被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記②
原告全員の認定と国の損害賠償を強く求めて第一陣が結審
8月判決に向け支援活動の一層の強化を!


2013年2月12日(火)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は、その第一陣、最初のグループ10人の原告に対する審理が2月8日結審を迎えた。2009年(平成21年)12月24日付で原爆症認定の義務付けを求めて提訴し、その直後厚生労働省より認定申請が却下処分されたため今度はその処分取り消し求める訴訟に切り替えて進められてきた裁判だ。原告の内1人は認定済だが、国に対する損害賠償を求めて裁判を続けてこられた。提訴以来3年の時間が経過した。原告がそもそも原爆症認定申請した時点からすると短い人でも4年、長い人は6年もの時間を費やすことになった。
 被爆者が原爆症の認定申請をすることは耐え難いほどの病気の苦しみ、それとの闘いの上でのことだ。そして、被爆者であると明かすこともできなかった戦後の人生をやっとの思いで乗り越え、家族の理解と支えも得て、初めて申請に至った被爆者も多い。認定申請はただの申請手続きではない。そのことを思うと、これだけの時間とエネルギーを費やさなければ申請が正面から取り扱われることのなかった行政の実態に、あらためて強い憤りを禁じることができない。

 2月8日(金) 午後1時30分より、大阪地裁202号法廷で第2民事部(山田明裁判長)審理の第2次原爆症認定義務付け訴訟・認定申請却下処分取り消し訴訟の最終弁論が行われた。原告側から10人の原告を代表して和田文雄さん、代理人の塩見卓也弁護士、最後のまとめ役として弁護団幹事長の尾藤廣喜弁護士、3人の意見陳述が用意された。

 最初に原告の和田さんが証言台に進み意見陳述した。和田さんは昨年8月17日の裁判で自らの被爆状況、戦後の闘病生活を詳しく証言しているが、今回そのことをもう一度簡潔に述べ、今も当時の惨状が脳裏を離れないことから語っていった。昨夜も、“あの日の”焼けただれ、水を求め、呻きさまよう被爆者の姿が目に浮かび眠れなかったそうだ。和田さんは2007年(平成19年)に甲状腺機能低下症の診断を受け、その年原爆症認定申請。しかし2年間も放置されたまま厚生労働省からは何の通知も来なかった。やむを得ず2009年(平成21年)12月に義務付け訴訟を提訴、その直後に申請却下処分の通知が届いた。
 却下処分取り消し訴訟に切り替えて3年間、体調の許す限りノーモア・ヒバクシャ訴訟の傍聴に駆けつけてきた。何よりも、国の、被爆者に対する態度、認定申請に対する姿勢を、自分の目で確認するためだったと強調した。国の最終準備書面において「(和田さんの)被爆の事実が信用できない」とされているようで、和田さんの陳述はこのことに対してが最も怒りのこもったものとなった。「私がウソをついていると思うのか!」と、語気を強め、被告代理人を見据えた。「被爆者の証言がそれほど信用できないなら無防備な状態で一度原発の中に入ってみてはどうか、そうすれば少しは被爆者の思いが理解できるだろう」とまで言って追及した。
和田さんは最後に、認定行政の誤りは裁判において何度も指摘され却下処分取り消しの判決がなされてきた、にも関わらず改めようとしない国の姿勢は国家賠償に値する、福島の人々にも同じような苦しみを与えるのではないかと心配している、裁判所は国家賠償についても是非認めて欲しい、被爆者の立場に立った判決をお願いしたい、と訴えた。

 次いで原告代理人の塩見弁護士の意見陳述に移った。今日結審となる10人の原告の内の一人、京都市在住の原告Fさんは判決を待つことなく昨年11月18日帰らぬ人となった。ご遺族が裁判を継承されており、塩見弁護士はその担当弁護士だ。Fさんは病気が重く出廷できないため昨年8月23日、本人の証拠調べが自宅での出張尋問で行われた。その内容は長谷川千秋さんの『傍聴日誌(31)』(2012年9月27日)に詳しく綴られている。
 オーケストラのヴァイオリン奏者であったFさんは、1994年舌がんを発症し手術。その時点でも原爆症認定申請をしたが却下された。その後手術の後遺症はFさんの体調を悪化させ、右手があがりにくくなり、2007年頃からとうとうヴァイオリンが弾けなくなった。この年甲状腺機能低下症(橋本病)と舌がん術後後遺症との二つの疾患についてあらためて認定申請をした。二度目の申請だ。Fさんは特に舌がん術後後遺症の認定に強い願いがあった。ヴァイオリン奏者としての人生を全うすることを許さなかったもの、それは原爆の放射線しかあり得ない。そのことを確認し告発したいという思いが強く込められた申請だった。
 しかし他の原告同様申請に対する処分は長く棚ざらしにされ、義務付け訴訟を提訴すると直ぐに却下処分が下された。申請から2年3ヶ月もの時間が経過していた。
それからさらに3年、Fさんは生あるうちに判決を聞くこともできず、認定通知書をその手にすることもできなくなってしまった。Fさんの1994年の申請は2008年以降の新しい審査方針条件(100時間以内の入市被爆)であれば認定されていたものだ。そして甲状腺機能低下症は今や積極的認定疾患なのだ。新しい審査方針の最大の趣旨は、認定を速やかに行い、被爆者の救済をはかることではなかったのか。せめて後1年早ければ原告は判決を聞くことができ、バァイオリニストとしての生命を断たれたことの苦しさ、悔しさを少しははらすこともできたのに。Fさんの無念さが率直にぶつけられた。
 塩見弁護士は弁護士なってまだ1年足らずの頃から5年5カ月、Fさんと共に裁判に臨んできた。年月を追って体力が低下し、病状が悪化する原告と常に向き合い、寄り添ってきた。昨年8月には自宅での出張尋問、11月には担当医師の尋問も行われ、後は結審、判決を待つばかりまでに漕ぎつけていた。Fさんと共に判決を聞くことができなくなってしまった悲しさ、悔しさ、辛さは、私達の想像を超えるほどだったのだと思う。途中から慟哭をもはばからない陳述となった。
 塩見弁護士は最後に、提訴しても最早時間がなく判決を聞くこともできずに世を去る原告は後を絶たない。こうした原告の無念さ、悔しさをしっかり汲んで、正当な判断の行われることを強く求めて陳述を終えた。

 最後に尾藤弁護士による原告側最終弁論の締めくくり意見陳述となった。尾藤弁護士はまず、原爆症認定集団訴訟の全国の勝利判決、新しい認定審査方針の策定、2009年(平成21年)8月6日の「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」締結、と認定制度が改められてきた歴史とその意義をふりかえった。「8・6合意」がそのまま守られればもうこれ以上の訴訟は必要なくなり、その後終結に向かうはずであった、と。
しかし、その後合意は守られなくなり、認定行政は惨憺たる状況となり、認定のあり方はねじ曲げられ、司法判断の到達点がまったく無視されていると現状を糾弾。故なく申請を却下された被爆者は新しい認定訴訟「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」を起こさざるを得なくなり、大阪含めて全国7地裁で司法による救済を求めることになっていること明らかにしていった。被爆者には時間がなく、提訴しても原告は次々と亡くなる状況がある。本来は司法判断に基づいて行政自らが正しく法運用し認定すべきだが、今や「司法による行政の誤りの是正」しか認定への道がないという深刻な事実を指摘した。
 以上のことから、原告全員の認定を求め、合わせて、国・厚生労働大臣に対して損害賠償を命じる判決を求めた。国・厚生労働大臣の認定行政の実態は「違法行為の野放し」だと断罪、それが放置されるようだと司法の権威は保てないと訴えた。
 原告の請求が認められれば、正常な法運用の状況=これ以上裁判という方法によって救済を求める必要がない状況、が作りだされると確信している、と述べて陳述は結ばれた。

 被告国側の最終意見陳述は一言もなかった。想定していたこととは言え、最後の弁論の場において一言も語らないというのは、軽く見過ごす気持ちにはなれない。原告の訴えに対してあくまで反論するのであれば、多少ともそこに確信なり、根拠なりを保持しているのであれば、堂々と口頭でも主張を展開すべきではないかと思う。原告、代理人に対してはもちろん、大勢の傍聴者に対しても自らの「正当性」を開陳し、問いかけるべきではないか。それが最低でも原告に対してふるまうべき人としての態度ではないかと思う。
 口頭では何も語らない、多くの人は目を通すこともできない書面でのみ反論しておく。裁判におけるこうした態度は、司法判断を無視、軽視してはばからない行政の姿勢と深くつながっているような気がする。

 山田裁判長が今回をもって弁論を終結すると宣言し、判決を8月2日(金)11:00より言い渡すとした。この後に続く原告グループの審理について、当面次回の裁判日程を4月24日(水)11:00とすることを確認して閉廷した。

 14:30から会場を中之島公会堂地下会議室に移して報告集会を行った。
 原告を代表して陳述した和田さんからまず感想と参加者のみなさんへのお礼が述べられた。昨夜も被爆者の顔が浮かんできてなかなか眠れなかったこと、みなさんのご支援のおかげでここまで頑張ってこれたこと、弁護団のみなさんの心温まる弁護と応援に感謝していることが語られた。そして、以前から被告国側代理人の質の低い質問には辟易していたが、今日はそのうっ憤を晴らしたかった、とその思いの強かったことを付け加えられた。集会参加者は拍手で和田さんの労をねぎらった。
 本日意見陳述した塩見弁護士は別件のため報告集会は欠席となった。その代わりも兼ねて幹事長の尾藤弁護士から感想が述べられた。塩見弁護士の担当した原告Fさんの出張尋問には尾藤弁護士も同席していて、あの時の原告の思いが今日は十分に伝わってきた、あの尋問では同席の裁判官も感動されていたことなどが紹介された。しかし、判決を待つことなく亡くなられる原告の事例は数多くあり、行政がここまで後退してきたため、司法に頼らざるを得ない状況になっている。こうした行政の姿勢を変えるためにも、国家賠償を命ずる判決が必要だし、そのことを今日は特に重視した、と述べられた。
 前日2月7日(木)には日本被団協を中心にした国会院内集会と各党・会派議員団への要請行動が行われており、これに参加した弁護団事務局長の愛須勝也弁護士から状況報告が行われた。昨年末の総選挙結果、政権交代を機会にして原爆症認定問題にも新しい政治の動きが出始めていること、特に原爆症認定集団訴訟の時に力を発揮された議員達の動向が特徴的であること、夏の参議院選挙、8月6日・9日に向けた動きになっていくことが予想され、裁判の支援運動も再構築していく必要性が訴えられた。そして8月2日の判決を勝利することが決定的に重要であり、近畿の勝利が全国の裁判をリードしていくことになると強調された。
 最後に藤原精吾弁護団長からまとめのあいさつが行われた。8月2日判決と決まり、あらめたて身の引き締まる思いだ。今日の3人のみなさんの陳述には本当に感動した。「8・6合意」からの行政の後退を必ず取り戻していこう。政治が動き始めているとの報告だが、その政治を動かすのも私達の運動、支援の力だ。あらためて原点に立ち返ってとりくんでいきたい。8月2日の勝利めざして。
 第一陣の判決が8月2日と決まり、ノーモア・ヒバクシャ訴訟支援の運動も当面の行動目標と時間軸が定まった感じとなった。8月6日・9日の直前だ。第二陣以降の審理も春から夏にかけて集中していく。7月には参議院選挙もある。2013年夏には大きな一歩を踏み出せるよう、報告集会参加者全員があらためてとりくみの決意を強くしたように思う。
 報告集会は15:30終了し、散会した。

 報告集会においてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の最新の原告一覧が配布され、今後の裁判進行等について確認をした。
 本日結審となった原告グループ10人を含めて現在提訴している原告は、2次から13次まで合計32人となる。第2民事部22人、第7民事部10人に分かれて裁判は進められている。第2民事部は本日の結審が10人、4月から次の原告グループの審理に入っていく。第7民事部は第8次提訴原告まで本人尋問を終了し、来月からは医師尋問に入っていくことになる。
 尚、最新の原告は本年1月25日提訴のT・Iさん。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
月 日 曜  時 間  法廷・会場
3月 7日(木) 13:30 大阪地裁806号 第7民事部 医師尋問
4月24日(水) 11:00 大阪地裁202号 第2民事部 
5月16日(木) 11:00 大阪地歳806号 第7民事部 医師尋問
6月 1日(土)  午後     勝利をめざす集会(予定・検討中)
6月 6日(木) 11:00 大阪地裁806号 第7民事部 医師尋問
6月12日(水) 13:30 大阪地裁202号 第2民事部 原告尋問
8月 2日(金) 11:00 大阪地裁202号 第2民事部 判決
3月21日(木) 11:00 岡山高裁     岡山訴訟控訴審 判決

スポンサーサイト
2013.02.14 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top