本日、大阪地方裁判所第2民事部に係属していたノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟(義務付2次)が結審しました。
原告の和田さん、塩見、尾藤の両弁護士による意見陳述、いずれもたいへん感動的でした。
判決は、8月2日(金)午前11時です。

和田さんの意見陳述


 原告の和田文雄です。
 本日の結審にあたり、原告を代表して陳述させて頂きます。

 私は、4歳6ヶ月のときに被爆しました。
 それから長い年月を経て、もう72歳を迎えましたが、この67年間、私は、原爆のせいで、苦しみ続けています。

 原爆投下直後、両親に連れられて、浦上川沿いを、道ノ尾駅まで歩く間に、目に飛び込んできた惨状、光景を思い出します。
 大やけどで、男か女かも分からないような人々。
 ひどく焼けただれ、片目がなくなった姿で、私の方に「水をくれ」と、手を伸ばしてきた、女性の顔。
 苦しそうなうめき声。 「水をくれ」、「水をやるな!」と叫ぶ声。
 胸がつまり、息ができないほどの、強烈な「におい」。
 忘れたくても忘れられず、今も、のうり脳裏にこびりついて離れません。
 今も睡眠時には毎晩、この情景がうかんで、なかなか眠りにつくことができません。

 私の体も、原爆の放射線によって、傷つけられました。
 被爆するまでは元気いっぱいの子どもだったのに、被爆後は、大人になってからもずっと、なんともいえない体のだるさ、何をする意欲もわかないような状態に苦しんできました。
 そして、平成19年には、「甲状腺機能低下症」という診断を受けました。

 この病気は、これまでの集団訴訟の判決でも「原爆症」と認められ、国も、「審査の方針」で、積極認定の対象として認めています。
 それなのに、私は、平成19年10月に認定申請をしてから、2年以上も待たされ続け、平成21年12月、認定の義務づけを求める裁判を起こさざるを得ませんでした。
 そして、裁判をおこした途端に、たった一枚の却下通知が届きました。
 それからさらに、3年以上の月日が経過しました。

 私は、自分の体調が許す限り、毎回毎回、この裁判を傍聴してきました。
国が、私たち被爆者に対してどのような姿勢をとるのか、この目でしっかり確認したい、という思いからです。
 福島第一原発の事故後、国は、内部被曝の危険性を認め、半径20キロ圏内への立ち入り規制や、食品の検査・規制を行っています。それなのに、この裁判では、わずか数キロで直爆を受け、さらに被爆直後に爆心地付近に入市して被曝した私たち原告が「放射線の影響を受けていない」と言い続けています。国の姿勢は、明らかに矛盾しているのではないでしょうか。
 さらに、私がこの裁判でみたのは、私たちが被爆状況や体調の悪化について「嘘」をついているかのような、本当にひどい、冷たい、国の姿勢でした。
 今回、提出された国の最終書面でも、私が被爆直後に雨に打たれたことや、8月11日に入市したという供述が信用できないとして、私の入市の事実すら否定されていることを知りました。
 国は、私が4歳半のときにこの目でみた、今だに忘れたくても忘れられず、私を苦しめ続けているあの体験を否定するのでしょうか。私が嘘をついているというのでしょうか?
 これがこの国の姿勢かと思うと、本当にくやしく、怒りでいっぱいです。
 原爆のせいで、長年にわたって苦しんできた被爆者の真実を信用できない、認めないというのであれば、一度、原発の中に無防備で入ってみて下さい、と言いたいです。そうすれば、無防備で原爆を経験した被爆者の思いが少しは理解できるのではないでしょうか。

 何度も何度も、認定行政の誤りを裁判所から指摘されてきたのに、いまだに、被爆者を切り捨て、機械的、事務的な却下ばかりの、冷たすぎる国の姿勢。
 いまだに、私たち原告が被爆者として長年苦しんできた事実自体を否定するかのような主張を繰り返す、国の姿勢。
 このような国の姿勢は、国家賠償にあたいするのではないでしょうか。
 国の、被爆者に対する冷たい態度をみるにつけ、今後、国は、福島の方々にも我々と同じような苦しみを与えるのではないか、と心配しています。
 裁判所には、国の姿勢を改めさせるために、ぜひとも、国家賠償責任を認めて頂きたいと願っています。
 私たち被爆者の実態・真実を受け止め、被爆者の気持ちにたった判決を頂けるよう、是非ともよろしくお願いいたします。



 裁判報告集会で挨拶する和田さん。


 塩見卓也弁護士の意見陳述。
 結審を待たずに亡くなったFさんの無念を代弁し、本当に感動的でした。


1 私は、本日結審するこの訴訟において、原告Fさんの担当を行って来ました。
  Fさんは、本日の結審を待つことなく、昨年11月18日にご自宅でお亡くなりになりました。
2 私がFさんと最初に出会ったのは、今から5年5か月前、2007年9月11日のことでした。私が弁護士になって1年足らずくらいのころのことです。
  昨年8月23日に、Fさんのご自宅で本人尋問が行われたときには、Fさんはもうベッドに寝たきりの状態でした。その様子は、裁判官、被告代理人もご覧になったとおりです。しかし、この5年5か月前当時のFさんは、自分で私の事務所にやってくることも可能なくらいにはお元気でした。
  この日、初めてFさんのお話しを聞きました。Fさんは、入市被爆後、長い間倦怠感が続き、さらにその後全身にできものができて、そこから膿が出て、全身に包帯を巻いた状態で家で寝たきりの生活を数か月過ごしたということでした。特に印象に残ったのは、その寝たきり生活のときに大きな地震が起きて、びっくりして家を飛び出したところ、全身に包帯を巻いている自分の姿を見た人から、「ミイラが出た」と言われたというエピソードです。
  私がFさんより前に担当していた、原爆症集団訴訟の原告に、Mさんという方がおります。私は、Mさんからも、被爆後全身にできものができたという話を聞いておりました。その他にも、原爆症訴訟の原告には、被爆後にできものができるようになったという人が複数おられます。
  全身に包帯を巻いたまま生活することなんて、普通は体験することではありません。まして、人から「ミイラ」呼ばわりされることなんて、尚更ありません。私は、「原爆が投下された直後だけでなく、その後でもこんなことを経験してしまう、それが被爆というものなんだなあ」と、このエピソードが強烈に頭に残りました。
3 Fさんから初めてお話を聞いた際に、印象に残ったことがもう一つあります。
  Fさんは、京都市交響楽団のヴァイオリニストでした。そのことを聞いた私は、Fさんに、「原爆症訴訟では、原告団や支援の方達と一緒に集会をやったりすることがあるので、そこでFさんに演奏を披露していただけたりすると、とてもいいですね」と言いました。しかし、Fさんは、「残念ながら、それはできないんです」と答えました。
  Fさんからは、1994年に舌癌の診断を受け、原爆症の認定申請をやったけど、却下されたという話は聞いていました。「ヴァイオリンは弾けない」ということについて、よくよく話を聞いてみると、舌癌の発症は交響楽団の定年の少し前のころで、最初に手術を奨められたけど、後遺症で腕が上がらなくなりヴァイオリンが弾けなくなるかも知れないと聞かされていたので、手術ではなく放射線と化学療法による治療を選択したとのことでした。しかし、その後癌のリンパへの転移が見つかり、手術せざるを得なくなったということでした。そのため、手術や放射線治療の後遺症で腕が上がらなくなり、ヴァイオリンを弾くことができなくなったということでした。
  私は、軽はずみに悪いことを言ってしまったと思うと同時に、Fさんがなぜ自分の疾病を原爆症と認めて欲しいと強く思うのか、理解できた気がしました。
  この日の相談では、橋本病で申請しようということで話していたのですが、私はその話を聞いて、Fさんに「舌癌の後遺症も申請に加えましょう」と奨めました。
4 何度か事務所に来ていただき、事実関係を整理した上で、Fさんの再度の認定申請を2007年11月5日に行いました。
  しかし、その後、申請から1年10か月ほどが経過しても、Fさんには処分決定の通知は届きませんでした。Fさんの身体は、この間にどんどん悪くなり、それまでの打ち合わせでは事務所に来ていただけたのに、もう自分で外に出ることは困難な状態になりました。
  そのころ、私達弁護団の中では、国が集団訴訟の政治解決を模索している一方で、新規申請者に対する判断が一向に行われず、申請者はいずれもご高齢であるにもかかわらず、申請が棚晒しにされたまま滞留していることを、何とかしなければならないと議論していたところでした。弁護団では、滞留している申請者につき不作為の異議申立を行うことを検討していました。そんなときに、Fさんから私に、いつまで経っても判断してもらえないことは何とかならないんですかと、電話がかかってきました。私は、Fさんに、不作為の異議申立を行うことを勧め、2009年9月14日に申立を行いました。
  それに対する回答は、同月25日付ですぐにFさんに返ってきました。内容は、「審査の順番を待っているところです」と簡単に書いてあるだけのものでした。電話でその話を聞いた私は、「一応そのコピーを送っていただけますか」と言いましたが、Fさんは、「もう捨ててしまいました」と答えました。確かに、「バカにしている」と考えて、すぐ捨ててしまうのももっともな話です。
  Fさんは、申請から2年1か月以上が経過した2009年12月24日、ついに待ちきれずに、認定の義務付けを求める訴えを提起しました。
  すると国は、2年1か月以上にわたり棚晒しにしていたにもかかわらず、提訴した途端に、わずか2か月後の2010年2月23日付で、認定申請を却下しました。
5 Fさんは100時間以内の入市被爆者なので、今の新しい審査の方針であれば、1994年の舌癌による申請で認められていたでしょう。また、現在の申請疾病も、積極認定対象である橋本病です。
  新しい審査の方針で甲状腺疾患が積極認定の対象とされたのは、積極認定対象の疾病についての審査を迅速に行い、Fさんの場合のように2年1か月以上も待たせるなどということがないようにすることが趣旨であったはずです。
  新しい審査の方針をもとに忠実に事実を当てはめていけば、Fさんについても直ちに原爆症認定を行うことは出来たはずです。
  申請当時、Fさんは、私の事務所にやってくることができるぐらいに元気でした。それから提訴まで、2年1か月の間、Fさんの身体はどんどん悪くなりました。悪くなる一方の健康状態を自覚しながら、いつくるか、いつくるかと、認定を待ち続けるFさんの気持ちは、察するに余りあります。
  それでも、昨年8月23日に本人尋問を行い、昨年11月7日にはFさんの病状についての河本先生の医師尋問も行い、あとは結審、判決を待つというところまでやっとこぎ着けました。しかし、Fさんは、ついに判決を待つことなく、昨年11月18日、この世を去ることになりました。
  Fさんの申請から国の却下まで、2年3か月もの時間が経過しています。これがせめてあと1年短ければ、Fさんは判決を聞くことができたでしょう。
  音楽が好きで、音楽に生き、ヴァイオリニストとして生涯を全うしたかったFさんが、入市被爆が原因であるとしか考えられない舌癌を発症し、その治療のためにヴァイオリニストとしての生命を絶たれました。Fさんは、その悔しさを、国や裁判所に原爆症と認めてもらうことで、少しでもはらしたかったのでしょう。そのような、被爆者としての苦しみ、悔しさを、認めてもらうことで少しでもはらしたいという気持ちは、今回結審する原告に限らず、原爆症認定の訴訟の原告になる被爆者の方々に共通するものです。そして、訴訟を起こしても、その途中で時間切れになってしまう、あるいはもう残された時間がないというのも、原告の方々に共通することです。
  裁判所には、裁判の結審を目前にして時間切れとなってしまい、自らの疾病が原爆症であったと認められないままこの世を去ってしまったFさんの無念をはじめ、このような原告たちの悔しさを汲んだ、正当なる判断を行われることを切に求めます。



最後は尾藤廣喜幹事長のまとめの意見陳述。
裁判所は、8月2日に、国家賠償まで認容する判決を出してほしい。

1 本日、3次にわたる原爆症認定集団訴訟判決、そして、いわゆる8・6合意を受けた後の判決を経て、新たな段階を迎え私たちが、「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」と呼んでいる訴訟の一陣訴訟が結審を迎えました。
  そこで、結審にあたり、原告らが、この訴訟に何を期待し、また、何を求めているのかについてお話し、あわせて、貴裁判所に是非とも考えていただきたい点、さらに、実現していただきたい点について強調しておきたいと考えます。
2 原爆症認定集団訴訟は、個別の認定訴訟であった京都原爆小西訴訟の大阪高裁判決、そして長崎原爆松谷訴訟の最高裁判決の成果にもかかわらず、厚生労働省が、これらの判決の到達点に基づく原爆症認定を行わず、かえって、原爆症の認定基準を厳しくするという行政としてあるまじき行為をなしたことが原因で提起された訴訟です。
これは、もっぱら財政的な理由で被爆者の切実な要求を切り捨てるという不正義極まりない行政の行為に対する抗議(プロテスト)と権利実現行為であるだけでなく、司法の判断の軽視、あるいは無視という我が国の憲法体系上許されない暴挙に対する、被爆者の止むに止まざる行動でありました。
  そして、この原爆症認定集団訴訟では、大阪、広島の原告全員勝訴判決を かわきりに、国敗訴の判決が続き、その中で被爆の実態が次々と明らかにさ れ、国民の制度運用に対する批判が高まり、それまで厚生労働省が京都原爆 小西訴訟、長崎原爆松谷訴訟の後採ってきた旧「審査の方針」は廃止され、 2008年(平成20年)3月17日に「新しい審査の方針」が策定されま した。
  この「新しい審査の方針」は、残留放射線による内部被曝を徹底的に無視 してきた旧「審査の方針」を改め、認定制度の歴史的な転換をめざすもので したが、一方で、積極認定の対象病名が限定されていること、認定のための 距離要件や時間要件が未だ不十分であること、総合認定のあり方が不明確な ままであったなど限界を持つものでした。
3 しかし、その後も、被団協と政府の協議は進められ、2009年(平成2 1年)8月6日、当時の麻生首相と日本被団協の間で「原爆症認定集団訴訟 の終結に関する基本方針に係る確認書」が結ばれました。これが、いわゆる 「8・6合意」と言われるものです。
  この合意がそのまま守られれば、原爆症認定訴訟は、必要がなくなり、そ の後終結に向かうはずであり、また、この合意はそれをめざしたものであり ました。
4 ところが、当初こそ、厚生労働大臣は、この「8・6合意」に基づいた認 定行政を行いましたが、その後まもなくから、この合意内容は、守られなく なり、積極的認定の対象となった病名についての認定すら後退から後退を重 ね、いわゆる総合認定については、全く認められなくなるなど、惨憺たる状 況になっています。
  その具体的分析は、原告らの最終準備書面47頁以下に記載したとおりで す。
  つまり、厚生労働大臣は、またもや財政的考慮によって、認定の在り方を ねじ曲げ、司法の到達点を無視しているのです。
5 私たちは、このため、「8・6合意」以降、その合意内容が守られず、認 定申請を理由なく却下された被爆者の認定を求めて、新しい認定訴訟=「ノ ーモア・ヒバクシャ訴訟」を起こさざるを得なくなり、この動きは、今、大 阪地裁だけでなく、広島、熊本、札幌、名古屋、岡山、長崎、東京の各地裁 に広がり、被爆者は、再び、司法による救済を求めて立ち上ることを余儀な くされているのです。
  今日、結審を迎えました原告らは、その病名、症状と被爆状況からすれば、 これまでの司法判断の到達点に基づく認定をすすめるという「8・6合意」 が履行されていれば、当然認定されているべき被爆者ばかりです。
6 被爆者は、認定制度の発足の当初から、被爆実態に基づいた法に基づく正 しい認定制度の運用によって、早期の認定を行うことを求めてきました。
  ところが、国・厚生労働大臣は、司法の到達点を無視し、「8・6合意」 すらも守らず、現在行われている「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」 でも、一部の委員は、司法の到達点について「違和感を覚える」とか、「国 際的に認められた科学的知見に沿わない」などの発言を繰り返し、認定制度 の抜本的改革は遅々として進まない状況にあります。
  相代理人も述べましたように、被爆者には時間がありません。
  裁判での救済を求めている間にも次々と亡くなっていくという状況にあ  り、本来は、裁判によることなく、司法の到達点に基づいて、行政が正しい 法運用を行うことにより、認定されることこそが何よりも今求められている のです。
  しかしながら、その実現のためには、「司法による行政の誤りの是正」し かないというのも深刻な事実です。
  どうか、貴裁判所おかれては、これらの経過を踏まえ、被爆の実態を十分 見据え、司法の到達点に基づき正しい法運用を行い、原告を全員認定してい ただきたいと強く要望します。
  あわせて、再三再四司法を無視し続ける国・厚生労働大臣の責任を認め、 損害賠償を認容する判決を出していただきたいと切望致します。
司法の内容を公然と無視し続ける国に対して、損害賠償を認めなければ、国・厚生労働大臣の「違法行為の野放し」は放置されたままになってしまいます。司法の権威は保たれません。
  そして、貴裁判所が、原告らの請求を認めることによって始めて、被爆者 がこれ以上裁判という方法によって救済を求める必要がない状況が作り出さ れるものと確信しております。


                               
スポンサーサイト
2013.02.08 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://fujiwaradannchou.blog50.fc2.com/tb.php/278-b369b0fd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)