被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(46)
9月14日名古屋地裁判決でも全原告の放射線起因性を認定!
近畿でも地裁、高裁、最高裁の勝利めざして今秋からの運動強化を!
2016年9月18日(日)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟は7月21日(木)の地裁第7民事部、22日(金)の高裁Cグループと法廷が続いた後、猛暑の8月を挟んで1ヶ月以上お休みとなり、9月16日(金)、地裁第2民事部(西田隆裕裁判長)の弁論から再開となった。この間第2民事部では9月9日に新しい提訴者があり原告は合計7人となっている。前回期日の6月15日以降、6月29日の原告全員勝訴を勝ち取った東京地裁第2陣の判決、つい先日9月14日の名古屋地裁判決があった。

 9月16日の第2民事部は午前11時開廷。この日は豊島達哉弁護士によって名古屋地裁判決の要旨が説明され、裁判所はこの内容を十分に参考にしていくように、と求める意見陳述が行われた。
 名古屋地裁判決は、4人の原告の申請疾病についていずれも放射線起因性を認めたことに最大の特徴がある。原爆症認定訴訟の歴史で積み重ねられてきた司法判断が今回もはっきりと示された。すなわち、国の言うDS02等により算定される被曝線量はあくまでも一応の目安に止めるのが相当であって、個々の被爆者の被爆状況、行動、症状等に照らし、様々な形態での外部被曝・内部被曝の可能性を検討し、健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたかどうか判断していく必要がある、とするものだ。国の定める放射線起因性判断基準は今回も明確に退けられた。
 判決は、被爆を検討するに当たっては、初期放射線に加えて残留放射線の影響も十分考慮する必要があり、また若年被爆者にみられるように放射線に対する感受性には個人差もあるので、被曝の影響は爆心地からの同心円距離などで単純に測れるものではない、とまで丁寧に指摘されている。
 前もって届けられていた判決要旨を読むと、原告4人の被爆状況と申請疾病が示されていた。原告の一人Mさんは20歳の時に被爆、被爆状況は不明だが申請疾病は右目白内障。Yさんは12歳の時に5.4㌔で被爆し、原爆投下当日1.5㌔まで入市、申請疾病は右上葉肺がんと左乳がん。Tさんは9歳の時に5.4㌔で被爆し、原爆投下当日1.5㌔まで入市、申請疾病は慢性甲状腺炎。Kさんは2.6㌔で被爆し申請疾病は心筋梗塞と狭心症。Mさんの白内障、Yさんのがんは言うまでもなく国の定める積極的認定疾病の対象であり、被爆距離の条件などから国は却下処分したものと思われるが判決はそれを誤りと断定した。Tさんの慢性甲状腺炎は、積極的認定疾病の一つである甲状腺機能低下症の原因となるもので、低線量域においても放射線被曝との関連性は否定できないとして起因性が認められた。Kさんの心筋梗塞は積極的認定疾病ではあるが国は被爆距離を2.0㌔以内などと条件付けており、わずか600㍍の差を理由に却下処分していたのかもしれない。判決は心筋梗塞についても「低線量域においても放射線被曝との関連性は否定できない」としてしきい値論を否定している。
 ただ今回の名古屋地裁判決は原告4人の内2人については要医療性がないとして棄却した。放射線の起因性は認めながら、要医療性の否定を理由に2人が敗訴となった。判決は、被爆者が積極的な治療行為を伴わない経過観察が必要な状態にある場合は、被爆者援護法上は健康管理の検査等で対応すべきで、法の言う医療にはあたらない、と極めて制限的な解釈を示した。
 これに対し豊島弁護士は、外形的には同じように見える「診察」であっても、疾病の再発や悪化の状況有無を判断する「診察」と一般的健康診断とは明確に区別され、当該疾病の場合は医学的処置と判断されなければならないものだと主張し、名古屋地裁判決の不十分さを厳しく指摘した。
 判決要旨を読んで疑問に思ったのは、要医療性の判断についてことさらに被爆者援護法の第3章第2節「健康管理」が持ち出されていることだ。被爆者には健康管理に係る援護として健康診断が行われているのだから、積極的な治療行為を伴わない検査等の経過観察などは「医療」の援護ではなく「健康管理」の援護でカバーすればいいではないか、したがってその場合には原爆症認定における要医療性にも適合しないことになるのだ、と。国がそんなことを主張するのならまだしも、裁判所がそのような理屈を述べることに強い違和感を覚えた。被爆者援護法の趣旨にもとる、物事をまったく履き違えたこんな理屈が通用するのだろうか。国の言う理屈がそのままとりこまれてしまったのではないかと危惧されるような判決だ。
 豊島弁護士の意見陳述は最後にもう一度、名古屋地裁の特に放射線起因性についての判断を尊重し、参考とするように訴えて終えられた。



 いつものように大阪弁護士会館に会場を移して短時間の報告集会が行われた。豊島弁護士からあらためて今日の意見陳述の要旨が説明された。国は放射線起因性で争っていたのではもはや国の主張に沿った判決を得ることができなくなっているので、それに代わる意見をなりふり構わぬ形で強めており、そのターゲットが要医療性の否定であり、もう一つが徹底した他原因の主張だ。今回の名古屋地裁だけでなく、近畿も含めた全国的な状況となっていて、それは国側が追い詰められていることの証でもある、との説明だった。
 愛知県の被爆者支援ネットワークからは、名古屋地裁判決での勝訴原告に対して国は控訴しないよう求める要請運動を、全国から強めて欲しいとする訴えが呼びかけられている。控訴期限は9月28日(水)。近畿からも厚生労働大臣に対する要請を積極的に集中していきたい。

 報告集会のまとめの中で尾藤廣喜弁護団幹事長から全国の状況、全国弁護団会議のことなども簡潔に紹介された。裁判に勝たなければ原爆症認定を得ることができないこの異常な状態を一日も早く解決し、司法判断の到達点に従った認定制度の抜本的改革をはかるために、今一番重要になっているのは圧倒的な国民世論の形成だ。そして与野党含めて国会議員への働きかけも強めていく必要がある。そうした状況の中で、近畿から上告されている2人の原告の最高裁での動向が決定的に重要な意味を持ってくる。最高裁の場合は国民の声が届かないまま判断されていく可能性もあり、そうはさせてはならない。そうはならないよう私たちの声をしっかりと届けていくとりくみがとても重要になっている。先日の全国弁護団会議でもこの最高裁に対して全国的な支援を行なっていくこと、そして全国の弁護団として最高裁への要請活動を強化していくことも確認された。最高裁の動向と、各地のノ―モア・ヒバクシャ訴訟の地裁・高裁の状況とがお互いに響きあって、相乗効果をもたらしながら大きな運動にしていく必要がある。この秋、運動を一層強めていこうと訴えられて報告集会は締められた。
 尚、大阪地裁第2民事部の次回期日は12月21日(水)15:00となったことが報告された。
 近畿訴訟は、地裁、高裁あわせて3つの法廷が同時進行しており傍聴参加も結構大変だ。閉廷後の報告集会を毎回々々時間をかけて丁寧に行なう必要もないとは思うが、オール近畿の支援者が一堂に会するこの貴重な機会を生かして、時にはしっかりとした状況報告、意見交換、とりくみ方針の確認などが行なわれるようにしていくことを望みたい。
 7月末には弁護団、医師団合同の会議が行われ、個別疾病についての意見書作成がなされると前回期日後の報告集会で説明されていた。8月5日・6日には全国の弁護団合宿も行なわれている。こうした夏の期間の弁護団、医師団の大奮闘と成果が、私たち支援者にも分りやすい内容で伝えられ、共有化され、力になるようにしていきたい。9月3日にはノーモア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団支援団体合同会議も行なわれている。その内容が近畿のみなさんにも報告されて、近畿の実態に即したとりくみが検討がされていく必要があると思う。最高裁に上告された二人の原告の闘いは全国的な支援でとりくまれるとの報告だったが、私たち近畿こそその先頭に立たなければならず、そのための具体化も急がれる。近畿の次の判決、10月27日の地裁第7民事部の2人の原告の判決も目前に迫っている。
残暑は厳しくても、夏の間に培ったエネルギーと成果を今こそ発揮して、これまで以上に力強い運動を進めていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 9月30日(金) 16:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)


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2016.09.19 Mon l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(45)
東京地裁第二次判決全員勝訴に引き続いて、近畿での巻き返しを!
7月21日、22日二日連続の法廷で奮闘!

2016年7月26日(火)

 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟は7月21日(木)と22日(金)2日連続の法廷となり、近畿の原告、弁護団、支援の人々は梅雨明けの猛暑の中連日大阪裁判所へ集結することになった。
 21日(木)は午前11時から地裁第7民事部(山田明裁判長)の弁論期日。第7民支部の係争原告は7人。この内E・KさんとU・Kさんの二人は既に結審済みで10月27日(木)が判決言い渡し日と決まっている。後の5人の内、最も新しい提訴となった原告、苑田朔爾さん(神戸市在住)本人による意見陳述がこの日行なわれた。

苑田さん_convert_20160726213036

 苑田さんはあらかじめ用意された意見書をはっきりとした口調で読み上げて陳述していった。苑田さんは1941年(昭和16年)9月生まれで74歳。3歳と11ヶ月の時、長崎市東小島町の自宅で被爆した。両親と本人と妹さんの4人家族だったが、父親は昭和18年にビルマへ出征し、昭和20年1月中国で戦死している。苑田さんの生い立ちの中で触れられた父親についての簡潔な一節だったが、そこには聞き流すことのできない重いものを感じてしまう。苑田さんの父親は何のためにビルマへ出征したのか。アジアの国々への侵略のために駆り出されたのではないか。そして家族のもとに帰れないまま異郷の地で果てることになったその無念さはどれほどだったか。白い布に包まれた遺骨を迎えた親子3人の悲しみはどれほど深かったか。苑田さんの父親についての陳述は、今、日本の自衛隊の海外派兵計画が現実の可能性をもって浮上しつつあることと重なりあっていく。何のために、何を目的に、日本の軍隊が外国に出ていかなければならないのか。一切の誤魔化しを許さず、真実を見抜き、自衛隊員を戦争の犠牲になど絶対にさせてはならない。

 苑田さんの住んでいた自宅は爆心地から4㌔ほどの距離ではあったが、高台にあって爆心地方向がよく見える、向き合うような位置関係にあった。このため爆風をまともに受け、その時の凄まじい様子と体験は母親からよく聞かされてきた。原爆投下の8日後、8月15日に母方の祖父の家を頼って一家揃って疎開することになり、爆心地付近の真っ只中を、長崎の街中を歩いて縦断していった。

 苑田さんはその後、母親の手一つで育てられ、小学校、中学、高校時代を過ごし、成長していく。被爆者であることによるいじめは随分ひどく辛いものだった。また、自分はいつか原爆症で死ぬのではないかとの恐怖にも襲われてきた。そのため原爆のことからは逃げ回るようにして生きてきた苦悩の人生だった。しかしベトナム戦争の残忍な実態を知ることが契機となって、核兵器の非人道性も追及するようになり、自身の被爆のことにも向き合うようになっていった。
被爆する前は手に負えないほどの腕白坊主だった苑田さんだが、被爆後は全身倦怠感、気管支疾患等に悩まされ、終生虚弱な体質となってしまった。いろんな病気に見舞われた後、2012年に前立腺ガンが見つかり全摘手術を受けた。被爆が原因で前立腺ガンになってしまったことをはっきりさせたいとと思い原爆症認定申請をするに至った。しかし、申請は却下。爆心地からの距離が500㍍ほど遠いからとか、爆心地への入市日が4日ばかり遅いからとか、たったそれだけの理由で、機械的に判断された結果だと思われる。
 苑田さんは陳述の最後に、「出来ることなら生まれ変わって3歳11カ月からもう一度生きなおしてみたいです」と締めくくって裁判長に訴えた。

 裁判終了後は短時間報告集会がもたれた。意見陳述された苑田さんから、被爆の悲惨さ、むごさ、辛さは、思いはあってもなかなかその通りには文章にできなかったと率直な感想が披露され、みなさんへの感謝の挨拶が述べられた。

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 愛須勝也弁護団事務局長から6月29日東京地裁第二次判決のその後の状況について報告が行われた。全国から寄せられた「国は控訴するな」の声にも関わらず、山本英典原告団長一人が控訴された。山本団長が立派なのは「他の原告は判決確定し、控訴されたのが自分一人で良かった」と思いを述べられていることだ。その思いを支え応えるためにも早期の解決をめざして全国的な支援を強めていく必要がある、との報告だった。藤原精吾弁護団長もまとめのあいさつで山本団長の控訴を厳しく批判しつつ、一審で全員勝訴を勝ち取ったことは近畿訴訟をもう一度押し戻していく大きな力になると訴えられた。

 藤原団長の以下のような最後のあいさつでこの日の報告集会は終了した。今世界ではバングラデシュやフランスなどでテロが相次ぎ大きな問題となっている。しかし、普通の暮らしをしている無防備の市民を何のためらいもなく無差別に大量虐殺したのが原爆、核兵器であり、これ以上のテロはない。そのことを改めようとしないこと自体に大きな間違いがあり、私たちは声をあげ続け、政府を変えていかなければならない。7月末には医師団と弁護団の合同会議を、8月5・6日には全国の弁護団合宿も予定している。みなさんと一緒に完全勝利をめざしていきたい。
尚、最高裁に上告されていた故梶川一雄さんの裁判が最高裁第一小法廷に係属となったこともこの日の報告集会で紹介された。

 翌日の22日(金)は午後2時から今度は大阪高裁Cグループ(一審原告6人)の控訴審口頭弁論が行われた。高裁Cグループは今回から裁判所の構成が変わり、新しく高橋譲裁判長となっていた。裁判の更新が確認された後、この日は豊島達哉弁護士による意見陳述が行われた。

豊島西_convert_20160726213014

 豊島弁護士の陳述は6月29日の東京地裁第二次(原告全員勝訴)判決の内容を用いたもので、高裁Cグループでも大いに参考にすべきであると訴えた。東京地裁判決は従来から積み重ねられてきた司法判断をより明瞭に示すものだったが、中でも「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(通称:原発事故子ども・被災者支援法)」第1条を引用しての判決は特筆ものだった。第1条はその文中において、「現時点において放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険については科学的に十分解明されていない」ことを明らかにしている。この指摘は、国の主張する「科学的知見」なるものの信頼性を根本から突き崩す判決ではないか、ということだ。しかもこれは原告側からの主張で示されたものではなく、裁判所自身の判断で採用明示された判決文ということでも重要な意味を持つ。

 また、大阪控訴審において国は依然としてDS02、DS86による推計被曝線量の「定量的評価」が不可欠だなどと主張しているが、それは過小評価になると東京地裁判決は断じていること、他原因によって疾病の発症が説明できれば放射線起因性を否定できるかのようにいう国の主張もその誤りがはっきり指摘されたことなど、ことごとく国の主張は排斥されている。そうしたことを徹底して明らかにする意見陳述だった。

 陳述後、今後の訴訟進行についての主張が行われた。一審原告側は甲状腺機能低下症及び心筋梗塞についての詳細な意見書を検討、作成中で、8月中には提出の見通しであることを明らかにした。一審被告の国側も甲状腺機能低下症一般論について意見書を準備中で、原告側の意見書を見た上で意見書を出したいとした。しかし一般論であるなら、過去の例を見ても放射線被曝との関係は何ら明らかにされるものではない。そうであるなら、原告側の意見書とは関係なくさっさと提出すべきではないかとの主張に、裁判所も同意し、国側の速やかな意見書提出が確認される一幕があった。

 この日も昨日に続いた報告集会が短時間もたれ、まず愛須弁護団事務局長から控訴審の状況について説明がなされた。近畿訴訟は高裁での逆転敗訴が2件続いており、その経験からしっかりとした意見書を作成してのぞむべく準備が進められている。そのための7月末弁護団、医師団合同の会議であり、個別疾患についての意見書作成だ。場合によっては証人尋問も予定していくとのことだった。豊島弁護士による今日の意見陳述についての説明の後、最後に尾藤廣喜弁護団幹事長からまとめが行われて報告集会を終了した。東京地裁第二次判決で一人だけ控訴されたということは、それだけ国も追い込まれているということだ。控訴して係争状態を続けていかないと現状が維持できないからだ。8月5日・6日と全国の弁護団合宿を行なうが、そこでは原爆症認定制度改定の今後の方向について運動面も含めて議論することになる。福岡、東京とすばらしい判決が続いてきた中で、いよいよ近畿の地裁、高裁判決が非常に重要な意味を持ってくる。裁判はもちろん、裁判以外の場面での運動も含めてこの夏大いに頑張っていきたい。

 尚、両日の法廷でそれぞれ今後の期日が決められた。地裁第7民事部の次回は9月30日(金)午後4時から、高裁Cグループの次々回は12月16日(金)午前11時から。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 9月16日(金) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告6人)
2016年 9月30日(金) 16:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年 12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年 9月14日(水) 名古屋地裁 判決(原告4人)





2016.07.26 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
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2016.07.01 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
今回は平さんの被爆二世の裁判傍聴記ではなく、ノーモア・ヒバクシャ東京第2次訴訟判決の傍聴記を、復代理人として言い渡しに立ち会った私近畿弁護団事務局長が報告します。

2016年6月29日、東京地方裁判所民事38部(谷口豊裁判長・平山馨裁判官・馬場潤裁判官)は、6名の原告全員(遺族原告1名を含む)全員について、国の却下処分を違法として、取り消す全員勝訴の画期的判決を言い渡しました。
昨年2015年10月29日の原告17人全員勝訴の判決に続き、東京訴訟の大勝利です!!

写真は、旗だしを担当した白神、萱野、武田の若手弁護士。
東京地裁の被爆の実相を明らかにする総論書面、それに基づくプレゼンは素晴らしかったという評判です(立ち会えなかったのが残念)。

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判決は東京地裁103号法廷で言い渡されましたが、法廷は東京、埼玉、千葉、神奈川等からかけつけた被爆者の皆さんでびっしり満員でした。近畿訴訟は被爆者の皆さんより支援者中心ですが、傍聴席いっぱいの被爆者の姿に圧倒されます。

原告団長の山本英典さんは、集団訴訟の原告ですが、そのときには1審敗訴、控訴後に厚労省が認定(自庁取消)されたので、初めての勝訴判決ということで、ひときわ喜びが大きい。本当に嬉しそうでした。

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判決後、衆議院第2議員会館に場所を移し、東友会の家島さんと長谷川弁護士の司会で始まった判決報告集会。
最初に、「これまでの原爆症認定裁判の結果」について、吉田弁護士が報告。
2013年12月16日、厚労省が現行審査の方針に再改定後、2015年10月29日、東京地裁で原告17人全員勝利の大勝利を収めたが、同じ日の大阪高裁では、まさかの逆転敗訴。
その後、捲土重来を期した2016年2月25日の大阪高裁で、まさかまさかの逆転敗訴で連敗(悪夢がよみがえる)。
しかし、2016年4月11日の福岡高裁では、1審熊本地裁の勝訴原告について国の控訴を棄却。
そして、今回の6人全員勝訴。素晴らしい!!

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喜びの山本英典団長。
判決の言い渡しは、「主文が別表「申請者」欄記載の者がした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請(同「疾病」欄記載の疾病に係るもの)につき、処分行政庁が同「処分日」欄記載の日付でした却下処分をいずれも取り消す。」と原告の名前を一人一人読み上げなかったので(大阪地裁では、読み上げることが多い)、聞いただけでは分からない。
ちょっと不親切かなと判決内容についても心配になりましたが、判決要旨を読むと、何と素晴らしい。

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原告水野正治さん。
広島の爆心地から2.2kmで被爆し、甲状腺機能低下症を申請疾病とする原告。

判決要旨では、「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険については科学的に十分に解明されていない」(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律1条参照)状況にあるとされている」という記載が目に付いた。いままでの判決の中にはなかった記載で、東京弁護団が新たに主張したのだと思って確認したところ、弁護団が主張したのではないということ。裁判所が、公知の事実として記載したのか。いずれにしても、素晴らしい!

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(挨拶の順番は前後しますが)原告の川崎武彦さん。長崎3km、2日後に西山地区に入市という甲状腺機能低下症を申請疾病とする原告。
判決は、川崎さんのような遠距離被爆者については、「放射性降下物や誘導放射化物質による放射線の被曝や内部被曝の影響については、別途の評価を経る必要があり、個々の被爆者についての原子爆弾の被爆の状況や急性症状の有無等の具体的な事実関係のいかんによっては、急性放射線症候群が発症し得る水準の放射線被曝が確信されるような場合もあり得る」と直曝線量にこだわる国の主張を否定。

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原告の立野季子さん。長崎3km、心筋梗塞。判決は、立野さんのような「現行の新しい審査の方針が積極認定の対象として定める各疾病に係る被爆距離及び入市時間の範囲には多少及ばない被爆者であっても、その被爆の状況等からみて、実質的にみて放射線被曝の程度が同等であることが推認できる者であれば、現行の新しい審査の方針において放射線起因性を原則的には積極認定するとされる者と同様に取り扱うことが要請されるべき」と判示。素晴らしい!
娘さんの差別のことをお話されていましたが、集会には娘さんも一緒に参加され、お二人とも本当に嬉しそうにされていたのが印象的でした。

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参議院選挙で国会議員の皆さん、ほとんど国会を留守にする中、お一人駆けつけてくれた民進党の初鹿明博議員。
貴重な時間を割いてかけつけていただいたことに感謝。
民進党の皆さんも選挙で躍進していただき、政治解決に尽力していただきたいです。

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埼玉の被爆者の会の参加者としても参加された日本被団協の田中熙巳事務局長。
これだけの被爆者の皆さんが集まれば、政治を動かすこともできるという実感。
ぜひ、これからも一緒に裁判に取り組んでほしい。

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判決内容の報告をする中川重徳弁護団事務局長。
中川さんも本当に嬉しそうでした。おめでとうございます!!
これからも全面解決向け、一緒にがんばりましょう。

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東友会代表理事の大岩孝平さん。
原告とともに裁判をたたかって来られた。
高齢の原告の皆さんに、これ以上、裁判を強いるのかと国、厚労省に控訴断念することを訴えられたが、同じ思いです。

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判決に対する声明を読み上げる東友会の山田玲子さん。

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         2016 年6月29 日

厚生労働大臣  塩崎 恭久 殿

ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国原告団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京原告団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団連絡会
ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京弁護団
日本原水爆被害者団体協議会
一般社団法人東友会(東京都原爆被害者団体協議会)

声 明

  ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京地裁(2次)判決について


1 本日,東京地方裁判所民事第38部(谷口豊裁判長・平山馨裁判官・馬場潤裁判官)において,6名の原告(遺族原告1名を含む)全員について,国の却下処分を違法として取り消す全員勝訴の画期的判決が言い渡された。

2 判決は,放射線起因性の判断について,援護法の趣旨に立脚し,「現時点において確実であるとされている科学的な経験則では証明できないという理由のみによって,放射線線起因性を直ちに否定することには慎重であるべきである」と判示した。
また,積極認定の距離・時間には多少及ばない被爆者について原則的には積極認定対象者と同様に扱うことが要請されるとし,距離・時間に乖離がある被爆者についても,個別的な特殊事情の有無や当該疾病の発症機序等を踏まえ放射線起因性の有無を慎重に検討すべきであると判示した。

3 今回勝訴した原告6名のうち5名は,2013年12月16日に改定された新しい審査の方針(平成25年新方針)の積極認定に関する疾病,被爆距離ないし入市時間の基準に該当しない原告である。そして,前立腺がんの要医療性が争点となった原告についても,定期的なフォローアップも必要な医療にあたるとして国の主張を斥けた。

4 厚労省は,全国の被爆者が原爆症認定集団訴訟に立ち上がる中で,2008年「新しい審査の方針」を策定して積極認定の制度を導入し,国は2009年8月6日に日本被団協代表との間で「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」を締結した。この確認書には「訴訟の場で争う必要のないように,定期協議の場を通じて解決を図る」と明記されている。それにもかかわらず,厚労省は,みずから策定した「新しい審査の方針」の運用を狭め,原爆症認定行政を後退させたため,被爆者はノーモア・ヒバクシャ訴訟を全国の裁判所に提訴せざるを得ない状況となった。
  今回の東京地裁判決は,昨年10月29日の東京地裁民事第2部における17名全員勝訴の判決,本年4月11日の福岡高裁判決とともに,国の後退する原爆症認定行政を痛烈に批判し,かつ司法と行政の乖離がいまだ埋められていないことを明確に示す内容となっている。

5 原爆症認定集団訴訟以来の司法判断の流れに沿う今回の東京地裁判決に対して,国は控訴を断念し,重い病気で苦しんでいる原告らに対する早期救済をはかり,原爆被害に対する償いをはかるべきである。
  被爆71年に当たる今年5月,原爆投下国であるアメリカのオバマ大統領が広島を訪問し,「いつか証言する被爆者の声が聞けなくなる日が来るでしょう。しかし,1945年8月6日の朝の記憶は薄れさせてはなりません」と述べた。原爆症認定問題の最終的な解決をはかるべき時は今をおいてない。国は,これまでの認定行政を断罪した累次の司法判断を厳粛に受け止め,日本被団協の提言に沿って司法と行政の乖離を解消する,法改正による認定制度の抜本的な改善を行い,一日も早く,高齢の被爆者を裁判から解放すべきである。
  私たちは,国が,18万余の被爆者が生きているうちに,原爆被害に対する償いを果たすことこそが,核兵器をなくすという人類のとるべき道の歩みを進めることになると信ずる。                     以  上

最後は、懇親会でともに勝利を喜び合いました。
写真は、一度、掲げてみたかったという「全面勝訴」の旗(正式名称は「びろーん」あるいは判決等速報用手持幡というらしい)を掲げる東友会の村田未知子さん。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟の事務局として、訴訟を支えてくれています。
今回の全員勝訴判決は、原告と被爆者を中心とする支援の皆さん、医師団、弁護団の共同の力で実現したもの。
これからもよろしくお願いします。

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近畿訴訟では、集団訴訟の終結に関する「8・6合意」の趣旨に反した国の控訴により、2人の原告が高裁で逆転敗訴という悔しい思いをしました。全面解決に大きく道を開くためにも、この素晴らしい判決を確定させる必要があります。
控訴期限は、7月13日(水)。
全国から厚労省へ、「控訴するな!!!」の要請をお願いします。


2016.06.30 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(44)
“ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい”に86人の参加!
文字通りの全面勝利を誓いあう!
2016年6月20日(水)

支援集会1

 “ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい”が6月11日(土)、大阪グリーン会館で開催された。86人の参加だった。プログラムの最初は藤原精吾弁護団長による「ドイツからのレポート」と題した特別報告。今年3月ドイツ・フランクフルトとアルノルツハイマンで開催された“核使用に反対する世界会議-「路上で、裁判所で、核リスクに抗議する法と宗教」”に出席されての報告だ。

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この世界会議は、市民の運動と法的な闘いとを合体させて核兵器廃絶をめざしていこうとするもので、プロテスタント教会の人々の主催による。5年目を迎える福島原発事故発生の日、3月11日に焦点をあて、3月9日~11日が開催日にあてられた。広島・長崎の被爆者の今も続く苦しみ、ビキニ環礁含むマーシャル諸島における核実験被害、そして福島第一原発事故による被害の実相が報告されている。藤原弁護団長がノ―モア・ヒバクシャ訴訟の現状を報告、マーシャル諸島の核実験被害はドイツの研究者が調査報告、フクシマについてはデルテ・ジーデントップ医師(核戦争防止国際医師会議)、中島孝氏(生業を返せ!福島原発訴訟原告団長)、おしどりマコさんらによって報告された。全体の報告者は20人ほどにもなっているが、中には、自然エネルギーから起業し、再生エネルギー発電で商業ベースにまで達しているシューナウ電力会社設立の報告もあった。
世界会議では、どのようにして核廃絶への道筋をつけていくのか、様々の角度から報告、提言、意見交換が行われている。中でも特に関心を持った報告は、マーシャル諸島共和国による国際司法裁判所への提訴のことだ。小さな国マーシャル諸島共和国が核保有9ヶ国を相手に、NPT条約に従って早期に核軍備競争を停止し、誠実に核軍縮の交渉開始を行なうよう訴えている。ちょうどこの世界会議の開催時期と同じ時、3月8日~16日の日程で国際司法裁判所での口頭弁論が行われていた。意見陳述したのはオランダの弁護士とマーシャル諸島共和国の外務大臣とのこと。訴訟の道筋は容易ではないようだが、今後の動向を注視していきたいと思う。
 世界会議では、法律と宗教の力、それに市民の運動を加え、世界中の市民運動が連帯して核兵器廃絶の実現をめざしていくことが確認されている。この日、藤原団長の特別報告は15分という短い時間枠でのものだったが、もっと詳しく聞きたいと思った人は多かったのではないか。

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 次いで、福島医療生協わたり病院の斎藤紀(おさむ)先生による記念講演が行われた。当初の開催案内では「ヒロシマ・ナガサキとフクシマをつなぐもの」(仮題)と題した講演テーマだったが、講演時間との関係から「なぜ原爆訴訟を継続してきたか」に内容変更されてお話しされることになっていた。
 講演は、原爆投下から医療法、特別措置法の制定、原爆個別訴訟、集団訴訟、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟へと続く71年の歴史を俯瞰することから始まり、被爆者と援護制度の成立、それを生みだしてきた一つひとつの裁判闘争の成果、意味が語られていった。歴史全体を振り返りつつ、その中での一つひとつの運動と事象の意味、値打ちがあらためて解説され、私たちの認識が深まっていく。ABCC(後の放射線影響研究所)の研究目的が被爆者の疫学調査へとシフトしていき、それに伴って残留放射線の人体への影響が否定されることになっていったこと、それを背景にした1968年の原爆特別措置法成立であることなど、あらためて学ぶことが多かった。原爆症認定集団訴訟は初期放射線決定論から脱却して被ばくの実相を切り拓いてきた。ノ―モア・ヒバクシャ訴訟は「他原因」自体も放射線の影響によるものだと新たな知見を示し、被爆の実相をさらに明らかにしてきている。人間に及ぼす放射線の影響、その真実を解明していく営みの中に私たち自身も参加してきたことを教えられたように思う。原爆個別訴訟以来被爆者の闘いは、法を土台にした闘いであり、同時にその法を克服の対象にした闘いでもあったという説明には、なるほどと深く同感するところがあった。講演の最後に述べられた “原爆症裁判は国民の財産である”という訴えはあらためて強く受け止めたいと思った。
 ノ―モア・ヒバクシャ訴訟に際して私たちは、広島・長崎の被爆者だけでなく福島原発事故被災者救済のことも絶えず念頭に置き、ノ―モア訴訟の結果が原発事故被災者救済にも深く関係していくのだと自覚しながら裁判を闘っている。その原点は被爆者と同様、原発事故被災者の身に起こる健康問題、今と将来の健康被害の実相だ。そういうことからも、現地福島の医療現場の第一線で活躍されている斎藤先生から、フクシマの現状についても是非お話を聞かせていただきたかった。

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“つどい”はその後ケイ・シュガーさんの歌とトークを楽しみ、原告のみなさんに激励の花束が贈られ、続いて愛須勝也弁護団事務局長から「弁護団からの報告」が行われた。2013年末の「新しい審査の方針」策定以後、国は猛烈な巻き返しをはかってきており、その影響は残念ながら武田武俊さんや梶川一雄さんの控訴審逆転敗訴判決にも及んだ。しかし一方で、昨年10月29日の東京地裁第一次判決では17人の原告全員が勝利判決を勝ち取っている。また今年4月11日の熊本訴訟福岡高裁勝訴判決は、集団訴訟以降の判決水準をあらためて確認する重要な内容をもつ判決だった。
今近畿訴訟の原告は、最高裁2人、大阪高裁6人、大阪地裁の第2民事部と第7民事部合わせて13人、合計21人となる。この間の流れを食い止め、最高裁の2人も含めて近畿訴訟の全員勝利、全面勝訴をめざしていかなければならない。弁護団もあらためて体制を整え、民医連医師団との全面的な協力関係を再構築してのぞんでいる。裁判官が被爆の実相を見ずして安易な判決を下すことなどないよう、法廷でのあり方ももう一度様々に工夫していきたい。今が踏ん張りどき。法廷の内外でこれまで以上のとりくみを、一層の活動強化を、と訴えられた。

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最後に西晃弁護士から4つの行動提起が行われ、参加者全員で確認。文字通りの全面勝利を誓いあった。
① 毎回の裁判傍聴支援と10月27日の判決に向けた署名等の活動の強化
② 上告した2人の原告勝利のために最高裁への要請行動の強化
③ 全国の運動と連帯して認定制度の抜本的改革を求める
④ 核兵器廃絶と脱原発社会実現に向けて2016年夏のとりくみを積極的に。

 翌週の6月15日(水)午前11時から、ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟地裁第2民事部(西田隆裕裁判長)の口頭弁論が1007号法廷で行なわれた。この日は第2民事部の6人の原告の内の一人Y・Mさんについて、国の主張に対する反論の準備書面を説明する形での意見陳述が担当の崔信義弁護士によって行われた。Y・Mさんは7歳の時長崎の爆心地から4.0㌔で被爆。その後2度も爆心地を通過して入市による被爆もしている。申請疾患は食道がんだが、ご本人は既に他界されており、奥さんの承継によって裁判は闘われている。
 Y・Mさんに対して国は入市被爆の事実を否定し、さらには他原因を持ち出して放射線起因性をも否定している。国による入市の事実否定の理由は被爆者手帳申請書にそのことが記載されていないからという、もはや難癖としか思えないようなものだ。4㌔での直爆の事実だけで申請事由が足りれば入市のことまで書く必要のなかったことは明らかではないか、と崔弁護士は説明される。Y・Mさんの放射線起因性否定の理由は飲酒と喫煙の相乗効果論を根拠にした他原因論だ。しかしY・Mさんは食道がん手術の20年も前から禁煙を徹底していてその記録もはっきりと残されている。崔弁護士は飲酒と喫煙によるリスク増加論と禁煙によるリスク減少論の二つの角度からの論文を示して、Y・Mさんの食道がんと飲酒・喫煙との間に関連性のないことを証明していった。さらにLSS第14報に示された新しい知見に基づいて、7歳という若年時の被爆、爆心地への長時間入市という事情によってもY・Mさんの食道がんと被爆との間に強い関連性のあることを説明されていった。
閉廷後の報告集会には第2民事部の二人の原告も参加されて行なわれた。崔弁護士から今日の意見陳述の内容についてあらためて説明された後、愛須弁護団事務局長から現在の弁護団のとりくみ状況が報告された。国は近畿、東京、名古屋、広島の各地それぞれについて、個別の疾病ごとの意見書を出してきており、我々の側もそれに対応するために疾病ごとの反論意見書作成を進めている。悪性腫瘍、甲状腺機能低下症、副甲状腺機能亢進症、白内障、心筋梗塞、という具合に。そのための医師団・弁護団合同の集中した対策会議も精力的に重ねられていることが紹介された。
報告集会は最後に尾藤廣喜弁護団幹事長の次のような挨拶で閉じられた。国は一人ひとりの原告の症状や被爆の状況について詳しく立ち入り、言わばケチをつけるようなやり方で原告の訴えに対応しようとしている。そのことによって裁判を引き延ばし、負ければ控訴し、最終的に負けとなればその人だけを認める。遠からず被爆者のなくなるのを待つ姿勢だ。原告一人ひとりへの個別のやり方には個別の対応もしなければならないが、本来はそうした個別の立証を求めること自体間違っている。本質的にはそういう状況を変えていかなければならない。相当程度の被爆があって、病気との一般的な因果関係が明らかになれば、明確な他原因がない限り原爆症と認める。このことを裁判所も理解するようにしていかなければならない。また政治的な決着も含めて運動を強めていかなければならない。被爆者の救済について政府の決断を迫っていくことになる。ノーモア・ヒバクシャ訴訟は被爆者救済政策のあり方を問うていく裁判だ。法廷も裁判の回数も多くなってきて大変だが、今こそ力を尽くして頑張っていこう。
尚、地裁第2民事部の次回期日は9月16日(金)午前11時からと決められた。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年7月21日(木) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年7月22日(金) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年9月16日(金) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告6人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年 6月29日(水) 15:00 東京地裁第2次訴訟 判決(原告6人)
2016年 9月14日(水) 名古屋地裁 判決(原告4人)

2016.06.21 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(43)
「線量評価」と他原因論に固執する国の主張を徹底批判して弁論終結!
地裁第7民事部の二人の原告の判決が10月27日と決まる!
2016年5月11日(水)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の地裁第7民事部(山田明裁判長)は7人の被爆者が原告だが、その内の2人が5月10日(火)結審を迎えた。一人は内田和子さん(83歳、神戸市在住)。13歳の時長崎で被爆、申請疾患は乳がんだ。もう一人はE・Kさん(83歳、男性、奈良県大和高田市)で、同じく13歳の時長崎で被爆し、陳旧性心筋梗塞と腹部大動脈瘤の認定を求めている。提訴以来既に内田さんは2年半を超え、E・Kさんは3年近くになる。解決を急ぐため審理の進んだ二人は分離して結審、判決されるという異例の措置となっている。二人の結審は元々は3ヶ月前の2月9日に予定されていたものだった。本当なら今頃は判決が近づいていたかもしれない。2月9日の期日直前になって国が突然要医療性を否定する準備書面を出してきて、拙速な判断を避けるために、やむなく今日まで結審が遅れることになった。

 この日は弁護団を代表して3人の弁護士が最終意見陳述を行ない弁論を締め括った。最初に中森俊久弁護士が総論となる意見陳述を行なった。国は依然として「被爆者の放射線起因性の判断には的確な線量評価が不可欠である」とか、「他原因が存在する可能性が否定できない時は放射線起因性を認めることはできない」と、旧態依然たる主張を繰り返している。これに対し中森弁護士は、長崎松谷訴訟の最高裁判決を引用して国の主張を厳しく批判した。「国の主張するDS86としきい値論を機械的に適用する限り、入市被爆者や遠距離被爆者などに生じた急性症状を説明することはできない」、「例えば、発生するはずのない地域で発生した脱毛を放射線以外の原因と断ずるには、ちゅうちょを覚える」等々だ。国の主張は最高裁判決が明確に排斥した当時の厚生省の上告意見となんら変わらない、すでに破綻済みの主張だ。起因性についての判断の基本はそれ以降、原爆症認定集団訴訟とノ―モア・ヒバクシャ訴訟に引き継がれ、被爆者の被爆の状況、急性症状、被爆後の行動と生活状況、発症に至る経緯などを総合的に把握、考慮して判断されなければならないとする、司法判断の基本が積み重ねられ確立されてきたのだと強調された。
 国は主張の中で、昨年10月29日に下された東京地裁の17人全員の勝訴判決を「極めて特異な判断基準を使用した裁判例」となどと攻撃し、大阪高裁で続いた二つの敗訴判決を殊更に強調して取り上げているようだ。一方で今年4月11日の熊本訴訟福岡高裁での3人の原告勝訴判決には一言も触れていない。こうした国の偏狭な姿勢についても中森弁護士は厳しく批判した。自ら描く「推定被ばく線量」だけに固執する国は、入市被爆者や遠距離被爆者の身に実際に生じた深刻で多大な被害にどう向き合うのか。被爆者の被害の実態にこそ目を向け、そこに立脚点をおいて、被爆者援護法の趣旨に沿った適正な判断が行われなければならないはずだ。そうした判決となることを願う、とする陳述だった。

中森_convert_20160510202029

 次に原告内田和子さんを担当してきた吉江仁子弁護士が陳述に立った。内田さんの場合、入市日が原爆投下の2日後頃であったのか、国が主張する被爆者健康手帳に記載されている8月14日であったのかが唯一最大の争点になっており、吉江弁護士はその点に絞って意見陳述を行なった。そもそも手帳記載の日付が入市日を特定する決め手にはならないことは、手帳交付申請時に記載された日付が必ずしも正確でないことを幾多の実例が示し明らかにしてきている。内田さんの場合も手帳申請は被爆後36年もの年月を経てからのことであり、そこに過誤が生じたとしても何の不思議もない。そんなことよりも当事者の語る生々しい被爆の実相から真実に迫っていくことの方がはるかに重要だ。吉江弁護士は内田さんの手帳交付申請書に記載されている具体的な被爆体験の記述と、法廷で供述された内容がしっかりと合致していることを示しながら、あらためて内田さんの見たこと、聞いたこと、体験したことの詳細を述べていった。内田さんの証言は本当に迫真に富むもので、そのことが真実性を雄弁に語っている。
 吉江弁護士の陳述を聞きながら、昨年10月24日の本人尋問の日のことを思い出していた。国側代理人による反対尋問は常軌を逸した、まるで刑事事件の被告人尋問と勘違いしているのではないかと思われるような異常さ、執拗さだった。国はなんとしても入市日を8月14日にしてしまいたい。そうすれば積極的認定範囲の条件を外れることになる。そうした意図が見え見えの尋問だった。内田さんは唇をかみしめながらも酷い尋問に耐え、最後まで頑張り通した。今日はその内田さんも、反対尋問をした国の代理人も法廷にはいない。あの日を思い出しながら、あの恨みを判決で晴らしたいものだと密かに思ってしまった。

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 意見陳述の最後はE・Kさんの担当である諸富健弁護士が行った。諸富弁護士は最初に、結審が今日の日まで遅れてしまったことの原因が国の不誠実な訴訟態度にあることを指摘し、厳しく批判することから陳述を始めた。提訴以来今日まで国はE・Kさんの要医療性について一切主張することはなかった。それにも関わらず結審期日直前になって不意打ち的に要医療性についての主張を持ち出し、反論の余地のないまま審理を終わらせようとした。重い病気を抱えながら裁判を闘っている高齢のE・Kさんがどれほど公正な判決を待ちわびていることか、国は想像することもできないのか、と強い思いの籠った抗議だった。
 その上で諸富弁護士は、E・Kさんの被爆状況、被爆直後からの様々な健康障害、戦後の闘病生活をもう一度丁寧に述べていった。国は相も変わらず被曝線量がどれほどのものかと持ち出し、申請疾病の他の危険因子の主張を繰り返しているが、すでに決着済みの議論だ。本人尋問、医師証人尋問の際国は喫煙歴、高血圧、血糖値のことに固執していたが、証人の穐久医師の的確な回答の前に大した追及もできないまま尋問は終わったことを思い出す。国は危険因子の一つに年齢のことまで持ち出しているようだ。年齢まで危険因子にされてしまうと平均年齢80歳を超える被爆者は今後一切原爆症認定はされないことになってしまう。とんでもない恥ずべき主張だ。最後に一刻も早くE・Kさんの苦しみが解放される公正な判決が下されるよう求めて陳述は終えられた。

諸富さん_convert_20160510202114

 この後、山田裁判長が弁論の終結を宣言し、判決は10月27日(木)午後1時10分から言い渡すとして、この日の法廷は閉じられた。

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 法廷での陳述に時間を要したこともあって、終了後の報告集会は短時間での開催となった。今日意見陳述を担当した3人の弁護士からそれぞれに陳述内容のポイントが簡潔に説明された。続いて今日傍聴参加された第7民事部の他のグループの二人の原告が紹介された。一人はノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟のすべての裁判に傍聴参加し続けているT・Iさん(京都府城陽市)。もう一人は昨年8月の提訴で今回初めて参加されたS・Sさん(神戸市)だ。

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その後6月11日(土)に予定されている「全面勝利をめざすつどい」のことをもう一度確認して、最後はいつものように藤原精吾弁護団長の閉会挨拶で報告集会を終了した。挨拶の中で5月4日(木)に全国の弁護団・医師団の合同会議が催されたことなども紹介された。
 第7民事部の次回期日は7月21日(木)と決まった。翌日が控訴審Cグループの弁論期日であり2日連続の裁判となる。立て続く裁判日程だが、一つひとつの裁判に全力をあげてとりくみ、勝利をめざしていきたい。
 結審の前日の5月9日(月)、アメリカのビキニ環礁水爆実験で被災したマグロ漁船の元船員と遺族45人が国の責任を問うて国家賠償請求訴訟を高知地裁に提訴した。元漁船員たちも紛れもなく放射線被ばくの被災者、被害者であり、核兵器による犠牲者だ。若くして多くの漁船員が命を奪われ、今日まで生き延びることのできた数少ない人たちも重い病気に苦しんできた。ビキニ水爆実験の行なわれた1954年(昭和29年)1年だけでも延べ1000隻近いマグロ漁船の被災が記録されていたことが分り、推計によると被害者は万にのぼる。しかし、日米両政府はこれらの資料を隠匿し、被災者の救済も一切放置してきた。棄民政策以外のなにものでもない。
 同時に進められている被災者救済の船員保険労災認定申請と、今回の国家賠償請求訴訟を皮切りに、被災者救済への道が切り開かれていくことを願ってやまない。そのために私たちも連帯したとりくみをすすめていきたい。ビキニ水爆実験の被害は第五福竜丸だけだとされてきた歴史は塗り変えられなければならない。教科書は書き変えられなければならない。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年6月11日(土) 14:00 近畿訴訟全面勝利をめざすつどい 大阪グリーン会館
2016年6月15日(水) 11:00 地裁第2民事部 1007号 弁論(原告6人)
2016年7月21日(木) 11:00 地裁第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年7月22日(金) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁第7民事部 806号 判決言い渡し(2人)

2016.05.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
5月10日の第7民事部の口頭弁論期日における吉江仁子弁護士の意見陳述の内容です。

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意見陳述の要旨
(原告Uさん)
平成28年5月10日
大阪地方裁判所第7民事部合議4係 御中
原告ら訴訟代理人 弁護士 吉江仁子 


1 本件の争点
  本件では、Uさんの被曝線量に関し、入市が、Uさんが当法廷で述べたように被曝後2日後頃であったのか、被爆者健康手帳交付申請書類に記載された8月14日であったのかが、唯一最大の争点です。その点に絞って、意見陳述を行います。(以下では、被爆者健康管理手帳のことを単に「手帳」といいます。)

2 入市日の特定方法について
(1)被告は、手帳交付申請書類の記載を唯一の理由に、Uさんの入市日は8月14日であると主張し、Uさんの当法廷での供述を、「新しい審査の方針」を意識して、変遷させたものである等と論難しました。
(2)しかし、その批判は当たりません。なぜなら、そもそも、日付や数字の記憶は曖昧になりやすく、手帳交付申請書類記載の日付が、入市日を特定する決め手にはなり得ないからです。ことに、Uさんの場合、手帳交付申請書類を作成したのは、被曝後36年もの月日が経過した後の昭和56年のことです。
   このように、入市日の特定は、類型的に過誤記載となりやすい手帳交付申請書類の記載だけでなく、被爆者の体験した事実に関する供述等に基づき慎重に判断されるべきです。

3 Uさんが体験した事実について
(1)手帳交付申請書類には、次のような記載もあります。入市した長崎の街のありさまとして、「ヤケノ原になって居ました。鉄コツ丈け。死亡者をカサネてヤイテおりましたのが今だに忘れられません」。また、「道ノ尾駅に行く途中、原爆にあった人の蚊の鳴く様なうめき声、水を呉れという声、道ノ尾駅で被爆者のやけどただれ、はえがたかりウジ虫がたかった姿はほんとうに忘れられません」。
(2)この入市時に体験した事実に関する記載は、Uさんの当法廷での供述内容と符合しています。それは、これらが、Uさんの体験した事実だからです。
Uさんは入市時の状況について、当法廷で次のように述べました。「嬉野へ行くため、国鉄の線路沿いに歩いて、長崎駅を通り、道ノ尾駅まで行った。線路沿いに歩きながら、汽車を見かけることはなかった。建物もなく焼け野原だった。道のわきでは、こっちもこっちも死体を薪のように積み重ねてぼんぼんぼんぼん焼いていて、赤い炎が見えた。戦争で脚を負傷して帰ってきていて杖をついて歩いていた父親、身重だった母親、姉、5歳年下の盲目の弟が一緒だった。死体を焼く臭いもきつく、道はがたがたで、妊娠中だったUさんの母親は道に足を取られてバランスを崩しよく転倒した。一家は、道ノ尾駅に着いたものの同日は汽車に乗れず、道ノ尾駅の表で夜を明かした。駅の表の大きな木の下に座って夜を明かしていたら、原爆にあった人の「水くれ、水くれい。」という声がした。翌日の汽車で道ノ尾駅から出立した。汽車は、道ノ尾駅からは出ていた。Uさんは、汽車に乗るとき、原爆にあった人たちが駅のベンチに座っていた。その人たちの足はずるむけになって、硫黄のただれで黄色くなって、ハエがいっぱいいた。玉音放送は、嬉野で聞いた。嬉野に着いた翌日ではなく、2、3日後のことである。」このように、Uさんの供述は具体的で迫真性に富むものでした。
(3)ところで、「長崎原爆戦災誌(第3巻、続・地域編終戦前後編)」によれば、8月15日頃には、長崎の町の中は、道ばたなど人目につくところの死体はすでに処理されていたとのことですので、その前日である8月14日の夜には、死亡者を重ねて焼いたり、やけどただれ、はえがたかりウジ虫がたかった被爆者が救護されないまま駅にいたということは考えられません。
   つまり、Uさんが入市時に体験した事実は、被曝2日後頃までの最混乱期の事実であって、8月14日の事実ではないのです。つまり、Uさんが体験した事実によれば、Uさんが、入市したのは、8月14日ではなく、被曝後2日後頃で間違いありません。
(4)被告は、Uさんが体験した事実には目を向けず、手帳交付申請書類に記載された日付だけにこだわり、Uさんを論難しましたが、高齢化した被爆者の救済という被爆者援護法の目的に照らし、かかる被告の態度が誤りであることは明らかです。
2016.05.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
昨日の大阪地裁第7民事部の口頭弁論期日における諸富健弁護士の意見陳述の内容です。

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意見陳述書
2016年5月10日

大阪地方裁判所第7民事部合議4係 御中
            原告ら訴訟代理人  弁護士  諸  富    健

第1 はじめに
  Eさんの申請疾病は原爆症と認定されるべきであることについて、第14準備書面に敷衍して意見を申し述べますが、それに先立ち一言述べます。
  そもそも本件は、2月9日の期日で結審するはずでした。にもかかわらず、今日こうして期日が開かれています。なぜこんな事態になっているのか。その原因は国の不誠実な訴訟態度にあります。国は前回期日に第16準備書面を提出しましたが、これが原告の元に届いたのは前回期日の4日前でした。この書面には、Eさんの申請疾病である腹部大動脈瘤の要医療性について具体的な主張が展開されています。しかし、国はEさんの要医療性について、答弁書で「不知ないし争う」と述べてから約2年5か月もの間、一切触れることはありませんでした。この間、国はEさんに関する書面だけでも4つ提出しています。Eさんの要医療性について主張する機会は十分すぎるくらいあったのです。にもかかわらず、結審予定の期日において、全く新たな主張を展開してこの審理を終わらせようとしました。こんな不意打ちが許されていいのでしょうか。前回期日において、私が時機に後れた主張であるとして却下を求めたところ、国は尋問前には準備をする時間が無かったなどと見苦しい弁明をしました。重い病気を抱えながら裁判を闘っている高齢のEさんが、どんな思いで公正な判決が下されることを待ちわびているか、国は想像することもできないのでしょうか。余りに不誠実な国の訴訟態度に強く抗議します。

第2 原告Eの申請疾病は原爆症と認定されるべきである
1、Eさんは、1932年7月29日に長崎市で生まれました。そして、13歳のとき、自宅近くの広場にいるときに被爆しました。Eさんは、被爆した時の様子について、次のように法廷で述べました。「突然B29の爆音がしたかと思うと、目の前にフラッシュをたかれたように物すごい光が来ました。目前が真白くなりました。そして、爆風が押し寄せて来まして、私の父が私の体の上に重なってくれました。」「それから起き上がったんですが、ものすごく体が熱くて、『熱い、熱い』と叫んでいました。」「周りは砂塵が吹き上がって、長崎市内も全然見えない状態でした。」。
  70年以上経っても脳裏に焼き付いて離れないすさまじい光景、Eさんが体験された恐怖は想像を絶するものがあります。
  自宅は中に入ることも大変なほどめちゃくちゃに荒らされ、当日の夜は自宅近くの墓場に避難したそうです。火災の灰がバラバラ落ちてきて、Eさんは睡眠をとることも難しい状況でした。

2、翌日以降、原爆で焼けたジャガイモやサツマイモ、そして自宅近くの水を飲食して過ごしていたEさんは、12日の午後、友人二人とともに爆心地へと向かいました。爆心地がどういうふうになっているか、また親戚がどうなっているかを見にいくためでした。Eさんは、その経路についてもはっきりと記憶していて、この法廷でも地図で示したとおりです。被爆者健康手帳の申請書類とも整合しており、Eさんが爆心地付近まで入市したことは間違いありません。さすがに国も、この点については否定できずに認めているところです。

3、Eさんは、こうした被爆状況において、多量の放射線被曝を受けました。そのため、被爆直後から様々な健康障害に苦しむことになりました。嘔吐やからだのだるさといった急性症状に襲われましたし、仕事をするようになってからも疲れやすい体質は変わりませんでした。そして、申請疾病である陳旧性心筋梗塞や腹部大動脈瘤をはじめ、白内障や角膜ヘルペス、無症候性脳梗塞など様々な疾病を患っています。Eさんは、1945年8月9日を境に、健康な身体を失い、70年以上にもわたって重く苦しい疾病とともに人生を過ごしてこられました。これほど多くの病気に苦しんできた被爆者が、自分の病気は原爆のせいであると考えることは極めて当然のことではないでしょうか。

4、ところが、国は、無慈悲にもEさんの原爆症認定申請を却下しました。そして、本訴訟においても、国は徹底抗戦の構えを示しています。主な理由は、Eさんの被曝線量が低いこと、申請疾病について他の危険因子を有していることです。
  しかし、国が依拠するDS86やDS02には限界があり、被爆者の被曝線量を推定することなど不可能であることは、40回以上にも及ぶ同種訴訟において決着済みの議論です。Eさんの受けた外部被曝、内部被曝に鑑みれば、国の主張が成り立たないことは明白です。
  また、他の危険因子が有していることも放射線起因性を否定することにはなりません。昨年出された東京地裁判決では、若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものと推認することができるとし、さらに交絡因子について心筋梗塞においてはそもそもその影響が極めて小さいことが認められるとしました。極めて正しい判断です。国は、他の危険因子として年齢まで持ち出しています。こんなことまで放射線起因性を否定する理由として挙げられれば、平均年齢80歳を超える被爆者たちは、今後一切原爆症と認定されないことになってしまいます。このような主張をすること自体恥ずべきことだし、長年身体的にも精神的にも苦しんできた被爆者に対して余りに酷い仕打ちだと言わざるを得ません。

5、Eさんは83歳となりました。国はいつまでEさんを苦しめば気が済むのでしょうか。連綿と続く原告勝訴の同種訴訟の論理に従えば、Eさんの申請疾病が原爆症だと認定されないはずがありません。裁判所におかれては、一刻も早くEさんの苦しみを解放する公正な判決を下していただくようお願いする次第です。
以 上
2016.05.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
本日、第7民事部係属の事件のうち、原告お二人について、分離・結審の上、10月27日に判決の言渡期日が指定されました。
心筋梗塞と乳がんを申請疾病とする原告。
このところ、大阪高裁で逆転敗訴判決を食らっていますので、負けるわけにはいきません。
以下は、本日の法廷で意見陳述書をした中森俊久弁護士の意見陳述。

中森_convert_20160510202029


意見陳述書
2016年5月10日

大阪地方裁判所第7民事部合議4係 御中
          上記原告ら訴訟代理人  弁護士  中  森  俊  久

1 被告は、本件訴訟においても、「科学的経験則を特定の原告に当てはめて放射線起因性の判断に用いるためには、的確な線量評価が不可欠である。」(被告第13準備書面9頁)とか、「特定の個人について放射線起因性の有無を判断するためには、特定の個人ごとに原爆放射線以外の他原因と当該疾病の発症との因果関係の存否についても検討する必要がある。そして、当該因果関係が存在する可能性が否定できないときに、放射線起因性の要件該当性を認めることも許されない。」(同13頁)等の主張をしています。
 しかしながら、これらの主張は、長崎原爆松谷訴訟で当時の厚生大臣が上告理由として主張し、その後の最高裁判決によって排斥されている見解を蒸し返しているにすぎません。即ち、長崎松谷訴訟において、当時の厚生大臣は、「残留放射能、体内被曝の影響については、被上告人は被爆の一週間後に爆心地付近を列車で通過したに過ぎず、その居住した地域を考慮しても、DS八六が推定する値からはるかに低い程度の放射線の被曝があったに過ぎないと推認され、さらに、具体的にどの程度の放射線の被曝があったかについて具体的な数値を概算でも示すことができないのであるから、被上告人に対するこれらの影響を肯定できるだけの経験則はいまだに示されていない。」であるとか、「現実の原爆被爆者は、劣悪な生活環境と栄養状態にあったのであり、このような状況下での放射線被爆の影響は、近時の医療現場や原子力作業場における被曝とはおのずから異なるものがあると推認されると判断しているが、現実の被爆者が劣悪な生活環境と栄養状態にあったことはむしろ被上告人の受傷した広汎な脳孔症の治療遷延の理由となる。」と主張したものの、最高裁判所は、「DS86としきい値理論とを機械的に適用することによっては前記三1(七)の事実(注、入市被爆者や遠距離被爆者に生じた脱毛等の急性症状が認められたこと)を十分に説明することができないものと思われる。例えば、放射線による急性症状の一つの典型である脱毛について、DS86としきい値論を機械的に適用する限りでは発生するはずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放射線以外の原因によるものと断ずることには、ちゅうちょを覚えざるを得ない。」等述べて、先述の2点を含む厚生大臣の8つの論点に関する上告理由をすべて排斥し、「放射線起因性があるとの認定を導くことも可能であって、それが経験則上許されないものとまで断じることはできない。」として、放射線の起因性を認めました。

2 このような原爆症認定制度の趣旨、目的に照らしたうえでの起因性の立証に関する判断は、その後の集団訴訟及びノーモアヒバクシャ訴訟の判決に引き継がれています。
 いわゆる原爆症認定集団訴訟(第1陣)の大阪高等裁判所判決(平成18年(行コ)第58号:2008年(平成20年)5月30日判決)は、放射線起因性についての立証の対象につき、「放射線起因性の判断にあたっては、原爆放射線被曝の事実が疾病等の発生又は進行に影響を与えた関係(専ら又は主として放射線が起因している場合のほか、体質や被爆時の体調などの要因やストレス等の他要因が影響している可能性が否定できない場合においても、他要因が主たる原因と認められない場合を含む。)を立証の対象とするのが相当であり」とし、また、放射線起因性の立証方法については、「疾病等が発生するに至った医学的、病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく、被爆状況、急性症状の有無や経過、被爆後の行動やその後の生活状況、疾病等の具体的症状や発症に至る経緯、健康診断や検診の結果、治療状況等を全体的・総合的に把握し、これらの事実と、放射線被曝による人体への影響に関する統計学的、疫学的知見等を考慮した上で、原爆放射線被曝の事実が疾病等の発生又は進行に影響を与えた関係が合理的に是認できる場合は、放射線起因性の存在について、高度の蓋然性をもって立証されたものと評価するべきである」(335頁。)としています。
 また、近時の平成27年10月29日東京地裁判決も、「他原因の検討」において「疾病の発生においては、一般に、複数の要素が複合的に関与するものであるから、他の疾病要因と共同関係があったとしても、原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には、放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ、放射線起因性が否定されることはなく、放射線起因性を肯定するのが相当である。」(甲A733、306頁)と述べています。被告は、これまでの判例の集積に基づいたなされた同東京地裁判決を「極めて特異な判断基準を使用した裁判例」と断言し、さらには、放射線の影響を過小評価したいとのバイアスのもとで、数多くの遠距離被曝者や入市被爆者の調査結果を個々に論難していますが、結局のところの被告の主張は、総合評価を否定しない一方で、各原告の線量評価と他原因の殊更の強調に固執しているに過ぎず、判例の集積から導かれる総合評価とは余りに対照的であることを改めて指摘しておきます。本年4月11日の福岡高等裁判所判決も、1審で勝訴した被爆者3名についての国側の控訴を棄却し、現在の認定基準である「新しい審査の基準」の不十分さを指摘しました。被爆者行政を担う国が、これまでの多くの被爆者勝訴の裁判例を顧みず、自らに有利に個別判断がなされた判決のみを挙げて、それが「最高裁平成12年判決と整合する。」と主張している限り、本件問題は一向に解決致しません。

3 被告は、本件訴訟において、「原告円田の推定被曝線量は、同原告の主張を前提にしても、初期放射線による被曝線量が0.002グレイ未満、誘導放射線による被曝線量も0.0000016グレイを下回る程度であるから、原告円田の推定被曝線量は、全体量として、約0.0020016グレイを下回る程度である。」(被告第5準備書面・9頁)、「原告内田は、『相当程度の放射線被曝をした』と主張するのみで、その被曝線量が0.2グレイ以上であることすら主張しておらず、また、これが0.2グレイ以上であることを認めるに足りる科学的根拠を示していない。」(被告第9準備書面13~14頁)と主張しています。
 しかしながら、遠距離被爆者や入市被爆者につき、被告の被曝線量を導く論拠に従えば生じないはずの深刻かつ多大な被害が現に生じているのが事実であり、原告は、そのことをこれまで繰り返し主張・立証してきました。被告は、遠距離被爆者や入市被爆者に現に生じている被害の事実をどのように説明するのでしょうか。事実から目を背け、自らが物差しとする線量推定にのみ固執する被告の主張は、既に論理破綻していると言わざるをえません。放射線の影響につき科学的に未解明な部分が多く存在することに加え、きのこ雲の下で生じた惨事につき被告主張とは明らかに矛盾する被害実態を裏付ける多数の証拠が存在する状況のもと、被爆者援護法の制度趣旨に照らした適正な判断がなされることを願います。
以上

2016.05.10 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
 2016年3月9日から11日までドイツのフランクフルトで開催された「核兵器使用に反対する世界会議」に参加した藤原精吾弁護団長の報告。

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会議の報告者
 左から、
   ✦アンドレイ・ジーガ教授(ポーランドシュチエッチン大司教)
   ✦オットー・イェッケル弁護士(IALANAドイツ部会長)
   ✦ヨナタン・フレリッヒス(世界教会協議会 WCC)
   ✦ジョゼフ・トレント記者(ジャーナリスト ワシントンDCパブリック教育センター所長)
   ✦エミリー・ガイヤール教授(フランス カン大学法学部)

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国連159カ国が二度と核兵器を使わない。187カ国が核兵器を持たない。

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ビキニ水爆実験の写真

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水爆実験の成功を水爆型のデコレーションケーキで祝うアメリカ政府関係者

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ハーグの国際司法裁判所

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マーシャル諸島が国際司法裁判所に、核兵器の廃絶を求める訴訟を提起したこと。被告はアメリカ、イギリス、ロシア、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮。核兵器廃絶に向けての1968年核不拡散条約(NPT)と国際慣習法上の核軍縮義務違反を指摘し、義務履行を求める。2016年3月7日から14日まで審理された。

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✦ミヒャエル・スラーデク博士(医師、原発を止め、再生可能エネルギーを生み出すシェーナウ電力会社設立者)

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✦デルテ・ジーデントップ医師(IPPNWチェルノブイリにおける子どもの被害救済に貢献、福島の現状についての意見)福島の子ども30万人を対象とした調査の内容を批判


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✦マリー・ルー・ハーリー教授(自然科学者カナダプロテスタント教団核部会 核、廃棄物問題に関する代表的研究者かつ執筆者 世界宗教者会議の「核なき世界に向けての声明」起草委員会メンバー)

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✦パスカール・ポリカストロ教授(ポーランドシュテチン大学法学部・政治学部教授IALANAポーランド)

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✦ペーター・ベッカー弁護士(IALANAドイツ創設メンバー、元議長IALANA国際元副議長)

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ライナー・ブラウン ドイツ反核法律家協会事務局長

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2016.04.27 Wed l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top