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 科学の名で、科学を傷つけてはいけない

-「原子爆弾による放射線被曝と健康影響に関する意見書」について

2014年9月1日

わたり病院(福島市)

医師 齋藤 紀


1.はじめに

 国は、2014年5月21日付けで、「原子爆弾による放射線被曝と健康影響に関する意見書」を提出してきた(以下、「意見書」)。「意見書」は、1.はじめに、2.確立した科学的知見を得るプロセスについて、3.放射線による健康影響について、4.原爆放射線による被曝と線量について、5.新しい審査の方針について、6.結語、の章立てで構成されている。

「意見書」は、原爆裁判の判決批判が最大の眼目であるにも関わらず、司法判断がいかになされたのか、深く掘り下げた論述はない。以下、「意見書」の章立てに対応して項目をたて、その見解を批判する。

2.「意見書」目的に対する概括的批判
(1)「意見書」の目的 

「意見書」の1は「はじめに」とされ、その内容をみると「意見書」提出の目的が端的に明記されている。 

「(原爆症認定訴訟の判決には)国際的に広く認められた科学的知見から、大きく逸脱した判断もみられている」とし、そのようになれば、「放射線に関する誤った認識が国民の間に浸透し、放射線防護の在り方や、医療現場での放射線の利用をはじめ、様々な分野に影響が及ぶおそれが大きい」とまず指摘する。そして「意見書」は、第一に「放射線による健康影響に関する国民的な関心は高(い)」という状況を踏まえ、国民に対する「正確な情報の提供」と「適切な対策の実施」という観点、第二に「国際的な連携」の下にあるわが国の放射線防護等の施策が「国際的な理解」を得るという観点から「現在の科学的知見の要点、原子爆弾による放射線被曝と健康影響に関する適切な判断のために留意すべき点等について」示したとしている。

後続の論旨とも二重三重にかかわっているので、少し丁寧に受け止めて、論旨を形成するキーとなる言葉をもとに私の考えを述べる。 

(2)「健康影響に関する国民的な関心」 

(ア)私は広島在住の期間(30年間)原爆被爆者の診療と相談に長くかかわってきたことから、個別原爆訴訟である小西訴訟(1987-2000)に意見書提出、東訴訟(1995-2005)に意見書提出及び証言、及び、原爆集団訴訟において、意見書提出、及び証言(2005、広島地裁)、(2008、東京高裁)と応じてきた。そこで原爆被害の実相と被爆者後障害研究の到達について詳しく述べてきた。

その後、2009年福島市に転居したが、2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故に遭遇した。「意見書」が述べる「放射線による健康影響に関する国民的な関心」とは、まぎれもなくこの「福島第一原発事故」が惹起したものであり、まずもって原発被災者の健康影響に対する高い関心と言えよう。

日々報道される汚染水問題とも絡み住民の放射線に対する不安は消えず、当初より少し落ち着きを取り戻した現在においても、診療のなかでの相談、あるいは住民の求めに応じての講演、地元医師への研修などで私に閑日はまだない。 

(イ)私は、どの相談、どの講演においても、住民が放射線被ばくに関して冷静な判断をされるよう、それに資する努力をしてきている。他方、住民に対する私自身の考えを内側から支えているのは、原爆被爆者(患者)との長年月の対話、原爆被ばくに関する広範囲の後障害研究、被爆者援護施策の活用の実際、それらに加えて、原爆裁判(認定申請却下処分取消訴訟)における被爆者救済の司法の論理である。この司法の論理は自然科学(医学)が果たせないまま残してきた被爆者救済の致命的な遅れを補完し、あるいは正してきたものである。

福島第一原発事故による被災者と3年を超える交流を経て理解できたことは、住民との対話、医学的知見の伝達、復興施策の促進、そして司法による救済の手立て、どれを欠いても不完全となる包括的な視点の重要性であった。 

(ウ)3年半の状況を振り返って言えば、被爆者の救済を命じた諸判決が原因となって、「放射線に関する誤った認識が国民の間に浸透し、放射線防護の在り方や、医療現場での放射線の利用をはじめ、様々な分野に影響が及ぶおそれが大きい」との状況は、現在、福島県民、被災者住民のあいだでは生じていない。

原爆裁判のほとんどすべての判決、あるいはその「要旨」を読み続けてきた私においては、被爆者救済の司法判断(判決)そのものが、国民や被災者住民を誤った認識で不幸にし、不安に落とすという結論は導き出せない。被告国の意図が別にあるなら論外であるが、判決が放射線治療やCT検査などの活用において悪影響が及ぶというならば、国民(患者)に診断と治療の便益性を冷静に伝えるとともに、被爆者が歩んできた道、被爆者援護の実情、裁判に至った背景、司法判断の意義等を正しく伝えることこそが大切といえよう。 

(3)「国際的に広く認められた科学的知見から、大きく逸脱した判断」 

(ア)「意見書」の見解を待つまでもなく、国は原爆裁判の長い過程のなかで、このような「国際的に認められた科学的知見」の主張をもって原告批判をすることは珍しいことではなかった。もっとも典型的な例は遠距離被爆者にみられた脱毛を、「国際的に認められた知見」「(脱毛)しきい値3グレイ論」をもって、放射線被ばくと無縁とすることであった。原爆被爆者の実態(『原子爆弾災害調査報告集』日本学術会議、全2巻、1953年発刊)と乖離していても、その主張を今日に至るもやめない。すでに最高裁は被告主張を採用せず、原告勝訴の判決を下している(平成12年、松谷訴訟)。

「放射線による健康影響に関して、国際的に認められた科学的知見」が原爆裁判の過程で持ち出されてくる場合は特別な意味を帯びている。原爆被爆者の被害の実情に寄り添い、それを真摯に理解しようするためでなく、それとは逆の場合であった。 

(イ)長きにわたった個別原爆裁判、及び、集団的原爆裁判(原爆集団訴訟)のいずれにおいても、法廷に国側「専門家」が証人にたち、いわば国の主張を支える科学者がすでに自らの見解を述べてきた歴史がある。国側「専門家」証人は反対尋問にも応答し、裁判官はそれを聞き取り、提出された「専門家」意見書も判断の資料として受けとめ、そのうえで各地裁、各高裁、そして最高裁に至るまで、被爆者救済の司法判断が下されてきたのである。

裁判官は「専門家」が述べた科学的知見を誤解し、あるいは曲解したというのだろうか。そうではない。裁判官は弁論を傾聴し、そこに司法のもつ司法独自の判断を立てたのである。科学が実験方法の吟味、実験結果の蓄積で真理に到達するように、司法においても年余に及ぶ判決の吟味と蓄積によって、被爆者救済の司法判断が全体として構築されてきたのである。視点をかえて言えば、最終的には行政に対置する三権分立の理念が貫かれてきたのである。行政(国)にとって不都合な判決であったとしても、それが被爆者援護の発展と改善を促し、遅きに失してきたとはいえ辛酸をなめた被爆者の人権回復と慰撫と鎮魂につながってきたのである。 

(ウ)「科学的知見」が原告被爆者の陳述をどのように批判し、それを踏まえて司法判断はどのように示されたのか、もっとも重要な点を深く掘り下げることをせず、判決は科学から逸脱していると批判する態様は、科学は司法の独自の役割を許さないとするものである。

科学はその本来の不完全性も含めて、例外なく誰にでも開かれ、誰にでも役立てられる。科学本来の普遍的貢献性とも言うべきものである。司法独自の役割について、それを許さないというならば、その専横は科学の名をもって、科学自らを傷つけ貶めることに等しい。 

(4)「国際的な理解」 

(ア)意見書に記述されている当該文章はこうである。「科学的に適切な対応をとることは、国際的な連携の下で進められている放射線防護等に関する我が国の施策等に対する国際的な理解を得る上でも重要である」。

「放射線防護等に関する我が国の施策」とは、例えば、一般公衆の被ばくは、年間1mSv以下に厳しく規制されていること、あるいは、原発労働者は年間20mSv以下(5年間100mSv以下)に規制されていること、等を指しているものである。「意見書」は、これまでの被爆者救済の判決は「科学的に適切な対応」ではなく、放射線から身を守るという「放射線防護等の・・・我が国の施策」に抵触し、かつ「国際的な理解」が得られないと言う。驚きである。

国は法廷で、これまで一度も「これまでの判決は放射線防護の施策に抵触し、国際的理解を得られない。原告勝訴の判決は下すべきではない」と主張したことはなかった。原子力産業をかかえる我が国では、放射線防護の施策は、労働管理上、労働衛生上、重要な行政問題と言えるが、国は法廷で「意見書」が言うような論旨を組み立てたことはなかった。なぜだろうか。「放射線防護の施策」に抵触するという見解が十分な説得性と合理性をもって構築できないからである。 

(イ)放射線防護における追加被ばく線量「一般公衆・年間1mSv」の規制は、今般の原発事故避難者に則して言えば、次のように敷衍されている。避難者が帰還する生活環境は、最終的に「年間1mSv」の低線量環境として打ち出され、それをゴールとして、どの土地に、どれほどの時間をおいて帰還できるのか、避難者の模索が続いている。地元自治体も国も同様である。被災者、避難者にとっては、一度失ったものは、もとに戻らない部分があるかもしれない。しかし時を刻んで可能になる部分があるとも考える。だから堪えて、努力している。

他方、原爆被爆を受けた広島市民、長崎市民も、国民一般と同等の「一般公衆」であり、同等にリスクの回避を求めている。しかし放射線防護の線量「年間」規制、そのような「年間」という基準の枠外、いわば論外の被ばくをうけたのが原爆被爆者であった。さらに被爆者において、もはや「どれほどの時間」を堪えても、線量の低減化ということで自分のリスクを回避することはできない。国民の多くが理解できることである。

放射線の過剰被ばく者(被爆者)を救済する判決が、放射線の過剰被ばくを回避させる施策にとって迷惑だという。もしそのような見解であるとすれば「わが国の放射線防護の施策」とは、それによって原発労働者や国民を真に守るためのものかどうか、疑われてしまうだろう。(「意見書」の3で、1ミリシーベルトの問題が再度言及されているので後述する)。 

(ウ)放射線の人体障害に関する基本的知見を被爆者は提供してきた。現在も提供している(後述)。これらの知見は放射線防護学の確立に役立ってきたものである。「放射線防護等に関する我が国の施策に対する国際的な理解」と言うならば、第一に、「国際的な理解」は被爆者が歩んできた歴史にこそ注がれなければならない。第二に、原爆被爆者の救済はわが国の戦後政治の重要な歴史的使命のひとつである。被爆者援護法の立法趣旨はその根幹に立とうとするものであり、我が国の司法が司法独自の役割を果たそうとする意義も、その根幹に依拠するからである。「国際的な理解」はこの根幹にも注がれなければならない。 

(5)小括 

「意見書」は、被爆者救済の判決は科学的知見から逸脱し、そのことは他に累を及ぼす(「様々な分野に影響が及ぶおそれ」)とし、裁判所にこれまでの原告勝訴判決の変更を求め、ひいては原告被爆者に裁判からの撤退を求めている。しかし他に累を及ぼす実態などはなく、原爆裁判の意義を国民に広く伝えることこそ国の役割といえよう。

司法判断を科学からの逸脱として批判する姿は、やはり異様である。科学の名で科学自身を傷つけるに等しい、と指摘する所以である。 

2.東京高裁判決(平成21年5月28日) 

「意見書」の2は、「意見書」の1とも連動し、一つの科学的見解が定説(コンセンサス)となる過程について説明している。具体的には「因果関係の5要件」について述べているものである。前述した内容と重なるが、言及する。 

(1)因果関係の5要件 

「意見書」は、疫学研究には「誤差(バイアス)」があり、「偶然の変動」を完全には排除できないので、「一つの研究で放射線被曝と疾患の発生率・死亡率との間に関連が認められたとしても、それだけで因果関係が立証されたことにはならない」と述べ、「バイアスによるものである可能性」や「偶然の変動・・の可能性」を十分検証する必要があり、そのためには「他の研究」や「動物実験」でも裏付ける必要があると述べている。

疫学調査においてふたつの変数項目の間に相関関係が得られた場合に、それらが相互に原因と結果という因果関係性を真に有しているのかどうかについて留意するのは当然のことである。因果関係の5つの要件(関連の時間性、関連の強因性、関連の一致性、関連の特異性、関連の整合性)として知られていることである。 

(2)法廷での主張 

しかしこの「5要件」の主張もまた、「意見書」の説明を待つまでもなく、原爆裁判では幾度となく国の準備書面で述べられてきたものである。しかしそのつど、原告側書面ではその要件にかかわる論点部分が具体的に取り上げられ、いかに不合理かが指摘され、批判が正鵠を射ていないことが述べられてきた。

国がこの論を述べるのは、被爆者の晩発性疾病リスクを極めて限定的に捉えることを主張する場合であり、また、被爆者の急性症状をどう考えても原爆被ばくと切り離せないものと理解されるときでも、感染症によるもの、ストレスによるものと、主張する場合であったからである。

しかしいずれの裁判でも、国の主張に沿って資料(論文)の扱いが歪められたことはない。判決は全資料を検討し下されてきたのである。 

(3)東京高裁判決(平成21年5月28日)の説示 

原爆集団訴訟のほぼ終息の時期にあたる平成21年(2009年)5月28日、東京高裁の判決が示されたが、判決は、提出された科学論文、科学的知見の扱いについて、以下のように説示している。

東京高裁判決は放射性起因性の判断に関して、「① 最高裁平成12年判決(松谷訴訟)の示す基準に従うこと,② 法律判断の前提としての科学的知見については,放影研の疫学調査を中心に検討するが、対立する科学的知見がある場合には、厳密な学問的な意味における真偽の見極めではなく、一定水準にある学問成果として是認されたものは、そのあるがままの学的状態で判断の前提とすること、③ 放射線起因性は、法律判断であって、確立した不動の科学的知見に反することはできないが、対立する科学的知見がある場合には、それを前提として、経験則に照らし、全証拠を総合して判断をすること、④ 被爆者援護法の国家補償的性格及び被爆者の高齢化に留意すること、以上の4点が必要である。」としている。

国はこの東京高裁の判決を控訴せずに受け入れたのである。その後、国は認定基準の再度の改訂を進めたのである。いわば従前の「科学的知見」の扱いを変更したのである。 

(4)小括 

放射線起因性の議論は、原爆被害の実相と医学や疫学の知見をめぐって行われてきた。東京高裁はその状況に注目し、あえて司法判断における「科学的知見」の扱いを判示したのである。東京高裁のこのような判断が、「科学的知見からの逸脱」でないことは文意から明らかと言えよう。 

3.放射線による健康影響 

「意見書」の3は、内容的には三つのことが述べられているが、全体として論旨のつながりが不明である。個々について見解を述べる。 

(1)「広く合意された知見」 

「意見書」は前述の「因果関係の5要件」を「国際機関や学会等で広く合意された知見に依拠することが重要」と観点をシフトさせ、具体的には、続いて述べられる「国連科学委員会(UNSCEAR、アンスケア)、「IAEA」、「ICRP」から示される知見が「重視され」、あるいは「尊重される」よう求めている。それぞれの国際機関はそれとしての役割を持っており、従ってそこから示される見解や勧告が、ひとつの目安となって尊重されることは当然であろう。問題は既述したように、国によって法廷の場で示される「広く合意された(科学的)知見」が、どのような不合理を強いてきたかである。判決はその不合理を採用しなかったのである。 

(2)「より高い安全性をもとめた目安」 

(ア)「意見書」は、ICRPが一般人の追加被ばく線量限度を1mSvとしていることにふれ、「より高い安全性を求めるための目安であり」、「1ミリシーベルトを超えると危険、あるいは身体的影響が現れると解釈するべきでない」と述べている。この論旨を原発被災者が普通に受け止めれば、「1ミリシーベルトを超え」れば「より高い安全性」が損なわれたと理解せざるを得ない。被災者、とくに子をもつ母親の不安を責めることはできない。現場に即していえば、「解釈するべきでない」と述べる人間が、被災者の心理や心情をまったく考慮せず、不安や不信に寄り添おうとせずに語られるとき、この「解釈するべきではない」に至る文脈は、被災者のこころに届かない、こころの葛藤を解決しない。

もし被災者の葛藤を被爆者救済の判決のせいにするならば本末転倒である。被災者が持ち続けている放射線被ばくに対する不安や不信は、被爆者が救済された判決によってもたらされるのではなく、原発事故は絶対おきない、放射能汚染は生じない、と言われつづけてきて、その果てに放射能汚染をうけたという事実から、もたらされているからである。「絶対の安全性」というかつての国と東電の見解が、まだ正されていないかのような現状において、被災者の不安を責めることはできない。 

(イ)「意見書」が述べるようにICRPの放射線防護の「年間」の線量規制は「経済的・社会的要因を考慮にいれて、合理的に達成可能な限り低くする」としている。簡単に言えば線量低減の基準(たとえば帰還の線量基準)を下げ過ぎた場合、避難者の帰還が長期にわたり不可能となり、帰還を前提とした社会的経済的活動が始動できないこととなる。そのようなことを回避するために、社会的経済的活動が始動できる合理的な基準線量を探ることを指している。しかし「社会的経済的要因」自体が単純ではなく、今般の原発事故について述べれば、家族が一緒になった生活の再建、地域に支えられた教育の保障、保健医療の整備、将来設計の展望など、また農業者や漁業者においては生業の回復が十分に見込まれるかどうかなどとなる。実際は、事故が未だ収束していない現実、被災地の医療体制が壊れている状況、離散した家族の再結合が見えない実情などを前にした時、線量と帰還との最適バランス論は被災の現実と必ずしもかみ合っていないのである。

 避難者や被災地住民と、事故をおこした企業、その背景にある国との間に信頼関係が構築できてないことも見通しを妨げる原因となっている。「合理的に達成可能な限り低くする」等のICRP放射線防護の基準の適用に、なにか現実的な困難があるとすれば、それは福島第一原発事故後の3年半の経過のなかから生じているものであり、被爆者救済の判決に起因するものとは言えない。自明のことである。 

(3)確率的影響 

(ア)「意見書」は、放射線の影響の確定的影響と確率的影響にふれ、具体的に「心筋梗塞などの非がん疾患にしきい値がない」とした判決事例を放射線生物学の一般的知見や放射線防護の国際的合意に沿ったものとは言えないと、批判している。この批判はさらに「心血管疾患」の発症は「(UNSCEAR2006年報告書では)1~2グレイ未満では一貫した科学的知見が得られていないとされ」「非がん疾患について、0.5シーベルト未満ではいかなる過剰リスクの証拠もほとんど見出されなかった」と強調している。

放射線影響研究所の研究では、原爆被爆者にみる脳卒中、心筋梗塞、高血圧など、心臓血管系疾患の被ばくとリスク増加の関係は、かなり早期から報告され、その後も研究が続けられている。身体全体に受けた被ばくが多面的に心臓に影響を与えることを理解し、また心臓に生じた個々片々の病態も心臓全体としてまとめて理解し、疾患分類上「心疾患(heart disease)」という大項目で死亡率を見た場合、疾患リスクと被ばく線量との間に、強い相関性が見られることが確認されている(Shimizu,20101) 

(イ)心臓に生じた病態を個々の小項目的疾患名で認識することは疾病を治療してゆく場合に必要なことである。他方、病態を心臓疾患全体として統合的に理解することは、放射線被ばくの影響を適正に検出しようとする場合、とくに有意義である。小項目に細分化した疾患名では個々の事例数が時に過小となり、線量とリスクの相関性は有意性なしとされる。また医学の進歩も考慮される必要がある。現在の医療では冠動脈の完全閉塞(広範囲、重度の心筋壊死)を未然に防止し、部分的な心筋壊死や虚血状態に押しとどめてしまうため、被ばくの影響は心筋梗塞の死亡率リスクに直接は反映しない。しかし心筋の再生や心機能の十全の回復はできず、被ばくと関連している高血圧などとも相互に連動し、かつて心筋梗塞に至らしめた病態は、心不全や高血圧性心疾患の死亡率増加に反映することになる。このような場合、「心疾患」という大項目で事例数を集約することで初めて、被ばくの有意の影響を見出すことが可能となる。Shimizuらは、心疾患リスクと被ばく線量との関係は線形性(原点から右肩上がりの直線関係)であること、疫学的有意性は高いことを述べている(P<0.001)。それまで1グレイ以下では心疾患や脳卒中への影響が不明であったが、それが0.5グレイの低線量域で有意のリスクが確認されたのである。0.5グレイ以下では有意性が得られていないことも述べられているが、しきい値の解析ではしきい値ゼロ(しきい値なし)と示されている。 

(ウ)このような解析のもとで理解される放射線被ばくと心疾患リスクとの関連性を、一定のしきい値を想定する「確定的影響」とはよばない。単一細胞の遺伝子変異を第一義的起因として発症するがんなどは放射線被ばくによる確率的影響と呼ぶが、非がん疾患でも、多種の細胞と組織(血管、筋肉、等々)で構成される臓器(心臓)の機能低下が晩発性に生じてくる場合、しきい値を有する確定的影響となるかどうかはアプリオリにはいえない。なぜなら心臓疾患という統合的機能低下は単一細胞の遺伝子変異の結果ではないが、心臓を構成する多様な細胞群、および、心臓に影響を与える全身を循環する様々な細胞(群)、因子(群)を通じて、被ばくによる多面的な影響を受けているとみられるからである。それゆえ心疾患と被ばくとの間にみられた線形の相関性を、非がん疾患だからとして否定する必要はない。また否定できるものでもない。

例えば非がん疾患である放射線白内障の発症は、従来は水晶体被ばく線量1.75グレイにしきい値を有する典型的な確定的影響(水晶体上皮細胞の細胞傷害)とされていたが、今日では、しきい値は無いか、極めて低値と考えられている。そこには水晶体上皮細胞の遺伝子変異や全身的、多面的な被ばくの影響が想定されている。すでに原爆集団訴訟で指摘されてきたことである。 

Shimizuらの上記の研究における心疾患も、しきい値はないとされている。くりかえせば非がん疾患だからと言って、しきい値を想定する確定的影響とする理解は、研究の実態を踏まえれば成り立たない。 

(エ)「意見書」は、UNSCEAR2006年報告が「心血管疾患の発症について、1~2グレイ未満では一貫した科学的知見が得られていないとされ」と紹介しているが、この記述は当該個所に正しく言及するという観点では不正確である。UNSCEAR2006年報告書の当該箇所は、(2006年附属文書B:129)「To date , the evidence for an association between fatal cardiovascular disease and radiation doses in the range of less than 1-2 Gy comes only from the analysis of the data on the survivors of the atomic bombings in Japan. Other studies have provided no clear or consistent evidence of a fatal cardiovascular disease risk at radiation doses of less than 1-2 Gy.」と記述されている(下線-齋藤、以下も同じ)。邦訳すれば、「現在まで、12 グレイ未満における致死的心血管疾患と線量の関連性の証拠は原爆被爆者のみから得られており、他の研究では12グレイ未満では明確で一貫した知見が得られていない」となる。同附属文書B:130ではがんと循環器疾患以外の疾患の場合についても、まったく同様のことが述べられ、被爆者の研究では12グレイ未満で線量とリスクの関連性が得られているが、他の研究では得られていないとされている。つまり一貫した科学的知見が得られていないのは被爆者の研究以外であることが指摘されている。なぜそうなのかについても、次のように示唆している。(同附属文書B:132)「(Further studies of other irradiated populations are needed. A clear conclusion derived from this epidemiological review is that , apart from the studies of the survivors of the atomic bombings in Japan,there is a lack of data , in terms of both quality and quantity , on non-cancer disease risk.」と記述され、邦訳すれば、「(他の(被爆者以外の-齋藤)被ばく集団における更なる研究が必要である。)本疫学レビューが明らかに示したことは、被爆者の研究を別とすれば、非がん疾患についての疫学的データ、その量と質が欠けているということである」となる。つまりUNSCEAR2006年報告が示していることは、原爆被爆者の疫学調査の不確実性や、信用のなさではなく、他の研究の疫学的精度(量と質)の不十分さなのである。

UNSCEAR2010年報告書でも重要な視点が示されている。原爆被爆者の研究を念頭において、非がん疾患において、12グレイ未満の線量、さらに場合によってはより低い線量の場合でもリスク増加を示す疫学調査が最近報告されていると述べられている。(UNSCEAR2010報告書、C,放射線関連非がん疾患:43)「There is emerging evidence from recent epidemiological studies indicating elevated risks of non-cancer disease below doses of 1 to 2 Gy , and in some cases much lower . However , the associated mechanisms are still unclear and the estimation of risks at low doses remains problematic.」。発生機序の解明がまだ十分とは言えないことから、低線量域のリスク評価には課題が残るとしているが、UNSCEAR報告書は2006年、および2010年はいずれも、原爆被爆者の調査研究の意義を適切に伝えているものである。

UNSCEAR報告書からの引用はその本旨を損なうことなく、正確になされなければならない。 

 (4)小括 

「意見書」がShimizuらの報告を知っているとするならば、放射線防護の観点からは、被爆者心疾患と線量との相関性はしきい値を想定する確定的影響とはいえないこと(線形性の有意の反応をふまえれば、確率論的な疫学事象と理解しなければならないこと)、またしきい値なしとの理解からは、0.5グレイ以下での影響を否定することはできないこと、この二つのことこそ留意しなければならないものである。 

4.残留放射線 

「意見書」の4は残留放射線の問題について述べている。「意見書」内容を簡潔に言えば「残留放射線は、仮にあったとしても、健康影響を生じる量と比較して十分に小さい」、また「DS02の標準誤差(±30%)のなかに、全体とてしての残留放射線も含まれている」とし、DS02による線量評価で問題はないとしている。 

(1)「健康影響を生じる量と比較して十分に小さい」 

残留放射線の問題はこれまで長く争点となってきたものであるが、例えば入市被爆者の幾多の脱毛の記録から「十分に小さい」とは言えないことが示されている。最高裁は、遠距離被爆者高度脱毛の証言、日米合同調査団記録などの証拠を精査したうえで、「意見書」の見解と異なる事実認定をしている(平成12年、松谷訴訟)。早期入市者の染色体異常率の研究、早期入市者の白血病発症の研究なども残留放射線の影響性を支持するものとなっている。『広島原爆戦災誌』(広島市、昭和46年発刊)に収められた救護軍人の脱毛、白血球減少、出血などの症状も初期放射線では説明できない。原爆集団訴訟を通じて繰り返し指摘されてきたことである。

広島大学原爆放射線医学研究所から示された直近の疫学研究では、(広島市)西方向に被爆者の死亡率増加が偏って認められることが指摘され、市内西方向に強く降雨した「黒い雨」(残留放射線)の影響が考察されている(Tondaら、20122)。また放射線影響研究所から示された直近の研究では、初期放射線がほぼゼロとなる遠距離(3km以遠)被爆者で、過去に放射線治療歴のない49人から提供された臼歯で線量計測が行われている(Y.Hiraiら、20113)。試料(臼歯)提供者の被爆地点が広島市の南から東に偏在していることや試料数の過小さもあり、方向(西方向)と被ばく線量との関連は認められていないが、6試料(6事例)で300mGy(ミリグレイ)以上の線量が計測されている。Hiraiらは高線量(1グレイ)の残留放射線の存在を示唆する見解に対しては、臼歯の線量計測値からは、その主張は支持されないとしている。しかし逆に、今回、医療検査被ばく(CT検査など)からは説明できない線量値が遠距離被爆者の一定数に見られたことは、被爆後の行動が不明でその由来を厳密には特定できないとしても、残留放射線被ばくの影響を示唆するものといえる。

『原爆の医学的影響』(米国陸軍病理学研究所、全6巻、1951年発刊)に収載されていた医学生の8月9日入市被ばく(広島、0.3km)の事例は入市経路と行動が明瞭なものであり、高熱、頭痛、唾液腺痛、喉頭壊死、歯齦出血化膿、注射部位化膿、全身点状出血など亜致死的な急性症状が記録されたものである。急性症状から推計できる被ばく線量はWaldIAEA)の研究を参考にすれば、2グレイ(2000mSv)を超えるものであった(齋藤ら、2012年)4)

いずれにしても、「意見書」が言うところの「仮にあったとしても、健康影響を生じる量と比較して十分に小さい」とは異なる実態があることを示している。 

(2)「DS02の標準誤差(±30%)のなかに全体としての残留放射線も含まれている」 

「意見書」の言う「DS02の標準誤差(±30%)のなかに、全体としての残留放射線も含まれている」とは、残留放射線問題に関し、何も言っていないに等しい。そもそもDS02が建造物の多様な核種の外部被ばく、放射性降下物(降雨や塵埃)の皮膚外部被ばく、吸入による内部被ばくなど「全体としての残留放射線」の線量評価を、含んでいないことは公知のことである。

簡単に言えばDS02によって初期放射線被ばく量を推計する場合、その線量評価に±30%の不確実性がともなうことを述べているものであり、それだけのことである。初期放射線がゼログレイと考えられる地点(遠距離)の+30%(0グレイ×1.3)はやはりゼログレイであり、DS02では多様な被ばくとなる遠距離被爆者や入市被爆者の線量を評価はできないことを意味している。逆に遠距離で300mGy以上の被ばくの可能性や、入市者の亜致死的事例が記録されているなら、なおさらである。 

(3)「下痢、脱毛、皮下出血」 

「意見書」は、被爆直後の調査による「下痢、脱毛、皮下出血」をもとに「高い線量があったと推論した裁判例」を「他原因についての検討」(がなされていない)、「被曝に特異的でないこうした症状」(である)、「線量の推定も行わずに」、「科学的に誤った手法」として批判している。

被爆直後の調査とは既述したように『原子爆弾傷害調査報告集』(日本学術会議、全2巻、1953年発刊)に示された急性放射線症状に関することである。国のいう「他原因論」は、これまでの法廷で幾度となく示されてきたいわば国定番の主張である。ひとつの感懐を述べたい。国の主張を維持するために国側「専門家」の意見書が提出されることがあるが、「専門家」は既述の諸資料をまったく見ていないと思えることである。また私の疑問や理を尽くした説明(批判)に対して全く反論をしてこないことである。「他原因論」が合理的でなく、成り立ちづらいことを理解しているからである。

「意見書」がいう「線量の推定も行わずに」の批判も残念ながらうけることはできない。当時の調査団は個々の被災者について当然被ばく線量不明のまま、距離と急性症状の有無を記録し続けたのである。どこまでの距離が「3グレイ線量」で、どこの地点から初期放射線ゼロとなるのか不明のまま記録したのである。そして脱毛においては爆心地から約3km付近まで、距離に比例して逓減する発症率を見出したのである。1km付近の距離ならば被ばくの影響と考え、2km以遠なら他の原因(ストレス)と考えなければならないというような、心理的バイアスは調査団にも被爆者にもなかったのである。被爆直後の第一次資料の意義のひとつがここにあるのである。

「専門家」意見書が『原子爆弾傷害調査報告集』の諸資料を深く掘り下げて考察すれば、「他の原因での検討」「被曝に特異的でない症状」「線量推定なし」「科学的でない」等の見解は到底導かれようがない。 

(4)小括 

「意見書」は「原爆投下当時の被曝線量についての不明な点はあるといっても一部であり」、従って、「従来の線量評価に大きな影響を与えるものではなく」、裁判官は「一般的な科学的知見と整合する、合理的な評価をするべきである」と述べている。

たしかに初期放射線(DS02)の線量評価には大きな影響は与えない。問題は、国から残留放射線は無視できる、原告被爆者は被ばくしていない、と断定された被爆者の問題なのである。縷々述べてきたように、残留放射線の問題はその障害性が少なからず示されてきた。だからこそ国内外の研究者がその障害性の機序を追究しつづけているのである。近年においても、残留放射線に関する国際的ワークショップ等が開催されている所以である(2012年7月、カリフォルニア州サクラメント)5) 

5.被爆者救済判決と「国民の誤解」 

「意見書」は、その1「はじめに」で「意見書」提示の目的について述べ、その5において再び「意見書」提示の目的に戻ってきて、「科学的に影響が認められるより広い範囲で放射線起因性を認めること」は、「国民に誤解をもたらす」と裁判官に警告している。

私は、「意見書」の目的に関してその問題点を詳論し、「科学的知見」の扱いについては東京高裁判決を示し、心疾患への放射線影響は確率論的な疫学事象であり、低線量域の影響を無視できないことに言及し、残留放射線の障害性についても国内外の研究者がなお関心を寄せていることを述べた。原告被爆者の勝訴判決は以上のような土台の上に判断されてきているのである。

「意見書」が懸念する「国民にもたらす誤解」は、原爆裁判がどのような歴史的背景をもち、弁論がどのように続けられてきたのか、その全体像を国民に伝えることで解決できるのである。国こそ、その努力をしなければならない。 

6.さいごに 

「意見書」結語は、「現在の一般的な科学的知見」を超えて司法判断がなされる場合、誤った認識が国民に浸透することを、あらためて述べ、裁判所に原告勝訴の判決を下さないよう再度、求めている。 

結語は原爆被爆者に対しても、次のように述べる。 

「原子爆弾は、幾多の尊い生命を奪っただけでなく、被爆者に大きな健康被害をもたらしたものであり、被爆者への援護を推進することの意義については十分理解できる。」 

そして、次のように続ける。 

「原爆症認定は、被爆者援護法に基づいて個人が罹患した疾病が放射線に起因し、医療を要することを認定するものであり、原爆症に認定されなかったとしても、原爆の悲惨な被害に遭遇したことや、それに伴う苦悩や苦痛は否定されるものではない。」 

認定申請却下処分取消訴訟(原爆訴訟)は、1965年からはじまり、約50年間にわたり続けられている。1970年代、2km以内被爆者であっても、多くのがん疾患が認定されなかった。被爆者が物故し死亡数が増加することで、低線量域での疫学的知見が明確になってきた。しかし認定者は存命被爆者の1%を超えることは少なく、原爆集団訴訟を経るまで、行政側の強い意思が認定を拒んできたのである。

被爆者の死亡の増大によって低線量域のリスクの解明が進んできたということは、逆説的にいえば「現在の一般的な科学的知見」とは、全被爆者がなくなるまでは「被ばくの影響」の認識を「真の被ばくの影響」以下に抑制する役割を、時に担ってしまうことを意味している。被ばくの心疾患に対する影響が長く1グレイ以上と認識されてきたことのごとくである(既述)。科学本来の限界がここにあるが、もっと正しくいえば、この限界は行政の意思によって、増幅させられて来たことである。被爆者はこの半世紀の間、「現在の一般的な科学的知見」と「行政」の双方が、認定の抑制に働いてきたことを見てきたのである。

松谷訴訟最高裁判決はじめ、小西訴訟大阪高裁判決、東訴訟東京高裁判決、そして、「科学的知見の扱い」を判示した原爆集団訴訟東京高裁判決などは、「現在の一般的な科学的知見」に基づくとされる認定行政の実態を踏まえたうえで、被爆者救済の拡大を促してきたのである。私が司法の独自の役割と述べているものである。 

原告の圧倒的多くは人生の最晩年に立っている。先の原爆集団訴訟306人の提訴においては、約2割の方が訴訟途中で他界した。それでも訴訟は2003年から2009年まで続けられたのである。勝訴後の被爆者もまた時間を置かず他界している。それでもなお新規の提訴者が出てくる。なぜだろうか。そこには「意見書」の視野には入らないであろう、被爆者の思いがある。 

そして「意見書」は、 

「原爆症に認定されなかったとしても、原爆の悲惨な被害に遭遇したことや、それに伴う苦悩や苦痛が否定されるものではない」と述べたうえで、末尾で原告敗訴(「国際的に広く認められた科学的知見に沿った妥当な判断」)を強く望むと締めくくる。 

被爆者はまさに「苦悩と苦痛が否定される」ことなく、長く甘受することを強いられてきた。今度は科学の名でそれが求められている。

科学の名で、科学自身を傷つけることになると、三度(みたび)指摘せざるをえない。 

以上

文献

 1)        Shimizu Y, et al. Radiation exposure and circulatory disease risk : Hiroshima and Nagasaki atomic bomb survivor data , 1950-2003.

BMJ 2010;340:b5349, DOI 10.1136/bmj.b5349

2)Tonda T, et al. Investigation on circular asymmetry of geographical distribution in cancer mortality of Hiroshima atomic bomb survivors based on risk maps : analysis of spatial survival data.

Radiat Environ Biophys.DOI 10.1007/s00411-012-0402-4

3)Hirai Y, et al. Electron spin resonance analysis of tooth enamel does not indicate exposures to large radiation doses in a large proportion of distallyexposed A-bomb survivors.

J Radiat Res (Tokyo) 52(5):600-608,2011

4)齋藤 紀ら、入市被爆者の亜致死的放射線急性症状

広島医学、第65巻(4)、331-334頁、2012年

5)Kerr GD, et al. Workshop report on atomic bomb dosimetryresidual radiation exposure : recent research and suggestions for future studies.

Health Phys.105(2):140-149,2013

 

                


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2015.02.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
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