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本日、第2民事部の取消第6次訴訟が結審しました。
判決言い渡しは、来年1月30日(金)午前11時~と指定されました。
国は、最終準備書面提出期限の6月末、大阪高裁に提出した「専門家」35名の連名意見書をはじめとする膨大な書証を提出。
原告は、時宜に遅れた攻撃防御だと却下を求めましたが、裁判所は、判決の中で示すとして結論は出されず、結審しました。
これまでずっと勝訴判決を出し続けてきた第2民事部の裁判体。
きっと、引き続いて原告勝訴の判決を出してくれると確信しています。

裁判報告集会で発言する原告の柴田幸枝さん。法廷でも、最終意見陳述を立派に努められました。

柴田_convert_20140711211216

あのまわしい日からもうすぐ69年になろうとしています。あの日以来,私の人生は大きく変わりました。
あの日,私が石橋さんの家にいるときに,原爆が落ちてきました。私は,助けに来てくれた父とともに10mくらいき飛ばされました。そのときにできた右わき腹の傷は今でも残っています。
 
次の日かその次の日から5日間ほど,私は両親とともに爆心地近くまで行きました。人も物も全てげてしまっていて,本当に怖くて父の背中に顔をめていました。父から水をもらった人が「ありがとう」と言いながら息を引き取った場面は,とても強く印象に残っています。

被爆当時は5歳,やんちゃすぎるくらい元気な女の子でした。でも,被爆後は様々な病気に苦しめられてきました。中学校のとき,体がとてもだるくて朝起きることができず,よく布団にっていました。すると,母から仮病だと言われました。こんなに苦しいのに,なんで分からんのかなと思っていました。大人になっても体がだるいのが続き,休むとすぐくびにされるので,無理して仕事に行っていました。

甲状腺機能低下症と白内障については認定申請ができると聞いたので,およそ5年半前に申請しました。それから2年近く待たされたのですが,届いたのは却下を知らせる通知でした。こんなに体が悪くて弱いのは原爆のせいだと思っていたので,却下通知が届いた時は本当にしかったです。私は,半分めていたのですが,主人がこのままだったら私の両親のこともそのままになってしまうと言ってくれました。父は脳軟化症で,母は肺がんと大腸がんで亡くなりました。私が原爆症だと認められれば,両親も原爆のせいで病気になったんだと証明できる。そう思って,裁判をすることにしたのです。
 
裁判をするに当たって,弁護士さんのところに相談に行きました。弁護士さんから被爆当時のことを聞かれましたが,まだ5歳という小さいときのことですし,本当に怖い出来事だったので,記憶から消そうとしてきたこともあって,かなり忘れています。それでも,裁判に必要だからということで,一生懸命思い出しながらお話ししました。ただ,当時の状況を写した写真は怖くてとても見ることができません。毎年夏になると,テレビで当時のことを報道していますが,それも怖くて見られません。3年前に東日本大震災が発生してがれきの山ができている光景がテレビで流れていましたが,それを見ると被爆当時のことを思い出して涙が出て,気分が悪くなるので,すぐチャンネルを変えていました。
 
裁判が始まってからもう3年以上経ちました。私は,自分の問題だと思って,足の悪い主人と一緒に京都から大阪まで出てきて,毎回傍聴してきました。でも,やっぱり体がだるく,家に帰ると,2,3日はぐったり寝込んでしまいます。今日もしんどい体にむち打って大阪まで来ました。
 
今日,私を含めて7名の原告がを迎えます。既に亡くなられた方もいますし,体調が悪くて裁判所に来られない方もおられると聞いています。他の原告のみなさんも,きっと私と同じように訴えたかったと思います。もう私たちのような被爆者を二度と作ってほしくないのです。ですから,裁判官の皆さまには,きちんと国の責任を認める判決をして下さるようお願いします。

原告の中岸勝さん。

中岸_convert_20140711211309

判決を前に亡くなられた塚本郁男さんの奥様。

塚本_convert_20140711211334

塚本さんの無念を弁論した園田洋輔弁護士。

園田_convert_20140711211447

 1 原告塚本さんの被曝状況

  塚本さんが被爆したのは、14歳の時でした。爆心地からの距離1.7㎞の何ら遮蔽物のない、中学校の校庭にて被爆しました。原爆による凄まじい光と爆風で、塚本さんは吹き飛ばされ、直後に襲ってきた熱風により、背中、腿、腕、足が焼かれました。

   矢賀小学校の近くの防空壕で一夜を過ごした翌朝、塚本さんは、顔中が火傷でふくれあがり、目を開くことができませんでした。立つことも身動きをとることも出来ず、ズボンを下ろして排便することすらできませんでした。かろうじて生きているという状態だったのです。

避難してから数日して、塚本さんは、父の兄の家に引き取られました。塚本さんは、意識が朦朧とし、自分が今意識を保っているのかも分からない状態が続きました。周りから見れば、まるで死人のようでした。火傷部分は化膿して、酷く臭いました。火傷の治りは遅く、かさぶたになってはまたそのかさぶたが破れ、膿が出るということを何度も繰り返しました。翌年の春頃になってもまだ火傷は治癒せず、膿が出る状態が続いていました。


その後、火傷の跡は、左頬から後頭部、左背部全体、左上腕部及び左足指にかけて、ひどいケロイドとなりました。左足指は変形し、4本の指がくっついてしまいました。

2 被爆によって多くのものを奪われた

塚本さんは、これまで健康だった体を、原爆によって奪われました。被爆前は元気な体だったのに、被爆後は、風邪にもよくかかるようになり、一度風邪を引くと、熱が全然下がらず、下痢、頭痛や目眩もよく起こしました。

左足指のケロイド部分は、歩行障害に悩まされました。塚本さんは、定年まで自衛隊で働いていましたが、厳しい訓練のための、左足指はしばしば紫色になって腫れ上がりました。平成24年4月には、左足のバランスを崩し、左大腿骨を骨折しました。

左後頭部のケロイド部分は、短時間日に当たっただけでピリピリと痛みました。言われない差別を受けたことも一度や二度ではありません。

さらに、塚本さんは左頬から左後頚部の火傷瘢痕により、ひどい嚥下障害に悩まされて続けていました。妻の佐知子氏は、医師から助言を受け、小さく切ったものや食べやすいものを準備するといった食事療法を行ってきましたが、それでも、食べ物が喉を通りづらく、吐いてしまうこともありました。 入通院も、数多く繰り返してきました。平成26年3月には、ファーター乳頭がんと診断され、膵頭十二指腸切除術を受けました。

そして、平成26年5月18日、塚本さんは、逝去されました。

塚本さんの人生は、まさに、原爆によって苦しめられてきた一生であったというべきでした。

3 原爆行政について

   塚本さんは、原爆症の申請に対する国の対応にも、苦しめられてきました。
   塚本さんは平成21年1月9日付けで、原爆症の認定申請をしました。
  しかし、国は、実に、申請から1年半以上も経った平成22年9月29日、却下しました。


   塚本さんは、その後、本訴を提訴しましたが、国からは、塚本さんのケロイドは肥厚性瘢痕である、熱傷瘢痕の治療過程に放射線の影響があるとはいえない、要医療性がない、と述べ、これまで塚本さんが受けてきた、とても言葉に言い尽くすことができないほどの苦悩を一蹴するような主張を繰り返してきました。塚本さんは、原爆で苦しめられてきただけでなく、被爆者の実態を見て見ぬふりをする国の裁判での姿勢にも傷つけられてきたのです。

   塚本さんが平成21年1月の原爆症認定申請から実に5年以上も認定申請を待ち続けました。高齢となり、体調不良に苦しむ中で、いつ裁判が終わるのか、いつ認定がおりるのか、それを待ち続けるしかできなかった塚本さんの不安感や焦燥感は、想像するに余りあるものといわざるをえません。

   塚本さんは、本年3月にがんの宣告を受けた後も、6月にひ孫が誕生するのを楽しみに、少しでも長く生きたいと願っていました。しかし、塚本さんは、ひ孫の顔を見ることもなく、亡くなられたのです。塚本さんが余命を必死に生きようとしていた中、ひ孫の顔を見られず、どれだけ無念であったでしょうか。

   塚本さんは、本裁判の第1回口頭弁論において、意見陳述を行いました。その際、「国は、原爆によって被 爆した人間がどれだけ苦しみ、どれだけ辛い目に遭ってきたのか理解しているのでしょうか。国は、被爆者を 本気で助けてくれる気があるのか、疑問に思わざるを得ません。私も様々な病気に罹り、この先余命がどれだ けあるのか正直自分でも不安です。原爆症裁判を提訴した方々の中でも、裁判中に亡くなった人も少なくない と聞いています。国は、私達が死ぬのを待っているのでしょうか。私には、そのように思えて仕方ありませ  ん。」と述べられました。また、塚本さんは、この裁判中、何度も、我々弁護団に、「原爆なんてものを、人 のいるところに落とすものではない。どれだけの苦しみを人に与えるものか。」と訴えてきました。

   塚本さんが今、生きておれば、同じことを述べていたと思います。しかし、塚本さんは、ここにはもうおられません。
   国は、塚本さんが亡くなるのを待っていたのでしょうか。塚本さんが思われたように、我々もそのように、思えて仕方ありません。

   原爆が日本に落とされて、今年で69年目になりました。本訴以降も、原爆症認定を求めて提訴された訴訟は、数多くあります。国は、いつまで原爆症のために苦しむ人々をさらに苦しめ続けるのでしょうか。

   塚本さんは逝去され、本裁判を最後まで見届けることはできませんでした。しかし、塚本さんが、本裁判にかけていた思い、裁判所に求めてたことは、他の原告の方々と変わりありません。裁判所におかれましては、塚本さんだけではなく、原爆症訴訟に参加するすべての原告が、今、命をかけて、この裁判に臨み、歪んだ原爆行政を糺す判決を望んでいることを、今一度改めて思い起こしていただきたいと思います。そして、被爆者一人一人の思いに応える判決をしていただきますよう、よろしくお願いします。


サプライズゲストの通りがかりさん。

森野_convert_20140711211518

弁護団を代表して最終意見陳述をした豊島達哉弁護士。気合いが入っていました。

豊島_convert_20140711211402

第1 国の突然の総論主張立証は時機に遅れた攻撃防御方法であること。

 1 第20回口頭弁論期日に際し、以下の通り意見の陳述をします。
   本件における争点は、総論として原爆症認定における放射線起因性の判断基準、各論として個別原告の原爆症認定要件該当
性(放射線起因性及び要医療性)が主であるところ、総論については、これまでの判例の集積により争点とする必要がないほどにその判断基準が確立しているものといえます。
   即ち、松谷訴訟、小西訴訟、東訴訟、原爆症認定集団訴訟、そして「原爆症認定集団訴訟終結に関する基本方針に係る確認書」以降のノーモアヒバクシャ訴訟と40を超える判決では「線量評価体系(DS02)等に基づく被曝線量の算定方法は、科学的合理性を肯定することができるものの、シミュレーションに基づく推定値であることや測定精度の問題等から一定の限界が存することに十分留意する必要がある上、特に誘導放射線や放射性降下物による放射線については、内部被曝の影響を考慮していない点を含め、地理的範囲及び線量評価方法の両方において過小評価となっている疑いがあるといわざるを得ない。そうすると、DS02等により算定される被曝線量は、飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であり、被爆者の被曝線量を評価するに当たっては、当該被爆者の被爆状況、被爆後の行動、活動内容、被曝後に生じた症状等に照らし、様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要がある。」と繰り返し明示しているのです。
 ここ大阪地方裁判所でも貴部において7つ、第7民事部において1つの判決が現在までに出されていますが、いずれも総論判断としては、かわりはありません。また訴訟の進行についても、総論については被告は既に裁判所において何度も否定され続けてきた主張を繰り返すだけで新たな論議は行わず、原告らの医療記録に基づいて各原告の原爆症認定要件該当性についてのみ主張をし、本人尋問、医師証人尋問を行った上で判決を受けるという訴訟進行が定着しています。本件においても例外ではなく、司法判断として定着している放射線起因性の判断基準を前提にして、個別原告の要件該当性について主張立証をして、本日の弁論期日を迎えています。
 2 それにもかかわらず、被告は最終準備書面提出時に、乙A81号証や同190号証以下の大量の公刊物未搭載の判決文を提出し、決着済みであり本訴訟においては争点としてこなかった総論を突然争点化しようとしてきました。これら被告の行おうとする主張立証は時期に遅れた攻撃防御方法であって、却下すべきものであります。
 3 原告らとしては、被告の時機に遅れた攻撃防御方法が却下されなければ、これに対する反論を行う機会を求めざるを得なくなります。しかし原告らは高齢であり、病のため出廷できない者もいるのが現実です。貴部において5月9日に判決が行われた関連訴訟では、原告2人両名ともに判決日前に他界していたという状況であったこと、また本件の判決後も実質審理入りを待っている後続の原告らが存在することを考慮するならば、本件においては被告の不意打ちの主張立証を許さず、却下した上で本日結審していただくよう要請するものであります。
 
第2 司法判断を公然と無視し出した国の態度からはもはや国家賠償を認める状況であること
 1 被告国は、「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」(8・6合意)に調印し、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう」に定期協議の場で解決すると約束しています。ところがこれを誠実に実行せず、原爆症認定申請に対する機械的審理と却下は全く改善されず、ノーモアヒバクシャ訴訟の原告は全国で増える一方です。加えて被告国は、本年3月20日大阪地方裁判所判決における勝訴原告のうち1名、3月28日熊本地方裁判所判決の勝訴原告のうち3名、5月9日大阪地方裁判所勝訴原告のうち1名につき控訴を行ないました。これら原告は従前からの裁判所の判断枠組みに基づいて勝訴したものであるのに、被告国は控訴を行うことで解決すべき問題を先送りにしているのです。
   厚生労働大臣は昨年12月16日に審査の方針の改訂をしましたが、これは判例の集積を再び無視し8・6合意を反故にしたものでした。被告国は司法判断を無視した改訂を維持しようとして、高齢の被爆者達に控訴審での更なる訴訟追行を余儀なくさせ、そして本訴においては、解決済みの争点を蒸し返しているのです。
 2 被告の態度は何度判決を受けても変わっていません。
   本件において原告中岸さんの申請疾病は狭心症ですが中岸さんの申請を厚生労働大臣が却下した時点(2010年8月26日)で既に狭心症や狭心症と原因を同じくする心筋梗塞について放射線起因性を認めた判決は7つ存在し、その後今日までには合計12の判決が存在しています。
 原告原野さんもまた申請疾病は心筋梗塞ですが、中岸さん同様心筋梗塞の放射線起因性を認める判決は既に多く出されていました。また心筋梗塞は、新しい審査の方針で積極認定として明示された疾病名であり、原野さんは新しい審査の方針の条件も満たしています。
   原告塚本さんの申請疾病である火傷瘢痕についても厚生労働大臣が申請を却下した時点で、2つの勝訴判決が出ていたのであり、そのうちの1つは原告塚本さんと同じく広島商業中学で被爆したという事案です。そしてもう一方の勝訴判決は国家賠償も認められていました。
 原告川上さん、Fさん、柴田さん、Nさんの申請疾病は甲状腺機能低下症です。甲状腺機能低下症についてもまた、原告らの申請を厚生労働大臣が却下した時点で既に、放射性起因性を認める判決が多数でており、また、原告らはいずれも当時「新しい審査の方針」で示されていた、3.5㎞以内での被爆ないしは100時間以内の2㎞以内入市の基準を満たしていました。原告柴田さんのもう一つの申請疾病である白内障も同様です。
3  被告国が司法判断に基づいた行政を行っていれば、本訴の原告らは一人として裁判に立ち上がる必要はなかったのです。
   原告らに対する却下判決は、国が原爆症と認めなかったというショックを原告らに与えただけではありません。原告らは裁判を起こすべきかどうか悩み、裁判をしても自分自身が生きている内に結論が出るのか不安におびえ、高齢の身を法廷まで運び、遠い昔の記憶について細かく尋問されなければなりませんでした。
   被告国が司法判断を真摯に受けとめていれば、原告らはこのような苦しみを経験することはありませんでした。しかし、被告国は現時点でも司法判断に従うつもりはありません。本訴に続く原告らは貴部だけでなく全国の裁判所に存在しています。裁判の原告になった者だけが、数年の訴訟をして、やっと認定されるという異常な現状は、被告国が司法判断に背を向ける違法な認定行政を行っているからです。この異常な状態を解消するには、被告国の認定行政が国家賠償法上の違法状態にあると裁判所が認めることが肝要と思料します。裁判所におかれては、原爆症に苦しむ被爆者の方々に勇気を与える判決をしていただくよう願う次第です。
 
最後のあいさつは藤原精吾団長。

団長幹事長_convert_20140711211542
 

  



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2014.07.11 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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