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被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記 ④

3月21日岡山控訴審不当判決!
それでも被爆者・核被災者を勇気づける川中さんの奮闘に拍手!


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 原爆症認定集団訴訟は2011年12月21日の大阪地裁勝利判決を最後に一応の区切りはつけられていたが、それですべてが終わったわけではない。全国で唯一敗訴となった岡山地裁の原告・川中優子さんが、被爆者の訴えにまったく向き合おうとしないあまりにもひどい判決にどうしても納得することが出来ず、敢えて原爆症基金法による救済の途も拒否し、2010年6月に控訴して司法判断の見直しを訴えてきた。その控訴審が3月21日、広島高裁岡山支部で判決の日を迎えた。
 午前10時30分、原告の川中さんを中心に弁護団、支援の人々合わせて50人以上が地裁屋外に集合。メディアの注目も高く、カメラの放列の中を全員の行進で入館、入廷した。あらかじめ傍聴整理券が配布されるほどで、36席の傍聴席はたちまちいっぱいになった。川中さんも原告代理人弁護団と同席して判決を待った。
 午前11:00開廷。片野悟好裁判長は「本件控訴を棄却する」の判決を言い渡した。またもや不当判決だ。

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 会場を近くの岡山弁護士会館2階ホールに移し、正午から報告集会と記者会見が連続して行われることになった。壇上に、川中さんを真ん中にして岡山弁護団長の近藤剛弁護士と岡山訴訟を支援する近畿訴訟弁護団長の藤原精吾弁護士の3人が並んで着席、集会は始められた。
 最初に近藤団長から怒りを込めた談話が発せられた。控訴審は2年9カ月の間に7回裁判が行われたが、申請した専門家証人の尋問はすべて拒否され、提出した専門家の意見書等も全く考慮されなかった。およそまともに審理をしようとする態度のまったくない裁判だったと、まず裁判長の訴訟指揮、訴訟態度の不当性が糾弾された。次いで、被爆当時1歳になる直前だった川中さんの置かれていた状況、父母・家族に連れられた行動、黒い雨のこと、急性症状など、原告が主張した被曝の可能性一つひとつに対してきちんと向き合い、慎重に判断することなど一切なく、結局は一審判決をそのまま踏襲し、ほとんど変わることのない不当な判決内容となったことについて厳しく非難、一審以上にひどい判決だと断罪した。
 会場で配布された『判決要旨』には、「控訴人の疾病の放射線起因性の判断に当たっては・・・・内部被曝や低線量被曝の危険性に関する知見等をも考慮すれば、上記線量評価等の結果のみではなく、控訴人の被爆状況、被爆前後の行動、被爆後の控訴人の健康状態や病歴、子宮体癌発症の経過及び控訴人の罹患した疾病に関する知見などを総合して判断するのが相当である。」と書いてある。一応書いてある。これは原告側が、福島の原発事故の事例なども証明しながら内部被曝による影響の重大性を繰り返し主張してきた結果、裁判所も判断の枠組みだけは示さざるを得なかったことによる記述だ。しかし、枠組みは示されただけで、それに基づいて原告の体験した実態と内部被曝の影響について、証拠調べも含む具体的な検証は一切なされなかった。判決内容は一審と何等変わることなく、一歩もその枠を出るものではなかった。
 次いで藤原弁護士から発言がなされた。藤原弁護士はまず今回の判決について、基本的で決定的な二つの問題点について指摘した。一つは、内部被曝の存在はわずかながらも認めながらそれでも「原告は被曝していない」と断定する根拠が何等示されていないこと。もう一つは、全国の原爆症認定訴訟判決で積み上げられてきた「被爆者に対する国家補償的配慮」の考え方、これを実際の判決では拒否する理由がどこにも述べられていないことだ。被爆者に向き合おうとしない、核の人間に及ぼす影響について真摯に考えようともしない裁判官は、裁判官である以前に人間としての問題を感じる。そしてそのような裁判の存在することは最早社会的な問題でもあると述べるに至った。
 藤原弁護士は川中さんが控訴して訴えを続けてきたことの大きな意味についても言及した。2009年の8・6合意で集団訴訟の解決方向は確認された。集団訴訟の終結と認定行政の改善・改革だった。しかし政権交代を一つの機に認定行政は改まるどころか、新しい認定基準すら守られない大量の却下処分が行われるようになり、行政は大きく後退した。不当な却下処分を許すことのできない全国の被爆者は再び提訴して不当な行政を訴えてきている。
川中さんは一審判決があまりにも不当であったため、その不当性を明らかにしなけれぱならないと控訴したわけだが、川中さんが訴え続けてきたことが、今日の行政の不当さを表す象徴にもなっており、その意味は大きいものだった。
 被爆者とともに被爆者に対する国の責任を果たさせ、被爆者とともに核兵器をなくす、そのことを私達は訴え続けていく必要がある。これからの運動がまた始まると考えていると結んだ。



 川中さんからあいさつがされた。悔しさは溢れるばかりであったと思うが、じっと正面を見据えての静かなコメントだった。これから判決の詳しい内容を読むと悔しさがこみあげてくるかもしれない。一審とほとんど一字一句変わらない、お粗末な判決だと思う。私達の訴えは受け止められなかった。こんな裁判官に出遭ったことが残念でならない。でもこれからも広島で被爆した体験を生かして伝えていきたいと思う。伝えていかなければならないと思っている。
 報告集会に引き続いて記者会見となった。冒頭、緊急に作成された岡山弁護団の声明文が配布され、近藤団長から読み上げられた。裁判長の訴訟指揮の不当さ、被爆者の思いを無視したことへの糾弾、判決は原審の字句修正のみで誠実さのかけらもない不当なものであることなどが簡潔に記され、述べられた。声明文は「多数の同種裁判の中で最も不当な判決である。被爆者の問題に向き合う姿勢が全く見受けられない判決である。」と結ばれていた。
続いて各紙の記者との質疑応答となった。印象的だったのは、川中さんの長い裁判の期間を振り返っての思いと、これからの思いについてだった。
 川中さんが初めて原爆症認定申請したのが2003年(平成15年)6月だ。今日の控訴審判決まで10年という長い期間、自らの原爆症認定を求め、その主張を通じて原子爆弾被爆の悲惨さ、核兵器廃絶の必要性を訴えてきた。記者からは「川中さんにとっての10年はどのようなものだったか?」と尋ねられた。川中さんは、正しいことは諦めずに、妥協せずにちゃんと伝えていきたいとの思いで今日まで来た、と自らを語った。そして、病気と闘いながらの、体を蝕まれながらの、何時また発症するかと不安を抱えながらの10年であったことも正直に述べた。また、たくさんの応援があったからこそ続けてこられたことも感慨深く触れられた。
 川中さんはさらに、核の怖さを多くの人に伝える機会を得ながら、福島の人達の不安にも共通した思いを持ちながら、放射線の怖さを伝えながら生きてきた10年だったと自らを振り返った。なんという崇高な、気高い生き様か!不当判決はこの上なく悔しく、情けないものだったが、その悔しさを補ってもまだはるかに余りあるメッセージではないか。発言のメモを取りながら熱いものがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。川中さんの人生に拍手だ!会場にいた多くの支援者、記者も同じ思いではなかったか。
 上告の可能性も含めて裁判のこれからについても質問が出された。上告についてはこれからの検討課題と回答された。原爆症認定問題については裁判だけでなく、厚生労働省の認定制度あり方検討会、また政権交代後の国会の動向なども一層重視していかなければならないと解説がされた。
 最後に川中さんから、これからも正しいことをしっかりと伝え続けていきたい、私自身の被爆体験をもとに、放射線がいかに人に影響を与えるかを訴え続けていきたいと、決意のこもったあいさつが述べられ、全体の報告集会と記者会見は終了した。
 不当判決に対する悔しい思い、憤りは容易に収めることはできない。しかし同時に、集会と記者会見の最後には、傍聴支援に赴いた私達の方が大いに励まされ、明日に向かっての元気をもらったような気持にもさせられていた、そんな思いを深くした裁判傍聴だった。
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2013.03.25 Mon l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
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