FC2ブログ
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(73)
大阪地裁第7民事部判決 慢性腎不全の放射線起因性を認定!
判決を力に審査基準の見直し、認定制度改定の実現をめざしていこう!
2019年5月26日(日)


 2019年5月23日(木)、大阪地裁第7民事部(松永栄治裁判長)においてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の二人の原告への判決言い渡しが行われた。原告はW・Hさん(男性・75歳・京都府木津川市)とT・Iさん(男性・75歳・京都府城陽市)。W・Hさんの申請疾患は慢性腎不全(IgA腎症)、T・Iさんの申請疾病は糖尿病と慢性肝炎で、慢性腎不全も糖尿病もいずれも厚労省の定める積極的認定疾病の範囲になっておらず、それだけ難しい裁判として闘われてきた。
 正午過ぎ、いつものように裁判所前の西天満若松浜公園に集合して判決前集会を行った後、原告、弁護団、支援の人々全員の行進で裁判所に入り、806号法廷に向かった。

入廷行動_convert_20190523192204

 原告のT・Iさんは提訴以来6年間、自分の裁判だけでなく、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟のほぼすべての期日に毎回参加して、他の原告のみなさんも励まし続けてきた人だ。今日も法廷内の原告席に座って開廷を待った。W・厳しい体調をおして裁判を続けてきた人で、判決のこの日も出廷は叶わず、自宅で結果を待つことになった。
 午後1時10分開廷。ただちに松永裁判長から判決の主文が読み上げられた。まずW・Hさんについて、「厚労省の却下処分を取り消す」の言葉がはっきりと聞き取れた。瞬間「よしっ!」と手に力が入る。しかし、T・Iさんについては「却下処分を取り消す」とも「請求を棄却する」ともはっきりとしたことは聞き取れず、傍聴席からは結果がよく分からないまま裁判官は退席してしまった。どうもT・Iさんは駄目だったようだ。そんな様子を弁護団席の雰囲気から感じつつ退廷することになった。裁判所前の旗出しは「勝訴」。二人とも勝訴なら「完全勝訴」となるはずだった。一人は勝つことができたが、もう一人は駄目だった。複雑な思いを持ちつつ、報告集会の行われる北浜ビジネス会館に足を運んだ。

60853339_1358342364290614_5828797449950461952_n_convert_20190529202200.jpg

 報告集会は、弁護団による判決内容の分析作業を待って、午後2時から始められた。弁護団による判決内容の説明は愛須勝也弁護団事務局長によって、要旨以下のような内容で行われた。

 ノーモア・ヒバクシャ訴訟も、裁判の進行に連れてより難しい事件が残されてくる。今回の判決もこれまでの中で一番難しい事件だったのではないか。実際に提訴以来5年以上の年月を要してやっと今日の判決を迎えることができた。
 W・Hさんの慢性腎不全もT・Iさんの糖尿病も厚労省の定める積極的認定疾病の対象外だ。T・Iさんのもう一つの申請疾病である慢性肝炎の方は対象疾病だが、国はT・Iさんがその病気に罹患しているのかどうかを争ってきた。したがって、原告が訴えてきた病気そのものについて、裁判所が放射線起因性をどのように判断するのか、真正面から問われた裁判だった。全国の原爆症認定訴訟の歴史の中でも慢性腎不全も糖尿病も勝訴判決を得た例はそれぞれ2例ずつしかない。そういう意味でも大変厳しい事件だったと思う。
 そうした中で今回裁判所がW・Hさんの慢性腎不全について放射線起因性を認めたことは非常に高く評価される。
近畿における原爆症認定訴訟は大阪地裁第2民事部と第7民事部に係属され、これまで主に第7民事部で判決が続いてきた。その第7民事部では原爆症に関する判断がある程度蓄積されているので、今回の判決もかなり緻密に書かれたものだった。
W・Hさんの慢性腎不全について、国はまずIgA腎症ではなく糖尿病症腎症ではないかと争ってきた。これに対して判決は、いろいろなデータ、カルテ、医学的知見を総合的に検討した上でIgA腎症であると断定した。とても詳細な医学的分析が行われていて国側の主張は全面的に排斥され、私たちの主張が認められた。
 その上で慢性腎不全(IgA腎症)の放射線起因性についての判断が下された。放射線の被ばく線量と慢性腎不全や腎機能障害との関係を調査研究された二つの論文が積極的な論拠として採用され、判決は“慢性腎不全と原爆放射線との間には低線量被ばくの場合も含め、一般的な関連性があると認めるのが相当である”と結論付けた。
 国側は判決の論拠にされた二つの論文についていろいろと難癖をつけ、慢性腎不全と放射線との関係についても否定する主張を繰り返していた。判決はそれら国の主張一つひとつを敢えて俎上に載せ、その上ですべてを丁寧に且つ徹底して論破し、最後はバッサリと切り捨てている。
 非常に大きな意味を持つ判決だ。原爆症の積極的認定疾病の対象とされてこなかった慢性腎不全についても放射線起因性を認めなければならないとしたのだから、個別の一事例判決などといって片付けられるものではない。全国の裁判にも生かされていくものだし、何より審査基準そのものを見直していく、変えていく大きな論拠、力となっていく。
 一方T・Iさんの糖尿病については以下のように判決された。糖尿病と原爆放射線被ばくとの関連性は一般的には消極に解されるが、特定の遺伝子を有している場合のみ肯定する余地がある。しかし原告のT・Iさんはその特定遺伝子を有しないので放射線起因性は認められない。またT・Iさんの肝機能障害についてはその原因は軽度の脂肪肝であるとして、こちらも放射線起因性が否定された。T・Iさんにとっても私たち全体にとっても到底認められる判決ではなく、控訴して闘い続けていくことになる。
 報告を聞く限りにおいて、W・Hさんの慢性腎不全の放射線起因性を認める論拠の緻密さと比較して、T・Iさんの申請疾病の起因性を否定する展開はあまりにもバランスを欠く内容なのではないかと思わざるを得なかった。

 報告集会では敗訴となったT・Iさんから無念の思いを抱きながらもこれからについての決意と挨拶が述べられた。「申請から10年、提訴から6年かかった。応援いただいた弁護団のみなさん、支援のみなさんにまずお礼を申し上げたい。私の病気は原爆によるものだと固く信じている。ただそれを証明するのは非常に難しいことだと感じた。判決には納得できない、理解できないところが多々ある。弁護士の先生とも相談しながら控訴について考えていきたい。これからもより一層のご支援をお願いします。」
緊急に作成された原告団・弁護団・支援ネットワーク連名の声明が提案され、全員で確認した。W・Hさんにはお祝いの、T・Iさんには労いとこれからの激励を込めた花束が贈呈され、合わせて参加者全員からの拍手が贈られた。

花束贈呈_convert_20190523192413

 報告集会は最後に愛須弁護士によって以下のようにまとめられた。
 2009年の8・6合意から10年目の節目を迎える今、認定制度をなんとか変えていくための力となる判決を期待し、医学的にも一番難しい事件に臨んだ今日だった。W・Hさんへの判決は現行の認定審査基準の誤りをハッキリと指摘するものだった。判決を突きつけられた厚労省は基準の見直しを考えなければならない。そのために、W・Hさんの判決をまず確定し、認定基準をどのように見直していくのか、そちらに議論の方向を向けていかなければならない。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟を提訴できる被爆者、原告も少なくなってきた。このままでは「被爆者もいずれは諦めるだろう」という厚労省の狙い通りになってしまう。8・6合意から10周年を迎えるこの機会に、もう一度合意の本旨を思い出させていく必要がある。今日の判決はそのための重要な力となり、機会となる。
 全国の訴訟は少なくなっているが近畿はまだ9人の原告が闘い続けている。今年、来年に向けて判決が続いていくこともあってこれから近畿の闘いが焦点になってくる。みなさんの力を結集し、最後の全面解決に向けて一気に力を尽くしていこう。高齢化によって多くの被爆者が救済も受けられずに涙を飲んでいる。裁判を闘える人は救われるが、裁判できない人は泣き寝入りしなければならないのが現状だ。そういう人たちを救うために、原爆症認定制度を変えていくために、使命感をもって闘いっていきたい。原爆症認定訴訟は近畿から始まったが、最後も近畿において頑張っていこう。
 この日の大阪裁判所は他の重要な裁判もいくつか重なっていて、閉廷後の記者会見も時間の調整をはかりながら行われている様子だった。いつもは会見を終えた弁護団が報告集会に駆け付けて、一緒に今後の闘いに向けて決意を固め合うところだが、今回は会見が始められる頃の時間には報告集会を終えざるをえなくなってしまった。そのためやや手薄になった弁護団の報告集会参加だったが、それでもこれから引き続いて頑張っていこうと、参加者全員であらためて誓い合って散会した。

久米弁護士_convert_20190523192318

 第7民事部判決の1週間前、5月15日(水)には第2民事部(三輪方大裁判長)において3人の原告の最終意見陳述が行われた。3人の原告は高橋一有さん(77歳、兵庫県三木市)、A・Tさん(75歳、大阪府河内長野市)、M・Yさん(故人、滋賀県米原市)。高橋さんは原爆症認定そのものの判決をこれから迎えることになるが、A・TさんとM・Yさんはすでに自庁取り消しによって原爆症認定は受けており、国家賠償請求を求めての陳述だ。
 この日はまず高橋さんが法廷に立って最後の意見陳述を行った。原爆投下時の状況、母親に連れられて長崎の街を歩き回った体験、幼い頃から襲われ続けてきた幾多の病気のことなどを簡潔にまとめて語られた。高橋さんは最初の意見陳述や本人尋問の時にも述べていたことだが、原告になるには大変な悩みと葛藤があった。それを乗り越えて提訴するに至ったのは、自分たちが名乗り出て話さなかったら原爆のことはなかったことにされてしまう、という強い思いからだった。裁判すると決めてから初めて被爆者であることを娘さんたちに打ち明けられた。そのことももう一度最終意見陳述でも述べ、裁判官には被爆者の苦しみをきちんと受け止めて欲しいと訴えられた。
 高橋さんの陳述の後、愛須勝也弁護団事務局長から総括的な最終意見陳述が述べられた。愛須弁護士の陳述は、2009年の8・6合意の重要な意味とそれを踏みにじってきた国の態度、二度に渡って改訂されてきた国の「新しい審査の方針」が積み上げられてきた司法判断とは真っ向から対立するものであること等を厳しく指摘するものだった。そして、原爆症認定申請の却下処分を受けた多くの被爆者は、経済的な問題だけでなく肉体的にも精神的にも耐えがたい苦痛を被ってきたのであり、却下処分の取り消しだけで原告らの被害が補填されるものではないことが強調された。司法判断を無視し、いつまでも従来通りの主張に固執する国の姿勢は法治主義国家の根本を否定するものだと断罪し、国に抜本的な対策を促すためにも、国家賠償責任を命じることを強く期待するとして陳述は締め括られた。
 陳述を終えて、裁判長が弁論の終結を宣言し、判決を11月22日(金)午後1時10分から言い渡すと告げられた。半年以上先、やや先になってしまった感はぬぐえないが、裁判長が口にした「判決は一生懸命考えたい」の一言が印象に残った。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年 7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述
2019年 7月25日(木)10:30 高裁82号 高裁第2民事部 苑田朔爾さん控訴審弁論
2019年10月11日(水) 11:00 1007号 地裁第2民事部 N・Kさん最終意見陳述
2019年11月22日(水) 13:10 1007号 地裁第2民事部 高橋、A・T、Ⅿ・Yさん判決
スポンサーサイト



2019.05.29 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
意見陳述
原告ら訴訟代理人 弁護士 愛須勝也
第1 裁判所に求めるもの
 被爆者援護法が制定されておよそ四半世紀、被爆者の高齢化はさらに進行し、平均年齢は80歳を超え、法廷にすら立てない原告も増えています。また、加齢により記憶も減退、混乱し、証人等の証拠も散逸し、立証上も制約が拡大しています。少なくない原告が死亡し、遺族が訴訟を承継している現状です。

 被爆者の高齢化を背景に、2009(平成21)年8月6日、当時の麻生太郎内閣総理大臣兼自由民主党総裁と日本被爆者団体協議会(日本被団協)との間で、「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」(いわゆる「8・6合意」)が取り交わされました。
 その中で、合意当時、原告ではない被爆者の認定問題については、「訴訟の場で争う必要のないよう」厚生労働大臣と被団協・原告団・弁護団との定期協議の場を通じて解決を図ることがうたわれました。
 しかしながら、8・6合意にもかかわらず、原爆症認定をめぐる実態は、入市被爆者の認定申請を一切認めず、積極的認定対象被爆とされる近距離被爆者の認定申請もごく一部しか認めないなど、悲惨な実態が続いていました。
 厚生労働大臣は2009(平成21)年6月22日に「新しい審査の方針」の改定を行い、2013(平成25)年12月16日にも再改定を行っていますが、それは蓄積された司法判断を無視する内容であり、現在においても実態は何ら変わっていません。
 さらに、国は、「8・6合意」の趣旨を踏みにじり、多くの事案で1審で敗訴しても控訴して争っています。
 その結果、命をかけて訴訟に立ち上がり、1審勝訴を勝ち取っての喜びもつかの間、控訴により、認定証を受け取ることなく死亡する原告もいます。
 裁判所におかれては、今一度、この被爆者援護法の趣旨に立ち返り、松谷訴訟最高裁判決以降築かれた司法判断の到達点を踏み外すこと無く、一刻も早く、唯一の被爆国の裁判所として被爆者救済の判決を下されることを切望するものです。

第2 本件訴訟の重大な意義
 1 「新しい審査の方針」の策定とその問題点
 先ほど述べたとおり、原爆症認定集団訴訟における相次ぐ国敗訴の判決を受けて策定された「新しい審査の方針」は、それまでの司法の到達点とは離れ、依然として問題を残すものでした。

 2 8・6合意後の実際の運用
 国は、8・6合意の締結時に、「19度にわたって、国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳粛に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝」し、一人でも多くの被爆者が迅速に認定されるよう努力する旨の内閣官房長官談話を発表しており、国に求められていたのは、「新しい審査の方針」の根本的再々改定と、司法と行政の乖離の解消でしたが、実態は、まさにその反対の惨憺たる状況となっていたのです。
それは、「新しい審査の方針」が再改定されても変わるどころか、司法判断に敢えて挑戦するかのような代物でした。
 新しい審査の方針の策定前も策定後も、司法判断は一貫しています。
 即ち、DS02等により算定される被曝線量は、あくまでも一応の目安にすぎず、被曝線量評価は被爆状況、被爆後の行動、活動内容、被爆後に生じた症状等に照らし、様々な形態での外部・内部被曝の可能性がないか否か十分に検討するべきというものであり、被爆地点の爆心地からの距離や、入市の時期や時間を形式的に当てはめて被爆線量評価をし、放射線起因性を機械的に判断することについて司法は断罪し続けてきたのです。
 ところが再改定後の新しい審査の方針は、原則認定・積極認定する疾病を限定的に列挙し、その要件も、被爆距離、入市時期、時間で機械的に選別するという再改定前の新しい審査の方針の根本的誤りをそのまま踏襲するものであるだけでなく、非がん疾患で積極認定とされていた疾病(心筋梗塞等)については、逆に積極認定の範囲を狭め、ますます司法判断から離れようとするものでした。被告の認定行政の違法性は、新しい審査の方針の再改定後、更に強まったといえます。

 3 以上のとおり、これまで厚生労働省の切捨政策に対する厳しい判決を連続して下されたにもかかわらず、厚生労働省は、その方針を変えようとしませんでした。
 このため、ここ大阪地裁だけでなく、東京、名古屋、岡山、広島、熊本、長崎などでも新しい「原爆症認定訴訟(ノーモア・ヒバクシャ訴訟)」が提起されたのです。本件事件もその一つです。
 このような状況において、貴裁判所には、集団訴訟の到達点、司法判断の到達点に挑戦し、公然と大量の被爆者切捨政策をごり押しする行政の姿勢を根本的に変えるために、被爆の実態を踏まえた「原爆症認定集団訴訟」の到達点に基づく判断をなし、違法な却下処分を早期に取り消すことはもちろん、ぜひとも、これについての国家賠償を命じられるよう、強く要望する次第です。

 4 本件事件において、認定申請の却下処分の取消しを求める原告Tさんは、心筋梗塞を申請疾病とする原告ですが、心筋梗塞や機序を同じくする慢性心不全(狭心症)を申請疾病とする東京地裁事件の原告である山本さんについて、2016(平成28)年6月29日東京地裁判決は放射線起因性を認定しました。国側は控訴しましたが、平成30年12月14日、控訴は棄却されて高裁判決が確定しています。
 原告の山本さんは、長崎原爆の爆心地から4.2kmの地点で直爆、8月13日に爆心地から500mまで入市した原告です。
また、2016(平成28)年10月27日、大阪地裁第7民事部で却下処分を取消す勝訴判決を受けた原告も、長崎の爆心地から3.1kmで被爆し、8月12日に爆心地から1.2kmまで入市した陳旧性心筋梗塞を申請疾病とする原告ですが、国が控訴することなく確定しています。

 5 これまでの原爆症認定裁判例においても、初期放射線、誘導放射線、放射性降下物の全てについて、被告の依拠する基準が過小評価になっていると厳しく指摘されています。そして、誘導放射線および放射性降下物については、外部被曝のみならず内部被曝による放射線被曝があることを正面から認め、被曝線量評価に当たっては、被曝後の行動や活動内容、被爆後に生じた症状等も考慮し、あらゆる外部被曝及び内部被曝の可能性を検討すべきであるとしています。これは、被曝の実態とも合致するものです。
 また、心筋梗塞は,冠動脈の閉塞または高度の狭窄により血行障害をきたし,心筋虚血が一定時間持続した結果,心筋細胞が壊死に陥った状態をいい、冠動脈の動脈硬化を主原因とする疾患ですが、「放影研」による大規模かつ長期間の追跡調査によって,放射線量と循環器疾患全体の死亡率,さらには脳卒中や心疾患の死亡率,代表的な動脈硬化性の循環器疾患である心筋梗塞の発症率との有意な関係が疫学的に明らかになってきています。さらに,原爆放射線の被曝によって動脈硬化性の心・血管疾患である心筋梗塞の発症が促進される機序も科学的に解明されつつあります。

第3 ぜひとも国家賠償を命じる判決を
 1 被爆者は、原爆投下によって蒙った物質・人的な被害に加え、被爆後長期にわたり、多かれ少なかれさまざまな健康被害に悩まされ続けてきました。原告らも、一生涯を通して多種多様な病気に苦しめられてきました。
 被爆者が、病気に苦しみ、精神的にも打撃を受けながら、専門の医師の診断及び意見書を添えて原爆症の認定を申請すれば、厚生労働大臣は必ずや援護法の前文に書かれていることを誠実に実行してくれると信じて、国が自分の病気を原爆症と認め、医療特別手当を支給してくれるものと期待するのは当然です。
 被爆者にとって自分の病気が国によって原爆症と認められることは、医療特別手当の支給という金銭的なものを超えた、いわば被爆者としての証であり、病気と闘うための最後の救いであることも、合わせて理解する必要があります。
 そうした被爆者の確信と期待が踏みにじられ、厚生労働大臣からの1片の書面によって却下通知を受けたときの被爆者の落胆と怒り、それによる精神的・肉体的なダメージは、病気を宣告されたときと同じか、それ以上であるというのが実態です。
 却下処分を受けた多くの被爆者が、それは被爆者として苦しい中生きてきた自分の一生をまるで否定されたように感じであったと、そのときの思いを語っています。このことからも、厚生労働大臣の却下処分がいかに被爆者に強烈な精神的苦痛を与えたかを理解することができると思います。

 精神的な怒りや経済的な不安が、肉体にも影響を及ぼすことは言うまでもありません。そのために病気を悪化させ、寿命を縮めるものもあり、その損害は、医療特別手当を過去に遡って支給されれば回復されるというものではありません。
 ましてや、原告らはそうした精神的・経済的・肉体的な障害を乗り越えて、厚生労働大臣の却下処分が間違っていたとして、その取り消しを求めて、長い時間をかけて裁判を闘ってきたのです。却下処分の取消のみでは原告らの被害が補填されるものでは決してないことを十分理解して下さい。

 2 この間、2000年(平成12年)7月18日松谷最高裁判決を始め、多くの裁判所で厚生労働大臣の却下処分の誤りが繰り返し指摘されている状況のもと、厚生労働大臣がそれら司法判断を無視し、なんら反省することなく、従前からの主張に固執し、無駄な訴訟活動をすること自体、法治主義国家の根本を否定するものであり、厚生労働大臣の故意といっても過言ではない注意義務違反により、被爆者にどれだけの悲しみや理不尽な思いを抱かせたか、その精神的苦痛は計り知れないものがあります。
 想像を絶する体験をした被爆者の苦悩を少しでも救済し、また、最高裁判決が明示した原爆症認定の運用のあり方を無視する被告に抜本的な対策を促すためにも、正義に従い、国家賠償責任を命じることを期待します。
以上

 

2019.05.23 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
 大阪地方裁判所第7民事部は、本日、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟において、原告2名のうち、1名について原爆症認定施陰性却下処分を取り消すという判決を言い渡しました。
 勝訴した原告の申請疾病は、「慢性腎不全」(IgA腎症)について、原爆症認定申請の却下処分の取消しを命じる原告勝訴の判決を言い渡しました。
 慢性肝炎、糖尿病を申請疾病とする原告の訴えは却下しました。

藤原団長_convert_20190523191938

判決前集会であいさつする藤原精吾弁護団長。

入廷行動_convert_20190523192204

判決前、裁判所への入廷行動。

豊島弁護士_convert_20190523192349

判決報告集会で報告する豊島達哉弁護士。

久米弁護士_convert_20190523192318

判決内容について報告する久米弘子弁護士。

花束贈呈_convert_20190523192413

判決報告集会で、敗訴原告を含めて花束贈呈。
勝訴原告は病気のため、判決も聞けない。
代わりに、喜久山弁護士が花束を受け取る。

記者会見_convert_20190523192444

 判決後、裁判所の司法記者クラブで記者会見する弁護団。
 尾藤廣喜幹事長、諸富健弁護士、和田信也弁護士、中道滋弁護士。

 以下は、判決を受けての弁護団、支援ネットワーク、原告団の声明。


2019年5月23日

ノーモア・ヒバクシャ訴訟大阪地裁判決についての声明
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿原告団・全国弁護団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿弁護団・全国弁護団連絡会
ノーモア・ヒバクシャ訴訟支援近畿ネットワーク

 本日、大阪地方裁判所第7民事部(松永栄治裁判長)は、原告2名のうち1名について原爆症認定申請の却下処分を取り消す判決を下した。
 本訴訟は2013年12月16日に改定した「新しい審査の方針」によって、原告らの原爆症認定申請を認めないとした国(厚労大臣)の処分を争った事案である。
 今日の判決はこの「新しい審査の方針」が定めた原爆症認定基準が誤りであることを再度明確にしたものである。このことは、被爆者が原爆症認定を受けるためには裁判を起こさなければならないという異常な事態がなお、続いているということを示すものである。
 判決は、初期放射線による外部被曝だけでなく、残留放射線、すなわち、誘導放射線や放射性降下物が放出する放射線による外部被曝及び内部被曝の可能性も考慮に入れ、当該被爆者の被爆状況、被爆後の行動・活動内容、被爆後に生じた症状等に照らし、当該被爆者が健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認められるかどうかを個別具体的に検討する必要があるとした。
 そして、慢性腎不全(IgA腎症)を申請疾病とした原告について、判決は、慢性腎不全と原爆放射線との間には、低線量被曝の場合も含め、一般的な関連性があると認め、さらに、IgA腎症についても、同様に関連性を認め、原告に対する却下処分を取り消した。
 他方、慢性肝炎及び糖尿病を申請疾病とした原告について、判決は、糖尿病と原爆放射線被曝との関連性については、一般的に消極に解されるが、特定の遺伝子を有している者については、これを肯定する余地があるとしたものの、当該原告については、特定の遺伝子を有していないとして、放射線起因性を否定した。また、肝機能障害については、その原因が軽度のNAFLD(脂肪肝)によるものとし、放射線起因性を否定した。
 本日判決のあった原告は、いずれも75歳をこえ、うち勝訴した原告は、体調不良のため本日出頭することもできなかった。このように原告が高齢化する中で、本日の取消判決に対して国が控訴してさらに裁判を強いることは人道上も絶対に許されない。
 本日の判決は、新しい審査の方針で、積極認定の対象とされていないIgA腎症を含む慢性腎不全について、放射線起因性を一般的に認め、また、明確に(放射線起因性の)機序が解明されていない限り、関連性は認められないとする国の主張を独自の見解として退けた点は、高く評価されるべきである。他方、慢性肝炎を申請疾病とする原告につき、その肝機能障害の放射線起因性を否定したことは、到底容認することができない。
 国は破綻した原爆症認定制度の運用にしがみついている。国は被爆者の実態を無視した態度を早急に改め、核兵器の非人道性の生き証人である被爆者の立場に立った原爆症認定行政に根本的に転換すべきである。
 判決にあたり、ノーモア・ヒバクシャ訴訟原告団、全国の被爆者、弁護団は、国及び厚生労働省に対して、以下のことを求める。

1 「新しい審査の方針」の誤りを認め、これを変更し、全原告を救済すること
2 被爆者が「裁判をする必要がないように」被爆者援護法と原爆症認定の在り方を抜本的に改め、被爆者の命あるうちに問題を 解決すること
3 唯一の原爆被爆国として核兵器の非人道性を国際世論に訴え、核兵器禁止条約に加
 入し、核兵器廃絶国際運動の先頭に立つこと
以上




2019.05.23 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(72)

近畿訴訟最後の原告N・Kさんの本人尋問と医師証人尋問
 入市の事実認定は被爆者の証言にこそ基づいて判断されなければならない!
2019年4月30日(火)


 2019年4月26日(金)、大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)において、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の原告となるN・Kさん(女性・78歳・神戸市)の本人尋問と医師証人尋問が行われた。N・Kさんは提訴してから原告本人としての意見陳述をする機会がなかった。したがって今日の尋問が初めての法廷であり、しかもいきなり証言台に立って国の代理人や裁判官からの直接の質問に答えなければならない尋問となった。おそらくN・Kさんにとって生まれて初めての体験だろう。その緊張感はどれほどのものかと心中を察せざるをを得ない。そんなN・Kさんを励まし支えようと傍聴席はご家族や支援の人々でいっぱいになった。N・Kさんも少しは心強かったのではないかと思う。

 主尋問は、本人尋問も証人尋問も担当の吉江仁子弁護士によって進められた。最初がN・Kさんの本人尋問。N・Kさんは昭和15年(1940年)9月22日生まれ、原爆投下の時は4歳と10ヶ月だった。自宅は長崎市の南部平山町だったが、たまたまこの日は母親に連れられて母親の妹・叔母さんの家のある長崎市八坂町に来ており、そこで閃光を浴びた。叔母さんの家は爆心地から3.6㌔㍍、屋外の裏庭のような所にいて被爆した。被爆した時のN・Kさん本人の記憶はほとんどなく、薄っすらとしたものでしかない。目の前がぱあーっと光ったこと、いろいろなものが吹き飛んだこと、額に怪我をしたことだけが今でも脳裏に残されていることだ。

59347658_2708167922591251_6674546552859525120_n_convert_20190506102046.jpg

 N・Kさんは翌日の8月10日、11日、2度にわたって、母親に連れられて三菱兵器に勤めていた叔父さんを探すため爆心地付近まで入市している。経路は市内路面電車の線路に沿って歩いた。また原爆投下直後の2~3日は八坂町の叔母さんの家の防空壕で夜を過ごした。この後、ひどい下痢にも見舞われている。
 N・Kさんはその後神戸に移り住み、昭和49年(1974年)、34歳の時に被爆者健康手帳の交付を受けた。それまでは差別されることを恐れて被爆は秘密にしてきていたが、その頃から病気ばかりするようになっていて、それを心配した母親のすすめで手帳はとることにした。幼い時の本人の記憶が乏しいため、手帳申請に必要な被爆状況の記述はほとんど母親が書いてくれた。実は自分の詳しい被爆状況を知ったのは、この時母親から聞かされた話が初めてだった。
 N・Kさんは数々の病気に見舞われ、健康とはほど遠い人生を送ってきた。昭和35年(1960年)20歳の頃から貧血で造血剤を処方され、27歳の頃にはひどいめまい、吐き気も加わり、33歳の時に声帯ポリープで手術、69歳で大腸ポリープ摘出手術、甲状腺機能低下症の診断も受けた。そして平成24年(2012年)、72歳の時に右乳がんを発症して腫瘍摘出手術、3年後に再発し、この乳がんを原爆症認定疾病として申請している。その後、左右の白内障手術も行った。
 こうした母親から聞かされてきた被爆した時の状況、病歴の一つひとつが、吉江弁護士の質問に答える形で確認されていった。 主尋問はさらに、N・Kさんとほとんど一緒に被爆した家族のことにも及び、それはN・Kさんの被爆状況がどれほど深刻なものであったかをより一層明らかにするものであった。一緒に入市した父親は昭和33年(1958年)に肝臓がんで、母親は平成元年(1989年)膀胱がんで亡くなっている。母親の胎内で被爆した弟は昭和21年(1946年)に白血病ではないかと思われる症状で生後間もなく死去、さらには兄も昭和39年(1964年)血液のがんと言われる骨髄異形成症候群で亡くしている。どれも放射線の影響と深く関係する病気ばかりで、しかも若くして命を失っていった家族たち。原爆による犠牲以外のなにものでもない。N・Kさんの健康障害、乳がんの発症も原爆以外には原因は考えられない、そのことを強く印象付けて主尋問は終わった。
 反対尋問は、もっぱら8月10日、11日のN・Kさんの入市の事実を否定しようとするところに焦点を当てて行われた。この日N・Kさんは本当は八坂町の叔母さんの家に預けられたままになっていたのではないか、等々だ。しかし、どのように質問してみても74年前の5歳にも満たなかったN・Kさんの記憶が蘇ることはあり得ない。74年前だけではない。手帳申請時のことだってももう45年も昔のことだ。細かいことは覚えていないのが当たり前で、その記憶をほじくり出そうとするような反対尋問にはそもそも無理があり、聞いていて辟易とする。準備書面において、国が入市の事実を否定している論拠についてはすでに原告側から詳細な反論が加えられているはずで、論争は書面だけで十分なのではないかなどと思いつつ尋問を聴いていた。
 言葉は優しいが質問を繰り出してくる国側の男性代理人は大柄な人だ。それを見上げるようにして、背を丸くした小柄なN・Kさんが懸命に答えていく。「母親が『おまえを連れて(爆心地まで)行ったからひどい被爆をさせることになってしまった』と話してくれたのだから間違いありません」、「幼い私を一人置いてきぼりにして出かけていくようなことはありませんでした」と、母親から聞かされてきたことに確信をもって答えつつ、記憶のないことにははっはきりと「分かりません」「憶えておりません」と言い切っていった。30分を少し超えて主尋問は終了。証言台から原告席に帰るN・Kさんに、傍聴席から「お疲れ様でした」、「ご苦労様でした」の声がそっとかけられた。

 休憩をとることもなく、引き続いて医師証人尋問となった。今回の証人は東神戸診療所所長の郷地秀夫先生。今年2月1日の第2民事部の証人尋問に引き続いての証言台だ。郷地先生はN・Kさんの診察もされており、原爆症認定申請のアドバイスも行われ、医師意見書作成も中心的に担ってこられた。郷地先生はこれまで2000人ほどの被爆者の診療に当たり、300人くらいの認定申請の援助をされている。その経験に基づいて、N・Kさんの認定申請についてはまず二つのことを強調された。一つは、N・Kさんの直爆距離は3.6㌔、国の定める積極的認定基準の3.5㌔にわずか100㍍足りないだけだが、審査方針の「総合的に判断」をすれば十分認定は可能ということ。もう一つは、過去の原爆症認定訴訟で同じような距離の被爆で甲状腺機能低下症が認められた例があり、行政が真摯に司法判断に従えば当然認定されてしかるべき事例だという意見だ。
 N・Kさんの被爆状況については、2月1日の日の証人尋問と同様、原爆投下時もその後の入市においても大量のチリや埃を吸い込んでおり、そのための内部被ばくの危険性、重大性が特に強調された。体内に沈着したアルファ線が今もN・Kさんの体内を被ばくし続けているという証言は、前回同様今回も重い響きを持って伝わってくる。
 本人尋問のところで触れたN・Kさんの既往歴について、そのいずれもが被爆者に多くみられる病気で、放射線被ばくと深く関係していることが、一つひとつの疾病について丁寧に説明されていった。申請疾病である乳がんに止まらず、N・Kさんのそれ以前のいずれの既往歴も原爆症認定申請が可能なほどの病気であると説明された。同様に、N・Kさんの家族、父、母、弟、兄たちが発症し亡くなっていった病気についても放射線被ばくとの深い関係が証言されていった。この他、N・Kさんの申請疾病である乳がんは白血病と並んで放射線に起因する過剰相対リスクが最も高いがんであることが調査報告されていること、N・Kさんは現在も二つの医療機関で経過観察中であることなどが証言された。
 N・Kさんの主な争点は8月10日、11日入市しているかどうかの事実認定であるためか、郷地先生への反対尋問はそれほどしつこいものではなく、そのためいつもは反対尋問を何倍にもして切り返す郷地先生の証言も今回は抑えたものになったように思う。ただ、N・Kさんの爆心地付近への入市をめぐるやりとりの中であった「原爆投下直後の大変な時、これからさらに何が起こるかも分からない不安な時、親は子どもを他に預けて行動することなどできず、いつも一緒に連れていなくてはならなかったはずだ」の証言がとても説得力のあるものだった。
 今回、本人尋問でも、証人尋問でも裁判官からの質問は一切なかった。もはや質問するまでもなくよく理解されているということなのかどうか、すこし気にかかるところだった。
 N・Kさんの審理については10月11日(金)を最終弁論の日とすることが確認されてこの日の法廷は終了した。

59106103_2708167769257933_8351684698732232704_n_convert_20190506102033.jpg

 閉廷後、いつものように大阪弁護士会館に会場を移して報告集会が行われた。N・Kさんも二人の娘さんに囲まれて参加され、今日の感想とお礼の言葉を述べられた。最近はご飯も碌にのどを通らず4㌔も痩せたとのお話が決して大袈裟には聞こえなかった。本当にお疲れ様と申し上げたい。二人の娘さんからもそれぞれお礼が述べられ挨拶された。戦後70年以上も経って被爆者がどうして裁判までしなければならないのか、腹立たしく思いながら傍聴席で聴いていた。今日は本当に貴重な体験をすることができた。これからも母親と共に諦めずに頑張っていきたい。

59356171_2708167802591263_2901259204541022208_n_convert_20190506102100.jpg

 証言された郷地先生からは、被爆状況の事実認定が争われていること自体を批判された。被爆者援護法の精神は被爆者を救済するためのものであり、そうであれば被爆者の立場に立って、被爆者の言っていることを信頼し、それを前提に判断していかなければならない。判断基準が被爆者の請求棄却、切り捨てのための線引きであっては決してならない、と。N・Kさんの裁判はそのことが本当に問われている裁判だと思う。

59724340_2708167862591257_1963293868136857600_n_convert_20190506102118.jpg

 N・Kさん、郷地先生、吉江弁護士に報告集会参加全員からあらためて拍手が贈られ、今日一日のご奮闘を労った。
報告集会の最後に、藤原精吾弁護団長から全国の状況なども含めた要旨以下の報告と説明が行われ、もうひといき頑張っていこうとの訴えが行われた。

59106055_2708168045924572_8044755014226280448_n_convert_20190506102010.jpg

 4月16日(火)、ノーモア・ヒバクシャ長崎訴訟の一人の原告の福岡高裁控訴審判決があり不当にも敗訴判決だった。申請疾病は白内障で争点は要医療性。原告は最高裁に上告し最後まで闘う。最高裁では今、2018年の広島高裁判決(勝訴判決)と同年の名古屋高裁判決(勝訴判決)を不服とする国・厚生労働省が上告受理申立を行っており、争点はいずれも要医療性だ。ここに福岡高裁の件も加わることになり、要医療性を争点にした判断の異なる3つの案件が最高裁にかかることになる。最高裁は「被爆者の要医療性とは何か」について判断を下さざるを得ない状況となり、私たちは全国の運動の総力で要医療性の正しい判断を勝ち取っていかなければならない。今、全国で提起されている最高裁宛署名を緊急に積極的にとりくんでいこう。
 4月14日(日)には全国弁護団会議が開催され、裁判で争わなくてもいい原爆症認定制度を勝ち取っていくための方針について話し合われた。大まかな内容は、①今も継続中のノーモア・ヒバクシャ訴訟を勝ち切り(司法判断)、行政がそれに従うようにしていく、②制度改定のために厚労大臣との協議・交渉を再度申し入れていく(行政への働きかけ)、③制度の抜本的改定のために国会議員にも働きかけていく(立法対応)、だ。この一年を最大の勝負どころとしてとりくんでいくことになる。特に近畿訴訟はこれから迎える判決が苑田朔爾さんの控訴審含めて5つあり、特別重要な位置にある。
 合わせて来月5月には来年のNPT再検討会議に向けた準備会も開催される。私たちは直接の被爆者援護だけでなく、核兵器廃絶という人類的な課題の一翼も担って奮闘してきた。このことについても、もうひと踏ん張り頑張っていこう。
来月5月15日(水)には第2民事部の3名の原告の最終意見陳述が行われる。同じく5月23日(木)には第7民事部の2人の 原告の判決言い渡しが迫っている。7月24日(水)は第2民事部の別の原告3名の最終意見陳述が決まっている。そして今回、第2民事部のN・Kさんの最終意見陳述も10月11日と決まった。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の第一審で残された原告9人全員の判決言い渡しが2019年度内に行われる見通しがたった。
 文字通りの全員勝訴めざして6月15日(土)には「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・全面勝利をめざすつどい」が開催される。「つどい」の成功をめざしつつ、この一年、本当に全員が勝利できるよう頑張っていきたい。そのことをみんなで確認してこの日の報告集会を散会した。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年 5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年 6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年 7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述
2019年10月11日(水) 11:00 1007号 地裁第2民事部 N・Kさん最終意見陳述
2019.05.06 Mon l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(71)
2月28日(金)、第7民事部の二人の原告に判決言い渡し
国の認定基準の誤りを明確にして一人の原告が勝訴!
しかし一人の原告には詳細な被爆状況の立証を課して不当判決!
2019年3月2日(土)

 2019年2月28日(木)、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第7民事部(松永栄治裁判長)の2人の原告の判決言い渡しの日を迎えた。一人はK・Sさん(男性、92歳、京都市在住、18歳の時8月6日に広島入市、申請疾病は狭心症)、もう一人は苑田朔爾さん(77歳、神戸市在住、3歳の時長崎の爆心地から4.2㌔で直接被爆、15日に爆心地まで入市、申請疾病は前立腺がん)。昼過ぎの12時20分、裁判所前の西天満若松浜公園に集合して冷たい雨の中短時間の判決前集会を開催。その後入廷行進していつもの806号法廷に向かった。K・Sさんは体調がとても悪くて今回も出廷は叶わなかった。苑田さんも現在長崎の病院に入院中だが、今日だけはと病身をおして朝早くから大阪に向かい、判決前集会から姿を見せられた。

事前集会_convert_20190317111218

西_convert_20190317111301

藤原団長_convert_20190317111051

久米_convert_20190317111347
 

入廷_convert_20190317111438  

入廷2_convert_20190317111518

 第7民事部は昨年4月から今の松永裁判長に裁判体が変わり、松永裁判長の下で迎える初めての判決だ。
 K・Sさんは8月6日広島に原爆が投下されたその日に軍隊命令で入市、翌日から原爆ドーム付近など爆心地そのもので1週間近くも救援活動に当たった。申請疾病の狭心症は、昨年1月23日、同じ第7民事部で宮本義光さんが「完勝」と言われたほどの勝訴判決を受け、国は控訴もできなかった。昨年12月14日には東京高裁で山本英典さんが同じく狭心症の勝訴判決を受け確定している。もはや狭心症については司法判断も揺るがないのではないか、と思う。苑田さんは申請疾病は前立腺がんだが、直爆が4.2㌔、入市が6日後の8月15日と国が勝手に決めた積極的認定基準の線引きから外れる。そのため昨年の医師証人尋問では特に残留放射線の危険性、内部被ばくの重大なリスクが詳細に証言され、徹底して主張された。最終意見陳述では原爆投下直後の広島・長崎の惨状を絵や写真をスライドにして映し出し、苑田さんらの被った被害状況をリアルに再現して見せるなどの努力も行われた。
 負けるはずがない、二人とも必ず勝訴だと確信をもって開廷を待った。

旗出し_convert_20190317111600

 午後1時10分開廷。裁判長からただちに主文が読み上げられた。最初のK・Sさんについては「認定申請の却下処分を取り消す」とはっきりと聞きとれた。勝訴だ。続いて苑田さんもと期待して待ったが、しかし「却下処分を取り消す」の言葉は続かなかった。傍聴席の私たちには「請求を棄却する」ともはっきりとは聞きとれなかったのだが、どうも認められなかったようだ、の感触だけが伝わってきた。
 なんでや???の思いを抱きながら法廷を出て、正門前の旗出し場面に足を運んだ。久米弘子弁護士、喜久山大貴弁護士によって掲げられた旗出しは「勝訴」と「厚労省は原爆症認定制度を改めよ」。K・Sさんは勝訴だから「勝訴」の旗出し。しかし「全面勝訴」とはならなかった。旗出しと共に挙げるシュプレヒコールも満面の笑みを伴ってとはならず、複雑な思いを噛みしめながらの唱和となってしまった。

愛須_convert_20190317112358

 近くの中之島中央公会堂会議室に会場を移して午後2時から報告集会が始められた。判決文の分析途中から会場にかけつけた愛須勝也弁護団事務局長によってまず、判決内容についての報告が以下のように行われた。
 K・Sさんは8月6日の夜に広島入市、翌日から爆心地周辺で1週間救護に当たり非常に濃厚な被ばくをしたことは明らかだった。もしこれで認定されなければ入市被爆者や救護被爆者は一人も認定されないことになってしまう。申請疾病の狭心症についても国の主張はすべて退けられて放射線起因性が認められた。国は狭心症についてはこれまで徹底して争う姿勢をとってきて、最近は同じ狭心症でも安定狭心症と不安定狭心症とがあるなどとして、安定狭心症には放射線被ばくとの関連性はないと主張していた。K・Sさんは医師意見書で安定狭心症の方だとされていた。しかし判決はそもそも狭心症を安定狭心症と不安定狭心症とに区別すること自体に意味がないとして国の主張を退けた。したがって狭心症も心筋梗塞と同じ機序で発症するのであり、積極的認定疾病と同じように扱うべきだとの判決だった。脂質異常症や高血糖、加齢といった他原因も国は主張していたが、これらもすべて排斥された。12月の東京高裁判決に対して国は上告もできなかった。狭心症についてはもう争いようがない。国の認定基準を変えざるを得ない=狭心症も積極的認定疾病の範囲に加えなければならない、そのような積極的側面をもった判決だった。
 一方の苑田さんに対する判決では、一般論としての残留放射線や内部被ばくの健康障害に及ぶ機序、影響、可能性は認めた。しかし苑田さんの被爆状況は、4.2㌔の距離での直接被爆であり、6日後の8月15日に爆心地を2時間程度通過したに過ぎないとされ、初期放射線による被ばく線量は無視しうる程度に僅少、残留放射線による被ばく影響は限定的なものに止まるとされた。健康影響を及ぼすほどの相当程度の被ばくをしたと認めるにはなお合理的な疑いが残るという判決だ。苑田さんは3歳の時の被爆だから当然本人の記憶はない。急性症状も母親から聞いたものだ。被爆した後の行動についても詳細な供述、証言はできない。より高線量の放射線を浴びたという事実認定はできないから認められないというわけだが、とても納得できる判決ではない。従来の判決では多少立証の不十分さを残すことはあっても勝つことはできていた。しかし今回はそうはならなかった。あらためて今回の判決の詳細な分析が必要となっている。
 安倍首相は先日の国会答弁で原爆症認定制度・基準を変えるつもりはなく、裁判の判決にはきちんと対応していくと強弁した。あくまで訴訟を前提とした考え方だ。裁判できる人は認定され、できない人は泣き寝入りするしかない不公平行政を常態化させるものだ。被爆者の高齢化の進行は被爆状況の証明・証言をますます難しくしていく。認定申請したくてもできない人が増えていく。こうした認定制度の現状を改革していくために、今回の判決もこのまま終わらすわけにはいかない。控訴して、高裁で何としてもひっくり返していこう。勝訴したK・Sさんは92歳の高齢だ。国に対しては控訴するなと働きかけ、今日の判決を確定していくことが必要だ。

和田_convert_20190317112107

 愛須弁護士の説明の後で原告団・弁護団・支援ネットワーク連名の声明が紹介され、和田信也弁護士によって読み上げられた。内容の多くは愛須弁護士の説明と重なるが、原告2名の内1名が敗訴という判決ではあっても全体としては被爆者の実態に即して原爆症認定行政を進めるべきことを示した判決で、有意義なものであると強調された。そして、国に対して3つのことを求めた。①国は「新しい審査の方針」の誤りを認めて、変更し、全原告を救済すること、②被爆者援護法と原爆症認定の在り方の抜本的改革をすること、③核兵器禁止条約に加入して、核兵器廃絶国際運動の先頭に立つこと。

苑田_convert_20190317112219

 記者会見などを終えて途中からに報告集会に参加してきた弁護士、原告の苑田さんから挨拶と報告が行われた。苑田さんを担当してきた中道滋弁護士からは残念で悔しい、という思いと共に控訴審に向けて何としても頑張りたいとの決意が表明された。今朝長崎から駆け付けた原告の苑田さんは、判決を聞いてから気落ちはしているが、しかしこのまま引き下がったのでは国の思う壺だ、また気を取り直して頑張っていきたい、アグレッシブルに、ポジプティブに、と自身を奮い立たせるような心情が述べられた。とても気丈で、法廷で証言された時と同じように力強い声だった。聞いている私たちの方が反対に励まされるような挨拶だった。

中道_convert_20190317112144


藤原_convert_20190317112539

 藤原清吾弁護団長からあらためて報告とこれからに向けて提起が行われた。今回の判決は、基本的にはこれまで国がやってきたことを退ける判決だった。安倍首相が現行認定基準は最新のものだなどと言ったりしているが、裁判所はそれを退け、行政は間違っていると判断した。認定制度の改革が必要なことはさらに明らかとなった。
苑田さんの敗訴は被爆の事実について細かい証拠がないからというのが理由だが、これについては、そもそも被爆者に細かな証明を求めること自体が不当なことなのだとしっかり批判、反論しなければならない。この点は今後の大きな争点にしていきたい。私たちは裁判官にもう少しプレッシャーをかけていくことが必要だ。被爆者援護法に基づいて如何にして被爆者を援護していくのか、大きな視点から被爆者に向き合う姿勢を持つよう裁判官に求めていきたい。

花束_convert_20190317112436

 今日の判決の教訓をしっかりと受け止めて、不当な判決は絶対に許さない闘いをすすめていこう。余命も少なくなりつつある被爆者が今もって裁判に訴えている現状を多くの人々にも訴えて、社会的な世論もあらためて盛り上げていこう。
支援ネットワークや報告集会参加者から苑田さんに花束が贈呈され、ねぎらいと激励の拍手が贈られた。今日出廷できなかったK・Sさんには、代理人として久米弁護士に花束が手渡された。K・Sさん宅には判決後すぐに勝訴の知らせが届けられていて、ご家族の喜びの声も紹介された。花束は翌日の3月1日(金)、K・Sさんの自宅に届けられている。

尾藤_convert_20190317112626

 最後に尾藤廣喜弁護団幹事長から報告集会のまとめと閉会の挨拶が行われた。この中で特に二つのことが強調された。一つは、国の主張は最近他原因に重きを置くようになっているが、この点について判決は、他原因の要素は極めて限られたもので、放射線の原因こそが基本であることを示した。また他原因と放射線被ばくとが相まって病気が発症した場合であっても原爆症と認めるべきだとした。厚労省のとっている態度、基準は明確に否定されたのだ。一日も早く認定制度を変えなければならない。もう一つは記者会見の席上で、国家賠償が認められないことについてどう思うかと質問された。私は同感だと思った。国はこれだけ裁判で負け続けながら認定基準をあらためず、意図的に切り捨て政策をとり続けている。裁判所はもっと強く認定制度をあらためるよう国に言うべきで、そのためには損害賠償を認めることが重要ではないかと思う。そのように記者には回答した。
被爆者に立証不可能なことを強いるような判決は変えていかなければならない。そのための努力をもっとしていく必要がある。さらに運動を続けていこう。

 午後3時30分に報告集会を終了し、解散となった。朝からの雨は上がっていた。
 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟はこれから最終意見陳述・結審、そして判決言い渡しと、おそらく年内いっぱいまで重要な法廷が続いていく。気を緩めず、今日の判決も重要な教訓として、須頑張っていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年4月26日(金)13:10 1007号 地裁第⒉民事部 N・Kさん本人尋問・医師証人尋問
2019年5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述
2019.03.17 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
2019年2月28日
ノーモア・ヒバクシャ訴訟大阪地裁判決についての声明
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿原告団・全国弁護団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿弁護団・全国弁護団連絡会
ノーモア・ヒバクシャ訴訟支援近畿ネットワーク

 本日、大阪地方裁判所第7民事部(松永栄治裁判長)は、原告2名のうち1名について原爆症認定申請の却下処分を取り消し、もう1名の請求を棄却する判決を下した。

 本訴訟は2013年12月16日に改定した「新しい審査の方針」によってもなお、原告らの原爆症認定申請は認められないとして国(厚労大臣)が争ってきた事案である。
 今日の判決はこの「新しい審査の方針」が定めた原爆症認定基準が誤っていることを再度明確にしたものである。このことは、被爆者が原爆症認定を受けるためには裁判を起こさなければならないという異常な事態がなお、続いているということを示すものである。

 判決は、初期放射線による外部被曝だけでなく、残留放射線、すなわち、誘導放射線や放射性降下物が放出する放射線による外部被曝及び内部被曝の可能性も考慮に入れ、当該被爆者の被爆状況、被爆後の行動・活動内容、被爆後に生じた症状等に照らし、当該被爆者が健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認められるかどうかを個別具体的に検討する必要があるとした。

 そして、狭心症については、動脈硬化性の狭心症と心筋梗塞とは、粥状動脈硬化症を主因とする虚血性心疾患であるという機序において何ら異なるところがないことから、動脈硬化性の狭心症について、放射線被曝との関連性を一般的に肯定した。また、被告の主張する安定狭心症と不安定狭心症を区別するという主張や、他原因の主張を退けた。

 一方、敗訴原告については、前立腺がんの放射線被曝との関連性を認めたものの、被爆地が4.2㎞離れていたこと、入市が6日後であったことなどから、相当程度の被曝をしたとは認めなかった。また、判決は、原告が内部被曝をしていた可能性を認めながら、被曝当時3歳であった原告の立証の困難性を無視し、放射性降下物の影響を過少評価した。これらは、被曝の程度の証明を被爆者に強いるものであって、甚だ不当な判決である。

 本日勝訴した原告は、90歳をこえ、本日出頭することはできなかった。このように原告が高齢化する中で、本日の判決に対して国が控訴してさらに裁判を強いることは人道上も絶対に許されない。

 本日の判決は、2名の原告のうち1名を勝訴させたものであるが、その内容は新しい審査の方針を否定し、被爆者の実態に即して原爆症認定行政を進めるべきことを示した判決であって、有意義なものである。にもかかわらず、国は破綻した原爆症認定制度の運用にしがみついている。国は被爆者の実態を無視した態度を早急に改め、核兵器の非人道性の生き証人である被爆者の立場に立った原爆症認定行政に根本的に転換すべきである。

53113416_2572238116184233_2278826870352904192_n_convert_20190301193723.jpg

 判決にあたり、ノーモア・ヒバクシャ訴訟原告団、全国の被爆者、弁護団は、国及び厚生労働省に対して、以下のことを求める。

1 「新しい審査の方針」の誤りを認め、これを変更し、全原告を救済すること
2 被爆者が「裁判をする必要がないように」被爆者援護法と原爆症認定の在り方を抜本的に改め、被爆者の命あるうちに問題を 解決すること
3 唯一の原爆被爆国として核兵器の非人道性を国際世論に訴え、核兵器禁止条約に加
 入し、核兵器廃絶国際運動の先頭に立つこと
以上
2019.03.01 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(70)
第2民事部も原告7人全員の尋問と最終意見陳述日程が確定!
6月15日「近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」を勝利を決める日にしていこう!

2019年2月23日(土)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟はこの2月、4回の法廷が予定されている。2月1日(金)は第2民事部で東神戸診療所所長の郷地秀夫先生の医師証人尋問が行われた。翌週の2月8日(金)には第7民事部で二人の原告の最終意見陳述が行われ、2月20日(水)は第2民事部で原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。最後は2月28日(木)第7民事部で二人の原告への判決言い渡しが行われる。近畿の訴訟もいよいよ大詰めであることを実感しながら毎回の法廷に足を運んでいる感じだ。
 2月8日(金)の第7民事部(松永栄治裁判長)はT・Iさん(男性、京都府城陽市、74歳、2歳の時2.0㌔で直爆、申請疾病は慢性肝炎と糖尿病)とW・Hさん(男性、京都府木津川市、74歳、1歳の時2.5㌔で直爆、申請疾病は慢性腎不全(IgA腎症))の最終意見陳述だった。二人とも提訴は2013年10月だから5年半をかけてやっと今日に至ったことになる。
最初のT・Iさんは用意された陳述書を、読み上げる形で、もう一度被爆時の状況、被爆後の状況、急性症状、その後今日に至るまでの闘病の日々を、簡潔だが思いを込めて述べていった。その上で厚生労働省の審査のあり方については強い疑念と憤りをぶつけるような陳述だった。認定申請は平成21年3月(2009年)だったが最終的に異議申し立てが棄却されたのは平成25年(2013年)4月。なぜ4年以上もの長い年月放置され待たされなければならなかったのか。そして、やむを得ず裁判に訴えた後になってから慢性肝炎の追加資料(検査データやカルテなど)提出が求められた事実。認定申請却下処分や異議申し立て棄却処分は一体何をもって判断されたのか、強い疑問を抱かざるを得ず、医療分科会の審査が適切に行われていなかった表れではないか、と厳しい口調で批判した。

2・8田中_convert_20190227210756

 T・Iさんは、健康上の苦しみだけでなく、被爆したことでの精神的苦痛、不安や悲しみ、怒り、そして子どもの将来についても不安を抱えながら生きてきたことを語り、裁判所に正しい判断を下されるよう訴えて陳述を締めくくった。
 続いてもう一人の原告W・Hさんは出廷の叶わない体調であるため、代わりに代理人の喜久山大貴弁護士によって陳述が行われた。この訴訟の意義が述べられ、他原因によって放射線起因性は否定できないことを主張し、「8・6合意」とこれまで蓄積されてきた司法判断に背く厚労省認定行政の実態が批判された。原告のW・Hさんは2017年1月に奈良地裁で本人尋問を受けているが、その後W・Hさんの体調はより深刻さを増している状況にも触れられた。そして最後にW・Hさんから弁護団に届けられた手紙が紹介されて、強い本人の思いが訴えられた。その内容は次の通りだった。
 私は、一昨年以来、不整脈・心房細動がひんぱんに起こり、危険な状態に何回もなり、このままでは心不全・心筋梗塞になる恐れが大ということで昨年5月に手術、現在に至っています。
 また、昨年秋の人間ドッグで大腸ポリープが7個見つかり12月に除去。同時に5年前に見つかったバレット腺癌が再発しており、今年の1月7日に入院、1月8日に除去手術。今は療養に努めています。
 死ぬ訳にはいきません。勝利をつかみとるまで。一日一日が勝負です。病魔に負けるな!自分に勝て!と奮い立たせる日々です。
 お世話になりますがよろしくお願いいたします。
 二人の陳述を終えて裁判長が弁論の終結を宣言し、判決言い渡しを5月23日(木)午後1時10分からと告げて閉廷となった。
 閉廷後の報告集会ではT・Iさんと喜久山弁護士からそれぞれ感想とお礼の言葉が述べられた。T・Iさんは提訴してから3人目の裁判長に変わってやっと判決を迎えることになる。そもそもの申請日に遡れば10年の歳月となり、費やしてきた時間の長さを述懐された。そして、ありとあらゆる病気に罹ってきたこと、被爆の影響は免疫力を著しく低下させあらゆる組織に障害をもたらすことなどを自身の体験から述べられた。

2・8喜久山_convert_20190227210817

 W・Hさんの3年前の奈良地裁での本人尋問は代理人の喜久山弁護士の法廷デビューの日だった。5月23日は喜久山弁護士にとっても重要な記念すべき判決を迎える日となる。いい結論を期待し、早期に訴えが解決することを求めていきたいと決意が述べられた。
 この日の報告集会では「公正な判決を求める要請署名」が1,362筆となり、この日大阪地裁に提出されたことが報告された。

2・8岩田_convert_20190227210634


 12日後の2月20日(水)、今度は第2民事部(三輪方大裁判長)で原告O・Hさん(男性、大阪市、74歳、2歳の時3.5㌔で直爆、その後入市被爆、申請疾病は心筋梗塞)の本人尋問と医師証人尋問が行われた。O・Hさんは4年前の2015年3月11日、自ら提訴後最初となる意見陳述を行っており、それ以来の法廷となる。主尋問は担当の中森俊久弁護士によって進められ、0・Hさんは大きな声ではっきりと答えて一つひとつのことがとても分かりやすく確認されていった。O・Hさんは長崎市銅座町の自宅近くの屋外で直爆を受けた。2歳7ヵ月だったので記憶はないが、強い光と爆風を浴びたことだけは憶えている。その他の当時の状況は母親などから聞かされてきた。直後に避難して日見峠を超えて親戚を頼ったが、間もなく長崎市内に立ち返った。そして母親たちの仕事の関係で、長崎駅近くにあった爆心地から2.0㌔に近い長崎の漁港や魚市場に頻繁に連れて行かれ、そのため入市被爆もしている。幼いO・Hさんは市場の人々の間でマスコット的存在になり可愛がられていたようだ。爆心地から3.5㌔の距離となる銅座町だが、当時の銅座町の人々の悲惨な被爆体験の声や破壊された町の被災状況についてはたくさんの具体的証言や資料が残されていて、それらも証拠として提出されている。尋問ではその内容が詳しく説明された。直爆を受けたO・Hさんは口の中に怪我をして出血し、今も異物が口の中に残されている。急性症状は下痢と鼻血を発症し、下痢は10歳頃まで、鼻血は今でも出ることがある。
 O・Hさんを襲ったのは健康障害だけではなかった。父親はビルマで戦死、一緒に住んでいた祖母も間もなく亡くなり、母親も、母親の再婚した義父も結核で倒れて入院し、中学の頃から暮らしはたちまち行き詰まった。高い向学心を抱いていたO・Hさんだが中学卒業後は住み込みで米屋で働き高校は定時制に通った。2人の弟は施設に預けられた。その後大阪に出たが、どん底の生活を味わい、なんでもやりながら生きてきた。あの頃の苦労は思い出すだけでも苦しくなる。21歳の時に正社員として就職し、23歳で結婚、いろいろに事情から様々な仕事を積み重ねてきた。
 45歳の頃から被爆者健康診断を受けていたが特に異常は見つかっていなかった。しかし50歳になって突然心筋梗塞の診断を受け手術した。平成15年、60歳の時狭心症を再発して救急搬送、再び手術を受けた。現在も経過観察と投薬治療を続けている。平成23年には不整脈に陥って救急搬送されたこともある。国側は相変わらず他原因を主張しているようで、喫煙、飲酒、糖尿病診断の実態についても丁寧に事実確認され、主尋問の過程で国側主張の根拠のなさが明らかにされていった。
最後に、今の思いや国に対しての意見が求められたO・Hさんは、国に言いたいことは山ほどあるがとしながら、「父は戦死し、私は被爆して二重の苦しみを味わってきた。戦争さえなければ、原爆さえなければといつも思いながら生きてきた。すべてが灰色の人生だった。毎日毎日がいつ倒れるか、いつ発症するかの連続で、不安を抱えたまま一人で外出することさえ叶わなかった」と、苦しい胸の内と心情を吐き出すように訴えた。
 反対尋問は予想通り喫煙歴、飲酒の程度、食生活の様子など他原因を前提にした細々とした質問に終始して終わった。ただ反対尋問の中で一つだけなるほどと思うやりとりがあった。O・Hさんの原爆症認定申請は平成24年(2012年)に行われているが、どうして2回目の発症から9年も経ってから申請したのかと質問された。O・Hさんは認定制度自体を知らなかった。平成20年(2008年)に当時の新しい認定基準が決められ、それが新聞報道などもされて初めて知ったのだ、という回答だった。多くの被爆者にとって認定制度のことを知るのは、そういうことがきっかけになっている、それが実態なのだとあらためて思った。
 1時間30分ほどの本人尋問の後、休憩もとらずに続いて医師証人尋問に移った。今回の証人は西淀病院副院長の穐久英明医師で、昨年10月17日の高橋一有さんの証人尋問以来の証言だ。
 主尋問は小瀧悦子弁護士によって行われた。O・Hさんの被爆状況からは特に残留放射線による被爆が問題になるとして、前半の総論はその残留放射線についてのかなり詳しい説明から証言されていった。そもそも残留放射線とは、その内容、人々の被ばくに至る機序、危険性が説明されていった。銅座町で被爆したO・Hさんは放射性降下物も浴び、あたりが茶色くなるほどの粉塵が立ち込めた中で誘導放射線による外部被ばくも内部被ばくもしていることが証言された。それは決して低線量などというものではなく相当な量の内部被ばくであろうと強調された。
 その上で、昨年の高橋さん(申請疾病は心筋梗塞)の時の証言も参考にしながら心筋梗塞の放射線起因性について証言されていった。心筋梗塞にしきい値はない、他原因があっても放射線との関連に影響を与えない等の基本的知見を押えつつ、特に国側が主張する他原因の具体的根拠に反論が加えられていった。O・Hさんが最初に発症したのは平成5年だが当時のカルテは残されておらず、確認できるのは平成15年以降のものだけだ。それにも関わらず国は推測で平成5年当時から・Hさんには高血圧、脂質異常、糖尿病などの危険因子があったと語っており、それに対して、何の裏付けもなく10年も前のことを推測だけで主張するなど許されないと徹底して反論された。糖尿病に至っては平成15年の診断でも根拠となる検査結果はない。喫煙は、禁煙して以降も次々と狭窄を起こしており原因とは言い切れない等々の証言だった。
 反対尋問はいつもの繰り返し、重箱の隅をつつくようなものでしかなかった。
 法廷後の報告集会では、O・Hさんと穐久医師からそれぞれ今日の証言の感想が述べられ、参加者から慰労の拍手が送られた。中森弁護士、小瀧弁護士からは今日の尋問の中心点と感想が述べられた。
 進行協議を終えた弁護団から第2民事部の今後の予定が紹介され、訴訟進行が一気に加速していく予定が報告された。今後の日程の順を追っていくと、4月26日(金)に第2民事部の最後の原告N・Kさんの本人尋問と医師尋問が行われる。証言されるのは郷地医師。5月15日(水)には昨年10月17日以降滞っていたAさん、高橋一有さん、そしてM・Yさんの最終意見陳述が行われ結審となる。7月24日(水)には、2月1日に証人尋問の行われたY・Mさん、Y・Iさん、そして今日のO・Hさん3人が最終意見陳述・結審を迎えることになった。これで7人の原告全員の判決に向けた目途が立った。第7民事部の4人の原告も合わせてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告全員が年内に判決を迎えられる可能性も出てきた。本当にラストスパート、全力を挙げて頑張っていきたい。
 今年の「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」が6月15日(土)午後2時から大商連会館で開催されることも報告された。文字通り全面勝利をめざし、そして勝利を決めていくつどいにしていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年2月28日(木)13:10  806号 地裁第7民事部 苑田さん、K・Sさんに判決
2019年4月26日(金)13:10 1007号 地裁第⒉民事部 N・Kさん本人尋問・医師証人尋問
2019年5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述

2019.02.28 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(69)
郷地医師、内部被ばくの実態と脅威を徹底して証言
INF条約破綻の事態に対して
核兵器禁止条約を基本に核なき世界の実現をめざしていこう!

2019年2月6日(水)

 2019年最初となるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟が2月1日(金)行われた。前年は10月31日(水)の第7民事部原告本人尋問と医師証人尋問及び第2民事部弁論が最終だったので3ヶ月ぶりの法廷となった。今回は第2民事部(三輪方大裁判長)で法廷は1007号。傍聴席は35席程度と大きくはないが、午後1時30分の開廷とともに傍聴席はすべて支援の人々で埋められた
 第2民事部で係争中の原告は7人。その内の二人、Y・Iさん(男性、神戸市)とY・Mさん(男性、神戸市)についての医師証人尋問がこの日の法廷だった。証言台に立たれるのは東神戸診療所所長の郷地秀夫医師。郷地先生一人で二人の原告の証言をされる。実は原告のY・IさんもY・Mさんも既にこの世になく、お二人とも判決を聞くことなく他界されている。二人ともご家族が承継されての裁判が続けてこられた。
 Y・Iさんは4歳の時長崎の爆心地から4.4㌔で被爆、原爆投下の翌日と翌々日にかけて市街地へも入り入市被爆を重ねた。2008年、67歳の時に前立腺がんを発症。5年後の2013年、72歳の時には大腸がん、肝臓がん、胆管がんも見つかり多重がんに苦しめられてきた。最初の前立腺がんの時原爆症認定申請したが却下され、6年後あらためて大腸がん、胆管がんで認定申請したがそれも却下された。Y・Iさんは「原爆のためにどれだけ辛く苦しい人生を強いられてきたか。そのことをどうしても明らかにしておきたい」と、その一心で2014年12月提訴された。しかし提訴した後に容態が急速に悪化、2015年4月には入院先の病床で本人尋問が行われなければならないほどの状態だった。その2ヶ月後の6月1日、74歳で苦難の生涯を閉じられている。
 もう一人のY・Mさんも7歳の時、同じ長崎で爆心地から4.0㌔の距離で被爆し、8月10日と12日に爆心地を縦断踏破して入市被爆もした。Y・Mさんは74歳の時に食道がんを発症、入退院を繰り返しながら治療を続けてきた。食道以外の様々な箇所への転移も確認されている。2013年、食道がんで認定申請したが却下され、Y・Iさんと同じ2014年に提訴に踏み切った。提訴後Y・Mさんも急速に体調を悪化させ、2015年3月7日帰らぬ人となられた。享年76歳。半年後の2015年9月11日の法廷では、裁判を承継された奥さんがご本人の意見をまとめられ、代理人弁護士によって陳述されている。

 厚生労働省が2013年12月16日に定めた新しい審査方針では、二人の申請疾病である固形がんは直接被爆の場合爆心地からの距離3.5㌔以内を積極的認定範囲としている。しかし、入市被爆の場合は100時間以内に爆心地から2.0㌔以内への入市が認定範囲であるから、二人ともその条件には合致するはずだ。それなのにどうして却下されるのか。2015年当時の報告集会では、国は被爆の事実認定そのものを、入市した日時、経路等を認めていない。そのことが争点になっているとの説明だった。Y・Mさんに至っては国は要医療性にも欠けると主張しているようだった。
 入市被爆の事実認定も争点になっている、そうした事情、背景もあって、この日の郷地先生の証人尋問は、原子爆弾による内部被ばくの危険性に最大の重点が置かれた。たとえ直接被爆の距離が3.5㌔を越える範囲であっても内部被ばくによって被爆者がどれほど深刻な打撃を受けてきたか徹底して明らかにする、そのことを基本にした証言、証明であった。

2・1杉野_convert_20190227210534

 主尋問は、Y・Iさんを担当した杉野直子弁護士とY・Mさん担当の崔信義弁護士によって行われた。尋問は、初期放射線と残留放射線の違い、外部被ばくと内部被ばくについての基本的な説明から始まり、残留放射性物質が人の体内に取り込まれ、沈着し、長期に渡って体内で放射線を出し続けていく機序、そしてそのことの重大な危険性についての説明へと続いていった。実際に確認されている事例として、広島の被爆者で確認された鎌田七男医師の研究論文、長崎大学の七條和子氏や高辻俊宏氏らの研究グループの論文が示された。傍聴席にも「長崎大学・七條和子氏論文より」と題した資料が配られた。傍聴者である私たちにも郷地先生の証言がよく理解できるようにとの配慮だ。以前の法廷で同じ郷地先生の証言を聞いた時、まるで放射線についての授業を受けているようだと傍聴記に書いたことがある。尋問の進行に伴って今回もそのような雰囲気になっていった。
 鎌田論文や七條論文で何より先ず重要なことは、被爆後50年、60年経った時点でも被爆者の体内に、しかも既に亡くなっている被爆者の組織に放射性物質が沈着し、そこからα線が出続けていることを具体的に証明していることだ。α線はγ線β線と比較してその危険性は極めて高い。原爆の放射性降下物の濃度が最も高かったのは爆心地から3~4㌔㍍の距離であったことも鎌田論文で示されている。
 七條先生らの論文は10年以上の研究を集大成されたもので、7人の近距離被爆者の体内に沈着した放射性物質とそこから出るα線を確認されたものだ。郷地先生は論文から3つの重要な点を説明された。①爆心地付近でも大量の放射性降下物があり被爆者の体内に取り込まれていた事実、②7人の近距離被爆者の臓器から大量のプルトニウム239の沈着が確認されたこと、③プルトニウム239の沈着は主要臓器だけでなく全身の臓器から確認されていること。
 Y・IさんとY・Mさんが直接被爆した爆心地からの距離4㌔㍍の地点でも降下物による被爆は相当に高かった。さらにその後の爆心地付近への入市によって高線量の内部被ばくもしていることが証言された。爆心地から遠くなれば被ばくは低線量になっていくという概念はあくまで初期放射線の外部被ばくに限定したものだ。内部被ばくの場合その影響は極めて大きく被ばく線量は相当に高いと言わなければならない。そしてその内部被ばくの具体的線量を客観的に測る技術は、私たちはまだ持ち得ていない。
 プルトニウム239の臓器沈着については、ICRP(国際放射線防護委員会)の示している知見との相違も説明された。ICRPの報告は実験動物によるもので、七條論文は実際の被爆者の臓器から報告されたもの。ICRPの研究は、比較的大きな粒子で、純粋プルトニウムで、1000度以下の温度で生成されたものを使用しての結果。七條論文で示されている被爆者に沈着したプルトニウムは微小な粒子で血管内に容易に入り込んで全身に流れたもので、プルトニウム以外の多くの金属類も混じり合い、数千度の原爆によって焼かれたものだから壊れにくく長期の沈着量も多くなる。したがって、ICRPのプルトニウム吸入実験と被爆者の実際の被ばく形態とは根本的に異なることを認識しなければならない、と詳細な説明が行われた。
 このような証言が重ねられていった上で、Y・IさんとY・Mさんそれぞれ個別に、被爆時の行動による被爆の状況について、急性症状について、晩年の病気発症の状況と治療の経緯などについて、郷地先生からの評価が加えられていった。

 10分の休憩をはさんで被告国側による反対尋問に移ったが、尋問は相変わらず本質を外したものや、これまで何度も質問されてきたことの繰り返しと思われるような内容だった。ひどいのは、「この裁判の証人になった理由は何ですか?」などと言うもので、郷地先生は「国のやり方があまりにもひどいので、何とか被爆者が認定されるようにしたいからだ」と、極めて当たり前の答えを、きっちりと返された。また、「あなたは兵庫県の核戦争防止医師の会の会員ですね」とか「福島の子ども脱被ばく裁判で意見書を書いていますね」などの質問もあった。それに対する回答が仮に最終意見陳述書に書かれるとすれば、一体どのような脈絡でどんなふうに書くつもりなのだろうか、と疑問に思ったりもする。
 個別的にはY・Mさんの喫煙歴、飲酒歴、食生活についてこだわった質問が続けられた。食道がん発症についての他原因を印象付けようとする様子だった。これについては原告側代理人の再尋問の中で、健康的な飲酒習慣の範囲だったこと、20年間も喫煙してきている事実が示されて打ち返された。
 最後に左倍席の裁判官から、内部被ばくの経路について、Y・Mさんの飲酒状況について質問がなされた。内部被ばくの経路についてもう少し教えて欲しい、飲酒は大きな問題ではないことの事情を説明しておいて欲しい、といった質問の仕方で、今日の郷地先生の証言をもう一度丁寧にしっかりと確認しておきたいような印象だった。
 午後1時30分に開始された証人尋問は4時30分にすべて終了した。証言台の郷地先生は3時間に及ぶ尋問を終始立ちっ放しで応じられた。

 法廷終了後、大阪弁護士会館に会場を移して報告集会が行われた。

2・1郷地_convert_20190227210518

 証言台に立たれた郷地先生にとって今日の証言の原告はお二人とも自ら診療もされてきた人だ。それだけに二人への思いを胸に焼き付けながらの話になったとその心情が吐露された。また、裁判所にも、傍聴している人たちにも、内容がよく理解できるように、できるだけ分かりやすく証言するよう心がけたことなども語られた。そして証言の中で詳しく述べられた鎌田医師、七條先生らの研究と論文が発表されてきた経緯と、今その研究が立ち至っている現状についての紹介もされた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟のみならず、放射線被ばくの問題に挑んでいるすべての人たちに共通して関わる、重要な状況報告ではないかと思いながら聞くことになった。

2・1崔_convert_20190227210616

 主尋問を担当された崔弁護士、杉野弁護士からも感想と思いが述べられた。二人とも郷地先生とは何度も何度も打ち合わせを重ねて、十全な準備の上に今日の法廷を迎えられた様子が紹介された。私たちの側は内部被ばくを重要な争点としているが、国側は内部被ばくは徹底し避けようとし、あくまで放射線被ばくの机上の疫学データだけに拘る姿勢だ。しかし被爆者の健康障害は具体的に生じており、それを出発点に内部被ばくが原因であることをいかに裁判所に理解してもらうか、そこに注力してきたことが説明された。喫煙や飲酒は止めれば時間とともにリスクは減る。しかし内部被ばくの影響は生涯消えることなく反対に時間とともにリスクは高くなる。七條論文でプルトニウム239が確認されていることについて、国側はもはや何の反論もできないでいることを実感している。こうした感想意見も特に印象に残った。

 この日はいつもと違っていろいろな人たちが傍聴に参加していて、それぞれから感想も述べられた。原発賠償京都訴訟の原告団代表として闘っている萩原さんから、自身が原発事故で被災し京都へ避難してきたこと、訴訟は控訴審の段階で闘っていること、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の闘いが私たちの励みにもなり、勉強にもなり、勇気と元気をもらっていることなどが発言された。郷地先生と同じ東神戸診療所の松浦看護師長さんからは今日の尋問で、医療に携わる者として診療記録の大切さ、患者さんとのコミュニケーション含めた記録の大切さを強く思ったとの感想だった。傍聴に参加された司法修習生の青年からは、必死で訴えようとしている人、闘っている人たちの思いを肌で感じることができた。このことを多くの人たちに知ってもらいたいと感想を述べられた。
 ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟は昨年末の12月14日、最後の原告であった山本英典原告団長に対して東京高裁の勝訴判決が言い渡された。国はこの判決に対して上告することができず12月28日勝訴判決は確定した。東京訴訟はこれで32人の原告全員が勝訴を勝ち取って終結することになった。
 近畿訴訟も残る原告は第2民事部が7人、第7民事部が4人だ。第2民事部はこの日の医師尋問で2人の原告が後は最終意見陳述、結審の日を待つことになり、他の3人も最終意見陳述、結審の日の確定を待っている。2月20日には原告O・Hさん(男性、大阪市)の医師尋問が予定されており、それが終わると残された原告はN・Kさん(女性、神戸市)一人となる。第7民事部は2人の判決言い渡しが2月28日に迫っていて、他の2人は近々の2月8日(金)に最終意見陳述・結審が予定されている。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟も本当に大詰めを迎え、この2019年が重要な年になっている。
 最後は、藤原精吾弁護団長からの“今年を、流れを変える1年にしていこう”との呼びかけで報告集会を終了した。

2・1全体_convert_20190227210505

 2月1日(金)、アメリカ・トランプ政権が中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱を発表し、それに対抗して2月2日(土)にはロシアのプーチン政権も同条約の履行停止を表明した。1987年締結のINF全廃条約は世界が願う核兵器廃絶にはほど遠いものの、それでもこの30年間で両国は2,692発の核ミサイルと149箇所の発射場所を廃棄しており、核軍拡競争への歯止めと核軍縮への一定の役割を果たしていた。
 INF全廃条約の破綻は新たな核軍拡競争を招き、人類を再び核の脅威に覆われた世界に陥れていく可能性が高い。トランプ政権は昨年2月2日に「新しい核態勢の見直し」(NPR)を発表して多様な核兵器開発と核攻撃の選択肢拡大を表明していた。ロシア・プーチン政権も対抗して新たな戦略核システムの導入を発表していた。こうしたことを考えると新たな核軍拡は歴史上経験したことのない極めて重大で深刻な事態を招くことになる。アメリカ・トランプ政権とロシアのプーチン政権に対して強い抗議の声をあげていかなければならない。
 新しい核の脅威に直面する事態に対して、今こそ全世界の国々が核兵器禁止条約に加入し、断固とした姿勢と結束で、核に固執する勢力・国々を包囲、追いつめていかなければならない時だと思う。核兵器禁止条約を批准した国は現在21ヶ国。50ヶ国に至れば、核兵器は全面的に禁止される国際法となって執行されていく。そのことを願い、圧倒的な数の国々が加入することを強く訴えたい。
 核兵器禁止条約に背を向け、「段階的に核軍縮を進めていく」とか「核保有国と非保有国との間の橋渡し役を果たす」などとした日本の安倍政権の姿勢はまったくの妄言で、いかに無責任で無力なものであるかを今回のIMF全廃条約を巡る事態は明らかにした。日本こそ卒先して核兵器禁止条約に加入し、世界の国々に条約加入を呼びかけなければならないと私たちは繰り返し訴えてきたが、今日の事態においてあらためてそのことを強く求めていく必要がある。
 核の力に依拠しようとする者は、必ず核の残虐性・非人道性を覆い隠し、核の影響をできるだけ小さく軽く見せようとする。それに抗して私たちは核エネルギーが人々に何をもたらすか、その真実を徹底して明らかにしていく。それは、被爆者の救済をはかるためであるとともに、核の脅威から解き放たれる世界、社会を実現していくためでもある。
 そのことを銘記して2019年を頑張っていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 2月 8日(金)14:00  806号法廷 地裁第7民事部 最終弁論・結審
2019年 2月20日(水)13:30 1007号法廷 地裁第2民事部 医師、本人尋問
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
2019年 5月15日(水)11:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019.02.28 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(68)
10月31日(水)は2018年度最後の法廷
第7民事部の2人の原告の生涯に渡る闘病の放射線起因性を証言

2018年11月5日(月)

 10月31日(水)午前10時からノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第7民事部(松永栄治裁判長)の原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。第7民事部がいつも使用している806号法廷が、この日は都合が悪く、臨時に407号法廷に変えて行われることになっていた。407号法廷は傍聴席も20席ほどで狭く、代理人席も少ない。このため臨時の椅子を追加したりして準備に手間取り、結局予定を15分遅れての開廷となった。

 第7民事部は4人の原告中2人が9月27日(木)既に結審となっていて、判決言い渡しも来年2月28日(木)と決まっている。残り2人の原告が今回の尋問だ。その内の1人W・Hさん(男性、74歳、京都府在住)は一昨年の1月11日(水)奈良地裁への出張で本人尋問は行われている。もう一人の原告T・Ⅰさん(男性、75歳、京都府城陽市在住)がこの日の尋問対象だった。
 T・Ⅰさんは2歳1ヶ月の時、広島の爆心地から1.5㌔の距離の自宅前で直爆を受けた。被爆を境に病弱となり、成人後も数々の病魔に襲われ、それと闘いながら生きてきた。現在罹患している病気は主なものだけでも腎機能低下、糖尿病、慢性肝炎、痛風、狭心症、甲状腺腫瘍等々になる。さらに今回の尋問の中で、腎臓がん、膀胱がんの疑いも診断され、現在経過観察中であることも明らかにされた。満身に病気を抱えての人生と言っても過言ではない。
 T・Ⅰさんは2009年(平成18年)3月、糖尿病を申請疾病として原爆症認定申請をした。前年(2008年)に当時の「新しい審査方針」が公表されていて、糖尿病は積極的認定の疾病範囲ではなかったが、自分の被爆状況、既往歴、環境因子、生活歴等々が総合的に検討されれば、放射線の起因性は認められるはずだ、との確信を持っての申請だったのだと思う。「新しい審査方針」は翌年(2009年)6月、甲状腺機能低下症と慢性肝炎・肝硬変も積極的認定疾病に加えられた。そのため窓口である京都府の担当者とも相談の上、申請疾病に肝機能障害(後に慢性肝炎と書き変え)も追記された。しかし、結果は却下処分(2010年)。その後異議申し立て、そして棄却を経て、2013年(平成25年)10月の提訴に及んだ。
 T・Iさんは提訴の2ヶ月後、2013年12月に証言台に立って自ら意見陳述している。その時の裁判長は田中健治裁判長だった。今回の尋問まで提訴から5年の年月を費やした。その間第7民事部の裁判長は次の山田明裁判長、そして今の松永栄治裁判長へと代わり、3人の裁判長に訴え続けてきたことになる。

 本人尋問の主尋問は担当の中道滋弁護士によって進められた。母親から聞かされてきた被爆時の凄惨な状態、ひどかった急性症状の様子、成人後に襲われてきた疾病の数々のことなどが詳しく証言された後、申請疾病が最初は糖尿病で、後になって慢性肝炎が追記されたことの経緯・事情がより丁寧に語られた。国側から何か疑問や意見が主張されているのだろうか。申請疾病の糖尿病と慢性肝炎の放射線起因性について、国側は徹底して他原因論を主張しているようだ。そのことを想定しながら、あらかじめ他原因論に釘をさしておくような内容での尋問も行われた。

 反対尋問は想定通り結論を他原因に導く、そのことを特に印象づけようとするような内容で行われた。メタボ診断受診の有無、体型の変化、食事について、運動習慣について、果ては親からの遺伝の可能性までが細かく問い質された。食事のグラム数とか、ウォーキングの時間数集計まで質問される始末で、傍聴席で聞いていても苦笑を禁じ得ないほどだった。
 反対尋問の最後に、(積極的認定疾病の範囲となっていない)糖尿病をどうして申請疾病にしたのかと問われ、T・Ⅰさんは、担当医師とも相談し、私の糖尿病には原爆放射線が関係している、起因性はあると確信したからだ、と何ら躊躇することなく答えを返した。さらにT・Iさんは罹ってきた病気のすべてが原爆放射線の影響だと思っていると語気を強めた。

 午後からの証人尋問には河本一成医師(あさくら診療所所長)が証言台に立ち、W・HさんとT・Ⅰさん二人の原告についての証言が行われた。主尋問の最初は喜久山大貴弁護士が担当し、W・Hさんの疾病(申請疾病は慢性腎不全(IgA腎症))について尋問が行われた。W・Hさんの体調は難しい状況が続いていて、提訴以来一度も大阪地裁への出廷は叶わず、本人意見陳述は代読、本人尋問も住居に近い奈良地裁で行われてきた。W・Hさんは1歳4ヶ月の時に広島の爆心地から2.5㌔の自宅で直爆を受けた。全身にガラス片が突き刺さり、血まみれの状態で辛うじて助け出された。急性症状も発症し、子どものころから病弱だった。成人後も健康上の問題から14回も転職を余儀なくされるほどの人生だった。30歳代頃から高血圧、腎炎、高脂血しょうの治療を受けるようになり、2004年(平成16年)に「慢性腎不全(IgA腎症)」の確定診断を受けることになる。
 河本医師の証言は、W・Hさんの被爆状況、急性症状等から相当な被曝線量を浴びていることは明らかであり、申請疾病の慢性腎不全には被爆の影響、放射線起因性が認められる、ことから始まった。慢性腎不全の中でもW・Hさんの罹患しているIgA腎症は免疫性の障害によるものであること、その確定診断は腎生検によって行われたことなども専門的な言葉のやりとりの中で示されていった。
 国はW・Hさんの慢性腎不全を糖尿病性腎症だと主張しているようだが、糖尿病性腎症とIgA腎症との違いが説明された上で、糖尿病性腎症を主張することの誤りが指摘された。そもそもW・Hさんはこれまで糖尿病と診断されたことは一度もなく、血糖値データも糖尿病と言われるほどの水準にないことが示されている。さらに近年は慢性腎臓病と放射線被曝線量との関係を示す研究論文も報告されており、それらも具体的に示されていった。

 次に中道弁護士が担当してT・Ⅰさんの疾病についての尋問が行われた。T・Iさんの被爆状況、急性症状、その後の健康状態、病歴を踏まえた上で、糖尿病発症の放射線起因性を証明する根拠となる研究論文、研究者の見解が示されていった。慢性肝炎についても同様に放射線起因性を否定することはできない内容が証言された。
反対尋問はいきなり、河本医師が原爆症認定制度改善の支援活動に関わっていること、京都の「ヒバクシャ国際署名を広げる会」の活動に名前を連ねていることの確認から始まった。河本医師が特定の運動に関わっている人物であると印象付けでもするつもりだったのだろうか、と呆気にとられる。
 反対尋問は予定通り、W・Hさんの慢性腎不全は糖尿病性、T・Ⅰさんの糖尿病は生活習慣、慢性肝炎はB型肝炎という具合に、申請疾病の原因が他のところにあるという意見を基調に進められ、河本医師がそれらを一つひとつ覆す形で進められた。国の反対尋問で印象的だったのは、放射線影響研究所の研究報告LSS(被爆者寿命調査)では被爆者の死因で慢性腎臓病を有意な差とするデータは存在しない、という質問の時だった。河本医師は、LSSは既に亡くなった被爆者のデータであり、今を懸命に生きようとしている人を評したり、これからどのようなことが起こってくるのか分からないことについて、それをもって断定することはできないと切り返された。まったくその通りだ。放射線の人体に与える影響は全体の5%程度しか解明されていないと言われるのが現実。被爆者の被った凄惨な被爆体験や、身の上に起こった急性症状、病魔の数々こそが基本に置かれるべきで、個々のデータだけを切り取ってあれこれ論じるようなことなどあってはならない。
 証人尋問は午後2時30分に終了した。

10・31全体2_convert_20190227210306

 今回の二人の原告について最終弁論期日・結審の日を2019年2月8日(金)午後2時からとすること、その1週間前の2月1日までに双方とも最終準備書面を提出することが確認されて、第7民事部のこの日の法廷は終了した。
 実はこの日は、引き続いて午後3時から第2民事部の弁論期日にもなっていて、双方の代理人も、私たち支援者も、この後急いで10階の1007号法廷に移動することになった。
 ただ幸いにも(?)この日の第2民事部(三輪方大裁判長)は双方の準備書面提出の確認だけで口頭意見陳述などはなく、後は進行協議で今後のことを決めるという扱いになり、早々に閉廷となった。

2・8喜久山_convert_20190227210817

 午後3時30分から大阪弁護士会館で報告集会が開催された。この日証言されたT・Iさん、河本医師、そして主尋問を担当された喜久山弁護士からそれぞれあいさつがあり、最後の判決の日まで頑張る決意が述べられた。集会参加者全員が拍手で労った。T・Iさんはそもそもの認定申請の日まで遡れば判決の出る頃にはほぼ10年という年月を刻むことになる。「10年前の申請ともなると、一体何を書いたのだろうと忘れるぐらいです」と、この日までの時間の長さを率直に述懐された。

10・31和田_convert_20190227210335

 和田信也弁護士から進行協議の内容―第2民事部の今後の予定が報告された。
 第2民事部は全員で7人の原告だが、Åさんと高橋一有さんは10月17日(水)に本人尋問、証人尋問を終え、後は結審の日に備えるまでになっている。
 2月1日(金)にY・MさんとY・Iさん二人の医師証人尋問が決まった。証人は郷地医師。
 続いて2月20日(水)にO・Hさんの本人と医師証人尋問も行われる。証人は穐久医師。
 Y・Mさんの被爆の事実を証明する証人尋問も1月24日(木)岐阜への出張で行われることになった。
 これで第2民事部の残された原告はM・Yさん、N・Kさんの二人だけとなる。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟も本当にいよいよ大詰めとなりつつあることを実感する。

10・31尾藤_convert_20190227210422

 尾藤喜廣弁護団幹事長によると、弁護団からの強い働きかけで裁判所も積極的に期日を設定してくれているとのことだ。当然そのタイトな日程に合わせて書面提出も求められる。大変なことだが弁護団も全力を挙げて頑張りたいとの決意が述べられた。支援の私たちにも一層の奮闘が呼びかけられて、この日の報告集会を終えた。終了時間は午後4時30分。朝10時から6時間30分かけての一日だった。弁護士会館を出る頃はそろそろ夕闇を感じさせる街の色になっていた。

 この日の法廷で2018年の期日はすべて終了した。この1年を振り返ると、口頭弁論のなかった日も含めて12回の期日があった。年明け早々の1月16日(火)、高裁第13民事部において6人の原告に対する判決言い渡しがあった。甲状腺機能低下症の3人の原告に対して一審勝訴判決が維持され、控訴審においても甲状腺機能低下症の放射線起因性が認められる大きな成果があった。しかし後の3名は敗訴となり不当判決に悔しい思いもした。その一週間後の1月23日(火)には地裁第7民事部で宮本義光さんへの判決が言い渡された。申請疾病が狭心症の原告に対して原告側主張がほぼ全面的に受け入れられた完勝の勝訴判決だった。宮本さんの判決に対してその後国側は控訴もできず、判決は確定した。積極的認定範囲ではない狭心症に対しての勝訴判決は大きな意味を持つことになった。
 その後も、第2民事部、第7民事部とも弁論が重ねられ、第2民事部の原告二人を除いて全員の本人尋問、医師証人尋問が行われ、または予定期日が定められるまでに至った。いくつかの期日では法廷内でスクリーンに画像を写し出しながらの陳述も行われ、あらためて被爆の実相を視覚にも訴えてより分かりやすくするなど、工夫も行われた2018年度だった。
 ただ、1月の控訴審で敗訴となった3人の原告はその後の上告が全員棄却(9月)される事態となった。敗訴が確定することにはなったが、N・Mさん、T・Iさん、そして原野宣弘さん3人の被爆の実相、ノーモア・ヒバクシャ訴訟にかけられた思いと行動は、いつまでも忘れない、記憶と記録に残していきたい。
 2018年は、前年の核兵器禁止条約採択とICANのノーベル平和賞受賞に続いて、朝鮮半島の南北首脳会談、米朝首脳会談の開催と朝鮮半島の非核化に向けた動向など、平和に向けて世界が大きく歩み出す中でのノーモア・ヒバクシャ訴訟でもあった。日本の政権がどれほど禁止条約に背を向け、東アジアの平和に消極的であっても、私たちは世界の人々と共に手を携え、平和に向けて歩む大道を創り出してきた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟を通じて核兵器の残虐性、非人道性を訴え、その勝利によって核の被害者救済の必要性をアピールしてきた。
 迎える2019年は判決の集中する年になりそうだ。長く闘われてきた裁判の成果を一つひとつ確実に実らせていく年にしていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 2月 1日(金)13:30 1007号法廷 地裁第2民事部 医師証人尋問
2019年 2月 8日(金)14:00  806号法廷 地裁第7民事部 最終弁論・結審
2019年 2月20日(水)13:30 1007号法廷 地裁第2民事部 医師、本人尋問
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
2019.02.27 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(67)訂正版
第2民事部で原告本人尋問と医師証人尋問
今も被爆者の体内で被曝し続ける内部被曝の深刻な実態を証言!

2018年10月23日(火)

 10月17日(水)午後1時10分からノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第2民事部(三輪方大裁判長)の原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。第2民事部は7人の原告が係属となっているが、この日の尋問はAさん(大阪府河内長野市、75歳)と高橋一有さん(兵庫県三木市、77歳)の原告2人。この内Aさんは昨年(2017年)1月4日自庁取り消しによって既に原爆症認定は受けており、国家賠償を引き続き求めて争ってきた。
 本人尋問の最初はAさん。主尋問は担当の愛須勝也弁護団事務局長によって進められた。Aさんは2歳の時、広島の爆心地から3.1㌔の距離で被爆していたが、昭和51年(1976年)に交付された被爆者手帳では、何かの事情で距離が4.1㌔と間違った記載となっていた。平成6年(1994年)胃がんが見つかり胃と脾臓の全摘手術。平成7年(1995年)に原爆症認定申請をしたが却下処分された。この時の心境を、残念だったけど、国が精査して、「放射線の影響ではないと言ってくれた」のだと思い、半ばホッとしたのも正直なところだったようだ。
 しかし、手術以降、淡路さんは普通に食事することも難しくなり、投薬、食事療法治療も余儀なくされ、今に至るもその辛い状態が続いている。そうした中、平成20年(2008年)に原爆症認定の新しい審査方針が策定され、3.5㌔以内の被爆は積極的認定対象となることを知った。これなら私も認定されるのではないかと思い、元々間違っていた被爆者手帳の被爆距離を3.1㌔に訂正するよう申し立て、その上で再度の認定申請をした。ところが理由も分からないまま2回目も却下処分となった。平成22年(2010年)異議申し立てをして、その過程で初めて今度は要医療性がないとの理由で却下されたことを知った。
 Aさんにとってとても納得できることではなかった。今なら3.1㌔だから認定されているはずなのに、今度はがんの発症が古過ぎてもう要医療性がないから認定しないなどと、あまりにもひどい措置だ。胃がんは原爆の放射線が原因で発症した。手術の後は健康的な食事も、暮らしもできなくなり、生きる希望としてきた仕事も辞めざるを得ず、たくさんのものを奪われてしまった。その後、自庁取り消しによって原爆症は認定されたけど、ここに至るまでの国の責任は免れるものではない。
 最後に裁判所に話しておきたいことはないかと問われて、Aさんは、こうして裁判官に話せるだけでも嬉しいことだ。他にもたくさんの被爆者が健康を損ない、不安を抱えて生きている。そうした人たちにも優しい判断をして欲しいと訴えられた。
反対尋問は一言もなされないまま、Aさんの本人尋問は終了した。

 続いて高橋一有さんの本人尋問に移り、主尋問は担当の小瀧悦子弁護士によって行われた。高橋さんは、原爆投下から3日後の8月12日、母親に連れられて長崎市内の三菱造船幸町工場付近、そして竹の久保まで入市し、そこで一晩を過ごした。まだ4歳の時だったが、近くの公園で湧き水を飲んだり野イチゴを食べたりしたことは記憶している。小学校に上がる頃から化膿しやすい体質となり、予防接種の注射でも化膿し、発熱するほどひどいものだった。高橋さんは27歳の時右目を失明した。最初は軽い結膜炎だろうと言われていたが、症状は悪化しそのまま失明に至った。医者にも原因が分からないままだった。
 国側は、高橋さんには糖尿病があって、それが原因で申請疾病の心筋梗塞を発症したと主張しているようだ。その根拠に平成9年頃入院していた病院の記録が持ち出されている。しかし、実際には糖尿病と診断されたことは一度もなく、治療や投薬の体験もまったくない。その辺りの実情が細かく、丁寧に質問され、解き明かされていった。高橋さんは平成10年(1998年)、57歳の時に心筋梗塞を発症した。その治療は今も続いており、入退院も繰り返している。字を書いたり読んだりするのもつらくなるほど、日常生活のしんどさは深刻なものになっている。

 平成23年(2011年)に原爆症認定申請、そして却下処分。高橋さんは当初、被爆していることを娘さんには内緒にしていた。また、他の人の原爆症認定裁判の様子を見ていて、本人尋問であんなに問い質されたりするのは耐えられないと思い、裁判することを一旦は止めようと思った。しかし、被爆者が原爆による苦しみをテレビカメラの前で話している姿などを見て、「原爆の被害をなかったことにされて、自分はこのまま諦めていいのか」と考えるようになった。原爆の被害に遭ったことを黙っていると、多くの被爆者はこれからどうなっていくのか。原爆の被害で苦しんできたことを裁判所にきちんと訴えて、認められるようにしなければならないと強く思い、氏名も明らかにして、裁判に訴える決意をしてきた経緯も語られた。
 反対尋問は、入市した時の様子、病院の看護記録のことなど、細々としたことに終始した。裁判長からの尋問の中で、高橋さんのお母さんも実は子宮がんで原爆症認定を受けていたことが明らかにされた。

10・17穐久_convert_20190227210220

 休憩の後、医師証人尋問が行われた。証人は西淀病院副院長の穐久英明医師。引き続き小瀧弁護士によって主尋問はすすめられた。最初に、高橋さんの被爆状況から残留放射線によって外部被曝、内部被曝していることが考えられると証言。その内特に内部被爆については、長期間にわたり局所的に高濃度の被曝を起こすこと、身体に深刻な影響を与えるものであることなど、その危険性が分かり易く説明された。具体例として鎌田論文が紹介された。爆心地から4㌔の距離で被爆した女性の肺組織内で53年にも渡ってウラニウム粒子からα線が出続けていることを確認した論文だ。このα線の飛跡はさらに肺がん部では非肺がん部より10倍も多くなっていることが確認されていて、α線ががん発症に影響していることも示している。
 国側は、高橋さんの被曝線量は0.000004グレイを下回ると主張しているようだ。それはあくまで初期放射線の外部被曝線量のことでしかない。これに対して穐久医師は、内部被曝はどのような放射性物質をどれだけ取り込んだのかはまだ明らかにすることができないもので、局所的に高濃度の被曝をもたらし、そして長期間体内に止まって被曝し続けるので、たとえ推定であっても被曝線量を示すことなど不可能なのだと説明。高橋さんの被爆時の行動やその後の症状などから、決して低線量などではなく、相当な量の被曝をしているはずだと明言された。
 心筋梗塞の放射線起因性の根拠については、穐久医師の書かれた意見書に基づいて尋問と証言が行われていった。意見書ではLSS(放射線影響研究所の被爆者寿命調査)第13報から心筋梗塞、脳卒中、消化器官、呼吸器官などの非がん疾患による死亡について、放射線が影響していることが明らかにされている。次に、AHS(同じく放射線影響研究所の被爆者成人健康調査)第8報から高血圧、心筋梗塞について放射線の影響があることも明らかにされている。さらに、清水論文からは心疾患については放射線量の閾値はないことも報告されており、そしてそれまでの放射線影響研究所の研究を総括的にまとめて報告された非常に重要な報告だとされている赤星報告から、高血圧、高脂血症にも放射線被曝が関与していて、それによって心・血管疾患が増加したという機序も明らかにされていることが証言されていった。
 国側は、高橋さんには高血圧症や脂質異常などの危険因子があり、心筋梗塞は原爆放射線によって発症したとは言えないと主張しているようだ。しかし、高血圧、脂質異常発症そのものに、放射線被曝との関連が認められるとAHS8報や赤星報告は報告している。高血圧、脂質異常をもって放射線起因性を否定することはできないし、むしろ、今や放射線によって高血圧や脂質異常が引き起こされていると考えられるようになっているのだ、と国の主張ははっきりと退けられた。
 高橋さんが子どもの頃から化膿しやすい体質だったこと、27歳の時に右目を失明したこと、その後僧帽弁狭窄症と診断され手術していることなど、いずれも原爆放射線による影響と考えざるを得ず、高橋さんの病歴の一つひとつが被曝の深刻さを表している。
さらに、高橋さんは平成10年(1998年)の心筋梗塞発症以降、ステントとバルーン形成術を繰り返し行ってきたが、それにも関わらず心臓血管の狭窄を次々と発症し続けている。内部被曝は体内に放射性物質がとどまるので、排出されない限り、何十年も被曝が続く。高橋さんの場合も、体内に取り込んだ放射性物質がずっと血管に影響を与え続けているのではないか、との証言だ。被爆者の被曝は73年前の過去のことではない。今も、体内に入り込んだ放射性物質が体の内から被曝し続けている事実。あらためて深刻な、呪わしい現実を突きつけられたような証言だった。
 反対尋問は、依然として高橋さんの被曝線量はどの程度だと思うのかとか、被曝影響の可能性があるだけで起因性を認めるのか等々、これまでも繰り返されてきた質問が並んだ。その中で、穐久医師の意見書の中で採用された赤星報告について、当の赤星氏本人の意見書なるものが持ち出された。それによると「赤星報告は一つの仮説を示したものであり、科学的に証明されたものではない」というのが内容らしい。赤星氏が自らの報告論文を否定する、自らの研究成果を地に堕とそうとするような意見書だ。これに対して穐久医師は、赤星報告は既に権威ある雑誌でジャッジされ、論文は評価されて業績になっているものだ。自ら否定するとは、自らに唾する行為だと、研究者が国の意向におもねって裁判のためにこのような意見書を出すことを厳しく批判された。
 本人尋問、医師証人尋問を終えて、本当なら最終弁論、結審の期日も今日決められるはずだったのかもしれない。しかし、国側が高橋さんの糖尿病に関する病院記録にこだわってさらに調べたいという意向を持ち出したため、具体的な結審期日を決めるまでには至らなかった。国側は裁判をまだ引き伸ばすつもりなのか、と釈然としない思いを残して閉廷となった。

10・27全体_convert_20190227210158

今日は開廷が午後1時10分で閉廷したのは5時前。久しぶりに半日みっちりと時間をかけての法廷だった。いつもは大阪弁護士会館に移動して報告集会が行われるのだが、今回は弁護士会館の会議室がとれなかったため、「エル・おおさか」まで移動しての報告集会となった。私は今回は都合悪く報告集会には参加できなかったため、兵庫県原水協の祝教允さんに後を託すことにした。
以下、祝さんの報告集会報告の要約です。
4時間30分を超える、長い法廷が終わった後、報告集会をこれまで利用していた大阪弁護士会館を変えて、北浜東にある大阪府立労働センター「エル・おおさか」で行われました。
 はじめに、原告のAさんと高橋一有さんが、「弁護士さんをはじめ支援のみなさまの熱心なご援助いただき本当に感謝にたえません」とそれぞれ挨拶され、「今後とも熱いご支援をお願いします」と訴えられました。
つづいて本人尋問と穐久医師の証人尋問をおこなった愛須弁護士と小瀧弁護士が挨拶を行いました。とくに小滝弁護士からは穐久先生の証人尋問の準備に当たっては、幾度となく打ち合わせを行い、先生はその都度応じていただいたことにお礼と感謝を述べられました。

10・27尾藤_convert_20190227210237

 最後に尾藤弁護士から、「係属部の地裁第2民事部としては初の判決となるため、裁判所は力が入っているように見える。しかし、法廷で裁判長が『どうせ、控訴するでしょうが・・・』と発言し、すぐに撤回はしたものの、その発言の意図がどこにあるか疑問が残るが、腹の座った判決を出させるよう、署名や傍聴動員を強めることが重要だ。判決は全国からも注目されており勝利するために頑張ろう」と呼びかけました。
 あわただしく落ち着かない報告集会でしたが、各支援団体からの決意と開催行事等の案内・報告が行われて、この日の報告紹介を終えました。この中で、兵庫県原水協からは、高砂市と播磨町の議会で「日本政府に核兵器禁止条約調印を求める決議」全会一致で採択されたこと、豊岡市長が「ヒバクシャ国際署名」に応じたことの報告が行われています。

 10月9日(火)、アメリカが昨年12月に未臨界核実験を行っていたことが報じられた。10月20日、米・トランプ大統領が1987年締結の中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱する意向を表明した。昨年、世界の国々が核兵器禁止条約を締結し、文字通りの核廃絶に向けて懸命な努力を重ねている時に、ほとんど狂気の沙汰としか思えない。私たちはもっともっと強い抗議の声をあげ、アメリカを含む核保有国、核に固執する勢力を包囲し、追い詰めていかなければならない。アメリカ・トランプ政権の核兵器政策については既に少なくない国の政府が懸念を表明し、率直な批判も明らかにしている。 “世界で唯一の被爆国”を標榜し、核兵器による惨劇を誰よりもよく知っているはずの日本政府の態度はどうか。アメリカに対しても、ロシアに対しても核廃絶への政策転換を最も強く主張すべき政府のはずなのだが。
 人間として二度と繰り返してはならない被害を受けた被爆者。その被爆者に真正面から向き合い、被爆者に寄り添う姿勢を持たなければ、本当に核廃絶に向かおうとする道、政策は生まれてこない。ノーモア・ヒバクシャ訴訟を通じて、私たちはそのことを求め、実現していきたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年10月31日(水)10:00  407号法廷 地裁第7民事部 本人・医師尋問
2018年10月31日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 1月30日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
2019.02.27 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top