被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(39)

訴訟ルールも踏み破る国の卑劣な行為を厳しく糾弾!
徹底反論のため地裁第7民事部の結審期日を延期、苦渋の決断!
2016年2月11日(木)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟・大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)は、原告7人の内、内田和子さん(神戸市、81歳)とE・Kさん(奈良県大和高田市、83歳、男性)の二人の審理を先行して進め、2月9日(火)には最終弁論、結審となり、裁判長が判決言い渡し日を指示することになっていた。前回12月4日の証人尋問が終わった時点で確認されたことなので、この日、原告も支援の人々もそのつもりで806号法廷に出廷、参集してきた。ところが国の卑劣極まりないやり方によって事態は変わった。

 この日、弁論開始の前に原告代理人の諸富健弁護士が立って、本来は本人尋問、証人尋問が行われる前に出すべき書証、意見書を、国が結審直前の今になって突然出してきたことを批判し、裁判長に却下すべきだと迫った。具体的には、昨年10月23日の高裁第7民事部(控訴審Bグループ)において国側証人となった山科章証人の心筋梗塞についての調書と、これまで実質的にはまったく争点にされてこなかった原告E・Kさんの要医療性を否定する主張だ。明らかに時期に遅れた書証の提出であって、裁判の正常な進行ルールから逸脱したこうしたやり方を認めるわけにはいかない。特にE・Kさんの要医療性については弁論開始以来この2年半、国は実質的に一度も主張してこなかったではないか。それを今になって持ち出すとはどういうことか。同席の中森俊久弁護士からも強い批判の意見があげられた。
 裁判官は合議の時間をとり、しかし期待に反して国側提出の書証、意見書を採用するとの判断になった。弁護団は、そうであるなら反論の機会を与えるべきだと主張した。裁判長はそうなると弁論終結時期が5月以降に延びることになるが、と問い返したが、弁護団はその場の判断で、拙速な裁判進行となることを戒め、しっかりとした反論を準備した上で判決に臨んでいくことを敢えて選択した。結局次回期日が5月10日(火)と決められ、結審は3ヶ月先延ばしされることになった。この日のために用意されていた内田和子さんとE・Kさんの最終意見陳述も次回に回されることになった。

 この日は続いて、同じ第7民事部で認定を求めるK・Sさん(京都市、89歳、男性)の初めての意見陳述が行われた。K・Sさんの提訴日は昨年の8月6日、広島の日。ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の中で最も新しい原告だ。証言台に着いたK・Sさんは89歳とは思えないしっかりとした口調で、自ら用意した陳述書を丁寧に読みあげていった。
 大正15年、山口県に生まれたK・Sさんは、昭和20年、18歳の時に志願して入隊。
 8月6日、糸崎(現広島県三原市)駐屯部隊のK・Sさんたちに広島救援の命令が下り、その日の午後10時に広島市内に入った。午後11時頃比治山の麓に着いてそこで宿営。翌8月7日から11日までの5日間、被災死傷者の捜査、救助、救護活動に終日従事した。場所は、爆心地そのもの、現在の原爆ドーム内部と周辺、第一陸軍病院、護国神社、広島城周辺等々等々。被爆の中心地、真っ只中で、地獄の中で心身ともに過酷な作業を続けた。遺体の手が膨れ上がって腕時計のあとだけが残っていたこと、救護所の女性が精神的におかしくなっていたこと、亡くなった子どもを抱いたまま母親が離そうともせずにいたこと等、K・Sさんの脳裏に刻み込まれた衝撃は生涯消えることはない。作業はすべて素手。汚れた手や身体、衣服を洗うこともできず、現場で汚染された水や食物を摂り、救護所で寝泊まりを続けた。
 あの時、軍隊、広島周辺近郊地域から、多くの人々が救援、救護、遺体の処理等に駆け付け、同じような入市と被爆の体験をした。私の父も宇品港停泊中の油槽船に居て被爆。軍命令で翌日から4日間市内中心部に入り、終日救援、救護、遺体の処理にあたった。K・Sさんの陳述には父の被爆体験が重なる。同じ過酷作業をし、同じ地獄を見たのだ。
 K・Sさんは救援活動に従事している時からしばしば下痢に見舞われ、その症状は長く続いた。昭和42年、40歳の時に両眼の視力が低下し両眼白内障と診断された。後年京都に移り住んでからも両眼白内障と診断され今も治療を続けている。それまでは特に問題もなかった視力なのに40歳の若さで白内障を発症したのは被爆が原因としか考えられない。平成22年原爆症認定申請をしたが却下され、異議申立も棄却された。
 平成18年、80歳の時に腹部動脈瘤が見つかり、平成22年、84歳の時に右冠動脈狭窄狭心症が判明した。経皮的冠動脈留置手術を受けて、現在は投薬と経過観察を続けている。平成26年、88歳になって、手術をした狭心症を原爆症と認めるよう2度目の申請をした。しかし今回も却下。K・Sさんは、最初の白内障の時も、2度目の狭心症も、あまりにも簡単に却下処分がなされたことにとても納得できない。89歳の年齢のことも考えて最早異議申し立てなどせず、直接提訴する道を選んだ。陳述の最後に「私が生きている間に、是非とも認定して下さるようお願いします」と訴えられたが、その言葉には本当に実感がこもっていて、法廷内の全員の胸に迫るものだった。

 大阪弁護士会館に会場を移して報告集会が行われ、まず今日の法廷での経過について、愛須勝也弁護団事務局長からあらためて説明がなされた。本来今日は3人の弁護士が終結にあたっての意見陳述をし、2人の原告について結審、判決日の指定がなされる予定だった。ところが国は、結審直前になって、不意打ちを食らわすように、突然E・Kさんの要医療性を否定する主張と証拠を出してきた。弁護団は異議を唱え却下するよう求めたが、裁判所はそれを一応採用すると判断し、原告側には結審後の反論提出をしてはどうかと提案してきた。弁護団は、武田武俊さんの高裁逆転敗訴の例もあるので、ここでいい加減な対応をして終結することはできない、苦渋の決断だが、もう一期反論のための期日をとることにした。
 今、国は裁判の卑劣な行為を続けている。今月25日に判決を迎える高裁第7民事部(控訴審Bグループ)の梶川一雄さんの裁判でも、すでに昨年結審しているにも関わらず、先週の2月4日になってから準備書面を出してきた。それも、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟ではないまったく別のところで行われた原爆症裁判の原告敗訴判決を引用したものだ。今日のことも掟破りの反則行為だ。もはや恥も外聞もないやり方になってきている。
 諸富弁護士からも国が出してきたE・Kさんの要医療性否定の意見書について説明がなされた。諸富弁護士もこの意見書を確認したのが昨日のことだったそうで、あまりにもひどいやり方だ。
 この後、今日意見陳述されたK・Sさんから挨拶が行われた。K・Sさんの所属していた部隊は、終戦直後軍関係の資料を焼失処理していて、このため被爆状況の具体的な証明を得るのに大変な苦労をされたようだ。八方奔走しなければならなかった。89歳という高齢をおしても自身の病気が原爆の影響だと絶対に認めさせなければならない。その強い思いが私たちに伝わってくるような挨拶だった。

諸富

 2週間後には高裁第7民事部で梶川一雄さん(故人)の判決を迎える。昨年武田さんの逆転敗訴判決を受けた後初めて迎える控訴審判決だ。絶対に負けるわけにはいかない、全国からも注目されている。当日は、原告、弁護団、支援の人々が一体となった行動をしていこうと、西晃弁護士から行動提起がなされた。12時30分裁判所前の若松浜公園集合、事前集会、行進をして入廷、判決後の旗出し、北浜ビジネス会館で報告集会を行っていく。兵庫県支援の会の梶本修史さんからも傍聴席から人が溢れ出すほどの参加で、私たちの力強い反撃の姿勢を見せていこうと訴えられた。
 愛須弁護士からはさらに全国状況も説明された。近畿の武田さんの上告理由書は提出が完了した。今年は4月に熊本訴訟の福岡高裁、そして6月には東京地裁第二陣と、判決が続く。とても重要な年だ。控訴審で敗訴すれば、私たちも上告したが国も最高裁まで争う可能性は高い。そうした状況を見据えてこれからの対策を検討していくことになる。かって被爆者は、松谷訴訟最高裁判決という大きな到達点を築いてきたが、今また、原爆症認定訴訟の歴史の上でとても重要な局面を迎えている。
最後に藤原精吾弁護団長の締めの挨拶が以下のように行われた。私たちは昨年10月29日武田武俊さんの控訴審で逆転敗訴という痛恨の経験をした。それを肝に銘じてとりくんでいかなければならない。2月25日梶川さんの判決で再び逆転敗訴するようなことになれば、たまたまの “点”だった敗訴が“線”になっていき、逆流が流れになってしまう。絶対に負けるわけにはいかない。そして武田さんの最高裁での勝利へとつなげていかなければならない。

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 国はなりふり構わぬ行為を続けている。長瀧重信氏などに「自らの研究成果をおとしめてまで」甲状腺機能低下症と放射線被曝との関係証明を否定する意見書を書かせたりしたのもその一つだ。そういうことから今日も安易に結審せず、期日を延ばしてでも徹底して反論することにした。私たちは2006年の集団訴訟最初の判決で全員勝訴して以来ずっと勝ち続けてきた。そのために原爆症認定については裁判所に対して甘い期待を抱いてきたかもしれない。しかしそうではなく、厚労省の反撃に正面から立ち向かっていかなければ勝つことはできないことを自覚しよう。
 間もなく3・1ビキニデーが来る。続いて5年目となる3・11福島第一原発事故発生の日を迎える。国が出してきた意見書の長瀧氏は、今福島で小児甲状腺がんの検査を取り仕切る座長の恩師にあたる人物だ。長瀧氏が実質上指導する立場になる。そして福島の小児甲状腺がん多発の原因を原発事故とは認めない、原発事故の影響を抑え込む立場にある。原爆症認定訴訟の甲状腺機能低下症に関わる意見書と深くつながっていく。そういう者たちと闘って、真実を明らかにしていくことが必要だ。被爆者はやがてみんな亡くなっていくものと厚労省は考えているかもしれないが、福島はそうはいかない。これからの問題だ。だからなりふり構わずやってきている。
 2月25日の梶川さんの勝訴判決に向け最大限頑張っていこう。原爆症認定の制度を変え、世界の核兵器廃絶をめざしていく。そういう重要なことをやっていることを、高い自覚をもって闘っていこう。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 2月25日(木) 13:15 高裁B(第7民事部) 別館83号 判決(梶川さん)
2016年 3月11日(金) 11:00 地裁第2民事部 1007号 弁論(原告5人)
2016年 4月21日(木) 11:00 高裁C(第13民事部) 202号 弁論(原告6人)
2016年5月10日(火) 11:00 地裁第7民事部 806号 2人結審
弁論(原告7人)
2016年7月22日(金) 14:00 高裁C(第13民事部) 202号 弁論(原告6人)

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2016.02.13 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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