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 先日(27日)の高知判決に関する毎日新聞(高知版)の記事です。
 被爆者が、その家族が、どんな思いで裁判までしてたたかっているのか、厚労省のお役人にも理解していただきたいものです。

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原爆症認定訴訟:高知訴訟 原告勝訴 夫婦の努力報われる /高知
 ◇放射線との関連、心疾患は認める

 「長い間のご支援が世界平和につながることを願います」--。原爆症認定高知訴訟で上杉卓助さん(04年に81歳で死去)=芸西村馬ノ上=の原爆症を認めた27日の高知地裁判決。原告の妻二三子さん(81)は閉廷後、支援者らが座る傍聴席に向かって小さな声で「ありがとうございました」と口にし、深々と頭を下げた。【千脇康平、服部陽】

 原爆投下時は広島市の東隣、広島県海田市町(現海田町)にいた卓助さんは、投下から1時間以内に広島市に入り、2日間被爆者の救護活動に従事した。復員後、二三子さんと結婚。3人の子宝に恵まれた。

 だが、下痢や黄だん、背中などの痛みに苦しんだほか、十二指腸かいようや心筋梗塞(こうそく)を次々発症。03年5月、原爆症認定申請を却下され、異議を申し立てた。かわいがっていた孫娘の結婚式も体調が悪くて出席できず、その約1カ月後、国の回答を待たず突発性肺がんで亡くなった

 地元の小学校時代の友人がほとんど戦死してしまったことに負い目を感じていたためか、卓助さんが被爆者健康手帳を申請したのは終戦から50年以上たってから。ようやく周囲に被爆体験を語るようになった卓助さんは晩年、被爆者による証言ビデオにも出演。自身の被爆体験や平和への思いを訴えた。二三子さんも卓助さんが被爆者であることを証明できる当時の上官らを探し出し、全国を一緒に回ってきた。こうした夫婦の努力が報われる判決となった。

  × × ×

 「戦争はいかん、原子爆弾はいかんといって、あれはまだか、あれはまだかと(原爆症認定を)待ち続けた夫は皆さんのご支援で成仏したと思う」。判決後、高知市内であった集会で卓助さんの遺影を大事そうに抱えた二三子さんに、支援者らから温かい拍手が送られた。

 集会には原爆症認定集団訴訟高知弁護団の谷脇和仁弁護士や、同全国弁護団連絡会の宮原哲朗事務局長が出席。谷脇弁護士は「国家賠償請求や高血圧は棄却されたが、ずっと訴え続けてきた病気(虚血性心疾患)が放射線に起因することが認められた素晴らしい判決だ」。宮原事務局長も「(今月12日東京高裁であった)千葉訴訟でも勝ち、勝訴の流れを作った大きな判決」と評価。今年5月に大阪、東京両高裁で判決が予定されている原爆症認定訴訟につながる判決と位置づけた。

 判決を受け、全国の原爆症訴訟を闘っている被爆者や遺族、弁護士らは共同声明を発表。国に対し、判決を真摯(しんし)に受け止め控訴を断念することや、昨年4月から運用が始まった原爆症認定新基準の抜本的見直しなどを求め、「すべての被爆者を救済すべく全面解決に着手すべきだ」とした。
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2009.03.30 Mon l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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