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今日の朝日新聞に,近畿弁護団の新人弁護士の岡千尋さんが紹介されています。
すでに何度かブログでも紹介していますが,裁判のあとの集会で,彼女の話を聞いた朝日の記者さんが感動されて,取材してくれたものです。

被爆3世、「私が代弁」 原爆症訴訟の近畿弁護団に(朝日新聞8月1日)
広島、長崎の被爆者が国に原爆症認定を求めている集団訴訟の近畿弁護団にこの夏、広島市出身の被爆3世で大阪弁護士会所属の岡千尋さん(26)が加わった。メンバー約50人の中で最年少だ。「被爆体験を語るのはつらいこと。やっと声を上げた人たちを放っておけない」。被爆の苦しみを秘めたまま亡くなった祖母らの姿が、背中を押した。

 「おばあちゃんは原爆の焼け野原を生き抜き、父を育て、私にも愛情をいっぱい注いでくれました。みなさんは私のおじいちゃん、おばあちゃんに見えます」

 原告と支援者らの集会が大阪であった6月22日、岡さんは初めて被爆者たちにあいさつした。涙で声を詰まらせる姿に、温かい拍手が送られた。この日は、申請を長期放置しているとして早期の認定を厚生労働相に求めた義務付け訴訟の口頭弁論が大阪地裁であり、弁護団の一員として初めて法廷に入った。

 祖母の正江さんは広島の爆心地から約2キロ付近で被爆。白血病と乳がんを患い、岡さんが小学生だった90年に62歳で逝った。孫の中でただ一人の女の子だった岡さんをかわいがり、七五三には着物を贈ってくれた。闘病生活が長らく続いたが、被爆体験は岡さんにも、父の郁雄さん(57)にも語ろうとしなかった。

 祖母の態度を理解したのは、広島の高校時代、ケロイドが残る恩師の女性教諭が退任あいさつで、小学生のときの被爆体験を初めて語った時だった。岡さんは「思い出したくない、話してもわかってもらえない。差別を受けるかもしれない。多くの被爆者は、そんな思いを抱えながら生きているんだ」と知った。
(平賀拓哉)


続きは
asahi.comでご覧下さい。
全国でも2世,3世の弁護士が弁護団員として奮闘しています。
また,岡さんだけでなく,多くの若手弁護士もがんばっています。
8月6日,9日までは,あと,わずか。
全面解決まで弁護団一同がんばります。
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2009.08.01 Sat l 未分類 l コメント (4) トラックバック (0) l top

コメント

戦いは続く
>全国でも2世,3世の弁護士が弁護団員として奮闘しています。
>また,岡さんだけでなく,多くの若手弁護士もがんばっています。
>8月6日,9日までは,あと,わずか。
>全面解決まで弁護団一同がんばります。

とりあえず、8月6日,9日に向けて、
現在の原告団の全員救済を目指しているのですね。
がんばってください。

その後には、
原告団以外の被爆者全員救済、あとは手帳を貰えない方々への運動、
へ続いていくのですよね。
(原告団だけ救済されれば良いというのはあまりに不公平です)
その際には私も私の家族も協力します。
原告団や団体、政党(共産党ですよね)が一体となって、
問題を大きくしていきましょう。

あと、私の身の回りでも2世、3世でも病気になる人がたくさんいます。
その方々も原爆の影響でないとはどうしても思えません。
現在の科学は不完全ですから、どうしたって完全に否定なんか出来ないはずです。
ですから、2世、3世にも原爆症認定すべきだと思います。

そうすれば、私の家族は全員原爆症認定となります。
現在は国のせいで格差が広がっていて、苦しいので、
はやく金銭的給付を受けたいのです。
2009.08.02 Sun l たるぼきん. URL l 編集
反動
他の掲示板で発見しました。
未だにこんなことを言っている人がいるのですね。
平和教育と反省が足りないのでしょうね。


前略私は京都市在住の中村新平と申します。
突然の便りを貴会議に差し上げる御無礼をお許し下さい。

貴「日本会議広島」様が来る 8月 6日に挙行される御予定の田母神前航空幕僚長の講演会に対して、秋葉広島市長の「中止要請」や、広島被団協からの「抗議声明」などがある、という報道に接し、それらの無自覚な「言論弾圧横暴」に心底からの怒りを感じ、貴会議が屈することなく田母神氏の講演会を実行されることを御願い致したく、激励の意を込めて、拙き手紙を差し上げる次第でございます。

長崎の原爆に被爆した親を持つ私の「核問題」に関する、又、我が国の安全保障の支柱である「日米同盟」に関する思索の要約が、産経新聞全国版紙上に掲載されたことがありますので、そのコピーを同封致します。
お読み頂ければ、私がこのような手紙を差し上げる動機を御理解頂けるものと希望しております。

ただ、この産経新聞の投稿論考は 2000文字の制限の中での記述であり、思索を骨格までそぎ落とした代物であるだけに、いささか舌足らずな、あるいは、削除した論考や別の自身の経験もあります。
そこで、僭越ですが、その一部を補いたく、以降に補強の意味で私見を述べたいと思います。
御一読願えれば幸甚に存じます。

親が長崎で被爆した私は所謂「被爆二世」です。
特に父は爆心地から 3km以内に居たことから「特別被爆者」という扱いの「被爆者手帳」を保持していました。
幸いに大きな外傷を受けずに済みましたが、額に爆風で破壊されたガラス片を受け、その部分は生涯皮膚病としての治療を余儀なくされました。
しかし、「原爆症と認めよ」とか「国の責任を問う」などという事は一言として申したことはありませんでした。
祖父と父の同僚の中の被爆者達もまた同様でした。

私の核問題に対する関心は、このようなはるか以前からのものですが、被爆者の子という立場が核に対する思索の基底にあったかどうか、今となっては、はっきりしません。
考察を重ねて行くにつれて、私の中では次第に「核」が客体化されて現在があるように思います。
小中学時代の「平和教育」の影響はもう痕跡も留めていないようです。

これまで、私は他者と核保有を含む安全保障の議論や主張をなす時には、「被爆」との関わりを一切表明しないようにしていました。
理由は、それを前面に出すことで、相手に心理的影響を与え、反論をたじろがせる効果があるからです。
世間で喧しい「被爆者団体」にはこのような斟酌がありません。
「被爆者」であることを特権的に利用しているようにも見受けられます。
そして、その特権をかさに着た行動が、今回の「中止要請」や「抗議」の正体そのものなのです。
であるが故に、貴会議の 8月 6日の講演は是非とも開催してもらいたいのです。
もし延期などで妥協すれば、「六日の菖蒲」や「十日の菊」程度では済まず、必ずや、真摯な安全保障論議の一貫である核武装論考自体をさらには、田母神氏の言論そのものの封殺に走ることは明らかでしょう。
なにしろ、秋葉市長の「平和宣言」なるものが、米国をターゲットにして、
北の金正日には大甘の煽動文書であることは、以前より産経紙や読売紙に厳しく批判されてきた代物ですから。
紳士的でない (自省心のない)相手に対する一つの妥協は必ずや、次の妥協を呼び起こし、やがて存在そのものを失うのかもしれません。やがて国の独立すら失う恐れを感じます。
今回の秋葉市長や「被団協」の行為は「卑怯」の一言に尽きると考えます。

昔、新潟市の「憲法記念の日講演会」での故上坂冬子氏が「現行憲法に反対の立場」の故をもって講演拒否された事件、あるいは、神奈川県三浦市での櫻井よし子氏に対する「慰安婦への "誤った認識 "」を言い立てた某団体の圧力に屈した三浦市商工会議所が新年経済講演会を中止にした事件がありました。
今回のこの「事件」はそれらより数倍も悪質なものであります。
何故なら、両氏に対する事件では、メディアのいくつかはまだ、その「妨害者」に対する正面からの批判を掲げることができました。
しかし、相手が「被爆者」または「被団協」であれば、産経紙ですら、正面からの批判は避けることでしょう。
そのような空気はメディアの自縄自縛であり、所謂「平和 (その実反日ないし反国家)教育」に他なりません。

事例を申しあげます。
第一は「被爆者団体」は被爆者の全体代表ではないということです。
私の親、祖父、又家内の親及び上の兄弟、彼らは被爆者です。
そして、私の親の同僚の被爆者達、又私の知り合い関係の所謂被爆二世達、
私と家内の子供達これは所謂被爆三世ですが、これら身近な多数の人々の意思は、貴会議に噛み付いた「被爆者団体」の意思決定には如何なる関与もありません。
生まれてこのかた、これら「団体」からの誘いを受けたこともありません。
彼らに「被爆者代表」の顔をする資格があるのでしょうか。
私は彼等は「少数者」であると確信しております。
これら等「団体」の "意思決定方法"、"構成人数""活動資金"などなど、ネットその他で調べても、全く知ることができません。正体不明の団体が市政やメディアや教育を壟断しているのが現実なのです。

「平和祈念式典」に麗々しく参加する被爆?世と称する子供達がどのような選定基準で選ばれたのか、
私達はもっと「知る権利」を行使する必要があるでしょう。
私の周りで知っている限りの知人の範囲において、被爆関係者も含め、日本国の安全を優先して考えることのできる人々だけであります。
今の被団協は「少数派」が「ボルシェビキ(多数派)」を名乗って国家を纂奪した旧ソ連の共産党と同じことを行っているのです。
メディアはこの「ボルシェビキ」に幻惑され続けてきた。
いや、幻惑された風の論説を出せば波風がたたない。
おそらくそれだけの理由で、「被爆者団体」にお追従を与え続けてきた。その結果が今日の事態に他ならないのです。

第二は、広島 (おそらくは長崎も)の「平和教育」は “反日本国家”教育に他ならないということです。
私には世紀の変わり目を挟んで、約 1年半の広島市在住時代がありました。
時折、「平和公園・平和祈念館」の見学 (偵察)に参りました。
あるとき、公園の一角で中学生と思しき修学旅行団体に所謂「原爆語り部」が "被爆者の語り"を行っていました。
私は散策者を装って、すぐ近くのベンチでその「語り」を聞いていたら、驚くべき内容でした。
「皆は今、学生服を着ているね、金属のボタンが付いているね。でも戦争の時はボタンは木製だったんだよ。
戦争に使うために、金属は全部国が取り上げたんだよ。そして戦争でこんなに沢山の人が死んだんだ。
私達は国に編されたんだ。
君たちは絶対に国に編されて戦争してはいけない。
国は悪いことをするものなのだ・・・」
これが「平和教育」の正体でした。
問題含み検定教科書ですらいいかげんにしか教えず、遠方より児童生徒達を引き連れて、このようなやくたいもない話を聞かせて、幼い頭に刷り込みを加えているのです。

私の子供達の場合、京都の小学生時代にある時、「今日学校で "日本国憲法の前文"を暗記する宿題をもらった」と、言いました。
それを聞いた刹那、私は「そのような下らない宿題を絶対にするな、覚える必要は全くない。例え社会科の成績が零点になってもお父さんは、誉めてやる。」と激しく "命令"をしました。
そのかいあってか、子供達は所謂「平和教育」の影響は成人した今、痕跡もありません。
が、別の弊害があったのです。 高校の授業 (公立校)です。
大学受験に無いので、日本史を選択していない。
世界史は必修なので履修した、というのです。唖然としました。
我が足元でそのような事態が進展していたなど、想像を絶するものでした。
我が日本国のことを、先人の独立と生存にかける労苦のことを、学校で教えずに平然としている。
世界史という名の「西洋人史」はいくらか知っているが、自分自身のルーツを判らせない教育がなされている。
これは日本なのか。わが子にはそれから、ことある度に日本の過去歴史を、偉人たちのことを教え、そして子供は自分なりに勉強もして、遂に、「やはり、日本の根幹は神道を考えるべき」とまで言うようになり、安心を得ることができました。
日本国のことを知らず、国家の反感を植付けられた者達が向かう先は、敗北と亡国でしかないのに、これが平和の名を持つ教育の実態でした。

第三は、「平和祈念式典」の参加者たちです。
私は所謂「反核平和運動」団体には全くと言ってよい程、共感することがありません。
むしろ反感すら覚えています。
おそらく、長崎での学校生徒の頃、原爆慰霊祭で、原水禁と原水協との分裂大会と市の行事の三者が別々に行われ、県外の出席者達が、観光見物を主体にしているかの如き行動をするのを目の当たりにして来たこと、が根源にあるのでしょう。
動員を受けて参加している彼らの立場は、所詮は一日の他人事でしかないのです。
しかし、報道は「打って心を一つにした、真剣な行動である」かの如く装ってきました。大茶番劇です。

第四は長崎と広島の「記念館」の展示です。
ご承知でしょうが、昔の長崎の原爆資料館は、被爆の物件を淡々と並べ、展示していました。
それが逆に、胸に迫るものでした。
新装されて現在は、長崎の町の頭上を「トマホークミサイル」が狙っている大きな模型が、堂々と展示されています。
史実から言えば「ファットマン」でなければならない。
現実的脅威からは「ノドン」であっても良いでしょう。
反米運動が標的にした事物、これが並べられるようになりました。
偏見に満ちた人物が展示内容を決めたとしか思えず、反感を覚えるようになりました。
広島も似たようなものです。広島時代に幾度も見た経験では、日米安保体制に基づく通常兵器の装備と部隊配置を「核戦略」と称して日本の地図上に克明に描きながら、大陸側は全て白地図でした。中露朝の状況を知らなければ、一方的に日米の「攻撃態勢」だけが印象に残る仕掛けになっています。
また、核搭載機として写真展示されているのは、何と「F16戦闘機」でした。理由を考えて、思いついたのは、欧州でのパーシングIIミサイル配備のとき、日本では三沢に米軍がF16を配備したことでした。
当時 NHKが「最新鋭戦闘機」と称して非難がましく報道していたのを思い出します。
当然のように反米活動の標的になったものです。沖縄県の「像の鑑」までが、「核戦略」の代表事例として写真展示しているのは失笑を禁じ得ません。
地権者と沖縄県知事と内閣の「些細な争い」が話題を呼んだ事物です。
反核運動が、「反米運動」でしかない実態は、今や多くが知る所となりました。
しかし、北朝鮮の核兵器、又それの背後にある中国の核、あるいはロシアも含めて、が日本にとって現実的な脅威となった現時点でも、識者達の言説に依然として、「総体としての被爆者」への、ある種の「遠慮」が感じられてなりません。

第五は所謂「被爆者差別」のことです。
我が国の独立と安全が、真剣に、現実的に、検討されなければならない時、
このように「言語が閉ざされた」ままでは、危機の克服は覚束ないでしょう。
このため私は先の産経新聞掲載の論考で、これまでの「禁忌」を破ることにしました。
被爆者であっても、核のイントロダクション、さらには保有までをも、
選択肢として思考の対象にしている者がいることを是非知ってほしかったのです。
私の見る所、社会通念化した「被爆者の意思」なるものは、被爆者集団の中でも「ノイジイマイノリティ」に影響されたものである可能性が高い。
サイレントマジョリティは思いの他「現実的」で「健全」であるのかもしれません。
非被爆関係者で「被爆者の意思」に共鳴する人が多数いるのも事実でしょう。
だからこそ、当然のことながら「遠慮」のない議論が今こそ必要な時なのです。
しかし私はこの産経の論考で自分が初めて被爆二世であることをカミングアウトしたのではない。
はるか以前から公然と親や祖父が被爆者であることを公言してはばからなかったのです。
なぜなら、長崎での児童生徒達の親のかなりの割合が被爆者であることなど、私の学童生徒であった当時の常識だったからです。
しかも、変に誇張したような病気や遺伝が広範にあるかの報道やドラマはあって、実生活の現実において存在しなかった。
被爆二世達の親も普通に生き、普通に旅立っていった。
同級の二世達は普通に結婚をし、子をなし、今も普通に生きている。
差別など私達の世代では微塵も感じたことはなかったのです。
少数の不幸な障害者がいたことは事実としても、不幸なるものの支援の対象とは見ても、決して政治化することはなかった。

これが大きく変わって、被爆者の子が結婚で疎んじられ、遺伝的影響で相当の非健常者の子が生まれる、などの風評がなぜ広がったのか、疫学的には非被爆者と有意差のない、非健常率が特別に切り出されてきたのか、私見ですが、おそらくあの「夢千代日記」ではないだろうか、と思います。
夢千代日記以前と以後のメディア論説での「被爆者差別」の掲載頻度の統計的大小を調べればわかると思いますが、私にはすでにその時間がありません。残念なことです。
私的感覚では、あのドラマ以降に被爆者差別がメディアで頻発するようになった。
疫学的な新たな因果関係が出ていないにも拘わらずです。

私の感覚的直感が正しければ、メディアが風評を広げ、弱者という「特権権力者」を作り、その活発な部分が「被爆者団体」に集い、全体の代表を僭称して反対者 (正常思考者)の言説を閉ざしていき、メディアはさらにその風潮に縛られる状況が現出してきたのだと確信しています。

色々と日頃の思いを拙き表現で書いてしまいました。
どうか乱文をお許しください。

ここにかいたこと、これこそが、今の我が国の正当なる安全保障論を感情的、かつ感傷的に阻害する最大要因なのであります。
なればこそ、当代最強の論者となられた田母神氏の講演が正しく8月 6日に堂々と挙行されること、そして、自省なき被爆者絶対主義で抑圧者と化した者達、さらにそれら少数者と思われる反日石化頭脳の三百代言に堕した某市長の横車に真っ向から鉄槌を下していただくこと、が一被爆者一家の切なる希望と期待なのであります。
何卒、日本会議広島様におかれては、御計画の実行を心より御願いいたします。

尚、ここに同封した産経新聞の私の論考は、著作権が産経新聞社に移っております。
もし幸いにして、貴会議でこの論考を利用されることがあれば、産経新聞社の応諾が必要であります。
この手紙をご利用いただくことにはなんの不都合もありません。
私の核問題の産経論考は既に、ネット上で私の名前とともに、おそらくは産経新聞の許諾無しに、それなりの引用、コピペがなされているので、私の名が出たとしても、特段のことはなく、批判者との論の応酬になったとしても受けて立つ覚悟を保持していることを、最後ですが申し上げておきます。
我が国の尊厳と独立を回復し確固とした現実的平和実現のために、貴会議のさらなる御発展と、田母神氏の舌鋒の冴え渡ることを心より祈念いたします。

中村新平
2009.08.02 Sun l たるぼきん. URL l 編集
たるぼきんへ
あんた、いったい何者さ?
ただのネット右翼、掲示板荒らしか、それとも、ま●●えの回し者か?!
2009.08.05 Wed l 怒れる男. URL l 編集
たるぼきん
私は、いつも法廷に来る厚労省の某技官じゃないかと睨んでいます。
訟務検事や訟務官がみなスーツを着ている中、1人だけYシャツ姿でいつも偉そうに腕組みしているあの男。
今度会ったら声をかけてあげましょう。
お楽しみに。
2009.10.22 Thu l おおが@さっぽろ. URL l 編集

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