被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(24)
10月10日、控訴審第一回弁論で国の控訴理由を徹底批判!
来春被爆70年幕開けの判決に向けて世論に訴え、運動強化を!
2014年10月14日(火)
 
 
今年3月20日(木)大阪地裁第7民事部(田中健治裁判長)において原告4人全員の勝訴判決が言い渡されたが、国は狙い撃ちするように原告の一人武田武俊さんを控訴した。そのノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟控訴審の第一回弁論が10月10日(金)午後3時より大阪高裁第6民事部(水上敏裁判長)において開かれた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟では初めて迎える控訴審法廷だ。武田さんは認定申請以来6年もの歳月を費やしてやっと勝訴判決を勝ち取ったのに、国の非人道的控訴のため遂に認定証書を手にすることができないまま帰らぬ人となられた。一審勝訴判決から3ヶ月後の6月26日だった。そんな武田さんの無念の思いをも晴らす控訴審だ。
冒頭、控訴人、被控訴人双方の準備書面などの確認の後、今回は国側代理人による口頭意見陳述(控訴理由の説明)から弁論は始められた。少なくともノーモア・ヒバクシャ訴訟となってから国側代理人が口頭で意見を述べるのは初めてのことで、「おやっ」と思った傍聴者も多かったのではないか。国はこの控訴審によほど気合を入れているのか、そのことを態度で示そうとしているのか、そんなことを瞬間思ったりもしたが、しかし裁判長に促されてはじめて思い出したように陳述を始める様などは、そうでもないのかと思ったりもした。
国の意見陳述は最初に、「被爆者援護制度の概要」と題して医療特別手当がいかに手厚い援護措置であるかを語り、だから放射線との因果関係は厳密に求められるのだと説明するところから始まった。被爆者援護制度について語る中で、いきなり「このような援護措置は、空襲の被害者など、他の戦争被害者には一切認められておらず、被爆者だけに認められた特別な措置である」との(くだり)があり、唖然とし、そして怒りを覚える。この意見陳述の根底にあるのは「戦争被害受忍論」そのものなのか。1980年の原爆被害者対策基本問題懇談会が答申した「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」とする受忍論だ。「みんなでやった戦争なんだから、その被害、痛みもみんなで辛抱し合わなければならないじゃないか」と言うもので、その上で被爆者だけには特別の援護措置がとられているのだから、援護措置のない人たちのことを、下を見て物事を考えろ、と言っているに等しい。
戦争は政府が引き起こしたものだ。歪められた教育と情報の統制と警察・軍事権力とで国民を動員して遂行したのが戦争だ。その結果生じた被害に対して本来国が責任をとるのは当たり前で、私たちは戦争責任の所在と国民被害とをごっちゃにしたり曖昧にしたりは決してしない。戦争によるあらゆる被害、犠牲に対して、補償制度のないことこそが本質的な問題であって、被爆者援護法を持ち出すことによって被爆者と非被爆者とを分断するような主張は断じて許すことはできない。援護制度の説明ならそもそも援護法の制定された趣旨や法律の前文など最も重要なことからまず語られなければならないのに、そんなことには一切触れられることはなかった。手当の額が大きいの小さいの、金額の説明など算盤勘定だけに終始した「制度説明」だった。この段階ですでに国は原爆症認定制度について語る資格も見識もないことを露呈してしまっている、と言っても過言ではないと思った。
次に国側代理人は、事実認定の誤り(武田さんの被爆状況)と、放射線起因性についての科学的評価の誤りと題した意見を述べた。しかし、事実認定の誤りも、国の主張は「武田さんの通過した被爆地の人たちが14歳の少年に瓦礫処理などを手伝わせたりするはずはない」などと推論に推論を重ねるものでしかなく、確固とした証拠に基づいた意見とは到底思えなかった。放射線起因性についての科学定評価の誤りについても、「最近の研究においても遠距離被爆者や入市被爆者の被曝線量は極めて少ないという結果だ」とか、「塵や埃を吸いこんだだけでがんになるというような原判決の判断は科学的に見て明らかに誤り」などと述べるのみで、まったく一審での主張の繰り返しでしかない。控訴までして争う意味、内容がどこにあるのか、というのが傍聴席から聞きたくなる率直な疑問、感想だった。
国側は控訴理由の一つとして昨年12月16日策定の「新しい審査方針の改定=平成25年新方針」によっても武田さんは認定されなかったことをあげている。しかし「平成25年新方針」によって再審査され尚且つ却下された武田さんの処分を、地裁第7民事部はあらためて取り消し原爆症と認定したのだ。だから司法は「平成25年新方針」をも実質的に否認したのだとどうして理解できないのか、こちらが不思議になる。国が「平成25年新方針」を振りかざせば振りかざすほど、国敗訴の結論が出された時、その「平成25年新方針」もいよいよはっきりと断罪されることになるはずだ。
国側陳述は最後に証拠として提出された「第一線の医学や専門家」だと言う35名の連名意見書について述べ、「(現在のような司法)判断が積み重なることで、放射線と病気との間の因果関係について、国民に誤解や不安が広がらないか、深く憂慮している」と記述された箇所を強調した。「国民の誤解や不安が広がらないか」とは、福島原発事故の影響評価をできるだけ少なく小さく狭くしていくことを意図したものであることは明白だ。そしてこの連名意見書は一連の司法判断は誤りだとする批判意見であって、裁判所に対する恫喝、挑戦という意味を持つ許し難いものであることを私たちは忘れてはならない。
国側の意見陳述に対して、被控訴人側からは藤原精吾弁護団長、和田信也弁護士、愛須勝也弁護団事務局長の3名の代理人が立ち、直ちに、そして徹底した反論の意見陳述を行った。藤原団長は原告武田さんへの思いを語った後、「もう一度、被爆者援護法の前文を読み返し、被爆者に対する援護行政が如何なる意味を持つのか、控訴人国・厚生労働大臣の注意を喚起せざるを得ない」として、実際に前文を読み上げ、今回の控訴がいかに援護法に背いているかを明らかにした。被爆者援護法に対する態度の、国側とのなんと大きな違いか。
藤原団長は2001年の松谷訴訟最高裁判決以来今日まで積み重ねられてきた司法判断、2009年交わされた「8・6合意」と国の制度改革への誓約、しかしそれは反故にされている実態、そして国は遂に司法判断に従おうとはせず、それどころか「裁判所は昨年12月16日定めた『平成25年新方針』の範囲を超える認定判決をすべきではない」とまで主張するに至っている経緯と事実を、簡潔に述べていった。その上で、国が主張する放射線起因性についての「科学的知見」なるものの疑わしさ、誤りを指摘し、原爆症認定行政において100%の科学的証明・根拠は必要とされないこと、実際不可能であることの論拠が示された。武田さんの無念に想いを寄せ、被爆者援護法の精神に則って、被爆者の訴えに真摯に向き合うよう求めて、藤原団長の陳述は締められた。
二人目の和田弁護士は、国側の提出してきた「専門家」35名の意見書に焦点を当て、それに対する反論を中心に陳述を行った。論点は三つだった。第一は、意見書に名を連ねる「専門家」の少なくない人たちがこれまでの原爆症認定訴訟でもすでに国側証人として出廷しており、その証言はすべて判決で否定されてきたものばかりで、その繰り返しに過ぎないこと。第二は、司法判断が国際的知見から大きく逸脱しているとする国の主張自体が、実は誤りであること。連名意見書が「UNSCEAR」(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)報告書から引用記述している事例に対して、和田弁護士は同じ「UNSCEAR」報告書からの正しい報告内容・記述を対置させ、意見書の明白な誤りを具体的に指摘。むしろ司法判断こそ国際的知見に沿っている事実を明らかにした。連名意見書の引用が極めて意図的なものであることが暴露される結果になっている。第三は、原爆症認定制度における司法の果たす役割について。放射線被ばくの人体への影響は被爆者が亡くなることによって明らかにされてきたものであり、真の被ばく影響は被爆者が死に耐えない限り知ることはできないもので、ここに科学の限界という本質問題がある。司法は法の趣旨を正しく理解し、科学の限界を念頭に置きながら、原爆症認定制度でのあるべき認定方法を示してきた。「専門家」などの「権威」に惑わされることなく適正な判決の下されることが要請された。
最後に愛須弁護士が、武田さんのご遺族の思いを代弁する形で陳述した。武田さんは3月の勝訴をとても喜び、認定証書が届いたら故郷の長崎に帰省することまで予定していた。しかし国控訴の連絡は武田さんをとても落胆させることとなり、間もなく入院、そして6月26日生涯を終えることになった。故郷長崎への帰省は納骨という悲しい姿で行われることになった。
ご遺族には忘れ難い思い出があった。武田さんの元々の認定申請は2008年(平成20年)6月17日だった。その後厚生労働省から追加資料の提出を求められ、武田さんは必死の思いで担当医と連絡をとり、病躯をおして走り回り、少なくない費用も要して資料提出した。しかしそうまでしても結果は却下処分だった。国は同じようなことを他の多くの被爆者に対しても行なっているのだろうか。あの時の無念さ、理不尽さは是非話しておきたかったことだった。原爆症認定がかなわないまま亡くなられた被爆者、裁判や申請すらできないまま亡くなられた被爆者は多数あるだろう。その人たちの無念を晴らすためにも、国は、再再度認定制度の見直しを行うよう切に希望する、とのご遺族の思いが訴えられた。
3名の弁護士の弁論は、国の不当な控訴を許さない、熱い思いが込められたもので予定時間をかなりオーバーすることになっていたらしい。
双方の意見陳述の後、今後の訴訟進行について協議と調整がなされ、次回期日を12月12日(水)午前10時からと確認して、午後3時40分閉廷となった。

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この日はいつもと違って会場を北浜ビジネス会館に移して報告集会が行われた。今回意見陳述された藤原、和田、愛須3名の弁護士からそれぞれ感想、コメントが述べられた。近畿の控訴審で国側は証人申請を求めているが、東京では証人申請などないそうで、国が近畿訴訟を重視し力も集中しようとしている様子が説明された。国側との関係でも近畿訴訟が全国の中でも最重点裁判になっているということだ。
支援ネットを代表して兵庫県の梶本修史さんから訴えが行われた。来年は被爆70年であり、その年明け早々(1月30日)迎える第2民事部Aグループの判決言い渡しは全国的にも注目され、影響は大きい。必ず勝利を勝ち取っていくために、あらためて署名運動にもとりくんでいこうと提案され、参加者全員で確認した。
最後に尾藤廣喜弁護団幹事長から次のような閉会挨拶が行われてこの日の集会を終了した。国の態度は著しく後退し悪くなってきた。「専門家」なるものを使った裁判所攻撃などは露骨だ。武田さんの控訴は入市被爆者の放射線影響の否定を狙ったもので、明らかに福島対策を念頭に置いている。だから被爆者のためであると共に福島のためにも私たちは頑張らなければならない。いつまでも裁判によって原爆症認定を得ていくことはできない。年年明けに集中する近畿、熊本、広島の三つの判決の時期を一つのピークにして政治的にも運動を盛り上げて行き、制度改革を展望していこう。安倍内閣の暴走と居直り政治はもはや限界を超えている。この暴走を食い止めるためにも、ノーモア・ヒバクシャ訴訟も大きな反撃の一矢となるよう勝利していこう。そのために、世論こそが司法を応援し、支えていることを示すため、署名運動も強力に進めていこう。

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上記のように控訴審の次回期日は12月12日(水)午前10時からとなった。この日はもともと地裁第7民事部での弁論が予定されていた日でもあり、午前中二つの裁判を連続して傍聴、応援することになる。その前々日の第2民事部の弁論と合わせて今年の師走は3回連続の裁判だ。来春1月の第2民事部の判決に向けて運動を盛り上げていくのに相応しく、集中したとりくみにしていきたい。
尚、近畿訴訟の控訴審はもう一つあり、故梶川一雄さん(今年5月9日の第2民事部判決で勝訴、その後国が控訴)の裁判も今後予定されていく。武田さんと併合しての裁判とはならなかったために別々の係属部となる。このため、分りやすくするため、今後武田さんは大阪高裁Aグループ、梶川さんは大阪高裁Bグループという扱いで表示していくことになる。
 
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
12月10日(水)
11:00
地裁第2民事部
1007号
Bグループ弁論
12月12日(金)
10:00
高裁第6民事部
別館81号
Aグループ弁論
12月12日(金)
11:00
地裁第7民事部
 806号
Bグル―プ弁論
2015年
1月30日(金)
 
11:00
 
地裁第2民事部
 
1007号
Aグループ
判決言い渡し
 

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