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 国は,2014年3月31日,同年3月20日に大阪地方裁判所第7民事部が,原爆症認定申請却下処分取消等請求訴訟(ノーモア・ヒバクシャ訴訟)について下した判決について,国が敗訴した原告のうち原告武田武俊さんについて控訴を提起するという暴挙に出ました。
 私たちは,国のこの非人道的控訴に対して満身の怒りをもって抗議します。

 今回控訴された武田さんは,1945年8月15日に長崎市に入市し,同日から4日間にわたり,爆心地から数百メートルの長崎市浜口町付近に滞在したという被爆状況であり,肝臓がんを申請疾病とする原告です。

 国は,裁判において,被爆状況に関する武田さんの主張は被爆者健康手帳申請時の記載と矛盾するから信用できないなどとして争いましたが,裁判所(田中健治裁判長)は,被爆者らが当時置かれた状況を具体的に勘案して武田さんの供述の信用性を認め,肝臓がんの放射線起因性を認めました。ところが,国は,裁判所によって退けられた主張をもう一度控訴審で持ち出し,解決を引き延ばそうとしているのです。

 国は,「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」(2009年8月6日)に調印し,「今後,訴訟の場で争う必要のないよう」に定期協議の場で解決すると約束しながら,まったく、これを誠実に実行しようとしていません。今回の控訴は,こうして訴訟を強いられた被爆者にさらなる苦痛を与えるものであり,上記「確認書」の趣旨に真っ向から反するものです。

 武田さんは82歳という高齢であり,肝臓ガンを再発し,判決当日もご子息の押す車椅子で法廷までたどり着くという健康状況であり,残された時間は多くありません。国の控訴は,このような健康状態にある武田さんにさらに訴訟の負担を強いる非人道的な暴挙であり,絶対に許すことができません。

この写真は、判決当日、雨の中、ご子息に車椅子を押してもらって裁判所に入廷する武田さんです。
 


武田さんは、私が担当する原告です。
国が控訴したちょうどその日の午前中、「判決を読んで感動した」とお電話をもらいました。武田さんは、裁判所と弁護団への感謝を述べていたようです(私は不在でしたので事務局が聞きました)。
その後、国が武田さんについてのみ控訴を提起したという情報が入ってきました。
私は、国控訴を伝えるために武田さん宅に電話したのですが、電話に出られた武田さんは、裁判所が自分の意を酌んでくれたことにたいへん喜んでお話をされていました。それだけに、国控訴の話を伝えたときには、たいへん残念がられて、「厳しいもんですね」とつぶやいておられました。
なんで、こんな仕打ちをしないといけないのか。
武田さんが厳しいのは皆、わかっていました。ご本人もわかっていました。
それを大阪地裁は、何とか救済しようと勝たしてくれました。
それを何ですか。厚労省は。絶対許せないです。

武田さんは、長崎市の南方海上の高島の出身(軍艦島で有名な端島の近く)。
お父さんの母校である島原中学から川棚海軍工廠に学徒動員。
終戦を海軍工廠で迎え、学統動員を解かれて8月15日には長崎市に入市。
道ノ尾から長崎市内に向かう人びととともに、誰も知り合いのいない中、長崎市に入市しました。
翌日、2年前にお母さんが亡くなった長崎医大付属病院のあった浜口町付近で、亡母と同じ年頃の婦人達と出会い、3日間、ガレキの中で片付けを手伝いました。
判決の中では、このとき残留放射線により相当程度の被爆をしたと認定されています。

武田さんお父さんは高島の三菱炭鉱の管理職をしており、たいへん保守的な人でした。
爆心地付近を何日間も滞在していたことは誰にも言うなと言われ、お父さんが亡くなるまで被爆者健康手帳の申請もできませんでした。被爆をしたことは、奥さんにも内緒にしていました。
お父さんが亡くなって手帳を申請しようと奥さんに被爆の事実を打ち明けたところ、奥さんの実家から「なぜ、今までそんな大事なことを黙っていたのか」と難詰され、結局そのことも原因となって奥さんとも離婚しています。
離婚する前に、手帳の申請にも奥さんが同行し、申請の一部始終を見ていたそうです。
武田さんは、手帳さえもらえればいいという思いから(多くの被爆者はそうです)、入市後、浜口町で3日間も滞在した事実も申請書に記載しなかったそうです。
そのことが、裁判の中で、手帳申請時と裁判での主張が食い違っているから、武田さんの供述は信用できないとされたのです。
武田さんは、一人の知り合いもない中で入市したため、手帳取得にも大変な苦労をされました。
入市の状況を直接見聞している証人は誰もいなかったのです。それでも、当時の島原中学の関係者などの協力で手帳取得に至っているのです。

武田さんは、大阪に来てから、阪南市の被爆者の会長を務めるなど、被爆者運動にも積極的にかかわってきました。
原爆症認定集団訴訟の第2次原告のBさんについても、武田さんが認定申請や訴訟のお手伝いをされています。
そんな武田さんが自分が肝臓がんになって、認定申請が却下され、訴訟に立ち上がったのです。
そんな、武田さんの供述を裁判所は正面から受け止めて却下処分の取消を命じてくれたのです。
なのに、国は、そのような裁判所の判断を踏みにじり、非人道的な控訴を行ったのです。

他方で国は,大阪地裁が却下処分の取消を認めた3名の原告について控訴を断念しました。とりわけ,昨年12月16日に再改定された審査基準においても積極認定の疾病とされていない狭心症の原告について控訴をすることはできませんでした。これは国自身が,新基準の誤りを認めたものに他なりません。

このように、国が行うべきは,被爆者を苦しめる控訴ではなく,司法判断に合致するよう認定基準を改め,法改正を行うことであり、もって認定制度を原爆被害の実態に合致するように抜本的に改めることです。

弁護団は、国の控訴について、武田さんの原爆症認定を最優先として原審維持に全力を注ぐため、あえて国家賠償請求については、控訴はしないことにしました。
これによって、武田さん以外の3名(裁判外で認定された3人を含めて6名)については、原爆症認定が確定することになります。6名の原告の皆さんは、裁判における役割を終えられることになります。
今後は裁判を支援する側に回って、武田さんはじめとする後続の被爆者の方のたたかいを支援する側に回られると思います。原告の皆さん、本当にご苦労様でした。

私たち、弁護団は、国の非人道的な控訴を許さず、大阪高裁で原審の大阪地裁判決の判断を維持するために全力を尽くす決意です。
今後も皆さまのご支援をお願いします。
 
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2014.04.03 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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