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1週間後の9月12日(木)、2週連続しての近畿訴訟が今度は第7民事部(田中健治裁判長)において806号法廷で行なわれた。今回は第10次となる原告T・Sさん(奈良市在住)の医師証人尋問と、最も新しい提訴(第15次)となる原告E・Kさん(奈良県大和高田市在住)の本人意見陳述だ。

14:00開廷。原告T・Sさんの訴えを証言する医師は阪南医療生協診療所長の真鍋穣医師で、6月6日の同じ第7民事部に続く証言だ。主尋問はT・Sさんの担当の諸富健弁護士が行った。後の報告集会で紹介されたが、諸富弁護士はこれがノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟で初めての尋問だった。

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(尋問担当の諸富健弁護士。裁判報告集会でのあいさつ)

原告T・Sさんは16歳の時、女子挺身隊員として動員されていた長崎市三菱造船所大橋工場(爆心地から1.1km)で被爆。急性症状はもちろん、戦後数多くの病気に襲われ、2003年(平成15年)には骨髄異形成症候群を発症、以後経過観察を含む治療を続けてきた。2011年(平成23年)1月原爆症認定を申請。しかし厚生労働省は、T・Sさんの骨髄異形成症候群の放射性起因性については認めるものの、「積極的な治療は施されておらず、経過観察されていたに過ぎない」と主張して要医療性を否定、2011年11月却下処分にした。翌年2012年(平成24年)8月却下処分取り消しを求めて提訴。
多数の血液疾患診療の実績を持つ真鍋医師は、被爆者に圧倒的に多いがんの一種であるこの骨髄異形成症候群とはどのような病気なのか、の説明から証言を始めていった。そして骨髄異形成症候群に施される一般的な治療方法として、根治治療としての骨髄移植、高齢等でそれが難しい場合の支持療法としての輸血などが説明される。そして輸血は一旦行なうとリスクも高まり、副作用も激しいのでむやみに多くはできないこと、頃合いを見計らいながら実施時期を慎重に判断するのだと続けられた。原告T・Sさんの症状に対して真鍋医師は、84歳と高齢で、何度も輸血すると副作用が出てかえって状況悪化するので頃合いを見て輸血する。骨髄異形成症候群は急速に悪化するので、定期的な検査等をして輸血の時期を適切に判断するため経過観察することが極めて重要。最近のT・Sさんは輸血が必要な状態に達していると、詳細な検査データの解説を加えながら丁寧な所見が述べられた。
被告国側の「要医療性の否定」主張に対して真鍋医師は、T・Sさんは何等かの支持療法が必要な水準であることは明らかで、治療が必要な状態での経過観察であり、治療が必要でない状態などとは断じて言えないのだと正した。さらに加えて、経過観察という言葉を要医療性の否定に使うのは全くの誤りで、治療効果や患者の容態変化を見ながら判断するために観察するのであって、重要な治療行為の一環であることが強調された。尋問の最後に真鍋医師はあえて発言することを求め、経過観察という言葉などを理由に要医療性を否定することは、医療というものを、医療制度をも、根本から否定することだと語気を強めて批判し、証言を締めくくった。

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(証言した眞鍋穣医師。写真は、6月の支援集会での報告)

医師尋問は丁度1時間で終了。10分間の休憩の後、E・Kさんの意見陳述に移った。E・Kさんの宣誓、陳述はともに大きな声ではっきりとした力強いものだった。E・Kさんは長崎市に生まれ、13歳、国民学校高等科1年の時、爆心地から3.1kmの伊良林町の自宅近くで被爆した。被爆した瞬間の自宅の様子、周囲の状況などはよく記憶している。8月12日になって、爆心地一帯の様子見や親戚さがしのために爆心地から1.5kmの銭座国民学校付近まで足を踏み入れたりもしている。
終戦後、新学期が始まった頃から体調が悪くなり、疲れやすく、たびたび嘔吐し、お尻に吹き出物ができたりした。新制中学2年生であった1947年(昭和22年)頃、尿が出にくくなったが、当時の医療の混乱状況から十分な治療もできず、後年前立腺がんの手術をすることになっている。33、34歳の頃大阪に出てタクシー運転手に、さらに後年は警備の仕事に携わってきた。1990年(平成2年)心筋梗塞を発症し、バイパス手術を2本した。さらに両眼とも緑内障、白内障となり手術も受けている。原爆症認定申請疾患の心筋梗塞と腹部大動脈瘤は現在も通院治療を続けている。
E・Kさんは昨年の2012年(平成24年)9月26日に認定申請したが、今年2013年2月15日に却下処分、6月18日付で提訴に至った。被爆したのは爆心地から3.5km以内、100時間以内に2km以内にも入市した。数多くの病気にかかり手術もしてきた。こんなに苦しい思いをしてきたのに何故認定されないのか納得できない。裁判によって認定されることを強く念じていると語って陳述を終えた。
E・Kさんの訴えについては担当の小林務弁護士からも陳述が行われサポートされた。小林弁護士は同じ長崎市出身。しかもE・Kさんの自宅と一番地違い程のところの出身で、E・Kさんの被爆実態をリアルに説明することができた。小林弁護士は集団訴訟、先日の8月2日第2民事部判決結果を簡潔に述べながら、しかし国が未だに認定基準を変えないことを強く批判した。8月2日判決に準じればE・Kさんも既に認定されていてしかるべきなのだ。
裁判は15:30終了、いつものように会場を大阪弁護士会館に移して15:45から報告集会が行われた。医師証言した真鍋医師は診療のため欠席だったが、今日の証言の中心であった要医療性の問題については質疑応答と重要な説明が行われた。要医療性の判定は、今その要件が狭められ、制限されようとしていることを認識する必要がある。具体的な手術、輸血、投薬等の行為がなされなければ、直ちには手の施しようがないと診断されれば、即要医療性を否定しようとする動向だ。これは原爆症認定だけの問題ではない。厚生労働省行政全体にわたる、国の在り方にまで至る重大な問題であることが明らかにされた。
人はどんな病気にかかっていても、どのような治療状態にあっても最後まで精一杯生き抜き、人生を全うしようとするのではないか。それを最大限に応援し、支えるのが医療行政、厚生労働行政なのではないか。「要医療性」問題などをこじつけて、最後まで生きようとする人間の尊い営みを切り捨てたり、傷つけたりするようなことは絶対に許してはならない。
報告集会では意見陳述したE・Kさんからも挨拶がされた。このE・Kさん、そして真鍋医師が証言したT・Sさんが共に奈良県在住者ということもあって、今回は奈良県原水協事務局長梅林光生さんが傍聴参加された。紹介された梅林さんも実は長崎市出身で被爆2世。共に頑張りましょうと挨拶された。

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(奈良県原水協事務局長の梅林光生さん)

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の係争中原告は現在22人となる。その22人の今後の裁判進行スケジュールについてもう一度確認がされた。
第7民事部は、次回10月15日(火)が第5次・8次の最終弁論、結審となる。第7民事部の中でも原告数8人を数え最大のグループだ。続いて12月12日(木)が今回医師証言された第10次のT・Sさんの最終弁論、結審の予定。
第2民事部は、10月23日(水)と12月11日(水)の2回に分けて第6・7・11次の6人の原告の本人尋問が行われる。第9次の原告は年明け1月21日(火)宇治簡易裁判所で所在尋問。12月11日(水)には9月4日(水)医師証人尋問の行なわれた梶川さんとE・Hさんの最終弁論、結審も合わせて行なわれる。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟はこの秋から年末にかけてが本当に大きな山場となる。

最後に藤原精吾弁護団長のまとめが行われた。訴訟の勝利とあわせて政治を動かしていくことがとても重要となる。9月20日の厚労相との定期協議では、8月2日判決をどう受け止めるのか、年内中に方向性をという首相指示をどう具体化するのかを問い質していくことになる。それを基に在り方検討会も前進させたい。共に頑張りましょう。

尚、10月24日(木)18:30より大阪弁護士会館において、原爆症認定集団訴訟の記録『おりづる』の上映会開催 が紹介され、多数の参加がよびかけられた。当日は『おりづる』制作の有原誠治監督、集団訴訟の判決を担当された森野俊彦元裁判官も参加され、充実した会になる模様だ。
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2013.09.15 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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