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第一次訴訟の原告佐伯俊昭さん。(写真は一審判決直後)
佐伯さん_320

佐伯さんは、平成10年に喉頭腫瘍が発見され、腫瘍摘出のために声を失いました。
喉頭腫瘍とケロイドで原爆症認定申請をしましたが却下されました。
そして、集団訴訟に立ち上がりました。
平成18年5月12日、大阪地裁判決で認定相当と認められましたが、国は控訴。
地裁判決時には、病身ながらも厚労省(東京)に控訴断念の申し入れに行く元気がありました。
しかし、控訴審での2年間の審理のうちに、佐伯さんの体調は急激に悪化。
平成20年4月に認定基準が変わり、4月11日、ようやく佐伯さんに認定書が手渡されました。
しかし、そのとき佐伯さんは、病院の集中治療室、意識の薄れゆく状況でした。
私もその場面に立ち会いましたが、うれしさよりも、悲しみが大きかったです。
そして、認定書が渡された5日後の4月16日、佐伯さんは亡くなりました。
平成20年5月30日、大阪高裁判決でも佐伯さんは認定相当と認められました。
しかし、9名全員勝訴という喜びを共にすることはできませんでした。

佐伯さんの被爆体験をご紹介します。是非、全文を読んで下さい。
(陳述書より抜粋。全文は「続きを読む」から)

  突然、赤黄色の強烈な閃光が眼前を右から左へとザーッと突き抜けていきました。それは、当時写真のフラッシュとして使ったマグネシウムを焚いた時のような閃光でした。
  同時に、ものすごい熱さを感じました。
  慌てて逃げようとした瞬間、さらに、ものすごい轟音とともに、熱風が襲ってきました。
  2階建ての木造の校舎が、爆風で右から左へとなぎ倒されました。
  学校が爆撃を受けたのだ、と思いました。私は全身に大火傷を負っていましたが、そのことにも気づかず、無我夢中で、校舎の下敷きになった同級生を助け出し、避難場所である裏山(比治山)の暁部隊通信部へと避難しました。
  同級生も皆、私と同じ様に全身に大やけどを負い、皮膚がダラリと垂れ下がっていました。恐怖と混乱の中、皆は散り散りになってしまいました。
  私と一緒にいた同級生400名のうち4分の3が、この日から、学校が再開する10月までの間に亡くなりました。爆心地に近かった広島一中、二中の生徒は全滅でした。


 全文は↓(長いですが、お時間のあるときにゆっくり読んでみて下さい。)
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2009.06.25 Thu l 徒然なる思い l コメント (3) トラックバック (0) l top