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9月16日,広島高等裁判所で,原爆症認定集団訴訟の広島第1次訴訟が終結しました。
8月6日に,被団協と(前)内閣総理大臣・自由民主党総裁の麻生さんが締結した確認書に基づき,原告が控訴を取り下げて終結したものです。
終結にあたり,法廷で述べられた佐々木猛也・広島訴訟団長の意見陳述書を紹介します。

1. 誤ちは,そのときから始まったのです。悲劇は,そのときから始まったのです。
   日本国政府は,アメリカ政府に対し,昭和16年12月8日,日本時間午前3時(ワシントン時間12月7日午後1時,ハワイ時間12月7日午前7時30分),日米開戦に伴う最後通牒を交付する予定でした。しかし,大使館の外交官の不手際で,1時間遅れたのです。
 これに先立つ11月26日午前6時,択捉島単冠湾をひそかに出港し南下していた,駆逐艦を先頭とし,戦艦2隻,巡洋艦3隻,380機を搭載した航空母艦6隻,その他潜水艦,補給船を含む合計30隻で編成された第一航空艦隊は,12月2日,開戦日を12月8日と知らせる電文「新高山登レ一二〇八」(ニイタカヤマノボレ・ヒトフタマルハチ)を受けた後,宣戦布告がないまま,ハワイ時間12月7日午前7時49分,全軍突撃命令により真珠湾攻撃を開始したのです。
 こうして,この国は,不義の戦に国民を総動員して行きました。
 宣戦布告なき奇襲攻撃は,国際法違反です。開戦直前,取り返しのつかない重大なミスを犯したのです。そのため,アメリカ人にヒロシマを語り掛ければ,「リメンバー・パールハーバー」と,厳しい目と鋭い言葉が跳ね返って来るのです。そして,言葉を失い,二の句が告げなくなるのです。
2. この国の政府は,開戦後1年も経過しないうちに,敗北に次ぐ敗北,敗走に敗走を重ねながら,国民には真実を知らすことはありませんでした。
以下,日本軍18連敗の記録を述べます。どんなに負け,どんなに戦死者が出たかを,確認したいと思います。
ミッドウエー海戦 (戦死  3,500人)
ガダルカナル島  (戦死  8,200人)(病死11,000人)
アッツ島     (戦死  2,547人)   (捕虜   29人)
ニューギニア   (戦死157,000人)(病死を含む)
タラワ島(玉砕) (戦死  4,690人)   (捕虜 146人)
マキン島(玉砕) (戦死    690人)   (捕虜 90人)
セゲリン島(玉砕)(戦死  3,472人)   (捕虜 250人)
グアム島     (戦死 18,400人)   (捕虜1,250人)
                        生存者1名横井正一
サイパン島    (戦死約30,000人)   (捕虜  900人)
         (市民の死亡10,000人)
インパール作戦  (戦死約35,000人)(病死など42,000人)
中国・拉孟騰越(らもうとうえつ)(玉砕)
         (戦死 29,000人)   (生存者1名)
テニアン島    (戦死 約8,100人)   (捕虜  313人)
ベリリュー島(玉砕)(戦死 10,650人)   (捕虜 150人)
フィリピン(レイテ島,ミンダナオ島,ルソン島など)
         (戦死476,800人)   生存者1名小野寺寛郎硫黄島(玉砕)  
            (戦死 19,900人)   (捕虜  210人)
沖縄 (義勇兵を含む戦死109,600人)   (捕虜7,800人)
         (市民の死亡100,000人)
  その他,数知れない戦場で多数の人が亡くなって行ったのです。
昭和20年9月2日の降伏までに,兵士230万人と空襲その他で亡くなった民間人は80万人,合計310万人の人々が生命を奪われたのです。
本土空襲による死者は,299,485人でした。原爆投下により,広島で約140,000人,長崎で約70,000人が爆死しました。全国で,236万戸の家屋が瓦礫と化したのです。
3. 第2次世界大戦における日本軍のこれら一連の敗北は,本件原爆症認定訴訟で19連敗した国の対応と同じように映ります。  
一審原告らは,6年前の平成15年6月,自分たちは原爆投下の犠牲者なのだ,病気は原爆のせいだということを国に認めてもらいたいとの切ない願いを込めてこの裁判を始めました。
戦争が長引き犠牲者の数が増えましたが,この裁判にあっても,広島の原告団64名のうち16名,が勝訴し,解決したことを知らないままその人生を終えたのです。訴訟を取り下げた者を含めれば,死亡者は3名増えた19名になります。
この集団訴訟は,もっと早く解決すべきでした。
第2次世界大戦での戦場における敗戦に次ぐ敗戦の経験,どこで解決を図るのかの教訓は,ひとつも生かされてはいないのです。
4. 昭和20年7月16日,ニューメキシコ州アラモゴードで原爆実験が行われ,7月24日,原爆投下命令により,その標的が日本に向けられたのです。
 7月17日から,ベルリン郊外ポツダムで始まった,トルーマン,スターリン,チャーチル(選挙に敗れ,アトリーに交替)らの会談を経て,7月26日,わが国に降伏を勧告するポツダム宣言を発しました。
しかし,わが国政府は,最後の一兵まで,一億総動員,本土決戦を辞さず,いまひとたびの戦果を挙げてと,受諾しませんでした。
既に,この年の2月,ヤルタ会談で,ドイツ降伏3か月以内に,ソ連が対日参戦することが決まっていたというのに,そして,ポツダム宣言の16日後の8月9日,日ソ不可侵条約を一方的に破棄し,日本と交戦状態に入ることになるのに,この国の政府は,ソ連に対し,なお,和平工作の期待を託していたのですから,この国の外交能力の程度が知れるのです。
ポツダム宣言を受諾していたなら,8月6日のヒロシマの,8月9日のナガサキの悲劇はなかったのです。原告らを含む被爆者の精神的,肉体的,財産的苦しみはなかったのです。
昭和20年8月14日午後11時,わが国政府は,ポツダム宣言受諾を連合国に通達し,終戦を宣言しました。この日,大阪では,空襲で500人が殺されました。この日,天皇が国民に終戦を告げる終戦の詔勅が2枚のレコードに収録され,翌15日,いわゆる玉音放送がされたのです。
しかし,これは,わが国政府が一方的に戦争を止めると宣言しただけのものです。ステートメントを発表するだけでは,国際法上,戦争は終結しません。戦争の終結には,降伏文書調印の必要があったのです。
戦争のはじめにおいて,国際法違反を犯したこの国は,戦争の終わりにおいても国際法を知らなかったのです。
5. 第2次世界大戦で,日本は,一般市民を含む310万人の死者を出しましたが,戦勝国ソ連は,世界最多の1450万人の戦死者と民間人死者700万人以上を出したのです。
 ドイツに近い,ソビエト連邦共和国の最西端にあるベラルーシでは,対ナチス・ドイツ戦争,大祖国防衛戦争で人口の3分の1の220万人を亡くしました。うち140万人は,一般市民でした。
 多大の人的被害を受けたソ連は,旧満州などにいた関東軍兵士らを捕虜としてラーゲルに収容し,戦後復興の労働力として使ったのです。日本人抑留者は,酷寒の地で森林伐採や鉄道建設などで酷使されたのです。
 本年7月24日の新聞は,ロシア国立軍事公文書館で新資料が発見され,これまで総数56万人,死者53,000人とされていたその数は,最大76万人だと報道しました。シベリア抑留は,終戦宣言がされても未だ終戦とならない状態のなかで起ったことです。
 そして,中国残留孤児の問題が起こりました。あるいはまた,中国山西省での残留兵2,600人は,国民党の組織に組み入れられ,3年半以上,戦後の戦争を共産党軍(八路軍)と戦い,550名が戦死,500名が捕虜となる「蟻の兵隊」の問題が起こるなど混乱が続いたのです。
 日本政府が国際法を理解し,速やかに降伏文書に調印したなら,シベリア抑留の問題や中国残留孤児の問題は起こりませんでした。
 この国の戦争は,国際法違反で始まり,多数の犠牲者を出したうえ,終戦が延びるなか,昭和20年9月2日,東京湾沖に停泊したミズーリ艦上での降伏文書の調印によって,国際法上,やっと終ったのです。
6. 私たち広島原告団,弁護団は,本年3月18日,広島地方裁判所で,第2陣原爆症認定訴訟の判決をいただきました。
 原告3名に対し,国家賠償法に基づき損害賠償として99万円を支払えと言うことを含む勝訴判決でした。これにより,この国は,原爆症認定訴訟において15連敗を喫したのです。
 私たちは,即時,全面解決を求めましたが,一審被告らは,5月15日の大阪高裁判決で,5月28日の東京高裁判決で,いまひとたびの戦果を得てと,自分たちを勝たせてくれるものと大きな期待を寄せ,解決を引き延ばしました。
 敗戦に次ぐ敗戦,そして,問題を解決すべき時期に立ち至るもなお迷うこの国の対応は,第2次世界大戦とまがうことなく,同じものでした。
 そして,大阪高裁は,原告らを勝訴させました。東京高裁は,一審被告らの願いを一蹴して蹴飛ばし,原告らを勝訴させました。この判決は,原告ら18連勝の判決を集大成した内容であり,感動的なものでした。
 いまひとたびの戦果を得てという,一審被告らの展望,願望,野望は,見事に打ち砕かれたのです。
 これら判決をファイナルとして全面的な解決を図ると明言したにもかかわらず,その後,解決を渋り,その糸口が見えない状態を強いたのです。
7. 原爆投下から64年後の本年8月6日,広島において,麻生太郎内閣総理大臣・自由民主党総裁と日本被爆者団体協議会との間で「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」が調印されました。
 原爆症認定問題の解決に向け大きな決断をされた麻生太郎前内閣総理大臣・前自由民主党総裁に感謝いたします。
 被爆者の苦しみを受け止めていただいた河村建夫官房長官に対し,国としての謝罪と核兵器のない社会に向け先進的努力をするとの官房長官談話を出されたことに感謝いたします。官房長官談話は,憲法判断を変更するときなどに出される,非常に重いものだと聞きました。
 原爆投下のその時を見た者として,被爆者たちの戦後の苦しみを知る者として,広島に生きる者として,ありがとうございましたと申し上げます。
8. 終戦宣言の後,海外に駐留する日本軍の撤収が始まったと同じように,一審被告らは,控訴を取下げ,原爆症認定手続きをし,支払いの手続きに入っています。来る9月18日には,医療特別手当が支給されるとのことです。
 しかし,今もなお,7,000人とか8,000人とも言われる被爆者が,原爆症認定の申請をしていることを忘れてはなりません。これも一刻も早く認定がされなければなりません。
 本日,政権が交替しました。不透明な状況が続きます。その処遇が問題となった敗訴原告について,いつ,どのような内容で,議員立法が成立するのか,原爆症認定要件をどうするのか,その審査委員の人選を含め審査会の在り方をどうするのかなどの課題が残っています。これが解決して初めて原爆症認定問題は解決するのです。民主党をはじめ各政党の協力は,得られるものと確信しています。
9. 20世紀は,戦争の時代でした。同時に,20世紀は,法の支配を確立してきた時代でもありました。
 そして,この原爆症認定訴訟は,法の支配,法の力が被爆者たちを救い,被爆者援護に大きな道を開いたのです。
 残留放射線被曝,内部被曝,低線量被曝の危険性を説き明かし,原爆がいかに人体に影響を与えるか,原爆の悲惨,悲劇を明らかにした19のひとつひとつの判決は,新しい視点から被爆の実相を世界に知らしめる材料になるでしょう。核兵器廃絶を求める運動に大きく貢献するでしょう。
 オバマ大統領が,本年4月5日,プラハで行った核兵器のない世界にむけての演説は,世界の多くの人々を勇気づけました。
 大統領の「核保有国として,核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として,アメリカには行動する道義的責任があります。アメリカだけではこの活動で成功を収めることはできませんが,その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。」という言葉は,アメリカの世論を考えると,最大限踏み込んだものと言えるでしょう。
 オバマ演説を引き出した背景には,60年余の間続いた核軍拡競争のなかで,核のない世界を求めて来たひとりひとりの人々があったこと,なかんずく被爆者の方々の切実な声と力強い訴えがあったからです。
 原告たちは,この訴訟が終わっても,核兵器を造らないで下さい,使わないで下さい,核兵器を使うと脅さないで下さい,核兵器を無くそうと訴えて行くことでしょう。それは,絶対に,正義です。私は,一緒に,その道を追い求めて行きたいと思います。
 オバマ大統領は,弁護士出身の大統領です。彼には分かっているのです。 広島への,そして,長崎への原爆の投下は,民間人の殺戮という人道法に違反する犯罪的行為であり,明白に国際法違反であると分かっているのです。 しかし,未だ道義的責任に止まっていること,「おそらく,私の生きているうちには達成できないでしょう。」と言っているところに限界があります。 広島・長崎への原爆投下は,国際法違反なのです。あれは,国際法でいう戦争ではありません。戦争の範疇をはるかに越えたものなのです。
 アメリカは,CTBT(包括的核実験禁止条約)を批准するでしょう。来年5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議に向け,核兵器廃絶の闘いが盛り上がることでしょう。
 原爆症認定訴訟を通じ,被爆の実相を改めて確認した私たちは,被爆者とともに核兵器廃絶を共にめざすことを誓い,私の意見陳述を終え,ここに,これが全国で初めてとなる一審原告らの控訴取下書を提出します。


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2009.09.18 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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