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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(71)
2月28日(金)、第7民事部の二人の原告に判決言い渡し
国の認定基準の誤りを明確にして一人の原告が勝訴!
しかし一人の原告には詳細な被爆状況の立証を課して不当判決!
2019年3月2日(土)

 2019年2月28日(木)、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第7民事部(松永栄治裁判長)の2人の原告の判決言い渡しの日を迎えた。一人はK・Sさん(男性、92歳、京都市在住、18歳の時8月6日に広島入市、申請疾病は狭心症)、もう一人は苑田朔爾さん(77歳、神戸市在住、3歳の時長崎の爆心地から4.2㌔で直接被爆、15日に爆心地まで入市、申請疾病は前立腺がん)。昼過ぎの12時20分、裁判所前の西天満若松浜公園に集合して冷たい雨の中短時間の判決前集会を開催。その後入廷行進していつもの806号法廷に向かった。K・Sさんは体調がとても悪くて今回も出廷は叶わなかった。苑田さんも現在長崎の病院に入院中だが、今日だけはと病身をおして朝早くから大阪に向かい、判決前集会から姿を見せられた。

事前集会_convert_20190317111218

西_convert_20190317111301

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 第7民事部は昨年4月から今の松永裁判長に裁判体が変わり、松永裁判長の下で迎える初めての判決だ。
 K・Sさんは8月6日広島に原爆が投下されたその日に軍隊命令で入市、翌日から原爆ドーム付近など爆心地そのもので1週間近くも救援活動に当たった。申請疾病の狭心症は、昨年1月23日、同じ第7民事部で宮本義光さんが「完勝」と言われたほどの勝訴判決を受け、国は控訴もできなかった。昨年12月14日には東京高裁で山本英典さんが同じく狭心症の勝訴判決を受け確定している。もはや狭心症については司法判断も揺るがないのではないか、と思う。苑田さんは申請疾病は前立腺がんだが、直爆が4.2㌔、入市が6日後の8月15日と国が勝手に決めた積極的認定基準の線引きから外れる。そのため昨年の医師証人尋問では特に残留放射線の危険性、内部被ばくの重大なリスクが詳細に証言され、徹底して主張された。最終意見陳述では原爆投下直後の広島・長崎の惨状を絵や写真をスライドにして映し出し、苑田さんらの被った被害状況をリアルに再現して見せるなどの努力も行われた。
 負けるはずがない、二人とも必ず勝訴だと確信をもって開廷を待った。

旗出し_convert_20190317111600

 午後1時10分開廷。裁判長からただちに主文が読み上げられた。最初のK・Sさんについては「認定申請の却下処分を取り消す」とはっきりと聞きとれた。勝訴だ。続いて苑田さんもと期待して待ったが、しかし「却下処分を取り消す」の言葉は続かなかった。傍聴席の私たちには「請求を棄却する」ともはっきりとは聞きとれなかったのだが、どうも認められなかったようだ、の感触だけが伝わってきた。
 なんでや???の思いを抱きながら法廷を出て、正門前の旗出し場面に足を運んだ。久米弘子弁護士、喜久山大貴弁護士によって掲げられた旗出しは「勝訴」と「厚労省は原爆症認定制度を改めよ」。K・Sさんは勝訴だから「勝訴」の旗出し。しかし「全面勝訴」とはならなかった。旗出しと共に挙げるシュプレヒコールも満面の笑みを伴ってとはならず、複雑な思いを噛みしめながらの唱和となってしまった。

愛須_convert_20190317112358

 近くの中之島中央公会堂会議室に会場を移して午後2時から報告集会が始められた。判決文の分析途中から会場にかけつけた愛須勝也弁護団事務局長によってまず、判決内容についての報告が以下のように行われた。
 K・Sさんは8月6日の夜に広島入市、翌日から爆心地周辺で1週間救護に当たり非常に濃厚な被ばくをしたことは明らかだった。もしこれで認定されなければ入市被爆者や救護被爆者は一人も認定されないことになってしまう。申請疾病の狭心症についても国の主張はすべて退けられて放射線起因性が認められた。国は狭心症についてはこれまで徹底して争う姿勢をとってきて、最近は同じ狭心症でも安定狭心症と不安定狭心症とがあるなどとして、安定狭心症には放射線被ばくとの関連性はないと主張していた。K・Sさんは医師意見書で安定狭心症の方だとされていた。しかし判決はそもそも狭心症を安定狭心症と不安定狭心症とに区別すること自体に意味がないとして国の主張を退けた。したがって狭心症も心筋梗塞と同じ機序で発症するのであり、積極的認定疾病と同じように扱うべきだとの判決だった。脂質異常症や高血糖、加齢といった他原因も国は主張していたが、これらもすべて排斥された。12月の東京高裁判決に対して国は上告もできなかった。狭心症についてはもう争いようがない。国の認定基準を変えざるを得ない=狭心症も積極的認定疾病の範囲に加えなければならない、そのような積極的側面をもった判決だった。
 一方の苑田さんに対する判決では、一般論としての残留放射線や内部被ばくの健康障害に及ぶ機序、影響、可能性は認めた。しかし苑田さんの被爆状況は、4.2㌔の距離での直接被爆であり、6日後の8月15日に爆心地を2時間程度通過したに過ぎないとされ、初期放射線による被ばく線量は無視しうる程度に僅少、残留放射線による被ばく影響は限定的なものに止まるとされた。健康影響を及ぼすほどの相当程度の被ばくをしたと認めるにはなお合理的な疑いが残るという判決だ。苑田さんは3歳の時の被爆だから当然本人の記憶はない。急性症状も母親から聞いたものだ。被爆した後の行動についても詳細な供述、証言はできない。より高線量の放射線を浴びたという事実認定はできないから認められないというわけだが、とても納得できる判決ではない。従来の判決では多少立証の不十分さを残すことはあっても勝つことはできていた。しかし今回はそうはならなかった。あらためて今回の判決の詳細な分析が必要となっている。
 安倍首相は先日の国会答弁で原爆症認定制度・基準を変えるつもりはなく、裁判の判決にはきちんと対応していくと強弁した。あくまで訴訟を前提とした考え方だ。裁判できる人は認定され、できない人は泣き寝入りするしかない不公平行政を常態化させるものだ。被爆者の高齢化の進行は被爆状況の証明・証言をますます難しくしていく。認定申請したくてもできない人が増えていく。こうした認定制度の現状を改革していくために、今回の判決もこのまま終わらすわけにはいかない。控訴して、高裁で何としてもひっくり返していこう。勝訴したK・Sさんは92歳の高齢だ。国に対しては控訴するなと働きかけ、今日の判決を確定していくことが必要だ。

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 愛須弁護士の説明の後で原告団・弁護団・支援ネットワーク連名の声明が紹介され、和田信也弁護士によって読み上げられた。内容の多くは愛須弁護士の説明と重なるが、原告2名の内1名が敗訴という判決ではあっても全体としては被爆者の実態に即して原爆症認定行政を進めるべきことを示した判決で、有意義なものであると強調された。そして、国に対して3つのことを求めた。①国は「新しい審査の方針」の誤りを認めて、変更し、全原告を救済すること、②被爆者援護法と原爆症認定の在り方の抜本的改革をすること、③核兵器禁止条約に加入して、核兵器廃絶国際運動の先頭に立つこと。

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 記者会見などを終えて途中からに報告集会に参加してきた弁護士、原告の苑田さんから挨拶と報告が行われた。苑田さんを担当してきた中道滋弁護士からは残念で悔しい、という思いと共に控訴審に向けて何としても頑張りたいとの決意が表明された。今朝長崎から駆け付けた原告の苑田さんは、判決を聞いてから気落ちはしているが、しかしこのまま引き下がったのでは国の思う壺だ、また気を取り直して頑張っていきたい、アグレッシブルに、ポジプティブに、と自身を奮い立たせるような心情が述べられた。とても気丈で、法廷で証言された時と同じように力強い声だった。聞いている私たちの方が反対に励まされるような挨拶だった。

中道_convert_20190317112144


藤原_convert_20190317112539

 藤原清吾弁護団長からあらためて報告とこれからに向けて提起が行われた。今回の判決は、基本的にはこれまで国がやってきたことを退ける判決だった。安倍首相が現行認定基準は最新のものだなどと言ったりしているが、裁判所はそれを退け、行政は間違っていると判断した。認定制度の改革が必要なことはさらに明らかとなった。
苑田さんの敗訴は被爆の事実について細かい証拠がないからというのが理由だが、これについては、そもそも被爆者に細かな証明を求めること自体が不当なことなのだとしっかり批判、反論しなければならない。この点は今後の大きな争点にしていきたい。私たちは裁判官にもう少しプレッシャーをかけていくことが必要だ。被爆者援護法に基づいて如何にして被爆者を援護していくのか、大きな視点から被爆者に向き合う姿勢を持つよう裁判官に求めていきたい。

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 今日の判決の教訓をしっかりと受け止めて、不当な判決は絶対に許さない闘いをすすめていこう。余命も少なくなりつつある被爆者が今もって裁判に訴えている現状を多くの人々にも訴えて、社会的な世論もあらためて盛り上げていこう。
支援ネットワークや報告集会参加者から苑田さんに花束が贈呈され、ねぎらいと激励の拍手が贈られた。今日出廷できなかったK・Sさんには、代理人として久米弁護士に花束が手渡された。K・Sさん宅には判決後すぐに勝訴の知らせが届けられていて、ご家族の喜びの声も紹介された。花束は翌日の3月1日(金)、K・Sさんの自宅に届けられている。

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 最後に尾藤廣喜弁護団幹事長から報告集会のまとめと閉会の挨拶が行われた。この中で特に二つのことが強調された。一つは、国の主張は最近他原因に重きを置くようになっているが、この点について判決は、他原因の要素は極めて限られたもので、放射線の原因こそが基本であることを示した。また他原因と放射線被ばくとが相まって病気が発症した場合であっても原爆症と認めるべきだとした。厚労省のとっている態度、基準は明確に否定されたのだ。一日も早く認定制度を変えなければならない。もう一つは記者会見の席上で、国家賠償が認められないことについてどう思うかと質問された。私は同感だと思った。国はこれだけ裁判で負け続けながら認定基準をあらためず、意図的に切り捨て政策をとり続けている。裁判所はもっと強く認定制度をあらためるよう国に言うべきで、そのためには損害賠償を認めることが重要ではないかと思う。そのように記者には回答した。
被爆者に立証不可能なことを強いるような判決は変えていかなければならない。そのための努力をもっとしていく必要がある。さらに運動を続けていこう。

 午後3時30分に報告集会を終了し、解散となった。朝からの雨は上がっていた。
 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟はこれから最終意見陳述・結審、そして判決言い渡しと、おそらく年内いっぱいまで重要な法廷が続いていく。気を緩めず、今日の判決も重要な教訓として、須頑張っていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年4月26日(金)13:10 1007号 地裁第⒉民事部 N・Kさん本人尋問・医師証人尋問
2019年5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述
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2019.03.17 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
2019年2月28日
ノーモア・ヒバクシャ訴訟大阪地裁判決についての声明
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿原告団・全国弁護団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿弁護団・全国弁護団連絡会
ノーモア・ヒバクシャ訴訟支援近畿ネットワーク

 本日、大阪地方裁判所第7民事部(松永栄治裁判長)は、原告2名のうち1名について原爆症認定申請の却下処分を取り消し、もう1名の請求を棄却する判決を下した。

 本訴訟は2013年12月16日に改定した「新しい審査の方針」によってもなお、原告らの原爆症認定申請は認められないとして国(厚労大臣)が争ってきた事案である。
 今日の判決はこの「新しい審査の方針」が定めた原爆症認定基準が誤っていることを再度明確にしたものである。このことは、被爆者が原爆症認定を受けるためには裁判を起こさなければならないという異常な事態がなお、続いているということを示すものである。

 判決は、初期放射線による外部被曝だけでなく、残留放射線、すなわち、誘導放射線や放射性降下物が放出する放射線による外部被曝及び内部被曝の可能性も考慮に入れ、当該被爆者の被爆状況、被爆後の行動・活動内容、被爆後に生じた症状等に照らし、当該被爆者が健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認められるかどうかを個別具体的に検討する必要があるとした。

 そして、狭心症については、動脈硬化性の狭心症と心筋梗塞とは、粥状動脈硬化症を主因とする虚血性心疾患であるという機序において何ら異なるところがないことから、動脈硬化性の狭心症について、放射線被曝との関連性を一般的に肯定した。また、被告の主張する安定狭心症と不安定狭心症を区別するという主張や、他原因の主張を退けた。

 一方、敗訴原告については、前立腺がんの放射線被曝との関連性を認めたものの、被爆地が4.2㎞離れていたこと、入市が6日後であったことなどから、相当程度の被曝をしたとは認めなかった。また、判決は、原告が内部被曝をしていた可能性を認めながら、被曝当時3歳であった原告の立証の困難性を無視し、放射性降下物の影響を過少評価した。これらは、被曝の程度の証明を被爆者に強いるものであって、甚だ不当な判決である。

 本日勝訴した原告は、90歳をこえ、本日出頭することはできなかった。このように原告が高齢化する中で、本日の判決に対して国が控訴してさらに裁判を強いることは人道上も絶対に許されない。

 本日の判決は、2名の原告のうち1名を勝訴させたものであるが、その内容は新しい審査の方針を否定し、被爆者の実態に即して原爆症認定行政を進めるべきことを示した判決であって、有意義なものである。にもかかわらず、国は破綻した原爆症認定制度の運用にしがみついている。国は被爆者の実態を無視した態度を早急に改め、核兵器の非人道性の生き証人である被爆者の立場に立った原爆症認定行政に根本的に転換すべきである。

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 判決にあたり、ノーモア・ヒバクシャ訴訟原告団、全国の被爆者、弁護団は、国及び厚生労働省に対して、以下のことを求める。

1 「新しい審査の方針」の誤りを認め、これを変更し、全原告を救済すること
2 被爆者が「裁判をする必要がないように」被爆者援護法と原爆症認定の在り方を抜本的に改め、被爆者の命あるうちに問題を 解決すること
3 唯一の原爆被爆国として核兵器の非人道性を国際世論に訴え、核兵器禁止条約に加
 入し、核兵器廃絶国際運動の先頭に立つこと
以上
2019.03.01 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(70)
第2民事部も原告7人全員の尋問と最終意見陳述日程が確定!
6月15日「近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」を勝利を決める日にしていこう!

2019年2月23日(土)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟はこの2月、4回の法廷が予定されている。2月1日(金)は第2民事部で東神戸診療所所長の郷地秀夫先生の医師証人尋問が行われた。翌週の2月8日(金)には第7民事部で二人の原告の最終意見陳述が行われ、2月20日(水)は第2民事部で原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。最後は2月28日(木)第7民事部で二人の原告への判決言い渡しが行われる。近畿の訴訟もいよいよ大詰めであることを実感しながら毎回の法廷に足を運んでいる感じだ。
 2月8日(金)の第7民事部(松永栄治裁判長)はT・Iさん(男性、京都府城陽市、74歳、2歳の時2.0㌔で直爆、申請疾病は慢性肝炎と糖尿病)とW・Hさん(男性、京都府木津川市、74歳、1歳の時2.5㌔で直爆、申請疾病は慢性腎不全(IgA腎症))の最終意見陳述だった。二人とも提訴は2013年10月だから5年半をかけてやっと今日に至ったことになる。
最初のT・Iさんは用意された陳述書を、読み上げる形で、もう一度被爆時の状況、被爆後の状況、急性症状、その後今日に至るまでの闘病の日々を、簡潔だが思いを込めて述べていった。その上で厚生労働省の審査のあり方については強い疑念と憤りをぶつけるような陳述だった。認定申請は平成21年3月(2009年)だったが最終的に異議申し立てが棄却されたのは平成25年(2013年)4月。なぜ4年以上もの長い年月放置され待たされなければならなかったのか。そして、やむを得ず裁判に訴えた後になってから慢性肝炎の追加資料(検査データやカルテなど)提出が求められた事実。認定申請却下処分や異議申し立て棄却処分は一体何をもって判断されたのか、強い疑問を抱かざるを得ず、医療分科会の審査が適切に行われていなかった表れではないか、と厳しい口調で批判した。

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 T・Iさんは、健康上の苦しみだけでなく、被爆したことでの精神的苦痛、不安や悲しみ、怒り、そして子どもの将来についても不安を抱えながら生きてきたことを語り、裁判所に正しい判断を下されるよう訴えて陳述を締めくくった。
 続いてもう一人の原告W・Hさんは出廷の叶わない体調であるため、代わりに代理人の喜久山大貴弁護士によって陳述が行われた。この訴訟の意義が述べられ、他原因によって放射線起因性は否定できないことを主張し、「8・6合意」とこれまで蓄積されてきた司法判断に背く厚労省認定行政の実態が批判された。原告のW・Hさんは2017年1月に奈良地裁で本人尋問を受けているが、その後W・Hさんの体調はより深刻さを増している状況にも触れられた。そして最後にW・Hさんから弁護団に届けられた手紙が紹介されて、強い本人の思いが訴えられた。その内容は次の通りだった。
 私は、一昨年以来、不整脈・心房細動がひんぱんに起こり、危険な状態に何回もなり、このままでは心不全・心筋梗塞になる恐れが大ということで昨年5月に手術、現在に至っています。
 また、昨年秋の人間ドッグで大腸ポリープが7個見つかり12月に除去。同時に5年前に見つかったバレット腺癌が再発しており、今年の1月7日に入院、1月8日に除去手術。今は療養に努めています。
 死ぬ訳にはいきません。勝利をつかみとるまで。一日一日が勝負です。病魔に負けるな!自分に勝て!と奮い立たせる日々です。
 お世話になりますがよろしくお願いいたします。
 二人の陳述を終えて裁判長が弁論の終結を宣言し、判決言い渡しを5月23日(木)午後1時10分からと告げて閉廷となった。
 閉廷後の報告集会ではT・Iさんと喜久山弁護士からそれぞれ感想とお礼の言葉が述べられた。T・Iさんは提訴してから3人目の裁判長に変わってやっと判決を迎えることになる。そもそもの申請日に遡れば10年の歳月となり、費やしてきた時間の長さを述懐された。そして、ありとあらゆる病気に罹ってきたこと、被爆の影響は免疫力を著しく低下させあらゆる組織に障害をもたらすことなどを自身の体験から述べられた。

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 W・Hさんの3年前の奈良地裁での本人尋問は代理人の喜久山弁護士の法廷デビューの日だった。5月23日は喜久山弁護士にとっても重要な記念すべき判決を迎える日となる。いい結論を期待し、早期に訴えが解決することを求めていきたいと決意が述べられた。
 この日の報告集会では「公正な判決を求める要請署名」が1,362筆となり、この日大阪地裁に提出されたことが報告された。

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 12日後の2月20日(水)、今度は第2民事部(三輪方大裁判長)で原告O・Hさん(男性、大阪市、74歳、2歳の時3.5㌔で直爆、その後入市被爆、申請疾病は心筋梗塞)の本人尋問と医師証人尋問が行われた。O・Hさんは4年前の2015年3月11日、自ら提訴後最初となる意見陳述を行っており、それ以来の法廷となる。主尋問は担当の中森俊久弁護士によって進められ、0・Hさんは大きな声ではっきりと答えて一つひとつのことがとても分かりやすく確認されていった。O・Hさんは長崎市銅座町の自宅近くの屋外で直爆を受けた。2歳7ヵ月だったので記憶はないが、強い光と爆風を浴びたことだけは憶えている。その他の当時の状況は母親などから聞かされてきた。直後に避難して日見峠を超えて親戚を頼ったが、間もなく長崎市内に立ち返った。そして母親たちの仕事の関係で、長崎駅近くにあった爆心地から2.0㌔に近い長崎の漁港や魚市場に頻繁に連れて行かれ、そのため入市被爆もしている。幼いO・Hさんは市場の人々の間でマスコット的存在になり可愛がられていたようだ。爆心地から3.5㌔の距離となる銅座町だが、当時の銅座町の人々の悲惨な被爆体験の声や破壊された町の被災状況についてはたくさんの具体的証言や資料が残されていて、それらも証拠として提出されている。尋問ではその内容が詳しく説明された。直爆を受けたO・Hさんは口の中に怪我をして出血し、今も異物が口の中に残されている。急性症状は下痢と鼻血を発症し、下痢は10歳頃まで、鼻血は今でも出ることがある。
 O・Hさんを襲ったのは健康障害だけではなかった。父親はビルマで戦死、一緒に住んでいた祖母も間もなく亡くなり、母親も、母親の再婚した義父も結核で倒れて入院し、中学の頃から暮らしはたちまち行き詰まった。高い向学心を抱いていたO・Hさんだが中学卒業後は住み込みで米屋で働き高校は定時制に通った。2人の弟は施設に預けられた。その後大阪に出たが、どん底の生活を味わい、なんでもやりながら生きてきた。あの頃の苦労は思い出すだけでも苦しくなる。21歳の時に正社員として就職し、23歳で結婚、いろいろに事情から様々な仕事を積み重ねてきた。
 45歳の頃から被爆者健康診断を受けていたが特に異常は見つかっていなかった。しかし50歳になって突然心筋梗塞の診断を受け手術した。平成15年、60歳の時狭心症を再発して救急搬送、再び手術を受けた。現在も経過観察と投薬治療を続けている。平成23年には不整脈に陥って救急搬送されたこともある。国側は相変わらず他原因を主張しているようで、喫煙、飲酒、糖尿病診断の実態についても丁寧に事実確認され、主尋問の過程で国側主張の根拠のなさが明らかにされていった。
最後に、今の思いや国に対しての意見が求められたO・Hさんは、国に言いたいことは山ほどあるがとしながら、「父は戦死し、私は被爆して二重の苦しみを味わってきた。戦争さえなければ、原爆さえなければといつも思いながら生きてきた。すべてが灰色の人生だった。毎日毎日がいつ倒れるか、いつ発症するかの連続で、不安を抱えたまま一人で外出することさえ叶わなかった」と、苦しい胸の内と心情を吐き出すように訴えた。
 反対尋問は予想通り喫煙歴、飲酒の程度、食生活の様子など他原因を前提にした細々とした質問に終始して終わった。ただ反対尋問の中で一つだけなるほどと思うやりとりがあった。O・Hさんの原爆症認定申請は平成24年(2012年)に行われているが、どうして2回目の発症から9年も経ってから申請したのかと質問された。O・Hさんは認定制度自体を知らなかった。平成20年(2008年)に当時の新しい認定基準が決められ、それが新聞報道などもされて初めて知ったのだ、という回答だった。多くの被爆者にとって認定制度のことを知るのは、そういうことがきっかけになっている、それが実態なのだとあらためて思った。
 1時間30分ほどの本人尋問の後、休憩もとらずに続いて医師証人尋問に移った。今回の証人は西淀病院副院長の穐久英明医師で、昨年10月17日の高橋一有さんの証人尋問以来の証言だ。
 主尋問は小瀧悦子弁護士によって行われた。O・Hさんの被爆状況からは特に残留放射線による被爆が問題になるとして、前半の総論はその残留放射線についてのかなり詳しい説明から証言されていった。そもそも残留放射線とは、その内容、人々の被ばくに至る機序、危険性が説明されていった。銅座町で被爆したO・Hさんは放射性降下物も浴び、あたりが茶色くなるほどの粉塵が立ち込めた中で誘導放射線による外部被ばくも内部被ばくもしていることが証言された。それは決して低線量などというものではなく相当な量の内部被ばくであろうと強調された。
 その上で、昨年の高橋さん(申請疾病は心筋梗塞)の時の証言も参考にしながら心筋梗塞の放射線起因性について証言されていった。心筋梗塞にしきい値はない、他原因があっても放射線との関連に影響を与えない等の基本的知見を押えつつ、特に国側が主張する他原因の具体的根拠に反論が加えられていった。O・Hさんが最初に発症したのは平成5年だが当時のカルテは残されておらず、確認できるのは平成15年以降のものだけだ。それにも関わらず国は推測で平成5年当時から・Hさんには高血圧、脂質異常、糖尿病などの危険因子があったと語っており、それに対して、何の裏付けもなく10年も前のことを推測だけで主張するなど許されないと徹底して反論された。糖尿病に至っては平成15年の診断でも根拠となる検査結果はない。喫煙は、禁煙して以降も次々と狭窄を起こしており原因とは言い切れない等々の証言だった。
 反対尋問はいつもの繰り返し、重箱の隅をつつくようなものでしかなかった。
 法廷後の報告集会では、O・Hさんと穐久医師からそれぞれ今日の証言の感想が述べられ、参加者から慰労の拍手が送られた。中森弁護士、小瀧弁護士からは今日の尋問の中心点と感想が述べられた。
 進行協議を終えた弁護団から第2民事部の今後の予定が紹介され、訴訟進行が一気に加速していく予定が報告された。今後の日程の順を追っていくと、4月26日(金)に第2民事部の最後の原告N・Kさんの本人尋問と医師尋問が行われる。証言されるのは郷地医師。5月15日(水)には昨年10月17日以降滞っていたAさん、高橋一有さん、そしてM・Yさんの最終意見陳述が行われ結審となる。7月24日(水)には、2月1日に証人尋問の行われたY・Mさん、Y・Iさん、そして今日のO・Hさん3人が最終意見陳述・結審を迎えることになった。これで7人の原告全員の判決に向けた目途が立った。第7民事部の4人の原告も合わせてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の原告全員が年内に判決を迎えられる可能性も出てきた。本当にラストスパート、全力を挙げて頑張っていきたい。
 今年の「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい」が6月15日(土)午後2時から大商連会館で開催されることも報告された。文字通り全面勝利をめざし、そして勝利を決めていくつどいにしていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年2月28日(木)13:10  806号 地裁第7民事部 苑田さん、K・Sさんに判決
2019年4月26日(金)13:10 1007号 地裁第⒉民事部 N・Kさん本人尋問・医師証人尋問
2019年5月15日(水)11:00 1007号 地裁第2民事部 淡路・高橋・M・Yさん最終意見陳述
2019年5月23日(木)13:10 806号 地裁第7民事部 T・Iさん、W・Hさんに判決
2019年6月15日(土)14:00 大商連会館 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい
2019年7月24日(水)14:00 1007号 地裁第2民事部 Y・M、O・H、Y・Iさん最終意見陳述

2019.02.28 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(69)
郷地医師、内部被ばくの実態と脅威を徹底して証言
INF条約破綻の事態に対して
核兵器禁止条約を基本に核なき世界の実現をめざしていこう!

2019年2月6日(水)

 2019年最初となるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟が2月1日(金)行われた。前年は10月31日(水)の第7民事部原告本人尋問と医師証人尋問及び第2民事部弁論が最終だったので3ヶ月ぶりの法廷となった。今回は第2民事部(三輪方大裁判長)で法廷は1007号。傍聴席は35席程度と大きくはないが、午後1時30分の開廷とともに傍聴席はすべて支援の人々で埋められた
 第2民事部で係争中の原告は7人。その内の二人、Y・Iさん(男性、神戸市)とY・Mさん(男性、神戸市)についての医師証人尋問がこの日の法廷だった。証言台に立たれるのは東神戸診療所所長の郷地秀夫医師。郷地先生一人で二人の原告の証言をされる。実は原告のY・IさんもY・Mさんも既にこの世になく、お二人とも判決を聞くことなく他界されている。二人ともご家族が承継されての裁判が続けてこられた。
 Y・Iさんは4歳の時長崎の爆心地から4.4㌔で被爆、原爆投下の翌日と翌々日にかけて市街地へも入り入市被爆を重ねた。2008年、67歳の時に前立腺がんを発症。5年後の2013年、72歳の時には大腸がん、肝臓がん、胆管がんも見つかり多重がんに苦しめられてきた。最初の前立腺がんの時原爆症認定申請したが却下され、6年後あらためて大腸がん、胆管がんで認定申請したがそれも却下された。Y・Iさんは「原爆のためにどれだけ辛く苦しい人生を強いられてきたか。そのことをどうしても明らかにしておきたい」と、その一心で2014年12月提訴された。しかし提訴した後に容態が急速に悪化、2015年4月には入院先の病床で本人尋問が行われなければならないほどの状態だった。その2ヶ月後の6月1日、74歳で苦難の生涯を閉じられている。
 もう一人のY・Mさんも7歳の時、同じ長崎で爆心地から4.0㌔の距離で被爆し、8月10日と12日に爆心地を縦断踏破して入市被爆もした。Y・Mさんは74歳の時に食道がんを発症、入退院を繰り返しながら治療を続けてきた。食道以外の様々な箇所への転移も確認されている。2013年、食道がんで認定申請したが却下され、Y・Iさんと同じ2014年に提訴に踏み切った。提訴後Y・Mさんも急速に体調を悪化させ、2015年3月7日帰らぬ人となられた。享年76歳。半年後の2015年9月11日の法廷では、裁判を承継された奥さんがご本人の意見をまとめられ、代理人弁護士によって陳述されている。

 厚生労働省が2013年12月16日に定めた新しい審査方針では、二人の申請疾病である固形がんは直接被爆の場合爆心地からの距離3.5㌔以内を積極的認定範囲としている。しかし、入市被爆の場合は100時間以内に爆心地から2.0㌔以内への入市が認定範囲であるから、二人ともその条件には合致するはずだ。それなのにどうして却下されるのか。2015年当時の報告集会では、国は被爆の事実認定そのものを、入市した日時、経路等を認めていない。そのことが争点になっているとの説明だった。Y・Mさんに至っては国は要医療性にも欠けると主張しているようだった。
 入市被爆の事実認定も争点になっている、そうした事情、背景もあって、この日の郷地先生の証人尋問は、原子爆弾による内部被ばくの危険性に最大の重点が置かれた。たとえ直接被爆の距離が3.5㌔を越える範囲であっても内部被ばくによって被爆者がどれほど深刻な打撃を受けてきたか徹底して明らかにする、そのことを基本にした証言、証明であった。

2・1杉野_convert_20190227210534

 主尋問は、Y・Iさんを担当した杉野直子弁護士とY・Mさん担当の崔信義弁護士によって行われた。尋問は、初期放射線と残留放射線の違い、外部被ばくと内部被ばくについての基本的な説明から始まり、残留放射性物質が人の体内に取り込まれ、沈着し、長期に渡って体内で放射線を出し続けていく機序、そしてそのことの重大な危険性についての説明へと続いていった。実際に確認されている事例として、広島の被爆者で確認された鎌田七男医師の研究論文、長崎大学の七條和子氏や高辻俊宏氏らの研究グループの論文が示された。傍聴席にも「長崎大学・七條和子氏論文より」と題した資料が配られた。傍聴者である私たちにも郷地先生の証言がよく理解できるようにとの配慮だ。以前の法廷で同じ郷地先生の証言を聞いた時、まるで放射線についての授業を受けているようだと傍聴記に書いたことがある。尋問の進行に伴って今回もそのような雰囲気になっていった。
 鎌田論文や七條論文で何より先ず重要なことは、被爆後50年、60年経った時点でも被爆者の体内に、しかも既に亡くなっている被爆者の組織に放射性物質が沈着し、そこからα線が出続けていることを具体的に証明していることだ。α線はγ線β線と比較してその危険性は極めて高い。原爆の放射性降下物の濃度が最も高かったのは爆心地から3~4㌔㍍の距離であったことも鎌田論文で示されている。
 七條先生らの論文は10年以上の研究を集大成されたもので、7人の近距離被爆者の体内に沈着した放射性物質とそこから出るα線を確認されたものだ。郷地先生は論文から3つの重要な点を説明された。①爆心地付近でも大量の放射性降下物があり被爆者の体内に取り込まれていた事実、②7人の近距離被爆者の臓器から大量のプルトニウム239の沈着が確認されたこと、③プルトニウム239の沈着は主要臓器だけでなく全身の臓器から確認されていること。
 Y・IさんとY・Mさんが直接被爆した爆心地からの距離4㌔㍍の地点でも降下物による被爆は相当に高かった。さらにその後の爆心地付近への入市によって高線量の内部被ばくもしていることが証言された。爆心地から遠くなれば被ばくは低線量になっていくという概念はあくまで初期放射線の外部被ばくに限定したものだ。内部被ばくの場合その影響は極めて大きく被ばく線量は相当に高いと言わなければならない。そしてその内部被ばくの具体的線量を客観的に測る技術は、私たちはまだ持ち得ていない。
 プルトニウム239の臓器沈着については、ICRP(国際放射線防護委員会)の示している知見との相違も説明された。ICRPの報告は実験動物によるもので、七條論文は実際の被爆者の臓器から報告されたもの。ICRPの研究は、比較的大きな粒子で、純粋プルトニウムで、1000度以下の温度で生成されたものを使用しての結果。七條論文で示されている被爆者に沈着したプルトニウムは微小な粒子で血管内に容易に入り込んで全身に流れたもので、プルトニウム以外の多くの金属類も混じり合い、数千度の原爆によって焼かれたものだから壊れにくく長期の沈着量も多くなる。したがって、ICRPのプルトニウム吸入実験と被爆者の実際の被ばく形態とは根本的に異なることを認識しなければならない、と詳細な説明が行われた。
 このような証言が重ねられていった上で、Y・IさんとY・Mさんそれぞれ個別に、被爆時の行動による被爆の状況について、急性症状について、晩年の病気発症の状況と治療の経緯などについて、郷地先生からの評価が加えられていった。

 10分の休憩をはさんで被告国側による反対尋問に移ったが、尋問は相変わらず本質を外したものや、これまで何度も質問されてきたことの繰り返しと思われるような内容だった。ひどいのは、「この裁判の証人になった理由は何ですか?」などと言うもので、郷地先生は「国のやり方があまりにもひどいので、何とか被爆者が認定されるようにしたいからだ」と、極めて当たり前の答えを、きっちりと返された。また、「あなたは兵庫県の核戦争防止医師の会の会員ですね」とか「福島の子ども脱被ばく裁判で意見書を書いていますね」などの質問もあった。それに対する回答が仮に最終意見陳述書に書かれるとすれば、一体どのような脈絡でどんなふうに書くつもりなのだろうか、と疑問に思ったりもする。
 個別的にはY・Mさんの喫煙歴、飲酒歴、食生活についてこだわった質問が続けられた。食道がん発症についての他原因を印象付けようとする様子だった。これについては原告側代理人の再尋問の中で、健康的な飲酒習慣の範囲だったこと、20年間も喫煙してきている事実が示されて打ち返された。
 最後に左倍席の裁判官から、内部被ばくの経路について、Y・Mさんの飲酒状況について質問がなされた。内部被ばくの経路についてもう少し教えて欲しい、飲酒は大きな問題ではないことの事情を説明しておいて欲しい、といった質問の仕方で、今日の郷地先生の証言をもう一度丁寧にしっかりと確認しておきたいような印象だった。
 午後1時30分に開始された証人尋問は4時30分にすべて終了した。証言台の郷地先生は3時間に及ぶ尋問を終始立ちっ放しで応じられた。

 法廷終了後、大阪弁護士会館に会場を移して報告集会が行われた。

2・1郷地_convert_20190227210518

 証言台に立たれた郷地先生にとって今日の証言の原告はお二人とも自ら診療もされてきた人だ。それだけに二人への思いを胸に焼き付けながらの話になったとその心情が吐露された。また、裁判所にも、傍聴している人たちにも、内容がよく理解できるように、できるだけ分かりやすく証言するよう心がけたことなども語られた。そして証言の中で詳しく述べられた鎌田医師、七條先生らの研究と論文が発表されてきた経緯と、今その研究が立ち至っている現状についての紹介もされた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟のみならず、放射線被ばくの問題に挑んでいるすべての人たちに共通して関わる、重要な状況報告ではないかと思いながら聞くことになった。

2・1崔_convert_20190227210616

 主尋問を担当された崔弁護士、杉野弁護士からも感想と思いが述べられた。二人とも郷地先生とは何度も何度も打ち合わせを重ねて、十全な準備の上に今日の法廷を迎えられた様子が紹介された。私たちの側は内部被ばくを重要な争点としているが、国側は内部被ばくは徹底し避けようとし、あくまで放射線被ばくの机上の疫学データだけに拘る姿勢だ。しかし被爆者の健康障害は具体的に生じており、それを出発点に内部被ばくが原因であることをいかに裁判所に理解してもらうか、そこに注力してきたことが説明された。喫煙や飲酒は止めれば時間とともにリスクは減る。しかし内部被ばくの影響は生涯消えることなく反対に時間とともにリスクは高くなる。七條論文でプルトニウム239が確認されていることについて、国側はもはや何の反論もできないでいることを実感している。こうした感想意見も特に印象に残った。

 この日はいつもと違っていろいろな人たちが傍聴に参加していて、それぞれから感想も述べられた。原発賠償京都訴訟の原告団代表として闘っている萩原さんから、自身が原発事故で被災し京都へ避難してきたこと、訴訟は控訴審の段階で闘っていること、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の闘いが私たちの励みにもなり、勉強にもなり、勇気と元気をもらっていることなどが発言された。郷地先生と同じ東神戸診療所の松浦看護師長さんからは今日の尋問で、医療に携わる者として診療記録の大切さ、患者さんとのコミュニケーション含めた記録の大切さを強く思ったとの感想だった。傍聴に参加された司法修習生の青年からは、必死で訴えようとしている人、闘っている人たちの思いを肌で感じることができた。このことを多くの人たちに知ってもらいたいと感想を述べられた。
 ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟は昨年末の12月14日、最後の原告であった山本英典原告団長に対して東京高裁の勝訴判決が言い渡された。国はこの判決に対して上告することができず12月28日勝訴判決は確定した。東京訴訟はこれで32人の原告全員が勝訴を勝ち取って終結することになった。
 近畿訴訟も残る原告は第2民事部が7人、第7民事部が4人だ。第2民事部はこの日の医師尋問で2人の原告が後は最終意見陳述、結審の日を待つことになり、他の3人も最終意見陳述、結審の日の確定を待っている。2月20日には原告O・Hさん(男性、大阪市)の医師尋問が予定されており、それが終わると残された原告はN・Kさん(女性、神戸市)一人となる。第7民事部は2人の判決言い渡しが2月28日に迫っていて、他の2人は近々の2月8日(金)に最終意見陳述・結審が予定されている。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟も本当に大詰めを迎え、この2019年が重要な年になっている。
 最後は、藤原精吾弁護団長からの“今年を、流れを変える1年にしていこう”との呼びかけで報告集会を終了した。

2・1全体_convert_20190227210505

 2月1日(金)、アメリカ・トランプ政権が中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱を発表し、それに対抗して2月2日(土)にはロシアのプーチン政権も同条約の履行停止を表明した。1987年締結のINF全廃条約は世界が願う核兵器廃絶にはほど遠いものの、それでもこの30年間で両国は2,692発の核ミサイルと149箇所の発射場所を廃棄しており、核軍拡競争への歯止めと核軍縮への一定の役割を果たしていた。
 INF全廃条約の破綻は新たな核軍拡競争を招き、人類を再び核の脅威に覆われた世界に陥れていく可能性が高い。トランプ政権は昨年2月2日に「新しい核態勢の見直し」(NPR)を発表して多様な核兵器開発と核攻撃の選択肢拡大を表明していた。ロシア・プーチン政権も対抗して新たな戦略核システムの導入を発表していた。こうしたことを考えると新たな核軍拡は歴史上経験したことのない極めて重大で深刻な事態を招くことになる。アメリカ・トランプ政権とロシアのプーチン政権に対して強い抗議の声をあげていかなければならない。
 新しい核の脅威に直面する事態に対して、今こそ全世界の国々が核兵器禁止条約に加入し、断固とした姿勢と結束で、核に固執する勢力・国々を包囲、追いつめていかなければならない時だと思う。核兵器禁止条約を批准した国は現在21ヶ国。50ヶ国に至れば、核兵器は全面的に禁止される国際法となって執行されていく。そのことを願い、圧倒的な数の国々が加入することを強く訴えたい。
 核兵器禁止条約に背を向け、「段階的に核軍縮を進めていく」とか「核保有国と非保有国との間の橋渡し役を果たす」などとした日本の安倍政権の姿勢はまったくの妄言で、いかに無責任で無力なものであるかを今回のIMF全廃条約を巡る事態は明らかにした。日本こそ卒先して核兵器禁止条約に加入し、世界の国々に条約加入を呼びかけなければならないと私たちは繰り返し訴えてきたが、今日の事態においてあらためてそのことを強く求めていく必要がある。
 核の力に依拠しようとする者は、必ず核の残虐性・非人道性を覆い隠し、核の影響をできるだけ小さく軽く見せようとする。それに抗して私たちは核エネルギーが人々に何をもたらすか、その真実を徹底して明らかにしていく。それは、被爆者の救済をはかるためであるとともに、核の脅威から解き放たれる世界、社会を実現していくためでもある。
 そのことを銘記して2019年を頑張っていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 2月 8日(金)14:00  806号法廷 地裁第7民事部 最終弁論・結審
2019年 2月20日(水)13:30 1007号法廷 地裁第2民事部 医師、本人尋問
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
2019年 5月15日(水)11:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019.02.28 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(68)
10月31日(水)は2018年度最後の法廷
第7民事部の2人の原告の生涯に渡る闘病の放射線起因性を証言

2018年11月5日(月)

 10月31日(水)午前10時からノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第7民事部(松永栄治裁判長)の原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。第7民事部がいつも使用している806号法廷が、この日は都合が悪く、臨時に407号法廷に変えて行われることになっていた。407号法廷は傍聴席も20席ほどで狭く、代理人席も少ない。このため臨時の椅子を追加したりして準備に手間取り、結局予定を15分遅れての開廷となった。

 第7民事部は4人の原告中2人が9月27日(木)既に結審となっていて、判決言い渡しも来年2月28日(木)と決まっている。残り2人の原告が今回の尋問だ。その内の1人W・Hさん(男性、74歳、京都府在住)は一昨年の1月11日(水)奈良地裁への出張で本人尋問は行われている。もう一人の原告T・Ⅰさん(男性、75歳、京都府城陽市在住)がこの日の尋問対象だった。
 T・Ⅰさんは2歳1ヶ月の時、広島の爆心地から1.5㌔の距離の自宅前で直爆を受けた。被爆を境に病弱となり、成人後も数々の病魔に襲われ、それと闘いながら生きてきた。現在罹患している病気は主なものだけでも腎機能低下、糖尿病、慢性肝炎、痛風、狭心症、甲状腺腫瘍等々になる。さらに今回の尋問の中で、腎臓がん、膀胱がんの疑いも診断され、現在経過観察中であることも明らかにされた。満身に病気を抱えての人生と言っても過言ではない。
 T・Ⅰさんは2009年(平成18年)3月、糖尿病を申請疾病として原爆症認定申請をした。前年(2008年)に当時の「新しい審査方針」が公表されていて、糖尿病は積極的認定の疾病範囲ではなかったが、自分の被爆状況、既往歴、環境因子、生活歴等々が総合的に検討されれば、放射線の起因性は認められるはずだ、との確信を持っての申請だったのだと思う。「新しい審査方針」は翌年(2009年)6月、甲状腺機能低下症と慢性肝炎・肝硬変も積極的認定疾病に加えられた。そのため窓口である京都府の担当者とも相談の上、申請疾病に肝機能障害(後に慢性肝炎と書き変え)も追記された。しかし、結果は却下処分(2010年)。その後異議申し立て、そして棄却を経て、2013年(平成25年)10月の提訴に及んだ。
 T・Iさんは提訴の2ヶ月後、2013年12月に証言台に立って自ら意見陳述している。その時の裁判長は田中健治裁判長だった。今回の尋問まで提訴から5年の年月を費やした。その間第7民事部の裁判長は次の山田明裁判長、そして今の松永栄治裁判長へと代わり、3人の裁判長に訴え続けてきたことになる。

 本人尋問の主尋問は担当の中道滋弁護士によって進められた。母親から聞かされてきた被爆時の凄惨な状態、ひどかった急性症状の様子、成人後に襲われてきた疾病の数々のことなどが詳しく証言された後、申請疾病が最初は糖尿病で、後になって慢性肝炎が追記されたことの経緯・事情がより丁寧に語られた。国側から何か疑問や意見が主張されているのだろうか。申請疾病の糖尿病と慢性肝炎の放射線起因性について、国側は徹底して他原因論を主張しているようだ。そのことを想定しながら、あらかじめ他原因論に釘をさしておくような内容での尋問も行われた。

 反対尋問は想定通り結論を他原因に導く、そのことを特に印象づけようとするような内容で行われた。メタボ診断受診の有無、体型の変化、食事について、運動習慣について、果ては親からの遺伝の可能性までが細かく問い質された。食事のグラム数とか、ウォーキングの時間数集計まで質問される始末で、傍聴席で聞いていても苦笑を禁じ得ないほどだった。
 反対尋問の最後に、(積極的認定疾病の範囲となっていない)糖尿病をどうして申請疾病にしたのかと問われ、T・Ⅰさんは、担当医師とも相談し、私の糖尿病には原爆放射線が関係している、起因性はあると確信したからだ、と何ら躊躇することなく答えを返した。さらにT・Iさんは罹ってきた病気のすべてが原爆放射線の影響だと思っていると語気を強めた。

 午後からの証人尋問には河本一成医師(あさくら診療所所長)が証言台に立ち、W・HさんとT・Ⅰさん二人の原告についての証言が行われた。主尋問の最初は喜久山大貴弁護士が担当し、W・Hさんの疾病(申請疾病は慢性腎不全(IgA腎症))について尋問が行われた。W・Hさんの体調は難しい状況が続いていて、提訴以来一度も大阪地裁への出廷は叶わず、本人意見陳述は代読、本人尋問も住居に近い奈良地裁で行われてきた。W・Hさんは1歳4ヶ月の時に広島の爆心地から2.5㌔の自宅で直爆を受けた。全身にガラス片が突き刺さり、血まみれの状態で辛うじて助け出された。急性症状も発症し、子どものころから病弱だった。成人後も健康上の問題から14回も転職を余儀なくされるほどの人生だった。30歳代頃から高血圧、腎炎、高脂血しょうの治療を受けるようになり、2004年(平成16年)に「慢性腎不全(IgA腎症)」の確定診断を受けることになる。
 河本医師の証言は、W・Hさんの被爆状況、急性症状等から相当な被曝線量を浴びていることは明らかであり、申請疾病の慢性腎不全には被爆の影響、放射線起因性が認められる、ことから始まった。慢性腎不全の中でもW・Hさんの罹患しているIgA腎症は免疫性の障害によるものであること、その確定診断は腎生検によって行われたことなども専門的な言葉のやりとりの中で示されていった。
 国はW・Hさんの慢性腎不全を糖尿病性腎症だと主張しているようだが、糖尿病性腎症とIgA腎症との違いが説明された上で、糖尿病性腎症を主張することの誤りが指摘された。そもそもW・Hさんはこれまで糖尿病と診断されたことは一度もなく、血糖値データも糖尿病と言われるほどの水準にないことが示されている。さらに近年は慢性腎臓病と放射線被曝線量との関係を示す研究論文も報告されており、それらも具体的に示されていった。

 次に中道弁護士が担当してT・Ⅰさんの疾病についての尋問が行われた。T・Iさんの被爆状況、急性症状、その後の健康状態、病歴を踏まえた上で、糖尿病発症の放射線起因性を証明する根拠となる研究論文、研究者の見解が示されていった。慢性肝炎についても同様に放射線起因性を否定することはできない内容が証言された。
反対尋問はいきなり、河本医師が原爆症認定制度改善の支援活動に関わっていること、京都の「ヒバクシャ国際署名を広げる会」の活動に名前を連ねていることの確認から始まった。河本医師が特定の運動に関わっている人物であると印象付けでもするつもりだったのだろうか、と呆気にとられる。
 反対尋問は予定通り、W・Hさんの慢性腎不全は糖尿病性、T・Ⅰさんの糖尿病は生活習慣、慢性肝炎はB型肝炎という具合に、申請疾病の原因が他のところにあるという意見を基調に進められ、河本医師がそれらを一つひとつ覆す形で進められた。国の反対尋問で印象的だったのは、放射線影響研究所の研究報告LSS(被爆者寿命調査)では被爆者の死因で慢性腎臓病を有意な差とするデータは存在しない、という質問の時だった。河本医師は、LSSは既に亡くなった被爆者のデータであり、今を懸命に生きようとしている人を評したり、これからどのようなことが起こってくるのか分からないことについて、それをもって断定することはできないと切り返された。まったくその通りだ。放射線の人体に与える影響は全体の5%程度しか解明されていないと言われるのが現実。被爆者の被った凄惨な被爆体験や、身の上に起こった急性症状、病魔の数々こそが基本に置かれるべきで、個々のデータだけを切り取ってあれこれ論じるようなことなどあってはならない。
 証人尋問は午後2時30分に終了した。

10・31全体2_convert_20190227210306

 今回の二人の原告について最終弁論期日・結審の日を2019年2月8日(金)午後2時からとすること、その1週間前の2月1日までに双方とも最終準備書面を提出することが確認されて、第7民事部のこの日の法廷は終了した。
 実はこの日は、引き続いて午後3時から第2民事部の弁論期日にもなっていて、双方の代理人も、私たち支援者も、この後急いで10階の1007号法廷に移動することになった。
 ただ幸いにも(?)この日の第2民事部(三輪方大裁判長)は双方の準備書面提出の確認だけで口頭意見陳述などはなく、後は進行協議で今後のことを決めるという扱いになり、早々に閉廷となった。

2・8喜久山_convert_20190227210817

 午後3時30分から大阪弁護士会館で報告集会が開催された。この日証言されたT・Iさん、河本医師、そして主尋問を担当された喜久山弁護士からそれぞれあいさつがあり、最後の判決の日まで頑張る決意が述べられた。集会参加者全員が拍手で労った。T・Iさんはそもそもの認定申請の日まで遡れば判決の出る頃にはほぼ10年という年月を刻むことになる。「10年前の申請ともなると、一体何を書いたのだろうと忘れるぐらいです」と、この日までの時間の長さを率直に述懐された。

10・31和田_convert_20190227210335

 和田信也弁護士から進行協議の内容―第2民事部の今後の予定が報告された。
 第2民事部は全員で7人の原告だが、Åさんと高橋一有さんは10月17日(水)に本人尋問、証人尋問を終え、後は結審の日に備えるまでになっている。
 2月1日(金)にY・MさんとY・Iさん二人の医師証人尋問が決まった。証人は郷地医師。
 続いて2月20日(水)にO・Hさんの本人と医師証人尋問も行われる。証人は穐久医師。
 Y・Mさんの被爆の事実を証明する証人尋問も1月24日(木)岐阜への出張で行われることになった。
 これで第2民事部の残された原告はM・Yさん、N・Kさんの二人だけとなる。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟も本当にいよいよ大詰めとなりつつあることを実感する。

10・31尾藤_convert_20190227210422

 尾藤喜廣弁護団幹事長によると、弁護団からの強い働きかけで裁判所も積極的に期日を設定してくれているとのことだ。当然そのタイトな日程に合わせて書面提出も求められる。大変なことだが弁護団も全力を挙げて頑張りたいとの決意が述べられた。支援の私たちにも一層の奮闘が呼びかけられて、この日の報告集会を終えた。終了時間は午後4時30分。朝10時から6時間30分かけての一日だった。弁護士会館を出る頃はそろそろ夕闇を感じさせる街の色になっていた。

 この日の法廷で2018年の期日はすべて終了した。この1年を振り返ると、口頭弁論のなかった日も含めて12回の期日があった。年明け早々の1月16日(火)、高裁第13民事部において6人の原告に対する判決言い渡しがあった。甲状腺機能低下症の3人の原告に対して一審勝訴判決が維持され、控訴審においても甲状腺機能低下症の放射線起因性が認められる大きな成果があった。しかし後の3名は敗訴となり不当判決に悔しい思いもした。その一週間後の1月23日(火)には地裁第7民事部で宮本義光さんへの判決が言い渡された。申請疾病が狭心症の原告に対して原告側主張がほぼ全面的に受け入れられた完勝の勝訴判決だった。宮本さんの判決に対してその後国側は控訴もできず、判決は確定した。積極的認定範囲ではない狭心症に対しての勝訴判決は大きな意味を持つことになった。
 その後も、第2民事部、第7民事部とも弁論が重ねられ、第2民事部の原告二人を除いて全員の本人尋問、医師証人尋問が行われ、または予定期日が定められるまでに至った。いくつかの期日では法廷内でスクリーンに画像を写し出しながらの陳述も行われ、あらためて被爆の実相を視覚にも訴えてより分かりやすくするなど、工夫も行われた2018年度だった。
 ただ、1月の控訴審で敗訴となった3人の原告はその後の上告が全員棄却(9月)される事態となった。敗訴が確定することにはなったが、N・Mさん、T・Iさん、そして原野宣弘さん3人の被爆の実相、ノーモア・ヒバクシャ訴訟にかけられた思いと行動は、いつまでも忘れない、記憶と記録に残していきたい。
 2018年は、前年の核兵器禁止条約採択とICANのノーベル平和賞受賞に続いて、朝鮮半島の南北首脳会談、米朝首脳会談の開催と朝鮮半島の非核化に向けた動向など、平和に向けて世界が大きく歩み出す中でのノーモア・ヒバクシャ訴訟でもあった。日本の政権がどれほど禁止条約に背を向け、東アジアの平和に消極的であっても、私たちは世界の人々と共に手を携え、平和に向けて歩む大道を創り出してきた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟を通じて核兵器の残虐性、非人道性を訴え、その勝利によって核の被害者救済の必要性をアピールしてきた。
 迎える2019年は判決の集中する年になりそうだ。長く闘われてきた裁判の成果を一つひとつ確実に実らせていく年にしていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2019年 2月 1日(金)13:30 1007号法廷 地裁第2民事部 医師証人尋問
2019年 2月 8日(金)14:00  806号法廷 地裁第7民事部 最終弁論・結審
2019年 2月20日(水)13:30 1007号法廷 地裁第2民事部 医師、本人尋問
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
2019.02.27 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(67)訂正版
第2民事部で原告本人尋問と医師証人尋問
今も被爆者の体内で被曝し続ける内部被曝の深刻な実態を証言!

2018年10月23日(火)

 10月17日(水)午後1時10分からノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第2民事部(三輪方大裁判長)の原告本人尋問と医師証人尋問が行われた。第2民事部は7人の原告が係属となっているが、この日の尋問はAさん(大阪府河内長野市、75歳)と高橋一有さん(兵庫県三木市、77歳)の原告2人。この内Aさんは昨年(2017年)1月4日自庁取り消しによって既に原爆症認定は受けており、国家賠償を引き続き求めて争ってきた。
 本人尋問の最初はAさん。主尋問は担当の愛須勝也弁護団事務局長によって進められた。Aさんは2歳の時、広島の爆心地から3.1㌔の距離で被爆していたが、昭和51年(1976年)に交付された被爆者手帳では、何かの事情で距離が4.1㌔と間違った記載となっていた。平成6年(1994年)胃がんが見つかり胃と脾臓の全摘手術。平成7年(1995年)に原爆症認定申請をしたが却下処分された。この時の心境を、残念だったけど、国が精査して、「放射線の影響ではないと言ってくれた」のだと思い、半ばホッとしたのも正直なところだったようだ。
 しかし、手術以降、淡路さんは普通に食事することも難しくなり、投薬、食事療法治療も余儀なくされ、今に至るもその辛い状態が続いている。そうした中、平成20年(2008年)に原爆症認定の新しい審査方針が策定され、3.5㌔以内の被爆は積極的認定対象となることを知った。これなら私も認定されるのではないかと思い、元々間違っていた被爆者手帳の被爆距離を3.1㌔に訂正するよう申し立て、その上で再度の認定申請をした。ところが理由も分からないまま2回目も却下処分となった。平成22年(2010年)異議申し立てをして、その過程で初めて今度は要医療性がないとの理由で却下されたことを知った。
 Aさんにとってとても納得できることではなかった。今なら3.1㌔だから認定されているはずなのに、今度はがんの発症が古過ぎてもう要医療性がないから認定しないなどと、あまりにもひどい措置だ。胃がんは原爆の放射線が原因で発症した。手術の後は健康的な食事も、暮らしもできなくなり、生きる希望としてきた仕事も辞めざるを得ず、たくさんのものを奪われてしまった。その後、自庁取り消しによって原爆症は認定されたけど、ここに至るまでの国の責任は免れるものではない。
 最後に裁判所に話しておきたいことはないかと問われて、Aさんは、こうして裁判官に話せるだけでも嬉しいことだ。他にもたくさんの被爆者が健康を損ない、不安を抱えて生きている。そうした人たちにも優しい判断をして欲しいと訴えられた。
反対尋問は一言もなされないまま、Aさんの本人尋問は終了した。

 続いて高橋一有さんの本人尋問に移り、主尋問は担当の小瀧悦子弁護士によって行われた。高橋さんは、原爆投下から3日後の8月12日、母親に連れられて長崎市内の三菱造船幸町工場付近、そして竹の久保まで入市し、そこで一晩を過ごした。まだ4歳の時だったが、近くの公園で湧き水を飲んだり野イチゴを食べたりしたことは記憶している。小学校に上がる頃から化膿しやすい体質となり、予防接種の注射でも化膿し、発熱するほどひどいものだった。高橋さんは27歳の時右目を失明した。最初は軽い結膜炎だろうと言われていたが、症状は悪化しそのまま失明に至った。医者にも原因が分からないままだった。
 国側は、高橋さんには糖尿病があって、それが原因で申請疾病の心筋梗塞を発症したと主張しているようだ。その根拠に平成9年頃入院していた病院の記録が持ち出されている。しかし、実際には糖尿病と診断されたことは一度もなく、治療や投薬の体験もまったくない。その辺りの実情が細かく、丁寧に質問され、解き明かされていった。高橋さんは平成10年(1998年)、57歳の時に心筋梗塞を発症した。その治療は今も続いており、入退院も繰り返している。字を書いたり読んだりするのもつらくなるほど、日常生活のしんどさは深刻なものになっている。

 平成23年(2011年)に原爆症認定申請、そして却下処分。高橋さんは当初、被爆していることを娘さんには内緒にしていた。また、他の人の原爆症認定裁判の様子を見ていて、本人尋問であんなに問い質されたりするのは耐えられないと思い、裁判することを一旦は止めようと思った。しかし、被爆者が原爆による苦しみをテレビカメラの前で話している姿などを見て、「原爆の被害をなかったことにされて、自分はこのまま諦めていいのか」と考えるようになった。原爆の被害に遭ったことを黙っていると、多くの被爆者はこれからどうなっていくのか。原爆の被害で苦しんできたことを裁判所にきちんと訴えて、認められるようにしなければならないと強く思い、氏名も明らかにして、裁判に訴える決意をしてきた経緯も語られた。
 反対尋問は、入市した時の様子、病院の看護記録のことなど、細々としたことに終始した。裁判長からの尋問の中で、高橋さんのお母さんも実は子宮がんで原爆症認定を受けていたことが明らかにされた。

10・17穐久_convert_20190227210220

 休憩の後、医師証人尋問が行われた。証人は西淀病院副院長の穐久英明医師。引き続き小瀧弁護士によって主尋問はすすめられた。最初に、高橋さんの被爆状況から残留放射線によって外部被曝、内部被曝していることが考えられると証言。その内特に内部被爆については、長期間にわたり局所的に高濃度の被曝を起こすこと、身体に深刻な影響を与えるものであることなど、その危険性が分かり易く説明された。具体例として鎌田論文が紹介された。爆心地から4㌔の距離で被爆した女性の肺組織内で53年にも渡ってウラニウム粒子からα線が出続けていることを確認した論文だ。このα線の飛跡はさらに肺がん部では非肺がん部より10倍も多くなっていることが確認されていて、α線ががん発症に影響していることも示している。
 国側は、高橋さんの被曝線量は0.000004グレイを下回ると主張しているようだ。それはあくまで初期放射線の外部被曝線量のことでしかない。これに対して穐久医師は、内部被曝はどのような放射性物質をどれだけ取り込んだのかはまだ明らかにすることができないもので、局所的に高濃度の被曝をもたらし、そして長期間体内に止まって被曝し続けるので、たとえ推定であっても被曝線量を示すことなど不可能なのだと説明。高橋さんの被爆時の行動やその後の症状などから、決して低線量などではなく、相当な量の被曝をしているはずだと明言された。
 心筋梗塞の放射線起因性の根拠については、穐久医師の書かれた意見書に基づいて尋問と証言が行われていった。意見書ではLSS(放射線影響研究所の被爆者寿命調査)第13報から心筋梗塞、脳卒中、消化器官、呼吸器官などの非がん疾患による死亡について、放射線が影響していることが明らかにされている。次に、AHS(同じく放射線影響研究所の被爆者成人健康調査)第8報から高血圧、心筋梗塞について放射線の影響があることも明らかにされている。さらに、清水論文からは心疾患については放射線量の閾値はないことも報告されており、そしてそれまでの放射線影響研究所の研究を総括的にまとめて報告された非常に重要な報告だとされている赤星報告から、高血圧、高脂血症にも放射線被曝が関与していて、それによって心・血管疾患が増加したという機序も明らかにされていることが証言されていった。
 国側は、高橋さんには高血圧症や脂質異常などの危険因子があり、心筋梗塞は原爆放射線によって発症したとは言えないと主張しているようだ。しかし、高血圧、脂質異常発症そのものに、放射線被曝との関連が認められるとAHS8報や赤星報告は報告している。高血圧、脂質異常をもって放射線起因性を否定することはできないし、むしろ、今や放射線によって高血圧や脂質異常が引き起こされていると考えられるようになっているのだ、と国の主張ははっきりと退けられた。
 高橋さんが子どもの頃から化膿しやすい体質だったこと、27歳の時に右目を失明したこと、その後僧帽弁狭窄症と診断され手術していることなど、いずれも原爆放射線による影響と考えざるを得ず、高橋さんの病歴の一つひとつが被曝の深刻さを表している。
さらに、高橋さんは平成10年(1998年)の心筋梗塞発症以降、ステントとバルーン形成術を繰り返し行ってきたが、それにも関わらず心臓血管の狭窄を次々と発症し続けている。内部被曝は体内に放射性物質がとどまるので、排出されない限り、何十年も被曝が続く。高橋さんの場合も、体内に取り込んだ放射性物質がずっと血管に影響を与え続けているのではないか、との証言だ。被爆者の被曝は73年前の過去のことではない。今も、体内に入り込んだ放射性物質が体の内から被曝し続けている事実。あらためて深刻な、呪わしい現実を突きつけられたような証言だった。
 反対尋問は、依然として高橋さんの被曝線量はどの程度だと思うのかとか、被曝影響の可能性があるだけで起因性を認めるのか等々、これまでも繰り返されてきた質問が並んだ。その中で、穐久医師の意見書の中で採用された赤星報告について、当の赤星氏本人の意見書なるものが持ち出された。それによると「赤星報告は一つの仮説を示したものであり、科学的に証明されたものではない」というのが内容らしい。赤星氏が自らの報告論文を否定する、自らの研究成果を地に堕とそうとするような意見書だ。これに対して穐久医師は、赤星報告は既に権威ある雑誌でジャッジされ、論文は評価されて業績になっているものだ。自ら否定するとは、自らに唾する行為だと、研究者が国の意向におもねって裁判のためにこのような意見書を出すことを厳しく批判された。
 本人尋問、医師証人尋問を終えて、本当なら最終弁論、結審の期日も今日決められるはずだったのかもしれない。しかし、国側が高橋さんの糖尿病に関する病院記録にこだわってさらに調べたいという意向を持ち出したため、具体的な結審期日を決めるまでには至らなかった。国側は裁判をまだ引き伸ばすつもりなのか、と釈然としない思いを残して閉廷となった。

10・27全体_convert_20190227210158

今日は開廷が午後1時10分で閉廷したのは5時前。久しぶりに半日みっちりと時間をかけての法廷だった。いつもは大阪弁護士会館に移動して報告集会が行われるのだが、今回は弁護士会館の会議室がとれなかったため、「エル・おおさか」まで移動しての報告集会となった。私は今回は都合悪く報告集会には参加できなかったため、兵庫県原水協の祝教允さんに後を託すことにした。
以下、祝さんの報告集会報告の要約です。
4時間30分を超える、長い法廷が終わった後、報告集会をこれまで利用していた大阪弁護士会館を変えて、北浜東にある大阪府立労働センター「エル・おおさか」で行われました。
 はじめに、原告のAさんと高橋一有さんが、「弁護士さんをはじめ支援のみなさまの熱心なご援助いただき本当に感謝にたえません」とそれぞれ挨拶され、「今後とも熱いご支援をお願いします」と訴えられました。
つづいて本人尋問と穐久医師の証人尋問をおこなった愛須弁護士と小瀧弁護士が挨拶を行いました。とくに小滝弁護士からは穐久先生の証人尋問の準備に当たっては、幾度となく打ち合わせを行い、先生はその都度応じていただいたことにお礼と感謝を述べられました。

10・27尾藤_convert_20190227210237

 最後に尾藤弁護士から、「係属部の地裁第2民事部としては初の判決となるため、裁判所は力が入っているように見える。しかし、法廷で裁判長が『どうせ、控訴するでしょうが・・・』と発言し、すぐに撤回はしたものの、その発言の意図がどこにあるか疑問が残るが、腹の座った判決を出させるよう、署名や傍聴動員を強めることが重要だ。判決は全国からも注目されており勝利するために頑張ろう」と呼びかけました。
 あわただしく落ち着かない報告集会でしたが、各支援団体からの決意と開催行事等の案内・報告が行われて、この日の報告紹介を終えました。この中で、兵庫県原水協からは、高砂市と播磨町の議会で「日本政府に核兵器禁止条約調印を求める決議」全会一致で採択されたこと、豊岡市長が「ヒバクシャ国際署名」に応じたことの報告が行われています。

 10月9日(火)、アメリカが昨年12月に未臨界核実験を行っていたことが報じられた。10月20日、米・トランプ大統領が1987年締結の中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱する意向を表明した。昨年、世界の国々が核兵器禁止条約を締結し、文字通りの核廃絶に向けて懸命な努力を重ねている時に、ほとんど狂気の沙汰としか思えない。私たちはもっともっと強い抗議の声をあげ、アメリカを含む核保有国、核に固執する勢力を包囲し、追い詰めていかなければならない。アメリカ・トランプ政権の核兵器政策については既に少なくない国の政府が懸念を表明し、率直な批判も明らかにしている。 “世界で唯一の被爆国”を標榜し、核兵器による惨劇を誰よりもよく知っているはずの日本政府の態度はどうか。アメリカに対しても、ロシアに対しても核廃絶への政策転換を最も強く主張すべき政府のはずなのだが。
 人間として二度と繰り返してはならない被害を受けた被爆者。その被爆者に真正面から向き合い、被爆者に寄り添う姿勢を持たなければ、本当に核廃絶に向かおうとする道、政策は生まれてこない。ノーモア・ヒバクシャ訴訟を通じて、私たちはそのことを求め、実現していきたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年10月31日(水)10:00  407号法廷 地裁第7民事部 本人・医師尋問
2018年10月31日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 1月30日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
2019.02.27 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(66)
スライドを活用して被爆の実相を訴え、内部被曝軽視を徹底批判!
第7民事部は2人の原告が結審、判決は来年2月28日!

2018年10月1日(日)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟第7民事部(松永栄治裁判長)では、9月27日(木)、Dグループの2人の原告について最終意見陳述が行われ、結審となった。原告は苑田朔爾さん(76歳、神戸市)とK・Sさん(91歳・男性、京都市)。苑田さんは長崎市で4.0㌔の直接被爆と入市被爆をし、前立腺がんの発症で認定申請してきた。K・Sさんは8月6日当日から広島市で入市被爆し、狭心症を発症して認定申請してきた。二人とも提訴は2015年の8月6日、広島原爆投下の日。結審までに3年を超える時間を要した。K・Sさんは体調不良のため出廷できなかったが、苑田さんはこの日も法廷にあって自らの審理の行方を見守った。

9・27はまもと_convert_20190227205922

 最終意見陳述は、担当の諸富健弁護士と濱本由弁護士により、スライドを使って行われた。はじめに諸富弁護士が原子爆弾投下による被害、被爆の惨状と、二人の受けた放射線被曝線量がどれほど深刻なものであったかを、原爆投下直後を記録した写真や被爆者が描いた絵をスクリーンに写し出しながら陳述した。
 燃えつき、破壊され尽くした広島の街、最大風速440㍍/秒に及ぶ爆風で破壊された広島駅、爆心地付近では3,000~4,000℃にもなる熱線で焼かれた人々、熱さに耐えかね川に飛び込みそのまま息絶える人々、5日間にわたって被災者の救護にあたったK・Sさんの体験を想像させる第二陸軍病院や日赤病院の救護所と人々の惨状、K・Sさんが実際に従事した二葉の里の黒こげた死体が山積みされ、火葬に付されている様子も絵で紹介された。このような過酷な状況の中で、K・Sさんたちの作業はすべて素手で行われ、汚染された水や食物を摂り、5日間も寝泊まりを続けた。多量の放射線に外部被曝、内部被曝したことが明らかにされた。

9・27原告苑田

 苑田さんの体験した長崎の惨状も同じように写し出された。燃えつき、破壊され尽くした山里町、長崎駅周辺、松山町、そして廃墟と化した浦上天主堂。昨年亡くなった谷口稜曄さんが大火傷した時の姿。苑田さんは8月15日になって爆心地を縦断するように歩いて西彼杵郡長浦村へ避難したが、その経路にあたる松山町交差点一帯、浦上駅プラットホーム、大橋付近の惨状も写し出された。苑田さんは避難の途中大橋付近で水浴びしたことを記憶しているが、その記憶とも重なりあう絵だ。苑田さんは爆心地から4㌔の自宅に原爆投下後6日間も止まり、15日になって砂埃や土埃が立ち込める爆心地を経て避難した。途中で水浴びもしている。苑田さんも多量の放射線に外部被曝、内部被曝したことが明らかにされていった。
 続いて濱本弁護士が、国が今も主張し続け、頑なに被爆者救済を阻み続けている最大の根拠=内部被曝リスクの過小評価の問題に焦点をあて、図解とキノコ雲の実像写真も示しながら、要旨以下のよう内容の陳述をした。国側の準備書面ではアメリカのネバダ核実験が実例として挙げられているようだが、ネバダのような砂漠での核実験と、広島・長崎のような海や川のある都市でしかも湿度の高い真夏での核爆発とでは水蒸気の量がまったく異なり、同列に論じることなどできない。実際に爆発後に発生したキノコ雲を比較するとその大きさや厚み、構造がまったく異なる。広島・長崎では放射性降下物の降下範囲も相当に広いことも示している。放射性降下物による放射線量については、東神戸診療所の郷地秀夫所長が、昭和20年9月以降広島・長崎に駐留した米兵の推定被曝線量をもとに推計されている。8月15日の長崎爆心地付近の空間線量は少なくとも12.5μSvであった。これは福島原発事故で立ち入り禁止となった警戒区域の線量に相当する値で、国側の主張をはるかに上回るものだ。
 放射性降下物を体内に取り込み、体内で被曝する内部被曝は、局所的に高濃度被曝を起こし、体内で長期間にわたり被曝し続けるという高いリスクを持つ。鎌田論文では、被爆から60年も経った一人の女性被爆者に、局所、高濃度、長期的内部被曝が実際に確認されていて、そのことが実例で証明されている。内部被曝は臓器内で被曝するところ、しないところの不均一性があるため、その実態を把握するには局所的な線量評価が不可欠であり、外部被曝の計算式などで内部被曝の線量評価などできるわけがない。外部被曝線量を基準にして内部被曝による健康影響を低く評価する国の主張は意味をなさない。
 国が誤った主張を続けているにも関わらず、これまで先行してきた原爆症認定訴訟で多数の遠距離被爆者、入市被爆者の申請疾病の放射線起因性が認められてきた。今年3月27日の東京高裁判決も、国は残留放射線による内部被曝の危険性を過小評価していると断罪した。アメリカでは、終戦後日本に駐留した兵士が後に白血病やがんを発症した場合、治療費や生活費を補償している。それはアメリカは9月以降の入市でも残留放射線の内部被曝の危険性を認識していた何よりの証左ではないか。
 最後に、内部被曝のリスクは外部被曝と同じかそれ以下という国の主張が誤りであることはもはや明白であり、国は直ちに内部被曝の危険性を直視しなければならないと訴えて陳述は締めくくられた。
意見陳述を終えて、裁判長が弁論の終結を宣言し、二人への判決言い渡しは2019年2月28日(木)13時10分から行う、と示して閉廷となった。

 大阪弁護士会館に会場を移して短時間の報告集会が行われた。今日の最終意見陳述を担当した二人の弁護士からそれぞれ感想と思いが述べられた。第7民事部は今年に入ってから裁判長が今の松永裁判長に交代した。それまでに積み重ねてきた被爆の実相、実態の主張が正確に理解されていない可能性もあるので、あらためて写真や絵も見せて再認識してもらうつもりで最終準備書面を作成したとのことだった。K・Sさんと苑田さんが具体的に関係した場所、状況も写真や絵と一緒に説明し、視覚的にも訴えられるよう工夫した書面となったようだ。その中から抜粋で今日の法廷でのプレゼンとなった。

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 諸富弁護士によると、原告側の最終準備書面はこれまでの他の裁判でも主張されてきた意見などもしっかりと参考にし、100ページを超える内容で提出された。これに対し被告国側の出してきた最終準備書面はそれぞれ20ページそこそこのあっさりしたもののようだった。証人尋問でもどこまで本気で争おうとしているのか疑いたくなるような被告側の態度だった。こんな相手の裁判に負けるわけにはいかない。原告の思いはしっかりと裁判官に届いたのではないか。いい判決を期待し、5ヶ月後にはみなさんと共に喜びあいたいと述べられた。

9・27諸富_convert_20190227205957

 苑田さんは報告集会にも参加され、弁護士のみなさん、支援のみなさんへのお礼の言葉を述べられ、来年2月28日にはいい結果が出るよう願っていると挨拶された。参加者全員からねぎらいと激励の拍手が贈られた。
 報告集会では残念なことも報告された。今年1月16日の大阪高裁第13民事部判決で敗訴となった3人の原告の上告に対して、9月19日までに上告受理申し立てを棄却するとの書面が届いた。最高裁は3人の被爆者の訴えを審理することもなく事実上の門前払いとしてしまった。原告の中岸勝さんと原野宣弘さんの申請疾病は狭心症だった。塚本郁男さんは火傷瘢痕を申請していた。いずれもこれまでの地裁や高裁では認定された判決事例もたくさんある疾病ではないか。何故受け止められないのか、残念でならない。この悔しさ、無念さを乗り越えていくためにも、闘い続けている他の原告の裁判を必ず勝利していかなければならない。
 10月は第2民事部の本人尋問、医師証人尋問、第7民事部の本人尋問、医師証人尋問も含めて法廷が連続する。尋問が行われれば結審も近く、判決の日も具体的に見通せてくるようになる。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟もいよいよ大詰めだ。支援の手を緩めることなく、被爆者の願い実現に向けてこれからもさらに頑張っていこうと誓いあってこの日の報告集会は閉じられた。

9・27梶本_convert_20190227210042

 2017年に採択された核兵器禁止条約は、各国の署名・批准のとりくみが開始されて1年が経過した。核兵器廃絶国際デーの9月26日、国連本部では条約の署名・批准書提出式が行われた。この日新たに4つの国の批准が報告され、批准した国は合計19ヶ国になると報道された。署名国は67ヶ国にのぼる。化学兵器や対人地雷禁止条約など他の非人道的大量破壊兵器禁止条約の時と比較して、核兵器禁止条約は記録的な早いペースで批准が進んでいるとの評価だ。
 9月26日には核兵器廃絶国際デーに呼応して日本国内でも全国各地で条約のアピールと「ヒバクシャの訴える核兵器廃絶国際署名」のとりくみが行われた。京都でも、「ヒバクシャ国際署名を大きく広げる京都の会」が雨をついて街頭署名宣伝行動を行った。
世界の大勢は明らかだ。核兵器禁止条約署名と批准はどんどん進んでいく可能性は高い。3回目となる朝鮮半島南北首脳会談は南北の軍事的敵対関係の完全終結を宣言し、朝鮮半島の非核化に向けた具体的な行動の一歩を踏み出した。世界はこの変化と行動を心から歓迎し、支持と期待を高めている。多くの国々や世界の市民団体が平和の実現に向けて惜しみない努力を重ねている今、本来なら東アジアの一角を占め、被爆体験国の日本こそ東アジアと世界の平和と安定のために能動的で積極的役割を果たさなければならないはずだ。
 ところが8月28日に閣議了承された平成30年度防衛白書では、北朝鮮の核・ミサイルについて「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」と明記された。2019年度概算要求では北朝鮮などのミサイル攻撃に備えるためとしたイージス・アショア配備が数千億円もの予算要求を伴って計画されるなどしている。世界の大勢に真っ向から対抗する、水を差すどころか、世界の平和と安全を損ない、脅かしかねない、時代に取り残された、孤立に向かう日本政府、安倍政権の姿勢は憂うばかりだ。
 核兵器禁止条約の一日も早い発効のために、世界からの核兵器廃絶のために、ヒバクシャ国際署名を中心とした運動をこの秋も一層強力にとりくんでいきたい。特に、核兵器禁止条約に署名・批准し、世界の運動に貢献していくような日本政府を実現していくことが、私たちにとって固有の最大の課題だ。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年10月17日(水)13:10 1007号法廷 地裁第2民事部 本人・医師尋問
2018年10月31日(水)10:00  407号法廷 地裁第7民事部 本人・医師尋問
2018年10月31日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 1月30日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 2月28日(木)13:10 806号法廷 地裁第7民事部 2人判決言い渡し
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被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(65)
今秋から来年にかけて山場を迎えるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟!
社会的にも歴史的にも重要な意味を持つ裁判。それに恥じない判決を!
2018年8月31日(金)


 2018年(平成30年)3月末の被爆者のデータが公表された。全国の被爆者数(正確には被爆者健康手帳所持者数)は16万人を切り、154,859人となった。昨年より-9,762人(-6.0%)、1万人近い減少だ。平均年齢も82.06歳で昨年から0.65歳上昇した。手帳所持者数の最も多かったのは1980年(昭和55年)の372,264人とされており、今やその半数以下(41.6%)までになっている。核兵器の実戦使用が人間に対して何をもたらすか、その非人間性の有様を自らの体験で訴えることのできる生き証人が年を追って少なくなっていく今、一人でも多くの被爆者の体験を語り継ぎ、1日も早く被爆者の悲願-核兵器廃絶を成し遂げなければならない、という思いをあらためて強くする。

 被爆者健康手帳所持者数の内、原爆症認定されている人(いわゆる認定被爆者)の数は7,640人。被爆者総数の5%にも満たない、依然として低い水準に止まっている。いや、止まっているのではなく昨年の8,169人から-529人もの減少だ。一方で、認定被爆者からその「認定」が外された人が対象となる特別手当受給者数は、昨年の1,890人から378人も増えて2,268人となっている。新規の認定審査の厳しさが続くだけでなく、一度は認定を受けた人も、更新の手続きに際して、病気は完治したとみなされ、つまり医療的措置はもはや不要とされて、特別手当への切り替えが強引に進められているのではないか。深刻で懸念される事態を想定してしまう。

 記録にも記憶にもないほどの猛暑、酷暑が連日続く中、それを乗り超えて、今年の夏も核兵器廃絶を求め、平和を訴えるとりくみが広島、長崎を中心に各地で開催された。昨年7月7日の国連での核兵器禁止条約の採択から丁度1年、まだ発効には至らないものの世界の国々は着実に署名と批准を積み上げてきている。ICANのノーベル平和賞受賞は、核廃絶を強く求める各国政府と市民運動との連帯・共同こそが世界を牽引する力であることを示した。朝鮮半島の南北首脳会談、それに続く米朝首脳会談は、歴史を変え、未来に向けて希望の途を切り開いた。その土台には、営々と積み重ねられてきた世界の反核・平和運動の歴史と蓄積、そして特に韓国の人々の政治を国民の手に取り戻す熱い思いと運動のあったことを私たちは学んだ。
 広島市の平和祈念式典では、広島平和宣言において核兵器禁止条約への強い期待が述べられ、湯浅広島県知事の挨拶は「核抑止論」の誤りを痛烈に批判した。さらに、長崎市の平和祈念式典での平和宣言、そして被爆者代表・田中煕巳さんの「平和への誓い」では、核兵器禁止条約に背を向ける安倍政権への厳しい批判が率直に投げかけられた。
 両市の式典での安倍首相の挨拶は、核廃絶と平和を願う人々に対して、そして被爆者に対して、何も応えようとはしない最悪のものだった。核兵器禁止条約について一言も触れず、朝鮮半島含むこの一年の著しい国際情勢の変化について何も語ることがなかった。被爆者が最も強く求めているのは原爆症認定制度の抜本的改革と、「黒い雨」地域を含む被爆地域の適正な拡大などだが、それに対する言及も一切なかった。出てきたのは今年も「原爆症認定審査の迅速化」だけであり、これほど間の抜けた挨拶はない。これが被爆者に対して、世界に向けて発する一国の首相のメッセージなのか。あまりのお粗末さに恥ずかしい限りだ。
被爆者の実態に、被爆者が73年の生涯をかけて求めてきたものに、心から向き合い、国際社会の先頭に立って核兵器廃絶のリーダーシップを発揮していく、そのような姿勢を高らかに掲げる政府、政治を本当に実現していかなければならない。そのことを多くの人々があらためて肝に銘じる今年の夏となった。

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は、5月16日(水)第7民事部(松永栄治裁判長)での医師証人尋問を終えて以降、この間、6月20日(水)第2民事部(三輪方大裁判長)の弁論、7月31日(火)第7民事部の弁論、8月27日(月)第2民事部の弁論と3回の法廷を重ねてきた。
 6月20日(水)第2民事部での弁論では、豊島達哉弁護士が今年3月27日の東京高裁判決の結果を明示して、同種の事件として、東京高裁判決と同じ立脚点に立って判断するよう求める意見陳述をした。東京高裁は6人の原告全員が放射線起因性を認められて勝訴した。6人の申請疾病は下咽頭がん、心筋梗塞(2名)以外にも、これまで積極的認定疾病の範囲にされてこなかった脳梗塞(2名)、バセドウ病まで含むものだった。国の主張する他原因論は徹底して排除された。そして国はこの結果を受け入れ上告を断念した。近畿訴訟第2民事部の原告7人の申請疾病も全員が固形がん、悪性リンパ腫、そして心筋梗塞だ。東京高裁判決を踏まえれば、そして上告しなかった(できなかった)国の判断に従えば、もはや争う余地などないはずだ。この主張に、国側代理人は正面から答えることができない。

 7月31日(火)第7民事部の弁論、8月27日(月)第2民事部の弁論では口頭での意見陳述はなく、文書での確認と進行協議によって秋以降の訴訟日程が確認されていった。

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 大阪地裁で争われている原告は第2民事部で7人(その内国家賠償請求のみの原告が2人)、第7民事部が4人。合わせて11人 のそれぞれの訴訟スケジュールは次のようになった。

第2民事部 Bグループ(淡路登美子さん、高橋一有さん)
 10月17日(水)13時10分から本人尋問と穐久英明医師の証人尋問
 2019年2月頃最終意見陳述(結審)
 2019年5月~6月頃判決(見込み)
Cグループ(Y・Mさん、O・Hさん、Y・Iさん)
 Y・MさんとO・Hさんは故人。Y・Mさんの入市状況の証人、O・Hさんの医師証人について調整中。
 次回弁論は10月31日(水)15時から
Dグル―プ(M・Yさん、N・Kさん)
 Cグループに続く審理を進行中。
第2民事部の次々回の弁論は2019年1月30日(水)15時から

第7民事部 Cグループ(T・Iさん、W・Hさん)
 10月31日(水)10時からT・Iさんの本人尋問、河本一成医師の証人尋問
Dグル―プ(苑田朔爾さん、K・Sさん)
 9月27日(木)13時30分から最終意見陳述、結審。
近畿訴訟も大詰めを迎え、今秋から来年にかけて、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の本当に大きな山場を迎えていくとこになる。

 8月27日(月)第2民事部の法廷終了後の報告集会では、尾藤廣喜弁護団幹事長から、この夏の全国の弁護団合宿の内容や最高裁のことなどについて報告された。全国的には今、重要な争点として要医療性の問題が焦点化し、それとの闘い、対策が大きな課題になっている。例えば国は、白内障治療において点眼薬投薬は医療として認めないとか、経過観察だけの場合も医療行為とは認めないという事例が相次いでいる。原爆症認定された人が更新をする際に、要医療性の判断で継続が認められない例も著しく増加している。最高裁に上告されている案件でも要医療性が問題となっている例が多くなっている。全国の弁護団合宿ではこのことについての対策が重大課題となった。

 もちろん放射線起因性についても依然として争点であることに変わりはなく、それぞれどう対応していくかがこれからも問われてくる。ノーモア・ヒバクシャ訴訟の新規の提訴者は今後は予定できない。現在係争中の原告の判決を原爆症認定制度の改革にどうしても結び付けていかなければならない。
国会議員への働きかけも強めて、政治的運動もはかって早期に解決できるようにしていく必要がある。そのためにも、これから迎える近畿訴訟の一連の判決は大きな力となる。これまで以上の傍聴応援の参加も強め、裁判所への訴えも強めていこう。

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟で係争中の原告11人の内3人までが判決を聞くことなく他界された故人であり、遺族が承継して続けられている裁判だ。また健在ではあっても法廷まで出向いて証言したり、意見を述べることがもはや困難な原告も少なくい。被爆から73年も経過して、もはや被爆当時の詳細な記憶や証人証言などを求めることはできるはずがない。被爆者に具体的な立証を求めることなど限界を超えていることを理解しなければならない。その限界を乗り越えるためには、裁判所が被爆者の立場に立って、被爆者援護法の精神に則って、何より被爆者救済を第一に判断していく姿勢で判断していくことが求められる。これまで多くの裁判官がその立場で判断し、被爆者の被った被害を原子爆弾によるものと認め、国の責任で救済していくことを命じてきた。私たちは今も裁判所に、裁判官にそのことを強く求めていく。
裁判長の姿勢、態度が鋭く問われている。多くの市民の目、社会の目もそこに注目していることを示していかなければならない。この秋以降判決を迎えるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は社会的にも歴史的にも重要な意味を持つ裁判だ。それに恥じない判決を求めていこう、訴えていこう。

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以上は6月20日(水)第2民事部の弁論後の報告集会での藤原精吾弁護団長からの訴えの要旨。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年 9月27日(木)13:30  806号法廷 地裁第7民事部 2人最終弁論
2018年10月17日(水)13:10 1007号法廷 地裁第2民事部 本人・医師尋問
2018年10月31日(水)10:00  407号法廷 地裁第7民事部 本人・医師尋問
2018年10月31日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2019年 1月30日(水)15:00 1007号法廷 地裁第2民事部 弁論
2018.09.15 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(64)
闇は光に勝てない、嘘は誠に勝てない、真実は沈まない、私たちは諦めない!
「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・全面勝利をめざすつどい」に90人!
2018年6月4日(月)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の最初の提訴者(2008年7月9日)から丁度10年目を迎える6月2日(土)、「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・全面勝利をめざすつどい」が大阪グリーン会館を会場に開催された。被爆者、原告、弁護団、支援の人々あわせて90人が集まった。
 昨年の「つどい」開催は国連の核兵器禁止条約をめざす第2会期直前で、ホワイト議長案も既に発表されていた時だった。日本原水協の高草木代表理事の講演に、歴史的事態の進行に胸の高鳴りを覚えながら聞き入った。あれから1年、核兵器、被爆者をめぐる状況は大きな変化を生み出し、希望の光を見るようになってきた。7月7日史上初めての核兵器禁止条約が遂に採択された。 10月6日には日本被団協と共に世界の核廃絶を訴えてきたICANへのノーベル平和賞授与が発表された。平昌オリンピックを機に朝鮮等半島の南北交流が始まり、今年4月27日は南北首脳会談が実現。6月12日の米朝首脳会談も目前に迫ってきた。朝鮮半島の最大の課題は非核化。朝鮮半島の非核化と北東アジアの平和と安定化はもはや誰も止めることができない奔流となってきている。原爆症認定も、今年に入ってから大阪、広島、名古屋、東京と被爆の実相に基づいた、被爆者の願いに沿った画期的判決が相次ぎ、集団訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟で積み重ねられてきた被爆者運動の歴史の集大成を築き上げる時を迎えている。みんながこの1年の大きな変化、事態の進展を感じながらこの日の「全面勝利をめざすつどい」に集まることになった。

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 プログラムの一番目は日本被団協事務局次長の和田征子さんによる記念講演。演題は「草の根の運動が歴史を動かした―核兵器禁止条約の採択、そしてこれから」で、お話しは①母が伝える被爆証言、②被団協の設立から核兵器禁止条約採択まで、③核兵器禁止条約の内容、④バチカンでの国際会議、⑤そしてこれから の構成で進められた。

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 和田さんは1943年、爆心地から2.9㌔の長崎市中心地で生まれ、1歳と10ヶ月の時に被爆された。お母さんから聞かされた、伝えられてきた長崎の人々と被爆地の惨状を生々しい画像とともに語られた。戦後の歴史では、1946年1月26日の国連総会第一号決議が原子兵器撤廃のための提案を行う委員会設置を求めるものであったこと、1954年ビキニ水爆実験被災を契機に原水爆禁止運動と被爆者運動が始まっていったこと、1977年8月2日開催の「被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関するシンポジウム」(7・7シンポ)の果たした重要な意味が詳しく語られた。核兵器禁止条約については、議長草案で示された4つの基本方針(既存の国際文書を補う補完性、「抜け穴」を許さない強化、簡潔かつ非差別性、将来のことを念頭に置いた柔軟性)から説明され、そのお陰で条約本文一つひとつの持つ意味をより深く理解することにつながっていった。

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 和田さんは昨年11月10日~11日、バチカンでの国際会議「核兵器のない世界と統合的軍縮への展望」に出席されており、その内容と様子も報告された。会議では「すべてが結びついている」とする暫定的結論がまとめられたとも紹介された。武器としての核兵器だけでなく、開発に要する資金、労力、エネルギー、教育や環境等々人が平和に生きるための様々な権利が核によって蔑にされている実態。この問題解決のために共に頑張りましょう、対話して行動しましょう、と呼びかけられた。会議では和田さんもスピーチされ、和田さんに贈られた大きな拍手は被爆者全体に贈られた激励の拍手だったと感動的な様子も紹介された。

 和田さんは最後に「そして、これから」と題してこれからの私たちの運動について次のような訴えをされた。核兵器廃絶の運動をここまでやってこれたのは、三度目の核兵器の使用を許さなかったのも私たち草の根の運動の力と成果だった。核抑止力論はすでに破綻し、核を持たないことこそ最大の抑止力であることが明らかになっている。核を保有する国々、その政府だけでなく国民に対しても一層働きかけを強めていき、具体的な変化を作り出していこう。そのために被爆者はさらに被爆の実相を伝えていく。ヒバクシャ国際署名などの署名運動も強めていきたい。“一人ひとりの魂に届くような言葉”でもって働きかけていきましょう

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 休憩を挟んで二つ目のグログラムはシンガー・ソングライター川口真由美さんのミニコンサート。川口さんのうたごえは昨年の「つどい」でも披露され、大変好評だったので今年も是非ということになったようだ。熱唱は今回も参加者を力強く励まし、いっぱいのエネルギーがもたらされた。特に最後に唄われた韓国の歌は胸に強く響くものだった。この歌は、客船セウォル号沈没事故に際して当時の朴槿恵政権に対する抗議の歌として生まれ、その後韓国の朴政権打倒大運動の広がりと共に韓国国民を励まし続けた歌だと紹介された。最後のフレーズは、今の日本の、民主主義も憲法も破壊してしまおうとする策動とそれを許さない運動の状況ともピタリと重なり合い、私たちをも大いに励まし、勇気づけられるものだった。
“闇は光に勝てない、嘘は誠に勝てない、真実は沈まない、私たちは諦めない!”

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 三つ目のプログラムとして弁護団事務局長の愛須勝也弁護士から「ノーモア・ヒバクシャ訴訟の到達点と課題」が報告された。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟の全国の提訴者は今日まで121人だった。この内、地裁の勝訴が56人(敗訴24人)、高裁の勝訴が6人(敗訴7人)、最高裁での上告棄却・不受理が2人、自庁取り消しによる認定が25人に至っている。現在引き続いて裁判を争っている原告は35人までとなり、内訳は地裁17人(大阪11人、長崎6人)、高裁13人(東京1人、広島11人、長崎1人)、最高裁(第三小法廷)5人(大阪3人、名古屋1人、広島1人)となっている。
 今年に入って各地で画期的な判決が相次いだ。1月16日の大阪高裁では甲状腺機能低下症の3人の原告に勝訴判決が下された。国はこの近畿訴訟控訴審に焦点を当てて甲状腺機能低下症についての司法判断を覆そうとあらゆる手立てを講じてきたが、それをはねのけ国の野望を挫いての勝訴だった。この判決の持つ意味は大変大きかった。続く1月23日の大阪地裁第7民事部では労作性狭心症の原告1人が勝訴した。判決理由は全面的に原告側主張に基づいたものだった。その結果は3月27日の東京高裁判決での狭心症疾病の判断にも、その後の近畿訴訟審理にも大きな影響を与えている。2月9日には広島高裁で白内障の放射線起因性、要医療性を認める判決が下されこれも全国に大きな影響を与えてきた。3月7日の名古屋高裁では要医療性を争点としていた2人の原告がいずれも逆転勝訴判決を得た。そして3月27日東京高裁で6人の原告全員が勝訴判決を勝ち取った。国は心筋梗塞などについてこの東京の控訴審に焦点をあてて全力を集中してきたがそれらはすべて退けることになった。東京高裁は狭心症も含めて、バセドウ病や脳梗塞など厚生労働省の定める積極的認定疾病以外の病気についても広く放射線起因性を認めた判決で、そのことの持つ意味も大変大きいものだった。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟、原爆症認定制度改革の闘いはいよいよ山場を迎えている。全国の弁護団では、上告された5名の原告の最高裁での闘いをどう勝利していくか、地裁・高裁合わせて7人の原告が闘う長崎訴訟勝利のための全国的な支援について、この二つのことに焦点をあてて対策を強めようとしている。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟の残された原告は35人。新たな提訴者はもはや難しい状況となっている。このまま裁判が終結していくだけとなれば、認定制度は何も変わらず、「被爆者の死に絶えるのを待つ」厚生労働省の思う壺になりかねない。高裁段階で勝ち取ってきた司法判断を力にして認定基準、認定行政そのものを実際に変えさせていくことが今何よりも重要となっている。日本被団協の提言された認定制度抜本的改定案をベースにしながらも、一連の判決に基づいて実際の認定基準を改めさせていくこと、具体的には積極的認定疾病の拡大、距離や入市日など被爆状況基準の緩和、要医療性基準の見直し等々をはかるよう、当面の改善要求を強く求めて実現していくことが求められている。4月18日に行われた院内集会では、野党合同ヒアリングを開催して厚生労働省に対して認定行政のあり方を問い正していく予定も明らかにされた。さらに与党も動かして全面的な解決に向けてとりくんでいくことになる。

 今年の夏に向けて、8・6に向けて大きな動きを作っていく必要があり、全国の弁護団もそのために頑張っていく。みなさんも一緒にさらに奮闘していこうと訴えられた。

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 この日の「つどい」には現在も裁判を闘い続けている原告が2人、1月の判決で勝訴した人が2人、あわせての4人の被爆者が参加されていて、紹介され、係争中のお二人に花束が贈られて激励された。

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 最後に西晃弁護士からまとめと閉会のあいさつが行われた。毎年この時期に「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・全面勝利をめざすつどい」を開催してみんなの団結をはかり、お互いを励まし合ってきた。しかし、いつまでも「勝利をめざすつどい」を繰り返していくわけにはいかない。一日も早く「勝利を祝うつどい」に変わることが求められている。ノーモア・ヒバクシャ訴訟の本当の山場を迎えた今、必ずそのことを実現していけるようにしよう、というよびかけが行われた。
 3つの行動提起(①引き続く傍聴支援と最高裁への要請署名、②厚労省に対して認定基準抜本的改定を求めていく、③「ヒバクシャ国際署名」を広げ2018年原水爆禁止世界大会を成功させる)を全員で確認して、この日の「つどい」を閉じた。




ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年 6月20日(水)15:00 1007号法廷  地裁第2民事部 弁論
2018年 7月31日(火)13:10 806号法廷   地裁第7民事部 弁論
2018年 8月27日(月)15:00 1007号法廷  地裁第2民事部 弁論
2018年 9月27日(木)13:30 806号法廷   地裁第7民事部 弁論(結審)

2018.06.09 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(63)
第7民事部・2人の原告が9月27日(木)結審に!
6月2日(土)「全面勝利をめざすつどい」を必ず成功させよう!
2018年5月17日(木)

 5月16日(水)、先週に引き続きノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟大阪地裁第7民事部(松永栄治裁判長)の医師証人尋問が行われた。今回の証人尋問の対象となる原告はK・Sさん(91歳、京都市在住、申請疾患は狭心症)。2010年に白内障と狭心症と二度も認定申請したがいずれも却下され、2015年に提訴された。2016年2月には元気な姿を法廷に見せて自ら意見陳述されたが、その後相当に体調を悪くされ、今は本人尋問も難しい状況になっている。
 そのK・Sさんを診て、医師意見書を書かれた河本一成医師(あさくら診療所所長)が今回の証人として証言台に着かれた。

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 主尋問は担当の諸富健弁護士。いくつもの客観的データに基づいて心疾患と放射線との有意な関係を証明し、放射線被曝からの狭心症発症機序が心筋梗塞と同様であること、K・Sさんの被爆状況や急性症状から放射線起因性が明らかであること、定期検査や投薬治療の状況から要医療性のあること等が、しっかりと準備された内容で丁寧に証言されていった。被告国側が主張する他原因論に対しても一つひとつ反論を加える形で証言がなされた。K・Sさんの高コレステロール血症は正常値であること、仮に高コレステロール血症だとしてもそのことで放射線起因性は否定されないこと、血糖値も正常でその影響はないこと、高コレステロール血症・高血圧・高血糖自体に被爆の影響を認める論文が存在していること等々。国側は高齢であることまでを他原因にしているが、K・Sさんは18歳という若年で被爆し、40歳という若さで白内障を発症、腹部動脈瘤も罹患している。この事実からも放射線起因性が否定されることにはならないと明快に述べられた。

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 国側の反対尋問は、これまでのノーモア・ヒバクシャ訴訟で何度も繰り返されてきたワンパターンの質問をまだ同じようにやっている、そんな印象を強く持たせるものだった。証人は物理学や疫学、統計学などについての学位があるのか、相当量の放射線量とはどの程度の線量をいうのか、下痢の原因が被爆だという根拠は何か、どんなに低線量被ばくでも発症すると考えているのか、安定狭心症と不安定狭心症の違いは何か、他原因は一切関係していないというのか、等々だ。傍聴している私たちでも質問内容やそのストーリーが想定できそうなほどだった。被爆者、K・Sさんの具体的な被爆の実相、体験してきた病苦のあり様には一切触れない、上から目線のあてがわれた理屈と論理だけに基づいた質問に終始した。それでも河本医師は一つ一つの質問にきちんと答え、最後は、いろいろ他原因を挙げられても、それでも放射線の影響を排除することはできないのだと断言された。
先週の法廷では裁判官からの質問は一切なかったが、今回は右陪席裁判官から簡単な質問が行われ、K・Sさんの体型や仮にK・Sさんの治療が放置されていたらどうなっていたかなどが尋ねられた。

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 閉廷後はいつものように大阪弁護士会館に移動して短時間の報告集会がもたれた。河本先生からは法廷で証言することは大変だけど、そのことで被爆者の医療のこともしっかりと勉強する機会になると挨拶された。まだまだ原爆の影響、被爆の影響は解明されていないことが多く、被爆者のみなさんのためにこれからも一緒に頑張っていきたいとの決意も披露された。諸富弁護士からはゴールデンウィークも返上して河本先生と一緒に尋問の準備をされてきたことが紹介された。今年1月23日勝訴判決を受けた宮本義光さんも狭心症だった。宮本さんの勝訴判決例も随分力になっているとの報告だった。

▼今回、手違いで河本先生の尋問が次回期日になった喜久山大貴弁護士。
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 今回も最後は藤原精吾弁護団長のまとめで報告集会は締め括られた。その中で5月15日(火)にあったノーモア・ヒバクシャ長崎訴訟の判決結果に触れられた。判決のあった長崎訴訟の原告は1人で、白内障の要医療性が争点だった。判決は経過観察中の原告に要医療性を認めず訴えを退けた。不当な判決で重大な問題だ。要医療性問題は3月7日の名古屋高裁判決で2人の原告が逆転勝訴判決を得て、しかし国はその内の1人だけを上告するという暴挙に出た。要医療性評価は重要な問題になっているのではないか。長崎の裁判も第二審で正当な判決となるよう期待していきたい。私たちも今年に入って全国でいい判決の連続してきたことに安心せず、引き続き気を引き締めて頑張っていきたい。ノーモア・ヒバクシャ訴訟の圧倒的な勝訴判決を背景に認定制度の抜本的改革を必ず実現していこう。そのためにも6月2日の「全面勝利をめざすつどい」の成功をと訴えられた。

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 大阪地裁第7民事部の原告は4人。その内の2人―先週の苑田朔爾さんと今回のK・Sさんは証人尋問が終了した。この2人の次回の弁論は9月27日(水)と決まり、その日が最終弁論、結審となることが予定された。そうなると年内にも判決の可能性が出てくる。後の2人についても次回弁論期日は7月31日(火)と決められたが、そのあたりで証人尋問日程も具体的になるのではないかとの見通しであった。
 尚、第2民事部の方は、国家賠償請求だけを訴訟維持している2人を含めて原告は7人。次回の弁論期日は6月20日(水)となっている。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2018年 6月 2日(土)14:00 大阪グリーン会館 全面勝利をめざすつどい
2018年 6月20日(水)15:00 1007号法廷  地裁第2民事部 弁論
2018年 7月31日(火)13:10 806号法廷   地裁第7民事部 弁論
2018年 8月27日(月)15:00 1007号法廷  地裁第2民事部 弁論
2018年 9月27日(木)13:30 806号法廷   地裁第7民事部 弁論(結審)
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