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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(84)

これまで原爆症認定を受けた原告のみなさんのその後を調査・把握していこう!
2021年新しい年を近畿訴訟全員勝利の年に!
2020年12月2日(水)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟傍聴記の前号(11月6日/№83)最後に、10月24日(土)に核兵器禁止条約批准国が50ヶ国に到達、年明けの2021年1月22日(金)条約発効が確定したことを書くことができた。被爆者のみなさん、核兵器廃絶めざす運動に携わってきた国内外の人々は大きな喜びに包まれた。運動してきた人々だけではない。ニュースに接した広範な人々が歓迎の声をあげ、日本政府の条約参加を求めた。暗く困難な事態に見舞われ続けたこの一年だったが、その中で私たちに大きな喜びと希望を与えてくれる出来事となった。
 こうした状況の中で11月13日(金)、今年度最後となるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟が大阪地裁第2民事部(森鍵一裁判長)・1007号法廷で行われた。大阪府在住のS・Tさん(74歳)が、原爆症認定の更新申請に際して大阪府が却下処分したのは不当だと訴えている裁判で、今回3回目の弁論期日となる。もともとの認定疾病は下咽頭がんだったが、後遺症として発症した嚥下障害、甲状腺機能低下症は原爆症認定の範囲ではないと大阪府が判断したものだ。2回目の弁論期日(9月7日)の内容はノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟傍聴記(82)(2020年9月13日)でレポートした。
 この日の法廷は口頭による意見陳述はなく、提出書面の確認と、主に裁判長と双方代理人との間で争点の整理と確認、それに伴う審理の進め方について協議された。傍聴席から聞くだけではなかなか理解しにくいやりとりだったが、閉廷後の報告集会で、担当の和田信也弁護士から丁寧で分かり易い説明が行われた。以下その要約。

 今回の原告のS・Tさんは下咽頭がんで原爆症認定された人。重い病気になったらいろいろな治療とか、薬とか、手術とかが施されるが、それに伴って次の段階の不調や病気を発症する例、あるいは合併症を発症例は多い。今回のS・Tさんも下咽頭がんは完治したが、しかし後遺症として甲状腺機能低下症、嚥下障害が出てきた。医学的には事例の多いケースと言われている。S・Tさんは当然原爆症認定の更新申請をしたが、大阪府は、甲状腺機能障害と嚥下障害は、もともと認定されていた下咽頭がんではないという理由で却下処分にした。こういうことをされると、不幸にしてがんが完治しなかった人はそのまま更新されるが、運よく治療が功を奏した人はその後どんな後遺症が出ても合併症が出ても全部打ち切られることになってしまう。それは不当だ。
前回の期日で裁判長はポイントとなるいくつかの点を示していた。一つは過去の裁判例から。かって仙台高裁において認定疾病から生じた後遺症を原爆症と認めた例がある。但しこの時の仙台高裁の例は、原爆症認定申請したのは手術後のすでに後遺症が発症している段階での申請だった。それを含めて認定していたので後遺症も認められた。今回は、原爆症認定申請時は手術も何もしておらず、後遺症もまだ出ていなくて、申請する側も認定する側も後遺症が出ることは分かっていなかった。仙台高裁の判決例とはそこが異なる。
 その上で、裁判長は次の点を示した。第一は、原爆症認定制度は、法律上、後遺症の分まで含めて認定する仕組みになっているのではないか。原爆症認定申請のための診断書(医療特別手当用)の「認定疾病に対する治療状況」記載欄には「認定疾病の治療によって生じた疾病(後遺症等)に対するもの」の記載欄がある。認定疾病とは別に「認定疾病以外に関する特記事項」記載欄もある。これは、後遺障害も含めて原爆症のことを考えている証と言えるのではないか。どうして、今になって「病名が違うから認定できない」と(大阪府は)主張することになるのか。
 二点目は、認定疾病は下咽頭がんで後遺症はその認定疾病ではないとされているが、しかし、後遺症についての治療が必要ということは認定疾病の下咽頭がんの治療が必要だと解釈できるのではないか。後遺症の治療が必要ということは、ひるがえって考えると、下咽頭がんにはこの治療が必要だという解釈が考えられる。前回、裁判長は以上のうちどちらを主張するのかと我々(原告側)に問われたので、私たちは両方主張すると答え、今回、詳しくその説明を出すことになった。
 その上で今日、裁判長は次のことを指示した。①原告の一連の疾病に関わるカルテは膨大な量になるので、原告側は下咽頭がん、甲状腺機能低下症、嚥下障害に該当する部分だけをピックアップして、分かり易い表にして提示すること。②被告国側はこれまで何の問題もなく更新申請を認定していたのに急に認定しなくなった。これまでのやり方と異なる。そのことについて厚労省から通達が出されていると聞くので、被告側はその通達文書を提出すること。裁判所もこのことについて勉強する。③もともとの下咽頭がんから後遺症として甲状腺機能低下症、嚥下障害が発症する医学的知見について、原告側は詳しい主張を準備すること。
以上のことを踏まえて、次回期日を2021年2月5日(金)と確認した。

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 報告集会では愛須勝也弁護団事務局長からも状況説明が行われた。東京の東友会では原爆症認定された被爆者のその後の状況についても把握されていて、不当に更新が却下されたりしないようとりくみがなされている。そこの関係者からの話では今回の大阪のS・Tさんのようなケースは東京なら認定されるとのこと。厚労省は、原爆症認定集団訴訟以来のとりくみによって最初の認定条件は広げてきたが、今は、更新の機会に厳しく対処するようになってきた。今年2月25日の最高裁判決を受けて、厚労省は来年から医療に関わる行政を見直してくる可能性がある。そのため今回の近畿のこの裁判は全国的にも高い関心をもって見られている。
 近畿でも集団訴訟以来たくさんの勝訴判決を勝ち取ってきた。しかし、認定を受けて以降の実態が分からなくなっている。東友会はそこをしっかりと把握してカバーされている。近畿では結局切られてしまったケースがいっぱいあるのではないか。あらためて弁護団でも近畿の認定を受けた被爆者のその後の実態を追跡しようと計画している。
核兵器禁止条約が発効されるが、その第6条では核被害者の救済と環境回復が謳われている。そのこととも関連して全国的な課題としてとりくんでいきたい。
 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の、今年最後の報告集会は藤原精吾弁護団長の次のような内容のあいさつで締めくくられた。今年2月の最高裁判決は全体として被爆者に対する国の援護の責任はどこまでなのかが問われた問題。私たちはその責任を追及してきた。被爆者は3つの保障~いのち・暮らし・平和~を求めてきたが、被爆者援護法はごく一部しか実現していない。今の政権の社会保障行政に対する姿勢は自助、共助でしかない。そういう政治と向き合わざるを得ないたたかいだ。核兵器禁止条約の批准国が50ヵ国に到達した。「日本はなぜ参加しない」の声が広がっている。被爆者援護と条約批准は一体の問題だ。条約第6条は被ばくした人に対する国の援護を義務づけている。したがって条約加入は被爆者援護をさらに強めることになる。裁判をたたかう被爆者は少なくなってきたが、来年に向けて、二つの課題のたたかいを更に頑張っていきましょう。

 今年7月29日、84人の原告全員の勝訴判決を勝ち取った広島「黒い雨」訴訟は、原告、支援の人々、そして広範な国民の願いに背を向けて、2週間後の8月12日、国、広島県・広島市によって非情にも控訴された。5年もの年月を費やした一審判決の上に、さらに高齢の原告のみなさんに控訴審の負荷を負わせることになった。11月18日(水)、広島高裁で1回目の弁論期日が行われて控訴審が開始された。今からでも、国・広島県・広島市は控訴を取り下げろ、原告全員に速やかに被爆者健康手帳を交付しろ、の声を上げ続けて、連帯したたたかいを強めていきたい。
 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は2021年年明けの1月14日(木)、高裁第6民事部でT・Iさんの判決を迎える。昨年5月23日の地裁判決で不当な敗訴判決を受けたT・Iさんが、逆転勝訴をめざす判決だ。今年2月28日の眞鍋穣医師の証人尋問では、主尋問で緻密で徹底した証言が行われ、被告側が反対尋問を放棄せざるを得ない事態にまで追い込んだ。あの時のことは鮮明に記憶している。証人尋問のあの日の光景がそのまま判決に反映されることを期待したい。
 その他、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は2021年度も5人の原告のたたかいが続く。文字通りの全員勝利をめざして新しい年を迎えよう。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2021年01月14日(木) 13:15 高裁第6民事部  202号法廷 T・Iさん判決言い渡し
2021年01月21日(木) 13:30 高裁第12民事部  74号法廷 高橋一有さん弁論
2021年01月26日(火) 14:00 高裁第14民事部  202号法廷 Y・MさんとO・Hさん弁論
2021年02月05日(金) 10:00 地裁第 2民事部 1007号法廷 S・Tさん弁論
弁論期日未定         最高裁上告審 苑田朔爾さん
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2020.12.30 Wed l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(72)

近畿訴訟最後の原告N・Kさんの本人尋問と医師証人尋問
 入市の事実認定は被爆者の証言にこそ基づいて判断されなければならない!
2019年4月30日(火)


 2019年4月26日(金)、大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)において、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の原告となるN・Kさん(女性・78歳・神戸市)の本人尋問と医師証人尋問が行われた。N・Kさんは提訴してから原告本人としての意見陳述をする機会がなかった。したがって今日の尋問が初めての法廷であり、しかもいきなり証言台に立って国の代理人や裁判官からの直接の質問に答えなければならない尋問となった。おそらくN・Kさんにとって生まれて初めての体験だろう。その緊張感はどれほどのものかと心中を察せざるをを得ない。そんなN・Kさんを励まし支えようと傍聴席はご家族や支援の人々でいっぱいになった。N・Kさんも少しは心強かったのではないかと思う。

 主尋問は、本人尋問も証人尋問も担当の吉江仁子弁護士によって進められた。最初がN・Kさんの本人尋問。N・Kさんは昭和15年(1940年)9月22日生まれ、原爆投下の時は4歳と10ヶ月だった。自宅は長崎市の南部平山町だったが、たまたまこの日は母親に連れられて母親の妹・叔母さんの家のある長崎市八坂町に来ており、そこで閃光を浴びた。叔母さんの家は爆心地から3.6㌔㍍、屋外の裏庭のような所にいて被爆した。被爆した時のN・Kさん本人の記憶はほとんどなく、薄っすらとしたものでしかない。目の前がぱあーっと光ったこと、いろいろなものが吹き飛んだこと、額に怪我をしたことだけが今でも脳裏に残されていることだ。

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 N・Kさんは翌日の8月10日、11日、2度にわたって、母親に連れられて三菱兵器に勤めていた叔父さんを探すため爆心地付近まで入市している。経路は市内路面電車の線路に沿って歩いた。また原爆投下直後の2~3日は八坂町の叔母さんの家の防空壕で夜を過ごした。この後、ひどい下痢にも見舞われている。
 N・Kさんはその後神戸に移り住み、昭和49年(1974年)、34歳の時に被爆者健康手帳の交付を受けた。それまでは差別されることを恐れて被爆は秘密にしてきていたが、その頃から病気ばかりするようになっていて、それを心配した母親のすすめで手帳はとることにした。幼い時の本人の記憶が乏しいため、手帳申請に必要な被爆状況の記述はほとんど母親が書いてくれた。実は自分の詳しい被爆状況を知ったのは、この時母親から聞かされた話が初めてだった。
 N・Kさんは数々の病気に見舞われ、健康とはほど遠い人生を送ってきた。昭和35年(1960年)20歳の頃から貧血で造血剤を処方され、27歳の頃にはひどいめまい、吐き気も加わり、33歳の時に声帯ポリープで手術、69歳で大腸ポリープ摘出手術、甲状腺機能低下症の診断も受けた。そして平成24年(2012年)、72歳の時に右乳がんを発症して腫瘍摘出手術、3年後に再発し、この乳がんを原爆症認定疾病として申請している。その後、左右の白内障手術も行った。
 こうした母親から聞かされてきた被爆した時の状況、病歴の一つひとつが、吉江弁護士の質問に答える形で確認されていった。 主尋問はさらに、N・Kさんとほとんど一緒に被爆した家族のことにも及び、それはN・Kさんの被爆状況がどれほど深刻なものであったかをより一層明らかにするものであった。一緒に入市した父親は昭和33年(1958年)に肝臓がんで、母親は平成元年(1989年)膀胱がんで亡くなっている。母親の胎内で被爆した弟は昭和21年(1946年)に白血病ではないかと思われる症状で生後間もなく死去、さらには兄も昭和39年(1964年)血液のがんと言われる骨髄異形成症候群で亡くしている。どれも放射線の影響と深く関係する病気ばかりで、しかも若くして命を失っていった家族たち。原爆による犠牲以外のなにものでもない。N・Kさんの健康障害、乳がんの発症も原爆以外には原因は考えられない、そのことを強く印象付けて主尋問は終わった。
 反対尋問は、もっぱら8月10日、11日のN・Kさんの入市の事実を否定しようとするところに焦点を当てて行われた。この日N・Kさんは本当は八坂町の叔母さんの家に預けられたままになっていたのではないか、等々だ。しかし、どのように質問してみても74年前の5歳にも満たなかったN・Kさんの記憶が蘇ることはあり得ない。74年前だけではない。手帳申請時のことだってももう45年も昔のことだ。細かいことは覚えていないのが当たり前で、その記憶をほじくり出そうとするような反対尋問にはそもそも無理があり、聞いていて辟易とする。準備書面において、国が入市の事実を否定している論拠についてはすでに原告側から詳細な反論が加えられているはずで、論争は書面だけで十分なのではないかなどと思いつつ尋問を聴いていた。
 言葉は優しいが質問を繰り出してくる国側の男性代理人は大柄な人だ。それを見上げるようにして、背を丸くした小柄なN・Kさんが懸命に答えていく。「母親が『おまえを連れて(爆心地まで)行ったからひどい被爆をさせることになってしまった』と話してくれたのだから間違いありません」、「幼い私を一人置いてきぼりにして出かけていくようなことはありませんでした」と、母親から聞かされてきたことに確信をもって答えつつ、記憶のないことにははっはきりと「分かりません」「憶えておりません」と言い切っていった。30分を少し超えて主尋問は終了。証言台から原告席に帰るN・Kさんに、傍聴席から「お疲れ様でした」、「ご苦労様でした」の声がそっとかけられた。

 休憩をとることもなく、引き続いて医師証人尋問となった。今回の証人は東神戸診療所所長の郷地秀夫先生。今年2月1日の第2民事部の証人尋問に引き続いての証言台だ。郷地先生はN・Kさんの診察もされており、原爆症認定申請のアドバイスも行われ、医師意見書作成も中心的に担ってこられた。郷地先生はこれまで2000人ほどの被爆者の診療に当たり、300人くらいの認定申請の援助をされている。その経験に基づいて、N・Kさんの認定申請についてはまず二つのことを強調された。一つは、N・Kさんの直爆距離は3.6㌔、国の定める積極的認定基準の3.5㌔にわずか100㍍足りないだけだが、審査方針の「総合的に判断」をすれば十分認定は可能ということ。もう一つは、過去の原爆症認定訴訟で同じような距離の被爆で甲状腺機能低下症が認められた例があり、行政が真摯に司法判断に従えば当然認定されてしかるべき事例だという意見だ。
 N・Kさんの被爆状況については、2月1日の日の証人尋問と同様、原爆投下時もその後の入市においても大量のチリや埃を吸い込んでおり、そのための内部被ばくの危険性、重大性が特に強調された。体内に沈着したアルファ線が今もN・Kさんの体内を被ばくし続けているという証言は、前回同様今回も重い響きを持って伝わってくる。
 本人尋問のところで触れたN・Kさんの既往歴について、そのいずれもが被爆者に多くみられる病気で、放射線被ばくと深く関係していることが、一つひとつの疾病について丁寧に説明されていった。申請疾病である乳がんに止まらず、N・Kさんのそれ以前のいずれの既往歴も原爆症認定申請が可能なほどの病気であると説明された。同様に、N・Kさんの家族、父、母、弟、兄たちが発症し亡くなっていった病気についても放射線被ばくとの深い関係が証言されていった。この他、N・Kさんの申請疾病である乳がんは白血病と並んで放射線に起因する過剰相対リスクが最も高いがんであることが調査報告されていること、N・Kさんは現在も二つの医療機関で経過観察中であることなどが証言された。
 N・Kさんの主な争点は8月10日、11日入市しているかどうかの事実認定であるためか、郷地先生への反対尋問はそれほどしつこいものではなく、そのためいつもは反対尋問を何倍にもして切り返す郷地先生の証言も今回は抑えたものになったように思う。ただ、N・Kさんの爆心地付近への入市をめぐるやりとりの中であった「原爆投下直後の大変な時、これからさらに何が起こるかも分からない不安な時、親は子どもを他に預けて行動することなどできず、いつも一緒に連れていなくてはならなかったはずだ」の証言がとても説得力のあるものだった。
 今回、本人尋問でも、証人尋問でも裁判官からの質問は一切なかった。もはや質問するまでもなくよく理解されているということなのかどうか、すこし気にかかるところだった。
 N・Kさんの審理については10月11日(金)を最終弁論の日とすることが確認されてこの日の法廷は終了した。

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 閉廷後、いつものように大阪弁護士会館に会場を移して報告集会が行われた。N・Kさんも二人の娘さんに囲まれて参加され、今日の感想とお礼の言葉を述べられた。最近はご飯も碌にのどを通らず4㌔も痩せたとのお話が決して大袈裟には聞こえなかった。本当にお疲れ様と申し上げたい。二人の娘さんからもそれぞれお礼が述べられ挨拶された。戦後70年以上も経って被爆者がどうして裁判までしなければならないのか、腹立たしく思いながら傍聴席で聴いていた。今日は本当に貴重な体験をすることができた。これからも母親と共に諦めずに頑張っていきたい。

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 証言された郷地先生からは、被爆状況の事実認定が争われていること自体を批判された。被爆者援護法の精神は被爆者を救済するためのものであり、そうであれば被爆者の立場に立って、被爆者の言っていることを信頼し、それを前提に判断していかなければならない。判断基準が被爆者の請求棄却、切り捨てのための線引きであっては決してならない、と。N・Kさんの裁判はそのことが本当に問われている裁判だと思う。

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 N・Kさん、郷地先生、吉江弁護士に報告集会参加全員からあらためて拍手が贈られ、今日一日のご奮闘を労った。
報告集会の最後に、藤原精吾弁護団長から全国の状況なども含めた要旨以下の報告と説明が行われ、もうひといき頑張っていこうとの訴えが行われた。

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 4月16日(火)、ノーモア・ヒバクシャ長崎訴訟の一人の原告の福岡高裁控訴審判決があり不当にも敗訴判決だった。申請疾病は白内障で争点は要医療性。原告は最高裁に上告し最後まで闘う。最高裁では今、2018年の広島高裁判決(勝訴判決)と同年の名古屋高裁判決(勝訴判決)を不服とする国・厚生労働省が上告受理申立を行っており、争点はいずれも要医療性だ。ここに福岡高裁の件も加わることになり、要医療性を争点にした判断の異なる3つの案件が最高裁にかかることになる。最高裁は「被爆者の要医療性とは何か」について判断を下さざるを得ない状況となり、私たちは全国の運動の総力で要医療性の正しい判断を勝ち取っていかなければならない。今、全国で提起されている最高裁宛署名を緊急に積極的にとりくんでいこう。
 4月14日(日)には全国弁護団会議が開催され、裁判で争わなくてもいい原爆症認定制度を勝ち取っていくための方針について話し合われた。大まかな内容は、①今も継続中のノーモア・ヒバクシャ訴訟を勝ち切り(司法判断)、行政がそれに従うようにしていく、②制度改定のために厚労大臣との協議・交渉を再度申し入れていく(行政への働きかけ)、③制度の抜本的改定のために国会議員にも働きかけていく(立法対応)、だ。この一年を最大の勝負どころとしてとりくんでいくことになる。特に近畿訴訟はこれから迎える判決が苑田朔爾さんの控訴審含めて5つあり、特別重要な位置にある。
 合わせて来月5月には来年のNPT再検討会議に向けた準備会も開催される。私たちは直接の被爆者援護だけでなく、核兵器廃絶という人類的な課題の一翼も担って奮闘してきた。このことについても、もうひと踏ん張り頑張っていこう。
来月5月15日(水)には第2民事部の3名の原告の最終意見陳述が行われる。同じく5月23日(木)には第7民事部の2人の 原告の判決言い渡しが迫っている。7月24日(水)は第2民事部の別の原告3名の最終意見陳述が決まっている。そして今回、第2民事部のN・Kさんの最終意見陳述も10月11日と決まった。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の第一審で残された原告9人全員の判決言い渡しが2019年度内に行われる見通しがたった。
 文字通りの全員勝訴めざして6月15日(土)には「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・全面勝利をめざすつどい」が開催される。「つどい」の成功をめざしつつ、この一年、本当に全員が勝利できるよう頑張っていきたい。そのことをみんなで確認してこの日の報告集会を散会した。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年 5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年 6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年 7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述
2019年10月11日(水) 11:00 1007号 地裁第2民事部 N・Kさん最終意見陳述
2019.05.06 Mon l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
 2016年3月9日から11日までドイツのフランクフルトで開催された「核兵器使用に反対する世界会議」に参加した藤原精吾弁護団長の報告。

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会議の報告者
 左から、
   ✦アンドレイ・ジーガ教授(ポーランドシュチエッチン大司教)
   ✦オットー・イェッケル弁護士(IALANAドイツ部会長)
   ✦ヨナタン・フレリッヒス(世界教会協議会 WCC)
   ✦ジョゼフ・トレント記者(ジャーナリスト ワシントンDCパブリック教育センター所長)
   ✦エミリー・ガイヤール教授(フランス カン大学法学部)

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国連159カ国が二度と核兵器を使わない。187カ国が核兵器を持たない。

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ビキニ水爆実験の写真

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水爆実験の成功を水爆型のデコレーションケーキで祝うアメリカ政府関係者

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ハーグの国際司法裁判所

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マーシャル諸島が国際司法裁判所に、核兵器の廃絶を求める訴訟を提起したこと。被告はアメリカ、イギリス、ロシア、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮。核兵器廃絶に向けての1968年核不拡散条約(NPT)と国際慣習法上の核軍縮義務違反を指摘し、義務履行を求める。2016年3月7日から14日まで審理された。

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✦ミヒャエル・スラーデク博士(医師、原発を止め、再生可能エネルギーを生み出すシェーナウ電力会社設立者)

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✦デルテ・ジーデントップ医師(IPPNWチェルノブイリにおける子どもの被害救済に貢献、福島の現状についての意見)福島の子ども30万人を対象とした調査の内容を批判


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✦マリー・ルー・ハーリー教授(自然科学者カナダプロテスタント教団核部会 核、廃棄物問題に関する代表的研究者かつ執筆者 世界宗教者会議の「核なき世界に向けての声明」起草委員会メンバー)

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✦パスカール・ポリカストロ教授(ポーランドシュテチン大学法学部・政治学部教授IALANAポーランド)

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✦ペーター・ベッカー弁護士(IALANAドイツ創設メンバー、元議長IALANA国際元副議長)

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ライナー・ブラウン ドイツ反核法律家協会事務局長

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2016.04.27 Wed l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
「街と法廷でー原子力の危険に対抗する法と信仰」
2016年3月9~11日国際会議
ドイツ フランクフルト、アルノルツハイン


ノーモア・ヒバクシャ訴訟についての報告
藤原精吾 (ノーモア・ヒバクシャ訴訟 全国弁護団 団長)

「今なお続く被爆者の苦しみとノーモア・ヒバクシャ訴訟
―世界の放射線被害者の声で核兵器廃絶を」

報告要旨
1, 原爆の被害は70年経った今も続いている
2, 政府は被爆者に対する責任と補償を認めようとしない
3, 原爆症認定訴訟はなぜ起こされ、どのような事実を明らかにし、
  どのような成果を得ているか
4, なお達成されていない問題は何か
  核兵器廃絶、原発廃止、核実験被害者救済の運動と被爆者のたたかいと
  の関係
5, 共通の目標達成のために何が必要か

1, 私は広島・長崎の被爆者が今もたたかい続けている、「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」の弁護団を代表して、訴訟とその意義について報告をいたします。
2, ノーモア・ヒバクシャ訴訟の原告たちは、地球上から核兵器をなくそうという皆さん方の大きな運動に、体を張って参加しています。
3, 被爆の日から70年、平均年齢80を超す被爆者が今なお裁判を続けているのは何故でしょうか。1945年、原爆投下の年末までに、広島で14万人、長崎で9万人の人が死んだといいます。2015年には広島約30万人、長崎約17万人が原爆死没者慰霊碑に名を刻まれています。
被爆の実体験を被爆者から聞かねばなりません。4000度の熱が地上を焼き、秒速280メートルの爆風が吹き、強力な放射線が人体を貫きました。爆心地の有様を語る人はいません。

『あの閃光がわすれえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で 五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると ビルディングは裂け、橋は崩れ
電車はそのまま焦げ 涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた 両手を胸に
くずれた脳漿を踏み 焼け焦げた布を腰にまとって泣きながら群れ歩いた裸体の行列
兵器廠の床の糞尿のうえに のがれ横たわった女学生らの 太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の誰がたれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで金ダライにとぶ蠅の羽音だけ 三十万の全市をしめた あの静寂が忘れえようか』
(峠三吉『8月6日』より)

4, 被爆は遠い日の思い出ではありません。また原子爆弾投下の一瞬で終わったのではありません。1945年8月6日、8月9日から今日までの70年間、「被爆者」としての人生が続いているのです。それはまだ終わっていません。
被曝により無残な死を遂げた親兄弟の記憶と共に自らの被曝による発病を恐れる日々、就職や結婚の差別をおそれ、子どもに被曝の影響が出ることを心配する年月が続いています。
5, 1954年3月、アメリカのマーシャル諸島・ビキニ環礁での水爆実験で多くの島民と漁民が被曝し、多くの犠牲者が出ました。これを機に市民と被爆者が立ち上がり、ノーモア・ヒバクシャの運動が始まりました。1955年8月6日、広島で第一回の原水爆禁止世界大会が始まりました。
6, 被曝から12年後、1957年4月「原爆医療法」が制定されました。その後の被爆者の粘り強い運動により、順次対象者の範囲と給付内容を改善して、1994年12月に現在の「被爆者援護法」が成立しました。しかし、被爆者援護法により国が「原爆症」と認定している人は、ピーク時約37
万人の被爆者手帳所持者のうちわずか0.6パーセント、2200人程度で、認定は狭き門でした。
7, 原爆症認定の基準を狭くし、国の責任を狭めようとしたのです。被爆者と被団協はこれを許すことはできないと、全国で立ち上がり、2003年4月から各地の裁判所で合計306名の被爆者が原告となり、原爆症認定却下処分の取り消しを求める裁判を全国17カ所の裁判所で起こしました。これを原爆症認定集団訴訟と云います。
8, この集団訴訟は2006年5月の大阪地裁判決を皮切りに、これまでに全国で40件の原爆症認定を命じる判決を獲得しました。
9, 裁判を通じて実現したことがあります。
被爆者が法廷で被爆の現実と実体験を語り、裁判官は勿論、多くの人びとがこれを聞くことが出来ました。そして、国との論争で明らかになったことがいくつもあります。
① 放射線被爆の影響は一生続く それどころか死後も続くこと
(長崎の研究室に保存された被爆者の内臓から、70年経った今もアルファ線が出ていることが確認されています)
② 被曝により起こる病気には;
白血病はじめ種々のガン(胃、大腸、肺、肝臓、腎臓、
食道、前立腺、乳房、皮膚など)心筋梗塞、甲状腺機能低下症、白内障、脳梗塞、などがあることが判決で確認されています(別表参照)。
③ 被曝の影響は、広島・長崎での被爆者集団を対象とした疫学調査により確認されるが、それは今なお調査研究の途上にある
従って、放射線被曝の人体への影響で分かっているのはまだ5%にすぎない(放影研大久保前理事長)
④ 皮膚被曝線量は爆心地からの距離に必ずしも比例しない。
このことは、フクシマ原発から飛び散った放射性物質の線量が同心円ではなく、ホットスポットとして、特定地域で高線量を示すことで実証されています。
更に、直接被曝しなかった人が、家族を探して爆心地に入市し、残留放射線に被曝する、「残留放射線被曝」が重要です。
また放射線を浴びた食料、水を食べて身体の内部から常時放射線を浴び続ける、「内部被曝」を忘れてはなりません。
⑤ 援護対象者の限定
現在の被爆者援護法は、当初より原爆被害の内、熱線、爆風による被害を除き、放射線の被害だけに限定している その理由は、原爆以外の戦争犠牲者に対して国家補償が広がることを避けるためである
   
11,政府は相次ぐ国の敗訴に、2009年8月6日、当時の麻生太郎総理大臣と被団協、被爆者が「原爆症認定集団訴訟の終結に関する確認書」に調印しました。
いわゆる「8.6合意書」において政府は、
①  原爆症をめぐり国は被爆者との争いをやめ、訴訟原告である被爆者に補償を行う。
② 厚労大臣と被団協・原告団・弁護団は定期協議の場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図る。
と約束しました。

12,しかし、訴訟原告以外の多くの被爆者にとって重要な部分について、この合意は守られませんでした。 定期協議は形式だけとなり、行政は裁判所の判断基準を無視した原爆症認定却下を多発し、これを「司法と行政の乖離(隔たり)」と開き直り、更に厚生労働大臣は、2013年12月16日「新しい審査の方針・新基準」を定め、非がん疾患では直爆2キロ、入市1キロ以内などの枠を設け、これを機械的に適用して又もや原爆症認定請求を却下し続け始めました。厚生労働省は被爆者に、裁判をする勇気がなければ泣き寝入りしろ、と迫ったのです。

13,泣き寝入りできない被爆者は、集団訴訟が終わったあと、病気と高齢をおして、全国7地裁に118人が裁判に立ち上がりました。今日現在、控訴審2高裁(大阪、福岡で16名を含め)、と5地裁で88人の被爆者が裁判をたたかっています。
14,現在も厚労省は、
①  新基準からわずかでも外れると却下します。この約1年間、非がん疾患の認定率は43.54%です。全体で848人の被爆者が却下処分を受けています。
②  訴訟では、国の代理人は、被爆者に、70年前、どこで何Gyの放射線を浴びたのか、明らかにしない限り原爆症認定はしないといいます。
70年の時の壁を隔て、0歳で、5歳で被爆した者に、被爆線量を云え、とは無茶な言いがかりです。
12, しかし、ノーモア・ヒバクシャ訴訟提起後、この2年間に10件の判決がありました。大多数の事件で却下処分が取り消され、被爆者が勝訴しています。すでに出された判決では、白内障、心筋梗塞、慢性肝炎、骨髄異形成症候群(MDS)など、新基準による多くの却下処分を取り消し、厚生労働省の現行「新基準」がなお誤っていることを示しているのです。
③ ところが厚生労働省は、今や地裁判決で負けても、控訴して争いを続けています。
厚生労働省は著名な放射線医学者の名を連ねた論文を作成し、裁判所の判決を批判し続けています。その一例を示します。
◆甲状腺機能低下症、特に自己免疫性の低下症を放射線被曝によるものと認定した判決を、「医学的誤りを犯している」と批判する意見書を元放射線影響研究所理事長外の名義で作成し、提出しました。その内容自体が医学的矛盾に満ちたものであり、当方の反論により、批判に耐えないものです。
問題は、そのような意見書が何故作成され、提出されたかです。それは放射性物質の飛散により、甲状腺ガンや甲状腺機能低下症が起こっていることを否定したいからです。現在、フクシマの子どもを中心に甲状腺ガンや機能低下症のあるなしが論争されています。意見書作成をした医師たちは、政府の意を受け、その存在を否定する勢力の中心を務めているのです。チェルノブイリの実情を視察し、よく知っているにも拘わらずです。
原爆放射線の影響だけでなく、フクシマ原発の被害を過小に評価させるための役割を果たそうとしているのです。極めて政治的な動きであり、医師として、また科学者として、真理に仕えるのではなく、政治に仕える活動をしてよいのでしょうか? これは、フクシマの問題だけでなく、マーシャル諸島やカナダその他全世界の被爆者の問題であり、かつ原発周辺の住民、原発で働く労働者の問題、核燃料廃棄物の処理基準の問題でもあります。すべてはつながっています。

15,解決の方向性と展望です。
① 援護法の改正をし、個別認定をやめること、被爆者が一定の病気に罹患したら原爆症と認定する制度に変えることが当面の目標です。
② 放射線被害者の救済を命じた司法の判断基準を尊重した行政に改めることです。医学論争と放射線被害者の救済とは別個の次元に立ちます。また、原発の維持や核兵器を持ち続けようとする政治的意図により、被爆者の救済がゆがめられてはなりません。
③ 私たちは、これ以上放射線による被害者を出さないことを求めます。
同時に既に被害を被っている人びとに対して政府の責任で十分な補償を行うことを求めます。
④ これを達成するため、どのような運動を展開するか
✦世論と政治の力で、国が被爆者に対する国家補償の責任を果たすことを求める。
✦被爆者の願いは、原爆被害が二度とあってはならないことを、自分の体験をさらけ出す(示す)ことによって世界に訴えることです。
✦核実験の被害者、原発事故の被害者、原発稼働に必要な労働者の被曝、
核廃棄物による環境汚染、の防止と補償、そして核兵器の全面的廃絶。
これらを世界的規模で連帯して実現しなければなりません。万国の放射線被害者は団結しなければなりません。
✦世界人類の願いである核廃絶のため、被爆者はその先頭に立ちます。
 広島・長崎を訪れ、被爆の体験を知り、その声に耳を傾けることは核兵器廃絶の一歩なのです。

✦終わりに、(2014年12月)ローマ法王の言葉を引用して、結びとします。
「私たちは断片的に第三次大戦の中にある」、「広島と長崎から、人類は何も学んでいない。」
✦ノーモア・ヒバクシャ訴訟は、世界に向けてこのことを発信して行きます。ともにたたかいましょう。
                                                                 以上
2016.04.27 Wed l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
12月1日、神戸共立病院で、支援の会の中心であった大西正介さんを偲ぶ会が行われました。
弁護団からは、藤原精吾団長と、愛須が参加。近畿訴訟原告の木村民子さん、岡山訴訟原告の川中優子さんの他、被爆者の方々、支援の会、大西さんと長いおつきあいの民医連関係者など多数の関係者が参加しました。
ご家族からも奥様とお兄さんも参加されました。



大西さんは、原爆症認定近畿訴訟の公判を傍聴し、その裁判報告とともに、認定状況や厚生労働省の動きなど被爆者をめぐる様々な情報を網羅した「原爆症認定支援新聞」を116号も発行するなど、毎回の法廷について裁判傍聴記を書き続けてきた長谷川千秋さんとともに、原告や支援の人だけでなく世間に近畿訴訟を広く伝えてきてくれました(写真は挨拶する長谷川千秋さん)。

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原告の木村民子さんも、大阪からお一人で参加。

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岡山訴訟の原告・川中優子さんも。大西さんの支援活動の幅広さを思い知らされます。

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大阪支援の会の岩田幸雄さん。

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2012.12.03 Mon l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
2012年3月9日
原爆症認定近畿訴訟・大阪地裁判決についての声明
原爆症認定訴訟近畿原告団
原爆症認定訴訟近畿弁護団
原爆症認定集団訴訟支援近畿ネットワーク

1 本日、大阪地方裁判所第2民事部(山田明裁判長)は、原爆症認定近畿訴訟に 関し、未認定原告2名全員の却下処分を取り消し、「原爆症の認定をせよ」との勝訴判決を言い渡した。

2 今回の判決は、厚労省が、2008年4月から採用した「新しい審査の方針」(2009年6月改定)において積極認定の対象疾病とした心筋梗塞について、「放射線起因性が認められる」という不当な条件をつけ、ごく限られた近距離被爆者しか認定しない行政がなお誤っていることを断罪した。また、原爆症認定の義務付を求めていた原告について、その義務付を初めて認めるなど、画期的な内容となっている。

3 国は、「新しい審査の方針」によって、爆心地から3.5kmで直接被爆した者、原爆投下から約100時間以内に爆心地から2km以内の地点に入市した者を、積極認定の対象者としたにもかかわらず、現実にはごく限られた近距離被爆者のみ認定する運用を行っている。とりわけ、今回、判決を受けた原告らの申請疾病である心筋梗塞については、2008年4月から2011年3月までの間に認定を受けたのはわずかに122名のみで、却下数は971名にのぼり、認定率は11.1%に過ぎない。
原告らは、何れも「新しい審査の方針」策定後に却下処分を受けた被爆者であり、直爆2.5km、原爆投下直後に爆心地から1.5km付近まで入市した積極認定対象者である。
また、裁判所は、心筋梗塞と放射線被爆との間には放射線量の程度にかかわらず(しきい値の否定)、有意な関連を認めることができることを指摘した。このことは、現在の認定基準すら守らず、内部被曝の影響を無視し続ける国の姿勢を改めることを強く要請するものである。

4 国は、2009年8月6日、「原爆症集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」を締結したにも拘わらず、自ら定立した「新しい審査の方針」を無視して原爆症認定行政を再び後退させ、被爆者をなお苦しめ続けている。不当に認定却下処分を受けた被爆者は、これを甘受することができず、大阪地裁での本件提訴をはじめとして、広島、熊本、札幌、名古屋、岡山、長崎でもこれに続き、現在59名が集団訴訟後も新規に提訴して、司法による解決を求めている。

5 国が、21万余の被爆者の命ある内に、原子爆弾による被害救済の責任を果たすことこそ、地上から核兵器をなくすという人類の取るべき道を進めることであり、同じ放射線被害を受けた原発被害者の真の救済につながるものである。 
                                   以上
2012.03.11 Sun l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (1) l top
NHKの報道です。

菅総理大臣は、平和記念式典のあと広島市で被爆者団体の代表と面会し、原爆症の認定をめぐって被爆者団体側から早期に認定審査を行うよう求められたのに対し、「一日でも早く認定されるよう、審査に臨んでいる」と述べました。

菅総理大臣は、平和記念式典のあと、長妻厚生労働大臣とともに広島市内のホテルで被爆者団体の代表と面会しました。この中で菅総理大臣は、被爆者団体側から、およそ5500人が原爆症の認定審査を待っているとして、早期に審査を行い、認定するよう求められたのに対し、「政府としては着実に対応してきたつもりだ。待たされている方が一日でも早く認定されるようにという方針で、審査に臨んでいる」と述べました。


■菅首相、「政府としては着実に対応してきたつもりだ。待たされている方が一日でも早く認定されるようにという方針で、審査に臨んでいる」って。
パン・ギムン国連事務総長が広島・長崎で核兵器廃絶を訴え、アメリカのルース駐日大使が初めて平和式典に参加するという流れの中で、「核兵器の抑止力」を説いたり。そりゃ、選挙負けますよ。
2010.08.06 Fri l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (1) トラックバック (0) l top
昨日の高松地裁判決に対する弁護団の声明です。

2010年3月29日

原爆症認定集団訴訟・高松地裁判決についての声明
                                
                原爆症認定集団訴訟高松弁護団
                原爆症集団訴訟高松支援の会
                 原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会

1 はじめに
 本日、高松地方裁判所民事部(吉田肇裁判長)は、原爆症認定集団訴訟高松訴訟につき、厚生労働大臣の原爆症認定却下処分を取消し、原告の肝がんを原爆症と認める判決を言い渡した。
高松訴訟は、昨年8月6日に、国が原爆症認定集団訴訟の一括解決を決断し、日本被団協との間で調印した「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」の当時、未判決であったため、その後も審理が継続して本日の判決を迎えたものである。「確認書」により原・被告双方が本判決に控訴しないことにより判決が確定し、原告の原爆症認定がなされることになる。
2 判決の評価
本件判決は、これまでの集団訴訟の判決と同様、下記のとおり判示した。
被曝放射線量の評価に関するDS86、02等に関しては、残留放射線の影響の程度や内部被曝の評価について過小評価していると考えられ、これを前提に放射線起因性を判断することは相当でないとした。また、被爆者援護法の国家補償法的性格を有していることを考慮して放射線起因性を判断しなければならないとした。
そもそも、本件原告は、原爆投下後、長崎に入った入市被爆者であるが、入市日に争いがあるものの、申請疾病名は、肝がんであり、これまでの集団訴訟判決で示された司法判断に従えば、とうに認定されていてしかるべき原告であり、その救済は遅きに失したという他ない。
3 本日の判決は、原爆放射線による数々の後障害に苦しみ、被爆者であることを知られることをおそれ、被爆後64年間生き抜いてきた原告の苦しみ、あの過ちを2度と繰り返してはならないとの思いを正面から受け止めたものであるとともに、2008年4月の「新しい審査の方針」に基づく現在の原爆症認定のあり方も被爆の実情を反映せず、司法判断が示してきた水準にも到達しない不合理なものであることを改めて明らかにしたものである。
また、本件原告は、匿名のまま判決を迎えざるを得なかったが、そのことは何よりも被爆者に関わる問題が未だ全面解決されていないことを示している。
4 ところで、「確認書」が取り交わされるまで、原爆症の認定の滞留者は800 0名近くに及んでいたが、厚生労働省は、確認書締結後、急速に却下を出し続け、 本年2月には500人近い却下処分を出すに至っている。これは、「今後、訴訟 の場で争う必要のないよう」定期協議の場を通じて解決を図るとした「確認書」 の趣旨にもとる事態である。
厚生労働大臣は本日の判決を受け、立法解決を待つことなく、直ちに、原爆症認定行政の抜本的転換を行なわなければならない。そして原爆症認定を待つ被爆者の認定を促進し、今後被爆者が安心して原爆症の認定を受けられるようにすべきである。
本日の判決は、そのことを国に改めて求めたものというべきである。
5 現在、世界には核兵器の恐ろしさ、残虐さへの認識から、核兵器廃絶に向かう大きな流れが生じつつあり、本年5月にニューヨークで行われるNPT再検討会議には日本からも被爆者をはじめ多くの市民が参加する。
今こそ、唯一の被爆国である我が国政府は、核兵器の惨禍を繰り返してはならないという思いから立ち上がった被爆者の声に耳を傾け、苦しみに目を向け、そして被爆者の訴えを世界に発信し、核兵器廃絶に向けた主導的な役割を果たすべきである。原爆症認定問題の解決はその第一歩である。
                                  以上
2010.03.31 Wed l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
日本被団協が、ノーベル平和賞に推薦されたそうです。
推薦したのは、ジュネーブに本部を置くIPB(国際平和ビューロー)。
引用文では、過去3度の推薦とありますが、5度目の推薦だそうです。

“IPBは2010年ノーベル平和賞に被爆者を指名する(2010年1月28日)
 国際平和ビューロー〈IPB〉はいまいちど日本の団体であり、広島・長崎の被爆者を代表する日本被団協を指名した。このふたつとない重要な団体の指名は今度で3度目である。
 この特別なノーベル賞指名をくり返すにはいくつかの理由がある。
 1.被爆者は、前世紀のもっとも恐るべき破壊行為の後遺のなかで、計り知れない勇気をもって65年の歳月を生き、みずからの苦しみをいまなお続く大量破壊兵器の脅威への積極的で長期の抵抗に変える方途を見出してきた。
 2.被爆者の社会では、構成員が歳月とともに衰えていく。世界が顕彰するのは今をおいてない。
 3.国際社会のもっとも権威ある平和の栄誉を核の犠牲者に授与することは、核拡散の危険にとどまらず、2009年ノーベル平和賞受賞者バラク・オバマの政治的イニシアチブなどによってもたらされた軍縮の重要かつ新たな可能性に世界世論の目を開かせることになる。
 4.我々は、この指名がアルフレッド・ノーベルの遺志の意義と精神に完全に合致すると信じている。


オバマ大統領もノーベル平和賞を受賞し、5月にはニューヨークでNPT再検討会議が開催されます。
被団協がノーベル賞を受賞すれば、さらに核廃絶に向けた大きな前進になることは間違いありません。
大いに期待したいと思います。
その前に、原爆症認定の大量滞留問題の解決、被爆者援護法の改正に向けても、被団協が大いに奮闘することを期待したいと思います。弁護団も一緒にがんばります!!
2010.01.29 Fri l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
ドイツ反核の旅
明けましておめでとうございます。
昨年は,原爆症認定集団訴訟で大きな前進を勝ち取りました。
近畿弁護団では,今年も,認定促進訴訟などを通じて,原爆症認定問題の全面解決向けて奮闘する決意です。

写真は,昨年11月,近畿弁護団で原爆症認定訴訟の成果を持って,ドイツに行ってきたときのものです。
ドイツの反核法律家協会(IALANA)の皆さんや,ドイツ市民と反核問題で交流をしてきました。
今年5月にはニューヨークでNPT再検討会議が開催されます。
今年が核兵器廃絶に向けて大きく踏み出す年になるよう,世界に向けてメッセージを発信していきたいです。
2010.01.04 Mon l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top