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近畿第1次訴訟の原告番号1番の深谷さんの娘さんです。
母の原爆体験伝える、半年聞き取り冊子に…篠山の女性

原爆症認定集団訴訟近畿原告団の中心的存在で、1月に老衰のため83歳で亡くなった深谷(ふかや)日出子さんの長女田中悦子さん(48)(兵庫県篠山市)が、母から聞いた被爆の記憶を冊子にする作業を進めている。被爆2世という現実を受け入れられず、母を避けた過去にも向き合いながら、「母の言葉が『核なき世界』の実現につながれば」と願う。

 深谷さんは看護学生だった18歳の時、広島の爆心地から約1・7キロの寮で被爆し、無数のガラス片が体に突き刺さった。50歳の頃には左目に白内障の症状が出て、医師に「原爆の閃光(せんこう)で目が焼けた」と言われた。

 原爆症認定の申請が却下され、2003年に原告番号「1番」として国を相手取り大阪地裁に提訴。06年、集団訴訟では全国で初めて勝訴。裁判では核兵器廃絶を訴えたが、家族には長年、被爆体験を語らなかった。

 田中さんは、子どもの頃、突然歯が抜け、出血の止まらない母の姿に驚いた。父からは「原爆や。聞いたらあかんで」と口止めされた。本で調べると、黒こげの遺体や焼け野原の街の写真に、「地獄や。思い出させるだけで傷つける」と感じた。以後、戦争の話は避けた。

 被爆者の娘という現実からも逃げたかった。「私も症状が出るのでは」と恐れ、生まれたことを恨みもした。振り返れば、「一番近くにいる差別者だった」。

 転機は裁判だった。ほぼ毎回傍聴し、被爆の惨状を訴える母の姿に心を動かされた。昨夏からは言葉をノートに書き留めるように。

 「けが人の看護に走り回ったけれど、助かりそうな人を優先し、多くの人を見殺しにした」「原爆は人を人として死なせなかった」

 聞き取りは約半年で終わった。記録は1冊分だが、裁判資料なども加える。

 作業を始めた頃には福島第一原発事故も起きた。「人間が作ったもんが壊れんわけがない」。そんな母の言葉も冊子につづるつもりだ。「生涯原爆に苦しめられた母の思いを伝えるのが被爆2世の務め」と田中さん。今夏の原爆忌には広島の平和記念式典に参列したいと思っている。
(2011年7月15日 読売新聞)

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2011.07.20 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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