性。原告は最高裁に上告し最後まで闘う。最高裁では今、2018年の広島高裁判決(勝訴判決)と同年の名古屋高裁判決(勝訴判決)を不服とする国・厚生労働省が上告受理申立を行っており、争点はいずれも要医療性だ。ここに福岡高裁の件も加わることになり、要医療性を争点にした判断の異なる3つの案件が最高裁にかかることになる。最高裁は「被爆者の要医療性とは何か」について判断を下さざるを得ない状況となり、私たちは全国の運動の総力で要医療性の正しい判断を勝ち取っていかなければならない。今、全国で提起されている最高裁宛署名を緊急に積極的にとりくんでいこう。
 4月14日(日)には全国弁護団会議が開催され、裁判で争わなくてもいい原爆症認定制度を勝ち取っていくための方針について話し合われた。大まかな内容は、①今も継続中のノーモア・ヒバクシャ訴訟を勝ち切り(司法判断)、行政がそれに従うようにしていく、②制度改定のために厚労大臣との協議・交渉を再度申し入れていく(行政への働きかけ)、③制度の抜本的改定のために国会議員にも働きかけていく(立法対応)、だ。この一年を最大の勝負どころとしてとりくんでいくことになる。特に近畿訴訟はこれから迎える判決が苑田朔爾さんの控訴審含めて5つあり、特別重要な位置にある。
 合わせて来月5月には来年のNPT再検討会議に向けた準備会も開催される。私たちは直接の被爆者援護だけでなく、核兵器廃絶という人類的な課題の一翼も担って奮闘してきた。このことについても、もうひと踏ん張り頑張っていこう。
来月5月15日(水)には第2民事部の3名の原告の最終意見陳述が行われる。同じく5月23日(木)には第7民事部の2人の 原告の判決言い渡しが迫っている。7月24日(水)は第2民事部の別の原告3名の最終意見陳述が決まっている。そして今回、第2民事部のN・Kさんの最終意見陳述も10月11日と決まった。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の第一審で残された原告9人全員の判決言い渡しが2019年度内に行われる見通しがたった。
 文字通りの全員勝訴めざして6月15日(土)には「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・全面勝利をめざすつどい」が開催される。「つどい」の成功をめざしつつ、この一年、本当に全員が勝利できるよう頑張っていきたい。そのことをみんなで確認してこの日の報告集会を散会した。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年 5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年 6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年 7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述
2019年10月11日(水) 11:00 1007号 地裁第2民事部 N・Kさん最終意見陳述
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2019.05.06 Mon l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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