まもなく、「義務づけ訴訟」の第1次提訴が予定されています。
原爆症認定申請をしているにもかかわらず、放置され続けている被爆者が、現在、全国で7800人にものぼっています。
裁判所に、国が速やかな認定を行わないことの怠慢、違法性を指摘してもらうとともに、「速やかに認定せよ!」と命じてもらう。
そのことによって、国の現在の原爆症認定のあり方を抜本的にあらためさせる。
それが、この訴訟の目的です。

3月7日、私は、義務づけ訴訟の提訴予定原告のおひとり、Sさん(81歳、女性)が入院しておられる病室に、提訴のための聴き取りに伺いました。
Sさんは、肺がんに罹患し、2007年11月、原爆症認定申請をされていました。
実は、私は過去に一度だけ、申請直前のSさんにお目にかかったことがありました。
しかし、1年数ヶ月の年月を経てこの日にお会いしたSさんは、その当時とはまるで別人のようでした。顔がパンパンにむくみ、酸素、点滴…、体にたくさんの管がつながれていました。
ベッドに横たわったまま、開口一番、「もういいわぁ」と弱気な発言をされたSさん。
でも、その直後、壮絶な被爆体験を、私に語ってくださいました。

Sさんの自宅は、広島の爆心地からわずか500mの距離にありました。
17歳だったSさんは、女子挺身隊員として、爆心地から約2.5km、比治山の山腹に掘られた洞窟内の兵器廠で、原爆投下の瞬間を迎えました。
幸いにも直爆の熱線、爆風を免れたSさんは、次々に避難してくる全身焼けただれた人々を目の当たりにし、なんともいえぬ罪悪感を感じたといいます。
夕方、兵器廠を出て、市外の親戚の家を頼り一夜を明かしたSさんは、翌7日朝早く、両親と姉の安否を気遣い、ひとり、爆心地近くの自宅へと向かいました。
広島市内は一面の焼け野原。至る所に死体が転がっていました。
焼け残っていた大きな松の木が、自宅の目印となりました。
自宅はつぶれたのか焼け落ちたのか、跡形もありません。
台所のあったあたり、母親が、座ったままの状態で、焼けこげ、骨になっていました。
長い髪でようやく女性だと分かる、そんな状態でした。
Sさんは、母親の遺骨を小さな箱におさめました。
自宅近くの防空壕に、父の残した書き置きがありました。
Sさんの父親は、幸いにも風呂に入っていて、奇跡的に一命を取りとめたそうです。
そのようなことを知るよしもないSさんは、父の無事を祈りながら、父が頼っていったであろう親戚の家に、母の遺骨を抱え、急ぎました。
出てきた叔母が、「おとうさん、あんたを探しに兵器廠行ったよ。」と告げました。
Sさんは、疲れも忘れ、無我夢中で兵器廠へと向かいます。
一本道の向こうから、わら帽子をかぶり、手を吊って、鼻に板きれが突き刺さり顔が大きく腫れた人が歩いてきました。
声をかけられても誰だかわかりませんでしたが、その人が、父親でした。
足の裏にも大やけどを負いながら、Sさんを懸命に探していたのでした。
とても厳しく、手をつないだ記憶すらなかった父親。
「ふたりになったなぁ。」
そういって、Sさんの手をとり、二人で歩いたそうです。
Sさんは、ここまで話して、突然、とめどなく涙を流されました。

そして、また語りはじめてくださいました。
その翌日も、その翌日も、ひとりで爆心地近くの自宅跡に赴き、姉の遺骨を探してスコップをふるい続けたこと。
ようやく、粉々になった姉の遺骨を掘り出し、持ち帰ったこと。
それからまもなく、髪をなでるとスーッと抜け落ち、下痢をし、歯茎から出血し、蚊が刺した後が膿んでくるといった、被曝による急性症状が次々に生じたこと。
結婚し、子を出産するときのどうしようもなく不安な気持ち。
7年ほど前、口をゆすいでいて吐血したこと。
肺がんに罹患してからというもの、ますます体力が落ちてしまったこと。
骨も弱くなり、じつは今も肋骨が5本も折れていること…。

みるからに体調もお悪く、ベッドに横たわったままの状態で、Sさんは懸命に話してくださいました。
このSさんがどうして認定されないまま放置され続けているのか。
Sさんの一日一日がいかに重く、大切なものか。
いろいろな思いを抱きながら、私は、Sさんから、国の誤り・怠慢をただし、一日も早く認定をさせるための義務づけ訴訟にご参加頂くことをお約束いただき、病室を後にしました。

それからわずか5日後の3月12日。
Sさんは、亡くなられました。

Sさんの苛烈な被爆体験を聞かせていただいた最後の一人として、その事実をほんの少しでも、ひとりでも多くの人に伝えたい、と願います。
そのことで、何かが少しでも変わること、動くことを祈りながら。

Sさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

おおつき


タイトルを付けるようにお願いされたのですが、僕には付けられません。
それどころか涙で前が見えません…(管理人)
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2009.04.09 Thu l 徒然なる思い l コメント (3) トラックバック (0) l top

コメント

もう、いい加減
まず故人の御冥福をお祈りします。

ただ、81歳の大往生の人生の大先輩を、
おだやかに送り出してあげることはできなかったのでしょうか。
最後まで何かを恨ませないといけなかったのでしょうか。

被爆者の高齢化が進んでいます。
真の意味で被爆者の幸せとはなにかを考えたいと思います。
2009.04.16 Thu l 通りすがり. URL l 編集
ご冥福をお祈りします。
81歳で亡くなった方の生涯が、良いものだったかどうかは本人にしかわからないと思いますが、楽しいことや、素晴らしい出来事もおこっていた人生であればいいですね。彼女にとって、原爆体験を話すことは、確かに、辛いことだったかもしれません。でも、たとえ亡くなる間際でも、本気で話を聞いてくれる方がいた彼女は、わずかでもあたたかい気持ちになれたかもしれませんね。


タイトルはつけられなくても…純粋な気持ちが十分に伝わってきます。彼女に届くといいですね。
2010.07.15 Thu l kaori*. URL l 編集
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2010.07.15 Thu l . l 編集

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