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ファッションデザイナーの三宅一生さんが、自らの被爆体験をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿されたそうです。

三宅一生さん:「オバマさん、広島に来て」米紙に寄稿 被爆体験、初の公表(毎日新聞7月16日:抄録)
 世界的ファッションデザイナー、三宅一生さん(71)が、広島の被爆体験を初めて公にしたうえで、米オバマ大統領に8月6日の広島訪問を求めるメッセージを米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿、14日掲載された。オバマ大統領が核兵器廃絶への決意を語ったプラハ演説に触発されたためで、同内容の書簡を大統領にも送ったという。
 同紙電子版によると、三宅さんは7歳で被爆し、「赤い閃光(せんこう)と黒い雲、逃げまどう人々の姿が今もまぶたに焼き付いており、それから3年を待たずに放射線の影響で母を亡くした」と明かした。しかし「原爆を生き延びたデザイナー」というレッテルが張られることを恐れ、広島についての質問も避けてきたという。


イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)のブランドで有名な三宅一生さんです。
有名なデザイナーであることは知っていましたが、被爆者だとは初めて知りました。
三宅さんのように被爆体験を語れずに60数年間を過ごしてきた被爆者は多いはずです。

この記事を見て、ある被爆者のことを思い浮かべました。
2年ほど前に、原爆症の認定申請について相談を受けた方です。

私は被爆状況を詳しく確認していきました。
訴訟に携わってきて、被爆者に接するのに慣れていた私はどんどん質問していきました。
「どこで被爆しましたか?」
「被爆した後どんな行動を取りましたか?」
「被爆後の体調はどうでしたか?」・・・

被爆後の行動を聞いている時に、その方は泣き出しました。
嗚咽。
その当時の悲惨な状況が脳裏に蘇ってくる。
忘れようと思ったけれども忘れられない。
自分は、これまで被爆体験を誰にも語ってこなかった。
奥さんに対してすら。
初めて被爆の体験を話した。

その方が60数年間抱え込んできた苦しみを、無理に引っ張り出してしまったようで罪悪感を感じました。
しかし、話を聞き終わった後、話せてよかったと言ってもらえました。
一人きりで抱えてきた苦しみを、誰かと共有することで少し楽になれたのかなと思いました。
その方が抱えてきた苦しみは「生き延びたこと」自体です。
生きること自体が苦しみを生む。
そんな原爆をとても許せません。

その後、その方に若者に被爆体験を語ってもらうことをお願いしました。
その方の被爆体験とその後の苦しみは次の世代に伝えていくべきだと思ったからです。
しばらく迷われて、了承していただきました。

その方と同じ苦しみを抱えながら多くの方が亡くなっています。
ここにも原爆の被害があるのです。
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2009.07.16 Thu l 徒然なる思い l コメント (1) トラックバック (0) l top

コメント

No title
京都の支援ホームページが不調ですね。心配です。
ニューヨークタイムズに乗りオバマ大統領に広島訪問を呼び掛けたのが衝撃的です。
2009.07.16 Thu l 北の家族の母. URL l 編集

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