「原爆症認定制度の抜本的改正を求める院内集会」に150人が参加、
国会議員、厚労省職員に速やかな制度改正を求める!
大阪地裁第2民事部審理の第2陣も弁論開始!
 
2013年4月30()
 
4月18日(木)、日本被団協、原爆症認定集団訴訟全国弁護団、同全国連絡会、集団訴訟を支援する全国ネットワーク主催による「原爆症認定制度の抜本改正を求める院内集会」が衆議院第1議員会館多目的ホールで開催された。認定制度改正問題に集中した院内集会は昨年末の総選挙、政権交代以降初めてだ。全国から被爆者110人、弁護団25人、支援者20人が参加、京都からも京都原水爆被災者懇談会メンバー中心に6人が参加した。
集会は11:30、冒頭の黙祷に続いて、岩佐幹三被団協代表委員の開会あいさつから始まった。国会議員は、社民党、公明党、民主党、生活の党、自民党、共産党、未来の党から出席。みんなの党と維新の会は出席者なし。全国弁護団連絡会事務局長の宮原哲朗弁護士が代表して基本の訴えを行い、次いで日本被団協の田中煕巳事務局長が各政党に対し認定制度抜本改正のための3つの要請を述べ、日本被団協の制度改正提言の骨格ついて簡潔に説明した。
出席全政党から代表の議員が順次発言。いずれも被爆者の願いに沿って積極的に制度改善をめざす決意が述べられる。そのまま受け取れば明日にでも抜本的改正が実現するのではないかと思われる出席政党の構成と発言内容だったが。
会場フロアからも3人の発言がなされた。「被爆者の命は限られてきている。そのことを考慮した“政治”を求める」、「状況は集団訴訟の10年前と変わっていない。今、政党、政治家の力で事態打開を!」。近畿弁護団の藤原精吾団長も発言。集団訴訟後もノーモア・ヒバクシャ訴訟として全国で100人に及ぶ被爆者が原告となり、高齢化する被爆者が苦渋の決断で提訴している実情を訴えた。国会議員の参加した院内集会は1230までの1時間ほどで終了した。
昼食休憩を挟んで1330からは同じ会場で厚生労働省職員への要請、交渉が行われた。厚生労働省職員は榊原原子爆弾被爆者援護対策室長含む7人が出席。認定制度あり方検討会に出席の事務局が7人になっているからきっとそのメンバーなのだろう。要請・交渉は、厚生労働大臣に対する要請書の説明と、2009年「86合意」以降の経緯、認定制度あり方検討会の現状に対する評価、意見を述べ、その上で、全国からの参加者がそれぞれの強い思いを突き付けていった。
厚生労働省の認定審査の実態に対する不信、疑問が具体的な事実に基づいて投げかけられる。あり方検討会を傍聴している参加者から検討会委員のあまりにも無責任な態度、発言内容が暴露され、それを正そうとしない厚労省の態度が批判される。司法と行政との乖離は、行政が変わることによってしか克服できないことが追及されていく。発言者は合計15人にも及んだ。厚労省職員も必要に応じて発言、回答するが、多くは明瞭さに欠けあいまいな内容に終始した。ただ、あり方検討会に対する厚労省の恣意的な姿勢を追求されたところで、「司法は各疾病ごとに放射線との関係をどのように判断しているのか」の裁判資料を厚労省が準備し検討会に提出する、ことだけはこの場で確約された(ように思う)。検討会への臨み方に少しは変化をもたらしたのかもしれない。厚労省要請は1500前に終了、その後は各地域ごとに分かれて個々の議員要請行動を行い、全日程を終えた。
この日一日の行動で具体的な成果が勝ちとられたわけではない。しかし、全国から100人を超える被爆者が集まり、維新とみんなの党を除く全政党に直接訴えがなされ、出席議員もそれに応え、さらに厚労省職員とも正面切って交渉したことによって、認定制度抜本的改正に向けて一つのステップを踏んだことは間違いないように思う。

DSCN1816_convert_20130418203211.jpg
 
4月16日開催の「第20回原爆症認定制度あり方検討会」や18日の院内集会に先行して、広島県被団協と広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会による放射線影響研究所との交渉が行われ、その結果が報道された。
放影研(放射線影響研究所)が昨年12月8日、5つの証拠を列記して「残留放射線の影響は無視できる程度に少なかったと考えられる」とする「『残留放射線』に関する放影研の見解」を発表した。この放影研の見解は早速「第19回認定制度あり方検討会」(2月21日)の議論に反映され、「認定は初期放射線だけに限定すべき」とする意見の根拠とされた。加えて2月17日にはジャーナリスト会議広島支部主催の「公開シンポジュウム」において放影研大久保理事長がさらに問題発言を重ねていた。事態を重視した広島県被団協と「黒い雨」連絡協議会は3月27日、放影研に対して公開質問状という形で4つの点を質した。その要旨は、①放影研は、被爆者の立場に立った研究のための情報(データ)公開をなぜしないのか?②「被爆者援護法」は原爆症が多く発症している事実があるが故に入市被爆も救護被爆も援護対象としてきたが、放影研は何故その事実を認めないのか、また援護法をどう認識しているのか?③「福島原発事故の放射線の影響はない」とどうして言えるのか?④放影研は過去において「低線量被曝や内部被曝はこれからの研究課題」としていたこともあり、今になって見解が変更されるのは何故なのか?であった。
4月11日放影研からの回答がなされ、あわせて被団協、「黒い雨」連絡協議会との会談が行われた。その結果が、特に重要な点について広島県被団協のメモにまとめられた。要旨は次の通りだった。①「資料(データ)は正しい研究にのみ提供する」との回答だが、誰がどのような基準で判断するのかは明確にされなかった。②見解の「残留放射線の影響はない」というのは誤解であり、「影響がない」とは断定していないと強調された。厚労省、あり方検討会には是正を申し入れるとのことだ。③援護法の対象範囲は行政の政策判断の問題で科学で判断するものではない。
この回答と会談の結果、特に「残留放射線の影響はないとは断定していない」という点は重要で、厚労省が見解を撤回せざるを得ない事態をもたらしている。今後の裁判でも持ちだすことが難しくなるだろう、とのことだ。広島県被団協、「黒い雨」連絡協議会のみなさんの奮闘が放影研と厚労省の目論見を阻むことになっている。
もともと12月8日発表の放影研の「『残留放射線』に関する見解」は、一昨年「黒い雨」を浴びた13,000人のデータの存在が突然明らかにされたことから出発している。それまで「公式データ」はないとされ、多くの被爆者の協力によって得られた尊い記録であるにも関わらず、ひた隠しにされてきたものだ。こうした経緯からも放影研の活動自体に、発表される研究結果に対しても強い恣意性と、深い疑念を抱かざるを得ないことになっている。「黒い雨」データだけではない。放影研の「研究成果」が「世界の放射線リスクおよび放射線防護基準の科学的根拠に」されているのであれば、問題は極めて深刻だ。被爆2世への遺伝的影響についても放影研の疫学調査が行われており、その結果が2世対策の(何もしない)政策の根拠とされている。放影研の活動、「研究成果」に対する批判的検証と対応はますます重要な課題だ。広島県被団協と「黒い雨」連絡協議会の活動からは多くのことを学ばせてもらっている。
 
4月24日(水)、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第2民事部は新しい審理の場面を迎えた。4月の人事異動で裁判所の構成が変わり裁判長と左陪席裁判官が交代、また今回から第2陣となる原告の弁論が開始される。
11:00開廷、新しく担当となった西田隆裕裁判長により、第3次から第14次までの13人の原告全員の審理を開始する旨の手続きが確認された。次いで弁護団を代表して藤原精吾団長が裁判所構成変更に伴う弁論の更新を述べた。藤原団長は、被爆者が原爆症認定を求めて提訴に至った歴史的事情と経緯、2003年以来の集団訴訟の判決結果、「8・6確認」とその後の認定状況、非ガン疾患の認定率が著しく低くなっている現実、現在のノーモア・ヒバクシャ訴訟の状況等について要点を抑えた弁論を行った。途中の、「わが国では、誤った処分をした行政は司法の判断に従って行政の在り方を改めるのが憲法上の要請ではないのでしょうか」と述べられた件が印象深い。原告は国に対して原爆症認定行政の根本的転換を求めていること、裁判所に対しては毅然とした態度で違法な却下処分を早期に取り消し、国に国家賠償を命じるよう強く要望していること、を述べて弁論更新は締めくくられた。

DSCN1850_convert_20130418205718.jpg
この日はこれから審理が開始される13人の原告を代表するような形で一人の原告、淡路登美子さん(大阪府河内長野市在住、70歳)の意見陳述が行われた。淡路さんは2歳の時、広島市郊外の祇園町(現在は広島市西区大芝)の母の実家で被爆。2歳であったため被爆の時の記憶はうっすらとしか残っていないが、同居していたいとこが腎臓を悪くして30歳位で亡くなったり、母親も58歳で寝たきりとなり64歳で亡くなるなど、周囲の人達の受けた放射線の影響を強く感じてきた。
 淡路さんは平成6年(1994年)、51歳の時胃ガンとなり、転移も発見されて胃と脾臓の摘出手術をした。手術後は水を飲むにも一口づつ、食後は逆流を避けるため横になることが出来ないなどの状態が常態化した。脱力感もあり今も続いている。術後の倦怠感がひどかったため仕事も退職した。医師からは「ダンピング症候群があるが仕方がない。慣れただけで決して治っている訳ではない」と言われている。
 淡路さんは手術の翌年平成7年(1995年)に原爆症認定申請をしたが却下された。実は
淡路さんが初めて被爆者健康手帳を取得した時、爆心地からの被爆距離は4.1kmと記載されていた。平成19年(2007年)安倍内閣の時認定基準が改定され、距離や入市日によって積極的認定という基準が作られたことをきっかけに、姉妹の手帳の被爆距離を確かめたところ、同じ所で被爆していたにも関わらず姉らの距離は3.1kmとなっていた。平成18年(2006年)淡路さんは距離の間違いの旨を記載してもう一度認定申請をした。
 しかし、2回目の申請に対して、被爆距離は3.1kmが妥当だとされたものの、現在すでに胃ガンの治療は行われていない、すなわち要医療性の要件を充たさないということでまたもや却下処分とされた。放射線の起因性については何も示されないままだった。
 淡路さんは胃ガン手術から今日まで術後後遺症に苦しみ、今も続いている。食欲という人並みの楽しみも半減以下となる生活を送ってきた。常にガン再発の恐怖を抱きながらの人生だ。放射線の影響でガンになったことは明らかであり、ガン患者ということからは一生逃げ出すことができない。
 私が少しでも元気なうちに判決をしていただき、公平な認定をしてほしいと訴えた。
 裁判は11:40閉廷となり、その後大阪弁護士会館に会場を移して報告集会を行った。ただしこの日は弁護士会館の会場の都合で12:00までの短時間の報告集会となった。司会の西晃弁護士から、近畿訴訟の原告は全員で32人になっていること、第2民事部第2陣は第3次から第14次までの原告全員が審理開始となったこと、次回6月12日からは原告本人尋問が開始されることなどの報告と説明がなされた。今日意見陳述された淡路登美子さんも出席、「これからもよろしくお願いします」と挨拶され、参加者からねぎらいと激励の拍手が送られた。
 
4月16日、最高裁第3小法廷で水俣病訴訟上告審の判決が下された。一人は福岡高裁が水俣病と認定したにも関わらず熊本県が上告していた熊本県の女性(故人)の認定について、もう一人は大阪高裁が水俣病患者と認定しなかったため、原告である大阪府の女性(故人)の上告訴えについて。前者は高裁判決が支持され認定が確定した。後者については高裁判決の破棄、審理差し戻しが言い渡された。判決要旨は、「複数の症状の組み合わせが認められない場合でも、手足の感覚障害だけの水俣病は存在しないという科学的実証はない」、「症状の組み合わせが認められない場合でも、諸般の事情と関係証拠を総合的に検討し、水俣病と認定する余地を排除するものではない」であった。
水俣病訴訟と原爆症認定訴訟を同一に語ることはできないが、被爆者も被害者も我が身に起こった実際から訴えを起こし、その訴えが届いた場合には裁判所も発生している事実に基づいて判決を下す。一方で行政は「科学」を語らった理屈を作りだし、それにのみ頑なに拘った処分を繰り返す。よく似た構図だ。水俣病訴訟の原告は認定申請から今回の判決まで40年近くも要し、しかも判決確定前に故人となった。こうした状況も原爆症認定訴訟と重なり合う。
水俣病を管轄する環境省は記者会見で、「基準の運用見直しについては検討するが、制度・基準の見直しまで(判決は)求めているとは思われない」と述べた。(4月18日次官会見、環境省ホームページ)そして、今回厳しく指摘されることになったこれまでの認定基準の運用によって過去大量に切り捨てられてきた水俣病患者を、あらためて救済しようとする姿勢は欠片も見せなかった。
水俣病患者において、行政と司法の乖離などという事態が広がらないことを、「認定を得たければ提訴すればいい」などという許し難い事態の生じないことを、そして水俣病に苦しむ人達全員が一日も早く救済されることを祈り、期待しよう。
そのためにもノーモア・ヒバクシャ訴訟を全面的に勝利し、原爆症認定制度の抜本的改正を勝ち取っていこう。
 
 
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
  5月16日(木) 11:00~   大阪地裁806号  第7民事部  医師尋問
  6月 1日(土) 14:00~ 大阪グリーン会館2Fホール   全面勝利めざす支援の集い
  6月 6日(木) 11:00~ 大阪地裁806号  第7民事部  医師尋問
  6月12日(水) 13:30~   大阪地裁202号  第2民事部 原告尋問
  8月 2日(金) 11:00~   大阪地裁202号 第2民事部 判決  
10
月15日(火) 11:00~   大阪地裁806号   第7民事部 結審

スポンサーサイト
2013.04.30 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top