今日は8月15日、終戦記念日ですね。

戦争の惨禍でお亡くなりになった全ての方々のご冥福をお祈りします。

いろいろ考えさせられる記事がありましたのでご紹介します。

被爆者の斎藤さん、「氷溶かす政策を」(朝日新聞岩手版:2009年08月15日)

 広島・平和記念公園に立った麻生首相が6日、全国の被爆者らが自らの病気を原爆によるものと認めて医療特別手当を支給するよう求めて起こした「原爆症認定訴訟」で、原告の救済策をとることを表明した。
 花巻市に住む県原爆被害者団体協議会長の斎藤政一さん(85)は、その言葉を複雑な思いで聞いた。
 県被団協の会員は52人。多くが病に伏せ、6日に盛岡市で開いた死没者追悼集会に出席できたのは10人ほど。今も体内にガラス片が埋まり、気圧の変化で強いめまいを感じ立ち上がれなくなる斎藤さんを含め「みんな原爆症と認定されてしかるべき」。だが、訴訟を起こす気力、体力を持つ人は少ない。首相は「係争中の原告を救済する」と言った。「では、訴訟を起こせない人々や我々はどうなるのか」
 64年前の8月6日、陸軍少尉だった斎藤さんは、広島の兵舎で光と衝撃に襲われた。
 爆心地から約1・8キロ。倒壊した木造2階建て兵舎の下敷きとなった斎藤さんは梁(はり)で頭蓋骨(ず・がい・こつ)が割れ、肋骨(ろっこつ)も5本折れた。背中と両腕は熱線に焼かれ、皮膚が垂れ下がった。血まみれの体で生き残った隊員を集め、市民の救援を始めたが、やがて気を失った。
 気付くと、周囲は火に包まれていた。死んだと思われ、ほかの遺体とともに燃やされようとしていたのだ。
 2カ月後には救護所を追い出され、包帯だらけの姿で貨車に乗り、花巻に戻った。すりつぶしたジャガイモを熱傷に塗った。国のためを思って軍を志願し、努力して将校になり、軍務中に被爆した。なのに、国はその責任を取ってはくれなかった。
 今も政府の被爆者援護策の歩みは鈍い。今回、首相が表明した救済策も、限定的なものにとどまった。一方で北朝鮮の核実験などにより、日本の核武装や非核三原則の緩和も語られるようになった。
 日本はかつて「ABCD包囲網」と呼ばれた連合国側の経済制裁を受け、戦争への道を選んだ。あのころ「家族を守るために」と軍を志願した自分が、経済制裁下で「将軍さま万歳」「朝鮮民族独立のため」と叫ぶ北朝鮮の若い軍人たちの姿と重なって仕方がない。「追い込むのは危険。必要なのは、氷のようになった北の人々の心を溶かす太陽のような政策だ」と話す。
 「核を使えば自分たちもひどい目に遭う。それよりも、ともに豊かに生きる道を。どうすればそんなメッセージが世界に届くのか。その戦略を練ることが、日本の政治の役割だと思う」(貫洞欣寛)

スポンサーサイト
2009.08.15 Sat l ニュース(一般) l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://fujiwaradannchou.blog50.fc2.com/tb.php/151-e8c31a5f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)