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被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(70)
第2民事部も原告7人全員の尋問と最終意見陳述日程が確定!
6月15日「近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」を勝利を決める日にしていこう!

2019年2月23日(土)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟はこの2月、4回の法廷が予定されている。2月1日(金)は第2民事部で東神戸診療所所長の郷地秀夫先生の医師証人尋問が行われた。翌週の2月8日(金)には第7民事部で二人の原告の最終意見陳述が行われ、2月20日(水)は第2民事部で原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。最後は2月28日(木)第7民事部で二人の原告への判決言い渡しが行われる。近畿の訴訟もいよいよ大詰めであることを実感しながら毎回の法廷に足を運んでいる感じだ。
 2月8日(金)の第7民事部(松永栄治裁判長)はT・Iさん(男性、京都府城陽市、74歳、2歳の時2.0㌔で直爆、申請疾病は慢性肝炎と糖尿病)とW・Hさん(男性、京都府木津川市、74歳、1歳の時2.5㌔で直爆、申請疾病は慢性腎不全(IgA腎症))の最終意見陳述だった。二人とも提訴は2013年10月だから5年半をかけてやっと今日に至ったことになる。
最初のT・Iさんは用意された陳述書を、読み上げる形で、もう一度被爆時の状況、被爆後の状況、急性症状、その後今日に至るまでの闘病の日々を、簡潔だが思いを込めて述べていった。その上で厚生労働省の審査のあり方については強い疑念と憤りをぶつけるような陳述だった。認定申請は平成21年3月(2009年)だったが最終的に異議申し立てが棄却されたのは平成25年(2013年)4月。なぜ4年以上もの長い年月放置され待たされなければならなかったのか。そして、やむを得ず裁判に訴えた後になってから慢性肝炎の追加資料(検査データやカルテなど)提出が求められた事実。認定申請却下処分や異議申し立て棄却処分は一体何をもって判断されたのか、強い疑問を抱かざるを得ず、医療分科会の審査が適切に行われていなかった表れではないか、と厳しい口調で批判した。

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 T・Iさんは、健康上の苦しみだけでなく、被爆したことでの精神的苦痛、不安や悲しみ、怒り、そして子どもの将来についても不安を抱えながら生きてきたことを語り、裁判所に正しい判断を下されるよう訴えて陳述を締めくくった。
 続いてもう一人の原告W・Hさんは出廷の叶わない体調であるため、代わりに代理人の喜久山大貴弁護士によって陳述が行われた。この訴訟の意義が述べられ、他原因によって放射線起因性は否定できないことを主張し、「8・6合意」とこれまで蓄積されてきた司法判断に背く厚労省認定行政の実態が批判された。原告のW・Hさんは2017年1月に奈良地裁で本人尋問を受けているが、その後W・Hさんの体調はより深刻さを増している状況にも触れられた。そして最後にW・Hさんから弁護団に届けられた手紙が紹介されて、強い本人の思いが訴えられた。その内容は次の通りだった。
 私は、一昨年以来、不整脈・心房細動がひんぱんに起こり、危険な状態に何回もなり、このままでは心不全・心筋梗塞になる恐れが大ということで昨年5月に手術、現在に至っています。
 また、昨年秋の人間ドッグで大腸ポリープが7個見つかり12月に除去。同時に5年前に見つかったバレット腺癌が再発しており、今年の1月7日に入院、1月8日に除去手術。今は療養に努めています。
 死ぬ訳にはいきません。勝利をつかみとるまで。一日一日が勝負です。病魔に負けるな!自分に勝て!と奮い立たせる日々です。
 お世話になりますがよろしくお願いいたします。
 二人の陳述を終えて裁判長が弁論の終結を宣言し、判決言い渡しを5月23日(木)午後1時10分からと告げて閉廷となった。
 閉廷後の報告集会ではT・Iさんと喜久山弁護士からそれぞれ感想とお礼の言葉が述べられた。T・Iさんは提訴してから3人目の裁判長に変わってやっと判決を迎えることになる。そもそもの申請日に遡れば10年の歳月となり、費やしてきた時間の長さを述懐された。そして、ありとあらゆる病気に罹ってきたこと、被爆の影響は免疫力を著しく低下させあらゆる組織に障害をもたらすことなどを自身の体験から述べられた。

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 W・Hさんの3年前の奈良地裁での本人尋問は代理人の喜久山弁護士の法廷デビューの日だった。5月23日は喜久山弁護士にとっても重要な記念すべき判決を迎える日となる。いい結論を期待し、早期に訴えが解決することを求めていきたいと決意が述べられた。
 この日の報告集会では「公正な判決を求める要請署名」が1,362筆となり、この日大阪地裁に提出されたことが報告された。

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 12日後の2月20日(水)、今度は第2民事部(三輪方大裁判長)で原告O・Hさん(男性、大阪市、74歳、2歳の時3.5㌔で直爆、その後入市被爆、申請疾病は心筋梗塞)の本人尋問と医師証人尋問が行われた。O・Hさんは4年前の2015年3月11日、自ら提訴後最初となる意見陳述を行っており、それ以来の法廷となる。主尋問は担当の中森俊久弁護士によって進められ、0・Hさんは大きな声ではっきりと答えて一つひとつのことがとても分かりやすく確認されていった。O・Hさんは長崎市銅座町の自宅近くの屋外で直爆を受けた。2歳7ヵ月だったので記憶はないが、強い光と爆風を浴びたことだけは憶えている。その他の当時の状況は母親などから聞かされてきた。直後に避難して日見峠を超えて親戚を頼ったが、間もなく長崎市内に立ち返った。そして母親たちの仕事の関係で、長崎駅近くにあった爆心地から2.0㌔に近い長崎の漁港や魚市場に頻繁に連れて行かれ、そのため入市被爆もしている。幼いO・Hさんは市場の人々の間でマスコット的存在になり可愛がられていたようだ。爆心地から3.5㌔の距離となる銅座町だが、当時の銅座町の人々の悲惨な被爆体験の声や破壊された町の被災状況についてはたくさんの具体的証言や資料が残されていて、それらも証拠として提出されている。尋問ではその内容が詳しく説明された。直爆を受けたO・Hさんは口の中に怪我をして出血し、今も異物が口の中に残されている。急性症状は下痢と鼻血を発症し、下痢は10歳頃まで、鼻血は今でも出ることがある。
 O・Hさんを襲ったのは健康障害だけではなかった。父親はビルマで戦死、一緒に住んでいた祖母も間もなく亡くなり、母親も、母親の再婚した義父も結核で倒れて入院し、中学の頃から暮らしはたちまち行き詰まった。高い向学心を抱いていたO・Hさんだが中学卒業後は住み込みで米屋で働き高校は定時制に通った。2人の弟は施設に預けられた。その後大阪に出たが、どん底の生活を味わい、なんでもやりながら生きてきた。あの頃の苦労は思い出すだけでも苦しくなる。21歳の時に正社員として就職し、23歳で結婚、いろいろに事情から様々な仕事を積み重ねてきた。
 45歳の頃から被爆者健康診断を受けていたが特に異常は見つかっていなかった。しかし50歳になって突然心筋梗塞の診断を受け手術した。平成15年、60歳の時狭心症を再発して救急搬送、再び手術を受けた。現在も経過観察と投薬治療を続けている。平成23年には不整脈に陥って救急搬送されたこともある。国側は相変わらず他原因を主張しているようで、喫煙、飲酒、糖尿病診断の実態についても丁寧に事実確認され、主尋問の過程で国側主張の根拠のなさが明らかにされていった。
最後に、今の思いや国に対しての意見が求められたO・Hさんは、国に言いたいことは山ほどあるがとしながら、「父は戦死し、私は被爆して二重の苦しみを味わってきた。戦争さえなければ、原爆さえなければといつも思いながら生きてきた。すべてが灰色の人生だった。毎日毎日がいつ倒れるか、いつ発症するかの連続で、不安を抱えたまま一人で外出することさえ叶わなかった」と、苦しい胸の内と心情を吐き出すように訴えた。
 反対尋問は予想通り喫煙歴、飲酒の程度、食生活の様子など他原因を前提にした細々とした質問に終始して終わった。ただ反対尋問の中で一つだけなるほどと思うやりとりがあった。O・Hさんの原爆症認定申請は平成24年(2012年)に行われているが、どうして2回目の発症から9年も経ってから申請したのかと質問された。O・Hさんは認定制度自体を知らなかった。平成20年(2008年)に当時の新しい認定基準が決められ、それが新聞報道などもされて初めて知ったのだ、という回答だった。多くの被爆者にとって認定制度のことを知るのは、そういうことがきっかけになっている、それが実態なのだとあらためて思った。
 1時間30分ほどの本人尋問の後、休憩もとらずに続いて医師証人尋問に移った。今回の証人は西淀病院副院長の穐久英明医師で、昨年10月17日の高橋一有さんの証人尋問以来の証言だ。
 主尋問は小瀧悦子弁護士によって行われた。O・Hさんの被爆状況からは特に残留放射線による被爆が問題になるとして、前半の総論はその残留放射線についてのかなり詳しい説明から証言されていった。そもそも残留放射線とは、その内容、人々の被ばくに至る機序、危険性が説明されていった。銅座町で被爆したO・Hさんは放射性降下物も浴び、あたりが茶色くなるほどの粉塵が立ち込めた中で誘導放射線による外部被ばくも内部被ばくもしていることが証言された。それは決して低線量などというものではなく相当な量の内部被ばくであろうと強調された。
 その上で、昨年の高橋さん(申請疾病は心筋梗塞)の時の証言も参考にしながら心筋梗塞の放射線起因性について証言されていった。心筋梗塞にしきい値はない、他原因があっても放射線との関連に影響を与えない等の基本的知見を押えつつ、特に国側が主張する他原因の具体的根拠に反論が加えられていった。O・Hさんが最初に発症したのは平成5年だが当時のカルテは残されておらず、確認できるのは平成15年以降のものだけだ。それにも関わらず国は推測で平成5年当時から・Hさんには高血圧、脂質異常、糖尿病などの危険因子があったと語っており、それに対して、何の裏付けもなく10年も前のことを推測だけで主張するなど許されないと徹底して反論された。糖尿病に至っては平成15年の診断でも根拠となる検査結果はない。喫煙は、禁煙して以降も次々と狭窄を起こしており原因とは言い切れない等々の証言だった。
 反対尋問はいつもの繰り返し、重箱の隅をつつくようなものでしかなかった。
 法廷後の報告集会では、O・Hさんと穐久医師からそれぞれ今日の証言の感想が述べられ、参加者から慰労の拍手が送られた。中森弁護士、小瀧弁護士からは今日の尋問の中心点と感想が述べられた。
 進行協議を終えた弁護団から第2民事部の今後の予定が紹介され、訴訟進行が一気に加速していく予定が報告された。今後の日程の順を追っていくと、4月26日(金)に第2民事部の最後の原告N・Kさんの本人尋問と医師尋問が行われる。証言されるのは郷地医師。5月15日(水)には昨年10月17日以降滞っていたAさん、高橋一有さん、そしてM・Yさんの最終意見陳述が行われ結審となる。7月24日(水)には、2月1日に証人尋問の行われたY・Mさん、Y・Iさん、そして今日のO・Hさん3人が最終意見陳述・結審を迎えることになった。これで7人の原告全員の判決に向けた目途が立った。第7民事部の4人の原告も合わせてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告全員が年内に判決を迎えられる可能性も出てきた。本当にラストスパート、全力を挙げて頑張っていきたい。
 今年の「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」が6月15日(土)午後2時から大商連会館で開催されることも報告された。文字通り全面勝利をめざし、そして勝利を決めていくつどいにしていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年2月28日(木)13:10  806号 地裁第7民事部 苑田さん、K・Sさんに判決
2019年4月26日(金)13:10 1007号 地裁第⒉民事部 N・Kさん本人尋問・医師証人尋問
2019年5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述

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2019.02.28 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top