被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(35)
10月29日の不当判決を乗り越え!
被爆者援護法と松谷訴訟判決に立ち帰った司法判断を取り戻して行こう!
高裁Bグループの判決は2月25日(木)に決定
2015年11月30日(月)

 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟・高裁Aグループ武田武俊さん(故人)の裁判は10月29日(木)の不当判決によって逆転敗訴となったが、その後上告され、舞台を最高裁に移すことになった。原爆症認定訴訟が最高裁で争われるのは集団訴訟以来初めてのこととなる。一方で近畿の控訴審は休む間もなくBグループ、Cグループも審理が進められる。Bグループ梶川一雄さん(故人)の裁判の第2回弁論が11月27日(金)午前10時から、大阪高裁第7民事部(池田光宏裁判長)で行なわれた。前回第1回が10月23日(金)だったので、僅か1ヶ月と少しだけの期間を置いての2回目であり、そして今回が早や弁論の終結となる日だった。
 前回の法廷は国側の証人山科章氏(東京医科大学循環器内科教授)に対する尋問だったが、今回の弁論終結に当たっての原告側(被控訴人側)の意見陳述はまず、この山科証人が証人としていかに不適格であるかを徹底的に明らかにすることから行なわれた。陳述は担当の塩見卓也弁護士。あらかじめ提出されている3つの準備書面に基づいて、山科証人の不適格性が歯切れよく述べられていった。不適格であることは3つの理由による。第一は山科証人は心筋梗塞の専門家ではあるかもしれないが、原爆放射線が人体の動脈硬化や心筋梗塞にどのような影響をするかについてはまったく研究実績も知見もなく、その点ではただの素人にすぎない。第二は原告梶川さんのカルテをまともに見ようとも検討しようともしなかった形跡が明らかで、杜撰な病状評価でまったく誤った見解を述べている。そして第三に、山科証人が述べる「過去において喫煙歴のある人は禁煙後も後々までその影響から逃れることができない」という見解は30年以上も前の古い論文に基づいたものであり、最新の研究成果とはまったく矛盾している。塩見弁護士は日本動脈硬化学会の「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版」と題した資料とその根拠となる17の基本論文の存在を示し、禁煙すれば心筋梗塞再発リスクは非喫煙者と同程度に低下する研究結果を明らかにした。同様の研究は2013年に発表された別の論文でも明らかにされている。山科証人ほどの「権威ある」人物が日本動脈硬化学会の最新の基本論文を知らないはずはない。知っていてこのような誤った「禁煙無効果」論を平然と述べるのであれば意図して誤った心証を裁判官に与えようとしていることになり、許されない。もし仮に最新の基本論文の存在を知らなかったとすれば、それは専門家としての見識を疑われ、価値を失い、そもそも証人足り得ない。いずれにしても証人としての適格性を有しないことは明らかだ、と強く主張した。
 10月29日のノ―モア・ヒバクシャ東京訴訟第一陣判決でも同じ心筋梗塞に苦しむ原告の原爆症が認定された。放射線被ばく影響の可能性がある限り起因性は認められる、心筋梗塞との間にしいき値は認められないとの判決だった。梶川さんの心筋梗塞も放射線の起因性を否定することはできない、国の控訴はすべて棄却されるべきだ、と塩見弁護士は訴えた。法廷内を圧するような塩見弁護士の陳述は、私たち傍聴者をも勇気づける力強いものだった。
 意見陳述の2人目は愛須勝也弁護団事務局長で、これが最後の訴えとして行なわれた。陳述内容は一言で言えば“被爆者援護法と松谷訴訟最高裁判決に立ち帰って判決すべきだ”というものだった。松谷訴訟の福岡高裁の判決内容、そして最高裁において「高度の蓋然性」が必要であると判断されつつも、最後は、実質的に被爆者の立証責任は軽減され、被爆者救済への結論が導かれていった。その経緯、被爆者援護法の精神、趣旨こそが尊重され、被爆者の立場に立って判決されたことが詳しく述べられた。愛須弁護士はそのことについて、「そこに、私は、困難な事案に直面した最高裁としての悩みと被爆者救済の固い決意を感じます」という印象深い表現で語られた。以来、原爆症認定集団訴訟、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟のすべての判決が、一部の例外を除き、この松谷訴訟最高裁判決の考え方に基づいて維持されてきた。10月29日に行なわれた東京と大阪の二つの判決は、東京地裁の原告17人全員勝訴判決が原爆症認定訴訟の歴史と蓄積に基づいて行なわれたものであるのに対し、それとはまったく対照的だった大阪高裁第6民事部の不当判決がいかに異質なものであるかも明らかにされた。
 陳述の最後において、被爆者援護法の前文全文がもう一度一言一句を確認するように読み上げられた。そしてこの援護法の趣旨に立ち帰り、松谷訴訟以降の司法判断の到達点を踏み外すことなく、唯一の被爆国の裁判所として被爆者救済の判決が下されるようにと訴えて陳述は締めくくられた。
 この日国側の代理人席は多数の代理人によって占められていたが、意見陳述は一人も一言もなく、そのまま弁論は終結となった。裁判長から判決言い渡しを来年2月25日(木)午後1時15分から行なう、と宣言されて閉廷となった。

塩見さん_convert_20151211202124

 報告集会ではこの日意見陳述した塩見弁護士、愛須弁護士から陳述に込められた思いなどが紹介された。塩見弁護士は前回以降の短い期間の間に、昨日ギリギリまで、東神戸診療所所長の郷地秀夫医師からの協力も得ながら、準備書面、今日の意見陳述を準備してきており、その様子、奮闘ぶりが紹介された。愛須弁護士は、原爆症認定訴訟は、例え難しい事案であっても被爆者救済を基本に判決してきた歴史、特に全員救済してきたところに特別の意味のあったことをもう一度訴え、言わば原点に立ち帰って判決するよう求めたかったと説明された。そして、梶川さんの判決が来年2月25日と決まり、来年は全国でも判決が続いていく、被爆者の高齢化はますます進み、訴訟をいつまでも続けるわけにはいかない、来年は勝負の年、最後の山場だと思って頑張っていきたいと決意が明らかにされた。
 この日はたまたま元裁判官の森野俊彦さん(原爆症認定集団訴訟の大阪高裁審理を裁判官として担当、現在弁護士)が傍聴しておられ、報告集会にも激励のために参加された。二人の弁護士の意見陳述の熱弁は素晴らしかった。これに裁判所がどこまで応えるか注目している、かって原爆症認定訴訟に関わったものとしてこれからも支援を続けていきたい、との挨拶だった。森野さんと言えば11月2日付朝日新聞に「原爆症認定、逆転敗訴に思う」と題した投稿が掲載されたことを思い出す。元裁判官という立場ながら10月29日の高裁判決に疑問を呈し率直な批判を投げかけられた。力強い援軍だった。
 報告集会は最後に藤原精吾弁護団長の次のような挨拶と訴えで締めくくられた。
今日の二人の弁論は、もう一度裁判の流れを変えていく、そのための重要な起点となる陳述だったと思う。10月29日の不当判決は本当に悔しいものだった。なんとかしなければならない、そうした強い思い、決意が今日の二人の陳述によく表れていた。私たちの闘いはいつまでも続けていくことはできない、原爆症認定制度を変えていく、改めてさせていく、そのための大きな力を作っていかなければならない。逆転敗訴となった武田さんの裁判は、どんな困難があっても被爆者の思い、決意は変わらない、国の思惑、意図は絶対に許さないという被爆者の意思を明確に示すためにも、上告はしなければならなかった。
11月21日から23日まで広島市で世界核被害者フォーラムが開催された。そこで採択された広島宣言がある。宣言は、「核時代を終わらせない限り人類はいつでも核被害者=ヒバクシャになりうることを認識して、核と人類は共存できないことをあらためて確認した」とある。「被爆したのに、被爆者と認定されない者が権利を求めて闘っている」ことも明記された。そして「核被害者の情報を共有し、芸術などを含む様々な方法やメディアなどの媒体で発信し、共に連帯して闘っていくことを確認した」とされた。私たちの運動はこの核時代を終わらせる大きな闘いの一環でもあり、しかも最も強力な一環なのだと思う。それに相応しい運動をとりくみ、目標の達成、実現めざして頑張っていこう。

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2015.12.11 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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