被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記 ⑫
近畿訴訟第7民事部最初のグループも結審、来春3月20日判決
違法行政に対する国家賠償を強く求めて!
2013年10月21日(月)
 
 
ノーモア・被爆者近畿訴訟は、8月2日の第2民事部最初の原告グループの判決と確定に続いて、10月15日(火)、第7民事部(田中健治裁判長)も最初のグループ(原告6人)の結審の日を迎えた。6人の原告は、第5次取消訴訟(2010年8月4日提訴)のM・Aさん(広島で爆心地から2.0kmで直接被爆、申請疾患は心筋梗塞)、H・Tさん(長崎、3.4kmと入市、狭心症他)、武田武俊さん(長崎、入市、肝細胞がん)、N・Sさん(長崎、4.0kmと入市、胃がんと前立腺がん)、第8次取消訴訟(2011年7月29日提訴)の松室富夫さん(広島、2.0kmと入市、心筋梗塞)、S・Yさん(長崎、2.1kmと入市、甲状腺機能低下症他)だ。6人とも2008年からの新しい審査方針が定められたことを機会に申請した人達であり、そして新しい審査方針に基づけば積極的に認定されるべき人ばかりだ。8月2日大阪地裁判決によってさらにそのことは十分に証明された。しかも国は8月2日判決を受け入れ、控訴を断念したばかりである。

DSCN2139_convert_20131017204808.jpg
裁判は11:00開廷。6人の原告を代表して、武田武俊さんとN・Sさんの二人が出廷し、それぞれから最終の意見陳述が述べられた。武田さんはがんの転移増殖が判明したため今年7月、7時間に及ぶ再手術を受けた身で、療養中の体をおして車椅子で原告席につき、最後の訴えを行なった。武田さんは、被爆の事実を妻にも隠していたが、父親の死を機会にそれを打ち明け、それがきっかけとなって離婚、戦後の辛く厳しい人生の一旦を語ることから陳述を始めた。被爆者手帳取得申請の時も、すでに25年も経過していたため証人探しに苦労し、また同行した妻に遠慮して、爆心地付近に何日も野宿したことなど詳しい被爆状況を記載できなかった事情も説明した。武田さんの陳述を聞いていると、一人の原告の事情説明に止まらない、多くの被爆者が戦後負わされてきた苦しさ、辛さ、悲しみと重なってくる。武田さんは多くの被爆者を代表してそのことを告発しているのだ。

DSCN2144_convert_20131017205122.jpg
先日の10月9日(水)、日本被団協による被爆二世・被爆者交流会が東京都内で開催された。議論されたテーマの一つは「親と子の(被爆体験の)継承をどのように考えるか、進めていくか」であった。テーマの背景には、親子でさえ、あるいは親子であるが故に、語ることができなかった、継承されてこなかった厳しく悲しい事実があまりにも多く、二世の運動を進める上で重要な課題となっていることが存在している。交流会では、武田さんと同じようないくつもの例が紹介され、どう乗り越えていくかについて真剣に発言、交流された。
武田さんは平成11年から19年まで「阪南市被爆者の会」の会長を務めている。陳述で「長く、被爆者であることを隠し、周囲の人も傷つけ、自分も傷ついてきましたので、せめてもの罪滅ぼしのつもりで引き受けました。」と語った。私達二世をも励ます、胸に強く響く陳述だった。
武田さんは、二度も手術し、年齢も82歳を超え、(裁判は)もういいかな、という思いがよぎることもあると正直に述べた。しかし、「手帳取得にも大変な苦労をし、認定申請から、異議申し立て、提訴へとたくさんの人々の力を借りてここまで頑張ってきたので、せめて命あるうちに、喜びや悲しみや、感謝の気持ちをお世話になったまわりの人に表すことができるうちに認定して欲しい。私だけでなく、後に続く被爆者が二度と裁判で争うことのないよう、明快な判決をしていただきたい。」と述べられた。陳述が締めくくられたその瞬間、心からの拍手を送りたい衝動にかられたのは私だけではなかったと思う。
二人目の意見陳述を原告N・Sさんが述べた。N・Sさんの陳述は、68年たった今でも、事ある毎に被爆の時の惨状、恐怖を思い起こし、心身に正常でない状態をもたらすことを具体的な事例を挙げて述べていった。自宅近くにある自衛隊の日常的なヘリコプターの音、阪神大震災の時、東日本大震災を伝える映像、海外の戦争の惨禍を伝えるニュース等々。N・Sさんを60年以上苦しめているものは、原爆投下の翌日、爆心地近くまで踏み込んだ体験によるもので、それが何よりの被爆の証しだ。N・Sさんは「国は私のガンが原爆のせいではないと言うために、私の被爆体験談をことごとくウソと言っています。悔しくてなりません。」と語気を強めた。

DSCN2146_convert_20131017205226.jpg
N・Sさんもそうだが、上述の武田さんも、そしてS・Yさんも、入市の事実そのもの、または入市の日について疑問が持たれ裁判で争われている。いずれも被爆者手帳申請時の記載内容との違い、または家族の手帳の記載内容との矛盾が根拠とされているようだ。それについては本人尋問の際に、すべて詳細な被爆状況が明らかにされ、動かし難い被爆の事実が証明されている。また、被爆者手帳申請の記載には、申請時の諸事情から様々な問題のあること、裁判の証拠にするにはあまりにも不正確な内容であることも明らかにされている。
その上で思うのは、厚生労働省は、原爆症認定申請と手帳申請記載内容とに食い違い、矛盾などがあった場合、そうした疑義のある場合、認定の可否を判断する以前にまず申請者との間でそのことを丁寧に解き明かすような行動を何故しないのだろうか?という率直な疑問だ。まさか、書類上の食い違い、矛盾があればそのことをもってただちに却下処分する「格段に反対すべき事由」にしているわけではないだろうが。裁判になって初めてこうしたことを問題にするのは、ただただ裁判を維持するためだけに利用しているとしか思えない。もしそうだとすると、厚生労働行政とはそこまで本来の使命から逸脱した、歪んだものになっているのだろうか。
原告に続いて、弁護団を代表して中森俊久弁護士が最終意見陳述を行った。陳述は2000年松谷最高裁判決以来の司法が認定行政の誤りを断罪してきた歴史の一つひとつを、そして、にも関わらず国は「司法と行政の乖離」と言って被爆者を裏切り、司法判断を冒涜してきた事実を、もう一度念押し、確認するように述べていった。
その上で陳述の重点は、今日の事態においてはもはや国の国家賠償責任を認め、国による賠償を命じる他ないことを、判決に強く求める、ところに置かれていった。「単に原告の個々の処分が違法であると判断するのみでは、被爆者が被った損害を回復することは困難です。多くの被爆者の思いを無にしないためにも、今後被爆者に過度の負担をかけさせないためにも、厚生労働大臣の故意と言っても過言ではない本件義務違反に対しては、国家賠償を命じることにより、被爆者の救済を図るとともに、被告に猛省を促す必要があります。・・・・・被告に対し国家賠償を命じることを切に希望します。」と陳述は結ばれた。

DSCN2142_convert_20131017204935.jpg
8月2日の第2民事部勝訴判決でも国家賠償は認められなかった。却下処分取り消しについては原告側主張が100%近く認められた判決であり、国家賠償が認められなくても現状ではやむなしという気分があったと思う。しかし、その後の3ヶ月の経緯はもはや“やむなし”では済まない事態に至っていることを強く認識し、国家賠償請求を真正面から掲げ、その実現によって行政の転換を求めていこうとする強い訴えであった。
最後に藤原精吾弁護団長から「本件の結審を迎えるにあたって」とする補充の意見陳述が述べられた。中森弁護士の国家賠償を強く求める陳述内容を、もう一度、簡潔に、しかし力強く訴えるものだった。日本は法治国家であり、行政の誤りを司法裁判所が正すというのが日本国憲法の統治機構の骨格だ。司法を行政が正すことなどあり得ない。司法判断に従わない違法行政に対しては、国民は国家賠償を求めるしかない。これが残された唯一の道だ。そうでなければ、被爆者は死に絶えるまで裁判を続けなければならない、と。
被告国側からの口頭による意見陳述は今回も一切なかった。
田中裁判長が弁論の終結を宣言し、判決を2014年3月20日(木)午後1時10分から言い渡すと述べて、11時40分閉廷となった。
正午から大阪弁護士会館にて報告集会が行われた。
最初に中森弁護士から感想とあらためての決意が述べられた。厚労省が司法判断に従おうとしない現状を打開していくために、国家賠償への道をどうしても切り開きたい。そのことを本気で求めていく決意で、今日の最終陳述は準備した、と。
原告お二人は報告集会にも出席された。武田さんは、悪天候の中の傍聴、支援に感謝され、これからもよろしくと挨拶された。N・Sさんは、3月20日に決まった判決の日まで健康を維持し、あともう少し頑張っていきたいと述べられた。
傍聴支援参加者の中から大阪の大矢勝さんが今日の法廷の感想を述べ、原告、弁護団の奮闘に応えられた。今日の原告の意見陳述にはとても感動した。本当に大変な、厳しく苦しい67年間の闘いだったことが胸に迫ってきた。このことはもっともっと多くの人に広げていかなければならない、と語られた。
愛須勝也弁護団事務局長よりその後の裁判進行協議結果等の報告が行われた。第7民事部は第10次提訴のT・Sさんも同じ3月20日に判決が言い渡されることになった。T・Sさんは骨髄異形成症候群の経過観察を要医療性の否定にされている原告で、9月12日(木)医師証人尋問があり、12月12日(木)結審の予定だ。これで来春3月20日(木)は合計7人の原告の判決が言い渡されることになる。次いで第16次となる新しい原告2人の提訴も報告された。近畿訴訟の原告は今日現在23人となる。
最後に報告集会のまとめのあいさつを今回は愛須弁護士から行なわれた。司法判断をないがしろにしようとする厚労省にとってノーモア・被爆者訴訟の広がりと継続は非常に大きな壁となって立ちはだかっている。いつまで裁判を続けるのか?と問われれば、厚労省が行政を改めるまで、ということだ。そのために引き続いて頑張っていこう、と訴えられた。
 近畿訴訟は、第2民事部もこの秋、冬、原告本人尋問が集中する(7人の予定)。第7民事部もさらに3人の原告が結審を迎える予定だ。いずれも国家賠償請求を含む裁判であることをあらためて認識したい。法廷の外では、厚労省の「原爆症認定制度在り方検討会」の最終報告が年内に出されることになっている。
 従来以上に支援の輪を大きく広げ、運動を強めていこう。
 
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
10月23日(水)
10:30
第2民事部
202
第6次
本人尋問
10月24日(木)
18:30
大阪弁護士会館
原爆症裁判支援
の夕べ「映画
鑑賞とト―ク」
12月11日(水)
10:00
第2民事部
202
第3次・4次
結審
 
10:30
第2民事部
202
第6・7・11次
本人尋問
12月12日(木)
11:30
第7民事部
806
第10次
結審
 
13:00
第7民事部
806
第15次
第2回弁論
1月21日(火)
午後
第2民事部
宇治簡裁
第9次
本人尋問
3月20日(木)
11:00
第7民事部
806
第5次・10次
判決
 

スポンサーサイト
2013.10.22 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://fujiwaradannchou.blog50.fc2.com/tb.php/316-2a1fb2c8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)