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被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(26)
被爆70年の年明け ノーモア・ヒバクシャ訴訟最初の判決言い渡し(1月30日)
国の「新しい審査方針」も真っ向否定、4人が勝訴!
しかし事実認定で3人が敗訴、新たな闘いへ!
2015年2月2日(月)
 
 
1月30日、今年最初となるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の判決の日を迎えた。大阪地裁第2民事部(西田隆裕裁判長)での第6次から11次まで7人の原告に対する判決言い渡しだ。午前10時20分、原告、弁護団、支援の人々はいつものように裁判所前若松浜公園に集まり、厳しい寒さと降りしきる冷たい雨をついて判決前集会を行った。「裁判長からはっきりと判決を聞くまでは」と思いつつも、集団訴訟以来これだけの裁判を積み重ねてきているのだから、全員の勝訴判決を誰もが確信していたと思う。メディアのカメラ砲列を前に行進して1007号法廷へ入廷。今日は7人の原告全員が揃って着席となった。厳しい体調のため本人尋問は宇治簡裁への出張で行われた原告の原野宣弘さん(70歳、宇治市在住)の姿もあった。今日だけは無理をおしての出廷だ。昨年5月18日に他界され無念にも今日の判決を迎えることができなかった塚本郁男さん(姫路市)の奥さんも原告席にあった。

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 午前11時開廷。西田裁判長から判決が読み上げられていった。あらかじめ7人の原告名を手許にメモして、いつものにように一人ひとりの結果を記していこうと構えていたのに、今回は違った。原告の名前は一切読み上げられない。裁判の事件番号だけが告げられ「却下処分を取り消す」の言葉が続けられる。「取り消す」と聞こえた事件番号は4件まで、その余の請求は棄却すると言われて、判決言い渡しは終わり、閉廷となった。
全員勝訴とはならなかった。7人の原告の内4人が勝訴で3人は敗訴。しかも誰が勝訴で誰が敗訴なのかもすぐには分からない。勝訴の4人は全員甲状腺機能低下症が申請疾患の人で、甲状腺機能低下症以外の3人はいずれも敗訴になったようだ。閉廷後の法廷内でその程度のことだけを聞いて、裁判所前の集会にかけつけ、さらに報告集会の行なわれる中之島公会堂に移った。まさか、どうして、という思いばかりがつきまとい、頭の中をかけめぐり、裁判所前でどのような旗出しがされたのかも気がつかないままだった。

011旗出し_convert_20150203011037
 
中之島公会堂2階会議室での判決報告集会は正午からとなった。約50人の参加。司会の西晃弁護士から判決の結果をまとめて以下のように報告され、はじめて全体像を知ることになった。
勝訴したのは、
川上博夫さん      74歳・加東市 12歳の時長崎で被爆、3.7kmと入市
                  甲状腺機能低下症(慢性甲状腺炎)
F・Nさん(女性)       76歳・神戸市 6歳の時長崎で被爆、2.2kmと入市
                  甲状腺機能低下症(慢性甲状腺炎)
柴田幸枝さん      74歳・京都市 5歳の時長崎で被爆、4.0kmと入市
                  甲状腺機能低下症
                  但しもう一つの申請疾患の白内障は棄却
N・Mさん(女性)       71歳・神戸市 2歳の時広島で被爆、3.0kmと入市
                  甲状腺機能低下症
敗訴は
中岸 勝さん      74歳・川西市 5歳の時広島で被爆、2.4km、狭心症
塚本郁男さん      死亡・姫路市 14歳の時広島で被爆、1.7km
                  火傷瘢痕(ケロイド)
原野宣弘さん      70歳・宇治市 9ヶ月の時長崎で被爆、2.5kmと入市
                  心筋梗塞と労作性狭心症
この内柴田幸枝さんの白内障と塚本郁男さんの火傷瘢痕については、放射線起因性は認められるが要医療性は認められないとした棄却。

その後弁護団による判決分析を終えて駆けつけた愛須勝也弁護士から詳しい説明が要旨以下のように行われた。
率直に言って意外な判決だった。判決に対する裁判所の姿勢にも疑問を感じた。例えば一人ひとりの原告名を一切言わずに事件名だけで判決を言い渡すなどこれまでになかったことだ。
しかし、判決の枠組みは、これまでの集団訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟で積み重ねられてきたものと同じで変えられたわけではない。すなわち、国が採用する線量評価体系(DS2)等に基づく被曝線量算定方法には限界があること、誘導放射線及び放射性降下物による影響については内部被曝の影響を考慮していないなど過小評価となっている疑いがあること、したがって被爆者の被曝線量評価に当たっては、被爆者の被爆状況、被爆後の行動、活動内容、被爆後の症状等々、様々な形態での外部被曝・内部被曝の可能性を検討する必要がある、とされていることだ。しかも今回の判決では、国が2013年12月16日付で改定したとする「新しい審査の方針」のこともわざわざ取り上げ、それは依然として従来と同じ評価方法であると断定し、その誤りをはっきりと認めたのだ。
そうであるなら甲状腺機能低下症以外の3人も含めて全員が認定されてしかるべきなのに、判断枠組みの基本は維持しながらも、個別のところでは被爆者を救済しないこともあるという、その点で従来とは異なる判決となった。敗訴となった中岸さんと原野さんに対する判決文はそれぞれに、「健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められる」としつつ、しかし「その被曝放射線量が非情に高かったとまではいうことができない」という、根拠不明な、理解することのできない、矛盾に満ちたものだ。そして中岸さんの狭心症、原野さんの心筋梗塞に対して、一般論としての放射線起因性は認めつつも、二人の発症は他の原因によるものという主張を敢えて採用し、不当判決を下すことになっている。従来の原爆症認定訴訟なら、他の発症原因もあるけれど放射線の影響もあるのだから原爆症を認めてきたのではないか。塚本さんの火傷瘢痕は要医療性の否定だが、かっての集団訴訟において、まったく同じ被爆現場(広島県立商業高校グランド)で同じように被爆した佐伯さんが、申請疾患も同じケロイドで認定されている。他原因の採用、要医療性の否定など誤った事実認定によって被爆者の訴えが退けられたということは、そこに裁判所の姿勢の変化があるのでは、ということを考えざるを得ない。
被爆後70年も経過し被爆者の記憶も遠のく、幼くして被爆した人たちには確かな記憶もない。そんな状況が進行する中で他原因などを持ち出して否認するなど許せない。国の頑なな認定行政に対してこれまで何とか頑張って被爆者の立場に立った判決を勝ち取ってきた。被爆70年を迎えた最初の判決で、国に対して断罪を下す大きな判断をし、猛省を促すような判決が本来求められていたはずなのに。
私たちの外側では、被爆者の訴えに対する国の抵抗が相当に激しく強いものであることを認識する必要がある。私たちが何もしなければ、従来の延長でずーっと裁判を勝ち続けていけるようなものではない。どんな裁判官構成であっても必ず勝訴を勝ち取れるだけの、いつも傍聴席をいっぱいにして裁判所にプレッシャーをかけられるような、そんな運動にしていく必要がある。そういうことを考えさせられ、思い知らせされたような判決だった。
しかし、裁判はまだ終わったわけではない。高裁で十分に闘うことができる。福島原発事故被災者にも大きな影響を与える裁判を私たちはやっているのであり、ここで引くことなどできない。敗訴となったみなさんは引き続き大変なご負担をかけることになるけれど、みんなの力で励まし、全国の人たちとも一緒に力を合わせて、高裁では必ず勝利できるようにしていきたい。
 
愛須弁護士の説明報告を受ける形で西弁護士から次のような発言があった。裁判を争う攻防の中で、国の激しい巻き返し攻勢の中で、裁判所は他原因のことをどう評価するか、他の危険因子をどう見るかなどを迫られている。そのギリギリの判断の時、傍聴席がどれだけ埋まっているか、要請署名がどれだけ集まっているか、原告を支援する世論、運動がどれだけ盛り上がっているか、しっかり見られていることを私たちは自覚する必要がある。そのことを重要な問題として私たちは確認しておかなければならない。
集団訴訟の時から私たちは大阪地裁の202号大法廷の傍聴席をいつも埋め尽くすようにして頑張ってきた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟となってからも当初の私たちの姿勢は変わらなかった。しかし次第に傍聴席の空席が目立つようになり、遂に昨年2月からは202号法廷を明け渡し1007号法廷に移らざるを得なくなった。その1007号法廷でも最近は傍聴席が満席にならない事態が続いた。その現実から見つめなおす必要がある。
舞台が高裁に移っても、弁護団の主張だけで裁判は勝てるものではない。裁判を支援する側もしっかりとネジを巻き直してやってゆかなければならない。この裁判の、今が正念場、節目の時を迎えているのではないか。
厳しいが、現状の問題を率直に訴えられ、胸に響く発言だった。
 
報告集会には6人の原告のみなさんの出席があり、それぞれから挨拶とお礼の言葉が述べられた。柴田さんはいつも夫婦一緒に傍聴に参加されていたのだが、今日はご主人が体調を崩され自宅で一人判決結果を待つ身だった。そのご主人からみなさんへのお礼のメッセージが寄せられ、担当の諸富健弁護士から読み上げられた。

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敗訴となった塚本さんの奥さんは亡くなられた塚本郁男さんの70年に及ぶ苦闘の日々をふりかえられた。塚本さんは認定申請以降の治療の事実がないという理由で要医療性を否定されたのだが、一昨年10月23日の本人尋問の時のことを思い出す。塚本さんの身体には重度の後遺障害が残り普通の食事さえ困難になっていた。医師からの指導と薬と奥さんの支えによってかろうじて食生活は維持されていた。これほどの厳しい現実が否定などされていいはずがない。

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 頑張って出廷された原野さんだが入廷行進の後立てなくなり裁判所内では急遽車椅子での移動となった。それでも報告集会も最後まで参加され、今日はみなさんの顔が見られて良かった、これからもよろしくと挨拶された。
F・Nさんは原因も病名も分からないまま、何度も倒れて、意識不明になることを繰り返してきた人だ。挨拶ではそのことにもふれ、みなさんへのお礼が述べられた。

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 N・Mさんは時には心が折れそうになることもあったと判決までの長い期間を述懐された。しかしみなさんに支えられた今日を迎えることができた、これからは恩返しもしていきたい、原爆と戦争は絶対に許すことはできないと決意も新たにされた。
判決後の記者会見に原告から只一人出席された川上さんは、全員勝訴ではなかったので自分の判決も手放しでは喜べないと率直なところを述べられた。厚生労働省は勝訴した人たちの控訴はしないようマスコミにも訴えられてきたようだ。これからは敗訴となった人たちの控訴もしっかりと応援していきたい、希望を持って頑張っていきたいと力強い挨拶がなされた。

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 報告集会は欠席となった中岸さんのことも、本人尋問の日のことを思い出す。中岸さんは被爆当時両親と3人兄弟の5人家族だった。両親もお姉さんも戦後若くして亡くなっている。弟さんも中岸さんの尋問の前年同じ狭心症で亡くなっている。中岸さんは心臓発作に怯えながらの不安な毎日だと訴えていた。中岸さんの家族のことこそ、中岸さんの受けた放射線の影響を推し量る十分な状況証拠だと思う。
告のみなさん全員に花束が贈られた。長年頑張ってこられたみなさんへの、敬意と、労いと、そして感謝を込めた花束だ。

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尾藤廣喜弁護団幹事長から記者会見の様子が報告された。一昨年12月定められた「新しい審査の方針」の誤りがはっきりと指摘されたこと、しかし敗訴となった原告は他原因が著しく過大に評価されたもので不当であること、もともと被爆後70年も遡って原因を評価すること自体に誤りがあり認定制度の根本的な見直ししか解決の道はないことなどが会見では強調されたようだ。

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 最後に藤原精吾弁護団長から報告集会のまとめが行われた。残念だが判決は本日の天気のように鬱陶しくスッキリしないものとなった。しかしこれも私たちの歩む歴史の一歩と受け止める必要がある。私たちは13年前、被爆者に寄り添う心のこもった行政の実現と、核兵器の廃絶、この大きな目標を掲げて歩み始めた。あの出発の日のことを思えば、やはり大きな山を登りつつあると思う。着実に前進している。今日の判決はちょっと足踏みしたことになるかもしれないけれど。1月15日の厚生労働大臣との定期協議で大臣は認定基準について居直りのような発言をしたけれど、それを真っ向から否定する手かがりを今日の判決で得ることができた。今回の原告も元々の認定申請の日から数えると既に6年もの年月を費やした人もある。本当に被爆者の命あるうちに問題を決着させなければならない。私たち全員がもう一度決意を新たにしてとりくんでいきたい。みんなで頑張りましょう。

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原爆症認定集団訴訟が始まってから12年を超える。被爆者も支援する人たちもそれだけ確実に年を重ねたことになる。支援の輪が従来と同じままなら、例えば傍聴に参加できる人の幅も自ずと狭くなっていかざるを得ない。これまでの枠を超えて支援の輪を広げ、運動を強め、大法廷であってもいつも傍聴席がいっぱいになるような活動を再び作り出していく必要がある。集団訴訟以来のことで言えば、2011年、東日本大震災による福島第一原発事故が発生し、日本中の人々が核の脅威にさらされた。今も福島や東日本の人々への放射性物質による影響は深刻さを増し、危険な状況が続いている。国は原発安全神話に代わって今度は放射能安全神話とでも言うべき偽りの「放射能論」「安全基準論」をふりまき、危険な福島帰還促進や賠償打ち切りなどを謀ろうとしている。そこではいつも広島・長崎の被爆影響のことが持ち出されている。被害は小さく、少なく、軽かったのだ、と言って。広島・長崎と福島とは深く結びついている。被爆者と原発事故被災者はしっかりとつながっている。そしてすべての原発廃棄を望む圧倒的多数の国民とも共通する相手と闘っており、願いは一致する。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟のことをもっともっと分かりやすくし、あらゆる機会を捉えて訴え、支援ネットへの新しい参加者を増やし、従来の枠を大きく超えた運動にしていきたい。
そういう思いを強く抱きながら、この日の報告集会を後にした。

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ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
3月10日(火)
11:30
地裁第7民事部  806号
Bグル―プ弁論
3月11日(水)
11:00
地裁第2民事部 1007号
Bグル―プ弁論
4月16日(木)
13:30
高裁第6民事部 別館81号
Aグループ弁論
6月 6日(土)
午後
大阪グリーン会館
訴訟支援のつどい
 

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2015.02.03 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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