被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(30)
6月18日、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟全面解決めざして院内集会開催!
近畿訴訟控訴審Aグループは10月29日判決言い渡しが確定!
2015年7月10日(金)
稀代の悪法戦争法案=安保法制関連法案の廃案を訴えて多くの人々が国会を取り巻く中、6月18日、“被爆70年にノ―モア・ヒバクシャ訴訟の全面解決をめざす6・18院内集会”が衆院第一議員会館地下第一会議室で開催された。全国15の都道府県から160人を超える原告、弁護団、支援者のみなさんが参集した。

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11時30分からの事前集会に続いて、本集会は正午から開会。随時参加されてくる国会議員各氏を前に、山本英典全国原告団長の挨拶から始められた。山本団長は全国のノ―モア・ヒバクシャ訴訟はこれまでに115人が提訴、内29人が認定、86人が係争中であること、被爆者の高齢化は深刻で余裕がなくなってきていることなど現況を報告された。続く日本被団協田中
煕巳事務局長は挨拶で、被爆から70年も経ち、問題解決がさらに先延ばしされるようであればこれはもはや人道上の問題だと訴えられた。
ノ―モア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団連絡会団長の藤原精吾弁護士から「ノーモア・ヒバクシャ訴訟の全面的解決に向けて」と題した基調となる提起が行われた。藤原弁護士は、原爆症認定集団訴訟の終結に関する確認書締結以降の確認書に背き続ける認定行政の実態、被爆者は再び提訴して争わなければならなかった経緯、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟となって以降のすべての判決が被爆者の勝訴となっている事実とその根拠、を簡潔に説明されていった。またそれでも厚生労働省は新認定審査基準の機械的な適用に頑なに拘り、国敗訴の場合も控訴して被爆者をさらに苦しめている現実を近畿訴訟の具体的事例など挙げながら明らかにされていった。担当している裁判官も「個別の事件毎に判決していたのではもう間に合わないのではないか、法制度の改正こそ求められる」と述べていることも紹介された。今必要なのは、2013年認定審査新基準の撤回、司法判断をそのまま採り入れた認定行政に変えることであり、それを世論と政治の力で実現していきたい。国会議員のみなさんにも力を発揮して欲しいと訴えられた。最後に被爆医師肥田舜太郎先生の読まれた歌「被爆者の命ますます大事なり、核弄ぶ馬鹿多ければ」を紹介して提起を結ばれた。
次いでノ―モア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団事務局長の中川重徳弁護士から「ノ―モア・ヒバクシャ訴訟全国の動きと今後の課題」が説明された。内容は、①被爆者は今何故ノ―モア・ヒバクシャ訴訟を強いられているのか、その歴史と経緯、②そのノ―モア・ヒバクシャ訴訟の現状、そして③全面解決への道筋、に整理されたもので、出席された国会議員諸氏の正確な理解を促すため、より詳しく、分りやすく解説されていった。
5月20日広島地裁で勝訴判決を受けた原告2人の内の一人内藤淑子さんからも訴えがなされた。内藤さんは70年前広島で黒い雨に襲われた当時の状況に触れつつ、その影響を理解しようとしてこなかった国の態度にもどかしさと強い憤りを感じてきたことを話し、被爆者の原爆症認定を求める闘いは、原爆被害、放射能被害の実態を明らかにし、核廃絶への大きな力なのだと訴えられた。広島で進められているノ―モア・ヒバクシャ訴訟の原告は他に23人となるが、全員が認定されるまで闘い抜くとその決意が示された。

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集会の途中から、出席された各政党、議員の挨拶と決意表明が行われていった。出席政党は、自民党、公明党、民主党、維新の党、日本共産党、社民党で主要政党は一通りとなった。自民党の寺田稔衆議院議員からは、自民党議員30人で構成する「原子爆弾被爆者救済を進める議員連盟」において全員一致で被爆者救済促進決議をあげたことが紹介された。民主党の郡和子衆議院議員からは党内で「被爆者問題議員懇談会」を再スタートさせたとの挨拶だった。ほとんどの党が1人~2人の議員参加だった中で日本共産党だけは小池晃副委員長参議院議員を筆頭に8人もの議員の参加だった。小池議員は、原爆症認定制度の抜本改革はもとより、被爆2世対策の充実化にも、福島原発事故被災者の今後との関係にも言及があり、注目を引いた。党によって発言内容の濃淡、具体性の差異はあったように思うが、いずれもが「超党派で頑張っていきたい」と述べられたのが特徴的だった。また、6月冒頭からとりくまれてきた、原告団、被団協、弁護団による各政党への働きかけ・要請行動の成果がよく反映した政党発言であり、そうしたとりくみの蓄積の上にこの日の院内集会があることを実感することになった。
集会はその後、日本被団協の提言についてあらためて説明がなされ、さらに広島地裁判決についての詳しい報告が広島弁護団の二國則昭弁護士によって行われた。判決は、原爆症の起因性について、黒い雨の影響も考慮に入れる、白内障と低線量被曝との関係も認める、放射線白内障の遅発性発症も認める等、原告側の訴えを採用し、国側の主張を悉く退けたものであった。焦点の一つであった白内障の要医療性についても、点眼薬の医療効果、経過観察の必要性を認める画期的なものであったことが説明された。全国のノ―モア・ヒバクシャ訴訟を勇気づけ、励ます判決だったと思う。
集会の最後に、参加各地からの発言時間が設けられ、若干の質疑応答、感想、意見交換が行われた。院内集会に初めて参加されたという愛媛県の被爆者から「高齢となった被爆者でも一生懸命頑張っておられることを強く感じた。愛媛県でも被爆者全員を救済するために、微力でも力を尽くしていきたい」という感想と決意が披露され、参加者に大きな感銘を与えた。
集会は午後2時散会となった。会場の議員会館を出てみると、国会周辺を取り巻く「戦争法反対」の輪はますます参加者を増やしており、「廃案をめざす」唱和は一層大きくなっていた。
 
 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟高裁Aグループ武田武俊さんの控訴審が7月7日(火)大阪高裁第6民事部(水上敏裁判長)において結審を迎えた。昨年3月20日大阪地裁第7民事部判決で4人の原告全員が勝訴判決を勝ち取り喜びを噛みしめたのも束の間、その内の一人武田武俊さんだけが狙い撃ちされたように国によって控訴された。武田さんは認定証書を手に故郷長崎への帰省まで予定していたのにかなわず、失意の内に6月26日帰らぬ人となられた。裁判はご遺族が承継されたが、そこには、原爆症認定がかなわないまま亡くなられた被爆者、裁判や申請すらできないまま亡くなられた被爆者は数多いだろう、その人たちの無念を晴らすためにも認定制度の抜本的改革を切に願って、という思いが込められていた。
 武田さんの控訴審の第一回弁論は昨年の10月10日、2回目が12月12日、3回目が今年の4月16日、そして結審となるこの日が4回目の弁論だった。決着済みの争点の蒸し返し、繰り返しでしかない意見表明や証人申請、“掟破り”、“時期に遅れた攻撃防御方法”と言われる書証提出等々、徒に裁判を引きのばそうとするだけの国側の策が続けられてきたような月日であった。しかしそれでも、弁護団、原告団、支援ネットの人々の粘り強い、的確で徹底した反論、反撃で今日の日を迎えることができた。
 この日の法廷は弁護団事務局長の愛須勝也弁護士による意見陳述で最後の締めくくりが行われた。7月1日発表された厚生労働省による被爆者の現況報告を見ても全国の被爆者のますますの高齢化進行は明らかであり、原告武田武俊さんもその一人だ。様々な社会的要因に阻まれて長く被爆者健康手帳の交付申請すらできなかった被爆者も少なくない。被爆から70年、証人も記憶も乏しくなる中で混乱や思い込みがあるとしてもそれはやむを得ないことで、そうした状況を十分に考慮して原判決は正しい事実認定をしてきた。また国が主張する被爆者個人ごとの被曝線量定量評価などできるわけがないのであり、これまでの一連の司法判断で集積されてきたように、被爆状況、被爆後の行動、急性症状の有無・程度、被爆後の健康状態などを総合的に考慮して判断しなければならないことは明白だ。高齢化した被爆者の救済をうたう被爆者援護法の趣旨にそって、速やかな救済が図られなければならない。控訴人の控訴は棄却されるべきである、と訴えて意見陳述は終えられた。
 裁判長が弁論終結を宣言し、判決を10月29日(木)午後2時から言い渡すと示してこの日の法廷は終了した。
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 大阪弁護士会館での報告集会では、武田さんの判決が10月29日となったことについて、実はこの日は東京地裁の第一陣判決(17人の原告)と同じ日であることに注目が集まった。東京と大阪とで全国的にも注目される重要な日となる。国による控訴は、国側として逆転判決の見通しをもって行なわれてきたことであり、その目論見を打ち破ることの意味は大変大きいことをあらためて確認した。
最後にいつものように藤原精吾弁護団長から以下のようなまとめが行われて報告集会を終了した。武田さんの控訴審判決が10月29日と決まって、いよいよ緊張感をもってのぞんでいきたい。さらに地裁でも高裁でも18人の原告の裁判を行なっており、この夏も気の抜けない状況が続く。厚生労働省の態度は依然としてひどいもので被爆者に対して、世界の世論に対しても真っ向から対立している。安倍政権の政治と同じだ。しかしこうした強がりはいつまでも続くわけがないと確信している。今年の原水禁世界大会は被爆70年の年の開催であって世界的にも注目される。私たちも節目のとりくみにしていきたいと思う。まだ未確定ながら長崎の世界大会ではノ―モア・ヒバクシャ訴訟の報告も予定されている。これを機会に、国内でも世界的にも事態を大きく揺り動かすような運動にしていこう。
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2015.07.11 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (2) トラックバック (0) l top