被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(54)

第7民事部医師尋問において労作性狭心症の放射線起因性を明快に証言!
肥田舜太郎先生のご冥福をお祈りいたします。
2017年3月21日(火)


 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は3月14日(火)が地裁第7民事部、15日(水)が地裁第2民事部と2日連続の法廷となった。第7民事部(山田明裁判長)の原告は5人、その内の一人宮本義光さん(大阪市、79歳)の審理が先行して進められており、14日は本人尋問と医師証人尋問とが同一日に行われた。

 午後1時30分開廷。奥さんに付き添われて入廷した宮本さんが証言台に着いた。主尋問は小瀧悦子弁護士が担当。実は後の報告集会で知らされたことだが小瀧弁護士はこの日がノーモア・ヒバクシャ訴訟で初めての尋問だった。宮本さんは耳があまりよく聞こえない。このため質問は大きな声を必要とし、回答も一言一言区切るようして行われた。
 尋問は、8月9日から始まる宮本さんの体験とその後の人生を一つひとつ丁寧に確認するように進められていった。宮本さんは7歳の時、長崎市稲佐町の淵神社の近く、爆心地から1.8kmで直接被爆した。翌10日本原町一本木にある母の実家を訪ねて、浦上川左岸を北上し、浦上天主堂の北側を歩いて横断した。ほぼ爆心地の最も酷い放射線の中を通り抜けたことになる。浦上天主堂の崩れ落ちた鐘楼や鐘を見つけ、父親と一緒にお祈りをしたことが強く心に残っている。宮本さんはカトリック信者であることを後で知った。体が真っ赤に焼け爛れた人たち、手指の先から皮膚が垂れ流れている人たち、真っ黒に焼け焦げて亡くなっている人や牛、「水ばくれんねぇ、水ばくれんねぇ」と声をかけてくる瀕死の人たち、生きているのか死んでいるのか分からないままにたくさんの人が水路に折り重なっていた様子など、長崎の街々、浦上の道々で遭遇した惨状を宮本さんは一つひとつ脳裏に思い浮かべながら語っていった。
 10日間ばかりを母の実家近くの防空壕で暮らした。狭い壕の中では毎日死者が出た。その中で傷ついた被爆者と体を寄せ合い、食べものを分け合い、井戸水を飲んで命をつないだ。吸引、飲食を通して内部被ばくも相当あったはずだ。直接被爆、入市被爆、内部被ばく、宮本さんはあらゆる形で、放射線を深刻なほどに浴びている。
 その後五島にある父の実家を頼ることになった。五島に渡る船の中で激しい下痢に襲われた。下痢はその後も長く宮本さんを襲い続けることになった。元々は元気でとても健康だった宮本さんだが、被爆後は虚弱になり、学校も休みがちで、怪我をした時など傷口がいつまでも治りにくい体になってしまった。
 宮本さんは平成12年(2000年)62歳の時に大腸ポリープが見つかり手術、翌平成13年(2001年)63歳で胃がんのため胃の3分の2を切除した。宮本さんとまったく一緒に被爆したお兄さんも胃がんを発症し、41歳の若さで亡くなっている。平成22年(2010年)71歳の時に脳梗塞を発症し、その後労作性狭心症と診断されて今も通院治療を続けている。原爆症認定申請の申請疾病はこの労作性狭心症だ。
 これほど明瞭で深刻な被爆の実態があるのだから、もはや事実認定について争う余地はない。反対尋問は宮本さんの下痢について医者の診察や診断があったのかとか、昭和32年の原爆被爆者調査表には下痢の記録がないけど何故なのか、などといった質問に終始した。60年も70年も前のこと、手帳の取得すら本人ではなく父親がやってくれたのであり、細かなことまで記憶に残っているはずがない。それでも宮本さんは懸命にあの頃の日々を思い出そうとし、言葉に詰まりながらも質問に答えようとした。それは、あの凄惨な被爆の実態を、なんとか国の代理人にも、裁判官にも理解してもらいたい、その一心だったように見えた。反対尋問はさらに喫煙、飲酒など昔の生活習慣のことについてもカルテと申請書との食い違いなどを細かく質問してきた。傍聴席から聞いていると「尋問のための尋問」がなされているようにしか思えなかった。

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(宮本夫妻と担当の小瀧悦子弁護士)

 この日の後半は大阪・西淀病院副院長の穐久(あきひさ)英明医師の証人尋問で、主尋問は弁護団事務局長の愛須勝也弁護士によって行われた。穐久医師は各種論文を引用する形をとりながら、心疾患を含む非がん疾患の低線量域でも放射線の影響が明らかにされていること、被爆によって免疫機能が低下することが証明されてきていること、被爆者には炎症反応がありしかも持続し被ばく線量と関係していること、また、喫煙など生活習慣があった場合でも、そのことが放射線との関係に影響するものではないことなどが証言されていった。さらに、動脈硬化や心・血管疾患の危険因子である高血圧、高脂血症、炎症自体にも放射線被ばくの関与があり、それを介して動脈硬化が促進され心・血管疾患の増加に繋がることが明らかになっていると示された。

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(医師尋問を終えた穐久英明先生)

 宮本さんの安定狭心症は心筋梗塞とは発生機序が異なるというのが国側の主張のようだが、その点も、安定狭心症であろうと不安定狭心症であろう動脈硬化性の虚血心疾患に変わりなく、安定か不安定化で区別する必要はない、と明快な証言だった。国側が絶えず持ち出してくる他原因論(喫煙、飲酒、糖尿病等)について、放射線影響研究所のLSS(寿命調査)やAHS(成人健康調査)も諸々の他原因を織り込んだ上で判断されているのであり、他原因が放射線との関係に影響を及ぼすことはないと報告されていることも説明された。
被爆の程度、生じている健康状態、証言してきた各種の知見を総合的に見て、宮本さんの狭心症の放射線起因性は間違いないと断言され、要医療性の必要性も説かれて主尋問は終わった。

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(反対尋問で厳しい異議を申し立てた尾藤廣喜幹事長)

 反対尋問では安定(労作性)狭心症と不安定狭心症とは機序が異なるとする立場から、そこにこだわった尋問がしきりにされているようだった。途中で、国側代理人から「放射線の関わらないリスクによって狭心症が発症する場合があると思いますか?」という訳か分からない質問がなされて、医療一般について問いただすような尋問になりかけた。原告側代理人席の尾藤廣喜弁護団幹事長から「異議あり!」の声が飛び、裁判長からも「様々なリスクから発症するのは当たり前でしょう。質問を変えるように」と諭される場面もあった。最後には、穐久医師が「放射線の影響を無視した前提でアレコレ質問するのはおかしいのではないですか」と反対に意見されて、国側代理人が「ああそうですか!」と半ば投げ出すような態度になり、反対尋問は打ち切るように終えられた。
 その後陪席裁判官、裁判長からも、狭心症と心筋梗塞との関係、放射線被ばくによって動脈硬化を発症する機序、全身の動脈硬化が脳梗塞にも狭心症にも至ることなどについて質問された。穐久医師の証言をより詳しく理解しようとするような質問態度だった。
報告集会には宮本さん夫妻、穐久医師、小瀧弁護士も参加されてそれぞれ挨拶があり、みなさんからも今日の尋問を労う拍手が送られた。 

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(穐久医師の尋問担当の愛須勝也弁護士)

 愛須弁護士から、宮本さんについては6月30日までに最終準備書面の提出、7月14日が最終弁論、年内に判決言い渡しとなる予定があらためて報告された。

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(新人の喜久山大貴弁護士)

 翌3月15日の第2民事部(西田隆裕裁判長)では、昨年12月27日付で自庁取り消しによって原爆症認定された淡路登美子さんの件を取り上げて意見陳述された。その内容は2月28日の第7民事部で意見陳述されたものとほぼ同じであり、傍聴記№52(2017年3月3日付)で紹介した。淡路さん本人が口頭で意見陳述する予定とも言われていたが結局この日は愛須弁護士が代理人として意見陳述を述べることになった。淡路さんは原爆症認定却下処分の取り消し請求は取り下げることになるが、損害賠償請求は引き続き求めていくことになる。原告としてこれからも頑張っていかれることに変わりない。

 この日の意見陳述を聞いていてもあらためて現行の認定行政の不公正さを強く思わざるを得ない。淡路さんが二度目の認定申請をしたのは平成20年(2008年)9月。平成22年(2010年)7月に再び却下されて、平成25年(2013年)1月に提訴した。淡路さんが却下された時に諦めてもし裁判に訴えていなかったらどうなっていたか。間違いなく却下処分が見直されたりすることはなく、すべてはそこで終わっていたはずだ。裁判に訴えたおかげで、厚生労働省はもう一度係争中の被爆者のカルテなどを調べ、淡路さんのダンピング症候群の状況などを把握し、裁判に勝ち目のないことを判断して自庁取り消しに及んだのだ。裁判に訴えることのできる人は認定を得ることができ、裁判に訴えることのできない人は泣き寝入りするしかない、そうした歪んだ行政の典型ではないか。しかも淡路さんの場合、裁判所という別の視点からの判断によって認定されたのではなく、判決の前に同じ厚生労働省が自ら誤りを認めて却下処分を翻したケースだ。被爆者が提訴できたかできなかったかによってこんな真反対の結果がもたらされる、これほど不公正で酷い話はない。

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(豊島達哉弁護士と原告の淡路登美子さん)

 昨年12月12日に行われた厚生労働大臣との定期協議では2013年12月以降の認定申請者数は4,700人、内認定された人数は3,025人と報告された。したがって却下処分された人数は1,700人ほどにもなるが、2012年以来のノーモア・ヒバクシャ訴訟を見ても提訴できた被爆者は112人でしかない。1割にもはるかに遠い6.5%だ。誰でも裁判できるわけではない事実が如実に示されている。しかも勝訴率は88.6%にも及ぶ。

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(締めの挨拶、藤原精吾弁護士)

 この歪んだ行政の実態を早く多くの国民にも知らせ、政治の場にも訴えて、一日も早くあるべき認定制度を実現していかなければならない。そのためにも闘われているノーモア・ヒバクシャ訴訟の一つひとつを完全に勝利していくことがますます重要だ。

 本稿を書いている最中に肥田舜太郎先生逝去の報が飛び込んできた。肥田先生とは個人的に面識があったわけではないが、いつも近しい人、親しく私たちを見つめていただいている先生、という思いを抱いてきた。被爆者運動や、被爆2世・3世の運動に携わってきた人たちはみんなそうだったのではないか。「被爆者は絶対に癌で死んではいけない(原爆に負けてはいけない)・・・ そのために、徹底して健康に計画的な生活をして免疫力を高め、ガン検診を頻繁に受けて、自ら放射線の影響があり得ることを自覚して、小さいうちに早く見つけて、退治すること・・・」どこかで読んだ先生のこのメッセージを印象深く覚えている。放射線の世代を超えた影響と向き合わざる得ない被爆2世・3世も、この言葉にどれだけ励まされてきたことか。
 肥田先生のご冥福を心からお祈りいたします。

肥田先生
(被爆者のために生涯を捧げられた肥田舜太郞先生
原爆症認定集団訴訟が大勝利を収めたのは、肥田先生の証言の力が大きい。
安らかにお眠り下さい。)

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 5月11日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 5月12日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 6月 3日(土) 14:00 近畿訴訟勝利をめざすつどい 大阪グリーン会館
2017年 6月15日(木) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 結審(原告6人)
2017年 7月14日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 1人結審の予定


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2017.03.22 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top