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長瀧氏ら4氏の意見書に対する反対意見書
                         2016年1月13日
                             東神戸診療所 郷地秀夫

はじめに
 今般、長瀧氏ら4氏らによる意見書(以後、長瀧意見書と略す)が提出された。それは「長瀧氏、伊藤氏らによる被曝者の甲状腺障害に関する論文が、裁判の判決文で不適切に引用されていると」いう主張が書かれたものである。医師、医学者が自分たちの論文が裁判判決に誤用されたと訴え出るのは、極めて珍しいことだろう。果たして、黙っておれないほどの誤った引用がされたのだろうか。一般に、学術論文は引用される回数が多いほど、その論文価値が高いとされている。私自身も、自己免疫性甲状腺機能低下症の原告の医師意見書に、長瀧論文文献1-1を引用した。長瀧論文が自己免疫性甲状腺機能低下と放射線被曝の関連を初めて明らかにした歴史的論文であるからだ。長瀧意見書では、その他2つの論文も含め、不適切な使用が司法の場でされているとして異議を申し立てている。これらの論文は、いずれも学術的にレベルの高いものであり、それだけに、原爆症認定裁判の中でも大きな意味を持つ論文である。疾病と放射線の因果関係を科学的に説明する重要な役割を果たしてきた貴重な学術論文であり、司法の場で適切な使用がされたと考える。この意見書は、これまで3氏の論文が適切に、評価、使用されてきたことを明らかにし、長瀧意見書の不適切性について述べるものである。
 長瀧意見書では、「論文が、原爆症認定に関する裁判で利用されるとは思ってもみなか
った」としているが、学術的内容が高ければ司法の場でも使用されることは当然ありうることである。果たして、こうした異議をするほどの、腹に据えかねるような悪用が判決文の中でされたのであろうか?意見書を詳細に読むと、自分たちの論文が裁判判決に使用されたことは非常に困ったことだ、というニュアンスが良く伝わってくる。その理由が意見書の趣旨の所に書かれている。『私たちの論文を引用して、「甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができる」と結論付けることができない』という主張であり、具体的な内容がその後、述べられている。しかし、その内容たるや、支離滅裂で一貫性が無い。基本的に、長瀧氏の論文は精緻に練り上げられており、他者が批判しようが無いほど理論的に組み立てられている。判決文で引用された長瀧論文はその最たるもので、それがゆえに、世界的にも評価されて来た論文である。その論文について何故、自ら、そんなことは言っていないとか、他の論文と一致しないとか、これだけで判断されたら困るとか、その時点の到達点に過ぎないものだとかと否定的に反芻しなければならないのだろう。しかし、そうかと思うと、反対に、「世界で始めて----大きな意義を有するものだ、」と自信を覗かせたりで、全く、首尾一貫していない。自ら、上げたり、下げたりで、まさに心の揺れが感じ取れる内容になっている。
 なぜ、こんな苦しい文章を書かざるを得なくなったのであろうか?もちろん、医学研究
は司法のために行うものではない。時の政権を被告とするような裁判で、自分達の論文が原告代理人に引用されたり、国に不利になる判決文に利用されるのは不本意なのかも知れない。しかし、もともと学術論文は政治的には中立のものであって、人に役立つ科学的立場に立ったものである。人間社会のあり方を見極めていく司法の場で利用され、一つの小さな社会的貢献ができれば、科学としての存在価値が上がることではないだろうか。
 現在、福島第一原発事故で、放射線内部被曝による甲状腺癌の検査が福島の子供達を対
象に行われている。これまで151人の甲状腺癌(疑い含む)が見つかっており、その子供達の甲状腺自己抗体の陽性率が高いことが報告されている。長瀧氏は、復興庁などを通じその検診の指導的役割を果たしてこられている。そういう意味で、非常に微妙な立場にある。
原爆症認定訴訟で、甲状腺機能低下症が争われ、12年になる。私たち原告支援医師団は、その時の原告側医師意見書から、長瀧論文を使用してきた。何故、今に及んでこの意見書が出ることになったのだろう。長瀧氏らが、どういうきっかけで意見書を書かれたのか分からないが、科学研究は真理の法則を見出すために行われ、人間社会に役立っていくものであるはずだ。科学的事実に基づき、論理的に構成され、あらゆる面で社会的には中立の存在であるはずである。そこに政治的関与が決してあってはならない。
 そういう意味で、一見、ちょっと心配な、この意見書の首尾一貫しない主張について、3論文の科学的主張の意味するところを再検討、評価し、司法の場で、決して間違った引用がされていないことを説明したい。

1. 井上・長瀧報告、長瀧論文について
 まず、米国医学会雑誌に掲載された長瀧論文文献1-1に関する長瀧意見書での主張を見ていきたい。長瀧意見書の主題となっている、慢性甲状腺炎と放射線被曝の線量反応関係について論じているのが長瀧論文である。対になっている井上・長瀧報告は、意見書にも書かれているように、長瀧論文のいわば前論文で、同じ対象者を観察したものであり、長瀧論文はそれをまとめなおした論文である。さらに詳しく言うならば、この井上・長瀧報告は長年、被爆者のAHS(成人健康調査)の集団(コホート)を対象にして、長年、甲状腺疾患を追跡調査してきた論文の一つで第3報にあたる。長瀧論文は意見書の表現を借りれば、それらの集大成論文である。意見書の前文では、「科学研究とは,研究結果の積み重ねにより進展するものである。時代が進むにつれ. 解析方法等も進歩するものであり,その科学的な意義や歴史的経緯を踏まえることなく,ある時点の一つの研究結果のみ抽出して,一定の結論を導き出すことは不適切である。」としているが、それには当たらない論文である。長瀧論文には、これまでの長年のABCC、放射線影響研究所の知見を踏まえ、また世界の放射線と甲状腺の関係の到達点に立った上で、長年、AHS集団を追跡調査の上に成り立った論文なのである。
長瀧論文の主旨
 この論文の中で、長瀧意見書で問題になった新たに明らかになった知見とは何か、それは論文の【結果】の線量反応関係の項(70頁)に書かれている「有意(P < .05)な線形2次で上に凸の線量反応関係が 抗体陽性特発性甲状腺機能低下症の有病率に認められた。抗体陽性特発性甲状腺機能低下症の有病率が最大となる甲状腺線量(±標準誤差) は0. 7 ±0 .2Sv と推定された」【結論】「---原爆被爆者における自己免疫疾患の有意な増加が初めて認められた。上に凸の線量反応関係は、比較的低線量の放射線が甲状腺に及ぼす影響をさらに研究する必要があることを示している。」と記された内容である。この内容をかいつまんで言えば、「被爆者に自己免疫疾患が世界で初めて有意に認められた」という報告で有り、その内容が「自己免疫性甲状腺機能低下症の発病率で、上に凸の線量反応関係が有意に認められた」と言うことである。この同じような文面は、論文中に10回も繰り返し登場してくる。いかに、そのことが重要で、画期的な事で、この論文で言いたいことであることが分かる。しかし、長瀧意見書には長瀧論文の意義についてどう書いているのか。『この研究以前には,放射線被曝と自己免疫性甲状腺機能低下症との関連性についての研究は存在せず,甲状腺分野における研究が実施される必要があった。上記研究は、同分野において,世界で初めて,「原爆被爆者において自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率が増加している」ことを示した研究であり,その点で大きな意義を有するものである。』と書いていながら、一方で、『別紙論文等の執筆をした者として,本判決において,なぜ別紙論文等から,「甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と放射線被曝との関連性については.低線量域も含めて,一般的に肯定することができる」との判断に至ったのか,およそ理解することができない。』とする反対の意見を述べている。
 長瀧意見書には、「世界ではじめての研究なんだ」という自負と、「裁判に使うほどの客観的な科学性、一般化できる普遍性はない」という、相反する感情が入り乱れている。研究結果に再現性がないこと、上に凸の線量反応関係が説明できないこと、有病率の研究であることなどが、その否定的なその理由になっている。そこで、全体の長瀧論文の自己評価は、「自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率の増加を証明した世界の初めての研究だが、しかし、低線量被曝の線量反応関係は上に凸などの不確さを持つ結果にすぎない。」といった中途半端な、どうとでも取れる都合のよい主張になっている。果たして、そんな論文なのだろうか。答えは否である。

自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率の増加の証明は、線量反応関係と一体のものである
 結論から言うと、長瀧論文は、自己免疫性甲状腺機能低下症に、放射線との有意な線量反応関係を認めたからこそ、「有病率の有意な増加」が説得力を持つのであって、この両者は不可分の関係にある。有病率の検定については、「性、被爆時年齢、DS86甲状腺線量を共変量とする線形ロジステイクモデルを用いて解析した」と記されているが、具体的結果の説明がないので詳細は分からない。線量反応関係については、図2に、オッズ比が線量反応関係を示していることが説明されており、0.7SVを頂点に凸型を取っている点を除けば、有意差があることが示されている。この図は今も伝説的に語り継がれ、評価され続けてきた。世界で初めて、免疫疾患が放射線起因性に起こりうることが示された貴重な研究告として評価されているのである。

長瀧論文は、単なる有病率を表した論文ではない
 確かに長瀧論文に不確性はある。その一つに、甲状腺疾患と放射線の関係に有病率prevalence(正式には有病率割合prevalence proportion、略して有病率と記される事が多い)を使用していることがある。有病率はある時点での断面調査のため、時間とともに変化し、交絡因子やバイアス(偏り)がかかりやすい。そのため、病因の研究には発生率が主に使用される。最近のAHSの研究も、発生率が疫学分析の主流となって使用されている。有病率は、その時点での集団N人に対する有病者数P人の割合を示しP/Nで表される。任意の断面調査のため、短期間で治ったり、死亡するような罹病期間が短い疾病は、発生率は高くても、有病率は低くなる。しかし、長瀧論文は、冒頭で、有病率調査の弱点に絡めて次のように記している。「放射線誘発甲状腺疾患の患者は、治療すれば長期間生存でき、また、治療しなくても生存する場合が多い。したがって、放射線誘発甲状腺疾患の調査は、同一のプロトコールを用いて、コホートの全対象者を同時に検査することにより実施できる。一般集団では、甲状腺疾患の有病率は、他の放射線誘発疾患の有病率より高く、疫学調査を行う場合、甲状腺を調査対象とすることが他の疾患より有利になる。このような理由により、甲状腺は、原爆、核実験、および原子力発電所の事故が及ぼす健康影響を研究する上で、理想的な臓器である。」としている。事実、疫学では、発生率と罹病期間がずーと変わらない状況で、有病率が10%以下の場合には P≒I×Dが成り立つとされている。ここでPは有病率、Iは発生率incidence rate、Dは平均罹病期間である。有病率は発生率と平均罹病期間の積にほぼ等しいということである。つまり、一度、自己免疫性甲状腺機能低下症になったら治療する限り寿命を全うできるので安定しており、有病率調査は、発生率調査と似たような信頼できるものになるという暗黙の了解ができるのである。しかも、この長瀧論文の対象は、長年、フォローしているAHSコホートである。単なる一断面での調査ではなく、以前の調査も活用でき、また念密な問診調査が行われている。もし以前に、甲状腺癌で甲状腺摘出術を受けておれば、採血結果で甲状腺機能低下症に分類されてしまうかも知れない。甲状腺機能低下症の診断で甲状腺ホルモンを服薬していれば異常なしの結果になる可能性も有る。そうした間違い起こらないように綿密な既往歴調査も行われ、甲状腺機能低下症も術後などの続発性甲状腺機能低下症と特発性低下症に分類し、さらに、特発性は甲状腺抗体の検査の有無で自己免疫性と抗体陰性に分けて検討している。だから、単なる一断面の有病率調査研究ではない。極めて発生率調査に近い、信憑性の高い研究なのである。
 このように、緻密に準備されたプロトコールにそって行われた検査なので、現在までも高く評価されてきたのである。長瀧論文の前後には、慢性甲状腺炎、自己免疫性甲状腺機能低下症と放射線の関係について検討した多くの論文がある。残念ながら、この長瀧論文以外に、統計的に有意な関係が導きだされた論文はいまだにない。今泉論文にてしてもしかりである。しかし、そうした論文は、その殆どの論文が長瀧論文の結論を疑問視するのでなく、有意差が出なかった自らの論文に対する反省の言葉で結ばれている。長瀧意見書で主張している、「単なる一つの論文で一般化することはできない」という表現には該当しない評価が多くの関係する研究者にされてきた論文なのである。

長瀧論文はタブーを犯した特別の論文である。それが有意差を明らかにした。
 それでは、何故、長瀧論文だけが自己免疫性甲状腺機能低下症に放射線の線量反応関係
を認めたのだろう。診断の精度を上げ、例数を増やしても有意差がでない。それは、何故か?実は、長瀧論文は、他の疫学論文とは本質的に違う特別の論文なのである。一体、何が違うのか?これまで、ご本人も含め、誰もそのことを指摘してこなかったが、長瀧論文は他の疫学論文とは決定的な違いがある。それは、研究対象者が他の論文とは異なっているのである。長瀧論文を丁寧に読んでいただければ分かる。対象者が違うと言っても、対象者は被爆者で有り、AHSのコホートである論文は数多くある。違いその一、長瀧論文では、対象は長崎の被爆者に限られており、広島の被爆者は含まれていない。今泉論文は、対象を広島被爆者まで広げ、対象者を増やし、より一般性を証明しようとしたが有意な結果がでなかった。違いその二、実はこれが他の検査と決定的に異なる点だが、対象者は長崎被爆者と言うだけではない。長瀧論文の対象者は、黒い雨が降った地域の被爆者を除外して構成しているのである。どうしてそのようなことをしたのか?長崎では爆心地から3km離れた西山地域を中心に黒い雨が大量に降った。そのため、この地域の土壌調査では、残留放射線濃度は爆心地よりも高くなっていた。ということは放射性ヨウ素も当然、大量に降ってきており、この地域の住民は、放射性ヨウ素により甲状腺の大量内部被曝した可能性があると考えられる。一体、西山地域住民がどの程度の内部被曝をしたものか知るよしもない。そこで、長瀧論文では、外部被曝による甲状腺障害にできるだけ特化するために、甲状腺の内部被曝が高いと考えられる地域、被爆者を除外したのである。
 放射線影響研究所はABCCの時代から、正確には1960年代から初期放射線による外部被曝の被曝線量をもって被爆者の被曝線量としてきた。残留放射線による内部被曝線量は微々たる量で大きな影響がないとしてきたのだ。なので、被爆者の被曝線量は爆心地からの同心円で描かれる距離と遮蔽状態で決められてきた。外部被曝は全身ほぼ均一に浴びるという仮定の下、ICRPの定める均一性の法則文献1-2に基づいて被曝線量、臓器線量も決められてきた。内部被曝については、黒い雨を浴びていようが、放射線汚染した食物を摂取していようが、殆ど影響ないとしてきたのだ。そうして、殆ど無視してきた内部被曝線量に触れることはタブー視されてきた。DS86では、残留放射線による内部被曝線量は,Cs‐137 についてはホールボデイカウンター測定値で類推しているが、半減期の短い放射性ヨウ素などは評価する方法がないとして、放棄している。ただ、「残留放射線への個人被曝は、爆弾投下時における直接被曝に比べて、有意でないかもしれない。しかしながら、これらの線源への被曝の可能性のある人々は、被曝しなかったと考えられるグループに含めるには、疑わしい人々である。」文献1-3と書いてはいる。後ろめたさを感じた科学者もいたのである。長瀧論文はそれを忠実に実行したのである。DS02も、残留放射線については、誘導放射線による外部被曝のみを再検討しただけで、放射性降下物による内部被曝については一切触れていない。甲状腺の内部被曝は特に重要だ。なぜなら、甲状腺は他の臓器と同じように均一に内部被曝するということはあり得ない。放射性ヨウ素は、体内に摂取されると甲状腺に集中的に吸収されるからである。長崎原爆でも、相当量の放射性ヨウ素が大気中に放出されたことは間違いない。そして、甲状腺が選択的に内部被曝している可能性が高い。だから、他の臓器のようには無視できない。チェルノブイリ原発事故では、多数の甲状腺癌をはじめとする甲状腺疾患が認められている。その被曝形態は、100%,放射性物質の体内への取り込みによる内部被曝、とりわけ放射性ヨウ素による内部被曝とされている。特に子供達は、放射性ヨウ素に汚染されたミルクを多量に飲んだために甲状腺癌が多発することになった。自己免疫性甲状腺疾患も同様に発症している。チェルノブイリの支援活動をしてきた長瀧氏は、そのことをいやというほど見てきたはずである。広島・長崎は初期放射線を中心とする外部被曝による放射線障害で、チェルノブイリは残留放射性物質の内部被曝による放射線障害で被曝形態が異なると言われてきたが、こと甲状腺に関しては内部被曝を無視するわけにはいかなかった。そこで、研究対象を外部被曝による甲状腺障害に絞るために、残留放射線による内部被曝の影響が大きいと考えられる対象者を研究対象から外したのである。遠距離被曝でも甲状腺の内部被曝が大きい事例が、低線量被曝群に混入すれば、甲状腺疾患の有病率に有意差が出なくなってしまう可能性が高い。長崎の黒い雨の地域は広島と比べ、比較的限局している。幸い、AHSコホートには黒い雨の被曝状況も情報として残されている。それらの一群を除くことによって、内部被曝による影響を最小限に止め、外部被曝線量による甲状腺疾患の有病率を検討した。しかし、研究対象者が減り、甲状腺機能低下症の事例が少なすぎるため、第2の英断、潜在性甲状腺機能低下症の事例を甲状腺機能低下症と同じ扱いにして事例を増やし、この線量反応関係を導き出したのである。

放射性降下物が体内に取り込まれていたという証拠はある。
 放射性降下物による残留放射線の内部被曝の問題になると、被告側は証拠がないと主張し続けてきた。しかし、被爆後70年にして、はじめて、広島大学鎌田七男名誉教授が被爆者の体内に取り込まれた放射性降下物が、今もなお、被爆者の体内に留まり、被曝させ続けていることを証明した。広島は黒い雨が広範囲に降っている。広島原爆医学研究所の研究報告でも、癌の発生率は同心円ではなく、西北に長い楕円形で拡がっている。鎌田名誉教授は、2015年6月の第56回原爆後障害研究会で、爆心地から4.1km離れた地域の被爆者が4つの癌になり、その中、肺癌摘出術にとりだした肺から、多量のウラニウム元素からでるα線が確認されたと報告した。内部被曝の研究はこれからなのである。2015年はそういう意味で、被爆者の内部被曝元年とでもいうべき、記念すべき年なのである。長瀧論文は、そうした内部被曝の影響を見越した卓越した研究なのである。幸い、放射性影響研究所には、黒い雨で被曝した人々の名簿も保管されている事実が最近公表された。内部被曝と外部被曝を分けた研究を今後進めていただきたいものである。
長瀧論文は、前にも述べたとおり、当然のことながら、長年の放射線と甲状腺機能の関係についての多くの論文の到達点の上に成り立っている論文である。「ある時点の一つの研究結果のみ抽出して,一定の結論を導き出すことは不適切である。」ここで言うところ「一定の結論」とは、何を意味するのであろうか、放射線と甲状腺機能低下症の関係か、0.7Svの低線量の問題か、上に凸の問題か、そのところが、もう一つはっきりしない。07Svの上に凸の問題は、「3.伊藤論文」で詳しく述べることにして、ここでは、放射線と甲状腺機能低下症との関係について、古い歴史的研究の集積から、有意な関係にあることが科学的に証明されてきたことを、確認しておきたい。

 甲状腺炎と放射線被曝の関係は古くから知られている
 長瀧論文は、36の参考文献を挙げているが、其の殆どが甲状腺癌に関する論文で、甲状腺機能、甲状腺炎に関する論文は数少ない。しかし、その中にも、これまでの放射線と甲状腺炎、甲状腺機能との関係が記されている。文献番号1から見ていくと、最初に放射線と甲状腺炎の関係についてでてくるのは、参考文献23 Spitalnik PF,「Patterns of human human thyroid parenchymal reaction following low-dose childhood irradiation」Cancer. 1978;41:1098- 1106.である。文献1-4「低線量放射線被曝による甲状腺実質反応のパターン」では、子供の時に頸部に最大総量10Gy以下の放射線を受けた子供たちの平均20年後の追跡調査で、42人(64%)に甲状腺癌を認め、46人(67%)甲状腺炎を認めたという報告である。因みに同年齢の被曝していない剖検例を対象として比べているが、甲状腺炎は認めていない。この論文では、放射線で傷ついた上皮細胞がもとで、自己免疫反応から甲状腺炎になったと考えられるとしている。こうした放射線による甲状腺炎の発生は動物実験でも早くから確認されてきた。
 参考文献26小谷らのラットを使った動物実験の報告は1981年から見られる。
 「Spontaneous autoimmune thyroiditis in the rat accelerated by thymectomy and low doses of irradiation: mechanisms implicated in the pathogenesis」文献1-5「胸腺摘除と低線量被曝でラットに生じた突発性自己免疫性甲状腺炎:その発生病態メカニズム」でラットを使って胸腺摘除術と放射線照射で自己免疫性甲状腺炎ができる機序の研究を紹介している。しかし、この方法は、1973年にPenhaleらが確立した方法で「Spontaneous thyroiditis in thymectomised and irradiated wistar rats. 」Clin Exp Immunol 1973, 15:225-236の実験を踏襲したもので歴史はもっと古い。放射線の量としては2.5Gyを4回照射する方法が原法だが、小谷らは2Gyを2回照射で、ラットの種類で5-100%の抗TG抗体陽性の甲状腺炎を作り出している。
 また参考文献28-31までは、放射線照射治療による甲状腺機能低下症がおこることを報告した論文を挙げている。以上、長瀧論文以前の研究で、放射線によって自己免疫性甲状腺機能低下症が起こることは、40年以上前からの積み重ねられてきた研究から、疑いのない事実として確立していることが分かる。問題は、上に凸と、その頂点が0.7Svであったという点だけであると考えていいだろう。次に、今泉論文について検討する。

2 今泉論文について
 長瀧意見書では、今泉論文について、その精度と症例数について長瀧論文を越える論文であり、その論文にして、甲状腺機能低下症と放射線被曝との間に関連性は得られなかった。長瀧論文とは結果が相違しており、自己免疫性甲状腺機能低下症と低線量放射線との間の関連性に一貫性は認められない、としている。しかし、同時に、ここで、長瀧意見書の首尾一貫しない主張が繰り返される。その後の「3.小括」の中で「執筆者としては、長瀧論文において示した前記現象およびその統計学的な結果自体は、当然正しいと考えている。」と述べているのである。一体、どちらなのだ、「0.7Svを頂点とする自己免疫性甲状腺機能低下症の放射線との有意な線量反応関係」は正しい結果というなら、判決文と同じではないか。執筆者自身が自信をもってここまで言い切るなら、判決論文に引用されて、異議文を出すとは、科学者として、なにをかいわんやなのである。
 そう、長瀧論文は正しい、何の間違いがあるというのだろう。指摘すべき問題点が見当たらない。問題は他の論文にこそある。追試した論文の発表者はその殆どは、何故、長瀧論文と同じ結果にならないのだろうと悩んでいるのだ。今泉論文も例外ではない。その論文の中で、長瀧論文と相違した結果になった事について、何カ所もで、言及している。【考察】のところで、長瀧論文との3つの相違点をあげ、検討しているが、自らの問題点を上げ、長瀧論文の問題点の指摘はしていない。さらに【本研究の限界】という項目まで作って、別に自らの3つの問題点を上げている。しかし、残念ながら、いずれも、(1)で述べた本質的な対象者の問題には触れていない。とにかく、今泉論文は、「この研究が最新の研究であって、古い長瀧論文が間違っていた」というような主張は、一切していない、これだけは他の研究論文も含め一貫して同じでなのである。
「長瀧論文が正しい」そう考えるなら、今泉論文は間違っていることになる。執筆者自身が、「長瀧論文の結論は正しい」と言う以上、裁判判決でその正しさが採用されたことに、誇りをもってしかるべきではないだろうか。科学者として、正論が採用されたことに何の異議を唱える事があるのだろう。
 それでは、より症例数も多く、最新の診断技術をもってした今泉論文の、一体どこに問題があって、長瀧論文と同じような結果がでなかったのであろうか。以下、両者の違いを説明しながら、詳しく検討していきたい。
両者では、研究対象者が違う
 1の長瀧論文の時にも述べたが、長瀧論文と、今泉論文では対象者が異なる。長瀧論文は長崎の被爆者だけを対象にしている。それに対して、今泉論文は広島・長崎両方の被爆者を対象としており、そのことにより、研究対象者数は増えた。対象数が増えれば、確かに統計の精度は上がる。しかし、その対象者の違いが、異なる結論に導いた可能性がある。今泉論文でも、長瀧論文との対象者の違いについての検討を行っている。今泉論文(日本語訳版)文献2-1線量反応関係について述べているところ(11頁下の6行目から)に登場してくる。「我々は、甲状腺自己抗体陽性機能低下症について、-----しかし、都市(広島と長崎)と線量の交互作用が示唆された(p=.09)。-----」の段である。
まず、今泉氏は、長瀧研究で使用された線形2次ロジステイツクモデルを使って、今泉論文の広島・長崎両市のデータを検定し直してみた。だが、やはり上に凸の有意な線量反応関係はでなかった。使用モデルの違いが原因では無いことを確認した。そして次に、都市(広島と長崎)と線量の交互作用を統計的に検討してみた。そうしたら、統計学的に有意とは言えないまでも、p=0.09という結果が出た。この研究で有意判定基準に使用しているP≦0.05に極めて近い値がでたのだ。0.09では、交互作用があるとは言えないまでも、ないと言い切れないため、「交互作用が示唆された」という表現にしている。ここで登場した交互作用とは何か、都市と線量の交互作用の意味を分かりやすくするため、少し、その説明をしておいて前に進みたい。

都市と線量の交互作用
 交互作用は、統計学で使われる用語で、「交互作用(効果)とは,ある事象に対して複数の要因があるとき、その要因の効果が,別の要因によって変化することを指す。統計モデルで用いられる場合、尺度上、相加性から乖離していることを指す」場合に使われる。例えば、アスベストの暴露は肺癌リスクを5倍にする。多量喫煙は肺癌のリスクを10倍にする。アスベストと喫煙という肺癌の2つの要因に交互作用が無ければ、アスベスト暴露の患者が多量喫煙すれば、リスクは5+10=15倍という相加性(足し算)の値になる。しかし、疫学研究では5×10=50倍の相乗効果(かけ算)リスクで肺癌になることが知られている。相乗効果であって、相加性ではないので、交互作用があるということになる。疫学では、交互作用は「効果指標の修飾(効果の修飾)」と表現される。この今泉論文でも交互作用(効果の修飾)が認められている場合が2回でてくる。日本語訳版で線量反応関係の10頁「被曝時年齢と線量の交互作用は、全甲状腺充実性病変の発病率で有意であった(p<.001)」、同11頁「悪性腫瘍に関しては、AICによれば、線形EORモデルよりも、より適合するモデルがあった。それは、線形EOR モデル等式における線量を線量の二乗根で置き換えた非線形モデルである。このモデルでは、被爆時年齢が10 歳の1 Sv 当たりのEOR は3.96(95% CI: 1.31, 12.86、P < 0.001)で、被爆時年齢による有意な効果の修飾があり(P = 0.04)、36例(52%)が放射線被曝に関連していた」。いずれも、被爆時年齢と線量での交互作用があったとするものである。この今泉論文では、基本的には、交互作用interactionという単語が使用されているが、甲状腺癌に関するところだけが、何故か、効果の修飾effect modificationが使用されている。話が横道にそれたが、話をもとに戻したい。「広島と長崎という被爆都市の要因と線量という要因の間で、相加性ではない関係がありそうだ」という問題だ。広島、長崎とういう被爆地の違いが、線量と甲状腺機能低下症の発病率に影響を与えている可能性が否定できない。そこで、今泉氏は、広島と長崎の参加者を別々に分析して検討している。広島の参加者と線量関係、長崎の参加者と線量関係をそれぞれ独自に調べたのである。果たしてその結果は、広島、長崎どちらも線量反応関係が有意では無かったと結論づけている。しかし、それぞれのp値を見ると、広島がp=0.45であり、長崎がp=0.17なのである。広島は0.45と0.5に近く、有意な関係はまずないと言える。しかし、長崎は0.17と微妙な数値を示している。もう少し、条件が変われば、有意な線量反応関係がでそうな数値である。同じ、対象者が長崎でも、長瀧論文とは異なる点があるのを思い出して欲しい。先ほどの(1)の所でも触れたように、長瀧論文は、内部被曝線量が極めて高いと考えられる地域、黒い雨の影響地域の被爆者を対象から除外したのである。その人たちはDS02の線量は極めて低い。低線量群の中に、内部被曝による高線量の人たちが紛れ込むのを防いだのである。長瀧論文と同じように、今泉論文も、参加者から黒い雨地域の参加者を除外すれば、p=0.17はp=0.05以下になり得る可能性が十分ある値なのである。しかし、残念なことに多くの他の論文がそうであるように、この今泉論文はそこまでの検討は行っていない。タブーを犯し、禁断の木の実を取る勇気は無かったのである。そこが、長瀧論文との本質的な違いなのだ。
 そしたら、広島の問題はどうなのだ、殆ど有意さが出る可能性が無い、という疑問もあるだろう。それについては(3)の広島の被爆者を対象にした伊藤論文の所で述べたい。
 さて、今泉論文が、長瀧論文と全く異なる結果を出しているかというと実はそうでもない。実は、甲状腺自己抗体検査の陽性率は、線量との関係で有意にならなかったものの、長瀧論文と同じような傾向がはっきりとでている。

線量と自己抗体陽性甲状腺機能低下症の有病率
 下のグラフは、左が長瀧論文、右が今泉論文の甲状腺被曝線量と自己抗体陽性甲状腺機能低下症の有病率をそれぞれグラフ化したものである。長瀧論文は、甲状腺機能低下症以外に甲状腺癌と甲状腺結節の線量反応関係も一緒に描かれているので、少し見にくいが、上に山なりのカーブ、いわゆる上に凸の線が、世界で初めて明らかにされた自己免疫性疾患の甲状腺機能低下症が有意な線量反応関係を示したグラフである。癌や結節は、被曝線量が増えるに沿って、右肩上がりに発生率が上昇している。それに対して、何故か機能低下症だけは0.7Svを頂点に発生率が低下していっている。この現象が説明できない。その後の研究でも同じような結果は出ない。

図1_convert_20160122205030

 なのでこの事実は、一般化できないという長瀧意見書の根拠である。確かに、今泉論文の甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症とオッズ比の関連を見ると、p=0.92で有意な関係は無い。オッヅ比は被曝線量が殆ど0とみなされる被爆者に対する過剰オッヅ比をみる。もし、0線量をみなされる参加者の中に大量内部被曝の被爆者が混入していれば、この比較そのもの自体に意味が無い。そうした人たちを対象から除外していない今泉論文の限界がここにある。上の図を見ていただきたい。これは、今泉論文の、同じく自己免疫性甲状腺機能低下症の発病率を%で示したものである。有病率%でグラフ化すると、長瀧論文と同じように、やはり0.5Sv 以下の群を頂点に上に凸のグラフとなっている。これは、広島・長崎両方の参加者を対象とした統計である。驚くほど似た形になるのだ。今泉論文では、4つの群に分けて比較検討しているため、直線的な屈曲線になっている。そのため、頂点の位置がおおざっぱではあるが、似通っていることに間違いない。この今泉論文の参加者3、185人の中、1、086人およそ1/3は、長瀧論文の時も、参加した被爆者のなのである。長瀧論文の参加者は1、978人なので、55%の参加者が今泉研究にも参加していることになる。なので、似通ったグラフになることは、想定できる事なのである。なのに、この似通った上に凸現象については、何故か今泉論文も、長瀧意見書でも触れていない。こうしてみると、この、上に凸の現象は、一時の偶然の現象では無さそうなのである。実はこの現象は、甲状腺自己抗体の陽性率でも共通してみられる点なのである。このことについては、次の(3)の伊藤氏の項で詳しく触れたい。

3.伊藤論文について
 伊藤論文について、意見書では伊藤医師は、「甲状腺機能低下症と放射線被曝との間の一般的関連性を示したものとは考えていない。自己免疫性甲状腺機能低下症と放射線被曝 との間で関連性が示されたとは考えていない。」としている。確かに、この論文一つで、上記のような結論が導き出せるものではない。しかし、本論文は甲状腺機能低下症と放射線の関係を示唆し、また遠距離被爆者における放射線と自己免疫性甲状腺炎(≒橋本病)との関係を示唆する、歴史的にも貴重な役割を果たしてきた論文の一つである。ご本人は、論文を過小評価するような内容を書かれているが、卑下されることもなければ、裁判判決に引用されたことに目くじらをたてられる必要もない立派な論文である。
もちろん、本論文は、これまでの論文と同様、孤立して存在する一論文ではない。本論文の引用文献にも載せられているように、1960年、第2回原爆後障害研究会で、長崎原爆記念病院の横田素一郎医師が3例の甲状腺機能低下症を紹介し、文献3-1原爆放射線との関係を問題提起した研究報告に端を発し、その後、多くの研究が積み上げてきた到達点の延長線上に立つ研究である。そうした基盤の上で、甲状腺機能低下症、自己免疫性甲状腺疾患と原爆放射線の関係についての本論文の意義、果たして来た役割を説明していきたい。

伊藤論文は、非常に貴重な卓越した論文で、長瀧論文の謎を解く鍵になる論文でもある
 本論文は1986年の論文で、長瀧論文より8年前に発表された論文である。当時まで甲
状腺癌に焦点が当てられる研究が多い中にあって、臨床の現場から、甲状腺機能と放射線の関係について取り組んだ意欲的で、非常に独創的、卓越した観点を持つ研究と言える。この研究の優れた点として、以下の4点を挙げたい。
1) 症例数が9、159人と多く、かつ6、112人が1.5km以内の近距離被爆者であること
(2004年AHS成人健康調査の0.5Sv以上の被爆者数は、3、312人にしか過ぎない)
2) 当時、難しかったTSHや甲状腺自己抗体検査を工夫し、検査しているということ
3) 被曝距離別だけでなく、被曝線量別の分析に加え、年齢別、性別の検討を行っている。(逆に、焦点がややぼけ、器用貧乏的になってしまっている感もある)
4) コントロール群として3.0Km以遠の遠距離被爆者では、早期入市している被爆者を対象から除外している点があげられる。(早期入市者の被曝については、当時は箝口令が敷かれ、医学研究ができなかったためデータがない。しかし、被爆者の多数の被曝体験談からすると、早期入市被爆者の中には、急性放射性症状を起こした被爆者が相当数いた模様である。そうした、入市時に多量の残留放射線被曝を受けた可能性のある被爆者を除外している点では卓越している。)
 長瀧論文の対象者は2、587人で被曝線量が分かっているのは1、978人で、1Sv以上の被爆者は366人にしか過ぎない。それでも、厳選した症例を選別し、統計学を駆使して、自己免疫性甲状腺機能低下症と放射線の線量反応関係を世界で初めて明らかにした。伊藤論文は、1.5km以内の被爆者のデータを6、112人もデータを集めた、この時代ならではの貴重な研究なのである。

この研究で明らかにされたこと
1) 爆心地から 1.5 k m以内の被曝群における甲状腺機能低下症集団の甲状腺自己抗体の陽性の率が、3 k m以遠の被曝群の同陽性率よりも著しく低率であったということ
 この研究で、最も際立った知見は、近距離被曝者の甲状腺機能低下者は自己免疫性甲状腺機能低下症が少なく、原因不明の低下症が多い。逆に、近距離被爆者は殆どの甲状腺機能低下者が自己免疫性甲状腺機能低下者であったという結果である。

図2_convert_20160122205059

 伊藤論文からその内容を表にまとめてみた。甲状腺機能低下症の診断は、甲状腺ホルモン自体が直接測定できていないため、甲状腺刺激ホルモンTSHが10µU/ml 以上かまたは甲状腺機能低下症として甲状腺剤の投与を受けているものとしている。そのため、甲状腺機能低下症の診断範囲が、やや広い範囲になっている。しかし、TSHが10μU/mlを越えたら、甲状腺ホルモンの値によらず、低下症として治療することになっているので臨床診断とは一致する基準ではある。長瀧論文でも甲状腺ホルモンFT4が正常でも、TSHが高い場合は潜在性甲状腺機能低下症の診断で、統計上は甲状腺機能低下症の中に入れて統計をとっている。TSHが4μU/ml以上であれば、潜在性甲状腺機能低下症と定義されるが、ちなみに長瀧論文が10以上としたのか、4以上としたのか記載されていない。とにかく、長瀧論文よりは、より厳格な、狭い範囲で甲状腺機能低下症の診断範囲を取ったことは間違いない。この表でわかるように、甲状腺機能低下症の有病率は、男女とも近距離被爆者が高い。しかし、甲状腺自己抗体であるMCHCの陽性率を見ると、男女とも、遠距離被爆者の方が高くなっている。その結果、MCHC陽性の自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率は、男性の場合は遠距離被爆者の方が、近距離被爆者より高くなっている。それは、想定していた結果とは逆で、そのことについて伊藤氏自身が意見書の中で次のように記している。『----以上の調査結果の具体的な原因は不明であったため,「今後、種々の方面からの詳細な検討が必要と考える」としている。そして、其の後に「もっとも,少なくとも,高線量被曝群において甲状腺自己抗体陽性率が低かったことからすれば,高線量の被曝をした者が罹患した甲状腺機能低下症の大部分は,自己免疫性 (甲状腺自己抗体陽性)の甲状腺機能低下症ではないと考えられるのが自然である。」としている。つまり、伊藤論文は、1.5km以内の高線量被爆者には、自己免疫性甲状腺機能低下症が少なくなることを示している論文なのである。当時の広島原爆の1.5kmのDS86での被曝線量はおよそ0.5Svに当たる。つまり、0.5Sv以上の被曝は自己免疫性甲状腺機能低下症の比率が少なくなることを初めて明らかにした報告なのである。その後の長瀧論文は、自己免疫性甲状腺機能低下症が0.7Svを頂点に上に凸になる線量反応関係を認めたとしているが、それは正に伊藤氏の示した研究発表を裏付ける研究なのであることを示している。(注;ただし、MCHCテストは感度が弱く、甲状腺自己免疫疾患の40~60%程度しか感知しない。その倍近くの自己抗体陽性患者があったと考えておかねばならない。)
 実は、この1年前に、伊藤論文とよく似た研究論文が発表されているので、それを参照しておく必要があるだろう。1985年放射線影響研究所・業績報告集20-85、「若年被爆者の血清TSH、サイログロブリン、甲状腺疾患;原爆被爆30年後の調査」文献3-2森本ら(以下森本論文)、がそれである。この業績集は翌年に公表されたので、伊藤氏が、この論文の発表を見たのは、おそらく論文を書き上げ、提出した後と思われる。この論文は、1987年には英文でJournal of Nuclear Medicine28文献3-3にも発表されている。森本論文は、被爆者AHSコホートから被爆時年齢20歳未満の広島・長崎の被爆者で1グレイGy以上の被爆者477名、0Gy被爆者501名の採血検査、TSH、サイログロブリン、抗TG抗体検査を行って分析している。抗TG抗体はMCHCに比べ、遙かに感度が高い。しかし、症例数を絞っている点もあり、甲状腺機能低下症は23人にすぎない。しかも、自己免疫性甲状腺炎は7人でその内5名が0Gy群である。16人は原因不明の甲状腺機能低下症で、その内の9名が0Gy群と少ない。その結論として甲状腺機能低下症と放射線との関係は認められなかったとしている。意見書の総論には、次のようにも書かれている。「疫学研究においては、----対象者の範囲が狭く、サンプル数が少ないほど精度は低く、範囲が広く、サンプル数が多いほど精度は高くなる。」正に、その通りなのである。伊藤論文は、症例数が多い故に、森本論文とは異なり、自己免疫性甲状腺機能低下症についての新たな知見を見いだしたのである。そういう意味で、伊藤論文のすごさが分かる。しかし残念なことに、長瀧論文の参照文献36編の中に、伊藤論文は入っていない。長瀧氏自身が監修指導したと思われる森本論文は含まれているのにである。しかも、長瀧論文の参照文献36編の殆どが論文の主題と直接関係のない論文で占められている。そういう意味では、長瀧論文は、歴史的到達点に学ぶ姿勢に弱い論文であるという大きな欠点を持っている。そして、そうした見方、姿勢が今も変わっていないのが、この意見書に表れているのかも知れない。

2) 抗甲状腺マイクロゾーム抗体の陽性率が近距離被曝群、遠距離被曝群とも全体に高く、年齢が上がるにつれて増えず、横ばいかあるいは低下している。

図3

 さて、話を伊藤論文に戻して、伊藤論文の優れた点について続けて述べたい。一般に抗マイクロゾーム抗体のような甲状腺自己抗体は、加齢と共に陽性率が増加することが知られている。長瀧論文の考察の中でも、「自己免疫性甲状腺機能低下症を含め、自己免疫性甲状腺炎の有病率は10年ごとに増加する。」とされているとおりである。しかし、伊藤論文では、若年層の方が高くなっている。」ということは、放射線感受性が強い若年層が、放射線の影響で甲状腺自己抗体率が高くなったのではないかと推測することもできる。ただ、残念なのは、長瀧論文で見られるような被曝線量別の統計的な検定分析ができていないため、統計学的に証明できていない。しかし、近年の論文では、甲状腺疾患の放射線影響は、20歳未満の被爆者に見られる現象で、それ以上の年齢の被曝には有意が証明できないとされる論文も出てきている。その点においても非常に先見性のある論文なのである。

4.考察
 これまで、長瀧論文、今泉論文、伊藤論文の3氏の論文について、それぞれ優れた論文であり、放射線と自己免疫性甲状腺機能低下症の関係を考える上で、貴重な、重要な役割を果たす論文であることを説明してきた。しかし、一致しない結論になっている部分があるのも事実である。特に、長瀧論文が示した自己免疫性甲状腺機能低下症と放射線の線量反応関係が、他の論文では追認できていない点である。その理由として、本意見書では、長瀧論文が甲状腺内部被曝の非常に高いと思われる集団を除外して統計を取っているためだとした。これまで、残留放射線による内部被曝の影響を考慮した研究は、被爆者の研究では、1960年台までの初期の研究とごく一部の研究を除いて、皆無に等しかった。特に、DS86 以降の研究では、内部被曝は低線量であり殆ど影響ないとされてきた。そのことが、一貫した同じ結果がでてこない大きな要因となっていると考える。
 近年の内部被曝に関する新たな知見が蓄積されてきており、また、内部被曝が重視されていた原爆投下後間もない頃の研究結果を踏まえ、甲状腺被曝の内部被曝の影響の関与について考察する。

3論文の共通の弱点・問題点-遠距離(3km以上)被爆者を被曝≒0として扱っている
 3氏の論文には、共通の弱点がある。それは、遠距離もしくは入市被爆者を殆ど被曝していないと扱っている点である。これは放射線影響研研究の多くの弱点に共通している。爆心地から3.0Km以上離れていれば、確かに、初期放射線による直接外部被曝線量は、接触被曝を無視すれば、微々たる量でさほど問題にならないかも知れない。しかし、放射性降下物による内部被曝を相当量している可能性は高い。そう考えたとき、遠距離被爆者もしくは入市被爆者を殆ど被曝していない群に分類してしまうと、結局被曝した者同士の被曝となるので、当然有意差が出にくくなる。甲状腺被曝の場合、特にその可能性が高くなる。そうした誤りをできるだけ回避するために、長瀧論文は放射性降下物が大量に認められた地域の被爆者を場外し、伊藤論文は投下後近日の入市被爆者を対象から除外した。そうした対策は一程度評価できるが、本質的な解決策になっていない。DS86では、内部被曝は推定しようがないとして殆ど放棄しているが、無視できない量であることは、他の被曝事例から容易に推定できることである。

3.0km以遠の被曝者群も相当量の甲状腺内部被曝をしている
 原爆被爆者の放射線被曝は、初期放射線による外部被曝が中心であるのに対し、チェル
ノブイリでは、内部被曝が中心で、甲状腺癌の多発は、放射性ヨウ素の降下物を摂取した内部被曝に起因するとされている。その内部被曝による平均甲状腺等価線量は1Svを越えているとされている。内部被曝の場合、放射性ヨウ素は、甲状腺に集中して蓄積されるため、他の臓器に比べ甲状腺だけは、際立って高い被曝線量となるためだ。下表に医療で診断や治療に使用されるI-131 の臓器別の内部被曝線量を示した。これは医薬品の添付書類に記載されているものである。これによるとI-131 を370万Bq摂取した場合、甲状腺は1.3Gy被曝するのに対して、他の臓器は1000分の1以下のmGy単位であることが分かる。しかも、これは、甲状腺吸収率を25%とした場合の計算であり、吸収率がもっと高いこともあり得る。放射性ヨウ素の被曝の場合、他の臓器の被曝線量は健康上問題ない量であっても、こと甲状腺については無視できない量になるのである。このように、外部被曝が全身ほぼ均一に被曝するとみなされるのに対し、内部被曝は甲状腺に代表されるように不均一に被曝するのが大きな特徴である。チェルノブイリでは、100km 離れた地域でも甲状腺癌の増加を認めている。その経験から、相当量の放射性ヨウ素が環境中に放出された福島原発事故でも、長期にわたり20km以内が立ち入り禁止にされた。また、汚染された食品が出回らないような防御措置が徹底されたことは記憶に新しい。福島原発から3~10kmの場所は、5年近く経つ現在でも立ち入り禁止区域である。

図4

福島原発事故から見える内部被曝
 その、立ち入り禁止区域に居続け、その辺りの汚染されたものを摂取し続ければどれだけ被曝するのか、東北大学の福田らは、そうした汚染地域に6-9か月間、放置されていた牛の体内に蓄積されている放射性物質を分析し報告している。

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 文献4-1 その研究報告「福島第一原発事故の被曝区域に放置された牛の体内中の人口放射線分布」の表1を右に示す。これは、放置牛を解剖し、その臓器に沈着している放射性物質を測定し、原発事故当時の線量に換算したものを一覧表に示したものである。筋肉中には、最大1200Bq/Kgを越える放射性セシウムが蓄積されたのが確認されている。甲状腺にも400Bq/ kgのセシウムの蓄積が確認されている。ただ、それだけではない、この牛の解剖から、甲状腺被曝の重要な事実が判明してきた。それは、放置牛の腎臓中に蓄積したテルルTe-129mが、全臓器中で最も多い、7000Bq/kgにも及んでいたという事実である。Te-129mは半減期が33.6日でγ線とβ線を出してI-129に懐変する。I-129 は半減期が1570万年と長いので甲状腺に蓄積されるとしてもさほど大きな影響はないかも知れない。この調査は事故後、6-9か月間に行われているので、半減期の短い放射性物質は検出されていない。Te-131やTe-132 は半減期が短いため、半年以上経っての検査時点ではやはり確認されてはいない。福島原発事故で放出された量はTe-129 mの数倍から10倍以上である。Te-129m のように腎臓に蓄積されていたと考えられるので、それぞれ、I-131 、I-132となって甲状腺を被曝し続けたら、従来の計算方法より格段に多い被曝を甲状腺はすることになる。この研究でも著者は次のように書いている。「福島第一原発事故の後に、大量のTe- 132 が環境の中に放された。初期の段階では、避難指示地域の土壌からは、129mTeよりも高濃度の放射性核種であるTe- 132が検出された。 腎臓に 129mTe の蓄積していたということは、 福島第一原発事故のすぐ後に腎臓に放射性Te-132 が同様に蓄積したことを示唆している。Te-132 の半減期は3.2日間で、崩壊して放射性 I- 132になる。そしてそれは、甲状腺に集まることになる。 以前の研究で経口で雌牛に与えられた放射性テルルが他の殆どの組織より甲状腺に集中すると報告がある。これらの結果は我々が甲状腺におけるリスクについてI-131 と同様に、Te-132 に対する注意を払う必要があることを示唆している。」としている。

甲状腺被曝はI-131 だけでなく、Te-132、I-132の被曝も問題である
 長崎原爆でも同量あるいはそれ以上の放射性Teが放出された可能性が高い。特に、I-132 は半減期が短く、は半減期2.3時間でγ線とβ線を出してXe-132に変わる。この2.3時間というのは、放射性ヨウ素が甲状腺に吸収され、甲状腺の濾胞細胞内もしくはその周辺にいる時間帯に当たる。つまり、甲状腺濾胞細胞の遺伝子を最も傷つけやすいときに崩壊して放射線を出すことになる。そのため、動物実験で、I-131 はI-132 の10倍以上の危険性を持つと報告している論文もある文献4-2。福島の牛にそうした甲状腺被曝の危険性が明らかにされたことから、原爆被爆者の置かれていた状況はどうだろう。

図6

広島・長崎でも放射性降下物による残留放射線被曝があり、いまも被曝し続けている
 福島では、牛や家畜だけが残されて人間は20km以上の地域にすぐさま避難した。しかし、広島・長崎ではそれより遙かに爆心地に近い地域で、汚染した食物を摂取し続けて生き延びてきた。相当量の放射性物質を摂取し、内部被曝をしてきたことは想像に難くない。しかし、原爆を開発した人々は、「地上500m程度で核爆発させれば、核分裂生成物の放射性核種はキノコ雲の上昇気流に乗って広く拡散するので、爆心地付近には害になるほど降下しない」と絵空事を主張してきた。また、政府も放射線影響研究所もそれを支持してきた。しかし、長崎の被爆者の臓器に放射性粒子であるPu粒子が、肺や肝臓や腎臓や骨に多数沈着し、そこからα線を出し続けているのが確認されている文献4-3。また、先に紹介したように、2015年6月の原爆後障害研究会では、広島大学名誉教授の鎌田七男名誉教授が、広島爆心地から4.1kmで被曝した被爆者の肺癌臓器からUウラニウム粒子からα線が多数出ているのを確認したことを報告している文献4-4 。放射性降下物は遠くに飛散して問題ないという絵空事はもう通用しないのだ。被爆者は現在も体内に沈着した放射性物質から被曝し続けているのである。残念ながら、放射性ヨウ素の殆どは、半減期が短いので現在では確認できない。しかし、福島の牛たちが、甲状腺被曝の危険性を教えてくれているように、広島・長崎の被爆者たちが相当量の甲状腺被曝していることは、間違いない。
 以上より、遠距離、入市被爆者の被曝線量を≒0Gyとみなし、殆ど被曝していない群に分類したこと自体が間違っている。それは、3氏の論文に共通であるが、このうち長瀧論文だけは、放射性降下物の多い地域の被爆者を研究対象から除外すことで、放射性ヨウ素の内部被曝の影響を最小限に抑えることに成功し、歴史に残る論文になったのだ。

日米合同研究から見えてくる内部被曝
 今となっては、当時の被爆者の内部被曝線量を測定しようがないが、しかし、原爆投下時の調査から内部被曝の状況を一定、類推することはできる。原爆が投下され、日本政府がポツタム宣言を受諾してすぐ、米国の指令で、国をあげての原爆の被害実態調査が始まった。

図8

 そして、翌1946年に来日した米国の合同調査委員会に、それまでの資料を全て、解剖病理標本も含め米国研究班に提出した。表はその研究成果を米国調査団がまとめ発表した報告書から急性放射線症状の発生率を示した表である文献4-5この報告書は、全6巻からなるもので、日本政府が約1万人の研究者達を動員し、連合軍が上陸するまでに広島・長崎の原爆被害を収集したデータをまとめた貴重な資料である。日本の研究者は資料を集めたものの、米国の合同調査隊がデータを解剖病理標本も含め全て持ち帰ったため、この研究報告書を見ることはなかった。はからずも、長瀧氏が米国との交渉の上、2014年1月から、米国エネルギー省の科学技術情報室のデーターベースに公開されるようになったと言われている。長瀧氏は原発事故後の講演会でこの資料をよく紹介されているようだが、この資料から是非、学んでほしいものである。ちなみ、この報告書は7年前から第6巻を除いてインターネットには流出しており、入手可能であった。この表は第5巻に載っているものを編集しなおしたものである。

図10

図11_convert_20160122205129


図13_convert_20160122205149

図14

 報告書では、当時は被爆者の被曝線量が不明のため、米国研究者達は、3つの急性放射線症状をきたした被爆者を最重度の被爆者として分類し、医学研究を行ってきた。上の表に、広島・長崎被爆者の急性放射線症状の発現比率を被曝距離と遮蔽状態で段階付けして示している。上の表は1956年にまとめられた論文で、下の表はその元となった基礎データを報告したものである文献4-5 。爆心地から3km以上の遠距離被爆者も脱毛、出血斑の症状だけでも2.3%の発現率があることが分かる。少ない%ではあるが、残留放射線による相当量の被曝をした人たちがいたのである。その中には、いち早く爆心地の報に入市して被曝した人もいるだろう。とにかく遠距離・入市被爆者であっても、残留放射線による相当量の被曝をしていると考えなければならない。にもかかわらず、これらの人々を殆ど被曝していないとして、被曝線量ごとの比較を行うことは、初期放射線による外部被曝+残留放射線による内部被曝した被爆者と残留放射線による内部被曝した被爆者を比較することになる。被爆者同士を比較すれば、当然のことながら被曝の影響が過小評価されることになる。そうした、限界性をもっているのが、ABCC、放射線影響研究所のデータなのだ。
 ただ、残留放射線による内部被曝線量を推し量ることは非常に難しい。それぞれの行動範囲や放射線汚染食物の摂取量により被曝線量の個人差が大きい。そうした問題を解決すべく、名古屋大学沢田名誉教授は、被曝線量を物理学的に導き出すのではなく、急性放射線症状の発現率から類推する生物学的被曝線量を類推する方法を提唱している文献4-7。下図が残留放射線による被曝線量を推定したグラフである。初期放射線は、距離の2乗に反比例して減衰していくことから、1kmを過ぎると急激に減少し2.5~3.0Kmでは低線量被曝となる。残留放射線による被曝は、急性放射線障害の発生率から類推すると1.5kmを最大被曝線量の頂点とする上に凸の裾の長い分布を示している。5~6kmでも0.7Sv近い被曝をすることになる。この表には出てこないが裾野は10kmを越える地域まで伸び、有意な被曝をしていることになる。ここで注意しなければならないのは、近距離被爆者の被曝線量分布と、遠距離被爆者の被曝線量分布はことなるという事である。近距離被爆者は、遮蔽の有無で多少の上下はあっても、大きくは、距離に従って平均的に被曝する。しかし、遠距離被爆者は、確定的影響と言われる急性放射線症状を呈するほどの高線量被曝する者もいれば、同じ距離でも殆ど被曝していない被爆者もあり得る。そうした個人差の大きい値を平均化した被曝線量の値を表すことになるということである。プルームがどこをとおり、どこに降下し、どれほど放射線汚染した食物を食べたかによって内部被曝は天と地ほど違ってくる。福島原発事故では、40km以上離れたいわき市でさえ、農林水産省の調査で130万Bq/kg の放射性ヨウ素I-131 が確認されている文献4-8。そこらここらの者を食べて飢えを凌いできた被爆者の経口放射性物質摂取はチェルノブイリと変わらないと考えてもいいのではないかとも思われる。

放射性ヨウ素による内部被曝の特異性
 放射性ヨウ素は他の放射性物質と異なる特徴がある。一つは揮発性放射性物質である点だ。沸点が低く、気体になりやすく軽い。福島原発やチェルノブイリでは遠くにも拡がったが、近隣周辺にも大量に降下し汚染した。福島は水素爆発で爆雲の高さは500m程度、チェルノブイリでも2000m程度だが、広島、長崎は20、000m近い原子雲で、しかも表面も数千度~数万の高温で強い吹き上げの上昇気流が発生した。そうした、ウラニウムやプルトニウムの重い元素は金属粒子の形で爆心地近隣も大量に降下し、被爆者の体内に多量に沈着しているのが確認されている。放射性ヨウ素も、水蒸気が多い地域や黒い雨が降った地域では、降下したと考えられる。しかし、他の金属製放射性粒子より、偏った分布する可能性がある。広範囲に黒い雨が降った広島では、地域差が生じにくい可能性が高いが、長崎では地域差が大きい可能性も高い。その点、長瀧論文は、黒い雨の降下地域の被爆者を調査対象から外していることが大きな意味を持つ。放射性ヨウ素の特徴として、甲状腺に特異的に集積する性質がある。全身に放射性物質が分布すれば、それぞれの臓器の被曝線量は少なくなるが、放射性ヨウ素は、少ない量であっても甲状腺だけは高濃度に濃縮され、甲状腺の被曝線量が選択的に高くなる可能性があると考えておかねばならないことだ。そのため沢田氏が示した急性放射性障害を利用した全身被曝線量のグラフは、甲状腺に限って書けば、残留放射線被曝線量がより高くなると考えられる。そうしたことが、次の2つの疑問に答えられる鍵になるのではと思われる。

長瀧論文の上に凸の減少はなぜ起こったのか、何を意味するのか
 長瀧論文で、自己免疫性甲状腺機能低下症は、放射線との線量反応関係を示したものの上に凸の形が説明できないとして問題となっている。長瀧意見書でも「特定の要因と特定の疾病との聞に因果関係がある場合,特定の要因が増加するに従って,特定の疾病の罹患率ないしは有病率も増加するのが通常であるところ,上記研究における上に凸の傘型の線量反応関係は, 特殊な関係であるといわざるを得ない。そのため,上記研究結果からは,上記現象が.放射線に起因して発生したものとまでは断定できず,他の要因により引き起こされた 可能性も十分に考えられるのであって,このような線量反応関係からしても,上記研究結果を直ちに一般化することは困難である。」とし、まるで上に凸が欠陥商品かのように扱っている。「疾病と要因の因果関係において要因が増加すれば、疾病は増加するのが通常の法則だ」的なことが書かれているが、そんな法則はない。生体反応において、要因が増加し続ければ、疾病は増え続けるという現象は100%起こらない。それは何故か?少し考えれば分かる簡単なことである。要因が増えれば疾病は増える、適当な増え方であればそうだろう。しかし、それを超えて要因が増えるとどうなるか、細胞死が起こる。さらに増えると臓器死が起こる。さらに増えると生命の死が起こる。細胞が死なない程度の要因が作用したときのみ、細胞は傷つきながらも生きながらえ癌になって増殖したり、抗原性をもって、抗体ができたりする。細胞死や臓器死や生命死が起こりうるような要因の量になると、生き残る率は減少するので、右肩上がりの法則は成り立たない。つまり要因と疾病の因果関係が成り立つのは、適当な要因の強さの範囲内のことなのである。それは、被爆者と放射線の関係でもよく知られていることである。LSS寿命調査の最初の研究の頃、線量反応関係がやはり上に凸になった。4Gy程度で疾病の発症率が下がる。死亡率が低下する。4Gyの被曝は当時の医療技術や環境・生活状況などから7,8割は短期間に死亡する線量である。ほとんどが死亡し、生き残った人々は、選りすぐられた頑強な人たちなのである。その人たちの発症率や死亡率が、より被曝線量の少ない人たちより低下することは、当然考えられることである。そのことがわかって、多くのLSSの研究は4Gy以上の被爆者を除外して統計を出している。実は、今泉論文は、この処理をした研究である。おそらく、長瀧論文の上に凸がこうした要因で起こったのではないかと考えたのだろう。しかし、P値はいいところまで行ったが、きれいな有意が出なかった。

図17_convert_20160122205216


 しかし、上に凸の謎を解く鍵になる論文が一つある。それは放射線影響研究所の1978年の浅野正英らの論文「広島および長崎の橋本病に関する剖検調査1954-74年:原爆放射線との関係」である。それは過去20年間の広島・長崎の被爆者の剖検例4,259例から、橋本病142人について放射線との関係を検討した論文である。病理診断をベースにしたもの(抗甲状腺自己抗体は不明)だが、症例数も142例と多く、よく書けた論文である。ただ、不思議なことに、伊藤論文同様、長瀧論文の参考文献36件に入っていない。この論文では橋本病を病理組織から3型に分け、被曝線量や重さなどとの関係を検討している。病理組織上は、散在性のリンパ腺様の濾胞形成があり、周囲にリンパ球、形質細胞が認められる型でLynphoid thyroiditisと呼ばれる典型的慢性甲状腺炎像である。び漫型は、実質全般に広がるリンパ球と形質細胞のび漫性浸潤であり、全例にリンパ腺様濾胞も全例に認めている。線維症型は、肝硬変のような間質内の線維組織の増加、コロイドを含まない濾胞の増加で、強い破壊状態から、慢性甲状腺炎の進行・末期状態とも考えられている状態である。このリンパ腺様型と線維症型の割合を被曝線量0、0.001~0.99、1Gy線量で比較してみると、線量が低いとリンパ腺様型が多く、線量が高くなるに従って線維症型が増加しているのが分かる。この論文では、入市+0群と被曝群を比較しているので、有意差がでていないのが惜しまれるが、おそらく有意差が出そうな違いである。1Gy以上被曝群は線維症型が73%と圧倒的である。つまり、高線量群の橋本病、慢性甲状腺炎は異質な、重症型が多いのである。この研究は、残念ながら剖検研究のため、甲状腺自己抗体検査の結果が分からない。線維型に分類されるタイプには抗体陰性が多いのではないかと思われる。こう考えると、伊藤論文の甲状腺機能低下症は高線量群には多いが、甲状腺自己抗体陽性の比率は低いという結果が説明できる。重さは、1Gy以上群では、リンパ腺様型、線維症型も1Gy以上群が最も軽い。これも残念ながら統計的には有意ではない。興味深いのは、入市群に線維症型が比較的多くなっているが、重さは最も重くなっていることだ。この組織型は増殖性病変と破壊性病変が混在しており、その比率の違いから重さの差がでていると考えられる。
 以上、高線量群の橋本病は、線維化が強い縮小している病変であり、甲状腺機能低下症になっても抗甲状腺抗体が陰性のものが多くなるのではないかと思われる。そう考えると、線量が増えると自己免疫性甲状腺機能低下症が減少する上の凸現象は説明できる結果なのである。

甲状腺癌や良性結節は何故、有意差がでているのだろう
 最後に、もう一つの疑問について考えてみたい。それは、甲状腺疾患の中でも、甲状腺癌や甲状腺結節は、放射線との線量反応関係が認められており、なぜ、甲状腺機能障害だけが認められないのかと言うことである。甲状腺機能低下症に線量反応関係が見いだしにくいのは、これまで説明してきた。被曝線量が少ないと評価していた遠距離被爆者の線量が実際には内部被曝により高く、そのため、近距離被爆者との有意差がつかないわけだ。
それなら、癌も同じではないかという考え方もできる。しかし、自己免疫性疾患と癌とでは、その発生機序が全く異なる。おそらく、癌はその臓器の被曝線量が絶対的な要因ではなく、全身の被曝状態がより関連してくる可能性が高い。発癌物質による発癌性と癌にならないように防御しようとするそのせめぎ合いの中で癌は発生する。おそらく防御機構は生体の免疫機能などいろんな機能が何らかの関わりを持っており、全身に被曝した時にその防御機構が弱くなって発癌してくるのではないだろうか。なので、全身を均一に被曝する初期放射線による外部被曝を多く受けた近距離被爆者が、より癌になる確率が高くなる。そのため甲状腺の被曝線量に関係なく線量反応関係ができる。甲状腺の内部被曝は、全身の被曝量では微々たるものである。局所だけの被曝では癌ももちろんは発生しにくい。なので頸部局所に放射線を当てた場合、甲状腺癌は発生するものの、その線量は20Gyと40Gyと非常に高い。もちろん散乱線が当たるので実際はもっと少ない線量だろうが、少なく見積もっても相当量の被曝になる。甲状腺は放射線に強く、5-10Gyが最もなりやすいとした意見もある。医療の現場では、これまで大量の放射性ヨウ素を検査や治療に使用してきた。さきにも述べたようにI-131薬は1カプセルで370万Bq、甲状腺の被曝線量は1Gyに及ぶ。その割に、甲状腺癌や甲状腺機能低下症は発生するが、率も低く、潜伏期も長い。全身の被曝が低いためが一つの大きな要因である。しかし、それだけではない。

外部被ばくと内部被曝の本質的な違い
 内部被曝による甲状腺の被曝線量が1Gyとしても、実は甲状腺機能低下症や癌になる甲状腺の濾胞細胞の被曝線量ははるかに少ない。おそらく1/10以下の量である。外部被曝の場合、臓器に均一に被曝する。γ線が通り抜けていく間に、そのエネルギーは臓器内でほぼ均一に吸収され、被曝することになる。なので、外部被曝で1Gyすれば、濾胞細胞も1Gy被曝していると考えて差し支えない。しかし、内部被曝はγ線ではなくてβ線が被曝の中心である。組織内では最大1-2㎜、平均170μm足らずしか飛ばない。なので、放射性ヨウ素が甲状腺組織のどこにあるかによって、甲状腺内の被曝分布は変わってくる。放射性ヨウ素が甲状腺濾胞細胞内、およびその近辺にあるのは吸収されて1-3時間程度で、後は濾胞細胞が周囲を取り巻いている150-200μmの濾胞と言われるいわばプールの中にある。プールの中から放射性ヨウ素がβ線を出したとしても、そこから濾胞細胞の核に当たる確率は極めて低い。I-131は半減期が8日なので、その殆どのβ線は濾胞の中から発射され、濾胞細胞の核に当たる率は極めて低いと考えられる。それに対してI-132は、半減期が2.3時間である。その大半のβ線は、濾胞細胞の近辺にある時に発射されることになる。内部被曝による甲状腺障害の主たる要因は、半減期の短い放射性ヨウ素の役割が大きいと考えねばならない。なので、チェルノブイリでは1Gy程度の内部被曝で甲状腺癌が多発しているのだ。この1GyはもちろんI-131 の見せかけの内部被曝で、半減期の短い放射性ヨウ素は無視されているから、真実の被曝線量は全く分からないのである。
 こうした矛盾はICRPが1980年代より30年間あまり、内部被曝ついての研究を疎かにしてきたことによる。
 これまでの原爆症認定裁判で、国の代理人が「内部被曝も外部被曝も線量が同じならでてくる結果も同じはずです」とか「内部被曝は人体に害を及ぼさないというのが、現代医学の到達点です」と言った、知ったかぶりの発言を繰り返してきた。そうしたことを言う専門家と称する人たちがいることも事実である。ICRP自身も、外部被曝の理論をそのまま内部被曝に外挿して使用してきた。
 あくまで、被爆者に現に起こっていることから、その因果関係を導き出す被爆者の立場に立った研究姿勢がほしいものである。そうでなければ、放射線の人体に対する真実も見えてこず、被爆者のみならず、福島の被災者や多くの人工放射線被爆者の救済につながらない。

5.【結論】
 かって、地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスは、自ら司祭の立場にあった教会の教えに反するとして、その迫害を恐れてか、自らの学説を死後に発表するようにして、生前は封印し続けた。科学はパラダイムシフトによって、違った次元へと進歩してきた。時代の潮流に逆らう学説を唱えることは大変、勇気がいる。しかし、長瀧氏はコペルニクスではない。すでに、原子力村、核兵器村のタブーを破った論文を書き、世に知らしめたのである。
 折角、原爆放射線の内部被曝による障害に視点を向けた初めての論文を書かれたのだから、自説に誇りと自信を持っていただきたいものである。よどみに浮かぶうたかたの時の政府のお膝元から、せせこましい異議申立書などこそ、撤回していただきたいものである。

 長瀧意見書は、自己免疫性甲状腺機能低下症と放射線の関係が、右肩上がりにならないことが、特殊な形なので、統計学的には正しいのだけけれど、一般化できないのだとういう。しかも、その後の研究でも同じような結果が出ていないので、自分の発表には自信はあるけれど、裁判の判決文には使わないでくれという。それは、論理が逆なのではないだろうか。科学の真理を追究する立場からすると、確かに、方法論がいかに正しく完全なものであっても、説明のしきれない結果がでたら、絶対的真理と言いがたく、さらに追究の余地があると考えるが当然だろう。
 しかし、司法の場は、放射線と疾病の関係について、絶対的な真理を求めるものではない。司法の場では、放射線と疾病の因果関係について、その時点において、到達できている科学的知見に基づいて判断するのが、当然の事であるはずである。全てと言っていいほど、医学のあらゆる学説は、相対的なものでしかない。科学の進歩と共に新たな事実が分かり進化していく。常に、どんな正論にも反論はある。その中で、被爆者援護法の、救済理念に基づいて判断された判決に、異議を唱える長瀧意見書には納得できない。「科学の真理としては、自分は自信がある。しかし、裁判判決には使わないでくれ。」これは、論理が全く、反対なのである。
 現政権の安倍首相は、原爆記念式典など、ことあるごとに被爆者の救済について熱弁を振るわれている。「高齢化する被爆者の皆さんだからこそ、原爆症の認定も早急に行い、積極的に救済を進めたい」といった内容の講演をされている。長瀧氏は時の政権にあって、放射線障害に関する重要な役割を、医学者の代表として、担っておられる。そうした立場にあって、時の宰相の意向にも反した意見書を提出されるとは、一体、どうした動機や気持ちでされたのか、とても推し量れない意見書である。医籍の末席に身を置く一人として、一時も早く意見書の撤回をしていただきたいものである。


【引用文献】
1-1.「長崎被爆者における甲状腺疾患」長瀧重信ら 日本語版JAMA 1994年12月号
1-2.ICRP・Publication 103「国際放射線防御委員会の2007年勧告-27頁4.3.2線量の
平均化(109)」日本アイソトープ協会 2009年

1-3.「原爆線量再評価DS86」227頁-残留放射能の放射線量 総括 DS86翻訳事業会 
1989

1-4「Patterns of human thyroid parenchymal reaction following low-dose childhood
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1-5「Autoimmune thyroiditis in the rat induced by thymectomy and low doses of
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cell autoantibodies.」小谷らClin Immunol Immunopathol 1982;24:111--121.

2-1「被曝55-58年後の広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺結節と自己免疫性疾患の
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3-1「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について」横田素一郎ら長崎医誌36(特) :202-
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3-2 「若年被爆者の血清TSH、サイログロブリン、甲状腺疾患;原爆被爆30年後の調
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3-3 「Serum TSH, thyroglobulin, and thyroidal disorders in atomic bomb survivors
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4-2 「RISK TO THE THYROID FROM IONIZING RADIATION」NCRP REPORT
No. 159,  3.3.6 Spatial and Temporal Inhomogeneities in Intrathyroidal
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4-3 「長崎原爆被爆者の剖検・パラフイン標本を用いた残留放射能の検出法ーその2-」
  七條和子ら 広島医学63巻4号(2010年4月)

4-4「広島フォールアウト地域4重がん症例の肺がん組織で証明された内部被ばく」鎌田七
男ら、第56回 原爆後障害研究会 発表抄録集 2015

4-5「Medical effects of the atomic bomb in Japan」A.Oughterson & S.Warren 1956,
4-6「MEDICAL EFFECTS OF ATOMIC BOMBS THE REPORT OF THE JOINT
COMMISSION FOR THE INVESTIGATION OF THE EFFECTS OF THE ATOMIC
BOMB IN JAPAN  Vol.5」1951年

4-7「放射線による内部被曝」沢田昭二 JSA&マガジンNo.1
4-8「農林水産省資料」福島の雑草の放射線
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2016.01.22 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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