被爆二世の

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(31

判決を待たずに亡くなる原告がこれ以上とならないよう迅速な審理を!

-大阪地裁第2民事部で原告代理人の訴え-

戦争法案廃案めざす新しい国民的規模の運動と共に!

2015年9月11日(金)

 
 9月8日()、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)において、在外被爆者にも被爆者援護法に基づいた医療費が支給されなければならないとする判決が下された。韓国に住む3人の被爆者の支給申請に対して大阪府と国が却下したため被爆者が提訴し、大阪地裁でも、大阪高裁でも却下処分取り消し(支給を認める)判決となっていたにも関わらず、大阪府が上告してまで争われていた裁判だ。一審大阪地裁での勝訴判決は2年前の2013年10月25日、裁判長はノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟第7民事部も担当している田中健治裁判長だった。そして原告代理人はこちらもノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟弁護団の一員である崔信義弁護士が担当されていた。ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟傍聴記でも当時あの日の判決に触れ、在外被爆者への一層の支援を訴えていた事を思い出す。

今回の最高裁判決は、被爆者援護法の適用は法の趣旨から日本国内に居住するか否かによって区別してはならない、とする極めて明快なものだった。それだけに、どうして大阪府や国は上告までして争ってきたのか、そして係争中の長崎や広島の同様の裁判では一審の司法判断までもが何故被爆者の訴えを退けてきたのか、疑問は容易に解消しない。

ともあれ、最高裁判決を受けて厚生労働省は、在外被爆者への医療費支給方針全体を見直す、係争中の長崎、広島の件についても最高裁判決に基づいて解決をはかる、とのコメントを発表した。在外被爆者のみなさんからすれば長い長い闘いの道のりを、やっとここまでたどり着いたという思いであろう。それでも今回の原告3人の内2人は既にこの世にない。勝訴の確定を生命ある内に聞くことのできなかった無念の思いは残っていくだろう。 

翌日の9月9日()、6月以来となるノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟第2民事部の裁判が午前11時から行なわれた。第2民事部はBグループ2人、Cグループ3人という原告構成だが、これまで4人の原告についての意見陳述は終えており、この日は最後となる5人目Y・Mさん(神戸市・男性)についての意見陳述であった。しかしY・Mさんも今年3月7日既に他界されており、裁判を承継された奥さんの代理人としての上記崔弁護士による陳述であった。

Y・Mさんは7歳の時、長崎市の爆心地から南方向4.0~4.3kmの父親の社員寮にいて被爆した。4.0kmという距離ではあるが爆心地方向に向き合った丘陵の障害物の何もない場所に社員寮はあり、強烈な熱線、初期放射線を真正面から浴びることになった。その深刻な影響は当時の建物の痕跡写真によっても記録され残されている。DS86の同心円距離などで機械的に線量推計するなどできない過酷な条件と状況下での被爆だ。さらにY・Mさんの家族は原爆投下直後、米軍長崎上陸の噂のため避難することにし、8月10日(又は11日)長崎市から北東の喜々津に向かった。そして米軍上陸の可能性はないと分ると再び12日(又は13日)長崎市内の元の住居にとんぼ帰りした。この時の往復はすべて爆心地付近やその真ん中を延々と時間をかけての踏破だった。6人の家族みんなが放射性物質を含んだ塵を大量に吸い込み、水や食べものを口にしたのは間違いない。

Y・Mさんは昭和62年8月、49歳の時甲状腺腫の手術をした。平成24年、74歳の時には食道がんの診断を受けて手術、それから平成26年間まで7回の入退院を繰り返し、その間2度の抗がん剤治療を受けてきた。平成25年7月に原爆症認定申請をしたが、同年11月に却下。納得できないY・Mさんは半年後の平成26年5月に提訴に踏み切った。裁判を始めた当初、Y・Mさんは同じ症状で苦しむ人たちのためにも頑張らなければと一生懸命だったが、昨年暮れ頃から急速に体力が低下し、ホスピスでの延命治療にも関わらず、今年3月7日無念にも力尽きてしまった。享年76歳だった。

Y・Mさんのがんに原爆放射線起因性があることは明らかであり、要医療性にも疑いはない。原爆症認定基準の形式的・機械的適用を排して、Y・Mさんの個別事情に即した判断がなされておれば、生存中の認定は可能だったはずだ。傷ついた被爆者の身体や心、失われた生命を元に戻すことはもはやできはないが、せめて十分な補償をすることが、国ができる必要最低限の責務ではないか。申請却下処分によって、被爆者本人のみならず多くの人々が悲しんでいることを、国は認識すべきだ。裁判所は、これ以上判決を待たずに原告が亡くなることがないよう、迅速な審理をして欲しい、と訴えて崔弁護士の陳述は締め括られた。現在ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告は地裁、高裁合わせて19人だが、その内5人までもが裁判途中で亡くなられ、家族の承継によって闘っている人たちだ。 

原爆投下から100時間以内に往復2度までも爆心地から2km以内に入市し、食道がんを発症したY・Mさんの申請は、2013年12月16日からの新しい審査方針に照らしても積極的認定範囲のはずなのに、国は何故却下処分するのか。裁判後の報告集会において率直な質問をし、もう一人の担当の野口善國弁護士から説明がなされた。国は第一にY・Mさん一家が爆心地付近を通過した事実そのものを認めていない、認めるだけの証拠に乏しいとしているらしい。さらには食道がんの治療措置は既に終わっているものとし、要医療性の要件にも欠けると主張しているとのことだ。

Y・Mさんの被爆者手帳交付申請の記録には爆心地入市の記述はないようだが、当時を記憶しているお姉さんの詳細な体験証言から入市の事実と被爆の実際は明らかだ。また入市被爆に至るまでもなくY・Mさんの場合の直接被爆による深刻な影響は認められなければならない。国が採用する被ばく影響評価基準には限界のあることが、集団訴訟でもノ―モア・ヒバクシャ訴訟でも繰り返し指弾されてきたではないか。Y・Mさんは食道がん手術後様々な箇所に転移もしていて、抗がん剤治療も繰り返してきた。何よりの要医療性の証明であって、国のあまりにも理不尽な主張は許すことができない。 

会場を大阪弁護士会館に移しての報告集会では冒頭、大阪支援の会の中川益夫さん(「非核の政府を求める大阪の会」代表世話人、他)の急逝が報告された。亡くなられたのは9月1日、亨年79歳だった。ノ―モア・ヒバクシャ訴訟にも毎回傍聴参加され、原告のみなさんを力強く支えて来られた方だった。参加者全員で黙とうをささげ、追悼をした。

崔さん_convert_20150911105001

この日の報告集会にはY・Mさんの奥さんも参加され、あいさつの後参加者全員から激励の拍手が贈られた。意見陳述された崔弁護士からは生前のY・Mさんの元気だったころのこと、国による却下処分通知が被爆者や家族にいかに打撃を与えてきたかなどの様子が紹介された。和田信也弁護士から進行協議の結果が報告され、第2民事部の次回期日は12月11日(金)午前11時と決まった。合わせてその他の裁判日程の変更、新規決定なども報告され、特に控訴審Bグループ梶川一雄さんの初の期日が10月23日(金)午前10時からとなった。これで控訴審の8人の原告全員が審理開始のスタートラインにつくことになる。控訴審はBグループの第7民事部も、Cグループの第13民事部も法廷は202号大法廷となった。力いっぱいの支援で傍聴席を満席にして臨まなければならない。

和田さん_convert_20150911105141

最後に藤原精吾弁護団長から、9月8日の在外被爆者への最高裁判決の画期的な意義についてふれられ、そして来月29日に迫った武田武俊さんの控訴審判決を大きな転機にしていこう、と呼びかけられて、報告集会を終えた。

団長_convert_20150911105217


 国会会期末まで残り日数実質10日を切った。憲法を破壊し、日本の国の平和主義の形を変えてしまう戦争法案=安保法制法案の帰趨を決する緊迫の日々を迎えている。必ず廃案に追い込み、安倍政権の退陣を実現していきたい。悲惨極まりない戦争体験につながる、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟に関わる原告のみなさん、弁護団、支援のみなさん全員が共通して持つ強い思いだ。この半年間、本当の平和と安全を願って、民主主義の破壊を許さず、憲法9条を守り抜こうと、うねりのように広がり高揚してきた全国規模の運動には、従来の運動の枠をはるかに超えた、新しい民主主義運動の胎動、誕生を感じさせるものだった。戦争法案以後も、この新しい運動は揺るぎないものとして私たちの社会に根を張り、定着し、新しい社会を創りだしていく源となっていくのだと思う。ノ―モア・ヒバクシャ訴訟もその一翼を担いたい、そしてその運動と共に勝利し発展していくとりくみでありたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程

10月 5日(月)

11:00

高裁C(第13民事部) 202号

弁論

10月22日(木)

 

地裁第7民事部 806号

不確定

10月23日(金)

10:00

高裁B(第7民事部) 202号

弁論

10月29日(木)

14:00

高裁A(第6民事部) 別館82号

判決言い渡し

12月11日(金)

11:00

地裁第2民事部 1007号

弁論

Ÿ   9月15日(火)に予定されていた地裁第7民事部の審理は裁判所の都合により取り消しとなった。

Ÿ   10月29日(木)には東京訴訟第一陣の判決言い渡しも行われる。(15:00)


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