被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(36)
地裁第7民事部の審理促進、原告E・Kさん本人尋問と医師尋問を同日実施
2月9日(火)原告二人の弁論終結の予定
2015年12月4日(金)

 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)は7人の原告で争われているが、その内の一人E・Kさん(83歳、男性、奈良県大和高田市)の本人尋問と医師尋問が12月3日(木)同日で行なわれた。第7民事部は前回(10月22日)の法廷で原告内田和子さんに対して国側代理人による常軌を逸した反対尋問が行われたところで、私たちは強い憤りを持ったが、今回はそれに続く法廷だ。午後2時開廷、原告のE・Kさんと今日医師証言をされる大阪・西淀病院副院長穐(あき)久(ひさ)英明医師の二人が一緒に宣誓書を読み上げて尋問は始まった。前段は原告E・Kさん本人の尋問から。E・Kさんが初めて法廷に立ったのは2013年9月の意見陳述の日。あの時大きな声ではっきりと述べていたE・Kさんの様子を何故か印象深く記憶に止めている。あれから2年以上が経過した。主尋問の最初は小林務弁護士が担当し、E・Kさんの被爆状況について質問していった。E・Kさんは長崎市の爆心地から東南方向の伊良林町で被爆した。爆心地から3.1kmの距離ではあるが、E・Kさんが被爆した広場は、原爆の爆発した上空503メートルの角度からは何も遮る物のない、熱戦も衝撃波も放射線も直接浴びることになってしまう位置にあった。小林弁護士はそうしたことを写真や、地図、資料をE・Kさんに示しながら一つひとつ確認していった。直爆の後自宅に帰ってからのこと、近くの墓地で過ごしたその夜のこと、そして8月12日になって爆心地まで向かおうとして銭座国民学校の近くまで行ったことを、E・Kさんが直接図面に書きこむ作業などもしながら証言して行った。9月新学期になって以降学校からの帰りにしばしば急性症状の嘔吐に襲われたりもしている。

 小林弁護士の後は諸富健弁護士が尋問を引き継ぎ、E・Kさんの病気発症の経緯について質問していった。E・Kさんが最初に心筋梗塞を発症したのは1984年(昭和59年)52歳の時。5年後の1989年(平成元年)、57歳の時に再び発症してバイパス手術を受け、その時点からきっぱりと喫煙も止めている。1993年(平成5年)には別の狭窄箇所で再度手術を実施。2002年(平成14年)には腹部大動脈瘤が診断され、今も通院治療が続けられている。その他緑内障や両眼白内障など数々の病気発症に見舞われてきたが、それでも血圧は正常であったこと、血糖値も正常範囲であったこと等はしっかりと織り交ぜながらの証言だった。

 国側の反対尋問は、「またか」と思ってしまうほどの論点に終始した。一つは被爆者健康手帳の交付申請書記述内容との違いで、E・Kさんの申請書には被爆場所が伊良林町の自宅となっているようだ。自宅とE・Kさん証言の広場とは距離の違いは大してないように思うのだが、自宅であれば遮蔽物がたくさんあってその分だけ被爆の影響は少ないとでも言いたいのだろうか。「原爆被爆者調査表」には急性症状の記述のないことも執拗に問い質された。E・Kさんは「調査表」は被爆後何年も経ってから作成されたもの、何故かと聞かれてもよく覚えていない、と正直に答えた。起因性についての反対尋問は喫煙歴のこと、糖尿病や高血圧に疑いがあるかのような質問だった。喫煙している頃一日の本数が何本までだったかなどの質問にはうんざりしてしまう。「あれだけ吸っていて、突然禁煙などできるのか?」などと言った質問には、傍聴席からも呆れた笑いがこぼれてしまう。
 国側の尋問のしつこさのため結局E・Kさんの尋問は1時間を要すことになった。E・Kさんは耳が聞こえにくい。代理人の質問は傍で大きな声で行なわれ、裁判官からの質問は間に小林弁護士が入って通訳するような形で行なわれた。E・Kさんにとっては大変な尋問の一時間だったが、よく頑張って国側の反対尋問を乗り越えられたと思う。

諸富さん_convert_20151212101454

 10分間の休憩を挟んで後半は穐久医師の証人尋問が行われた。穐久医師の証言も昨年2月の第2民事部以来となる。主尋問は諸富弁護士が担当。心筋梗塞と原爆放射線との因果関係はすでに十分に証明されていること、E・Kさんの被爆状況から外部被曝、内部被曝含めてかなり多量の放射線被曝を受けていること、E・Kさんは57歳の時から禁煙しそのリスクはゼロになっていること、血圧、血糖値はまったく問題ない正常な範囲にコントロールされていること、E・Kさんのもう一つの申請疾患腹部大動脈瘤も動脈硬化から発症するものでありその原因に放射線被曝が考えられること等が証明されていった。E・Kさんは角膜ヘルペスを8回も繰り返しているがあまり例のないことであり、このことも放射線の影響による免疫力の低下が反映しているとの証言だった。特に腹部大動脈瘤については今後も経過観察が絶対必要であり、当然要医療性が認められるとして主尋問は締めくくられた。

 国側がE・Kさんの放射線起因性を否定する意見の主な論点は、被曝線量のことと心筋梗塞発症の他原因論のようだ。反対尋問でも被曝線量のことについては相変わらずの質問が繰り返され、E・Kさんの被曝線量はどの程度のものだと考えたのかとか、「多量の被曝線量」と言われる具体的な根拠は何なのか等々であった。最後には、残留放射線や内部被曝の影響がなかったとした場合、それでも放射線起因性は考えられるのか?と言った珍問まで飛び出した。他原因に関わる質問は、喫煙歴、血圧と血糖値評価などであったが、穐久医師の一つひとつの質問への的確な回答の前に最早大した追及もされず、確認をするだけに終わっていった。
 尋問全体は午後4時15分に終了、次回期日の日程を新年2月9日(火)と決められて閉廷となった。

穐久先生_convert_20151212101536

 大阪弁護士会館で行なわれた報告集会では、今日証言台に立たれたE・Kさんと穐久医師に労いの拍手が贈られ、その上で今後のことについての報告と提起が行われた。西晃弁護士からは先週11月27日(金)結審した控訴審Bグループ(梶川一雄さん)の判決に向けて「公正な判決を求める署名」運動を大至急強めていくことが提起された。大阪高裁への署名提出日は年明け1月7日(木)午後3時であり、そのためには年内に最大限集めることが必要となる。
 愛須勝也弁護団事務局長からは地裁のこと、最高裁への上告のことが報告された。今日の地裁第7民事部は7人の原告の審理となっているのだか、立証の整いそうな原告から随時先行して証人尋問を行ない、個別に結審していくという異例の措置を取ることになった。その結果、前回本人尋問された内田和子さんと今日のE・Kさんとは次回2月9日が弁論終結の予定となる。被爆者には時間がない、すでに裁判途中で他界された原告も少なくない。言わば非常とも言えるこの事態に裁判所も対処しようという姿勢だ。
 10月29日逆転敗訴となった武田武俊さんの上告は先日の全国弁護団会議においても了承された。松谷最高裁判決からの司法判断基準後退の可能性を懸念する向きもあったが、被爆者の主張と権利を正々堂々と掲げて闘おうという訴えが受け止められた。しかし上告理由書の提出期限は年明けの1月5日であり、弁護団は年末年始返上でこれに取り組まなければならない。
地裁も高裁も最高裁への上告も、引き続き全力をあげて取り組んでいこう、と訴えられた。
 久しぶりに半日いっぱいの時間を使った裁判と報告集会となり、裁判所と弁護士会館周辺に夕闇が迫る中での散会となった。


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2015.12.12 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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