上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
大阪地裁第7民事部で係属していたノーモア・ヒバクシャ訴訟(取消5次訴訟)が、10月15日結審しました。
判決は、来年3月20日(木)午後1時10分と指定されました。
今までは、ずっと第2民事部で係属していた事件で、初めての他の部での判決です(大阪地裁は、2部と7部の行政事件専門部があります)。ただし、第7民事部の裁判長(田中健治裁判長)は、集団訴訟での初めての判決のときの主任裁判官だけに、素晴らしい判決を書いてもらえると確信しています。



原告は6人。
ほとんどの原告は、「新しい審査の方針」で積極認定の対象者で、とうに認定されているべき原告です。
申請疾病も、心筋梗塞、狭心症、肝細胞がん、胃がん、甲状腺機能低下症、肝硬変など、何れも積極認定の対象疾病です。
原告を代表して意見陳述をされた武田武俊さん。
本人尋問後に、肝細胞がんが再発して、7時間にわたる大手術を受け、今回の法廷には息子さんの介助を受けて車椅子で入廷されました。


DSCN2144_convert_20131017205122.jpg

以下は、武田さんの意見陳述。
病気になった被爆者が、裁判をたたかうことがどれだけ大変か、不服のある人が裁判でないと救済されない現状について、「8・6合意」の約束違反ではないかと訴えられました。

1 私は昭和34年に結婚しましたが、妻にも被爆の事実をひた隠しにしました。
 2人の子どもを授かり、つつましく生きていた昭和45年、頑固一徹で、「原爆のことを誰にも話してはならぬ」と厳命した父が亡くなったのを機に、思い切って、妻に被爆の事実を打ち明けました。
その結果、離婚を迫られ、家庭は崩壊しました。離婚の原因は、被爆のことがすべてではありませんが、そ  のきっかけになったのは間違いありません。
被爆者手帳の申請のときにも、25年間、被爆のことを隠し続けてきたことで、証人も見つからず、たいへん な苦労をしました。
手帳の申請のときに一緒に付いてきた妻に気兼ねをして、爆心地付近で何日も野宿したことを記載しなかった ことが、今頃、こういう形で問題にされるなどとは思いもしませんでした。

2 私は、平成11年から19年まで、「阪南市被爆者の会」の会長を務 めてきました。
 長らく、被爆者であることを隠し、周囲の人も傷つけ、自分も傷ついてきましたので、せめてもの罪滅ぼしの つもりで引き受けました。
 阪南市には、現在も、被爆者であることを隠し続けて暮らしておられる女性がいます。何度か、お会いしまし たが、被爆者であることはご主人にも内緒で、「もう来ないようにしてほしい」と言われました。
 裁判所には、今でも、自ら被爆者であることすら名乗れない人々がい る現実を理解していただきたいと思い ます。

3 私は、離婚後、大阪に移って再婚もしました。
 平成19年には肝臓がんと診断されて、翌年手術も受けました。
原爆症のことが脳裏をよぎりましたが、当時は、入市被爆者は認定されておらず、自分には無関係と思ってい ました。
しかし、大阪地方裁判所を始めとする各地の裁判所が認定基準について誤りをただした結果、平成20年4月 に認定基準が緩和されました。入市被爆者も、積極的に認定されるようになり、ようやく門戸が開かれました。
 私もすぐに診断書を添えて認定申請をしましたが、申請後、厚生労働省の指示を受けた大阪府被爆者対策室か ら、期限を切って追加資料の提出を求められました。私は、ようやく認定されるのだと思い、何としても期限に 間に合わせようと、手術後の脇腹の激痛を押して、タクシーで病院まで行き、追加資料を入手しました。
しかし、追加資料を提出して3か月しても認定はされませんでした。

4 認定申請後の、平成21年、自民党から民主党への政権交代がおき、鳩山総理大臣は、施政方針演説で、「コンクリートから人へ」、「命を守りたい」、「命を大切に」と、命、命と、命を24回も繰り返されました。
私は、鳩山総理の施政方針演説に感銘し、被爆者の命を大切にしてくれる行政をしてくれるのではないかと期待しましたが、その期待は見事に裏切られました。
私は、いつまでたっても認定されないので、当時の長妻厚労大臣と鳩山総理宛てに、書面を出しましたが、その直後に、却下通知が届きました。
14歳の子どもが学徒動員にかり出され、終戦の夜から爆心地とその周辺で幾日も夜を明かし、やっとの思い で帰り着いた家では、父親から酷く怒られたこと、50歳ころからは慢性肝炎の治療を繰り返してきたことなど 、この裁判で私が主張してきた被爆体験を訴えました。
本人尋問のときには、とんだ思い込みで混乱してしまい、たいへん申し訳ございませんでした。
最後の機会ですので、改めて、私がお話ししたことに嘘偽りはないことを申し上げたいと思います。
  
5 私が裁判所で尋問を受けた後、がんが転移して増殖していることが判明し、7月10日に7時間にわたる再手術を受けました。執刀医師の説明では、手術は成功したが、多くの合併症が考えられるので安定するまでには、 しばらくかかると言われています。
 肝臓がんを患い、二度も手術し、男性の平均年齢を超えてしまった私には、「もういいかな」という思いもよ ぎります。しかし、被爆者手帳を取得するのにもたいへんな苦労をし、認定申請、異議申立を経て、裁判でもた くさんの方々の力を借りてここまで頑張ってきたので、せめて自分の命のあるときに、喜びや悲しみや、感謝の 気持ちをお世話になったまわりの人に表すことができるうちに認定をしてほしいと思っています。

6 実は、被爆者の会の会長時代に、集団訴訟の原告であったBさんの、健康管理手当の申請に関して相談にのったことがありました。
 被爆者の医療に詳しい医師を紹介し、健康管理手当を受けることができるようになりましたが、その後、Bさ んは、胃がんを患い、弁護団の皆さんのお世話になり、集団訴訟の中で認定を受けられました。
そのBさんが、私を弁護団に紹介してくれました。
Bさんをはじめにお世話になった方々、弁護団の皆さんや裁判を支えていただいた支援の皆さまに、認定され て、報告とお礼を言いたい、このことが私の願いです。
最後に、私が申請を却下されたときに、「裁判しなければ認定されないよ」と言う人がいました。
認定の現状を見ていると、まさにその通りのようです。
しかし、国との合意では、「今後裁判の場で争う必要のないように」認定の問題を解決していくことが約束さ れたはずです。
体の無理のきくうちは深く考えたことはありませんでしたが、健康を害した被爆者が長い裁判をたたかうとい うのは、本当にたいへんなことだと実感しております。
私だけではなく、後に続く被爆者が二度と裁判で争うことのないような、明快な判決を下していただくことを お願い申し上げまして、私の意見陳述とさせていただきます。
     以上



もうお一人、原告を代表して意見陳述されたNさん。

DSCN2146_convert_20131017205226.jpg

以下は、Nさんの意見陳述です。
武田さんもそうですが、裁判で、国から被爆の供述は信用できないと批判されたことに抗議。

 

裁判の審理終結に際し、陳述をさせていただく機会を与えていただき、感謝します。

 私は6歳の時に被爆して以降、度々嫌な夢をみます。その夢は被爆後68年を経過した今でもみるのです。
 夢の中の私はまだ6歳の子どもです。6歳の私は近所の子どもたちと遊んでいます。一緒に遊んでいる仲間は私が年下のほうで、上は小学校高学年や中学生のお兄ちゃんもいます。大きなお兄ちゃん達に守られながら、私たちは楽しく遊んでいました。そんな時、突然あたり一面がピカッと光り、ドン!と強い爆風が私の体を襲うのです。私が被爆した瞬間のことは、寝ても覚めても忘れることはできません。
 また私は日常生活の中でも、原爆が落ちたあとの長崎の惨状を思い出すことがあります。私の現在の家は自衛隊の信太山駐屯地が近くにあるため、自衛隊のヘリコプターの音がよく聞こえますが、プロペラの音を聞くと、今でも戦時中の米軍の爆撃機を思い出し、ドキドキとします。工場等のサイレンの音が聞こえると空襲警報を思い出し、そして雷がピカッと光り、その後ドンと大きな音がすると原爆を思い出し、友達と遊んでいた時に被爆した光景が頭に浮かび、ヒヤッとします。

 阪神大震災の時も、建物がことごとく倒壊し所々で火災が発生している映像をテレビで見て、原爆投下の翌日に父と一緒に爆心地近くに入った時に目にした情景が私の頭の中によみがえってきました。東日本大震災の時の映像を見ても、理屈では、津波によって街が破壊されたことはわかっているのですが、どうしても原爆が落ちたのでは?と考えてしまいました。海外での戦争の惨禍を伝えるニュース映像を見ても火災の映像でさえも、父と一緒に見た原爆投下後の長崎の街の惨状が頭によぎります。

 原爆が投下された翌日、父と一緒に爆心地近くまで母を捜しに行ったことを私は鮮明に記憶していて、道のそこ、ここに、馬がひっくり返って死んでいるのや、ボロボロの服をまとった人たちが、何かを探すようにゆらゆらと歩いていた光景が今も頭から離れないのです。夢の中でも、火災や地震、戦争の映像を見ても私はそれを思い出し、鼓動が早くなるのです。今でもです。

 この裁判で私については、私が翌日に入市をしたかどうかが一番の問題となっています。国は私の言っていることは嘘だと言うのです。
 父と一緒に見た爆心地近くの惨状の記憶は、私の頭の中に深く刻まれ、何かのきっかけがあると、突然目の前に現れて私を苦しめます。私の言っていることが嘘であるならば、私を60年以上苦しめている私の記憶は一体何なのでしょうか。私はできることなら私の頭を全部開けて、皆さんに見てもらいたいと思います。

 私はお金のためにこの裁判をしているわけではありません。私の体に次々と出てきたガンが原爆のせいであると認めていただきたいのです。

 国は私のガンが原爆のせいではないと言うために、私の被爆体験談をことごとくウソと言っています。悔しくてなりません。
 裁判官の皆さんには、正しく私の被爆体験、その後の私の健康被害の状況を見ていただきますようお願いします。



弁護団からは、まずは中森俊久弁護士が、意見陳述。
「ぜひ、国家賠償を命じてほしい」と訴え。

DSCN2142_convert_20131017204935.jpg

最後の締めは、藤原精吾弁護団長。

第3回大臣交渉+010_convert_20130921184700
(写真は、厚労大臣との定期協議のときのもの)

 原爆症の事件をやっていると、「まだ裁判が続いているの?」と聞かれることがあります。
思えば、松谷、小西などの個別訴訟の後、改悪された「審査の方針」の撤廃と、正しい原爆症認定行政を求めて集団訴訟の提起に踏み切ったのが2003年、2006年5月12日、忘れもしない大阪地裁第2民事部で担当された全員勝訴判決があり、それが大きな流れを作り、全国の裁判所で勝訴判決が出され、大勢が決しました。
その結果、2008年には「新しい審査の方針」が、2009年には「8.6合意」がなされ、集団訴訟を提起した目的は達成された如く見えました。

ところが現在なお、全国7つの地方裁判所で、100名余の被爆者が原爆症の認定を求めて却下処分の取り消しを求める訴訟が係属しています。
それは何故か。被告行政庁厚生労働大臣が、判決と8.6合意に反して、認定すべき被爆者を認定しないからです。

行政は、その理由を、判決は個別事案であり、新たな申請について拘束するものではない、「行政と司法の乖離」がある、というのです。
しかしながら、306人の集団訴訟被爆者原告について29の裁判所が認定すべきか否かを審理判断するには、被爆者援護法の解釈適用、認定行政のあるべき姿を考え抜き、判断基準を明示し,その上に立って個別原告の原爆症を認定したものです。
その後大阪地裁第2民事部で、2012年3月9日に出された心筋梗塞被爆者2名についての判決、本年8月2日に出された8名全員を認定する判決でも、被曝線量、放射線起因性などの判断について認定行政について判断基準の誤りを指摘する判決が続いています。
行政は、司法判断に逆らい、これを無視しているのです。それを「司法と行政の乖離」などと云う言葉で誤魔化し、立場が違うとうそぶいています。

 日本は法治国家です。法律の解釈適用は司法裁判所が最終判断をするものです。行政の誤りを司法裁判所が正すというのが、日本国憲法の統治機構の骨格であり、司法を行政が正すことなどあり得ないのです。
現実には、1票の格差の違憲判決など、裁判所の判断を無視ないし軽視する傾向がないとは云えません。司法判断に従うことを強制できないのであれば、国民はその違法行政に対し、国家賠償を求めるしかありません。
裁判所が、司法の判断を無視して違法行政を続ける者に対し、厳しくお灸をすえること、これが残された唯一の道です。そうでなければ、被爆者は死に絶えるまで裁判を続けなければならないでしょう。平成25年9月20日に厚生労働大臣と行われた定期協議でも、当然認定すべき被爆者を認定せず、裁判というハードルを越えることを強いることによって、被爆者をフルイにかけているのです。

 安倍晋三内閣総理大臣は、本年8月6日と9日に、広島と長崎で「被爆者の苦痛を忍びつつ、原爆症認定を待つ方に、一日でも早く認定がおりるように最善を尽くします」、「被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めます」、「広島の御慰霊を悼む朝、私は、これらの責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いします」と述べました。これらの言葉を嘘にしてはならないことを、裁判所が判決で要請して頂きたいのです。
                                        以上



今回、結審したのは、第7民事部に係属している取消5次訴訟のみ。
年内にあと2グループが結審しますが、先週には2名の追加提訴をしました。
まだまだ、裁判は続きます。
引き続いて、ご支援よろしくお願いします。





スポンサーサイト
2013.10.17 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://fujiwaradannchou.blog50.fc2.com/tb.php/313-f8d729e5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。