被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(54)

第7民事部医師尋問において労作性狭心症の放射線起因性を明快に証言!
肥田舜太郎先生のご冥福をお祈りいたします。
2017年3月21日(火)


 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は3月14日(火)が地裁第7民事部、15日(水)が地裁第2民事部と2日連続の法廷となった。第7民事部(山田明裁判長)の原告は5人、その内の一人宮本義光さん(大阪市、79歳)の審理が先行して進められており、14日は本人尋問と医師証人尋問とが同一日に行われた。

 午後1時30分開廷。奥さんに付き添われて入廷した宮本さんが証言台に着いた。主尋問は小瀧悦子弁護士が担当。実は後の報告集会で知らされたことだが小瀧弁護士はこの日がノーモア・ヒバクシャ訴訟で初めての尋問だった。宮本さんは耳があまりよく聞こえない。このため質問は大きな声を必要とし、回答も一言一言区切るようして行われた。
 尋問は、8月9日から始まる宮本さんの体験とその後の人生を一つひとつ丁寧に確認するように進められていった。宮本さんは7歳の時、長崎市稲佐町の淵神社の近く、爆心地から1.8kmで直接被爆した。翌10日本原町一本木にある母の実家を訪ねて、浦上川左岸を北上し、浦上天主堂の北側を歩いて横断した。ほぼ爆心地の最も酷い放射線の中を通り抜けたことになる。浦上天主堂の崩れ落ちた鐘楼や鐘を見つけ、父親と一緒にお祈りをしたことが強く心に残っている。宮本さんはカトリック信者であることを後で知った。体が真っ赤に焼け爛れた人たち、手指の先から皮膚が垂れ流れている人たち、真っ黒に焼け焦げて亡くなっている人や牛、「水ばくれんねぇ、水ばくれんねぇ」と声をかけてくる瀕死の人たち、生きているのか死んでいるのか分からないままにたくさんの人が水路に折り重なっていた様子など、長崎の街々、浦上の道々で遭遇した惨状を宮本さんは一つひとつ脳裏に思い浮かべながら語っていった。
 10日間ばかりを母の実家近くの防空壕で暮らした。狭い壕の中では毎日死者が出た。その中で傷ついた被爆者と体を寄せ合い、食べものを分け合い、井戸水を飲んで命をつないだ。吸引、飲食を通して内部被ばくも相当あったはずだ。直接被爆、入市被爆、内部被ばく、宮本さんはあらゆる形で、放射線を深刻なほどに浴びている。
 その後五島にある父の実家を頼ることになった。五島に渡る船の中で激しい下痢に襲われた。下痢はその後も長く宮本さんを襲い続けることになった。元々は元気でとても健康だった宮本さんだが、被爆後は虚弱になり、学校も休みがちで、怪我をした時など傷口がいつまでも治りにくい体になってしまった。
 宮本さんは平成12年(2000年)62歳の時に大腸ポリープが見つかり手術、翌平成13年(2001年)63歳で胃がんのため胃の3分の2を切除した。宮本さんとまったく一緒に被爆したお兄さんも胃がんを発症し、41歳の若さで亡くなっている。平成22年(2010年)71歳の時に脳梗塞を発症し、その後労作性狭心症と診断されて今も通院治療を続けている。原爆症認定申請の申請疾病はこの労作性狭心症だ。
 これほど明瞭で深刻な被爆の実態があるのだから、もはや事実認定について争う余地はない。反対尋問は宮本さんの下痢について医者の診察や診断があったのかとか、昭和32年の原爆被爆者調査表には下痢の記録がないけど何故なのか、などといった質問に終始した。60年も70年も前のこと、手帳の取得すら本人ではなく父親がやってくれたのであり、細かなことまで記憶に残っているはずがない。それでも宮本さんは懸命にあの頃の日々を思い出そうとし、言葉に詰まりながらも質問に答えようとした。それは、あの凄惨な被爆の実態を、なんとか国の代理人にも、裁判官にも理解してもらいたい、その一心だったように見えた。反対尋問はさらに喫煙、飲酒など昔の生活習慣のことについてもカルテと申請書との食い違いなどを細かく質問してきた。傍聴席から聞いていると「尋問のための尋問」がなされているようにしか思えなかった。

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(宮本夫妻と担当の小瀧悦子弁護士)

 この日の後半は大阪・西淀病院副院長の穐久(あきひさ)英明医師の証人尋問で、主尋問は弁護団事務局長の愛須勝也弁護士によって行われた。穐久医師は各種論文を引用する形をとりながら、心疾患を含む非がん疾患の低線量域でも放射線の影響が明らかにされていること、被爆によって免疫機能が低下することが証明されてきていること、被爆者には炎症反応がありしかも持続し被ばく線量と関係していること、また、喫煙など生活習慣があった場合でも、そのことが放射線との関係に影響するものではないことなどが証言されていった。さらに、動脈硬化や心・血管疾患の危険因子である高血圧、高脂血症、炎症自体にも放射線被ばくの関与があり、それを介して動脈硬化が促進され心・血管疾患の増加に繋がることが明らかになっていると示された。

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(医師尋問を終えた穐久英明先生)

 宮本さんの安定狭心症は心筋梗塞とは発生機序が異なるというのが国側の主張のようだが、その点も、安定狭心症であろうと不安定狭心症であろう動脈硬化性の虚血心疾患に変わりなく、安定か不安定化で区別する必要はない、と明快な証言だった。国側が絶えず持ち出してくる他原因論(喫煙、飲酒、糖尿病等)について、放射線影響研究所のLSS(寿命調査)やAHS(成人健康調査)も諸々の他原因を織り込んだ上で判断されているのであり、他原因が放射線との関係に影響を及ぼすことはないと報告されていることも説明された。
被爆の程度、生じている健康状態、証言してきた各種の知見を総合的に見て、宮本さんの狭心症の放射線起因性は間違いないと断言され、要医療性の必要性も説かれて主尋問は終わった。

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(反対尋問で厳しい異議を申し立てた尾藤廣喜幹事長)

 反対尋問では安定(労作性)狭心症と不安定狭心症とは機序が異なるとする立場から、そこにこだわった尋問がしきりにされているようだった。途中で、国側代理人から「放射線の関わらないリスクによって狭心症が発症する場合があると思いますか?」という訳か分からない質問がなされて、医療一般について問いただすような尋問になりかけた。原告側代理人席の尾藤廣喜弁護団幹事長から「異議あり!」の声が飛び、裁判長からも「様々なリスクから発症するのは当たり前でしょう。質問を変えるように」と諭される場面もあった。最後には、穐久医師が「放射線の影響を無視した前提でアレコレ質問するのはおかしいのではないですか」と反対に意見されて、国側代理人が「ああそうですか!」と半ば投げ出すような態度になり、反対尋問は打ち切るように終えられた。
 その後陪席裁判官、裁判長からも、狭心症と心筋梗塞との関係、放射線被ばくによって動脈硬化を発症する機序、全身の動脈硬化が脳梗塞にも狭心症にも至ることなどについて質問された。穐久医師の証言をより詳しく理解しようとするような質問態度だった。
報告集会には宮本さん夫妻、穐久医師、小瀧弁護士も参加されてそれぞれ挨拶があり、みなさんからも今日の尋問を労う拍手が送られた。 

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(穐久医師の尋問担当の愛須勝也弁護士)

 愛須弁護士から、宮本さんについては6月30日までに最終準備書面の提出、7月14日が最終弁論、年内に判決言い渡しとなる予定があらためて報告された。

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(新人の喜久山大貴弁護士)

 翌3月15日の第2民事部(西田隆裕裁判長)では、昨年12月27日付で自庁取り消しによって原爆症認定された淡路登美子さんの件を取り上げて意見陳述された。その内容は2月28日の第7民事部で意見陳述されたものとほぼ同じであり、傍聴記№52(2017年3月3日付)で紹介した。淡路さん本人が口頭で意見陳述する予定とも言われていたが結局この日は愛須弁護士が代理人として意見陳述を述べることになった。淡路さんは原爆症認定却下処分の取り消し請求は取り下げることになるが、損害賠償請求は引き続き求めていくことになる。原告としてこれからも頑張っていかれることに変わりない。

 この日の意見陳述を聞いていてもあらためて現行の認定行政の不公正さを強く思わざるを得ない。淡路さんが二度目の認定申請をしたのは平成20年(2008年)9月。平成22年(2010年)7月に再び却下されて、平成25年(2013年)1月に提訴した。淡路さんが却下された時に諦めてもし裁判に訴えていなかったらどうなっていたか。間違いなく却下処分が見直されたりすることはなく、すべてはそこで終わっていたはずだ。裁判に訴えたおかげで、厚生労働省はもう一度係争中の被爆者のカルテなどを調べ、淡路さんのダンピング症候群の状況などを把握し、裁判に勝ち目のないことを判断して自庁取り消しに及んだのだ。裁判に訴えることのできる人は認定を得ることができ、裁判に訴えることのできない人は泣き寝入りするしかない、そうした歪んだ行政の典型ではないか。しかも淡路さんの場合、裁判所という別の視点からの判断によって認定されたのではなく、判決の前に同じ厚生労働省が自ら誤りを認めて却下処分を翻したケースだ。被爆者が提訴できたかできなかったかによってこんな真反対の結果がもたらされる、これほど不公正で酷い話はない。

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(豊島達哉弁護士と原告の淡路登美子さん)

 昨年12月12日に行われた厚生労働大臣との定期協議では2013年12月以降の認定申請者数は4,700人、内認定された人数は3,025人と報告された。したがって却下処分された人数は1,700人ほどにもなるが、2012年以来のノーモア・ヒバクシャ訴訟を見ても提訴できた被爆者は112人でしかない。1割にもはるかに遠い6.5%だ。誰でも裁判できるわけではない事実が如実に示されている。しかも勝訴率は88.6%にも及ぶ。

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(締めの挨拶、藤原精吾弁護士)

 この歪んだ行政の実態を早く多くの国民にも知らせ、政治の場にも訴えて、一日も早くあるべき認定制度を実現していかなければならない。そのためにも闘われているノーモア・ヒバクシャ訴訟の一つひとつを完全に勝利していくことがますます重要だ。

 本稿を書いている最中に肥田舜太郎先生逝去の報が飛び込んできた。肥田先生とは個人的に面識があったわけではないが、いつも近しい人、親しく私たちを見つめていただいている先生、という思いを抱いてきた。被爆者運動や、被爆2世・3世の運動に携わってきた人たちはみんなそうだったのではないか。「被爆者は絶対に癌で死んではいけない(原爆に負けてはいけない)・・・ そのために、徹底して健康に計画的な生活をして免疫力を高め、ガン検診を頻繁に受けて、自ら放射線の影響があり得ることを自覚して、小さいうちに早く見つけて、退治すること・・・」どこかで読んだ先生のこのメッセージを印象深く覚えている。放射線の世代を超えた影響と向き合わざる得ない被爆2世・3世も、この言葉にどれだけ励まされてきたことか。
 肥田先生のご冥福を心からお祈りいたします。

肥田先生
(被爆者のために生涯を捧げられた肥田舜太郞先生
原爆症認定集団訴訟が大勝利を収めたのは、肥田先生の証言の力が大きい。
安らかにお眠り下さい。)

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 5月11日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 5月12日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 6月 3日(土) 14:00 近畿訴訟勝利をめざすつどい 大阪グリーン会館
2017年 6月15日(木) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 結審(原告6人)
2017年 7月14日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 1人結審の予定


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2017.03.22 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(53)
「論文執筆者が自らの論文を貶めて意見書を書く」卑劣なやり方を糾弾!
福島第一原発事故から7年目の日を迎えて!
2017年3月11日(土)


 ノーモア・ヒバクシャ訴訟で争われている心筋梗塞、甲状腺疾患等の非ガン疾患の放射線起因性は、地裁ではすでに数多くの起因性を認める判決が下され原告勝訴を積み重ねてきている。それにも関わらず国は依然として争いを続け、控訴審において逆転判決に持ち込もうとする姑息な手口をとってきている。放射線起因性を認める判決の根拠の一つに採用された論文に対して、論文の執筆者に「自分の論文は放射線起因性の根拠にはならない、判決は誤りだ」と主張させ、国の求めに応じて自らの論文の価値を否定する意見書を提出させる、という卑劣なやり口で、特に控訴審において横行している。弁護団は看過できない事態だとして、3月7日(火)、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟控訴審Cグループ(大阪高裁第13民事部・高橋譲裁判長)において、このことを徹底して糾弾するため、尾藤廣喜弁護団幹事長が意見陳述に立った。

 尾藤弁護士が今回の陳述で批判対象として取り上げたのは甲状腺疾患の専門家とされる永山雄二医師の意見書だ。永山医師は慢性甲状腺炎(橋本病)と放射線被曝との関係について述べた自らの論文の評価を自ら貶める内容で意見書を提出している。具体的には、マウスを使った動物実験は特殊なマウスに特定の条件下で放射線照射した実験だったとか、機序(メカニズム)を解析するために行った実験では積極的な結果は得られていないとか、そしてマウスを使った実験結果がヒトに対しても同様に起こるとは言えないなどと述べている。もともと起因性を認めた判決は永山論文だけを根拠にしているのではなく、数々の調査データ、研究結果に基づいて行われているのだが、永山意見書は動物実験の目的、実験計画の検討、その意義などに全く触れることなくそれらを無視して、自己の実験を意図的に貶めることだけを目的に書かれたものだ、と尾藤弁護士は厳しく批判した。

 永山意見書の問題をよりリアルに解き明かすために尾藤弁護士は、薬害スモンの原因となった「キノホルム」についての動物実験に対するチバガイキー社(以下「チバ社」)の応答実例を紹介した。尾藤弁護士はかって薬害スモン訴訟の事件を担当した弁護士で、その経験、蓄積が縦横に生かされた陳述のように見えた。尾藤弁護士の陳述を要約すると次のようになる。
1962年、スイスの獣医ハンガルトナーがエンテロヴィオフォルム(チバ社の開発したキノフォルム)投与で異常を発症した犬についてチバ社に問い合わせをした。それに対してチバ社は投与量の問題だとか食餌アレルギーによるものだと誤魔化して回答し、ヒトに対する投与については何の対応もしなかった。一方でチバ社は獣医の間に回状をまわし、エンテロヴィオフォルムはヒトのために開発されたものなので、小動物には投与しないようにと「珍妙な」警告をして事態収拾をはかろうとした。つまり犬への投与実験によって重篤な副作用結果があっても、それはヒトには当てはまらないという詭弁を使って副作用を無視し続けた。もし犬に対する投与結果をヒトに当てはめて規制を行っていれば、日本での多数のスモン患者発生はなかったと言われている。チバ社は自社の利益のために動物実験結果を無視したのだ。

 今回の永山意見書もチバ社の応答とまったく同じだ。永山医師は、ヒトで起きる可能性のある事象(害作用)についてはマウスで実験しても意味がないと決めつけ、そして発症機序(メカニズム)を解析できて初めて意味のある研究になるのだとして、放射線と慢性甲状腺炎(橋本病)の関連性を否定しようとしている。しかもチバ社の場合は第3者の獣医からの問い合わせに対して誤魔化しをしたものだが、永山医師の場合は自らの論文を自ら否定して誤魔化そうとするものであるから、チバ社以上にひどい問題で、科学者にあるまじき、許されない所業だと尾藤弁護士は批判した。

 尾藤弁護士はさらに今日の医療・科学界における動物実験の持つ重要性について、1964年採択のヘルシンキ宣言(第18回世界医師連合総会)を紹介しながら明らかにした。動物実験は合法的手段により動物福祉に配慮して倫理的に行われ、社会的認知の中で研究成果をあげなければならない(社会的に適正であること)、再現性の高い結果を得るために均質な実験動物、均質な環境や方法で行われなければならない(科学的に適正であること)などだ。さらに動物実件は「どういった事象が動物個体に発生したかの分析」(反応の検出)こそが大事なのであって、永山意見書のような「機序を解析できて初めてヒトに対しても推論可能性が出てくる」などといった考え方が認められる余地はない。ヒトとマウスとは極めて酷似していてマウスの実験動物としての適切さも十分に証明されていること、練り上げられた実験計画によって得られた知見であることなども詳しく述べられ、ヒトに応用することの科学的根拠が示された。

 永山意見書が全くのごまかしの論理であることに加えて、永山医師は自らの論文のことを「この研究結果を論文として発表した際には、何らかの結論を述べなければならないことから、末尾に『低線量放射線は、甲状腺自己免疫を増悪させる可能性が示唆される。』と記した」などと弁明にもならない、誠に見苦しい「弁明」を書いている。本来論文に誤りがあると認めるならそれはまた論文にして自己批判が展開されるべきことだが、そうではなく世間から隠れるようにして裁判所にだけこっそりと意見書として提出するなど、科学者として恥ずべき行為だと、尾藤弁護士は永山意見書と国のやり方を糾弾して陳述を締め括った。


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 報告集会では、この日の意見陳述でなぜ永山意見書批判を詳細に展開したのかについて、その背景、経緯、理由についてもう一度簡潔に報告された。地裁レベルではすでに数多くの判決も積み重ねられていて、司法判断の定説のような状況も作られている。しかし控訴審になった場合、まだまだ判決が揺らぐ可能性は残されていて、特に専門家や権威というものに対して弱さが見せられる場合もある。武田武俊さんや梶川一雄さんの逆転敗訴判決がその好例で、苦い思い出として残っている。そうはならないように、国の持ち出してくる意見書や主張の本質を裁判官にしっかりと理解してもらうために、今日の尾藤弁護士の意見書は準備されたのだ、と強調された。

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 一審原告6人が争う訴訟控訴審Cグループは次回の弁論日程が5月11日(木)、次々回が7月13日(木)と決まっていて、この日が最終弁論、結審となる予定だ。いよいよ年内にも判決言い渡しの可能性が出てきた。

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 東日本大震災、東電福島第一原発事故発生からまる6年が経過した。依然として事故の収束目途は立たず、汚染水の流失も放射線の放出も続いている。避難者は福島県だけでも未だ8万人にのぼり人々の健康と生活は深刻な事態が続いている。こうした状況にも関わらず安倍政権はこの4月、限定された帰還困難区域以外のすべての地域を避難指示解除することにしている。避難解除は損害賠償の打ち切り、住宅無料提供の終了なども伴うもので、実質的な強制帰還、被災者切り捨て以外のなにものでもない。この避難指示解除の根拠とされているのが「空間線量20㍉シーベルト/年は人体に影響しない」とする「放射能安全論」だ。本来は、原子炉等規制法や放射線障害防止法によって、許容される放射線量は1㍉シーベルト/年と厳しく定められているにも関わらず、福島第一原発では今もって緊急事態宣言が発せられたままで、それを根拠にダブルスタンダードが公然と通用している事態だ。
 この「20㍉シーベルト安全論」の押し付けに寄与しているのが、国の求めに応じていかようにも自説を展開する「専門家」「権威筋」の先生方だ。私がノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟と共に支援活動している福島から京都に避難している人々の裁判=原発賠償京都訴訟では、1月27日と2月17日の2回に渡って専門家証人尋問が行われた。東電・国側の証人として登場したのが、酒井一夫、柴田義貞、佐々木康人の3名で、いずれも、2014年5月にノ―モア・ヒバクシャ訴訟の判決を批判するために提出された35人連名意見書「原子爆弾による放射線被爆と健康影響に関する意見書」に名前を連ねている人たちだ。3名は、ひたすらICRPやUNSCEARの権威に頼って「放射能安全論」を主張し、原発事故被災者に実際に発生している健康障害や低線量被曝の危険性、不安に応えることはなかった。


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 今回の尾藤弁護士の意見陳述を聞いても、あらためてノ―モア・ヒバクシャ訴訟において放射線起因性を明らかにし認めさせていくことが、福島原発事故被災者の救済と放射能汚染からの防護、健康とくらしの対策にもつながっていくものであることを実感する。被爆者のための原爆症認定制度抜本改革をめざすと共に、「福島切り捨て」を許さず、原発事故被災者の完全救済、真の放射能防護対策確立、「原発ゼロ」の日本をめざしていきたいと思う。7回目を迎えた3.11の日にあたって。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 3月14日(火) 13:30 地裁 第7民事部 806号 本人・医師尋問
2017年 3月15日(水) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 5月11日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 5月12日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 6月 3日(土) 午後 近畿の支援のつどい(大阪グリーン 会館)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 7月14日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 1人結審の予定


2017.03.12 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
意  見  陳  述  書
                   2017年(平成29年)3月7日

大阪高等裁判所第13民事部E2係御中
              控訴人兼被控訴人ら(一審原告ら)訴訟代理人
                   弁護士   尾  藤  廣  喜

1 一審被告は、甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎について長瀧論文、永山論文等を引用して放射線起因性を認めた原判決が誤りであ ると主張し、長瀧論文、永山論文等は、放射線起因性を認める根拠にならないと主張しています。
 そして、今回は永山意見書(乙A642)で、永山論文について永山雄二医師自らその内容を以下のとおり低い評価をなし、さらに、慢性甲状腺炎(橋本病)と放射線被曝との間に有意な関連性が認められたとする信頼性のt高い髙い科学的知見は見当たらないと主張し、一審被告は、これを一審被告の主張として引用しているのです。
 即ち、永山医師は永山論文について、①非常に特殊なマウスに、特定の条件で放射線を照射した場合に、甲状腺炎の程度と抗サイログロブリン抗体価が上昇していることのみを明らかにしたに過ぎず、②その機序を解析するために行った実験では、何ら積極的な結果が得られてないので、その結果がヒトに対しても同様に起こり得るとまでは言うことができないなどと主張しているのです。
 このように研究者が自らの論文の内容や意義を、論文ではなく、国の求めに応じて意見書の形で自己否定するというのが、この裁判における最近の特徴になっていますが、今回の永山意見書による永山論文の否定は、以下に述べるとおり誠に見苦しいものと言わなければなりません。

2 もともと原判決は、永山論文だけを決定的根拠として甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎について低線量を含めて放射線起因性を認めたものではありません。大阪高等裁判所の2008年(平成20年)5月30日判決では、自己免疫性でない甲状腺機能低下症について、成人健康調査第8報やマーシャル諸島の核実験で被曝した子どもの例をもとに放射線起因性を認めています。

3 また、そもそも、永山医師の上に述べたような意見は、動物実験を行った目的、実験計画の検討、動物実験の意義などを全く無視し、自己の実験を意図的に自ら貶めるもの以外の何ものでもありません。
 ここで思い出されるエピソードは、薬害スモンの原因となった「キノホルム」についての動物実験に対するチバガイキー社(以下「チバ社」という。)の応答です。
 これは、スイスの獣医ハンガルトナーが、1962年12月にチバ社に対し、下痢症状のある数匹の犬にエンテロヴィオフォルム(チバ社の開発したキノホルム)を与えたところ、てんかん様の発作を起こし死亡した事実をあげ、その後も2度にわたってチバ社に問い合わせを行ったところ、チバ社は、アレルギー症状に関する質問であると曲げて解釈した上で、投与した量が多かったとか、食餌アレルギーによるものとしてごまかして回答したのです。そして、チバ社は、結局、ヒトに対するエンテロヴィオフォルムの投与については、何らの対応をしなかったのですが、獣医の間には回状をまわして、エンテロヴィオフォルムは、ヒトへの投与のために開発されたもので、イヌ、ネコなどの小動物には投与すべきではないなどという誠に「珍妙なる」警告を発して事を治めようとしたのです。つまり、イヌに対する投与実験の結果、重篤な副作用がみられても、これをそのままヒトに適用することは敢えてせず、イヌ、ネコなどの小動物に対する薬の投与結果は、ヒトには全くあてはまらないなどという詭弁を使って、エンテロヴィオフォルムの投与の副作用を無視し続けたのです。
 もし、このイヌに対する投与結果をヒトに当てはめてこの段階で何らかの規制を行っていれば、日本における多数のスモン患者の発生はなかったと言われています。チバ社は、自社の利益を守ために敢えて動物実験の結果を無視したのです。

 「キノホルム」についての動物実験に対するこのようなチバ社の応答は、第三者の行ったイヌへの薬剤の投与という動物実験の結果明らかになった副作用について、開発者がイヌとヒトは違うのであるから、そのままヒトにはあたらないとの詭弁を弄して、薬剤の副作用報告を無視したものでした。ところが、本件の場合、永山医師は、ヒトで起きる可能性のある事象(害作用)についてマウスを用いた実験で推測してもあまり意味がないなどと決めつけ、さらに、その機序を解析することができて初めてヒトに対しても推論可能性のある意味のある研究となるものと考えられるといい、「自己の実験の価値を自ら否定」して、放射線と慢性甲状腺腺炎(橋本病)の関連性を否定しようとしているのですから、チバ社の応答以上に、科学者としてまさに見苦しい主張といえます。

5 もともと、動物実験は、今や広範な領域で利用され、とくに今日の医療と医療技術を支え、人類の健康や福祉の向上に貢献してきました。第18回世界医師連合総会(1964年)で採択された「ヘルシンキ宣言」によれば、ヒトを対象とする医学研究は適正な動物実験に基づいて実施させるべきであることが明記されています。つまり動物実験はヒトを対象とする医学研究の前段階として不可欠なものであるとされているのです。そして、ここでいう「適正な動物実験」とは、1つには、「社会的に適正であるこること」であり、これは、合法的手段により動物福祉に配慮して倫理的な動物実験を行い、社会的な認知の中で研究成果をあげることとされています。また、もう1つは、「科学的に適正であるこること」であり、これは、再現性の高い実験結果を得るために均質な実験動物を用い、均質な環境や方法で動物実験を行うことであるとされています。
なお、動物実験とは、「動物個体に対して処理を施し、その反応を検出する」こととされておりまして、そのメリットは、「動物個体に対して」というところにあり、個体レベルでしか現れないような複雑な現象を追跡することが可能であるところにあるとされています。
また、動物実験の原理について見れば、動物実験は、「反応の検出」といいまして「どういった事象が動物個体に発生したのかの分析」こそが大事なのであって、永山意見書にあるように、「マウスを用いた実験で再現できた事象について、さらにその機序を解析することができて、初めてヒトに対しても推論可能性のある、意味のある研究となるものと考えられる。」などというものではありません。
 しかも、本件では、マウスが実験動物として用いられていますが、ヒトとマウスの間では、90%の相同率であるとされており、お互いに極めて酷似していると言われているなど、様々な要素から、マウス・ラットは、もっとも実験動物として適切なものとされており、特に、マウス・ラットから得られた知見がヒトに応用できる科学的根拠が十分にあることが示されています。したがって、「ヒトで起きる可能性のある事象を、マウスを用いた実験で再現することは、それのみではあまり意味がない」などということはあり得ませんし、もしそうであれば、わざわざ貴重な生命体である動物を実験として使用する意味が全くありません。
 また、動物実験の場合、「事前に実験計画を練り抜く」ことが必須とされておりまして、どのような動物のどのような種類を何頭(匹)用意し、これにどういう処置を加え、どのように分析するかを予め検討しておくことが当然の前提となっています。
 本件の場合、この実験においては、「慢性甲状腺炎自然発症マウスNOD-H2h4」を用いたのですが、そのマウスを選択した理由は、「通常のマウスにヨード負荷や放射線照射をしても免疫について何の影響も現れないから」あえてこのマウスを選択したということでありまして、この選択は、事前に練った実験計画に基づくものであり、その実験の結果得られた知見をヒトに応用することについては、十分な科学的根拠があるものです。

6 以上のとおり、永山氏の主張は、チバ社の言い訳と同様に全くのごまかしの論理であります。しかも、「この研究結果を論文として発表した際には、何らかの結論を述べなければならないことから、末尾に『低線量放射線は、甲状腺自己免疫を増悪させる可能性が示唆される。』と記載した」などと言う主張を、論文ではなく、裁判所に提出する意見書の形で展開することは、科学者として恥ずべき弁明というべきです。
 なお、慢性甲状腺炎(橋本病)と放射線被曝との間に有意な関連性が認められたとする信頼性の高い髙い科学的知見は見当たらないとの主張の誤りにつきましては、控訴人第10準備書面4で詳しく述べておりますので、ご覧下さい。
以上

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2017.03.07 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(52)
20年もの年月を費やさなければならなかった認定措置に憤り!
第2民事部自庁取り消し認定について
2017年3月3日(金)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟は1月11日(水)奈良地裁での出張尋問を経て、2月28日(火)、同じ第7民事部の審理が今度は大阪地裁で行われた。2月28日(火)~3月1日(水)の両日、静岡市と焼津市で2017年3.1ビキニデー集会が行われており、そちらに参加される人も多く、今回はやや寂しい傍聴席となった。

 この日の法廷では愛須勝也弁護団事務局長による意見陳述が行われた。1月11日の奈良での報告集会でも紹介されたが、第2民事部の淡路登美子さん(大阪府河内長野市、74歳)が年初めに自庁取消によって認定を得られた。そのことの経過と、そこに表れている今日の原爆症認定行政の問題点を厳しく指摘、批判したのが今回の陳述内容だった。
 淡路さんは平成6年(1994年)、51歳の時に胃がんの摘出手術をしており、翌平成7年(1995年)に原爆症認定申請したが却下された。それがもともとの始まりだった。淡路さんは2歳の時の被爆(広島市)なので被爆状況の記憶は何もない。当時のことを知っているはずの母親は認定申請の時には既に亡くなっており、被爆時11歳だった姉も認知症を患っておられるため、誰からも詳しい被爆状況など聞くことができなくなっていた。被爆者手帳に記された爆心地からの距離は4.1kmとなっていたが、なぜ4.1kmなのかも分らなかった。この頃の厚生労働省は「内規」による審査基準で2.5km以遠は線量評価ゼロとしており、放射線起因性はないと機械的に否定された却下だった。
 胃の手術後の淡路さんは後遺症に苦しむことになり、とてもつらい人生を強いられてきた。食事は一口食べただけで動悸が激しくなり、脂汗が出てきて、気分が悪くなる症状を繰り返してきた。食べることの楽しさが失われ、生きていくことの価値さえ疑ったこともあった。術後の倦怠感から勤めも続けられず術後1年で退職せざるを得なかった。医師からは「ダンピング症候群があるが仕方ない。慣れただけで決して治っている訳ではない」と言われてきた。手術から20年を越える今も経過観察のために通院し、ビタミンB12の不足や鉄欠乏性貧血などのため必要な処方を受け続けている。
 その後原爆症認定集団訴訟の一連の判決の積み重ねの結果、平成20年(2008年)積極的認定範囲なるものが設定され、がんの場合は爆心地からの距離が3.5kmまでと拡大された。淡路さんは自分の手帳に書かれている爆心地からの距離が気になり、一緒に被爆した姉妹に確かめたところ姉たちの距離は3.1kmになっていることが分った。そこで平成20年(2008年)に被爆距離訂正の旨を記載してもう一度認定申請を行なった。
 しかし、被爆距離は3.1kmに訂正することが認められたものの、原爆症認定申請は2010年に再び却下された。今度は、胃がんの手術後10年以上経過し今は医療を要する状態にないとの判断で、要医療性の欠如が却下理由だった。後遺症に苦しみ続けている淡路さんにとってこの却下処分はどうしても納得いかず、異議申し立てとそれの棄却を経て、平成25年(2013年)1月提訴に踏み切った。
 提訴から4年、この間淡路さん本人による意見陳述は一度行われたが(2013年4月)、それ以外には国からの主張書面提出は一本もなく、本人尋問も医師証人尋問も行われないまま、今回突然の認定という事態になった。しかも、本人に対しても代理人弁護士に対しても、何故認定されることになったのか、一片の説明もなく、認定が遅れたことについてのお詫びの一言もないまま、結論だけを通知する極めて官僚的な扱いだった。
 淡路さんが胃がん術後に襲われてきたダンピング症候群は、平成19年(2007年)仙台地裁、平成25年(2013年)長崎地裁、平成27年(2015年)東京地裁と、司法判断において放射線起因性、要医療性共に認められてきた実績が既にある。国は争いを続けようとする過程で淡路さんのダンピング症候群の治療の事実が明らかになってきたため、自庁取り消しで認定することに至ったのだ。
 愛須弁護士は、今回の淡路さんの事案には、今の原爆症認定をめぐる問題が集約的に表れていると、5点に渡って厳しく指摘した。具体的には、被爆者の中には今も差別を恐れて手帳申請すら躊躇する実態が存在していること(淡路さんは父親の強い反対で長く手帳の交付申請をすることができなかった)、認定基準が数次にわたって改定され認定範囲が拡大されても過去に切り捨てられた被爆者は救済されないまま放置されていること、認定に不服があれば訴訟を強いられるという「8・6合意」に反する実態、訴訟になっても証拠の散逸による立証の困難さ、国はどれだけ裁判で敗訴してもそれは個別事案の判断だとして抜本的解決をはからないまま同じ主張を繰り返していることなど。
 こうした国の誤った態度を正していくためにも、認定基準の根本的転換をせまる判決を強く求めるとして陳述は締めくくられた。
淡路さんは裁判の訴えを取り下げることになるが、第2民事部の次の法廷(3月15日)で淡路さん本人が取り下げに当たっての意見陳述を行なうことになった、と報告集会で紹介された。もともとの胃がん手術から20年を越える年月を費やさなければならなかった今回の事態。淡路さんのそのことへの思いを精一杯ぶつけて欲しいと思う。
 閉廷後の報告集会ではこの間の全国対策会議の状況が報告され、また、今後の第7民事部の日程も報告、確認された。次回3月14日(火)には原告の一人宮本義光さんの本人尋問と医師尋問が同一日に行われる。次々回は5月12日(金)が弁論、さらにその次の日程も7月14日(金)と決められた。5人の原告の内宮本さんの訴訟が先行して進められ、7月14日には結審、年内にも判決言い渡しの予定となった。



 アメリカ・トランプ大統領は就任以来人権無視の入国制限令などに引き続き、「史上最大の国防費増額」宣言をし「軍事的覇権主義」を露わにしてきた。それと連動して核兵器政策についても、「世界が核に関して良識を取り戻すまで、アメリカは核戦力を大幅に強化、拡大する必要がある」とツイッターなどで明言したことが報じられた。国連において、世界113ヶ国という圧倒的多数の国々の賛成で禁止条約交渉決議が採択されたこと、この3月からその交渉のための会議が開始されることなどまるで眼中にない“暴論”が平然と繰り広げられることに強い憤りを覚える。
 日本政府は、禁止条約は「核兵器国と非核兵器国の亀裂を深め、核兵器のない世界の実現が遠のく」などと理由を述べて、こともあろうに国連決議に反対した。トランプ大統領の宣言は、日本政府の態度など何の役にも立たない、アメリカの圧力に屈服しているだけの卑屈な言い訳でしかないことを、むしろ明らかにしているのではないか。
 今月27日(月)からいよいよ国連における核兵器禁止条約締結交渉のための会議が始まる。被爆者の悲願、核兵器廃絶を求める全世界の人々の願い実現に向けて、歴史の歯車が大きく回転していく可能性が近づいてきた。核保有国やそれに追随する一部の国々を追い詰め、核兵器禁止条約締結交渉を力強く後押しし、成功させていくために、「ヒバクシャの訴える核兵器廃絶国際署名」を一層広範な人々に訴えていきたい。被爆の実相を語り広めていくとりくみもこの機に合わせてさらに強めていきたい。そして、そのことと連携させながら、一体のものとしてノ―モア・ヒバクシャ訴訟の裁判一つひとつを必ず勝ち切っていこう。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 3月 7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 3月14日(火) 13:30 地裁 第7民事部 806号 本人・医師尋問
2017年 3月15日(水) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 5月11日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 5月12日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 6月 3日(土) 午後 近畿の支援のつどい(大阪グリーン 会館)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 7月14日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 1人結審の予定


2017.03.04 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(51)
奈良の地で今年最初のノ―モア・ヒバクシャ訴訟勝利に向けた集会開催!
新年早々自庁取消による原爆症認定も!
2017年1月12日(木)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の2017年最初の裁判となる大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)の原告W・Hさん(男性、京都府在住、72歳)に対する本人尋問が、1月11日(水)、奈良地方裁判所に出張して行われた。W・Hさんが大阪まで出向くのも難しい体調のため、住まいに近い奈良地裁で行なわれることになったもの。私たちの強い要望にも関わらずこの日の尋問は非公開とされたため、傍聴することはできず、法廷の様子は、閉廷後の報告集会で聞くことになった。

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 この日の報告集会は奈良県原水協や奈良の支援の人々の手によって奈良県教育会館会議室を会場に準備された。傍聴のできない裁判ではあったが、近畿一円からたくさんの支援のみなさんが駆け付け会場は溢れるばかりとなった。地元奈良からも多くの参加者があった。
 今日の本人尋問に原告のW・Hさんは二人の息子さんに伴われてのぞまれており、その足で報告集会にも一緒に参加された。報告集会はそのW・Hさんの挨拶と感想から始められた。W・Hさんが私たちに胸の内を初めて明かされる機会となった。W・Hさんは生後1歳4ヶ月の被爆なので直接の体験記憶は何も語ることができない。記憶のないことで救われることもあるが、語れないことについての忸怩たる思いもあり、その両方がいつも心の中で交錯している。平成22年に原爆症認定申請したが却下され、異議申し立ても却下され、その段階ですべてを諦めてしまうところだったが、それでは自分の人生が終わってしまうような気がしてならなかった。そこで困難な闘いになるかもれしないことは覚悟の上で裁判に訴えてチャレンジしてみようと思い立った。幸いにも久米弘子弁護士にお目にかかることができ、たくさんの激励もアドバイスもいただいて今日までを迎えることができた。これからも気持ちを引き締めてやっていきたい。被爆者の中では最も若い部類に入ることになる。先人たちの闘いを思い抱きながら、何としても勝利したい。また、絶対悪である核兵器の廃絶に向けて多くの人々に希望が芽生えるような結果を勝ち取っていきたい。

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 尋問を終えたばかりで、体調は厳しい状況だったはずだが、発せられるメッセージはとても力強いものだった。
 続いて今日の主尋問担当の久米弁護士から、W・Hさんの被爆の状況、提訴に至る経緯、今日の尋問のことについて、まとまった紹介と報告が行われた。W・Hさんは昭和19年の生まれ、1歳4ヶ月の時、広島の爆心地から2.5kmの距離で原爆に遭った。お母さんに抱かれて授乳の最中で、母子共にガラス破片が全身に突き刺さり、全壊した家の下敷きになった。お姉さんに助け出されて辛うじて一命は取りとめることができた。今も体中に傷跡が残っている。4歳の頃まで広島に居て、その後大阪に転居した。子どもの頃からずっと体の具合が悪く、特に季節の変わり目が深刻だった。学校もよく休み、体育の授業はほとんど休んでいた。高校を卒業して就職したが、長期に休まざるを得ないことが多く、このため長くは続けられず、14回ほども転職を余儀なくされてきた。母親から、被爆者は差別されるから人には言うな、被爆者健康手帳も取得するなと言われ続けてきた。母親が亡くなった後に、お姉さんから勧められてはじめて手帳は取得した。33歳の時だった。
 W・Hさんの申請疾病は慢性腎炎(IgA腎症)で免疫性の腎炎。国側はW・Hさんに対しても他原因を主張している。高血圧、高脂血症等で、今日の尋問でもW・Hさんの腎炎は糖尿病性腎炎ではないかと、そこにこだわった質問をしていた。しかしW・Hさんは糖尿病の薬は一度も服用していない。また高脂血症自体が放射線被ばくによって発症するものであることも明らかになっており、それらのことについてこれから更にしっかりと主張していくことになる、との説明だった。
 久米弁護士は、W・Hさんの尋問態度はきちんとした回答だったと、労いを込めて紹介された。藤原精吾弁護団長もW・Hさんの気持ちがそのまま表された証言だったと評された。出張尋問であったにも関わらず裁判官は裁判長以下3名とも出席されており、尋問内容はしっかりと聞き届けられたのではないかとのことだった。
 尚、W・Hさんが提訴された際の最初の意見陳述は2015年3月10日、小林務弁護士が代読する形で行われており、その内容は傍聴記№27で紹介している。
 久米弁護士の報告の後昨年10月27日の第7民事部判決で勝訴し、その後判決確定となった地元奈良県大和高田市在住のE・Kさんから挨拶が行われた。E・Kさんは、私も3年頑張って認定を得ることができた、W・Hさんも頑張って下さい、と熱いエールを送られた。

 続いて愛須勝也弁護団事務局長から新年早々の嬉しいニュースが報告された。第2民事部で係争となっている淡路登美子さん(大阪府河内長野市、74歳)が1月4日付で、厚生労働省の却下処分自庁取消により認定されたとの報告だ。淡路さんは2013年1月に提訴、同年の4月に自ら意見陳述を述べられているが、その後本人尋問も医師証人尋問も行われないままに来て、今回いきなりの認定となった。証拠の調査や提出がなされてきた過程で淡路さんに有利な内容が続出し、国は主張書面も出さないままに争うことを諦めたようだ。弁護団にも本人にも何の連絡も説明もないまま認定通知書だけがいきなり本人に送りつけられてきたようで、そのあまりにひどい国の態度には強く憤慨されている。本人は最初振り込め詐欺ではないかと疑われたほどだ。
 淡路さんは平成6年に胃がんの手術をし、翌7年に原爆症認定申請したが却下。その後原爆症認定集団訴訟の闘いの成果で認定基準もある程度改善拡大されてきたことを背景に、平成20年に再度申請した。今度は放射線起因性は認められたが、既に術後10年以上経過しているので要医療性に欠けるという理由で却下された。2度目の申請疾病は胃がん術後後遺症だったが認定された疾病は胃がんとされている。胃がんで認定されるのなら最初の申請から今日までのこの21年はどうなるのだ、という思いは募り、怒りは増す。
 ともあれ、判決を待たずに認定されたことは嬉しいニュースであり、2017年の運動を勢いづけるものにしていこうと、参加者一同喜びを共有した。

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 報告集会では藤原団長から、年明け1月9日~10日に福島で行われた、近畿弁護団、東京弁護団、東友会の合同合宿の内容が紹介された。主要な会議内容は、一つは国側に動員された専門家を名乗る人たちの他原因論を中心にした論立てにどう反論を展開していくか、もう一つは、裁判だけに限定しない被爆者の願い実現の運動をどのように広げ変えていくか、であった。議論の過程で、原爆症認定訴訟の闘いの歴史は、原爆放射線のもたらす影響の真実を深めるものであったこと、また、被爆者だけの問題ではなく人類全体の被害に通じる問題であることを医学的にも社会的にも広めていったこと、があらためて確認された。

 国の全面的な抵抗を打ち破る必要性に迫られていること、政府の姿勢を変えられないまま被爆者の減少が進む事態は許されなくなっていること、そして被爆者が自らの体験に基づいて訴えてきた核兵器廃絶を禁止条約の締結によって実現させなければならないところまできていること、そうした意味でノ―モア・ヒバクシャ訴訟は今が最後の決戦の場であることが強調されている。
 合宿は2017年の運動の出発点となり、私たちの課題を明確にした重要な場となった。藤原団長から、今年の年末には運動の大きな前進が確認できているような、そうした1年にしていこうとのよびかけが行われた。

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 この日の報告集会ではいつもとは少し異なる新鮮な人々の紹介や行動提起も行なわれた。
 新しく弁護団に加わられた市民共同法律事務所の喜久山大貴弁護士が紹介された。喜久山弁護士は28歳。戦争を知らない世代だが、被爆者のみなさんが自らの原爆症認定だけでなく核兵器廃絶をも訴えて頑張っておられる意識の高さに感銘している、との自己紹介がなされた。

 この日のために多数駆け付けられた奈良県の支援のみなさん一人ひとりも紹介された。奈良県の被爆者の会は今はなくなっているが、今回の集会を機会に、再びみなさんが力を合わせられる機会と場を、そして被爆二世・三世の人たちのつながりも作られていくことを願いたい。
その他、国連総会決議に基づいた核兵器禁止条約の交渉開始に呼応して「ヒバクシャの訴える核兵器廃絶国際署名」を推進すること、1月28日~29日の関西原水協学校への積極的な参加、が訴えられた。6月3日(土)には大阪グリーン会館で「近畿の支援のつどい」が開催されることも紹介された。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 3月 7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 3月14日(火) 13:30 地裁 第7民事部 806号 本人・証人尋問
2017年 3月15日(水) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 5月11日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 5月12日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 6月 3日(土) 午後 近畿の支援のつどい(大阪グリーン 会館)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)

2017.01.12 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
本日は、第7民事部に継続している訴訟の原告Wさんの尋問が奈良地方裁判所に出張して行われました。

Wさんは、京都府在住の原告で大阪地裁に提訴していますが、大阪地裁まで出向いての尋問は体力的にきついため、居住地に近い奈良地裁に出張しての尋問となったものです。
弁護団は、せっかく奈良地裁で行うので、公開して実施するように申し入れましたが、裁判所は所在尋問として行うとして非公開で行われました。ただ、裁判官3人全員、弁護団、被告代理人も双方10人以上が参加していつもと同じ雰囲気の中、尋問が実施されました。

原告のWさんは、1歳4か月のときに、広島の爆心地から2.5kmの吉島町で被曝。
ご本人には記憶はないものの、お母さんやお姉さんから聞いていた話から被曝状況を再現。
授乳中に爆風でお母さんとともにガラスが突き刺さり、今も顔や腕に傷が残ること、爆風で家全体が崩れ、下敷きになったところを助け出されたという被曝状況を話されました。

Wさんの申請疾病は、慢性腎不全(Iga腎症)。
被曝後は、倦怠感が続き学校での体育も見学、疲れやすいために仕事も長続きしなかったことなど、被曝後の苦しみを供述されました。
Wさんの息子さん2人が付き添われましたが、Wさんは、「34歳くらいまで家族にも被曝のことを内緒にしており、倦怠感やだるさから家でも横になることが多かったので、家族からも怠け者と思われて理解されなかった時期もあったかもしれない、しかし、こうして二人の息子が付き添ってくれてありがたい」と供述していたときには、ご本人も二人の息子さんも涙ぐんでいました。
Wさんは、たとえ、命を取り留めたとしても、その後、長年にわたり健康状態をむしばみ、差別を恐れ、偏見に苦しむ原爆の非人道性と核兵器の廃絶を訴えられました。

国は相変わらず、高血圧や食生活、糖尿病の他原因が原因だと聞くだけ。
反対尋問の所要時間を大幅に切り上げて尋問を終えました。

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尋問後は、裁判所裏の教育文化会館で尋問終了を待った支援の皆さんと一緒に報告集会。

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尋問を担当したのは、久米弘子弁護士、小林務弁護士、諸富健弁護士の3人。
諸富弁護士は、京都弁護士会に所属していますが、地元奈良在住。
報告集会は京都の支援の会の小杉さん。

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非公開の尋問だっただけにどれだけの方が参加されるか心配しましたが、会場いっぱいの参加者。
写真には写っていませんが、昨年末、大阪地裁で勝訴され、確定した原告のEさんも参加。

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つい最近、弁護団に加入してくれた新人の喜久山大貴弁護士。
久米弁護士、諸富弁護士、塩見弁護士と同じ京都の市民共同法律事務所。
これからの活躍を期待して下さい。

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裁判傍聴記の初代執筆者の長谷川千秋元朝日新聞大阪本社編集局長も参加。
病気のため、以前のように裁判傍聴もままならないものの、今回は、お住まいの近くの奈良地裁ということで参加。
「核兵器廃絶に抵抗する安倍政治を終わらせるまで死ねない」とお元気な姿を拝見して安心しました。

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いつも傍聴してくれる元国労争議団で国際人権活動家の大矢勝さん。
奈良県山添村の出身。
最後は、大矢さんのコールで「団結がんばろう!」

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最後は藤原団長の締めの挨拶。
1月8日、9日の両日、東京弁護団、近畿弁護団、東友会、それと医師団の齋藤先生の合計22名が参加して行われた福島合宿の模様も紹介。
全世界で取り組まれているヒバクシャ国際署名と裁判、運動の力で、今年の暮れには前進を確認できるように奮闘を誓い合いました。
2017.01.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(50)
厚労大臣との定期協議において認定制度見直しを厳しく追及!
  2017年度は制度の抜本改革に向け力強く前進を!
2016年12月25日(日)

 5回目となる日本被団協・原爆症認定集団訴訟原告団・弁護団と厚生労働大臣との定期協議が12月12日(月)、ほぼ2年ぶりに開催された。この2年間、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟の勝訴判決は積み重ねられてきたが、厚生労働省側に認定制度に対する変化が見られたわけではなく、今回の定期協議では一体どこに焦点が当てられるのだろうかと思いつつ、傍聴参加させていただいた。

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 あらかじめ用意された統一要求書に対する塩崎厚生労働大臣の回答は、2013年12月に策定された新しい審査方針によって認定件数は大きく改善されているとしきりに強調し、あくまでもそのことを基調とするものだった。新しい審査方針策定以降審査件数4,700件に対して、内3,025件が認定されている、特に非がん疾患は前回定期協議の時の60件から今回329件までになっているではないか、と。では認定されなかった、行政によって切り捨てられた1,700人もの人たちはどうなっているのか。

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 それこそが被爆者側にとって重大な問題であって、意見交換の中で安原幸彦全国弁護団連絡会副団長からそのことが追及された。却下処分された1,700人の内裁判に訴えることのできた人は1割にも満たない。提訴もできずに他界された人も少なくない。しかし裁判に訴えれば90%以上の高い割合で認定されている。司法統計によると行政訴訟の通常の勝訴率は10%程度であってそれと比較しても際立った実績だ。もはや行政処分と司法判断とのかい離をあれこれの理屈で説明できる事態ではない。実際上被爆者の認定は裁判を起こせるか否かで決まっており、そんな不公正で、歪んだ行政が許されるはずがない。認定の基準見直しなどで解決できる問題ではなく、制度そのものの改正が待ったなしとなっている。そのための議論を行なうべきだと。

 誰もが容易に裁判できるわけではない―被爆者のそうした実情を被団協中央相談員所委員の西本多美子さんが石川県の例をあげて鮮烈に訴えられた。石川県は保守性が強く、自らの被爆を隠すようにして生きている被爆者は少なくない。2003年以降原爆症認定申請をした人は37人だが、却下されて提訴できない人が25人もいる。提訴した人は一人もいない。そうした実態が却下された3人の被爆者の例によって紹介された。

 ある被爆者は生後6ヶ月の時爆心地から4.3㌔の家屋内で被爆。翌日母親に背負われて長崎市内に入った。3日後皮膚がはがれ、髪の毛全部が抜けるほどの体験をした。母親は翌年2月医師にも判断のつかない病気で他界。本人も脳梗塞、肺がんを患い、今また前立腺がんとなっている。当時のことを証明できる人もいなくなっている。

 2人目の被爆者は生後10ヶ月の時母親に背負われて2.5㌔の路上で被爆。母親も本人も大きな火傷を負った。母親は31年後に大腸がんで亡くなり、本人も幼い頃から病弱な子として育った。甲状腺機能低下症、心疾患に襲われている。

 3人目の被爆者は12歳の時3㌔の路上で被爆。女学校1年生で仲の良い同級生3人と一緒だった。1人は即死、1人は1ヶ月後に死亡。その後本人は学友探しのため3日間も爆心地に入市した。46年前から不眠症、狭心症を発症し、今甲状腺機能低下症に苦しんでいる。
3人とも提訴していれば必ず勝訴、認定されていたはずだ。各地のノ―モア・ヒバクシャ訴訟の判決を見ればそのことは歴然としている。でも差別と偏見を恐れてそれができずみんな泣き寝入りをしているのだ。誰もが容易に裁判できるわけではない―西本さんの訴えはそのことを痛烈に告発し、厚生労働大臣に制度の抜本的見直しを迫った。

 2009年8月9日に交わされた確認書は、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図る」と約束した。しかし現実はそれとはまったく真逆の、訴訟の場で争わない限り認定されない事態が続いている。そしてその訴訟は誰もができるわけではなく、提訴できる人は限られた一部の人でしかない。この日、被爆者、原告、弁護士側は10人を超える人々が現行認定行政の不公正・不正義を次々と訴え、制度改定とそのための協議を求めた。

 厳然たる事実に基づいて、被爆者の思いのこもった訴えの前に、厚生労働大臣はもはやまともな回答をすることはできなかった。現実に存在している、誰が見ても明らかな行政と司法判断とのかい離について、そのことを正面から認めて向き合うことなく、最後までほとんど訳のわからない言い訳に終始した。特に、行政処分は限られた時間の中での審査のスピードが問われているが、裁判の方は数年かけて審理をするので、その過程で新しい事実などが発見される場合もあって、そういう審査のプロセスの違いが少なからずかい離を生む要因、背景になっている、との説明には驚くばかりだった。早い話が、行政の仕事は雑だが、裁判は丁寧にやるので、そこから違いが生まれる、と言っているようなものだ。この回答を聞いた瞬間、率直に言って大臣の頭の中を疑ってしまった。大臣答弁がいくら官僚作成メモによるものだと言っても、こんな答弁を平然と口にするとはあまりにも酷い、見識の問われる問題ではないか。

 1時間という限られた時間枠で行なわれる会議なので、最後は被爆者の求める制度改革に向けて今後はそのための定期協議に改めていくよう強く訴えられて、この日の定期協議を終了した。

 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟は、10月27日(木)地裁第7民事部で勝訴判決を受けた2人の原告(E・KさんとU・Kさん)について、国は控訴しないこととなり、11月10日勝訴判決が自然確定した。事実関係が詳細に調べられ事実認定も丁寧に積み上げられ、判決理由もきっぱりと示されていたために、国も最早反論の余地がないと判断したのではないかと思う。

 12月12日の定期協議の場で塩崎厚生労働大臣は、一審で国が敗訴した場合、その判決は詳細に検討して新しい審査方針から外れる場合以外は控訴しないようにしている(できるだけ裁判しないよう努力していると言いたいらしい)と説明していた。そうであるなら、当初2人の被爆者の認定申請を却下したことと、今回控訴をしないと判断したこととの間にどのような事情の違いがあるのか明らかにして欲しいと思うものだ。却下処分の日から勝訴判決確定の日まで要した時間は2人ともまるまる3年間にも及ぶ。何のためにこれだけの時間を費やさなければならなかったのか。その責任も問いたい。

 12月は、12月16日(金)に高裁第13民事部(Cグループ)と地裁第7民事部、12月21日(水)に地裁第2民事部の3つの裁判が続いた。
12月16日(金)は午前中がまず高裁第13民事部(高橋譲裁判長)で、午前11時からいつもの202号大法廷で開廷された。双方の準備書面等確認の後、吉江仁子弁護士による口頭意見陳述が行われた。吉江弁護士の陳述は11月27日大阪地裁第7民事部判決を採用したもので、特にU・Kさんの心筋梗塞に関わる判決を「ノ―モア・ヒバクシャ訴訟」における最新の判断だとして陳述された。高裁第13民事部は6人の原告だが内2人が心疾患(狭心症、心筋梗塞)を申請疾病としている。国の主張する認定基準の誤りを明瞭に指摘して退けた地裁判決の要点を解説し、この判断枠組みを十分尊重するようにと訴えられた。

 この後法廷では国側から申請されていた証人申請について双方の主張が交わされた。国は前回の法廷で甲状腺機能低下症の専門家だとする紫芝(ししば)医師の証人尋問申請の意向を明らかにしていたが、加えて今回もう一人の証人申請の意向も示した。国の申請する証人は関係する疾病一般についての専門家であって、訴訟の中心である放射線被ばくとの関係を明らかにするものではまったくなく、証人としての適格性に欠け、その必要性のないことは一審原告側から前回徹底して明らかにされ批判されていた。そのことは今回も重ねて主張された。その結果裁判長は国側申請の証人を採用しないと判断を下した。裁判はまだまだ続くが、重要な判断の下された瞬間だったような感じがした。
 その後次回の期日は決まっているが(3月7日)、次々回(5月11日)、さらにその次(7月13日)まで日程は確認され、裁判長からは7月13日を最終期日とすることまで告げられた。予定通りに進められれば2017年内にも判決という可能性が出てきたことになる。

 この日は二つ目の裁判が午後2時から、今度は地裁第7民事部(山田明裁判長)での弁論が行われた。第7民事部は10月27日の2人の原告への勝訴判決に続いて、5人の原告の裁判が引き続き行われる。原告それぞれに関わる書状と、今後の取り扱いについて確認された後、野口善國弁護士からの意見陳述が行われた。野口弁護士は12月12日の厚生労働大臣との定期協議の内容について述べ、2003年からの原爆症認定集団訴訟の経緯、集団訴訟の結果としての確認書と、しかしそれが守られてこなかった事態、今回の定期協議での国と厚生労働大臣の不誠実極まる姿勢と態度などを厳しく指摘した。そして認定行政がこのような事態に陥っている以上裁判所の役割は重大だとし、厚生労働省がとっている誤った認定基準の根本的転換を迫る判決を下されるようにと求めた。

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 裁判後の報告集会において、今後の日程が2月28日(火)、3月14日(火)、5月12日(金)と決まったことが確認された。第7民事部はその前に1月11日(水)にも奈良地裁への出張で本人尋問が行われるが、こちらは非公開で行われることになった。但し、尋問終了後の報告集会は大勢の参加者で開催することが計画されており、必ず成功させようと確認し合った。

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 翌週の12月21日(水)、ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の今年最後の裁判が大阪地裁第2民事部(西田隆裕裁判長)で行われた。但しこの日は口頭弁論はなく、傍聴参加者はやや肩透かしの格好で最後の報告集会だけにのぞむことになった。
 報告集会では藤原誠吾弁護団長と尾藤廣喜弁護団幹事長から、先日の定期協議の感想とより詳しい様子なども報告された。2009年の「8・6合意」以降原爆症認定申請した人は26,107人、この内却下処分された人は12,012人、そして却下されて裁判に訴えた人(ノ―モア・ヒバクシャ訴訟)は121人、わずか1.0%でしかない。誰もが裁判できるわけではない事実がここに如実に示されている。一方、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟でも勝訴率は85%を越えており、“訴訟で争う必要のない制度”を確立する必要性が誰が見ても明らかになっている。
厚生労働省における社会保障の切り下げ政策推進は甚だしく、原爆症認定行政もそれと一体となって後退している。そうした中でも与野党含む国会議員への働きかけが強められ、そうしたこともあって今回の定期協議は実現した。今後も力を合わせていく必要がある。日本被団協もあらためて国民的規模で原爆症認定制度の改革を訴える広報用リーフレットを作成するなど準備をすすめている。核兵器廃絶の世界的規模での前進と共に、認定制度の改革も必ず前進させる2017年度にしていきたい、と訴えられて今年最後の報告集会を終えた。

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 2016年、振り返ってみると近畿訴訟は全体で16回の裁判が行われた。1日複数回の裁判もあるので傍聴支援のみなさんは14回、大阪の裁判所に足を運んだことになる。2月25日には高裁Bグループの梶川一雄さんの判決で悔しい逆転敗訴判決があった。10月27日には地裁第7民事部で2人の原告の完全勝訴を勝ち取った。そして、裁判の数にはカウントされないが武田武俊さん、梶川一雄さんの二人の最高裁上告が棄却され敗訴が確定したのもこの2016年度の残念な結果だった。

 最高裁の上告棄却決定に対しては私たちはもはや何もなすことはできず受け入れるしかない。しかし、第二審の高裁判決は不当判決だと確信をもつて上告したわけであり、何がどう不当判決だったかについてはあらためて銘記し、忘れないようにしておく必要があると思う。少なくともノーモア・ヒバクシャ訴訟傍聴記でどうレポートしていたかは振り返っておきたい。

 武田武俊さんの控訴審判決は昨年の10月29日。武田さんは一審で勝訴判決を得ていた。控訴審は1年間に渡り4回開廷されたが、裁判の流れを見る限り誰もが原判決支持、勝利を確信していた。しかし結果は逆転敗訴判決。判決文正文が判決に間にあわない、異例の、不可解な事態の中での言い渡しだった。不当判決の最初の問題点は武田さんの入市日の事実認定が翻されたことだ。一審は原告本人の訴えを尊重したが控訴審は様々な理由をつけてそれを否定した。しかも武田さん本人は控訴された後他界されていて、原告本人に問い質すこともなく事実認定が言わば勝手に変えられて、そんなことがあっていいものかと強い不信感を抱いた。入市日の事実認定を変え、それによって被ばく線量を極めて軽微なものに描き直し、武田武俊さんの肝細胞がんの放射性起因性否定につなげられた。加えてC型肝炎ウイルス感染という他原因論も採用され、一連のノ―モア・ヒバクシャ訴訟では退けられてきたはずのしきい値論の復活と、C型肝炎には放射線被ばくが影響するとした所見からの後退だった。判決文は控訴側、非控訴側双方の主張を一応書き並べながら、最後は極めて政治的な判断で結論を下したような印象を与える、と言われた。権威・権力に擦り寄って被爆者の請求を退けた判決だと言われたが、国側の激しい抵抗、巻き返しを感じざるを得ない判決だった。

 梶川一雄さんの判決は今年の2月25日。梶川さんも一審は勝訴判決で、一審の判決内容を見る限り控訴審でも勝訴は間違いないと思われていた。梶川さんの裁判は初回がいきなり山科章という国側証人の尋問で、2回目が最終弁論・結審というテンポの早さだった。山科証人は心筋梗塞の専門家ではあっても放射線被ばくとの関係では何の知見も持たず、実績もない人で、そのことは尋問でも最終弁論でも徹底して批判された。しかし判決はほとんど山科証人の主張に沿った内容で書かれた。塩見卓也弁護士など原告側代理人の主張は「採用できない」の一言で片付けられ、その理由すら述べられない酷さだった。また他原因があるだけで放射性起因性が否定されたり、被爆者側に不当に高度な立証を要求したりと、一連の原爆症認定訴訟判決から後退し、松谷訴訟最高裁判決にも反したものだった。厚生労働省は2013年12月策定の新しい認定審査方針に強い意思を持っていて、裁判所がそれに屈したのが今回の判決。武田さんのケースよりさらに露骨に、最初から結論ありきの判決だったのではないか、と言われた。

 敗戦から学び、次の闘いを準備し、これまで以上の巻き返しをはかっていく。毎回の報告集会で報告される弁護団の対策会議や医師団との共同作業の様子、法廷でのやりとりに、その後の弁護団の奮闘ぶりを実感してきたのも2016年度の特徴だった。その到達点、成果が10月27日地裁第7民事部での完全勝訴だった。

 核兵器禁止条約について交渉する国連の会議が2017年3月と6月に開催されることが国連総会で決定された。被爆者が自らの体験を通して人類の危機を救おうと訴えてきた運動の一つが、歴史の歯車を大きく回転させようとしている。この歯車の回転に拍車をかけるためにも、特に国連総会決議に反対した日本政府の姿勢を変えていくためにも、そのことと深く結びついた本当の被爆者救済、被爆者認定制度の抜本改革を2017年度は力強く推進させていきたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 1月11日(水) 13:00 地裁 第7民事部 奈良地裁大法廷
(非公開) 本人尋問(原告1人)
14:00 奈良県教育会館にて報告集会
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 3月 7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 3月14日(火) 13:30 地裁 第7民事部 806号 本人・証人尋問
2017年 3月15日(水) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 5月11日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2017年 5月12日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)

2016.12.31 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(49)
大阪地裁第7民事部 2人の原告完全勝訴!
判決結果と判断基準に従って認定制度の速やかな抜本改革を求めていこう!
2016年10月30日(日)

10月27日(木)、ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟・地裁第7民事部(山田明裁判長)の2人の原告E・Kさん(84歳、男性、奈良県大和高田市、申請疾患は陳旧性心筋梗塞と腹部大動脈瘤)とU・Kさん(84歳、女性、神戸市、申請疾患は乳がん)が判決言い渡しの日を迎えた。

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午後0時25分、いつものように裁判所前の若松浜公園に集合。判決前集会を行ない、入廷行進をして806号法廷に向かった。澄み切ったさわやかな秋晴れ。集団訴訟の頃からいつも藤原精吾弁護団長によるお天気占いが恒例で、判決前の緊張感を和らげていたが、今回は「もはやお天気占いなどしている場合ではない」とにこやかに宣言。それだけ緊張感のある、決意のこもったあいさつが行われた。

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入廷行動_convert_20161030124438

近畿訴訟は、昨年の10月29日、今年2月25日と控訴審で2回連続の逆転敗訴判決を許した。今度こそ絶対に勝たなければならないという思いを胸に、一方でそうはならなかった場合のことも頭をかすめながら傍聴席に着席、開廷を待った。
1時10分開廷。山田裁判長が毅然とした態度で、ゆっくりと落ち着いた口調で主文を読み上げていった。2人の原告の名前こそ読み上げられなかったが、ともに「厚生労働大臣による原爆症認定申請却下処分を取り消す」ときっぱりと言い渡された。やった!勝った!瞬間、ぐっとこみあげるものがあった。裁判官退廷と同時に、法廷内で誰からともなく拍手が湧き起こった。裁判所正門前では、駆け付けた小林務弁護士と愛犬クルーを伴った吉江仁子弁護士によって「全面勝訴!」、「被爆者には時間がない、早期全面解決を!」の旗出しが行われ、歓喜の輪に包まれた。報告集会のために北浜ビジネス会館に向かう支援の人々は、久々に足取りも軽く感じられ、全員の顔に安堵と喜びの笑みが溢れていた。

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午後2時から勝利判決集会が行われた。最初に愛須勝也弁護団事務局長から判決の結果・要旨が次のように報告された。判決全体について、二人の申請疾患(陳旧性心筋梗塞、腹部大動脈瘤、乳がん)のすべてが原爆症と認められ、完全勝訴であった。判断基準もこれまでの原爆症認定訴訟の基準が集大成されたようにきっちりと示され、すべてが的確なものだった。その上で特に4つの重要な点が説明された。
第一は、残留放射線の影響や内部被曝の可能性が特に強調され位置づけられたこと。そして国の主張する「推定被曝放射線量」などの個別問題が否定されただけでなく、今日の判決は2013年12月に国が策定した新しい審査の方針そのものが間違っていると、立ち至って判決されたこと。
第二は、国が盛んに主張してきた他原因論について、仮に他原因があってもそのことによって放射線起因性が否定されるのではなく、むしろ放射線の影響と他原因とが重なりあって複合的に発症するとみるのが自然であり、合理的なのだと判決されたこと。
第三に、心筋梗塞におけるしきい値論も否定され、しきい値は認められないと明確にされたこと。
第四に、事実認定については原告である被爆者の供述に重きをおいて判断が下されたこと。U・Kさんの場合唯一の争点は入市日の事実認定にあった。U・Kさんは自らの体験と記憶から8月11日~12日に長崎市街を歩いて縦貫したと供述し、国は被爆者手帳の記載を根拠に入市日は8月14日だと主張した。裁判所は被爆者の体験に基づいた供述にこそ重きを置いて判断すべきとし、当時の長崎の状況なども事実関係を詳細に調べ、一つひとつ丁寧な事実認定を行なってU・Kさんの訴えを認めた。手帳申請時の記載の方が間違いであるとした。被爆後71年が経過し、被爆者の記憶の減退や証人による証明も難しくなってきている今、被爆者の供述を中心にして判断、判決していく姿勢は大きな意味を持ってくる。
今回の判決で、控訴審で2回連続して逆転敗訴してきた悪い流れはきっぱりと断ち切ることが出来た。第7民事部はこの後も5人の原告の裁判が続く。同じ裁判長の下で、同じ判断基準が示されていけば私たちは希望を持ってのぞんでいける。第7民事部だけでなく、第2民事部にも、高裁Cグループにも、そして全国の裁判にも影響を与え、力にしていくことができる。

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記者会見を終えて勝利報告集会に足を運ばれた二人の原告に支援のみなさんからお祝いの花束と万雷の拍手が贈られた。お二人からはお礼とこれからもよろしくとのあいさつが述べられた。その中でU・Kさんは昨年10月22日の本人尋問での国側代理人の反対尋問のことに触れられた。本人にとって忘れることのできない尋問だったのだと思う。あの日の尋問の様子は傍聴記№33でレポートしたが、まるで刑事事件かと思わせるような酷くて異常な尋問だった。最後は「手帳記載内容が間違っているというなら、その手帳は返納しなければならなくなるが、そのことは分っているのか」と、おどしをかけるようなことまで言われた。原告側代理人席から厳しく批判され、裁判長も注意を与えるほどの尋問だったことは忘れない。あの時の若い女性の国側代理人はあれ以来代理人席に姿を見せない。今日も出席していなかった。
昨年12月2日に行われたE・Kさんの証人尋問でも、国側反対尋問は被爆場所や昔の喫煙のこと、高血圧、糖尿病のことなど傍聴席で聞いていてもうんざりするほどのしつこく長時間に及ぶものだった。二人ともよくあの尋問に耐え、乗り越えてこられたと思う。
二人の提訴は同じ2013年で3年前だが、認定申請からとなると更に1年前の2012年まで遡ることになる。そして申請に至るまでの病気との闘いの人生は更に長くなる。E・Kさんは若い頃から体調不良に悩み続け、50代で心筋梗塞を発症。4年前には腹部大動脈瘤も発症した。U・Kさんは18歳の頃から疲労と微熱でしばしば寝込む生活を強いられ、30代で右、4年前に左の乳がん切除手術を余儀なくされた。U・Kさん本人の意見陳述で忘れられないのは家族のことだ。原爆投下直後の長崎の街を一緒に歩いたお父さん、お母さん、お姉さんはいずれもがんで亡くなった。弟さんも心臓病で他界した。そしてお母さんの胎内で被爆した妹さんも今U・Kさんと同じ乳がんを発症して苦しんでいる。原子爆弾の惨たらしさをこれほど示す、U・Kさんの乳がんの原因をこれほど明らかにする状況証明はないのではないかと思った。
今日の判決は、お二人の長年のご苦労にやっと、少しでも報いることになったのではないか。そして、先立たれたご家族のみなさんにもご報告されることになるのだろうと思う。

この後、二人の担当弁護士をはじめ報告集会出席の弁護士からそれぞれにコメントが述べられた。E・Kさんの担当である小林務弁護士は原爆症認定の歴史に思いを馳せられた。かっては外部被爆のみが対象で爆心地からの距離だけを問題にしていた。今日の判決はあらためて誘導放射線による被爆、内部被爆なども重視しなければならないことを明らかにした。歴史は少しづつでも進歩している、私たちの闘いも進歩していることを実感する、と。小林弁護士は長崎市出身で、しかもE・Kさんとは同じ町内。小林弁護士がまだ乳呑み児だった頃顔を合わせていたはずのことが、実は今日分ったのだと、思いもかけなかったエピソードも紹介された。

控訴審Bグループで逆転敗訴となった梶川一雄さん(故人)担当の塩見卓也弁護士は、控訴審の判決文と今日の判決との関係について触れられた。控訴審での主な争点は心筋梗塞と禁煙効果との関係だった。我々は禁煙によって心筋梗塞発症の原因とはならなくなることを主張し、立証してきたが、そのことには一切触れず、全く無視して、国側証人の意見だけを採り入れた不当な判決文が書かれた。控訴審で無視された我々の主張は、今日の判決で採用され、蘇ることになった。このことは追加の意見書として上告された最高裁にも送り届けたいと思っている。

藤原精吾弁護団長からは記者会見の様子も含めて報告、コメントがされた。お二人の原告は元々の認定申請の時まで遡れば、4年もかかって今日の判決に至ることになった。本当にご苦労様と申し上げたい。今日の判決は、昨年からの控訴審2連敗の苦い経験を打ち消すほどのきっぱりとしたものだったが、2連敗をしっかりと教訓にし、弁護団全体も頑張ってきた成果だと思う。これからも闘いは続くが、決して気を許すことはできない。国は国の意向に沿った医師や学者を総動員してでもやってこようとしており、それに負けるわけにはいかない。被団協ではこれから国会議員への要請行動も予定されている。厚労大臣との定期協議も久方ぶりに開催される見通しのようだ。こうした動きを実りあるものにするためにも、裁判の勝利が推進力になっていく必要がある。当面は国に対して「控訴するな!」の運動を頑張ろう。

E・Kさんのもう一人の担当の諸富健弁護士は今回の判決が先延ばされてきた経緯をふりかえられた。二人の結審は本当は今年2月9日の予定だった。それが国による直前の意見書提出によって3ヶ月延期となった。それでも国の抵抗を一掃するような判決となったことを喜びたい。また原爆症認定訴訟で腹部大動脈瘤が認められたのは初めてのことで、そのことの意義も大きい。

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U・Kさんを担当し寄り添ってきた吉江弁護士は、昨年10月22日の酷い反対尋問によく耐えたU・Kさんの姿があったので、その思いに応えて裁判長が事実認定の判断をしたのではないかと感想を述べられた。判決を確定させるまでは頑張らなければならない。原告、弁護団、支援の人々が一丸となって引き続き頑張っていきましょうと訴えられた。

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報告集会は尾藤廣喜幹事長のまとめで締められた。自公政権によって社会保障全体が切り下げられる中に原爆症認定行政もある。そういう意味で今日の判決は厚労省にとって大きな打撃となったのではないか。今日の判決は、国の新しい審査方針そのものを批判した。また被爆者に寄り添って事実認定することも示された。すかっとした秋晴れのような判決だったと思う。これを機会にあらためて原点に立ち戻ってどのような認定制度にすべきなのかを強く求めていく必要がある。戦後70年も経って未だに被爆者が裁判で争わなければならないのは異常とも言うべき事態だ。早期に、そして根本的な解決をはかっていく上で大きな力となった判決だと思う。これからもみなさんと一緒になって頑張っていきたい。

最後に報告集会参加者全員で“団結頑張ろう”を唱和してあらためて決意を固めあった。

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尚、第7民事部の原告の一人W・Hさん(72歳、男性、京都府木津川市、申請疾患は慢性腎不全)の本人尋問が年明けの1月11日(水)、奈良地裁で行われることになった。本人の体調が厳しいため、配慮して現住所から比較的距離の近い奈良で行なわれることになったものだ。法廷は大法廷。近畿訴訟支援ネット挙げて傍聴支援に駆け付けようと呼びかけられた。

私は求めに応じて被爆者の方の原爆症認定申請のお手伝いをしている。先週もお一人71歳の男性被爆者の申請手続きを済ませた。この人の申請疾患は腹部大動脈瘤だ。もう何度も胸部大動脈瘤手術などを繰り返していて、よく今日まで、と思われるような体調で、初めて申請することになった。腹部大動脈瘤は原爆症の積極的認定疾病には含まれていない。原爆症裁判でもこれまでほとんど認定されたことのない疾病だ。「そういうことなので認定は難しいかもしれませんよ」とは話したが、本人はそのことは重々承知で、それでも申請しないではおれない強い気持ちがあって踏み切った。自分の人生を振り返ってみても、こんな体になった原因が、母子一緒に受けた原爆被爆以外には考えられない。後いつまで生きられるか分らないが、せめて原爆が原因でこうなったことだけでも認めて欲しい、という強い気持ちからだった。
そういうことがあったので、E・Kさんの申請疾患の一つである腹部大動脈瘤に対してどのような判決が下されるのか強い関心を持ってきた。E・Kさんの医師証人尋問でも、穐(あき)久(ひさ)英明医師によって放射線被曝が原因で動脈硬化となり腹部大動脈瘤を発症していくことが証言されていた。今日の判決は腹部大動脈瘤についても放射線起因性を認め、原爆症だと認定した。腹部大動脈瘤で苦しむ被爆者にも大きな勇気と励ましを与える判決だったと思う。

判決の翌日(10月28日)、国連総会第一委員会で、核兵器禁止条約交渉の会議を来年招集する決議案が圧倒的多数の賛成で採択されたと、ビッグニュースがもたらされた。被爆者が“自らを救うとともに、自らの体験を通して人類の危機を救おう”と訴えてきた核兵器廃絶への扉に現実的に近づく大きな一歩、歴史的な成果だ。しかし、世界で唯一の被爆国だと標榜してきた日本政府はこともあろうにこの決議案に反対し、国の内外から厳しい批判を浴びている。被爆者の訴えに応えるのではなく、同盟国の要請に応えてそれに従うことを基軸におく今の日本政府の本性、卑屈さがこれ以上なく明らかになった事態だ。被爆者の願いに背いて、被爆の実態とかい離した原爆症認定に固執する行政と共通する姿ではないか。
被爆の実相を徹底して明らかにし、実態に基づいて被爆者の全面救済をはかり、そのための原爆症認定制度抜本改革を実現し、核兵器の非人間性を訴えて、一日も早く禁止条約の締結、核兵器の廃絶がなることをめざしていこう。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月16日(金) 14:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 1月11日(水) 13:00 地裁 第7民事部 奈良地裁大法廷 本人尋問(原告1人)
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年3月7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)


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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(48)
放射線被曝影響を隠し他原因のみ取り上げる国側意見書を徹底批判!
放射線被曝との関係を語ることのない証人申請に断固反対!

2016年10月23日(日)

 10月20日(木)、7月22日以来となるノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟控訴審・大阪高裁Cグループ(一審原告6人、高橋譲裁判長)の口頭弁論が行われた。前回法廷において、一審原告・被告双方ともに心筋梗塞や甲状腺機能低下症など個別疾患についての意見書を提出すると表明しており、国側は、これまでの判決が「心筋梗塞と放射線被曝との関連性について一般的に肯定できる」や、「心筋梗塞と放射線被曝との間には低線量域も含めて関連性が認められる」としてきたのは科学的に間違いだとする意見書(「赤星意見書」と言われている)を提出していた。

 一審原告の被爆者側は、国のこの赤星意見書こそ科学的に誤りだとする反論の意見書を提出し、この日の法廷で和田信也弁護士がその内容を説明する陳述を行なった。被爆者側の意見書は数多くの被爆者の実際の診療や健康診断にあたってきた医師団によって作成されたもので、法廷では「真鍋意見書」と称された。
 和田弁護士は陳述において、放射線に被曝すると心筋梗塞の発症リスクが高まることがこれまでの数々の研究で裏付けられ、一般的に認められていることを証明していった。まず、放射線影響研究所の多数の被爆者を対象とした調査であるLSS報告(寿命調査報告)やAHS報告(健康調査)において心筋梗塞と原爆放射線との有意な線量反応関係は既に報告され指摘されている。そのことは国連科学委員会(UNSCEAR)2006年度報告文書でも紹介されている。UNSCEARは他の危険因子の影響に関わりなく放射線被曝によって心筋梗塞の発症リスクが高まることまでを強調している。そして他ならぬ国側の意見書の幹をなす赤星氏自身がこれまでの論文で放射線被曝と心筋梗塞発症リスクの有意な関係を報告している。さらに、清水論文によって、心臓血管疾患と放射線との間には低線量域でも関連性のあることが明らかにされ、その論文は国際放射線防護委員会(ICRP)2012年報告において、しきい値ゼロと算定されたことが紹介されている。
 放射線と心筋梗塞発症の関係がこれだけ明らかにされていて、そしてそのことを十分に承知していながら、放射線と心筋梗塞との関係は未だ不明であるかのような意見書を作成するのは、科学者の意見書として不誠実極まりないものだと、和田弁護士は厳しく批判した。
 和田弁護士の意見陳述はさらに放射線被曝による心筋梗塞発症のメカニズムにも及んだ。マウスによる実験で、放射線被曝によってアテローム(血管の内側にたまるコレステロール等)生成が促進され、そのために動脈硬化が進展することが明らかにされている。アテロームの発生には血管内皮の慢性皮膚炎が不可欠の要因としてあり、放射線障害によってその炎症が発生する。最近の他の動物実験論文でも低線量被曝による累積放射線量の増加とともにアテロームが生成促進されることが発表されており、これらの研究結果を受けて、国際放射線防護委員会(ICRP)も「線量効果関係と(血管)障害のメカニズムが明らかになってきた」と報告している。
 被爆者を対象とした最近の報告でも、放射線被曝による影響は心臓血管疾患のリスクだけでなく、高血圧や慢性腎臓病との関係も示されている。国連科学委員会(UNSCEAR)の2006年度以降の報告でも、交絡因子(喫煙、飲酒、糖尿病、肥満、教育程度、職業)はLSS(被爆者の寿命調査)にはほとんど影響を与えておらず、放射線の心疾患への影響は、放射線による血圧の変化、炎症反応、脂質代謝などが影響している、とまとめられている。したがって、心筋梗塞の原因とされる因子の高血圧、糖尿病、脂質異常、アテローム性動脈硬化、慢性腎臓病などは、すべて放射線被曝によって引き起こされており、こうした危険因子の存在は、原爆放射線被曝の影響を否定するものではなく、むしろ肯定する根拠となるものだ。
 和田弁護士は結論として、赤星意見書は、被爆者の放射線被曝の影響を考慮することなく、他原因だけをことさらに取り上げ、一般的な心筋梗塞発症の総論を述べたものに過ぎない、とその誤りを指摘した。今日、放射線被曝によって高血圧、慢性腎臓病、脂質異常症等が引き起こされることは明らかになっていて、にも関わらずそうした研究成果に触れることなく、被爆者の心筋梗塞の発症と放射線被曝との関係を否定することは、国際的な科学的知見に反する非科学的なものだと断じてまとめられた。

 和田弁護士の意見陳述が終わった後、裁判長から今後の裁判進行について双方の予定、意見が尋ねられた。原告側からは今回の心筋梗塞に続いて、甲状腺機能低下症についての国の意見書に対する反論の意見書も用意していることなどが示された。国側からは甲状腺疾患の証人として紫芝(ししば)医師の証人尋問の申請をしたいとの意向が示された。いつもは双方が言いたいことを言い、それぞれが聞き置くだけで終わってしまう法廷だが、この日は国側の医師証人の意向が示された瞬間から様相が変わった。一審原告代理人席から藤原精吾弁護団長、尾藤喜廣弁護団幹事長が次々と立って、国側承認申請の問題について批判し、問い詰めることになった。
 国側は甲状腺機能低下症についても意見書を提出しているが、その内容は、放射線被曝との関係には一言も触れない、放射線以外の他原因で甲状腺機能低下症が発症する一般論を縷々述べたものに過ぎない。裁判の争点は放射線の影響にこそあるのだが、そのことには触れず、「他原因がこれだけある」ことを強調して、強く印象づけることを目的にした意見書だ。証人申請の狙いも同じところにある。藤原、尾藤両弁護士は、放射線被曝とは関係ない内容の国側意見書の根本問題について厳しく批判しつつ、甲状腺機能低下症一般論しか語らない証人尋問には何ら意味の無いこと、争点とは関係の無い証人申請には同意できないことを強く主張した。
 国側の今の基本戦略は徹底した他原因論を展開して、司法判断を他原因重視に向かわせようとするところにある。そうはさせず、本来の争点である放射線被曝の影響問題こそ中心としていくために、短い時間ではあったが、極めて重要な局面、主張であったのではないか。後の報告集会でのコメントだった。
 国側代理人は批判にはまともに応えず、私たちからすると意味不明の説明に終始していたが、最後は裁判長が証人の採否は正式に申請が出てから判断するとして、この場はひとまず納められた。国側は次々回の期日を証人尋問の日とする目論見があったかもしれないが、次々回期日の3月7日(火)はあくまでも弁論期日としての日程確認に止まった。

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 閉廷後の報告集会で藤原弁護団長から述べられたことだが、昨年の10月、高裁Bグループ、故梶川一雄さんの控訴審で山科章という国側証人の尋問が、十分な検討もされずに日程設定されて行なわれた。心筋梗塞の一般論を述べるだけで放射線被曝との関係は何ら見識のない証人だった。しかしこの証人尋問が効果をもたらしたのか、今年2月の判決では梶川さんの心筋梗塞は放射線起因性が否定され逆転敗訴となった。今回の紫芝(ししば)医師の証人申請もよく似た同じようなパターンだ。同じ轍を踏むわけにはいかない。だから今日の法廷では国側から証人申請の話が出るとその場で直ちに反論し、その不当性、欺瞞性を訴えたのだ、ということだった。

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 この日の国側代理人は14人が席を占めた。和田弁護士が意見陳述を始める前、国側代理人は陳述書の事前提出を求めたり、陳述内容の範囲について確認したりと、いつもにはない注文をつけてきた。証人申請の件についても執拗に食い下がった。これまでになく神経質な対応で、いつもとは違う力の入れようを感じさせるものだった。国もそれだけ追い詰められていることの証であり、また、なお一層被爆者に立ち向かおうとしていることの表れでもある、との報告集会での感想だった。

 来週10月27日(木)はいよいよ地裁第7民事部の2人の原告に対する判決言い渡しの日だ。絶対に完全勝訴を勝ち取り、近畿訴訟の巻き返しをはかっていくスタートにしていこう。当日の判決前集会から始まる一日の行動計画などを確認して、この日の短時間の報告集会を終え、散会した。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月16日(金) 14:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年3月7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)



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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(47)

最高裁でのより前進した判決を求めて、「松谷訴訟最高裁判決にもとづく、
公正な判断を要請する」署名運動を積極的にとりくみまましょう!
2016年10月3日(月)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)の弁論が9月30日(金)行なわれた。これまでのノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟では例のない午後4時という遅い時間からの開廷だ。できるだけ速やかに訴訟進行させたい原告側と裁判所の意向に対して、いたずらに時間をかけようとする被告国側の態度。その結果がこういう期日設定になったように思う。
 第7民事部の原告は7人。その内2人はすでに結審済みで10月27日(木)判決言い渡し日を迎える。後5人の内、この日3人についての書証確認がそれぞれ行なわれた。が、傍聴席からはよく分らない。それに続いて原告代理人の豊島達哉弁護士による意見陳述が行われた。内容は、先日9月16日の第2民事部での陳述と同様で、9月14日の名古屋地裁判決に基づいたものだ。原告全員の放射線起因性を認めた名古屋地裁判決を十分参考するようにと訴えられた。

 第7民事部の進行状況は閉廷後の報告集会で愛須勝也弁護団事務局長から簡潔に報告された。原告の内2013年提訴のT・Iさん(申請疾患は慢性肝炎、糖尿病)、W・Hさん(慢性腎不全)についてはすでに主張と立証が尽くされている。2014年提訴の宮本義光さん(労作性狭心症)の主張、立証も追いついてきている。これから本人尋問、医師尋問に入っていこうとした矢先に、国側からT・Iさんについては個別の医師証人申請をしたいとの申し出があり、その上で以降の対応を決めていきたいとの主張になった。
今、全国的な傾向として、国は原告一人ひとりについて個別の医師意見書と証人尋問をどんどん申請しようとしてきている。それも放射線被ばくと当該疾病との関係を証明しようとするものではなく、放射線については何の見識もない人物に疾病の一般論について語らせようとするものだ。昨年10月の大阪高裁控訴審において、放射線については何も語ることのできない山科章という医師を心筋梗塞の「専門家」証人として登場させたのと同じやり方だ。このようなやり方についても対策を考えていくことが必要となっている。
 こうしたことから、第7民事部の次回以降の期日も12月16日(金)、来年の2月28日(火)と決められたが、今のところいずれも弁論の継続ということになっている。

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 報告集会では二つの具体的な行動が提起された。一つは10月27日(木)地裁第7民事部の2人の原告の判決日支援行動。当日は12時25分裁判所前の若松浜公園に集合して判決前集会、入廷行進、傍聴、旗出し、判決報告集会を行なっていく。近畿エリアから最大限の参加で支援をしていきたい。
 もう一つは、最高裁に上告した2人の原告の勝利のための「松谷訴訟最高裁判決にもとづく、公正な判断を願う」要請署名のとりくみ。できるだけ早期に開始し、近畿から要請団を編成して最高裁への要請行動を行なう計画だ。署名の要請項目は次の3点となっている。①本件訴訟の重大性に鑑み大法廷で審理・判決して下さい。②本件訴訟につき口頭弁論を開いて下さい。③上告(申立)人を原爆症と認定して下さい。
 
 最高裁への署名活動については、報告集会において藤原精吾弁護団長からその重要な意味が分りやすく説明された。
2000年、最高裁は松谷訴訟において、放射線起因性の判断は被爆者の状況を総合的に判断しなければならないとして被爆者の立証責任を実質的に軽減する勝訴判決を確定させた。その後の原爆症認定集団訴訟、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟において被爆の実態に基づいてこそ原爆症認定は判断されなければならないとする判決が積み重ねられてきた。
しかし最高裁松谷訴訟の判決文はまだ不十分で、分りにくいものだ。集団訴訟以来の判決に基づいてきちんとした判断を最高裁に示してもらいたい。そうしないと大阪の控訴審で続いたように間違った判決が出てしまうことがある。“松谷訴訟判決の精神はこうだ”ということを最高裁判所として示していただきたい。そのことが、世界で唯一の被爆国である日本の裁判所は、原爆、被爆者、核兵器についてこういう立場をとっているのだ、ということを社会と世界に示していくことになる。だから、小法廷ではなく大法廷での審理・判決を求め、口頭弁論を開くことを求めていく。
 最高裁で松谷訴訟をさらに前進させる判決が出るなら、今も続いている全国のノ―モア・ヒバクシャ訴訟に大きな影響を与えることになる。

 藤原団長はもう一つ、これからの政治に向けた働きかけについても報告された。これだけ司法判断が積み重ねられてきても、裁判と行政は別だとして厚生労働省は認定行政を改めようとはしない。この事態を変えていくためには政治への訴えも重要な段階に来ている。先日の9月13日、全国弁護団はあらためて日本被団協との話し合いをもった。日本被団協のめざす現行被爆者援護法改正のためにも、8・6合意の当事者として合意を反故にしている政府を正していくためにも、今こそ日本被団協が中心になって原爆症認定制度の抜本改革をめざしていかなければならない、そのことが確認された。
 10月14日(金)、日本被団協の中央行動が予定されている。日本被団協に、弁護団も原告団も一緒になって各政党議員団への要請行動を行なう。自民党の原子爆弾被害者救済をすすめる議員連盟をはじめに、民進党被爆者問題議員懇談会、公明党被爆者問題対策委員会、日本共産党被爆者問題委員会、そして社民党、日本維新の会にも働きかけをする。要請の内容は、原爆症認定訴訟の全面解決と法改正を伴った認定制度の抜本的改正のために、早期に超党派の議員連盟を結成していただきたい。そして早期の国会上程をめざして日本被団協の提言に沿った援護法の改正要項を作成し、日本被団協との協議に入っていただきたい、である。

 ノ―モア・ヒバクシャ訴訟の勝利をめざす院内集会はこれまで幾度となく開催されてきた。そして自民党以下主要政党のすべてが集会では激励と前向きな内容の挨拶をしてきた。そのことを思うと今日まで超党派の議員連盟が結成されてこなかったことが不思議なくらいだ。もちろん議員連盟結成がまだ約束されているわけではなく予断は許さない。決して容易な話でもないのだと思う。しかし、政権与党の中にも被爆者の訴えに真摯に向き合い、志を同じくしていける議員は必ずいるはずだ。そうした人たちと力を合わせて運動を作り出し、一歩を踏み出して行く努力が今求められているのだと思う。
 戦争被害や公害被害などについて様々な救済や補償を求める運動がとりくまれてきた歴史がある。その時、超党派の国会議員連盟が結成され、有力な力となっていった例は少なくないはずだ。その例にならってこれからの政治への働きかけは大いに期待したいと思う。政治の力とも一体となって、それを支えていくためにも、私たちはノ―モア・ヒバクシャ訴訟の現場から一層力強い運動をすすめていきたい。

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 この日の法廷にはT・Iさん、S・Sさん、宮本義光さんの3人の原告が出席され、報告集会でもそれぞれから挨拶が行われた。ご夫婦で出席された宮本さんは挨拶の中で、今年の夏、故郷の長崎にいる妹さんから送られてきた写真のことを紹介された。それは7歳だった宮本さんが被爆の翌日から10日間ほど家族と共に避難生活をした長崎市本原町にある防空壕跡の写真だった。周囲の状況はすっかり変わってしまっているのに、この防空壕跡だけはなぜか当時の様子をそのまま止めているかのようだ。宮本さんは防空壕跡の写真を目にして、あまりにも凄惨で過酷だった71年前の日々を思い出し、今年は辛い夏になったようだ。
 報告集会でたまたま隣席となった宮本さん担当の小瀧弁護士から宮本さんの写真を見せてもらうことができた。文中に掲載して紹介する。
(写真省略)
 9月13日付で準備されていた宮本さんの陳述書も読ませてもらった。8月10日、稲佐町から長崎の市街を貫けて本原町まで歩いた地獄の道程、死体で埋め尽くされた浦上天主堂の周りの惨状、避難した防空壕の中で凄惨な姿の人々と昼夜を共にした毎日等々、悲惨な体験は7歳の少年の脳裏に深く刻み込まれたのだと思う。
 宮本さんは祖母、兄、いとこたちを原爆によって奪われた。宮本さん自身も病弱な体になってしまい、健康を損ない、闘病を余儀なくされて生きてきた。それなのに「お前の病気は原爆などとは関係ない」と言われて原爆症認定申請は拒否されてきた。決して忘れることはない地獄の体験、家族のいのちと自身の健康を奪ったものへの許すことのできない思い。防空壕跡の写真はそのことをあらためて訴えているようだ。

アジア太平洋戦争は国家の意志によって引き起こされ遂行された。その犠牲者、被害者に対しては、国によって謝罪され、適正に補償されなければならないはずだ。しかし犠牲者、被害者への国からの謝罪の意志は今もって示されず、補償も軍人・軍属だけに限定され、圧倒的多数の一般国民は切り捨てられてきた。現行被爆者援護法による給付も限定されたものであり、原爆被害者に対する国家補償ではない。
謝罪をしないことは過ちを認めないことであり、それは再び同じ過ちを犯すことに通じる。安保関連法の強行成立によって自衛隊が海外で戦争できる道が作られた。国会で始まろうとしている改憲論議の本丸が第9条の改定であることは明らかだ。憲法前文において「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」したが、その決意は自民党の改憲案においてそっくり葬り去られようとしている。
戦争の犠牲と被害を、その実態に応じて国の責任で補償させていく。それは傷ついた被爆者の救済をはかることのみならず、国が再び同じ過ちを繰り返さないための、私たちの国をも救っていくことにつながる道だ。再び同じ過ちを繰り返しかねない今日の政治状況の下で、原爆症認定制度の抜本改革の持つ意味、そのためのノ―モア・ヒバクシャ訴訟勝利であることをあらためて確認しながら、とりくみを強めていきたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 9月30日(金) 16:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月16日(金) 14:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)

2016.10.07 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top