1月23日に言い渡しのあった大阪地裁第7民事部の原告宮本さんの事件、国からの控訴はなく、勝訴判決が確定です!!

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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(61)

労作性狭心症と原爆放射線との関係を認める画期的判決(1月23日・第7民事部)
この判決を力にノーモア・ヒバクシャ訴訟の全面勝利をめざしていこう!

2018年1月28日(日)

1月16日(火)大阪高裁では、国の攻勢を跳ね除けて甲状腺機能低下症の放射線起因性を再び認めさせることができたものの、心筋梗塞や狭心症の低線量域での放射線との関係を否定される悔しい判決となった。それから1週間後の1月23日(火)、今度は大阪地裁第7民事部で一人の原告の判決が言い渡された。第7民事部(山田明裁判長)で争われているのは5人の原告だが、その内の一人宮本義光さん(79歳、大阪市)だけが先行分離して審理され、この日判決を迎えることになった。宮本さんの申請疾病は労作性狭心症。一週間前の高裁判決では同じ狭心症の原告が二人も敗訴しており、今回はどうしても勝訴を、という弁護団も支援の人々も強い思いをもって迎えた。

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(判決前集会の様子)

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(藤原精吾弁護団長の判決前のあいさつ)

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(原告の宮本さんを先頭に入廷行動)

判決言い渡しは806号法廷。宮本さんは意見陳述の時も本人尋問の時もいつも奥さんと一緒で、この日も原告席の宮本さんのすぐ後ろで奥さんが見守る中開廷を待った。午後1時10分開廷。山田裁判長ははっきりとした口調で主文を読み上げ、「厚生労働大臣の行った却下処分を取り消す」と言い切った。やった!勝訴だ!裁判官退席後の廷内は何人もの弁護士、傍聴者が原告席の宮本さんを取り囲んで握手を求めることになった。

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(「勝訴」の旗出しは諸富健弁護士と和田信也弁護士)

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(支援者の皆さんにあいさつする宮本さん)

支援の人々は全員一週間前と同じ北浜ビジネス会館に移動して、今回は勝利の報告集会を行うことになった。最初に宮本さんご夫妻に勝利のお祝いの花束が贈られた。宮本さんご本人からも喜びとお礼の言葉が返された。

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(勝訴判決に喜ぶ宮本さんご夫妻)

宮本さんと同席した担当の小瀧悦子弁護士から今日の日を迎えた心境が語られた。この間、心筋梗塞に対するひどい判断が続いていたので不安はあった。国からは特に喫煙や飲酒の他原因が厳しく追及されていた。しかし宮本さんが訴えた被爆の実態が裁判長に届いたのではないかと思う。宮本さんは7歳の時(長崎の)爆心地から1.8㌔の距離で直接被爆。翌日には破壊された浦上天主堂などを見て爆心地まで入り、さらにその後も浦上の防空壕で死傷した被爆者と共に何日も過ごした。裁判長は「この被爆者は救わなければ」と思ってくれたのではないか。裁判長の補充尋問も好意的なもので、あの時裁判長の心が動いたのではないかと感じた、とのことだった。控訴されるかもしれないが、仮に控訴されても気を緩めずに頑張っていきたい、と最後は決意で結ばれた。

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(判決後の記者会見の様子)

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(判決の意義を説明する藤原精吾弁護団長)

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(厚労省の認定行政の在り方を厳しく非難する尾藤廣喜幹事長と宮本さんの担当の小瀧悦子弁護士)

報告集会に駆け付けた愛須勝也弁護団事務局長から判決内容について要旨以下のような報告がなされた。
先週の高裁判決とは月とスッポンほど違いのある素晴らしい判決だった。我々原告側の主張をとりまとめてくれたのではないかと思うほどのものだ。労作性狭心症の勝訴の意味はものすごく大きい。東京で最後の原告として頑張っている山本英典原告団長も狭心症だが、山本さんの闘いに最高のプレゼントを贈ることにもなった。
放射線起因性の判断枠組みとなる総論部分は従来からの判断がしっかりと踏襲された。国の定めた放射線量算定方式などには限界があり、一応の目安に止めるべきもの。被爆者の行動や被爆内容、症状などに基づいた総合的な判断こそ重要で、内部被ばくの可能性も含めて検討しなければならない。そして宮本さんの申請疾病である狭心症の放射線起因性について、原告と国側双方が示した証拠の一つひとつに非常に丁寧な分析と評価がなされ、踏み込んだ判断が示されている。
その上で判決は、労作性狭心症と心筋梗塞とは、動脈硬化を主因とする虚血性心疾患であるという機序において異なるところはない。心筋梗塞と放射線被曝との関連性は一般的に肯定することができることを考慮すると、労作性狭心症においても放射線起因性を一般的に肯定することができる、と明確だ。先週の高裁判決と決定的に異なる。これは他の裁判にも適用していかないといけない、他の裁判にも影響を与えうる非常に大きな判断だ。
宮本さんに対して国は、加齢、喫煙、脂質異常症、高血圧とたくさんの他原因を指摘した。そのことが労作性狭心症発症に影響していることは判決も認めている。しかし、脂質異常症および高血圧はいずれも重くはないことを考慮すると、これらの他の危険因子があっても原爆放射線の影響が否定されることにはならない。他原因はあってもそれで放射線の影響が消えることはないのだとはっきりと断じられた。むしろ原爆放射線被曝とその他の危険因子が相まって労作性狭心症を発症したと考えるのが自然かつ合理的であると判決は明確に述べている。
この間、よくない判決が続く流れがあったが、被爆者のことをずっと見続けてきてくれた裁判体がしっかりとした判断、これ以上ない判決を下してくれた。今回は宮本さん一人の判決だったが、その意義ははかりしれないほど大きい。国にとっても大きな衝撃となったのではないか。今はとにかくこの判決を確定させよう。そして認定基準、認定制度そのものを改めさせるあらたな運動への力にしていこう。
原告団・弁護団・支援ネット連名の判決に対する声明文とあわせて、いつもは判決骨子文書も配布されて報告されるのだが、今回は骨子は存在しないとのことだった。骨子など必要としないほど明快な、誰もが納得できる分かりやすい判決であったということだ。
藤原精吾弁護団長からも今日の判決の素晴らしさと全国に与える影響の意義の大きさなどが訴えられた。特に福島原発事故のことも視野に入れて、被災者のことも見据えていくことの重要さが強調された。
最後に尾藤廣喜弁護団幹事長から二つのことが訴えられた。一つは何よりもまずこの判決を確定させること。そのために急いで厚生労働大臣に対して「控訴するな」の声を集中していこう。もう一つは今回の判決を全国のノーモア・ヒバクシャ訴訟に広げていくこと。近々全国の弁護団会議も開催されるとの紹介だった。特に「控訴するな!」運動を緊急に繰り広げていくことを参加者全員で確認しあって、この日の喜びをかみしめながら、報告集会は散会した。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の法廷はこの1月4回もあった。16日(火)の高裁判決、22日(月)の第2民事部の原告本人審問、23日(火)の宮本さんの判決、そして25日(木)の第2民事部の弁論と。ノーモア・ヒバクシャ訴訟も長くなるがこんなことは初めてではないか。23日(火)の宮本さんの判決は画期的なものだったが、他の法廷すべてが望ましい状態で進んでいるとはいえない。1月16日(火)の高裁判決では心筋梗塞、狭心症の原爆放射線との関係が否定された。特に「低線量域では一般的に肯定されない」という判断は重大な後退だった。
22日(月)の第2民事部(三輪方大裁判長)の本人尋問も裁判体の姿勢を疑わせる内容だった。この日尋問されたのは昨年6月に他界された原告Ⅿ・Yさんの承継者である息子さん。尋問内容を聞いていると申請疾病である悪性リンパ腫に関わる尋問は何もなく、ほとんど広島市へ入市日時の真否を問い質すものだった。原爆投下当時広島県の因島に居たⅯ・Yさんは軍にいる兄の安否を心配して8月9日(木)か10日(金)広島に向かい、兄を捜索している。ところがⅯ・Yさんの被爆者健康手帳申請書には8月16日(木)が入市日となっていて、国が8月10日入市を否定する根拠にしている。生前のⅯ・Yさんが語られたところによると、手帳申請のための証人証明の事情から16日入市と記載したまでのことのようだ。手帳申請の記載内容が正確ではない場合がしばしばあることはこれまでもたくさんの裁判で証明されてきたことであり、未だにそれを唯一の根拠に被爆者の申請を却下する国の姿勢は許されない。Ⅿ・Yさんも「国はなんで私の言うことを信じてくれんのかな?」と言い残して逝った、と息子さんは語られた。
報告集会での弁護団の報告によると、被告の国の姿勢が問題なだけではない。この第2民事部では裁判長からも、Ⅿ・Yさんの10日入市を裏付けるため72年前当時の尾道・広島間の国鉄運行状況や、因島・尾道間の船舶状況も立証するよう求められた。もし立証できなければ、それはすべて被爆者側の不利となるという酷い訴訟指揮だ。そしてさらにこの第2民事部の大きな問題は、国の新しい原爆症認定審査方針(2013年12月16日改定)に合致するかどうかで形式的に判断しようとしているところにある。私たちが訴えているのは国が勝手に定めた認定基準自体の誤りであって、裁判所が正しくそのことを理解するようにしていかなければならない。残念ながらそれが今の現状であって、そういう裁判所の認識と姿勢を変えていくことが課題となっている。そのためにも毎回の法廷を傍聴者でいっぱいになるよう、さらに支援の活動を強化していく必要がある。
この第2民事部の本人尋問の翌日が宮本さんの画期的な勝訴判決を迎える日であった。宮本さんの勝訴判決こそが他のこうした法廷、裁判体を変えていく力になるのだとあらためて実感することになった。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告であった故原野宣弘さんの遺された絵画作品展を1月10日(水)からとりくみ、22日(火)終了した。会場のしんらん交流館(京都市下京区)に足を運んでいただいた方は12日間で463人になる。被爆者が心を込めて描いてきた被爆の惨状、被爆者が生きてきた証、平和への願いの訴えは、観る人々に大きな感銘を与えたのではないかと思う。作品展終了後の作品は希望される方に贈呈することになっていた。50点の作品の内35点までが希望され、それぞれの希望者に贈られることになった。原野さんのノーモア・ヒバクシャ訴訟控訴審勝利をお祝いする作品展にしたかったが、とりあえずその願いは叶わなかった。しかし、原野宣弘さんが絵に託した平和の願いは、これからも各地で生き続けていくことになる。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年 3月29日(木)11:00 806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2018年 4月16日(月)15:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論
2018年 5月10日(木)14:00 806号法廷 地裁第 7民事部 本人・医師尋問
2018年 5月16日(水)14:00 地裁第 7民事部 本人・医師尋問
2018年 6月 2日(土)午後 大阪グリーン会館 全面勝利をめざすつどい
2018年 6月20日(水)15:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論

2018.02.01 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(60)
1月16日控訴審判決、
甲状腺機能低下症にねらいを定めた国の攻勢を跳ね返し、一審勝訴原告全員が勝利!
心筋梗塞・狭心症の原告には再び他原因論の採用による不当判決!
2018年1月19日(金)


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟控訴審Cグループ(大阪高裁第13民事部)の6人の原告に対する判決言い渡しが1月16日(火)行なわれた。

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この6人の原告は、丁度3年前の2015年1月30日、大阪地裁第2民事部で判決言い渡しを受けた7人の内の6人だ。7人の内甲状腺機能低下症を申請疾病とする4人は勝訴判決となり、その他の疾病の3人が敗訴となった。それまでの原爆症認定訴訟で積み上げられてきた基本の判断枠組みは堅持するとし、国の「新しい審査の方針」の誤りも指摘しておきながら、しかし具体論では甲状腺機能低下症以外の申請疾病の訴えを退けた判決に、納得できない、判決の不当性を強く感じたものだ。あの日は厳しい寒さと、冷たい雨の降りしきる中での判決前集会と入廷行進だった。身を震わすようなお天気であったことと、判決に悔しい思いをしたこととが一緒になって脳裏に蘇ってくる。

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勝訴した4人の内1人はそのまま判決確定となったが、3人は国側が控訴し、原告側の控訴と合わせて6人がこの日を迎えた。3年間で9回の弁論が行われた。途中で裁判長も陪席裁判官も変わった。あっという間の3年間という気もするが、やはり長い時間だった。原告の一人原野宣弘さんは今日の判決を聞くことなく一昨年11月27日帰らぬ人となった。元々の原爆症認定申請の日まで遡るとその年月はすでに8年、9年を超える人たちばかりだ。ほとんど10年仕事と言っていい。高齢の被爆者に対してここまでのことを課すのか、とあらためて思わざるを得ない。

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この日判決を受けたのは川上博夫さん(84歳、兵庫県加東市、甲状腺機能低下症)、柴田幸枝さん(77歳、京都市、甲状腺機能低下症と白内障)、N・Mさん(74歳・女性、神戸市、甲状腺機能低下症)、N・Mさん(78歳・男性、川西市、狭心症)、原野宣弘さん(故人、宇治市、心筋梗塞と労作性狭心症)、塚本郁男さん(故人、姫路市、火傷瘢痕)の6人だ。

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いつものように西天満浜公園で事前集会を行い、入廷行進をして裁判所に向かった。年明けから始まった大阪裁判所の所持品検査に手間取りながら、202号大法廷に入り開廷を待った。午前11時開廷。高橋譲裁判長から判決の主文が読み上げられた。甲状腺機能低下症を申請疾病とする3人は一審判決が維持され勝訴となった。しかし狭心症と心筋梗塞、火傷瘢痕の3人は一審判決が翻されることなくこちらも一審判決維持で再び敗訴となった。続いて判決の基本となる判断枠組みと一人ひとりの原告に対する判決理由が骨子として述べられていった。
DS02による初期放射線の線量の推定方法には限界がある、「新しい審査方針」の線量評価は過小評価の疑いがある、被爆者の被ばくには内部被ばくの可能性もある、遠距離・入市被爆者でも有意な放射線被ばくがありうる、これが言わば総論だが、その内容は集団訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟で積み上げられてきた基本の判断枠組みをそのまま維持したものといえる。
次に、心筋梗塞及び狭心症の放射線被曝との関連性について、そして甲状腺機能低下症の放射線被曝との関連性について述べられるが、その文章はまったく同じで、「低線領域も含めて一般的に肯定することはできないが」とされ、そして「低線領域の被曝とみられるような場合であっても個別事案の具体的事情に基づいて・・・被曝の影響を受けたものであることを肯定できる例も相当程度あるというべきである」と続く。
そして各6人の原告それぞれの判決理由となる。しかし6人の判決理由文書は火傷瘢痕の塚本さんを除いて他の5人はすべて同じだ。いずれも「健康に影響があり得る程度の線量の放射線に外部被曝及び内部被曝をしたものと認められるが」とし、最後の結論だけが分かれる。甲状腺機能低下症の3人は「放射線起因性が認められる」とされ、心筋梗塞と狭心症の二人に対しては、他の危険因子の程度が重く「放射線起因性が認められない」と。
もう一人の原告塚本さんは一審に引き続いて要医療性が否定された。しかし塚本さんは認定申請以後も医師の指導に基づいて食事を含む生活を余儀なくされていて、それは明らかに医療行為ではないかと主張されていたはずなのに、それに対する回答も説明もなされないままの結論だけになっていた。

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判決を聞き終えて、報告集会会場の北浜ビジネス会館に向かいながら、一体どこまで真剣に考えられた判決なのか、と疑問を抱きながら足を運ぶ。3年間、9回もの弁論で訴え尽くされた主張はどこに反映しているのか?どのように検討され、判決のどこに組み込まれているのか。文脈はほとんど一審判決のまま、思考停止状態で、焼き直しされただけの判決のように思えてしかたなかった。

今回は都合で近くの北浜ビジネス会館が報告集会会場となった。狭い会場に揉み合うように参加者は集った。
愛須勝也弁護団事務局長から判決の骨子と特徴が次のように報告された。
① 第一は、全体として中身の薄い判決であったこと。6人もの原告が争った裁判であるにも関わらず判決文はわずか109ページ。それも諸資料を除いた実際の判断部分は30ページそこらであった。争点の中身に立ち入らない、一審判決をなぞっただけの判決だ。
② 次に、甲状腺機能低下症も心筋梗塞と狭心症についても、「低線領域も含めて一般的に肯定することはできない」ことを原則とし、但し個別事案を見てみると肯定できる場合も例外としてある、と判決した。これは、「低線領域であっても放射線の影響はある」としてきたこれまでの原則に背く判決であり、従来の判決からの明らか後退だ。
③ 厳しく評価する一方、甲状腺機能低下症の勝訴判決を維持したことの意味は大きい。国は甲状腺機能低下症の司法判断を翻すため、この大阪高裁の審理をターゲットに集中的な攻勢をかけてきた。私たちが提示した証拠の論文に対して、その論文執筆者自身に自己否定させる意見書を書かせるような姑息な手段までとられた。甲状腺機能障害学会の最も著名な権威者を証人採用させるよう執拗に働きかけてきたりもした。しかしこうした狙いは私たちの徹底した闘いでいずれも跳ね返し、最終的に全員の勝訴判決を勝ち取ることができた。全国的にもそのことの持つ意味は大きい。
④ 勝訴を勝ち取ることのできなかったN・Mさん、原野さんはいずれも他原因を理由とされた。しかしN・Mさんの「脂質異常症の程度が重い」には具体的な根拠は何も示されていない。原野さんの原発性アルドステロン症も原野さん自身も知らなかったほどのささやかなカルテからの情報の引用でしかない。こうした不当な他原因論は全国的にも覆していく努力をしていかなくてはならない。
報告集会に参加された他の弁護士からも同様の厳しい意見が重ねられた。今回の判決は「手抜き判決」と言わざるを得ない。争点に踏み込まない勇気のない判決。低線領域の放射線の影響について、従来の司法判断の原則と例外の関係を逆転させてしまい、総論部分でも後退している等々。
 昨年11月27日、広島地裁では12人の原告全員が敗訴となるとんでもない判決が言い渡された。その内4人までが甲状腺機能低下症であったが、甲状腺機能低下症は「4グレイ以上ないと被曝の影響は認められない」とする極端に特異な判決であった。そうした判決が大きな逆流をもたらしてくるのではないかと危惧されていたが、今回の近畿訴訟控訴審判決で一応は食い止めることができた。しかし、「低線領域も含めて一般的に肯定することはできない」などと記述された原則の後退には看過できない重大な問題を孕んでいる。これから十分に注視、重視していかなければならない問題ではないかと思われた。

心筋梗塞や狭心症の疾病原告の勝訴を勝ち取ることができかった問題について、支援する人たちの運動の現状についても参加者から率直な意見が交わされた。かっての原爆症認定集団訴訟の頃、ノーモア・ヒバクシャ訴訟となってからの最初の頃、大阪地裁202号大法廷の傍聴席は満席にして支援を続けてきた。しかし、その支援の輪も年々減少し、かってのような規模の支援を続けることが容易ではなくなっている。そうしたことも少なからず判決に影響していくことを十分に認識しなくてはならない。私たちももう一度現状を見直し、あらためてノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の支援の輪を広く強くしていくようとりくんでいかなければならない。

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報告集会には3人の原告の方が参加された。3人にお祝いと労いの花束が贈られ、そして3人の方それぞれから挨拶が返された。勝訴となったN・Mさんは申請から8年、提訴から5年と半年かかって今日に至った。長かったという思いと、健康状態の不安を抱えながらの毎日であったことが述懐された。もう一人勝訴となった柴田幸枝さんはそもそもの認定申請から今日まで9年もの年月を費やされた。そのことを思い出しながら今後もよろしくとの挨拶だった。柴田さんの住む伏見区の同じ地域からはこの日4人もの仲間が応援に駆け付け、この人たちに囲まれて迎えた判決だった。もう一人の原告のN・Mさんは残念ながら逆転勝訴判決を勝ち取ることができなかった。諦めきれないけど残念、また機会があればとも思う、どうして高脂血しょうなどという他原因が持ち出されてくるのか理解できない、と悔しい胸の内が率直に語られた。
会場は原告の方全員に労いの拍手を送って、報告集会を終了した。

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来週は1月23日(火)、第7民事部で宮本義光さん(79歳、大阪市)の判決言い渡しを迎える。申請疾病は原野さんと同じ労作性狭心症だ。他原因を理由に不当な判断を下した今日の判決を実際上正していく重要な機会にしていきたい。

京都では1月10日から1月22日まで下京区のしんらん交流館において、故原野宣弘さんの絵画作品展を開催している。不自由な体をおして、渾身の力と思いで描き続けてきた50点の作品を展示し、多くのみなさんにご覧いただいている。作品展のタイトルは「原爆の惨禍、生きてきた証、そして平和の願いを絵に託す」だ。原野さんは脳出血から重度の右側体幹機能障害と言語障害を患い、その後心筋梗塞、狭心症も発症し、さらには胃ろうの手術も受けるなど、生活全てが闘病の人生だった。原野さんの絵は、被爆者が懸命に生きてきた証であり、それを体現したものだ。あの体でよくぞこれほどの大作を、と観る者を圧倒する。
若くして発症し、これほどまでに原野さんの健康を奪い尽くしてきた病魔の数々を、どうして原爆被爆とは関係ないと言えるのか、放射線の影響はまったくないなどと言えるのか。原野さんの作品を通じて被爆の実相を告発し、被爆者の人生を訴えたかった。そして、作品展の開催を控訴審勝利判決のお祝いの企画にしたかった。今回の判決でそれは叶わなかったが、原野さんの絵にかけた思いは必ず多くの人々に通じて広がり、被爆者の完全救済と世界からの核兵器廃絶の願いにつながっていくものと思っている。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年 1月22日(月)14:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論・尋問
2018年 1月23日(火)13:10  806号法廷 地裁第 7民事部 宮本判決
2018年 1月25日(木)11:00  806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2018年 3月29日(木)11:00  806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2018年 4月16日(月)15:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論

2018.01.20 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(59)

11月28日、広島地裁で
原爆症認定訴訟の歴史を覆す不当判決!
近畿訴訟は年明けの控訴審判決と地裁判決(一人)の
勝訴判決をめざす!
2017年11月29日(水)


11月28日(火)、広島地裁おいて、2003年以来の原爆症認定訴訟の歴史と実績をすべて覆すようなとんでもない判決言い渡しが行われた。この日原爆症認定についての判決を受けた原告は12人(その他国家賠償請求が12人)。具体的な被曝線量なるものを提示し、他原因の可能性を理由にし、そもそも病気にはかかっていないなどとまで言って、被爆状況の事実認定までを否定して、原告の訴えを退けるための理由を総動員するようなやり方で、全員が却下、切り捨てられた。
www.asahi.com/articles/ASKCX44NNKCXPITB00M.html

広島地裁判決の日程と広島への所用の機会を調整し、判決言い渡しのある広島地裁の傍聴に駆け付けた。運よく傍聴席の抽選にもあたり、法廷内で判決言い渡しを聞くことになった。小西洋裁判長は冒頭の主文読み上げでいきなり、原告全員の訴え却下を言い渡した。広島訴訟の経過についてはほとんど何も知らない私でも結論ははっきりと理解できる言い渡し方だった。そんな馬鹿な・・・と思いつつ、引き続く一人ひとりの原告に対する簡単な判決理由説明に耳を傾けていった。
手元に資料など何もないので耳にするだけでは詳しいことは分からない。しかし、「4グレイを超える放射線量に被曝したと認められない」とか、「放射線被曝を理由としなければ、医学的にみて不自然、不合理な経過があるとはいえない」の文言が何度も、どの原告に対しても同じように繰り返される。この2点が判決の基調のようだと私にも分かる。被曝線量基準の数値を具体的に示して判決するなどこれまで聞いたこともない。ましてや4グレイなんて。「不自然、不合理な経過があるとはいえない」とは、他原因の要因があればそれだけで放射線起因性をばっさりと切り捨てるということではないか。
とんでもない判決だという怒りと、全員敗訴という落胆と悔しさ。それらがごちゃまぜになったまま、重い足を引き摺りつつ、全員が報告集会の行われる弁護士会館に移動した。
弁護団の声明が準備されるまでの間、判決の主文と要旨のようなペーパーが配布された。法廷の中で感じたことも含めて、ペーパーに書かれている判決要旨は以下のようなひどいものだった。
(1) そもそも申請された病気の発症そのものを認めない例が4件もある。例えば「原告Aについては甲状腺機能低下症であったとは認め難い」などと。甲状腺機能低下症だけでなく、貧血や、白内障の要医療性も否定されている。
法廷では診断書の証拠提出や医師の証人尋問などもあったはずだが、それらを否定する根拠は何なのか。
(2) 上記のように、「4グレイを超える放射線量に被曝したと認められない」、「放射線被曝を理由としなければ、医学的にみて不自然、不合理な経過があるとはいえない」として甲状腺機能低下症の放射線起因性が5人も否定されている。それだけでなく、心筋梗塞、狭心症、白内障、脳梗塞については「0.5グレイを超える放射線量に被曝したと認められない」と数値を置き換えて否定されている。
4グレイとか、0.5グレイとか、一体どこから出てきた基準なのか。そもそも4グレイなんて人が生きることも容易ではない高線量ではないか。それは甲状腺機能低下症と原爆被爆とは関係ないと言っているに等しい。
脳梗塞は厚労省の積極的認定基準でも挙げられていない疾患だが、それとの整合性もないのか。
(3) 高脂血症、高血圧については、「生活習慣病が原因で発症した疑いがある」と決め付け、それだけで放射線起因性を否定した例は3件にもなる。
(4) さらに、入市したこと、黒い雨を浴びたこと、急性症状を発症したことなど、被爆状況のかなりの部分の事実認定そのものが「認め難い」として一方的に退けられた原告は多数に上る。

佐々木猛也弁護団長から短い声明文が読み上げられた。内容は「今日の判決は行政に追従したもの。被爆の実相を無視し、被曝線量数値を持ち出してきて判断した不当かつ特異な判決であり、強く抗議する。裁判所は広島の被爆の実相、被爆者の苦しみを理解できていない。われわれは被爆者の全面救済のために引き続き力強く戦うことを決意する」というもの。あまりにもひどい判決だから、判決文の内容のあれこれに立ち入って述べる以前の問題だ。短い声明文であることに強い憤りと抗議の意思が表されていた。
報告集会に詰めかけた原告と支援の人々への説明と報道記者からの質問に答えて、弁護団の怒りの見解が続けられた。2003年から始まった原爆症認定集団訴訟は、それまでの爆心地の距離から推定した被曝線量基準に基づく審査を止めさせ、そのあり方を改めさせてきたものだった。今日の判決はその流れから完全に逸脱し、新しい審査基準についてすら何も触れず、被曝線量だけを基準にした完全な「復古型」判決だ。「4グレイ」などという具体的な数値も今日の判決で初めて示された。
全員敗訴という思いもよらない結果なった。しかし全員敗訴だから、これからも全員が一致団結していくことができる。全員控訴で頑張っていきたい、と最後は締めくくられた。
特異な裁判長による特異な判決ということになる。しかしそんなことによって人生を、特にその晩年を左右される被爆者はたまったものではない。今回の広島訴訟の原告も長い人は7年もの時間をかけて裁判を続けてきている。最高齢者は90歳を超える。報告集会会場でも原告の方から裁判に要する時間の長さに辛い思いの声が漏らされた。被爆の実相に、被爆者の実態に一切向き合おうとしないこんなひどい裁判所の姿勢には、強い憤り以外の何もない。広島訴訟がこれから控訴審に向けて巻き返し、真っ当な司法判断を勝ち取っていかれることを願って弁護士会館を後にした。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の方は11月17日(金)に大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)、11月20日(月)に第2民事部(三輪方大裁判長)の弁論を終え、これが今年の最後の法廷となった。両日ともに口頭での意見陳述はなく、法廷では文書の確認や今後の日程調整が主となり、証人尋問の日程等は進行協議の場において確認された。

豊島弁護士_convert_20171203103327


2017年は14回の法廷を数え、毎回々々一定数の以上の傍聴支援者が駆け付け、原告や弁護団の奮闘を支え続けてきた。1月には初めて奈良地裁での出張尋問が行われ、法廷は非公開となったが終了後の報告集会に多数の支援者が集まり、運動を盛り上げた。国側のいたずらな裁判引き伸ばし策には目に余るものがあったが、それを乗り越えて7月には控訴審グループの結審に至り、9月には地裁第7民事部の5人の原告の内1人、宮本義光さんが結審となった。2018年以降に向け、判決言い渡しが集中する時をこつこつと準備してきた1年間だったような気もする。

報告集会風景_convert_20171203103256

2017年度中には判決を聞くことなく永眠された原告もあった。また裁判で争っている最中に、申請疾患とは別のがんなどの病気を発症し、そのことでより強く放射線起因性を示すことになる原告も相次いだ。速やかな訴訟進行、そしてより根本的には裁判で争ったりする必要のない制度への変革が求められていることを、あらためて強く実感する一年でもあった。
今年の法廷ではパワーポイントなどを駆使したより分かりやすい、より訴える力のある陳述への工夫もチャレンジされた。7月の控訴審と9月の地裁第2民事部では裁判長の頑なな態度によって実現しなかったが、9月の第7民事部の最終意見陳述では遂に画像によるプレゼンをすることができた。かっての集団訴訟当時には当たり前のように行われていたビジュアルプレゼンテーション。京都地裁の原発関連訴訟などでは毎回のように行われていること。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟でも粘り強く追及して、ビジュアルプレゼンなど当たり前となる法廷にしていきたい。

尾藤先生_convert_20171203103155

年明けには、いよいよ1月16日(火)6人の原告の控訴審判決を迎える。さらに1週間後の1月23日(火)には宮本義光さんの判決が控える。残された期間、やるべきことはすべてやり切り、最高の判決を迎えていきたい。

2017年度は、被爆者のもう一つの悲願である核兵器廃絶に向けて世界が大きな一歩を記す年となった。7月7日(金)国連において核兵器禁止条約が採択された。国連加盟国の63%に相当する122ヵ国の圧倒的多数の賛成による採択だった。条約は、被爆者運動の果たしてきた役割を高く評価し、核廃絶に向けて被爆者の願いに深く留意することを明記した。そして、被爆者と共に世界に核廃絶を訴えてきたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に対して2017年度ノーベル平和賞が授与されることになった。
しかし、核保有国と、日本政府も含めた核の傘に依存する国々の核兵器に固執する姿勢は依然として変わらない。したがって、核廃絶に向けた運動はこれからさらに強めていかなければならない。核兵器が人間に何をもたらしたのかを具体的に教えていく被爆の実相、体験の普及はいよいよ重要となる。一方で被爆者に残された時間は多くはない。そのためにも、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の持つ意味、果たす役割は大きい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告であった原野宣弘さんが昨年11月27日、控訴審の判決を聞くことなく他界され、一昨日が一周忌となった。原野さんは生前身体の機能障害回復のためにリハビリを兼ねた絵の制作に励まれていた。その点数は50点にものぼる。テーマの多くは、故郷の長崎の情景、原野さんの住み慣れた宇治の街並み、そして原爆の惨禍と平和への願い。さらに原爆投下後5人のきょうだいを女手一つで育て上げられた母親への深い愛も題材となっている。
この原野さんの絵画作品展を、“原爆の惨禍、生きてきた証、そして平和への願いを絵に託す”と題して年明けの1月に開催することになった。開催日程は1月10日(水)から22日(月)までの13日間。会場は京都市下京区の「しんらん交流館」。「しんらん交流館」は京都駅から北へ歩いて10分、東本願寺北側となる。京都原水爆被災者懇談会と京都「被爆2世・3世の会」、原野さんのご遺族が共同し、そして「しんらん交流館」の全面的なご協力で実現した企画だ。
遠方からでも、この期間に京都においでになる機会のある方には是非ご鑑賞いただきたいと思っている。
原野宣弘さんはこの絵画展期間中の1月16日(火)控訴審の判決を迎える。(ご長男が裁判を承継) 絵画展が勝訴をお祝いする展覧会となることを祈っている。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年 1月16日(火)11:00  202大法廷 高裁第13民事部 判決
2018年 1月22日(月)14:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論・尋問
2018年 1月23日(火)13:10  806号法廷 地裁第 7民事部 宮本判決
2018年 1月25日(木)11:00  806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2018年 3月29日(木)11:00  806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2018年 4月16日(月)15:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論
2017.12.03 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(58)
第7民事部のMYさんの判決も年明け1月23日と決定!
ノーモア・ヒバクシャ訴訟は核兵器廃絶運動と一体となって勝利をめざす!
2017年9月20日(水)

 9月14日(木)と15日(金)の2日続きで、7月14日(金)以来2ヶ月ぶりとなるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の期日を迎えた。9月14日(木)は大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)。第7民事部は5人の原告だが、その一人MYさん(78歳、大阪市在住)の裁判が先行して進められ、前回が結審となる予定だった。ところが国側の引き延ばし策とも思える申し出によって今回まで先延ばしにされてきた。やっと迎えた最終意見陳述。今回はMさん担当の小瀧悦子弁護士によって、パワーポイントを使ったプレゼンテーションが行われた。
 画像、映像を駆使した意見陳述はかっての集団訴訟では積極的に用いられたと聞くが、最近はそういう機会がほとんどなく、私がノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の傍聴記を担当するようになってから初めてではないかと思う。あらためてこうしたものの活用が必要であると検討され準備されていた。ところが、国側がこうした手法に強く難色を示しているらしく、裁判所も国の主張に配慮してか、容易には認められなくなっていた。7月13日(木)の高裁第13民事部・控訴審の最終意見陳述ではパワーポイントによるプレゼンテーションが相当な力を入れて準備されていたにも関わらず、直前になって認められないことになり、関係してきた人たちはみんな悔しい思いをし、期待していた私たちも少なからず落胆した。
 それが今回の第7民事部ではやっと認められたようだ。小瀧弁護士は「Mさんの被爆状況について」と題したパワーポイント画像に基づいて陳述していった。Mさんの被爆状況自体は既にこれまでの意見陳述や本人尋問でも明らかにされてきたことだが、やはりあらためて画像を使っての、視覚に訴えての説明には説得力を増すものがある。長崎原爆のキノコ雲、被爆地や爆心地を示す地図、Mさんの被爆した稲佐町の学校や発電所の破壊状況、稲佐町から爆心まで何も遮るもののない遠景、お母さんの実家の浦上の被災情景や破壊された天主堂の姿、そして数日間を過ごした防空壕跡まで、十数枚の写真、資料がスクリーンに映し出されていった。
 Mさんは爆心地から1.8㌔被爆なので直接被爆も激しいものだが、加えて稲佐町から浦上まで爆心地を通っての入市歩行、被災者とともに過ごした防空壕での10日間、飲料用に井戸水を使用したことなど内部被ばくも深刻なものだったはず。そうしたことも最後に訴えられて最終意見陳述は終えられた。

小瀧さん_convert_20170922203527

 裁判長が弁論の終結を宣言し、Mさんの裁判はやっと結審を迎えることになった。判決は来春年明けの1月23日(火)午後1時10分からと示された。
 Mさんはこの日もご夫妻で出廷。裁判後の報告集会にも参加された。Mさん自身、今日の法廷で当時の写真を初めて目にすることになり、当時のことを思い出しながら感慨をもって見られたようだ。72年前のことを脳裏に浮かべ、「原爆はどうしようもないもんだ」「どうしてもああいうもんはやめさせなければいかん」「そのためにこれからも一生懸命やっていきたい」と、あらためて思いを語られた。

 宮本さん_convert_20170922203444

梶本さん_convert_20170922203420

 翌日の9月15日は大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)の期日。第2民事部は今年4月から裁判所体制が変わり、前回6月15日は裁判の更新手続き陳述が行われたところだ。新しい裁判長になって今回が実質最初の弁論ということになるが、今回は代表して中森俊久弁護士によって陳述が行われた。中森弁護士は終始準備書面を読み上げる形で陳述したが、本当はこの陳述もパワーポイントのプレゼンテーションで行うことを前提に準備されたものらしい。ところが前日の第7民事部とは異なって第2民事部の今回はパワーポイントのプレゼンテーションが認められず、やむなく口頭での陳述となった。陳述は準備書面の要旨について行うようにとの話になっていたようだが、中森弁護士はかまわず全文を丁寧に読み上げ、20分近くを使っての陳述となった。このため、口頭陳述の中でパワーポイントの写真番号、写真の説明もすべて読み上げられることになり、傍聴席の私たちは、読み上げられる写真のあれこれをいろいろとイメージしながら聞くことになった。
 準備書面の内容は、被告国の、DS02を基準にした初期放射線の被爆線量数値のみに依拠した主張が、いかに誤っているかを総括的、総論的に明らかにしたものだった。新しい裁判長に対して原爆被爆の実態を正確に理解してもらうために、一からの説明として準備されたもののようだ。それもすべて具体的な事実、事象を簡潔に紹介しながらの陳述であり、画像の提示はないながらも、とても分かりやすいものであった。
 陳述は、広島と長崎の原爆投下、被害の概況から始まり、原子爆弾の被害が熱線によるもの、爆風によるもの、そして放射線によるものとそれぞれの状況説明が続く。そして放射線被害は初期放射線と言われるものだけでなく、残留放射線及び放射性降下物、内部被曝による影響もあると説明される。特に内部被曝はより深刻であるにも関わらず過小評価されてきたことが強調され、残留放射線や内部被による障害の証明として3つの具体的事例がより詳しく挙げられた。一つは原爆投下から13日も後に救護活動に入って被爆した三次(みよし)高等女学校の生徒たちの障害例。これはドキュメンタリー映画『おりづる』でも採り上げられた実例だ。二つ目は二人の兵士の写真に基づいた説明で、被爆後数週間も経ってから突然発症して死に至った実例が示された。そしてもう一つは、被爆後10年も経て白血病を発症し、若い命を奪われることになった佐々木禎子さんの実例が象徴的な原爆被害として説明された。
 被爆者は今もいつ発症するかもしれない健康への不安を抱いて生きている。偏見と差別によって家族や社会との絆を断たれた人たちも少なくない。原爆被害の多方面への影響の深刻さは想像を絶するものであり、国が主張するような初期放射線量だけで被爆の被害を捉えることなどできるものではないことを訴えて、陳述は締めくくられた。

豊島さん_convert_20170922203656

 報告集会では、この間の画像・映像を使ったパワーポイントなどの意見陳述についての裁判長とのやりとりについて状況説明がなされた。いずれにしても何かのルールや規則で制限されているわけではなく、これからも画像・映像を使った陳述は積極的に主張し求めていくことが必要だということになった。京都で私が関わっている大飯原発運転差止訴訟や、原発賠償京都訴訟などでは今でもパワーポイントを活用した意見陳述が当たり前のように行われている。

 第2民事部の次回期日は11月20日(月)と決まっていたが、さらに次々回期日も年明け1月22日(月)と進行協議で決められた。第2民事部は国家賠償を求めているA・Tさん含めて7人の原告だが、その内の一人M・Yさん(89歳)がこの間他界された。これで第2民事部の原告7人の内3人までが故人となられた。訃報を聞くたびに裁判の早期進行の必要性を痛感する。第2民事部でも審理の早くできる原告は切り離して先行させていくことが話し合われたようで、次々回1月の期日は午後2時から5時までと設定された。M・Yさん本人に代わるご遺族に対する本人尋問の可能性もあるとのことだ。

 9月15日(金)は早朝からまた北朝鮮によるミサイル発射のニュースが騒がしい状況を作りだした。北朝鮮の核実験やミサイル発射による挑発行為は許されることではなく、直ちに止めるよう強く抗議をしなければならないが、しかし、このことをもってアメリカによる軍事的威嚇や、日本の軍備拡大が正当化されるようなことがあってはならない。7月7日は国連で核兵器禁止条約が採択された。条約はいよいよ9月20日から調印開始される。核兵器禁止条約への調印、批准によって核兵器の削減、廃絶への大きな一歩を踏み出し、その行動と合わせて北朝鮮の核武装や軍事的挑発を批判、交渉による平和的解決を進めていくのが、被爆者も含めて平和を求める世界の人々の願いだ。
 報告集会では、大阪の被爆者のみなさんによる、大阪での「ヒバクシャの訴える核兵器廃絶署名」を進める連絡会結成に向けたご苦労が報告された。禁止条約調印開始の9月20日に焦点を合わせて記者会見も予定されている。「この署名運動は被爆者が先頭に立たなければどうしようもない。被爆者として最後の落とし前をつける決意でとりくみたい」と決意が披露された。大阪の連絡会にはノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟弁護団も構成団体として参加されるとのことだ。また、愛須勝也弁護団事務局長からは、被爆者の代表を国連に派遣するためのカンパ活動のとりくみなども紹介された。

山川さん_convert_20170922203504

 核兵器禁止条約の圧倒的多数の国々による批准と効力発効、この条約と「ヒバクシャの訴える核兵器廃絶署名」を力に核兵器の廃絶をめざすこと、その大きな運動を背景に東アジアの平和と安定、非核の地域化をめざしていく必要がある。何より、被爆国日本が核兵器禁止条約に調印し批准する、それができる政府をめざさなければならない。ノーモア・ヒバクシャ訴訟は、被爆者の完全救済と共に、核兵器廃絶に向けた運動の一翼も担って、一体のものとして、必ず勝利をめざしていこうと、報告集会で確認された。
 近畿訴訟は、来年1月16日が控訴審の判決(原告6人)、1月23日が地裁第7民事部のM・Yさんの判決と決まった。その他の法廷、原告も順次審理が進行することになる。この秋から来年に向けての山場をみんなの力で頑張っていきたい。

藤原団長_convert_20170922203615

 この傍聴記を仕上げる直前になって臨時国会冒頭解散のニュースが飛び込んできた。森友問題にも加計疑惑にも蓋をしたまま、何の大義もない最悪の党利党略解散だ。その不当な解散、最悪の権利の濫用であること自体を多くの人々に訴えていかなければならない。しかし、実際に解散されてしまうのであれば、これを安倍内閣終焉の絶項の機会にしていく必要がある。憲法9条を堅持し、被爆者を含む高齢者と社会的支援を必要とする人々に寄り添う政府と政治を実現していかなければならない。そして何より、核兵器禁止条約に調印し、世界に向けて核廃絶を発信していく日本政府となるような、その展望を作り出すチャンスとしていきたい。
 次回のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は11月だが、その時には大きな政治変革の生まれている中で期日を迎えるようにしていこう。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年11月17日(金)11:00  806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2017年11月20日(月)15:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論
2018年 1月16日(火)11:00  202大法廷 高裁第13民事部 判決
2018年 1月22日(月)14:00 1007号法廷 地裁第 2民事部 弁論・尋問
2018年 1月23日(火)13:10  806号法廷 地裁第 7民事部 宮本判決
2018年 1月25日(木)11:00  806号法廷 地裁第 7民事部 弁論
2017.09.22 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(57)

控訴審・大阪高裁Cグループ第13民事部は来春1月16日に判決言い渡し
核兵器禁止条約とヒバクシャ国際署名と共に核廃絶運動をさらに!
2017年7月19日(水)


日中の気温が35度前後にも上る連日の猛暑の中、7月13日(木)・14日(金)と2日連続のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の弁論が行われた。
7月13日は6人の一審原告の控訴審で大阪高裁第13民事部(高橋譲裁判長)の係属。今回は最終弁論、結審の日であり、前回までに最終弁論では画像などを駆使したパワーポイントによる意見陳述を行い、被爆の実相をより分かりやすくビジュアルに訴えることになっていた。いつもとは違う新しい試みに私たちも期待をして202号大法廷の傍聴席に着いた。

ところが裁判長の口からは画像を使った今回の最終意見陳述は許さない旨の表明が行われ、意外にも事態は思うようにはいかなくなっていることを私たちは初めて知った。愛須勝也弁護団事務局長が立って今回の裁判所の判断は遺憾であると強い口調で意見を述べた。裁判所の判断は、6人の原告個々の放射線起因性が争点であって、原爆被害の全体像、被爆の一般的実相を今さら解明する陳述は不要ということらしい。そうではなく原爆が人々の体にどのような影響をもたらしたのか、その実相をより詳しく理解して初めて放射線起因性も正しく理解できるはずであり、各論の事実認定のためにも総論の理解を深めておくことは不可欠だと愛須弁護士は主張した。

そしてその上で、しかし今回のことを不服として予定されていた結審を先に延ばすことは原告のみなさんにとって望ましいことではないので裁判所の判断はやむを得ず受け入れるが、最終意見陳述で主張したかったことの趣旨は重く受け取られるようにと訴えられた。
結局この日は6人の原告の一人HYさん(故人)について担当の稲垣眞咲弁護士が意見陳述をし、口頭ではこれが最後の陳述ということになった。

Hさんは2008年(平成20年)に心筋梗塞について原爆症認定申請し、却下処分を受けて2011年(平成23年)に提訴した。一審で棄却判決となり控訴していたが、控訴審判決を聞くことなく昨年11月闘病の末帰らぬ人となられた。Hさんは生後10ヵ月の時長崎で被爆した。父親は爆心地のごく近くで犠牲となり、その父を探しに母親に背負われて長崎の街を1週間ほども歩き回った。心筋梗塞は1997年(平成9年)、53歳の時の発症だ。
Hさんは、生後10ヵ月での被爆だから被爆時の状況について本人に直接の記憶はない。このためお姉さんに当時のことを思い出してもらい、脱毛のあったことなどを証言した。しかし姉の話は曖昧だとか、母親の書いた被爆者手帳交付申請書に脱毛の記載がないなどとして、原判決は当時の状況証言が信用できないとした。80歳を超えた姉に66年も昔のことを詳細に思い出すよう求めるのには無理がある。また被爆者手帳交付申請時の記載が必ずしも厳密なものでなかったことは既に幾多の例で明らかになっている。これらをもって当時の症状を否定すべきではないと稲垣弁護士は主張した。

稲垣さん
(Hさんの担当弁護士稲垣眞咲弁護士)

Hさんの申請疾病の心筋梗塞については、訴訟の途中から突然、原発性アルドステロン症という病気が原因であると国の方から持ち出され、原判決も同様の判断をしたことが明らかにされた。事実はHさん自身このような病名を告げられたことは一度もなく、2008年(平成20年)のステント手術に至るまでそのような病気の可能性を想定させるような状況はまったくなかった。ないからこそ心臓の手術も行われたと考えるのが合理的であり、心筋梗塞は放射線に起因するものと認められるべきだと主張された。
Hさんはリハビリも兼ねて絵を描き、多くの作品を遺してきたことも紹介された。判決結果を聞くことなく生涯を閉じなければならなかったことは、本人はもちろん無念な思いでいっぱいだったはずだが、奥さんや息子さんも残念な気持ちを強く抱いている。裁判所は不合理な病名などによって原爆の影響を否定したりせず、また、Hさんのように判決を待たずして亡くなってしまう原告が出ないよう、迅速、公正な審理をするよう訴えて稲垣弁護士の陳述は終えられた。静かだが、一語一語噛み締めるような、法廷にしみいるような最終意見陳述だった。
この後裁判長が弁論の終結を宣言し、判決言い渡しを来春2018年1月16日(火)午前11時から行うと告げて閉廷となった。

集会
(裁判報告集会)

報告集会では愛須弁護士から今日の法廷でパワーポイントを使った意見陳述ができなくなった経緯について状況説明された。最後の意見陳述書は最終的に7月10日に提出された。期日の直前になって左陪席裁判官からパワーポイントを使っての陳述は認められないとの連絡があった。「最終準備書面と準備されたパワーポイントの内容が異なるから」というのが語られた理由のようだった。弁護団は緊急に連絡を取り合って対策を検討された。結審が先に延びることになっても、裁判官忌避も辞さない、そういう事態の覚悟も含めて検討されたようだ。それでも原告のみなさんの実情 ― 体調を悪くされている人、Hさんのように他界された人などのことを思うとこれ以上先に裁判を先に延ばすことは難しいと苦渋の決断をし、今日の法廷を迎えることになった。
パワーポイントの陳述は時間にして20分ほどのもののようだが、裁判官も一応は見た上での判断なので、弁護団が何を訴えたかったのかは届いているはずだ。そのことにせめてもの期待はしたいということになった。

和田さん
(パワーポイント意見陳述作成担当の和田信也弁護士)

国の最終準備書面では、ノーモア・ヒバクシャ訴訟とは別に争われていた最近の東京の判決、被爆者敗訴の判決も引用して陳述されているようだ。相変わらずの姑息なやり方が行われていることも報告された。
尚、今回の控訴審結審に際しては、公正な判決を求める署名が2000筆以上集められ、翌日の7月14日に提出されている。

傍聴記の前号№56(2017年6月18日付)では、「次回の法廷と報告集会には核兵器禁止条約採択というビッグニュースが届いていることを期待しよう」と書いたが、その通りとなった。7月7日未明、122ヵ国の圧倒的多数で禁止条約は採択され、核兵器廃絶に向けた歴史の歯車が大きく回転した。報告集会では何人もの参加者からこのことを力にしてさらにがんばっていこうと決意が明らかにされた。

岩田さん
(核兵器禁止条約締結に向けたニューヨークでの行動に参加した大阪原水協の岩田幸雄さん)

そうした出来事のあった直後の法廷であっただけに、被爆の実相をより深くより詳しく明らかにしていく意見陳述の機会が奪われたことは残念でならず、世界の人々が国連の場で迎えた歓喜とのギャップの大きさを感じないではおれなかった。核兵器禁止条約は何よりも核兵器の持つ非人道性こそを訴え、そのことを最大の立脚点とした条約だ。そして核兵器の非人道性を実際の体験に基づいて告発し示してきたのが広島・長崎の原爆被爆であった。70年以上に及ぶ被爆者の訴えに世界は学び、応えて、今遂に核兵器禁止条約は誕生した。ノーモア・ヒバクシャ訴訟は、核の非人間性を問い質す、その罪を問う場だ。核兵器禁止条約採択という人類の切り開いた歴史の一歩の意味を、裁判に関わる者すべてが、原告である被爆者も、代理人弁護士も、裁判官も、支援の傍聴者も、被告の国の関係者でさえも、共に認め合う機会とするべきだった。あらためて被爆の実相を深く詳しく理解していくことは、そのためにとても重要ことだったはずだ。ノーモア・ヒバクシャ訴訟はこれからも続く。次の機会にはこのことが是非実現するよう強く望みたい。

藤原団長
(締めの挨拶をする藤原精吾弁護団長と原告担当の前田麻衣弁護士)

翌7月14日(金)は大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)の弁論が行われた。第7民事部は5人の原告だが、その内のMYさん(79歳、大阪市在住)だけは分離して先行審理され、今回が結審となる予定だった。しかし原告側の最終準備書面においてMさんの総論部分に相当する意見が述べられたところ、国はMさんの審理においてこれは主張されてこなかったところだからこれから反論の準備をしたいと、この日になって言い始めた。総論はすでに他の場面でも主張尽くされてきていることだし、Mさんの審理でも敢えて省略して進めてきたのが実際だから、内容的に新しい主張ではなく、今になって反論の準備を主張するのは正当ではないと、Mさん担当の小瀧悦子弁護士は食い下がった。国側の結審引き延ばしの嫌がらせとしか思えない行為だ。しかし裁判長も一方的に国の申し出を遮ることはできず、結局、結審を次回期日の9月14日(木)に先延ばしすることにし、国側代理人に対してはくれぐれも期限までに反論を提出するよう釘を刺して、このことは落着させることになった。

宮本さん
(いつもご夫婦で一緒の原告のMYさん)

それでもこの日に備えて準備されてきたMさんの最終意見陳述は述べられることになった。Mさんは証言台に立ち、一語一語に思いを込めてゆっくりと陳述されていった。Mさんの原告本人尋問は今年3月14日に行われたが、その時に証言された被爆の体験、その後の闘病人生をより要約する形で述べられたのが今日の内容だった。その中で、「あのおそろしさは、体験したもんにしかわかりません。これからの人には、あんな思いは、してほしくはありません」の訴えは、裁判所に対してだけでなく、私たちも含めて法廷にいるすべての者に投げかけられたもののようであった。陳述は、「やっと裁判もこの日を迎えました。裁判所には、被爆者の人生によりそっていただき、判決をお願いいたします」で締めくくられた。本当は今日が結審になるはずだったのに、2ヶ月先延ばしされることになった無情さを印象付けることになった。

小瀧さん  
(Mさんの担当弁護士の小瀧悦子弁護士)

7月13日(木)の報告集会の際に述べられた一人の被爆者の核兵器禁止条約採択についての感想が印象深い。被爆者の人生は苦しかったこと、辛かったことばかりが山ほどで、良かったことなど一つもない。でも核兵器禁止条約が採択されて、一番大きな力になったのは、先輩の被爆者のみなさんが苦しさ、辛さを乗り越えて語ってきたからではないかと思った。自分たちと同じ思いを誰にもさせたくないと語ってきた。そして多くの人々から支えていただいた。その結果が禁止条約採択に結実したのだと。それを考えると、自分が被爆者であることが誇らしい気持ちにもなった。こんな時代を迎えることができるとは思ってもいなかった。これからさらに核兵器の完全廃絶に向けて次の段階に向かっていきたい。特に日本政府が条約に署名し、批准するようにもっと頑張っていきたい。
これは報告集会に参加していた人たち全員が共通して持った思いだと思う。
核兵器禁止条約を力にして、「ヒバクシャの訴える核兵器廃絶国際署名」の運動を推進力にして、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の運動と勝利も重要な一翼を担ってそこに参加し、核被害者の完全救済とすべての核兵器が完全に廃絶される日をめざしていきたい。

尾藤先生
(締めの挨拶は尾藤廣喜弁護士)

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 9月14日(木) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論・1人結審
2017年 9月15日(金) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論
2017年11月17日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論
2017年11月20日(月) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論
2018年1月16日(火) 11:00 高裁C第13民事部 202号 判決(原告6人)

2017.07.23 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(56)
「2017年ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」に81人
核兵器禁止条約の採択と共に被爆者救済への道を切り開こう!
2017年6月18日(日)


6月3日(土)、「2017年ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」が大阪グリーン会館を会場に催された。参加者は81人。
この1年、池田眞規弁護士、伊藤直子さん、肥田舜太郎先生はじめ、多くの原告、被爆者、そしてノーモア・ヒバクシャ訴訟に献身的に関わってこられた方々が永眠された。つどいの冒頭、皆様の在りし日のご活躍を偲んで参加者全員が黙祷を捧げた。

梶本さん_convert_20170618184440

つどいの前半は、「核兵器全面禁止をめざすヒバクシャの闘い」と題して、日本原水協代表理事の高草木博さんによる記念講演が行われた。被爆者が「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と生涯をかけて訴えてきた核兵器廃絶の課題、それにつながる禁止条約交渉が眼前で進行している今、深い関心と期待をもってお話を聞くことになった。

高草木さん_convert_20170618184508

高草木さんのお話は原爆症認定集団訴訟の頃の思い出から始まる。東京地裁で原告勝利判決を受け、国が控訴した際、高裁判事が、「あれほどのことがあったのだから考慮することはできないのか?」とたしなめたことがある。それはどれほどのことだったのか? それは人間にとってどういう意味を持つのか? どのような態度でそれに臨めばいいのか? という問いかけだった。 原爆症認定訴訟の場でかけられたその言葉は今、核兵器禁止をめぐる国際政治の審議の場でも同じ問いかけがされている。被爆者の72年に及ぶ体験が、国際政治の頂点に置かれ、人類全体の課題にまでされているのだ。高草木さんはまずそのことを強調された。

講演は、1990年代末からの核軍縮・核兵器禁止を求める運動の歴史にふれながら、特に昨年10月の国連総会第一委員会で採択された「核兵器を禁止するための法的拘束力のある文書を交渉する会議を国連主催で開催する決議」について分かりやすく話された。従来の化学兵器禁止条約等とは異なり核兵器禁止条約交渉会議は国連主催で行われること、明確に禁止のための法的拘束力を持たせる文書であること、全加盟国一致のコンセンサスはめざすが最後は多数決で決する(一部の国の拒否権は認めない)ことなど、その内容は画期的で歴史的なものだ。禁止条約実現をめざす国々の熱意が明らかになっている。アメリカを先頭にした核保有国のあわてぶりは相当なものだったようだが、12月の国連総会は賛成113、反対30、棄権13の圧倒的多数(79%)の賛成で提案を採択した。

続いて3月からの交渉会議第一会期の状況、5月22日発表された議長の条約草案の特徴について話された。特徴の第一は、核兵器使用の人道的影響こそが条約の立脚点とされていること、第二は、禁止項目が直接的具体的に明示されたこと、第三は、核兵器使用と実験によって引き起こされた被害と被害者の救済支援が国際政治の責任に掲げられたこと等々が説明された。第一会期では、ラテンアメリカ、アフリカ、東南アジアなど非核兵器地帯を構成する国々の代表がこぞって禁止条約賛成の発言をし、条約に反対する国々がいかに少数派で孤立しているかを際立たせた。核兵器禁止条約をめぐる大勢はもはや誰が見ても明らかであり、この大きな流れを背景に禁止条約の交渉は進められている。そのことがとても重要な点だと強調された。

日本政府は第一会期冒頭に恥ずべき態度をとり交渉会議をボイコットした。理由の一つは、北朝鮮脅威と現実的対応論、もう一つは核保有国との間の「亀裂と分断」論。しかし北東アジアの平和と安全のために何ら責任ある行動をとってこなかった日本政府に北朝鮮脅威論など語る資格はない。また核保有国への説得こそ本来日本政府に求められることなのに、それを放棄してしまった態度には世界が落胆し批判を集中している。

講演は最後に、7月7日の禁止条約交渉会議第二会期末以降の見通しなどに触れながら、圧倒的な国々が条約への調印と批准をし、そして核兵器廃絶へと向かっていくこと、その展望とそこで私たちが果たすべき役割と課題について訴えられた。核兵器の廃絶は全人類の課題、そして今だけでなく後々の将来世代にも関わる課題だ。70億の人々すべてが核兵器は二度と作らない、使わない意志を誓い合わなければならない。その意志を示し合うために「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」の本当の意味、価値があるのではないか、と。
いま、憲法9条、戦争法廃止、沖縄新基地建設阻止、原発、格差など多くの課題で共同が発展し、政治を変える力となって前進している。こうしたとりくみと連帯して、より良く生きようとするすべての人たちの課題と結びついてとりくんでいこう。8月の原水禁世界大会が、歴史的な情勢に応えて、共同の活動を次のステップに押し上げる画期的な大会になるようにしていきたい。是非多くのみなさんに世界大会に参加されるように、と訴えられて講演は締めくくられた。

会場_convert_20170618184631

今春以来、北朝鮮によるミサイル発射とアメリカ軍による牽制行動が続き北東アジアの「緊張」が高められてきた。そこに世界の安全保障の焦点があるかのような政府の行動と報道が行われ、人々の目も引っ張られてきた。しかし本当の焦点はそんなところにない。アメリカを先頭にした核保有軍事大国の横暴を許さず、核廃絶と非軍事同盟、外交と話し合いで世界の平和と安全を実現していこうとする圧倒的多数の国々の動向にこそ世界の流れ、大道はある。今、世界の民主主義が核保有大国とそれに追随する勢力の横暴を包囲し、追い詰めつつある。今回の講演ではそのことをあらためて学ぶことができた。被爆者と私たち被爆者救済を支援する人々の果たす重要な役割の再認識も含めて。

「勝利をめざすつどい」は続いて「ノーモア・ヒバクシャ訴訟の到達点と課題」と題した愛須勝也弁護団事務局長の報告に移った。ノーモア・ヒバクシャ訴訟は現在、係争中の原告数が全国で60人(3地裁、3高裁)。内24人の原告(2地裁、3高裁)の年内中結審が確定している。さらに15人の原告(1高裁、1地裁)も年内結審の可能性があり、全国で結審、判決が集中する大きな山場を迎えている。高齢化の進む被爆者は新規提訴する例も極めて少なくなっており、今闘っている訴訟を勝ち切らなければ、厚生労働省の狙う「被爆者が死に絶えるのを待つ」状況になりかねない事態に直面している。

愛須(集会)_convert_20170618184608

これから続く法廷はすべて傍聴席をいっぱいにしていこう。必ず正しい判決を勝ち取り、その勝訴判決を力にして厚労省に認定行政の改革を迫っていこう。最終的には日本被団協提言の、認定制度ではなく被爆者全員に保障される制度に改めていく、これが目標だ。そしてそこに到る過程でも、心筋梗塞や甲状腺機能低下症など個別疾病ごとの認定基準を被爆の実態に見合ったものに変えていくとりくみがますます重要になる。
近畿訴訟は、集団訴訟以来被爆者だけの闘いにしない、被爆者を多くの人たちが支える形でとりくんできたのが特徴だ。このとりくみ方をさらに前進させ、より多くのみなさんの参加でこれからの訴訟も闘い抜いていこうと訴えられた。

講演と報告の後は文化行事として、シンガー・ソングライター川口真由美さんによる歌のプログラムがあり、全員でひと時を楽しんだ。川口真由美さんの圧倒的歌声は被爆者と参加者を心の底から励まし勇気づけるものだった。

まゆみさん_convert_20170618184725

この日出席された原告のみなさんは5人で、一人ひとりの挨拶の後花束を贈呈して激励した。ある原告からは「最高裁に上告することになっても最後まで頑張る」との決意表明があり、その強い気持ちに拍手が送られた。

花束贈呈_convert_20170618184655

最後に西晃弁護士による閉会あいさつと、下記の3つの行動提起があり、全員で確認して、この日の「つどい」を閉会した。
① 引き続き傍聴支援のとりくみを強化し、7月13日結審を迎える高裁第13民事部判決勝利に向けた要請署名のとりくみを強めよう。
② 原爆症認定審査基準を今後裁判で争う必要のない状態(8・6確認)までにすることを今一度確認し、当初の運動の原点に立ち返って認定基準の抜本的改定を求めていこう。
③ 核兵器廃絶と脱原発社会の実現に向けて、「ヒバクシャ国際署名」の推進、2017年世界大会の成功、核兵器禁止条約採択に向けて全力を尽くそう。

司会者_convert_20170618184745

6月15日(木)早朝、天下の悪法共謀罪法案が自民、公明、維新の会によって強行採決された。平然と嘘と隠ぺいを繰り返し、良心の欠片も見せることなく民主主義を破壊しての前代未聞の強行だった。怒りを通り越して、私たちのこれからの社会はどう律せられていくのだろうかと、不安と焦燥にかられながら、この日の法廷、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟大阪地裁第2民事部の1007号法廷に向かった。

第2民事部は今年3月以来の法廷となる。今回から裁判所体制が変わり、裁判長には新しく三輪方大裁判長が就かれた。したがってこの日の法廷は弁論の更新で、愛須勝也弁護団事務局長が意見陳述を行った。

愛須_convert_20170618184840

小西さん、松谷さんなど個別訴訟に始まる原爆症認定の訴訟の歴史は私たちも過去何度か法廷で聞いてきたが、今回はいつも以上に力のこもった、しっかりと時間をかけての陳述だったような印象を受けた。
松谷訴訟において最高裁は、最終的に福岡高裁勝訴判決を維持し、実質的に被爆者の立証責任を軽減する結論を下した。それは被爆者を救済しようとする最高裁の固い決意を伺わせるものだった。しかし国、厚生労働省はその後最高裁で勝利した松谷さんさえ救済されない認定基準を策定したため、全国の被爆者は集団認定申請、集団提訴という原爆症認定集団訴訟によって被爆者救済をはかることになった。2003年から2011年に及ぶ集団訴訟は合計30回の判決の内、1回を除く全国すべての判決で松谷最高裁判決の考え方に立脚して放射線起因性を認め、被爆者救済の判断を下してきた。その結果、2009年当時の麻生総理との間で「8・6合意」が交わされ、「今後は訴訟の場で争う必要のないよう定期協議の場を通じて解決を図る」ことが約束された。しかし厚生労働省はこの約束を反故にして、2013年12月「新しい審査の基準」を強行策定し、以後も多数の却下処分を続けてきた。却下処分に不服のある被爆者はその後も訴訟を強いられることになった。被爆者は第2の集団訴訟とでもいうべき「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」を提訴し、全国の原告数は121人にもなった。ノーモア・ヒバクシャ訴訟においても各地で原告勝訴判決が続き、国の現行審査基準が不十分なものであることが繰り返し明らかにされている。
愛須弁護士は要旨以上のような原爆症認定訴訟の経緯について述べた後、被爆者援護法前文の全文を読み上げ、法の趣旨に立脚した判断を下すよう訴えた。現行被爆者援護法が制定されたのは1994年。あれから23年も経過し被爆者の高齢化はさらに進行している。法廷に立てない原告も増え、係争中に他界される原告も相次ぎ、記憶の減退や証拠の散逸で立証上の制約も拡大している。一審で勝訴しても無情な控訴により最終的に認定証書を手にすることなく亡くなる原告もある。被爆者にはもはや時間はない。一刻も早く被爆者救済の判決を下されるよう強く求めて陳述は締めくくられた。

閉廷後の報告集会では、新しく就任された裁判長とのやりとりや、今日の法廷についての簡単なふりかえりが報告された後、やはり今朝の共謀罪法案強行採決に対する怒りを噴き出し合う機会にもなった。尾藤廣喜弁護団幹事長が最後にまとめるように以下のあいさつを述べられた。

尾藤先生1_convert_20170618184901

共謀罪には全国の弁護士が強く反対してきた。戦前は弁護士活動さえも治安維持法によって逮捕される、そういう経験をしてきた先輩弁護士はたくさんいて、共謀罪はその治安維持法に道を開くものだからだ。これまでの刑法の考え方を根本から覆すものであり、人権を守る立場から絶対に許すことのできない法律だ。成立したからといって決して諦めてはならない。法の濫用を許さないよう、人権侵害が起きないようとりくみと対策を強めていくことが必要となる。そして何よりこれからは法律の廃止をめざしていかなければならない。
安倍政治の問題は共謀罪の問題に止まらない。特に社会保障の改悪は極めて深刻な事態を迎えようとしている。その社会保障大改悪の一環に被爆者切り捨てもある。被害者、被爆者、社会的弱者に寄り添う政治を実現するため、大きな変革の潮流を作り出していくことが本当に求められている。核兵器禁止条約交渉会議をボイコットするような政府も許してはならない。政治の流れを転換していく、大きな世論の輪を作り出していこう。その中で被爆者の問題もとりくんでいこう。

この日は国連の核兵器禁止条約交渉会議第2会期開会の日でもあった。報告集会では交渉会議成功を後押しするニューヨーク行動に日本から56人の代表団が旅立ったことも紹介された。次回法廷の7月13日(木)報告集会では核兵器禁止条約採択のビッグニュースが届いていることをみんなが期待している。

尚第2民事部の次回以降の日程は次のように決められた。次回は9月15日(金)午後3時から、次々回は11月20日(月)午後3時から。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 結審(原告6人)
2017年 7月14日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 1人結審の予定
2017年 9月14日(木) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論
2017年 9月15日(金) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論
2017年11月20日(月) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論
2017.06.18 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
前回のブログの続きです。
ぜひ、お読み下さい。

2014年(平成26年)1月21日の宇治簡易裁判所での本人尋問の際に提出した文書


裁判所に申し上げたいこと

 私は国の方針が終始一貫していないことに怒りを覚えます。
 それは、原爆当時、「怪我」をされた人が、身体的に弱っている時は、一定期間養生には必要であっても、ある程度すると元気になりますが、その当時の「傷口」があれば、本当に原爆を受けた者とし、認定が受けられる。そういう人たちを何人か見て知っています。
 国は、私みたいな内部的なものを患っている人たちのことをないがしろにしてきています。そういう方針に本当に腹の底から「むかっ腹」がたちます。そういうことを考えると、なんとも不条理であると感じます。なんでこんな病気をせねばならないのか、そのたびに死に直面、覚悟せねばならないのか、誠に理不尽であるとしかいいようがありません。
 私は、この件について、何か社会的に訴えるものはないかと思い、昔(小学生のころ)絵をやっていたので、この20余年間、絵を画くことに目覚めました。
 平成24年2月22日の弁護士の意見陳述のときに提出した資料2という絵は、母親と一緒の気持ちになり、母親の当時の凄絶、悲惨な状況の中、乳呑み児の私と兄弟4人(ハト)を現したものです。
 故人となった母親が、育ち盛りの5人の子どもと病気の祖母の6人を、県庁の職員として働き、どうした思いで育てたか、わかりますか。誰からも、物、金銭的な助けを借りなくて、兄弟手と手をとり、背中を丸くしていかに貧しくても正しい途を歩んできたものです。そういった貧しい生活をしながら、母親の後ろ姿を見てきました。そういった母親の人間としての無念さとか、耐え難きを耐えた真情とか、怒りというものはこういうものであったのだと思い、そういった叫びを墓場の草陰から感じながら、一緒に、私の、国の理不尽な行為に対する心の叫びとあわせ、重ねて画いたものです。
 私は、父の昔の部下の人たちから「お父さんの生まれ変わりの人間であるから、お父さんみたいな人間にならないといけないよ」とよく言われました。40歳まで精一杯働いて、「さぁ、これからだ」という時に脳出血を患いました。この30年間の間にいろんな病気をやり、毎日の訓練、リハビリの病院通いは、時には自暴自棄となり、自分の体ではないような気持になります。
よく知人に言われます。「元気であったらどういうふうな生活をしているだろうね」と。慰めと、励ましを聞きます。そして、時々、自分にむち打ってキャンパスに向かっている姿があります。自分に叱咤激励せねば、最近は画けません。そうしながら、毎日胃瘻の準備を自分で全てしながら、生きて参りました。これは大変でした。
 今まで、私を取り巻くいろんな人たちに感謝感激、特にリハビリ、ヘルパーさんには、私が落ち込んだ折に心を支えていただいて、何ともいいようのない心の温かさを感じて感激しています。こういった社会的福祉の組織を作られた国の方針には頭が下がる、今日、こんにちです。
私の叫びと一緒に、母親の墓場の草陰からの叫びを重ねて、心静かにお聞き下されば幸いかと思います。

平成26年1月13日
原野宣弘

参考資料2 絵の説明【悲傷の月】2007(平成19)年5月


原爆平和祈念像を画くにあたり
今年は絵にちょっと変わったものを画きました。長崎の平和祈念像です。
いみじくも画いている途中で伊藤市長が倒れました。
市長の原爆に対する情熱はほとばしるほどに燃え上がる熱いものでした。
この世の原爆廃絶に対する伊藤市長の痛恨の祈念像として画きました。
私の平和祈念像とのかかわりは、父が原爆で亡くなりました。
投下後すぐに母の背におわれて(1歳未満で)父の骨の収集に行ったとか。
  身の毛のよだつ凄絶悲惨
  かえり見るさえ堪えがたい真情
  誰が平和を祈らずにいられようか!!
原田宣弘

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参考資料3 絵の説明【ハトはどこへいく】2011(平成23)年10月

 この絵は、私たち家族の、凄絶悲惨の中で、どうあらねばならないのかと訴えているつもりです。
4羽の鳩は私の兄弟姉妹4人、エンゼルは私です。鳩の真ん中にいるのは長男、左上は長女で、左下は次女です。鏡のアームにいる鳩は次男ということで、そしてエンゼルが私です。
 鏡の中のマリア様は母親で、泣くにも泣けず、言葉にもできず、凄絶さを前にして途方に暮れている姿です。足下には父の亡骸を前にして、ただ、佇む姿。誰が想像しただろうか。そういった母親の心情を察してか、兄弟姉妹とエンゼルが、どうぞ神光を母親に与えて下さい。「おかあちゃん」兄弟姉妹そろっているし、早くこちらへ帰ってきて、お互いの道を歩もうと、魂の叫びのようなものが聞こえてきそうだ。そういった意味のある、鳩とエンゼルと光と母親の演出です。鏡の周りとか、絵の下の部分の赤色は、人間としてあるまじき行為に対する私の怒りの爆発です。 兄弟姉妹、母の心情、神光、エンゼルの意味は、どうしても「力」を入れて言わなければならない生命線なのです。
原田宣弘
ハトはどこへいく_convert_20170609181630

参考資料4 絵の説明【旅の挙げ句に】2015(平成27)年3月

 私は現在胃瘻しながらの生活で、毎日が病との戦いながらの連続です。そうしながら画いた絵であるし、出来栄えは別としても非常に感慨深い、思い出の深い絵であると思っています。
現在手足が少し不自由してますが、キャンバスに向かう時は心を統一して真剣に向かうようにして画いています。バランスを崩して絵を台無しにしたりしないように。
今回は原爆の絵を描こうと思ったのですが、難しいのが判り、12・13年前にベニチェアに行った折りにとっておいた写真を元に画いた絵です。
 この絵の中に大きな女神を画いたのには理由があります。そのわけは、私自身訪問介護の方、訪問言語障覚士の方、第一日赤の電気治療の先生方、村山医院、武田病院、小倉のデイサービスの方、広野の福祉公社の皆様方と、ありとあらゆる人たちによって死を見つめてきた男を支えられています。自分一人で生きているのではない、皆様によって支えられて、生かされている、と自分を見つめてきた男として、自分が歩んできた人生に感謝を表さないといけないと思い、画きました。
 この絵を見ると、周りを人で囲んでいる。この舞台を借りて気持ちを表さないと思いまとした。
 「旅の揚げ句に」という題ですが、真実は皆さんにお礼を言いたくて画いた絵です。
 そこは女神がもって生まれた存在感が全てであると思います。
 どう思われますか。旅の終わりにこういうことあっていいじゃないか、と思いまして画いた絵です。
 額縁は高価なものにしましたのは、自分の努力に対するご褒美としました。
原田宣弘

旅の揚げ句に_convert_20170609181650






2017.06.09 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
原爆の惨禍、生きてきた証、そして平和の願いを絵に託す
原野宣(のぶ)弘(ひろ)さん
2016年1月27日(水)にお話し
京都「被爆2世・3世の会」で文章化



母に負われて死の街を彷徨う

 私は1944年(昭和19年)9月12日の生まれで、原爆が落とされた時は生後10カ月でした。ですから私には原爆の記憶など何もありません。すべて、後年になって母親や姉たちから聞かされた話です。
 私たち家族は戦争当時、長崎市水ノ浦町にある自宅に住んでいました。爆心地からは2.5㌔の距離です。家族は、父方の祖母と、両親、二人の姉と二人の兄、そして末っ子の私の8人でした。
 私の父は当時三菱造船所飽(あくの)浦(うら)工場に勤務していて、原爆が投下された8月9日も飽浦工場に出勤していました。しかし、原爆が落とされた当日も、翌日になっても父は自宅に帰って来ませんでした。家族はみんな父のことを心配しました。私の家の隣に父と同じ工場に勤める同僚の人が住んでいて、その人は10日になって帰ってきました。母はその人から父の状況について聞かされました。父は8月9日朝、空襲警報が解除になってから、飽浦工場から機械を疎開させるため、機械を大八車に乗せて、同僚十数人と共に西浦上の兵器工場に向けて飽浦工場を出て行ったとのことでした。
 この話を聞いた母は、その翌日から隣家の父の同僚の人や、三菱造船所の社員の人数人と共に父の捜索に出かけて行きました。母は生後10か月だった私を毎日背負って出かけました。乳呑み児の私を一日中家に置いておくことはできなかったからです。 私は、直射日光を避けるため日本手ぬぐいを頭にかぶせられた程度で、ほぼ裸のままの状態で母に背負われていたそうです。
 私を背負った母は、飽浦工場から西浦上の兵器工場までの間を何日も捜し歩きました。毎日夜明けから夜暗くなるまで、黒焦げになった遺体や、重なりあっている遺体、顔も判別できなくなっているような遺体を一つひとつ確認しながら父を捜し歩きました。
一週間ほど捜し続けた頃、浦上川の大橋付近(長崎市松山町・爆心地から約300メートル)で、疎開のために運搬していた機械を発見しました。その機械の周辺で、散乱する骨の中に父の弁当箱と腕時計を見つけました。そこが父の亡くなった場所でした。

 原爆によって夫を奪われた母はそれから、病気の祖母と育ち盛りの5人の子たちとの生活を支え、私を含む5人の子どもを独りで育てなければならなくなりました。県庁の職員として働きながら、凄絶で悲惨な生活を歯を食いしばってやっていきました。私たちは母の懸命に生きる姿を見ながら大きくなっていきました。
 私は長崎の高校を卒業した後、18歳で大阪に出て来て商事会社に勤めることになりました。仕事の関係で全国の地方を回ったりもしました。やがて転職もし、最終的に現在の京都府宇治市に居を構えて暮らすようになりました。

襲いかかる病気との闘いの人生

 私の姉の話によると、被爆も間もない頃、私は髪が抜けたり、その後で生えてきた髪が縮れたりしていたそうです。母も脱毛や下痢に襲われており、ずっと自宅にいた姉にも脱毛や下痢があったそうです。
 1957年(昭和32年)、私が12歳の時に原爆医療法ができて、被爆者健康手帳が発行されることになりました。母は私の分も含めて手帳の交付申請をしましたが、その時の書類に私のことを、「育ち盛りなのに、食欲がなく、疲れやすい子ども」だと書いていました。

 私は30歳代後半の頃から体がだるいことに気づくようになりました。宇治にある病院で高血圧と診断され、その頃から投薬を受けるようになりました。
 1985年(昭和60年)の年末、41歳の時、脳出血(右被殻出血)と診断され2ヶ月間入院治療を行ないました。
 1989年(平成元年)1月(44歳の時)には、仕事中に倒れて病院に緊急搬送されました。この時は2週間ほど意識が戻りませんでした。この時も脳出血(右被殻出血)と診断され約半年間入院しました。退院はしましたが、重度の言語障害と右側体幹機能障害が残ってしまいました。退院後、京都府立心身障害者福祉センター附属リハビリテーション病院に再度入院し、1年間懸命のリハビリを続けました。それからも1998年(平成10年)頃まで週3回通院してリハビリを続けました。しかし今も、言語障害と右側体幹機能障害が残っています。
 その後も、1997年(平成9年)、53歳の時には脳梗塞を、さらに同じ年に心筋梗塞を発症しました。翌年心臓カテーテル検査を行ない、2ヶ所の心臓バイパス手術を受けました。
 2002年(平成14年)には心不全で2ヶ月間、また膿胸で1ヶ月入院しています。2003年(平成15年)、59歳の時には肺水腫になり、肺の後ろにボール程度の大きさの膿瘤ができていることが分り、その除去手術のために3ヶ月入院しました。2008年(平成20年)、64歳の時には心臓バイパスがつまっていることが分り、ステント手術を受けました。
 2011年(平成23年)には甲状腺に異常が見られると診断されました。同じ年、誤嚥性肺炎のために入院しましたが、脳梗塞の後遺症で食べものが気管に入ってしまって誤嚥が治らないため、胃瘻の処置をとることになりました。今も胃瘻を続けている状態です。

 誤嚥性肺炎の病魔との戦いは言葉にもできない悲惨なものでした。この頃から介護保険制度のお世話になりましたが、私の要介護度3だけでなく、私の妻も要介護度1の認定を受けていました。要介護3の私が胃瘻しながら要介護1の妻を看るという惨憺たる生活だったのです。その苦しさは体験した本人にしか理解できないことだと思います。
今年に入って1月、6年目にしてやっとペースト食を食べられる状態になりました。今本当に生き返ったような心境なのです。生まれ変わったようになれた今日、こういうことも語られるようになった幸せにつくづく感謝したいと思っています。

私の病気は原爆が原因だ!原爆症認定を求めて

 私は爆心地から2.5㌔の自宅で直接被爆をしています。翌々日からはほぼ1週間、父を捜すため毎日、母親に背負われて爆心地付近をさまよいました。かなりの量の残留放射線を浴びたのは間違いありません。また、塵や埃を吸い込んだりして、大量の放射性物質を体内に取り込み、内部被曝をしたはずです。まだ1歳にも満たない、放射線の影響を一番受けやすい年齢でした。脱毛などの急性症状が出ているもその証です。ですから私を襲った数々の病気も原爆が原因であると思ってきました。そう思わざるを得なかったのです。

 2008年(平成20年)3月に、原爆症認定の新しい審査方針が決められ、「放射線起因性のある心筋梗塞」も積極的に認定されることになりました。そのことをきっかけに、その年64歳の時、心筋梗塞と労作性狭心症について、被爆者援護法に基づく原爆症認定を申請しました。しかし、厚生労働省は2年間も待たせた挙句、私の申請を却下処分にしました。“お前の病気は原爆とは関係ない”とされたのです。私はとても落胆しました。そして強い憤りを感じました。
 納得できない私は異議申し立てをしましたが、厚生労働省はその取り扱いを放置したままにして、なかなか結論を出してきませんでした。この頃、私の病状がまた悪化して、再び入院を余儀なくされるようになっていました。しびれを切らした私は、やむなく2011年(平成23年)の11月14日、裁判に訴えて原爆症認定を求めることにしたのです。ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟といって、近畿全体で20人を超える被爆者が一緒になって集団的に闘っている裁判です。
 裁判の原告となって訴えはましたが、自分で思うようにはできない体で、いつも厳しい体調であるため、私自身が法廷に出向いて意見を述べたり、他の人の裁判を傍聴したりすることはできませんでした。「何故裁判に訴えたのか」を述べる最初の意見陳述の日は2012年(平成24年)2月22日でしたが、この時も私は法廷に出ることができず、代わって担当弁護士の稲垣眞咲さんに陳述してもらいました。お医者さんの証人尋問の時も私は出廷することができませんでした。
 このような状態なので、原告である私本人への尋問は、宇治市にある簡易裁判所で出張尋問という形で行なわれることになりました。2014年(平成26年)1月21日、厳しい体調をおして簡易裁判所まで出かけ、私の担当弁護士、国側の代理人、裁判官から、それぞれの質問に答えました。言語障害の残っている私は、短い言葉でしか返答できません。思っていることを口ではなかなかうまく言い表すことができないのです。そこで、この日の尋問のために、私の思いのたけを綴った文章を用意し、尋問の最後に稲垣弁護士から読みあげてもらいました。(資料1参照)

 裁判の判決は翌年の2015年(平成28年)1月30日でした。冷たい雨が降りしきる日でしたが、この時だけは無理をおして大阪地方裁判所に出廷し、原告席で判決を聞きました。この日は7人の原告に対する判決でしたが、4人が勝訴、私を含む3人は訴えが退けられました。まさかの敗訴です。10年前から続いているたくさんの原爆症認定裁判で、ずーっと積み重ねられてきた判決の実績や裁判の流れに背いた、まったく不当な判決でした。
 敗訴になった3人はすぐに控訴して、今は大阪高裁で控訴審を闘い続けています。(2016年1月末日現在)

 原爆症として認められないことは、「お前の病気は原爆とは関係ない」と言われることであって、それが何よりも一番悔しいことです。原爆のためにこれほど苦しい生涯を歩まなければならなかったのに、「関係ない」と言われることは、私の人生そのものを否定されるのと同じことですから。

絵に託す 生きてきた証と平和の願い

 私は45歳の時に発症した脳出血のために重い言語障害、機能障害が残り、毎日辛いリハビリをしなければならなくなりました。 50歳を過ぎた頃、そのリハビリを兼ねて絵を画くことを思い立ちました。私は小学生の頃は絵を画くのが好きで、自分でも上手だったと思っています。子どもの頃何度か賞をもらったこともあります。
 画きたいと思った絵は、長崎への思いと、平和への願いのこもった絵です。私がこのまま何もせずに死んでしまったら、自分が原爆によって体験してきたこと、それと苦闘しながら生きてきたことが何も残らなくなってしまう。何か残さなければならないと思ったのです。
 被爆者として生きてきた証を残したい、父や母や兄弟姉妹たちの体験したあの惨禍を二度と繰り返さないよう、人類が核を保有する時代を終わらせなければならない、という思いを込めて画こうと思いました。絵を画くことは、これほどの原爆の惨禍に遭い、そのため辛酸をなめるように人生を歩んできた者が、後世に画き遺して行かなければならない使命だと思ってやってきました。
絵を画き始めて20年余りになります。最初は脳梗塞、脳出血をやった後のリハビリのつもりで始めたものです。画き始めて後、サント―レ会、昭和美術会に入会して画いていた時期もありました。それらの会を退会した後で日展に応募したこともあります。京展では入選しました。
 私には絵を画くことについて特別の経歴があるわけではありません。只々、絵に対する人並ならぬ意気込みでやってきました。絵は私に天から与えられた宝物だと思っています。絵によって生まれ変わるんだと信じてやってきました。今も胃瘻していて何も食べれなくて、絵を画くのも大変です。私の経歴で人よりも少し優ると思っていることは、これだけの病気をしながらも絵を画いていることです。

 今年(2016年)長崎で個展を開くことにしました。7月19日(火)から24日(日)までの6日間、会場は長崎県美術館県民ギャラリーです。これまで画いてきた私の絵を50点展示します。長崎県への会場申込書には開催目的を次のように書きました。“私の絵を長崎の全ての人に理解して欲しい。これは亡き父親と母親へのはなむけの意志である。”
たくさんの人に観て欲しいと願っています。

参考資料:裁判所への訴えと、3つの絵の説明

 私の体験したこと歩んできたことを理解していただくために、参考資料として、裁判所に訴えた文章と、3つの絵の説明を紹介します。併せて読んでいただけましたらありがたいです。

2017.05.23 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(55)
結審を前にした死去、新たな病気の発症等 深刻さを増す被爆者の実態
裁判で争う必要のない救済制度が本当に求められている!
2017年5月14日(日)

 2ヶ月ぶりとなるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の法廷が5月11日(木)と12日(金)連続して開かれた。
 11日は大阪高裁第13民事部(高橋譲裁判長)の弁論期日だ。この日は冒頭裁判所の構成が変わったことが報告され、それに伴う弁論の更新がまず確認された。変わったのは右陪席の裁判官。後の報告集会で紹介されたところによると、新しく就任されたのは昨年3月大津地裁で高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定を下した山本善彦裁判官であるとのこと。原発の安全性の証明は尽くされておらず、地震・津波対策や避難計画も不十分、住民の人格権侵害の恐れがあるとした画期的な司法判断であった。この決定は今年の3月大阪高裁で取り消されることにはなるが、国や電力会社の意向におもねることなく、あくまで住民側の立場に立って下された勇気ある決定だった。全原発の速やかな廃炉・廃棄と再生エネルギーへの転換を求める人々を力強く励ますもので、“司法は生きている!”と多くの人々が評価した。原爆症認定訴訟においても、被爆者に寄り添った正当な判決に力を尽くしていただきたいと期待を大きくする。

 高裁第13民事部で争われている控訴審Cグループ(一審原告6人)の結審はすでに7月13日(木)と決められていて、この日は最終準備書面提出に向けた原告・被告双方の予定の確認が主な手続きであった。この中で2人の原告の追加準備書面と証拠書類の提出が明らかにされた。一人は川上博夫さん。川上さんの申請疾病は甲状腺機能低下症だが、あらたに皮膚がんも発症されておりそのことの訴えと資料が提出されている。もう一人の柴田幸枝さんも同様に申請疾病の甲状腺機能低下症に加えて最近胃がんの発症も発見された。これについても準備書面と証拠書類を提出することが示された。いずれも放射線起因性の何よりの証明であり、被爆者は裁判に提訴した後も病態の深刻さを増して苦しんでいることを訴えるものだ。裁判長からも「柴田さんも大変ですね」の一言がかけられ、法廷内のみんなはその言葉を印象深く聞いた。
 報告集会では結審を前にした最近の状況が簡潔に報告された。控訴審Cグループの原告の内3人が甲状腺機能低下症で一審ではその3人とも勝訴(国側敗訴)した。このため国側は甲状腺機能低下症の判決を巻き返すためターゲットを大阪高裁に絞り、国の意見を代弁する「専門家」の意見書を提出したり、紫芝(ししば)良昌医師、永山雄二医師などの「専門家」証人尋問を申請してきた。しかし裁判所は証人申請をことごとく却下、訴訟は書類だけの審査で進められてきた。国はこの期に及んでも「専門家」意見書に寄りかかった悪あがきの意見書を作成し提出している。これに対しては最終準備書面で反論を加えていく、との説明だった。

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 7月13日(木)の最終弁論ではあらためて、広島・長崎の被爆の実相を映像や写真などを使ってビジュアルに明らかにしていく予定であることも披露された。そのために陳述時間も30分確保される。書面だけでなく目で見て鮮明に理解できるよう、最新の映像技術も駆使したものになるようだ。弁護団の中に和田信也弁護士などによるプロジェクトチームが編成されて準備が進められている。被爆の実態をよりリアルに理解し、それを踏まえた判決がなされるよう求めていくとりくみだ。こうした試みにも応えて、7月13日は202号大法廷を傍聴者でいっぱいにしていきたい。
 その他2ヶ月ぶりの報告集会では各地、各人からの報告、紹介が相次いだ。
 愛須勝也弁護団事務局長からは5月7日に行われた『肥田舜太郎先生を偲ぶ会』の様子が報告された。この間、池田眞規弁護士、伊藤直子さん、肥田舜太郎先生と、原爆症認定訴訟の初期からの運動を大きく支えて来られたみなさんを相次いで失い、その悲しみは大きい。しかし肥田先生から多くの人々が核兵器廃絶運動のバトンを受け継いできた。これからも遺志を受け継いで頑張っていこうと、偲ぶ会はそのための誓いの場にもなったようだ。

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 京都からは、控訴審Cグループの原告の一人原野宣弘さんが、結審、判決言い渡しを前にして亡くなられたことが報告された。裁判はご遺族によって承継されていくことになる。原野さんは自らの機能障害克服のためにリハビリを兼ねてたくさんの絵を描かれていた。原爆の残酷さを告発し、平和を希求し、母親と兄弟達への深い愛をテーマにした作品が多く、法廷の意見陳述の場面でも紹介されてきた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟の勝利と、被爆者の完全救済、核兵器廃絶に少しでも貢献できるよう、絵に託された原野さんの思いを披露する絵画展の開催を計画中であることが紹介された。
 京都ではまた、かって原爆症認定集団訴訟の原告として闘われた寺山忠義好さんの描かれた絵本『こぎゃんことがあってよかとか』の原画が長崎原爆資料館に寄贈されたことも紹介された。
 尾藤廣喜弁護団幹事長のまとめでこの日の報告集会を閉じた。高裁になるとどうしても原告本人の思いを直接聞く機会が少なくなる。被爆の実態というものに触れる機会も薄れてきていた。こうした事情を変えていくため、今回最終弁論で特別のチームも編成して眼で見てもらえる映像、画像の陳述を用意することにした。池田弁護士、伊藤さん、肥田先生の思いを受け継ぎながら、みんなの声を届けて訴訟に勝利して行こう。

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 6月3日は『ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の全面勝利をめざすつどい』が開催される。この日までに高裁宛公正判決要請署名をたくさん集めて持ち寄ること、署名は7月13日の最終弁論の日に提出することもあわせて確認された。

 翌日の5月12日(金)は大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)の弁論が行われた。第7民事部は5人の原告が係争中だが、まず今後の裁判の進め方について双方の予定と確認が行われた。その上で今回は諸富健弁護士による原告K・Sさん(90歳、京都市在住)について、要旨以下のような口頭意見陳述が行われた。
 K・Sさんは18歳の時所属する軍隊の命令で8月6日当日から広島市内に入り、11日までの6日間
市内中心部で救援活動に従事した。K・Sさんは40歳の時両目白内障を発症し、以降腹部の大動脈瘤、狭心症など様々な病気に見舞われてきた。平成22年に狭心症のため経皮的冠動脈ステント留置手術を受けている。原爆症認定申請疾病はこの狭心症だ。
狭心症は心筋梗塞と主要な原因が同じであり、これまでの同じような原爆症認定訴訟でも狭心症と心筋梗塞とは同じ機序で発症するということで放射線起因性は認められてきている。K・Sさんの場合も同様に、本来であれば積極的認定の対象範囲となるはずだ。しかし、国は総合的に検討した結果と述べるだけで具体的な理由を示すことなく却下した。狭心症という病名だけで機械的な線引きをして安易に切り捨てたのではないかと思われ、国の姿勢に怒りを禁じえない。
 K・Sさんの訴訟の審理に入ってから国は、狭心症には安定狭心症と不安定狭心症という区別のあり、K・Sさんの場合は安定狭心症だから放射線起因性は認められないのだと主張をしてきた。しかし、安定狭心症と不安定狭心症とを区別するこのような国の主張はごく最近持ち出されてきたもので、14年間にも及ぶ原爆症認定訴訟の歴史の中で過去このような主張が国からなされたことは一度もなかった。今さらこのような主張をするということは、K・Sさんの申請却下を正当化するためのなりふりかまわぬ態度と言わざるを得ない。その他国は相変わらず他原因を持ち出して言い争っているが、その実態はそれほど高くもない高コレステロール血症や高血糖、さらには加齢という、重箱の隅をつつくようなものばかりだ。
 K・Sさんは90歳。本人尋問にもしっかりと臨む予定はされていたが、今は入院を余儀なくされその見通しも立たなくなっている。国は高齢のK・Sさんをいつまで苦しめるつもりか。余生を安らかに過ごしてもらうためにも、速やかに自庁取り消しをして原爆症認定をすべきだ。被爆者の命あるうちに問題解決するよう、国の原爆症認定制度の抜本的改革を強く求める。

 報告集会では諸富弁護士に代わって久米弘子弁護士から意見書の内容、国の狭心症についての主張、K・Sさんの状況などについてより詳しい報告がなされた。K・Sさんの状態は当初の見込みより深刻で、次回期日を待たないと本人尋問の予定が立てられないとのことであった。

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 前日とこの日の2日連続の法廷とその後の報告集会で、高齢化する被爆者の深刻な実態があらためて浮き上がってきた。判決を前に亡くなられた被爆者、当初の申請疾病に加えて新たながんの発症があって追加の意見陳述を出された人、そして出廷の見通しも立たなくなっている原告と。裁判で争わないと解決できないような実態が許されるのか、今のような申請をして認定をするという制度でいいのか、被爆者の救済の在り方が根本的に問われている。早期に、政府の責任で被爆の実態に見合った救済制度を実現させていかなければならない。そのためにも差し迫った控訴審Cグループで全員の勝利を勝ち取っていくことがどうしても必要だ。以上のような尾藤弁護団幹事長のまとめを参加者全員で確認した。
 6月3日の『ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の全面勝利をめざすつどい』をたくさんの人の参加で必ず成功させようと呼びかけられた。当日は、日本原水協代表理事の高草木博さんの記念講演「核兵器全面禁止をめざすヒバクシャの闘い」を聞いて学ぶ。愛須弁護団事務局長から「裁判の経過と勝利への展望」の報告が行われる。そしてシンガー・ソングライター川口真由美さんによる歌と演奏も予定されている。楽しくも充実した一日とし、勝利への力を培っていきたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2017年 6月 3日(土) 14:00 近畿訴訟勝利をめざすつどい 大阪グリーン会館
2017年 6月15日(木) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 7月13日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 結審(原告6人)
2017年 7月14日(金) 11:00 地裁 第7民事部 806号 1人結審の予定
2017年 9月14日(木) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論

2017.05.21 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top