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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(83)
控訴審最後の第14民事部も弁論開始。
核兵器禁止条約の批准50ヶ国到達! 核廃絶運動の進展も力に訴訟全面勝利へ!
2020年11月6日(金)


 今年1月31日(金)の大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)で敗訴判決を受けた二人の原告(Y・Mさん、O・Hさん)の控訴審が、9ヶ月も待って10月23日(金)やっと第1回弁論の日を迎えた。係属部は高裁第14民事部、裁判長は小西義博裁判長。Y・Mさん(男性)は長崎の爆心地から4㌔での直接被爆と入市被爆。申請疾病は食道がんだが、既に他界されており遺族が承継されている。O・Hさん(男性)も同じ長崎で爆心地から3㌔の直接被爆と入市被爆。申請疾病は心筋梗塞で今77歳。
 原告側、被告側双方の提出書類確認の後、この日はまずO・Hさん本人の意見陳述から始まった。O・Hさんが被爆したのは2歳7ヶ月の時。わずかな記憶の中にも幼い頃から下痢や鼻血などに襲われてきた思い出は残されている。父親はビルマで戦死。そのことがO・Hさんの人生に重い負荷を負わせることになり、O・Hさんは苦労に苦労を重ねて生きてきた。50歳の時心筋梗塞を発症、経皮的経管冠動脈形成術を受け、10年後の60歳の時に再び激しい胸痛に襲われて冠動脈バイパス手術を受けた。現在も経過観察と投薬治療が続いていて、いつ発作が起こるか分からない不安を抱えての毎日となっている。今年1月の一審判決は、O・Hさんの被爆は健康には関係ないと言わんばかりのもので、O・Hさんは強い憤りを感じた。「裁判官も一度あの被爆の体験をしてもらいたい」、「理屈では説明しきれないあの惨状をどうか想像してもらいたい」、さらに「判決が喫煙や加齢を指摘したのは原爆症を否定するための『いちゃもん』のようにしか感じられなかった」と、O・Hさんは判決に対する率直な思いを申し立てた。O・Hさんが戦争、原爆に対する強い憤りを訴えるのは一審の時の本人陳述と同じだった。「原爆や戦争がなければ、私は実父母と暮らし好きな勉強も続けられていたでしょう。若くして心臓の病気に悩まされることもなかったでしょう」。
 二人目の意見陳述はO・Hさん担当の中森俊久弁護士。パワーポイントを使った画像を映し出しながら、被爆の実態、長崎原爆の実相について説明されていった。長崎原爆投下の内容、熱線、放射線、爆風・衝撃波による被害の様相と状況が分かり易く述べられていった。おそらく、初めて原爆被害に向き合うことになるのであろう裁判体の人たちに、正確な理解を促すための、噛んで含めるような陳述であった。さらに、被爆者援護法の精神と、それに基づいて判決された松谷最高裁判決の内容についても陳述され、公正な判決を期待するとしてまとめられた。
 三人目はY・Mさんを担当する崔信義弁護士による意見陳述。崔弁護士の陳述はY・Mさんの二つの控訴理由内容について詳しく述べるものだった。一つは、Y・Mさんが8月11日または12日頃爆心地近くを通過したかどうかの事実認定について。もう一つは、Y・Mさんの申請疾病の食道がんの放射線起因性について。
 入市の事実認定について一審判決は、Y・Mさんの被爆者健康手帳交付申請書には入市したことを示す記載がないことをもって否定している。しかし、直接被爆の記載さえあれば手帳は交付され、入市のことまで重ねて書く必要のなかったのが、手帳交付手続きの実際であって、崔弁護士はそのことを丁寧に指摘し、それを証明する実務担当者の陳述書まで提出していることが示された。「原判決は重大な間違いを犯しています」というのが意見陳述のこの項のまとめだが、加えて、それはあまりにもお粗末な判決理由だと思わざるを得ない。手帳発行申請が実際はどのように行われていたか、入市の記載がないことが単純に入市を否定することにはならないことなど、多少ともノーモア・ヒバクシャ訴訟に関わっている人なら誰でも知っていること。そんな基本的なことも無視して強引に判決理由にするなど言語道断、許されることではない。
 二つ目の控訴理由の放射線起因性についても、医学的知見と言うより、Y・Mさんの喫煙に対する事実認識が焦点となっている。Y・Mさんには14年間に及ぶ問診票が残されているが、その中で喫煙について記載されているのは1994年の「1日1本」という記録しかない。しかもそれは食道がん発生の20年も前のことになる。こんなわずかな喫煙歴にも関わらず、それを根拠に一審判決は、喫煙期間も喫煙量の確定もしないまま、飲酒と喫煙等のリスクが「重畳的に作用して食道がんが発症した」とした。崔弁護士は、起因性に関わる一番の間違いはY・Mさんの喫煙歴の事実認定の仕方にあると厳しく主張した。
 陳述の最期に崔弁護士からY・Mさんの主張立証のために眞鍋穣医師の証人尋問が求められた。Y・Mさんは手術後2年4ヶ月という短期間で急死されている。食道がんの術後の急激な症状悪化には放射線被ばくの影響が大きいという論文もあり、それは眞鍋医師提出の意見書にも言及されている。放射線被ばくによって被爆者の免疫機能がどう阻害されるか、詳しい証言が可能になるとの主張だった。次回期日での証人採用を重ねて求めて陳述は終えられた。
 これでこの日の意見陳述はすべて終了した。当初の予定時間をかなり上回ることになったが、それだけ強く熱い思いのこもった訴えであったことを示している。証人採用申請に対する結論は出されないまま、次回期日を年明けの1月26日と確認して閉廷となった。

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 終了後は会場を中の島公会堂会議室に移して報告集会が行われた。本人意見陳述を行われたO・Hさんからは「絶対に諦めず、最後まで頑張りたい」との強い決意が披露された。陳述された二人の弁護士からも今日の陳述の意図が簡潔に報告された。会場の都合で集会は短時間で終了せざるを得ず、西晃弁護士のまとめを最後にこの日は散会となった。
報告集会の後、年明け1月14日(木)に判決の迫っている原告T・Iさんの控訴審の継続部署である第6民事部に、「公正な判決を求める署名」が提出された。短期間の署名のとりくみであったが全体で754筆が寄せられた。
 報告集会のまとめで西弁護士からは「もしかしたら今日(10月23日)にも核兵器禁止条約批准国が50ヶ国に到達する可能性がある」という期待の発言があった。その通りの10月23日というわけにはいかなかったが、翌日の10月24日(土)中米のホンジュラスが批准書提出、遂に批准国50ヶ国到達!のニュースが、日本の私たちには25日(日)の早朝飛び込んできた。
被爆75年の節目の年に、核兵器禁止条約採択から3年を経て、いよいよ条約発効確定の日を迎えることになった。核保有国、それと同調・同盟する国々の姿勢が決して容易に変化するわけではないが、核廃絶に向けて歴史的な大きな一歩を築いたことは紛れもない事実だ。何より私たち自身が確信を持ち、一層の勇気を抱くことになった。
 全国でも、国内外でも核兵器禁止条約発効確定をお祝いし、核廃絶に向けて雄々しく進んでいこうと訴えるメッセージ発信や街頭行動が繰り広げられた。京都でも10月27日(火)、緊急に街頭宣伝行動を行い市民にアピールした。その中心は被爆者のみなさんであった。
 10月29日(木)、日本原水協のよびかける「唯一の戦争被爆国 日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」運動のスタートが切られた。核兵器禁止条約発効が確定した今、私たちに課せられた最大の課題は日本政府の条約参加、条約参加する日本政府を作ることにある。絶好の、どうしても成功させなければならない署名運動だ。「どうして日本は核兵器禁止条約に参加しないのか?」という素朴な、しかし率直な疑問の声がごく普通に日常会話の中でも語られる、そんな状況を感じられるようになってきている。メディアによる世論調査では72%の人々が核兵器禁止条約を支持している。
さらに世論を喚起しながら、国民的要求に応えて、核兵器禁止条約に参加する日本政府を作っていこう。そのことも力にしながらノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の全面勝利をめざしていこう。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2020年11月13日(金) 10:00 地裁第2 民事部 1007号法廷 S・Tさん弁論
2021年01月14日(木) 13:15 高裁第6民事部  202号法廷 T・Iさん判決言い渡し
2021年01月21日(木) 13:30 高裁第12民事部 74号法廷 高橋一有さん弁論
2021年01月26日(火) 14:00 高裁第14民事部 202号法廷 Y・MさんとO・Hさん弁論
弁論期日未定         最高裁上告審 苑田朔爾さん
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2020.11.29 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top