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本日、大阪地方裁判所第2民事部係属の事件(義務付3・4次、取消6,7,9次、11~14次)の口頭弁論期日が行われました。
取消12~13次訴訟は、第1回口頭弁論ということで、原告を代表おひとりから意見陳述を行いました。

1 私は、2歳のとき、広島県安佐郡祇園町、現在の広島市西区大芝で被爆しました。
  爆心地からの距離は、被爆者健康手帳では、4.1kmとなっていました。
私の家族は、戦前、大阪府堺市に住んでいましたが、母の実家の広島に疎開して原爆に被爆しました。
母の実家は、太田川沿いにあり、そこでは、叔父の家族と、母、姉、兄、そして私が一緒に被爆しました。当時、母は妹を身ごもっており、10月に妹が生まれています。
母や姉兄に聞いた話では、私たちは部屋の中にいたそうですが、窓ガラスが割れ、母も怪我をしたということです。幼かった私にも、爆風でふすまが外れて、その下敷きになったという記憶がうっすら残っています。
同じ部屋にいた一つ下のいとこは、腎臓を悪くして30歳くらいまでに亡くなっています。母も、58歳のころ寝たきりになり、64歳で亡くなっています。
みんな原爆の放射線の影響を受けているとしか考えられません。

2 私は、ほかの被爆者の方に比べるとずいぶん遅い昭和51年4月に被爆者健康手帳をもらっています。
  実は、母と姉は、それ以前に被爆者手帳をもらっているのですが、その当時、私と妹は独身で、結婚に差し障りがあると言うことで、父の強い反対を受けて、申請ができませんでした。
その後、母の葬儀のときに、今後、いつ病気になるかも分からないから手帳をもらっておくようにと、伯父が強く勧めてくれ、申請することにしたのです。
被爆者は、いつでも差別や偏見をおそれ、自分自身の健康状態を心配しないといけない状態にあるということを、身をもって体験してきました。

3 私は、平成6年、51歳の時に胃ガンになり、第一リンパ節にも転移している進行ガンであると診断を受け、兵庫医大で胃と脾臓の摘出手術を受けました。
胃の摘出手術後は、一口食べただけで胸がドキドキして、脂汗が出るようになりました。術後しばらくは、物を飲み込むときに、しゃっくりがなかなか止まらず、たいへん辛い思いをしました。
今でも水を飲むにも一口ずつ飲み込まないといけません。
  食事をした後、横になると逆流するので、苦しくてもずっと座っていなければなりません。脱力感も続いています。
  手術当時、私は、ヒサヤ大黒堂という薬品会社に勤めており、手術後もしばらく勤めていましたが、術後の倦怠感から勤務を続けられず、退職せざるを得なくなりました。
  手術後に比べれば少しは苦しみも和らいではいますが、お医者様にも、「ダンピング症候群があるが仕方がない。慣れただけで決して治っている訳ではない」と言われています。

4 私は胃ガン手術の翌年、平成7年の春に、原爆症の認定申請を行いましたが、却下されました。残念ではありましたが、国が精査して、原爆の放射線の影響ではないとしてくれたんだ、という安心感もありました。
  その後、安倍さんが最初に総理大臣になったとき、認定基準が改定され、被爆した距離や入市日によって積極的に認定されるようになりました。私は被爆距離のことが気になり、姉妹に聞いたところ、姉らの手帳には3.1kmと書かれていることがわかり、平成18年にその旨を記載して、もう一度、認定申請を行いました。
ところが、この申請について、被爆距離は3.1kmとするのが合理的だとしたものの、現在、胃ガンの治療が行われていないので認定しないという結論でした。なぜか、放射線に影響しているのかどうかの記載はありませんでした。
私には、最初、その意味が分かりませんでしたが、3.1kmでの被爆なので積極認定の対象だけれど、要医療性という要件を充たさないから却下ということのようです。要するに、私がガンになったのは10年以上前のことで、胃ガンの術後の治療をしていないから医療を要する状態にはないというのです。
私の心底には、常に、ガンが再発しないかという恐怖があります。
  私は放射線の影響でガンになっているのです。ガン患者ということからは一生逃げ出すことはできません。
私は51歳でガンにかかり、その後、ずっとガンの後遺症に苦しんできていますし、今も苦しい状況は続いています。
食欲という人間の基本的な楽しみが半減し、健康なときの3分の1になってしまっています。
胃ガンの手術が古いから治ったと無視されるのは納得できません。

5 2歳で被爆した私も70歳になります。
     病で苦しんだだけでなく、その後遺症にも苦しんでいます。
    私たちに残されている時間も限りが見えてまいりました。
    何度、申請しても何故、切り捨てられるのか、合点はいきません。
    頼りになるのは、この間、認定行政の誤りを正してくれた裁判所だけです。
    せめて、私が少しでも元気なうちに判決をしていただき、公平な認定をしていただきたく思います。
    よろしくお願い申し上げます。

以上





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2013.04.24 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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