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被爆二世の

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(91)

 

6月11日、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の「はげますつどい」を開催!

闘いは続く、核兵器、原発、核被害者のある限り!

2022年6月21日(火)

 

 

2022年度の「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟支援のつどい」が6月11日()午後1時30分から大阪グリーン会館で開催された。2003年の原爆症認定集団訴訟の第一次提訴以来足かけ20年に及ぶ歴史を積み重ねてきたこの運動も、残された原告は二人(O・Hさん、Y・Mささん)のみとなり、現在最高裁へ上告中だ。今回が最後となる可能性の高い「支援のつどい」。その思いを込めて、会場には弁護団と支援の人々51人が集まり、同時にオンライン配信された個人やサテライトには13人が参加、合わせて64人の「つどい」となった。

 

冒頭、原爆症認定集団訴訟とノーモア・ヒバクシャ訴訟をともに闘いながら、亡くなられて今日の日を一緒に迎えることのできなかった人々に対して黙とう、ご冥福をお祈りした。大阪原水協の川辺理事長の開会あいさつに続き、第一部では奈良大学教授の高橋博子さんによる記念講演が行われた。演題は「被爆者とともに・・私たちの到達点と未来への課題」。高橋さんの専門はアメリカ史。主にアメリカの公文書を通じて、アメリカがどのような核実験を行い、どのように核兵器の影響について分析し、その政策を推進してきたかを研究されてきた。


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高橋さんは2003年3月に同志社大学に博士論文『米政府による原爆情報管理と民間防衛計画 1945年-1955年』を提出。その年9月に学位を得られている。同じ年4月に原爆症認定集団訴訟の最初の提訴が行われ、当時広島に居た高橋さんは小さな新聞記事でそのことを知った。記事は小さかったが、高橋さんにとってはとても大きなニュースだった。アメリカ政府が核兵器の人間に対する影響をいかに矮小化し隠蔽してきたか、その歴史論文を出したばかりの時だった。もっぱらアメリカ政府のやった問題として取り扱ってきたが、日本政府も被爆の実態を無視した行政を行っていることに驚いたからだ。

高橋さんは広島原告団、弁護団に求められて広島地裁に対し、博士論文に基づいた意見書を提出している。ABCC設立の経緯などを解き明かした内容だった。傍聴にも何度となく参加。2006年8月4日の広島地裁判決の日も傍聴席にあり、原告41人全員の勝訴判決を目の前で聞くことができた。あの時、意見書を出してよかったと感無量となり、被爆者のみなさんとともに歩んだことを実感することができた、と当時を思い出しながら話された。あの時は、核を巡る世界の常識がひっくり返る事態だと思った、と。

アメリカ公文書館などから得られた原文データとその日本語訳をたくさん示しながら、1942年のマンハッタン計画開始以来の、核開発、主に放射線の影響に関する研究とその推進体制が話されていった。今日まで一貫しているのは、放射線の内認めているのは爆発後1分間だけの初期放射線のみ、その後の残留放射線はほとんど認めていない、または極端に軽視していること。また被ばくの影響も認めているのは外部被ばくのみで、内部被ばくは今に至るも認めていないこと。放射性物質の研究は、それは人間にとって防がなければならないものとしての発想よりも、兵器としての有効性の観点からの研究が中心であること、など。

昨年の広島高裁「黒い雨」判決は、放射性降下物の存在と人間への影響、飲食などを通じた内部被ばくの可能性を認める画期的なものだった。多くの人々の「上告するな」の運動に押されて当時の菅内閣は上告を断念、判決は確定した。その一方で「内部被ばくの健康影響を広く認めるべきとした点は、これまでの(政府の)考え方と相容れないものであり、政府としては容認できない」とする首相談話を発表した。残留放射能の無視、内部被ばく無視の姿勢があらためて浮き彫りとなった。

しかし、浮き彫りになったのは、被爆者が20年間も勇気をもって提訴し、闘ってきたからだ。そのお陰で日本政府の判断の誤りがはっきりと分かるようになってきた。「私たちの到達点」というなら、それは日本政府の姿勢は変わっていないとしても、核を巡る多くの人々の常識は格段に変わってきたことにある。これから日本政府の見解をどのようにして覆していくか。そのために引き続き、研究者、弁護団、支援の人々が一緒になって、知恵を絞って、頑張っていく必要がある。私もその中の一人として一緒に尽力していきたい、と述べて講演は締めくくられた。

 

第一部の記念講演の後の休憩時間には、私たちの運動を励まし続けてきた横井久美子さんの歌『にんげんをかえせ』が流され、闘いと運動の日々を思い出すひとときとなった。

第二部の前に三浦直樹弁護士によるビアノ演奏行われた。三浦弁護士は長崎地裁において自らのお母さんの原爆症認定訴訟をたたかい勝訴判決を勝ち取っている。演奏されたのは、長崎の龍踊りをイメージした春節祭を祝った曲と、『原爆許すまじ』を鎮魂と怒りでアレンジした曲の2曲。楽しい時間であるとともに、魂を揺さぶられるような圧倒的な迫力を感じる演奏でもあった。


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第二部は、「これまでの原爆症認定集団訴訟・ノーモア訴訟の取り組みを振り返り、『到達点と今後の課題』の観点から―弁護団・支援・被爆者(原告)などからの報告と討論」。西晃弁護士がコーディネータとなり、3人の方々から報告・発言が行われた。

最初は愛須勝也弁護団事務局長。「ノーモア・ヒバクシャ訴訟の歩みと課題」と題した報告が行われた。報告は原爆症認定集団訴訟の前史-松谷訴訟、小西訴訟から始まるが、重点は集団訴訟を一区切りとしてノーモア・ヒバクシャ訴訟に転換していく経緯とその後の展開に置かれた。全国306人の原告が17の地裁からたたかってきた訴訟は連勝を重ね、2009年8月6日の確認書合意(8・6合意)に至る。しかしこの時、厚生労働省は難しい案件を中心に大量の審査請求を隠すように保留したままにしており、8・6合意以降になって毎月500件以上の却下処分を一気に出してきた。これに対して近畿弁護団は全国の中で唯一、“審査の棚上げは許さない”とする、審査滞留者に対する処分の促進、「義務付け」訴訟を提起してたたかってきた。


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こうした事態の中、8・6合意以降も新しい提訴が相次ぎ、近畿では新たな集団訴訟として、新規提訴を促進、従来の集団訴訟とは区別する意味でノーモア・ヒバクシャ訴訟と名前も変えてたたかうことになった。当初は近畿だけのとりくみだったがやがて運動は全国に広がり、最終的に7地裁、120人の原告のたたかいとなった。ノーモア・ヒバクシャ訴訟のこれまでの勝訴率は77.1%。行政訴訟としては異例の高勝訴率を誇り、厚労省の認定基準も3度に渡り改定を実現してきた。

しかしこれだけの司法判断を積み重ねてきても、被爆の実態に向き合おうとしない厚労省の基本的態度は変わっていない。2013年に再改定された「新しい審査の方針」に頑なにこだわり、どれだけ司法が誤りを指摘しても審査方針は一切変更しない。8・6合意に基づく厚労大臣との定期協議は完全に形骸化。司法判断と行政認定の乖離を埋めようとする姿勢は存在しない。今現在も残留放射線の外部ないし内部被ばくの問題を著しく軽視、無視する態度が続いている。

たたかいがノーモア・ヒバクシ訴訟に入って、厚労省が示してきた新たな攻撃が以下の5点にまとめて報告された。愛須弁護士はその背景に、2011年3月11日、東日本大震災と東電福島第一原発事故のあることを強調された。これを機に厚労省の態度は大きく変わる。内部被ばく、残留放射能。低線量被ばくの影響は完全に無視、軽視。被爆者のこれ以上の救済は一切広げないとする態度が強く打ち出されてきた。

  2014年5月21日 「専門家」35名による連名意見書の提出

  原告が有利に引用してきた論文の執筆者による反論意見書の提出

  個別原告ごとに厚労省側の医師意見書の提出と厚労省側医師証人申請

  要医療性に関する新たな攻撃

  2020年2月25日 要医療性に関する最高裁判決

集団訴訟と比較してのノーモア・ヒバクシャ訴訟固有の難しさも生じてきた。審査方針の改定が進む中で、原爆症認定がより難しい原告が増え、時の経過とともに被爆時年齢の低い(当然当時の記憶も乏しい)原告の増加など。被爆者健康手帳申請時に記載された被爆状況がことさらに取り上げられて、被爆の事実を否定する理由にされることもしばしばだった。

こうした事態に対して、全国の民医連の医師による新たな検討チームが結成され、検討会議を経て新しい意見書が提出されるなど、総力を尽くしてノーモア・ヒバクシャ訴訟はたたかわれてきた。

近畿訴訟直近の判決は今年3月18日の大阪高裁第14民事部(本多久美子裁判長)のとんでもないひどい敗訴判決だったが、その一審判決は大阪地裁第2民事部(当時三輪方大裁判長)の逆流判決だった。愛須弁護士はこれを「三輪コート判決」と称して、集団訴訟の到達点とは異質な存在と評された。しかし、これを特異な裁判官の特異な判決だと片付けてはならないとし、集団訴訟・ノーモア訴訟の流れの中で位置付けることが必要だと、強調された。

最後に残された課題として以下の5点が提起された。

  3度にわたり認定基準を変えさせた運動に確信を。特に、被爆者組織がそれほど強固ではなかった近畿で、支援の会がここまで頑張って成果をあげてきたことは全国の模範になるのではないか。

  内部被ばく・低線量被ばくの危険性、核兵器の残虐性を明らかにしてきた運動の成果に確信を。

  到達点を切り崩す「三輪コート判決」を最高裁で翻すための運動を。弁護団は6月6日に上告理由書、上告受理申立理由書を提出。

  司法判断の到達点を行政(認定基準)に反映させる運動。被団協提言の実現。

  被爆者の願いである「核兵器廃絶」「核兵器禁止条約の実現」の運動へ。

最後の最後に愛須弁護士は2010年に肥田俊太郎医師から受け取られた手紙を紹介して、報告をまとめられた。その一部を抜粋で紹介。

「原告と弁護団を核にした被団協と支援グループのたたかいは見事だったの一言に尽きます。訴訟をしたすべての地裁と高裁で原爆放射線の内部被ばくの有害性を立証して勝利したことの意義は万言を尽くしても尽くし切れません。このたたかいの成果が核兵器廃絶の今後の闘争に大きく貢献するであろうことを確信しています。」

 

愛須弁護士に続いて尾藤廣喜弁護団幹事長から、「別の観点から」として3つのことが簡潔に述べられた。


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集団訴訟前史となる小西訴訟は2000年11月の大阪高裁で勝訴判決を勝ち取った。しかし救われたのは小西さん一人。被爆者全体が立ち上がらないと制度は変えられない、ということから集団訴訟をとりくんできた。低線量被ばく、内部被ばくも救われる基準を作らなければならない。福島でも、これから30年、40年後必ず癌が多発するだろう。糖尿病も、心筋梗塞も。私たちの運動の成果が福島の人たちに引き継がれなければならない。

「黒い雨」訴訟の成果の拡大、被害者の救済拡大にも私たちの成果を生かしてもらう必要がある。

ウクライナ情勢の中で核の使用が公言されている。小型の核、使い易い核なら影響は小さいだろうという発想がある。残留放射能、内部被ばくの危険性をまったく軽視、無視した考え方だ。核は絶対に使わせないことを原点にたたかっていかなければならない。

肥田俊太郎先生とは最後までたたかい抜く、やり抜く約束だった。肥田先生の思いに応えるためにも最後まで頑張りたい。

 

報告の最後は支援の人々を代表して兵庫支援ネットの梶本修史さん。梶本さんは、2001年日本被団協が集団訴訟を見越して集団認定申請をよびかけた頃からの関係者で、当時の様々な状況、様子がリアルに語られた。最初の頃、認定申請を進めること自体、該当者の掘り起こしのようなとりくみ自体が大変な苦労だった。各地の被爆者の会への協力依頼、弁護団による電話相談会、民医連での健康診断と相談会等々。兵庫県では支援ネットが支援した認定申請は298人に達する。その多さと共に、そこまでしっかりと記録されている組織力、実務力に驚かされる。


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兵庫県では「原爆症裁判を支援するネットワーク・兵庫」が起ち上げられ、今日まで続く。裁判の傍聴は202号法廷が満席になるほどまでにとりくみが強化され、傍聴することが支援する人々の貴重な学習の場にもなっていった。特筆すべきは民医連の「被爆者医療委員会」の組織。全法人に委員が配置され、定期的な会議開催で活動が支えられた。東日本大震災を機に「兵庫県内避難者支援チーム実行委員会」が立ち上げられ、「被爆者医療」から原発被ばく・避難者支援に重点が移行されている。

梶本さんの報告では、長谷川千秋さんの書かれてきた「裁判傍聴日誌」、その後を私が継承した「傍聴記」にも触れていただいた。大西正介さんが116号まで続けられた『原爆症認定支援新聞』(ニュース)も含めて、情報の共有化、その継続が大きな力となってきた。

裁判は終わっても課題はたくさん残った。これまでの豊かな経験、教訓を汲みつくして、残された課題の解決を、原水協、民医連として、被爆者の皆さんに寄り添って、共同して進めて行く決意が最後に示された。

 

これまでの「支援のつどい」と同様に、今回も西弁護士から3つの行動提起が行われ、参加者全員で確認した。

1、 20年にわたる私たちのたたかいから得られた輝かしい成果と、なお残る課題を確認し、次の世代に活かすため、全国の運動と連携しつつ、国・厚生労働省に対し全ての被爆者救済の制度策定を求めて行きましょう。

2、 核兵器禁止条約発効から1年半。ロシアのウクライナ攻撃に便乗した核共有論、核抑止論に断固抗議し、私たちの共通の願いである核兵器の廃絶に向けて、想いを一つに我が国の核兵器禁止条約批准を求めて参りましょう。

3、 残された事件の最高裁での逆転勝利に向けて諦めずに歩みを進めましょう。また要医療性を巡る不当な支給停止決定を争う裁判にも引き続き注目して参りましょう。

 

藤原精吾弁護団長のあいさつが最後のプログラムとなった。


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藤原団長は原爆症認定集団訴訟の最初から、2003年から参加。自身の一生にとっても本当に出会ってよかった、またやらなければならない事件だったと述懐される。被爆者のためであるとともに、私自身のためにも、もちろん地球全体の人類のためにも課せられた課題だったと。

藤原団長も肥田舜太郞先生の言葉を紹介される。当初、肥田先生は、「裁判なんてやるのはヤマタノオロチのウロコ1枚を問題にするだけのことであって、意味がないと思う」と語られた。しかし裁判を展開する中で、この問題は非常に大きな意味を持ってきた。私たちが明らかにしてきた内部被ばく、残留放射能の問題を明らかかにし、手がかりを大きく広げてきた。しかし、ウロコについては圧勝したかもしれないが、もとになっているヤマタノオロチはまだ生きている。まだうごめいていることを私たちは忘れてはならない。

日本被団協の総会が開かれ今後とりくむべき課題が示された。核戦争阻止、核兵器廃絶が中心となるのは当然だが、被爆者認定の問題は扱いが小さくなる。被爆者も高齢化が進行し、それもやむを得ない。しかし、被爆者は亡くなっても被ばく問題は死んでいない。広島・長崎の被爆者だけではない。原発事故の被害者、ビキニ水爆実験の被害者。「黒い雨」の被害者、そして原発労働による被ばく者がいる。核兵器、原発がある限り被ばく者はなくならない。私たちがここまでとりくんできたことをさらに引き継いで、運動にしていくことが必要だ。そのことを期待したい。

核兵器禁止条約に今の日本政府が背を向けているのは大きな問題。このことにどう取り組むかが一番大きな課題だ。そのためにも、やはり私たちは放射能による被害、人類にとって核兵器は何かということを伝えていかなければならない。この20年、法廷で被爆の実相を明らかにするだけでなく、判決の結果を報道することによって広く知ってもらういい機会にしてきた。被爆者の問題、被爆の歴史というのは77年前のフェイクニュースから始まった。1945年9月のファーレル准将の声明「原爆で死ぬべきものはみんな死んでしまった」から始まり、放射能の影響は直爆しかない、爆心からの距離が遠くなれば被害はなくなる、果ては核シェルターに入れば安全、とまで。この核に関するフェイクを打ち破らなければならない。それには被爆の実相、被爆の真実こそが原点であり、これからもそれを伝えていかなければならない。

ロシアのプーチン大統領が核の使用も辞さないと公言している。どんな戦争であっても戦争で戦争を解決できることはあり得ない。戦争は新たな問題を引き起こすだけだ。戦争で問題を解決する態度、姿勢は放棄すると宣言した日本国憲法は守らなければならない。

そのことをみなさんと共有したい、と述べてあいさつは締めくくられた。ノーモア・ヒバクシャ訴訟における藤原団長の最後のあいさつとなった。

 

20年のたたかいは本当に深く、重い。そのすべてを3時間弱のつどいでまとめ、受け止めるのはもともと無理がある。勝ち取ってきた成果と残された課題は、今後も運動として続けられ、積み重ねて行かなければならない。被爆者の完全救済に向けて、核兵器の廃絶に向けて、そしてあらゆる核被害者の救済に向けて。その中で、原爆症認定集団訴訟のことが、ノーモア・ヒバクシャ訴訟のことがこれからも大いに語られるようにしていきたい。(了)

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被爆二世の

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(90)

ノーモア・ヒバクシャ訴訟最後の原告に控訴審裁判所の任務を放棄した不当判決!

原告、弁護団、支援の人々の誇りにかけてこのままでは終わらせない!

2022年3月23日(水)

 3月18日(金)、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の原告、O・Hさん(77歳、申請疾病は心筋梗塞)とY・Mさん(故人、申請疾病は食道がん)の二人が判決言い渡しの日を迎えた。近畿地方は久しぶりの雨で、裁判所前・西天満若松浜公園では雨に打たれながらの開廷前集会となった。近畿訴訟では集団訴訟以来、藤原精吾弁護団長の「お天気占い」が判決前の「恒例」とされてきたが、この日はもちろん全員が「外れる」ことを確信して集会にのぞんだ。入廷行進を経て判決の言い渡される202号大法廷に着席。


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11時45分、大阪高裁第14民事部本多久美子裁判長から判決が言い渡された。判決言い渡しは主文の「一審原告の控訴を棄却する」のひとことのみ。想定外の、あまりにあっさりとした言い渡しに、一体何が起こったのか、我が耳を疑う感覚に襲われる。廷内は静まり返り、多くの人が微動だにしない瞬間が生まれた。「なんでや?」「どうして?」「まさか?」という思いが頭の中をぐるぐる回るまま裁判所前の旗出しに向かった。出された旗は3本だが、真ん中の小瀧悦子弁護士の掲げた旗は「不当判決」の4文字。


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報告集会は午後1時過ぎから大阪弁護士会館で開催された。

愛須勝也弁護団事務局長から判決についての説明報告が行われた。報告は怒りに満ちていた。弁護団は今日の判決に向けて渾身の控訴理由書を作成し提出してきたが、その控訴理由にはいっさい触れない判決。ふざけきった判決だ。たかだか12ページだけの紙切れのような判決。まったく中身のない判決文で、説明のしようがない。足かけ20年ほどもかけて積み上げられてきた原爆症認定訴訟の最後の最後にこのような判決。絶対に納得することなどできない。今日で終わりというわけにはいかなくなった。これまで原爆症認定集団訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟を闘ってきた被爆者、すでに亡くなられた被爆者も少なくないが、その人々を侮辱した、愚弄した判決だ。


報告集会に随時駆けつけてくる弁護士からも口々に判決のあまりのひどさが語られた。「結論は原判決の通りというもの。しかしその理由はなく、一審判決文の一部誤字、脱字修正などの文言修正しか行われていない」(和田信也弁護士)。


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「あれほど綿密に詳細に行われた眞鍋穣医師の証人尋問がどう扱われ、どう判断されたのか一言もない。証言にきちんとまったく向き合っていないことにびっくりした」(小瀧弁護士)。


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「あれだけの控訴理由書、医師証言を行ってきた裁判。判決文も少なくとも100ページは超えるものと思っていたが、わずが12ページだった。それも二人の原告に対して。原告について述べられている箇所は1人につき3~4ページしかないペラペラの判決だ」(崔信義弁護士)。どの弁護士からも、長年弁護士をやってきているが、このようなひどい判決は初めての体験だ、ということが異口同音に語られていく。


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急いで用意された「判決についての声明」が配布された。声明文の主張は端的だ。「控訴理由についての主張に一切触れず、また、控訴審において取り調べた証拠(眞鍋医師尋問)についての検討・判断をまともに行わず、単に一審判決の文字面を整えただけで、控訴審裁判所としての任務を放棄したものであり、到底容認できない。」

 

今回の判決に対する期待は大きかった。

弁護団は一審判決を徹底して精査し、一つひとつの論理構成をつぶさに検証し、眞鍋医師とも相談しながら、例えば飲酒等のリスクについても詳細に反論を加え、まったく主張に漏れはないところまで最終意見陳述は作成された、と報告されていた。

7月2日の3回目の法廷での眞鍋医師の証人尋問は圧巻だった。眞鍋医師の豊かな臨床医としての経験と、膨大な論文、データを紐解いての証言は付け入る隙を与えない緻密なものだった。反対尋問は空疎なものだった。

昨年5月13日には、高橋一有さんが大阪高裁第12民事部で逆転勝訴判決を勝ち取っている。今回のO・Hさん、Y・Mさんと同じ大阪地裁第2民事部で、同じ裁判長の下で受けていた極めて不当な一審判決を、完璧に翻した判決だった。今回も同じ構図、同じ流れではないかと思っていた。

眞鍋医師の証人尋問採用にしても、結審の日のNHKスペシャルのDVD上映にしても、国側代理人の反対意見を制して、裁判体、裁判長の毅然とした訴訟指揮が行われているような感じも受けていた。反対に国側の証人尋問採用は退けられている(7月2日)。結審は昨年の10月21日。判決言い渡しまでは5ヶ月間もあり、控訴理由や医師証人尋問の内容がじっくりと見届けられ、判決に組み上げられていくものと期待していた。

しかし判決は思いもよらないもので、控訴理由や証人証言について、それが認められない理由が述べられているならまだしも、一切触れられもせず、結論の一審判決支持だけが示されただけであった。

弁護団の報告によると、判決後、なかなか判決文をもらえなかったそうで、30分~40分も経ってからやっと書記官から手渡されたようだ。異常なことだ。何かあったのではないか、と憶測も広がった。


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尾藤廣喜弁護団幹事長から記者会見の様子の報告も含めた意見が述べられた。

今日の判決、裁判所が何を考えているのかさっぱり分からない。聞く耳を持っていたのかどうか、眞鍋医師証言をどのような気持ちで聞いていたのか。裁判官としての心、人間としての心がまったく表れていない。一審判決の一部だけをなぞればそれで事足りると思っていたのか。だとすれば発想自体が許されない。

私も弁護士歴47年、原爆症認定訴訟に関わって35年になる。年もそこそこになったが、こんな判決を受けてすごすごと引退するわけにはいかない。こんな判決のままノーモア・ヒバクシャ運動を閉じるわけにはいかない。お二人の原告の思いを受け止めて頑張らなければという思いをますます強くしている。

 

結審の日に続いて今回も原告Y・Mさんの甥御さんが法廷に、そして報告集会にも参加されていて、今日の感想が述べられた。判決には腹が立って、悔しくてしかたなかった。ここまできたら最後まで思い切って闘ってほしい。私も、このようなところに来て、放射能のこと、原爆のことをあらためて考えさせられるようになった。私にもできることはやらなければならないと思っている。私自身も被爆2世であり、これから考えていきたい。

次いで原告のO・Hさんからも心情が述べられた。今日の判決にはまったく納得いかない。私は50歳の5月に心筋梗塞を発症し、60歳の5月に2度目の発症でバイパス手術をした。70歳の5月には心不全も発症。10年おきに発症してきており、間もなく80歳の5月を迎える。非常に怖い気持ちを抱いている。裁判はとにかく行くところまで行こう、という気持ちだ。これからもご声援をお願いしたい。

お二人に激励の花束と、会場参加者全員からの拍手が贈られた。

 

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報告集会は最後に藤原弁護団長のまとめのあいさつが行われた。

今日の判決、上告をめざしていくが、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の法廷での判決言い渡しは今日が最後となる。報告集会での私の締めの言葉も今日が最後。今日は期待を完璧に裏切る判決だった。悔しい思い、憤りは天を衝く。原告のO・Hさんはどれだけ悔しかっただろうか。これで済ませるわけには絶対にいかない。


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今年は被爆から77年、医療法制定から70年、集団訴訟を始めて20年、ノーモアに切り替わって13年になる。大きな節目の時期だ。役割を果たし切って終わりたかったけど、まだ果たし切れていない。

しかし大きな視点から見ると、原爆症認定訴訟は大きな前進を得、人類への貢献をしてきた。被爆者が自らの身をさらして、原爆、核兵器が人間にもたらすものを、人類とは絶対に共存できないものであることを多くの人々に分からせてきた。多くの人々がそれに気付いて核兵器禁止条約という目に見える形のものを作り出してきた。この条約に至る道を切り開いてきたのが被爆者と、共に闘う市民だった。私たちは、人類の歴史の一部であってもそれを少しずつ前に進める役割を果たしてきた。その中でこの訴訟が一定の役割を果たしてきた。みなさんと一緒にそのことを誇りに思いたい。

一方、被爆者に対する国の責任、アメリカを含む世界の責任はまだ果たされていない現状を認識しなければならない。被爆者援護法も、そもそも出発点から放射線の被害しか対象としない、医療費とか手当だけだ。しかし原爆被害は人生全体、財産、街、人々全部を根こそぎ破壊したものであって、現状はその一部しか責任をとろうとしていない。核兵器も、原発も被害者へのすべての責任を、作り出した責任を果たさせる目標に達していないことを認識しなければならない。

20年前、徳岡弁護士からのお誘いで、一から原爆とは、被ばくとは、世界の核兵器の状況等を勉強させてもらってきた。私は弁護士として55年目になる。その中で本当にこの問題に出逢って良かった。これによって少しでも成長することができたことに感謝している。

60歳の時、集団訴訟の弁護団に入り、ここを死に場所にしようと思ってやってきた。今日の結果でまだ終われないことになった。まだしばらくはやらなければ。人類にとって本当に重大な問題になってきている。核兵器とウクライナの問題もある。日本国内でも核兵器禁止条約に背を向けたままの政権がある。

歴史は時々後戻りしながらも、長い目で見ると少しずつでも前進している。被爆者の問題と、核兵器を本当に地球上からなくす問題と、平和な世界という目標に向けて頑張っていこう。その気持ちをみなさんと一緒に共有したい。

 

6月11日()、「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟支援の総括的つどい」(仮称)が予定されている。会場は大阪グリーン会館。上告されるO・HさんとY・Mさんを引き続き支援していくためにもつどいを成功させよう、と呼びかけられてこの日の報告集会を終えることになった。

 

午後は雨脚がさらにきつくなってきた。

「控訴理由について何も答えない、証拠・証言についてもいっさい触れない、控訴審裁判所としての任務を放棄した判決」。そんなことがあっていいものか。国家の一機関として許されることなのか。そのこと自体の責任を問う、何らかのペナルティが課される方法はないのか等々、頭の中で思い巡らしながら帰路に着くことになった。

 

ロシア軍によるウクライナ侵攻、侵略の中で、プーチン大統領は核兵器による威嚇と使用の可能性にまで言及した。人類と世界に対する重大な挑戦だ。この暴挙に対して、核には核で、力には力で対抗するのではなく、国際世論の総力を挙げてロシアを糾弾していかなければならない。今こそ世界の圧倒的国々が核兵器禁止条約に加盟し、その力によって、ロシアも、他の核保有国をも包囲していくことが求められている時だ。一昨年から始めた日本政府に核兵器禁止条約参加を求める運動は、ウクライナ危機によって一段と高い役割、任務を負ったことになる。

 

 

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程

2022年 611()  13:30  ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟支援の総括的つどい(仮称)

                              大阪グリーン会館

2022.04.02 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

被爆二世の

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(89)

 

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の判決日 2022年3月18日に確定

原告二人全員勝訴めざして最後の意見陳述!

2021年10月31日(日)

 

 

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は10月21日()、控訴審の第14民事部(本多久美子裁判長)の弁論期日を迎えた。今年6月24日以来4ヵ月ぶりの法廷で今日が最終弁論となる。原告はO・Hさん(77歳、申請疾病は心筋梗塞)とY・Mさん(故人、申請疾病は食道がん)の二人。2020年1月31日の一審判決で不当な敗訴判決を受け、控訴審をたたかってきた。

10時30分開廷。冒頭、裁判体の変更(陪席裁判官一人の交代)が告げられ弁論の更新を確認。次いで今回は、原告側で用意されていた短時間のDVD映像を視聴することになった。今夏NHKスペシャルで放映された『原爆初動調査・隠された真実』の冒頭4分程度が、小さなモニターではあったが流された。アメリカが原爆投下直後から詳細な原爆影響調査をしながら、その結果を隠蔽し続け、放射線の人体に与える影響を不当に低いものにする原因となってきた実態を告発した放送だ。例え短時間の上映でも、そもそも国の主張する意見の論拠に疑問を呈さざるを得なくなるようなインパクトのあるものだった。

国側代理人はDVD上映は本訴訟での位置づけが不明などと文句をつけようとしていたが、「裁判所の判断で了承する」との裁判長の意に介さないひとことで退けられた。


 口頭による最終意見陳述は原告のO・Hさんと、O・Hさん担当の中森俊久弁護士、Y・Mさん担当の崔信義弁護士3人によって行われた。最初の陳述はO・Hさん。O・Hさんは平成24年11月26日の原爆症認定申請から9年が経過した経緯を述べ、特に一審判決で「放射線被ばく線量がどの程度かを具体的・定量的に認めることができない」を理由に訴えが棄却されたことのあまりの理不尽さに抗議を込めた意見を陳述された。O・Hさんの父親はビルマで戦死。母親も苦労に苦労を重ねてきた。一審判決が「タバコを吸っていたから」とか「50歳だったから」という理由で放射線の影響を否定したたことが悔しくてならない。ビルマで戦死した父や、O・Hさんと一緒に被爆して苦労を重ねた母親のことまでも侮辱されているように思えて仕方がない、とも訴えられた。人として、被爆者として、尊厳をかけた訴えだった。

O・Hさんは陳述の最後に、「そんな私でも、戦争や原爆による被害の恐ろしさを伝える責務があるように感じ、今日この場に立たせていただきました」と述べ、そして「裁判所におかれては、私たち被爆者に勇気を与える判決を切に希望します」と括られた。自分のためだけではない。すべての人々に関わる問題として法廷に立ち続けているのだ、という宣言だった。


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二人目の中森弁護士は「一審判決は、控訴人のO・Hが健康に及ぼす程度の相当量の被曝をしたかどうかという点、及び、放射線起因性について、喫煙や年齢といった危険因子をどう考えるかという点の2点について、誤った判断をしています」と切り出し、全体的に分かり易さに徹した陳述が行われた。一審判決が「被曝量を具体的・定量的に認めることができないから」としたのは、被爆の実態を無視し、内部被曝の影響を排除するもの、被爆者に不可能な立証を強いるものだと批判し、これまでの原爆症認定訴訟は、申請者の被爆状況、被爆後の行動、その後の生活状況、症状の発症状況やその後の経緯等を総合的に判断する方法によって確立されてきたはずだ、と述べられた。今年5月13日、同じ大阪高裁の第12民事部で高橋一有さんの判決が行われたが、ここでも「控訴人が健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたと認められる以上、その放射線被曝量が具体的・定量的に認定できないことによって、上記認定が妨げられるものではない」と明確な判断が下されていることも陳述に加えられた。

喫煙歴と加齢が心筋梗塞発症の危険因子とされてきたことについても、原爆放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められるような場合には、危険因子の存在を理由に放射線起因性を否定してしてはならない、と断固とした批判がなされた。


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最後に、もう一人の原告Y・Mさんについて、担当の崔弁護士から意見陳述が行われた。書面の方は、「入市の事実とY・Mさんの被曝状況」、「放射線被ばくと喫煙、飲酒リスク」、「食道がんリスクに関する各種文献」、「被控訴人から提出された意見書に対する全面反論」の4つの部分で構成していると説明され、口頭ではその各部要点について陳述が簡潔に行われた。入市の事実は一審の段階から詳細な証言・証明が重ねられていてもはや議論の余地はないように思われた。

喫煙、飲酒のリスクについても放射線被ばくの相対リスクには遠く及ばないことが示され、放射線起因性を否定することはできないと説明された。その中で特に飲酒のリスクについては「平成24年8月の食道がん発見当時の飲酒量(ほぼ毎日ウイスキーを2杯程度)」が判断の前提とされているが、そもそも食道がん発見時点では飲酒量は控えるはず、というのが控訴人、被控訴人一致した主張であり、このような非常識な前提に立った認定を認めることはできないと主張された。“弁論主義違反”として取消理由となると考えられる、と強い批判が行われた。

 

以上で最終意見陳述は終了し、本多裁判長が弁論終結を宣言。判決は2022年3月18日()午前11時45分から、本法廷(202号法廷)で行うと示されて、閉廷となった。

 

会場を北浜ビズネス会館に移して報告集会が行われた。


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最初に、今日も法廷に立って意見陳述した原告のO・Hさんから、感謝の言葉と、いよいよ判決の日も決まったので、これから5ヶ月、何とか元気で判決の日を待ちたい、と心情が述べられた。次いで中森弁護士から思いが述べられた。今度の判決がノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟最後の判決になるかもしれない。思えば、原爆症認定集団訴訟の2006年の最初の判決、9人の原告全員が勝った時私も同席していた。最後の締めとなる裁判も全員勝って終わりたいという気持ちを込めて今日の意見陳述をした、と。中森弁護士と共にO・Hさんを担当してきた小瀧悦子弁護士からも勝てることに確信を持っていると感想が述べられた。


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崔弁護士からは、一審判決を徹底して精査して、一つひとつの論理構成をつぶさに検証して、眞鍋先生とも相談しながら、飲酒のリスクについても一つひとつ反論を加えて、もうまったく主張に漏れはないところまで最終意見陳述は作成してきたと、その奮闘の様子が語られた。今日の法廷と報告集会にはY・Mさんの甥御さんが参加されていて、そのことも崔弁護士から紹介され、その甥御さんからも感謝の言葉が述べられた。


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尾藤廣喜弁護団幹事長から要旨以下のような感想と決意が述べられた。原爆症認定訴訟に携わって30年ほどになる。最初の小西訴訟の時、原爆症のことなどまったく知らなかった私が、ここまで来たということで感慨深いものがある。認定基準が我々の主張通りに根本的に変わったわけではないが、2回に渡って基準は公式に変えさせてきた。厚労大臣が却下した事件に対し訴訟を起こして全国で70%を超える勝訴を勝ち取ってきた。つまり国のやってきたことは7割以上が間違っていたと認められてきた。裁判で認定基準も批判されているのに基準が未だに十分に変えられていないのは本当にケシカランことだが。

しかし、水俣病の場合、裁判の判決があったにも関わらずその病像はほとんど動いていない。これだけ時間を経ても悪い病像は確定したままで公式の病像は動いていない。原爆症認定訴訟は2回に渡って変えることができた。被爆者の人たちが先頭に立って被害を訴えてきたことと、みなさんがずーっと応援してきていただいたことの成果だ。

今日の最後の弁論には感慨深いものがあったが、まだまだ判決まで時間がある。それまでやるべきことをやり尽くして有終の美を飾りたい。“全員勝ったで!”ということで原爆症認定訴訟にピリオドを打つようにしていこう。

兵庫県原水協の梶本修史さんから今後の「支援する会」について次の二つのことが提案された。一つはこれまでの運動の成果と残された課題を整理するような大きな集会をやる必要があるのではないか。裁判は勝利を重ねてきたが被爆者援護制度の抜本的改定には至っていない。勝ってきた成果を今後どう発展させていくか私たちには責任がある。水俣病でもハンセン病でも裁判の後の支援活動は続けられている。原爆症裁判の支援の後のこれからについても考えていく必要がある。もう一つは、原爆症認定更新の問題について。更新手続きの際に不当に却下される事態が増えてきている。大阪で更新却下処分の取り消しを求めて裁判が起こされ、大阪府の自庁取り消しで裁判も取り下げられたが、不当な処分を行ったことに対して賠償を求める訴訟が続けられている。次の弁論期日は11月15日だが、是非多くの皆さんが傍聴参加するようにしよう。


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報告集会の最後は藤原精吾弁護団長によるあいさつで締め括られた。要旨以下のような内容だった。

今日のO・Hさんの陳述は、被爆という一瞬のことによって人生のすべてに影響を受け、被爆者として生きてきた人々の人生の重さをあらためて感じることになった。

2003年に原爆症ら認定集団訴訟が提起され、近畿弁護団に加入させてもらって初めて被爆者の問題、核兵器の問題に向かい合うことになった。私がもし被爆者の方々にお会いできていなかったら、この地球を破滅させるかもしれない核兵器の問題を正面から考えることはなかっただろう。私自身としてもこの裁判に関われたということを非常に感謝している。

2003年に集団訴訟が始まり2006年に近畿で初めて全員勝訴の判決を得て、来年2022年は足かけ20年になる。20年にわたって原爆症認定、被爆者の訴訟にとりくんでできたわけだ。来年3月18日で集団訴訟は終わると思っていたが、勝訴判決になっても国は上告する可能性がある。今日の被告側代理人の態度を見ていても、何かいかにも抵抗するような雰囲気を見せていた。前回までの法廷では見せていなかった姿勢だ。ノーモア・ヒバクシャ訴訟に国がいかに抵抗しようとしているか、代理人の態度に表れている。

1960年代のはじめ、被爆者、日本被団協は3つの保障を掲げた。一つは命の保障、二つ目は自分たちの失った財産とか街の保障、そして三つ目に平和の保障だった。被爆後12年間まったく顧みられることのなかった被爆者救済は1957年の原爆医療法で初めて実現し、少しずつ改善を重ねて1994年の現在の被爆者援護法に至った。それ以来法律の枠組みはまったく動かされていない。

現行被爆者援護法は、被爆者の健康障害の原因を放射線のみに限定し熱線や爆風によって命を亡くした人の保障はまったくみていない。命の保障はその原因でまず値切られ、次に被爆の範囲の線引きで一定の区域内の被爆者だけに限定される、黒い雨もそうだが、あるいは入市被爆も時間的地域的に限定される。そして三つ目に放射線の影響による病気の範囲を極めて狭く設定して値切られてきた。原爆症認定訴訟によってその狭い範囲を次第に次第に広げてきた。残留放射線の問題、内部被ばくの壁を打ち破りながら、疫学調査のいろいろな活用や進展にもよって。たとえば心筋梗塞などは最初の頃はまったく相手にもされていなかったけど、今は放射線被ばくによる心筋梗塞にしきい値はないというところまで至っている。

原爆真症認定訴訟で認定基準は大きく変えさせ、集団訴訟というたたかいは一区切りの時を迎えることになるけど、出発点に掲げられた3つの保障はまだまだ達成されているとはいえない。とりわけ、平和の保障については、日本政府が核兵器禁止条約に加入していないという大きな課題が私たちの目の前にある。今、アメリカの先制攻撃とか台湾有事とか、危険な動向があるが、それは核戦争の危機にも直結し、日米核密約によって私たちの平和と安全を根本から脅かす事態にもある。何とか危険な事態を防がなければならない。そのためるに、私たちにできることは核兵器禁止条約に参加する日本政府をつくること、非核の政府をつくることだ。その訴えを今日の報告集会の締め括りにしたい。

 

 

 

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程

2022年 318()  11:45  高裁第14民事部 202号法廷   判決言い渡し

2022.03.15 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(88) 最後のノーモア・ヒバクシャ訴訟勝利に向けて眞鍋医師が圧巻の証言! 大阪高裁第14民事部の最終弁論は10月21日に決定!
2021年7月2日(金)
 5月13日(木)の大阪高裁第12民事部で勝訴判決を勝ち取った高橋一有さんは、その後国が上告を断念。5月28日、勝訴判決が確定した。一方、最高裁への上告手続きをとっていたT・Iさんは6月18日(金)に上告が棄却され、控訴審での敗訴判決が確定することになった。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟で係争中の原告はいよいよ高裁第14民事部のY・Mさん(男性、故人、兵庫県、申請疾病食道がん)、O・Hさん(男性、78歳、大阪府、申請疾病心筋梗塞)の二人だけとなった。その控訴審の3回目の法廷が6月24日(木)行われた。  開廷前、国側代理人席に陣取ったのは9人。いつもより大勢の陣容で、何となくこれまでとは違う“構え”のようなものを見せている。これも5月13日の高裁第12民事部で逆転判決を受けた影響か。裁判長が前回までの小西義博裁判長から本多久美子裁判長に代わっており、裁判体も新しくなった。法廷は202号大法廷だが、傍聴出席は25人。コロナ対策緊急事態宣言真っ最中でありこれはやむを得ない。原告席には今日もO・Hさんの姿があり、法廷の行方を最後まで見届けられた。 午後1時30分開廷。弁論の更新とそれぞれの準備書面が確認された後のタイミングで、原告側代理人席から尾藤廣喜弁護団幹事長が立ち上がり、国側の意見書等提出ルール違反について厳しく批判、撤回が求められた。期日の数日前になって突然食道がんと心筋梗塞についての医師意見書や、「専門家」連名の「放射線被ばくと心血管疾患の関係」なる証拠書類が、しかもいずれも大部のものが提出された。民事における書面提出ルールは少なくとも一ヶ月前には出すべきものであり、それを著しく逸脱したこのようなやり方を到底受け入れることはできない。原告側は対応することもできない。撤回すべきである、というのがその内容だった。  国側代理人はあれこれ言い訳めいたことを言っていたが傍聴席から聞いていても要領を得ない。直ちに裁判体の合議がもたれ、意見書、書証の本日の提出は留保する、とあっさり退けられてしまった。国側はいきなり出鼻を挫かれてしまった格好だ。  今回の法廷の本題は医師証人尋問。証人は阪南医療生協診療所所長の眞鍋穣医師。前回1月26日(火)の法廷で証人採用は決定されており、5ヵ月を経てのこの日だった。主尋問は、Y・Mさん担当の崔信義弁護士とO・Hさん担当の中森俊久弁護士によって行われた。 223959658_5944379008970110_257421101006657893_n_convert_20210812111805.jpg  最初にY・Mさんについて崔弁護士からの尋問。眞鍋医師の専門が小児科であり、子どもの扁桃腺炎についても数多くの診療実績がある。そのことを前提に、Y・Mさんが被爆後に発症した扁桃腺炎の特徴についてから尋問は始められた。小児によくある扁桃腺炎は3~4歳から繰り返し、5~6歳がピークとなり、小学校に入る頃には減っていくのが一般的。逆に小学生になるまで元気だったY・Mさんが7歳になって扁桃腺炎を繰り返すようになったのは被爆の影響と考えざるを得ない。そうしたことが外国の具体的な事例、ロシアの核兵器工場周辺地域の発症事例報告などに立ち入りながら説明されていく。扁桃腺炎を繰り返し発症している症状から、想定される被ばく線量は0.6Gy~1.5Gyほどになること、さらに被爆者が食道がんになる割合は被爆者でない人の2倍にもなることが、具体的な資料、データに基づいて証言されていく。  一審判決と国側意見の基本はY・Mさんの食道がん発症原因を放射線被ばく以外に求める他原因とするものだが、それに対して緻密で詳細な反論とその根拠が明らかにされていく。参考文献に基づいてY・Mさんの実際の喫煙歴、飲酒実態を当てはめると、Y・Mさんのどのようなケースであっても、過去の喫煙経験、飲酒歴が食道がん発症のリスクにはならないこと、あったとしても極めて影響の少ない、放射線の起因性を否定するには至らないことが証明されていく。食道がんにおいて飲酒の発症リスクが顕著になるのは、飲酒と喫煙の両方が併存している場合に限られることが特に強調され、すでに20年前から禁煙しているY・Mさんにとって喫煙歴によるリスクなどあり得ない。国の主張するようなアルコール摂取が本当に行われていたなら間違いなく肝機能障害を発症するはずだがY・Mさんは一度も肝障害を起こしたことはない、といった説明は私たちにも分かり易い。  Y・Mさんは7歳頃から扁桃腺炎を繰り返しており健康に影響を及ぼす相当量の被ばくをしているのは間違いない。被爆者の発症する食道がんリスクは2倍にもなるが、それを超えるほどの喫煙、飲酒のリスクは認められない。したがって、食道がんの放射線起因性を否定することにはならないことが結論としてまとめられた。  Y・Mさんの食道がん進行ステージは2だった。この場合手術をすれば2年後の生存率は80%。だから全摘手術をして救われるのが一般的だ。しかしY・Mさんは術後2年4ヵ月でこの世を去らなければならなかった。原爆による被ばくの影響としか考えられない。この悲しい事実も告げられてY・Mさんについての主尋問は括られた。 228193972_5944379045636773_8235388024444692181_n_convert_20210811202248.jpg  次いで中森弁護士によってO・Hさんについての尋問が行われた。限られた尋問時間を有効に使うため小瀧悦子弁護士が証言台の傍にあって示される書証の提示を手際よくサポート。尋問の中心はまず放射線ひばく線量と心筋梗塞発症の間の閾値について。LSS13報のレポート、その他近年発表されている数々の報告、論文等が次々と5本ほども示され、いずれも心筋梗塞の放射線起因性に閾値のないと考えられるようになっていることが証明されていった。今や0.5グレイ以下でも虚血性心疾患、心筋梗塞への影響は明らかというのが世界的国際的認識であると強調される。  O・Hさんは被爆後10年間ほども下痢が続いた経験をもっており、国は10年も続く下痢は放射線起因性とは考えられないと主張している。しかし眞鍋医師は自らのたくさんの診療実例に基づいて放射線との関係を否定できないことを説明し、内部被ばくの可能性、放射線治療の副作用で示されている実例などもまじえてそのことを証明していった。 国はO・Hさんの心筋梗塞についても他原因を主張しているが、O・Hさんが心筋梗塞を発症した50歳の時のリスクは喫煙だけであり、それだけで放射線起因性を否定する理由にはならないと断言。その他、国の主張する高血圧、糖尿病の血糖値、悪玉コレステロール値等々いずれもが正常値の範囲であることを事実でもって示し、国の主張は否定されていった。  休憩を挟んで反対尋問に移った。  いつものように、眞鍋医師の専門が小児科であり、循環器、消化器の専門ではないこと、放射線、疫学、統計学の専門でもないこと、それらの学会に所属もしていないことを「確認する」ことから尋問は始まる。実際にどのような質問がなされていったのか、傍聴席から理解するのはなかなか難しいが以下のようなことが印象に残った。  Y・Mさんの7歳の頃からの扁桃腺炎発症について、幼い頃の記憶の信憑性について問い質されたが、眞鍋医師は自らの小児科医の経験から記憶の確かさを証明された。反対尋問の多くはがん発症のリスクについてだったが、質問内容は一般論的な内容のものが多く、Y・Mさんの放射線起因性について具体的に切り込むようなものはなかったように思う。「被爆者であっても食道がんを発症しない人もいますよね?」といった珍問まで飛び出していた。  尋問の中で特に印象深かったのは、国側の主張の根拠に採り入れられている論文もその原文は英文のものが多いが、その日本語訳が間違っており、間違ったまま主張の根拠にしている、という眞鍋医師からの重大な指摘、反対尋問への回答だ。だから国の採用した論文は国の主張の根拠にはなり得ない、そもそも国の意見書に示されている表やデータは英文の原文には存在しないものすらある、という驚くべき指摘もあった。  こんな基本的で重大な問題を尋問の場で直接指摘されたりすると、質問者は驚いたり、狼狽したり、立ち往生したりするのが普通の感覚だと思うが、国の代理人はことの重大性か理解できないのか、或いはあらかじめ分かっていてもはや開き直っているのか、何の反応もなく淡々と次の質問に移っていく。  反対尋問はO・Hさんのことについて移っていくが、一般論についての質問が中心で、傍聴席にいる私たちにとってだんだんと退屈な尋問、退屈な時間になっていった。メモを取る気力も奪われていく。  反対尋問の後、崔弁護士、中森弁護士から若干の最終補充尋問が行われ、陪席裁判官からも眞鍋医師の診療実績についての質問が行われて、午後5時前尋問は終了した。当初の予定を大幅に上回った3時間以上の証人尋問となり、眞鍋医師が最後まで一人で奮闘された。  国側からは国側の証人尋問の採用が求められたが、合議の上これもあっさりと退けられた。次回期日が調整されて10月21日(木)10時30分からと決められた。裁判長からは次回期日を最終弁論とすることが明言され、最終準備書面の提出期限も確認された。 集会  午後5時を回って大阪弁護士会館で報告集会が持たれた。まず最初に今日大奮闘された眞鍋医師に参加者全員から大きな拍手が送られた。 235187722_5944378645636813_5897961264117615440_n_convert_20210812104304.jpg  眞鍋医師は、挨拶の中で国側意見書に名前の出ている「専門家」の実態について語られた。国が直前になってぶ厚い意見書を3つも出してきてビックリしたけど、中身を見て「なんやこれは?」というものばっかりだった。その内の一人は循環器の専門医だったが、循環器の専門医というのは患者を治すことに必死で、自ら放射線をかなり浴びていること、それでがんになったり心疾患になったりしていることが頭から飛んでいて全然勉強されていない。「医療現場で心筋梗塞が増えたなど聞いたこともない、違和感を覚える」といったことが意見書には書かれている。今日の尋問でこの意見書のことが出されたらしっかりと言ってやろうと思っていたが、残念ながらそれは出されなかった。そういうレベルなので、被ばくのことについて「専門家」であればあるほど知らないというのが実態だ。裁判所はそのことを理解されていると思うので判決には期待している。 234214630_5944379425636735_2388199864847615022_n_convert_20210812105232.jpg  今日も一日参加された原告のO・Hさんから挨拶が行われた。尋問の中でO・Hさんの心筋梗塞の原因が運動不足かのように言われる場面があったが、自分は運動だけは人一倍やってきたのだと話された。今でも一日7千歩は歩いており、医者から「それで十分」と言われている。幼い頃の記憶の問題についても自分は人一倍記憶力がよく、真っ黒いB29の爆撃機が飛んできていたことなどハッキリと憶えている、と話された。  次いで今日の尋問を担当された崔弁護士から挨拶が行われ、提訴以来のことをふりかえりつつ感想を述べられた。Y・Mさんの裁判の争点は当初は入市の事実を認めるか否かのところにあったが、それに対しては野口善國弁護士の奮闘によってしっかりとした資料を出すことができた。それで結着するものと思っていたが、次には喫煙、飲酒が問題とされて一審敗訴とされてしまった。喫煙、飲酒問題では眞鍋先生に多くのことを教えていただき、強力に引っ張ってもらってここまでくることができた。尋問を終えてほっとしているのが正直なところ。最終準備書面は頑張って、逆転勝訴に持っていきたい。  中森弁護士からも感想が述べられた。その中で国側代理人席には法務省所属の若い医師のいたことも紹介された。最初は国側代理人には反対尋問などできないのではないかと心配もしていたぐらいだが、意外にもどんどん質問されて、それに眞鍋先生がしっかりと回答していただき、お蔭でこちらの主張をより詳しく説明する結果になっていった。国側から何を聞かれても眞鍋先生は大きな立場から回答され、国側代理人席にいる若い医師にも教えていくいい機会になったのではないかと思う。
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(原告Oさんの担当士の小瀧悦子弁護士230879920_5944379252303419_3699912431424803550_n_convert_20210812105205.jpg
(担当事務局の阪南合同法律事務所の泉さん
藤原清吾弁護団長からは今日の眞鍋医師と弁護団に感謝と評価の言葉が述べられ、夏休みを返上して最終準備書面にとりくんでいこうと激が飛ばされた。今回から新しく担当となった本多久美子裁判長は法曹界の人々の間ではよく知られている人のようで、そのキャリア、経歴についても紹介された。 226252909_5944379245636753_1833154096830539755_n_convert_20210812110404.jpg  愛須勝也弁護団事務局長からノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の最終局面について報告が行われた。T・Iさんの最高裁上告は残念ながら棄却された。但しT・Iさんは申請疾病であった慢性肝炎と糖尿病とは別の病気で原爆症認定されたので、これを機に慢性肝炎の再申請をするかどうか検討されている。医療特別手当を却下されようとしたS・Tさんの訴訟は既報のように大阪府の自庁取り消しによって訴訟はなくなった。弁護団は国家賠償請求に変更して手続き中だ。したがって残された訴訟は今日の第14民事部だけとなった。5月13日判決の高橋一有さんも、今日のY・Mさん、O・Hさんもみんな一審は地裁第2民事部の三輪方大裁判長による不当判決によるものだった。高橋さんに続いてY・Mさん、O・Hさんも一審不当判決をひっくり返していく必要がある。国側も必死だ。せっかく地裁2民でもらった国側勝訴判決を、このままだとすべて控訴審でひっくり返されてしまう、という危機感がある。直前になって出してきた意見書は、国側のなりふり構わぬ姿そのままだ。全国のノーモア・ヒバクシャ訴訟の中でもこの第14民事部が最後の裁判になる。これを勝利で終わることは大きな意味を持っている。 _convert_20210811202206.jpg      最後に尾藤弁護団幹事長の、「判決には期待しているが絶対に大丈夫ということは絶対にない。最後まで全力投球して、裁判所が本当にいい判決文を書けるように、我々の運動も主張も頑張っていこう」とのよびかけでこの日の報告集会は閉じられた。  眞鍋医師の証人尋問は昨年2月28日の高裁第6民事部での証言に次ぐものだった。前回も今回も、その間に行われた第12民事部での意見書提出に際しても、今日の最新の医学的知見に倦むことなく挑み続け、膨大な研究報告、論文、データに基づいて準備されてきたものであることを私たちは知っている。それは、一人でも多くの被爆者を救済し、一人でも多くの人々を核の被害から守っていくための努力だ。眞鍋医師のお蔭で私たちは時代の変化、人類の進歩とともにあることを実感することができている。  一方これに対する国側はどうか。はるかに時間の過ぎた過去の諸々の考え方や基準から一歩も抜け出すことができず、いつまでも古い考え方に縛られたままになっているのではないか。意見書などで「DS02」などの言葉を見たり聞いたりすると、いまだにそんなことを言っているのかと、古色蒼然とした姿をそこに感じてしまう。 今回の法廷、尋問を経て、そのような感想を強く持つことになった。 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程 2021年10月21日(木) 10:30 高裁第14民事部 202号法廷  最終意見陳述(結審)
2021.08.12 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(87)

5月13日、高裁第12民事部が一審判決を破棄して、認定申請以来
           10年の歳月をたたかってきた高橋一有さんに逆転勝訴の判決言い渡し!
2021年5月23日(日)

 一昨年の2019年11月25日に一審で不当な敗訴判決を受け、控訴してたたかってきた高橋一有さん(79歳、兵庫県三木市)が5月13日(木)判決の日を迎えた。コロナの緊急事態宣言下のため今回も事前集会、入廷行進も何もなくそれぞれが直接高裁第74号法廷に集まることになった。15席程度に制限されている傍聴席はすぐに埋まった。2019年以降をふりかえってみると一審で4人の原告が勝訴を勝ち取ってきたが、一方で残念ながら地裁、高裁で延べ6人の原告が敗訴になっている。今回も決して楽観はできない、予断は許さないぞ、という思いで開廷を待った。
 午後1時15分開廷。牧賢二裁判長(高裁第12民事部)から判決の主文が読み上げられた。「一審判決を変更する。(国の)却下処分を取り消す」と私には聞こえた。やった、勝訴だ!思わず拳を握りしめる。弁護団席、傍聴席に、一瞬熱いものが流れた。判決の要旨説明などは一切なく閉廷。みんな晴れ晴れとした表情で、笑顔を交わしながら報告集会会場の弁護士会館へと移動。判決後の旗出しもしないことになっていたが、この日は上々の好天気。「旗出しやればよかったなあ」の声が、ちょっとうらめしっぽく上がった。

 弁護団による判決分析をしばらく待ってから勝利の報告集会が開かれた。最初に愛須勝也弁護団事務局長から判決の要旨と評価について、以下のような報告が行われた。

 高橋さんは4歳の時、8月12日に長崎爆心地から1.2㌔の距離に入市して被爆。申請疾病は心筋梗塞。これまでの原爆症認定訴訟の到達点からすれば勝てるはずの内容だった。地裁第2民事部の三輪方大裁判長が下した判決は、途中までは積み上げられてきた原爆症認定訴訟の判断基準を述べながら、途中からそれまでとはまったく異なる異質な基準を持ち出してきて、結論を請求棄却に導いた。原告の浴びた被ばく線量を具体的・定量的に示すことができないので放射線の影響があったとは言えない、放射線起因性を認めることはできないというもの。聞いたこともない論理で、原爆症認定訴訟の判決の流れに大きなブレーキをかけ、水を差すもの。到底許されない判決だった。
 控訴審では阪南医療生協診療所所長の眞鍋穣先生に詳細な意見書を書いてもらい、証人として採用申請もした。証人申請は却下されたが、その代わりに弁護団は国の主張に対して徹底して反論することを重視し、最終的には二度に渡って反論する機会を得て、それを提出するまでに至った。
 今回の判決は全体でも23ページ、コンパクトなものだったが、その論旨は明快だった。「控訴人が健康に影響を及ぼす程度の線量の被ばくをしたと認められる以上、その放射線被ばく量が具体的・定量的に認定できないことによって上記認定が妨げられるものではない」として、高橋さんがいろいろな状況から被ばくした可能性は明らかであり、具体的・定量的な線量が明らかにならないのは当然であって、それをいちいち立証する必要はない、ということが明確に示された。これだけで勝利の核心になるものだった。
 一審判決は、高橋さんの心筋梗塞発症年齢(好発年齢)、脂質異常症、高血圧症などを取り上げ、これら他原因によって放射線起因性を否定した。今回の高裁判決はその点でも、「これら他の危険因子により、放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたという特段の事情があるとは言い難いから、高橋さんの心筋梗塞は放射線起因性を肯定すべきある」とし、一審判決との大きな違いをハッキリ示した。
 これまで我々が集団訴訟で積み上げてきた心筋梗塞の判決の到達点を、地裁の三輪裁判長によって一度は突き崩されたけど、今回もう一度元に戻すことができた。高裁判決で、厚労省が定める積極的認定基準(心筋梗塞で入市被爆の場合、原爆投下から翌日までに1.2㌔以内入市)を超える範囲での心筋梗塞の原爆症認定を認めたことは、非常に大きな意味がある。これは近畿の裁判だけでなく、全国の原爆症認定に与える影響も非常に大きなものがある。
 判決では、眞鍋先生に書いていただいた意見書の主張、例えば高橋さんの眼球摘出手術などは原因が被ばくによる免疫異常以外考えられないこと等すべて採用された。一方、国の主張はほとんど排除された。
高橋さんの元々の認定申請は2011年(平成23年)だから、今日まで10年を要した。兵庫県三木市に住む高橋さんは裁判所に来るだけで片道2時間以上かかる中をずっとたたかい続けてきた。心筋梗塞を発症した被爆者がここまでやってようやくこの判決を勝ち取ることができた。それは素晴らしいことではあるが、ここまでしないと認定を得ることができないという、認定行政の持つ深刻で大きな問題を示すことでもある。
 国に対しては上告するな、判決を確定させろという運動が当面必要だが、これから認定基準をあらためさせていく運動をすすめていく上でも非常に大きな意味を持つ判決であった。今回非常に大きな意味を持つ判決を得て、私たちも一層強く確信を持つことができた。

 2013年の提訴以来高橋さんを担当し続けてきた小瀧悦子弁護士から感動のあいさつが行われた。まず何より、今日出廷はできなかった高橋一有さんの喜びの声が紹介された。本当は今日はご本人も来たかったらしいが、コロナ感染とご本人の体調を心配して自重していただいたようだ。

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 小瀧弁護士は、負けるはずがないと思っていた一審の判決にびっくりし、同時にどうしてもっとやれなかったのかという悔いと思いを残してきた。その反省を生かしつつ控訴審では、眞鍋先生にも協力いただいて、全力でぶつかり、意見書は2通出してきた。今日はその結果を得られてとても嬉しく思っている、と感想とみなさんへのお礼が述べられた。

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 続いてもう一人の担当、大槻倫子弁護士から感想が述べられた。高裁第12民事部の交代前の裁判長は判決を急ぎたい意向を持っていたが、私たちはそれを蹴って、最後まで主張を尽くすという道を選択してきた。それだけに今日の判決には実はものすごく不安も大きかった。しかし私たちの選択が正しかったことが証明されて本当に良かった。ほっとしたのが正直なところ。絶対に上告させてはいけない。これから2週間、“上告するな”の声を挙げて、国に突き付けていきましょうと呼びかけられた。
大槻弁護士からは、代読によって高橋さんからの以下のコメントが紹介された。

『裁判所が、私の被爆について丁寧に見てくださり、原爆症であると認定してくれたことは、大変うれしく思っています。ただ、私が原爆症認定申請をしてから10年以上経っています。国には、これ以上、私の被爆を否定するようなことはやめてほしいです。』

 勝利のお祝いの花束が用意され、高橋さんに代わって小瀧弁護士が受け取られた。
 みんなもっと勝利の余韻に浸りたい様子ではあったが、コロナ感染に配慮して報告集会はできるだけ短時間とされ、尾藤廣喜弁護団幹事長のあいさつの後、最後に藤原精吾弁護団長のまとめが以下のように述べられて、締めくくられた。
不当な一審判決を破棄させて逆転勝訴判決を勝ち取った。非常に励まされることになった。「司法は生きていた」と語られたことがあるが、私たちも「裁判所は死んでいなかった」と感じることになった。正しい考え方をとれば、原爆症認定は当然なされるべきだったのだ。
 今から15年前、2006年、大阪地裁で9人全員勝訴した時、あれほど嬉しい裁判はなかった。あれから勝利を積み重ねてきたけど、だんだんと被爆者も減り、原告となって訴える人も少なくなってきた。その足元を見るかのように厚労省は悪い基準を押しつけてきた。その歯止めとなってきたのが裁判所だったが、集団訴訟ではなくなってくることにつれて、司法も行政言いなりの判決が出てくるようになった。しかし、悪い判決があっても決して諦めてはならないことを今日の判決は教えてくれた。正しいことを確信をもってすすめていきたい。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟を勝ち切って、その訴えを基にして日本政府が核兵器禁止条約に参加する大きな流れも作っていきたい。裁判は少なくなっていくが、すべてが終わってしまうまでに、地球上の全人類のためにも、核兵器禁止条約に近づく活動の一環として裁判を頑張っていこう。

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 高橋一有さんについては、国に対して上告をさせない、判決の確定をさせていくことが当面の最重要課題となる。
今年1月14日に控訴審で敗訴となったT・Iさんは最高裁への上告手続きがとられ、係属部が第2小法廷に決まった。
近畿訴訟の次の日程は6月24日(木)。Y・Mさん(故人、食道がん)とO・Hさん(77歳、心筋梗塞)の二人の原告の控訴審(第14民事部)で、眞鍋先生の医師証人尋問が行われる。
 地裁第2民事部の係属で、原爆症認定の更新却下処分の取り消しを求めて争っていた原告のS・Tさんについては、3月、大阪府(実質厚労省)が、判決を待たずに自庁取り消し(却下処分の取り消し)を行って、原爆症認定は継続更新されることが決まった。私たちの運動と、第2民事部の森鍵一裁判長の的確な訴訟指揮の前に、大阪府(実質厚労省)は訴訟継続を断念することになった。もしS・Tさんが提訴していなかったら、S・Tさんの更新申請はそのまま却下され、泣き寝入りせざるを得なかった。したがって、行政による自庁取り消しではあるが実質的な勝利、勝訴であり、目的は達成された。

 
 しかし、行政の姿勢としては重大な問題が残されたままだ。S・Tさんは実際上治療の継続が必要な状態であったにも関わらず、行政は形式的な扱いで切り捨ててしまおうとした。この姿勢を改めさせる必要がある。そのため、弁護団は「二度とこのようなことをするな」という趣旨の申し入れをし、それ対する確かな確約、言質を得た上で、裁判の取り下げをすることにされている。それまでS・Tさんの裁判は形式上は続いている、との報告であった。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
(2021年05月26日(水) 10:00 地裁第2民事部 1007号法廷 S・Tさん弁論)
2021年06月24日(木) 13:30 高裁第14民事部 202号法廷  眞鍋医師の証人尋問
最高裁への上告 第2小法廷に係属        T・Iさん


2021.05.27 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
 大阪高裁第12民事部(牧賢二裁判長)は、大阪地裁第2民事部(三輪コート)が2019年11月22日に言い渡した1審原告敗訴判決を変更して、1審原告の原爆症認定を見直す判決を言い渡しました。
 原審判決は、これまでの原爆症認定訴訟の司法判断の集積を無視した最低・最悪の判決でしたが(近畿弁護団が受けた判決の中でも最低の判決でした)、大阪高裁がこの異質な判決を変更し、1審原告の心筋梗塞について放射線起因性を認めたのは極めて大きな意味を持ちます。
 国はこの判決に上告せず確定させて、現行の認定基準を見直すべきです。
 以下は、判決に対する声明です。
2021年5月13日
ノーモア・ヒバクシャ訴訟大阪高裁判決についての声明
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿原告団・全国原告団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿弁護団・全国弁護団連絡会
ノーモア・ヒバクシャ訴訟支援近畿ネットワーク

本日、大阪高等裁判所第12民事部(牧賢二裁判長)は、大阪地方裁判所が2019年11月22日に言い渡した請求棄却判決を破棄して、厚労大臣による一審原告の原爆症認定申請却下処分を取り消す判決を言い渡した。

一審原告は、4歳1か月の時に、昭和20年8月12日、長崎市竹ノ久保町に居住していた祖母らを探すために、母に連れられて爆心地から1.1~1.2kmの地点まで入市して被爆し、心筋梗塞に罹患し、2011年1月6日に認定申請をしたが却下されたため、2013年1月25日に却下処分取消しを求めて提訴していた。
原審は、一審原告の浴びた被曝線量を「具体的・定量的に明らかにすることができない」という基準を持ち出し、一審原告の放射線起因性を否定したが、本判決は「控訴人が健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたと認められる以上、その放射線被曝量が具体的・定量的に認定できないことによって、上記認定が妨げられるものではない。」として、一審判決の用いた基準を完全に否定した。
また、原審は、一審原告の脂質異常症や高血圧など他原因を理由に請求を棄却したが、本判決は「疾病の発症においては、一般に、複数の要素が複合的に関与するものであるから、他の疾病要因が認められたとしても、原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には、放射線の影響がなくても当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ、放射線起因性が否定されることはなく、放射線起因性を肯定するのが相当であるというべきである。」とした。そして、本件は、「これらの危険因子により放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情があるとはいい難いから、控訴人の心筋梗塞については放射性起因性を肯定すべきである。」とした。
本判決は、原爆症の認定の在り方について被爆者援護法の趣旨に基づく認定をなすべきであるという原則を改めて明確にしたもので、その意義は極めて大きい。
本訴訟は2013年12月16日に改定した「新しい審査の方針」によってもなお、原告の原爆症認定申請は認められないとして国(厚労大臣)が争っており、被爆者が原爆症認定を受けるためには裁判を起こさなければならないという異常な事態がなお、続いているということを示すものである。
一審原告が原爆症の認定申請をしてから10年以上が経過しており、これほど長期間にわたって裁判をしてでも争ってきた厚生労働省の立場は改められなければならない。国は、上告を断念すべきである。
本年1月22日に核兵器禁止条約が発効した。日本は唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約の調印・批准をし、核兵器の非人道性を世界に訴えるべきである。
 その出発点となるのが、被爆者の声であり、被爆の実相である。

判決にあたり、ノーモア・ヒバクシャ訴訟原告団、全国の被爆者、弁護団は、国及び厚生労働省に対して、以下のことを求める。

1 「新しい審査の方針」の誤りを認め、これを変更し、全被爆者を救済すること
2 被爆者が「裁判をする必要がないように」被爆者援護法と原爆症認定の在り方を抜本   
 的に改め、被爆者の命あるうちに問題を解決すること
3 唯一の原爆被爆国として核兵器の非人道性を国際世論に訴え、核兵器禁止条約に加
 入し、核兵器廃絶国際運動の先頭に立つこと
以上


2021.05.16 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(84)

これまで原爆症認定を受けた原告のみなさんのその後を調査・把握していこう!
2021年新しい年を近畿訴訟全員勝利の年に!
2020年12月2日(水)

 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟傍聴記の前号(11月6日/№83)最後に、10月24日(土)に核兵器禁止条約批准国が50ヶ国に到達、年明けの2021年1月22日(金)条約発効が確定したことを書くことができた。被爆者のみなさん、核兵器廃絶めざす運動に携わってきた国内外の人々は大きな喜びに包まれた。運動してきた人々だけではない。ニュースに接した広範な人々が歓迎の声をあげ、日本政府の条約参加を求めた。暗く困難な事態に見舞われ続けたこの一年だったが、その中で私たちに大きな喜びと希望を与えてくれる出来事となった。
 こうした状況の中で11月13日(金)、今年度最後となるノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟が大阪地裁第2民事部(森鍵一裁判長)・1007号法廷で行われた。大阪府在住のS・Tさん(74歳)が、原爆症認定の更新申請に際して大阪府が却下処分したのは不当だと訴えている裁判で、今回3回目の弁論期日となる。もともとの認定疾病は下咽頭がんだったが、後遺症として発症した嚥下障害、甲状腺機能低下症は原爆症認定の範囲ではないと大阪府が判断したものだ。2回目の弁論期日(9月7日)の内容はノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟傍聴記(82)(2020年9月13日)でレポートした。
 この日の法廷は口頭による意見陳述はなく、提出書面の確認と、主に裁判長と双方代理人との間で争点の整理と確認、それに伴う審理の進め方について協議された。傍聴席から聞くだけではなかなか理解しにくいやりとりだったが、閉廷後の報告集会で、担当の和田信也弁護士から丁寧で分かり易い説明が行われた。以下その要約。

 今回の原告のS・Tさんは下咽頭がんで原爆症認定された人。重い病気になったらいろいろな治療とか、薬とか、手術とかが施されるが、それに伴って次の段階の不調や病気を発症する例、あるいは合併症を発症例は多い。今回のS・Tさんも下咽頭がんは完治したが、しかし後遺症として甲状腺機能低下症、嚥下障害が出てきた。医学的には事例の多いケースと言われている。S・Tさんは当然原爆症認定の更新申請をしたが、大阪府は、甲状腺機能障害と嚥下障害は、もともと認定されていた下咽頭がんではないという理由で却下処分にした。こういうことをされると、不幸にしてがんが完治しなかった人はそのまま更新されるが、運よく治療が功を奏した人はその後どんな後遺症が出ても合併症が出ても全部打ち切られることになってしまう。それは不当だ。
前回の期日で裁判長はポイントとなるいくつかの点を示していた。一つは過去の裁判例から。かって仙台高裁において認定疾病から生じた後遺症を原爆症と認めた例がある。但しこの時の仙台高裁の例は、原爆症認定申請したのは手術後のすでに後遺症が発症している段階での申請だった。それを含めて認定していたので後遺症も認められた。今回は、原爆症認定申請時は手術も何もしておらず、後遺症もまだ出ていなくて、申請する側も認定する側も後遺症が出ることは分かっていなかった。仙台高裁の判決例とはそこが異なる。
 その上で、裁判長は次の点を示した。第一は、原爆症認定制度は、法律上、後遺症の分まで含めて認定する仕組みになっているのではないか。原爆症認定申請のための診断書(医療特別手当用)の「認定疾病に対する治療状況」記載欄には「認定疾病の治療によって生じた疾病(後遺症等)に対するもの」の記載欄がある。認定疾病とは別に「認定疾病以外に関する特記事項」記載欄もある。これは、後遺障害も含めて原爆症のことを考えている証と言えるのではないか。どうして、今になって「病名が違うから認定できない」と(大阪府は)主張することになるのか。
 二点目は、認定疾病は下咽頭がんで後遺症はその認定疾病ではないとされているが、しかし、後遺症についての治療が必要ということは認定疾病の下咽頭がんの治療が必要だと解釈できるのではないか。後遺症の治療が必要ということは、ひるがえって考えると、下咽頭がんにはこの治療が必要だという解釈が考えられる。前回、裁判長は以上のうちどちらを主張するのかと我々(原告側)に問われたので、私たちは両方主張すると答え、今回、詳しくその説明を出すことになった。
 その上で今日、裁判長は次のことを指示した。①原告の一連の疾病に関わるカルテは膨大な量になるので、原告側は下咽頭がん、甲状腺機能低下症、嚥下障害に該当する部分だけをピックアップして、分かり易い表にして提示すること。②被告国側はこれまで何の問題もなく更新申請を認定していたのに急に認定しなくなった。これまでのやり方と異なる。そのことについて厚労省から通達が出されていると聞くので、被告側はその通達文書を提出すること。裁判所もこのことについて勉強する。③もともとの下咽頭がんから後遺症として甲状腺機能低下症、嚥下障害が発症する医学的知見について、原告側は詳しい主張を準備すること。
以上のことを踏まえて、次回期日を2021年2月5日(金)と確認した。

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 報告集会では愛須勝也弁護団事務局長からも状況説明が行われた。東京の東友会では原爆症認定された被爆者のその後の状況についても把握されていて、不当に更新が却下されたりしないようとりくみがなされている。そこの関係者からの話では今回の大阪のS・Tさんのようなケースは東京なら認定されるとのこと。厚労省は、原爆症認定集団訴訟以来のとりくみによって最初の認定条件は広げてきたが、今は、更新の機会に厳しく対処するようになってきた。今年2月25日の最高裁判決を受けて、厚労省は来年から医療に関わる行政を見直してくる可能性がある。そのため今回の近畿のこの裁判は全国的にも高い関心をもって見られている。
 近畿でも集団訴訟以来たくさんの勝訴判決を勝ち取ってきた。しかし、認定を受けて以降の実態が分からなくなっている。東友会はそこをしっかりと把握してカバーされている。近畿では結局切られてしまったケースがいっぱいあるのではないか。あらためて弁護団でも近畿の認定を受けた被爆者のその後の実態を追跡しようと計画している。
核兵器禁止条約が発効されるが、その第6条では核被害者の救済と環境回復が謳われている。そのこととも関連して全国的な課題としてとりくんでいきたい。
 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の、今年最後の報告集会は藤原精吾弁護団長の次のような内容のあいさつで締めくくられた。今年2月の最高裁判決は全体として被爆者に対する国の援護の責任はどこまでなのかが問われた問題。私たちはその責任を追及してきた。被爆者は3つの保障~いのち・暮らし・平和~を求めてきたが、被爆者援護法はごく一部しか実現していない。今の政権の社会保障行政に対する姿勢は自助、共助でしかない。そういう政治と向き合わざるを得ないたたかいだ。核兵器禁止条約の批准国が50ヵ国に到達した。「日本はなぜ参加しない」の声が広がっている。被爆者援護と条約批准は一体の問題だ。条約第6条は被ばくした人に対する国の援護を義務づけている。したがって条約加入は被爆者援護をさらに強めることになる。裁判をたたかう被爆者は少なくなってきたが、来年に向けて、二つの課題のたたかいを更に頑張っていきましょう。

 今年7月29日、84人の原告全員の勝訴判決を勝ち取った広島「黒い雨」訴訟は、原告、支援の人々、そして広範な国民の願いに背を向けて、2週間後の8月12日、国、広島県・広島市によって非情にも控訴された。5年もの年月を費やした一審判決の上に、さらに高齢の原告のみなさんに控訴審の負荷を負わせることになった。11月18日(水)、広島高裁で1回目の弁論期日が行われて控訴審が開始された。今からでも、国・広島県・広島市は控訴を取り下げろ、原告全員に速やかに被爆者健康手帳を交付しろ、の声を上げ続けて、連帯したたたかいを強めていきたい。
 ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は2021年年明けの1月14日(木)、高裁第6民事部でT・Iさんの判決を迎える。昨年5月23日の地裁判決で不当な敗訴判決を受けたT・Iさんが、逆転勝訴をめざす判決だ。今年2月28日の眞鍋穣医師の証人尋問では、主尋問で緻密で徹底した証言が行われ、被告側が反対尋問を放棄せざるを得ない事態にまで追い込んだ。あの時のことは鮮明に記憶している。証人尋問のあの日の光景がそのまま判決に反映されることを期待したい。
 その他、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は2021年度も5人の原告のたたかいが続く。文字通りの全員勝利をめざして新しい年を迎えよう。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2021年01月14日(木) 13:15 高裁第6民事部  202号法廷 T・Iさん判決言い渡し
2021年01月21日(木) 13:30 高裁第12民事部  74号法廷 高橋一有さん弁論
2021年01月26日(火) 14:00 高裁第14民事部  202号法廷 Y・MさんとO・Hさん弁論
2021年02月05日(金) 10:00 地裁第 2民事部 1007号法廷 S・Tさん弁論
弁論期日未定         最高裁上告審 苑田朔爾さん
2020.12.30 Wed l ニュース(核兵器廃絶) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(83)
控訴審最後の第14民事部も弁論開始。
核兵器禁止条約の批准50ヶ国到達! 核廃絶運動の進展も力に訴訟全面勝利へ!
2020年11月6日(金)


 今年1月31日(金)の大阪地裁第2民事部(三輪方大裁判長)で敗訴判決を受けた二人の原告(Y・Mさん、O・Hさん)の控訴審が、9ヶ月も待って10月23日(金)やっと第1回弁論の日を迎えた。係属部は高裁第14民事部、裁判長は小西義博裁判長。Y・Mさん(男性)は長崎の爆心地から4㌔での直接被爆と入市被爆。申請疾病は食道がんだが、既に他界されており遺族が承継されている。O・Hさん(男性)も同じ長崎で爆心地から3㌔の直接被爆と入市被爆。申請疾病は心筋梗塞で今77歳。
 原告側、被告側双方の提出書類確認の後、この日はまずO・Hさん本人の意見陳述から始まった。O・Hさんが被爆したのは2歳7ヶ月の時。わずかな記憶の中にも幼い頃から下痢や鼻血などに襲われてきた思い出は残されている。父親はビルマで戦死。そのことがO・Hさんの人生に重い負荷を負わせることになり、O・Hさんは苦労に苦労を重ねて生きてきた。50歳の時心筋梗塞を発症、経皮的経管冠動脈形成術を受け、10年後の60歳の時に再び激しい胸痛に襲われて冠動脈バイパス手術を受けた。現在も経過観察と投薬治療が続いていて、いつ発作が起こるか分からない不安を抱えての毎日となっている。今年1月の一審判決は、O・Hさんの被爆は健康には関係ないと言わんばかりのもので、O・Hさんは強い憤りを感じた。「裁判官も一度あの被爆の体験をしてもらいたい」、「理屈では説明しきれないあの惨状をどうか想像してもらいたい」、さらに「判決が喫煙や加齢を指摘したのは原爆症を否定するための『いちゃもん』のようにしか感じられなかった」と、O・Hさんは判決に対する率直な思いを申し立てた。O・Hさんが戦争、原爆に対する強い憤りを訴えるのは一審の時の本人陳述と同じだった。「原爆や戦争がなければ、私は実父母と暮らし好きな勉強も続けられていたでしょう。若くして心臓の病気に悩まされることもなかったでしょう」。
 二人目の意見陳述はO・Hさん担当の中森俊久弁護士。パワーポイントを使った画像を映し出しながら、被爆の実態、長崎原爆の実相について説明されていった。長崎原爆投下の内容、熱線、放射線、爆風・衝撃波による被害の様相と状況が分かり易く述べられていった。おそらく、初めて原爆被害に向き合うことになるのであろう裁判体の人たちに、正確な理解を促すための、噛んで含めるような陳述であった。さらに、被爆者援護法の精神と、それに基づいて判決された松谷最高裁判決の内容についても陳述され、公正な判決を期待するとしてまとめられた。
 三人目はY・Mさんを担当する崔信義弁護士による意見陳述。崔弁護士の陳述はY・Mさんの二つの控訴理由内容について詳しく述べるものだった。一つは、Y・Mさんが8月11日または12日頃爆心地近くを通過したかどうかの事実認定について。もう一つは、Y・Mさんの申請疾病の食道がんの放射線起因性について。
 入市の事実認定について一審判決は、Y・Mさんの被爆者健康手帳交付申請書には入市したことを示す記載がないことをもって否定している。しかし、直接被爆の記載さえあれば手帳は交付され、入市のことまで重ねて書く必要のなかったのが、手帳交付手続きの実際であって、崔弁護士はそのことを丁寧に指摘し、それを証明する実務担当者の陳述書まで提出していることが示された。「原判決は重大な間違いを犯しています」というのが意見陳述のこの項のまとめだが、加えて、それはあまりにもお粗末な判決理由だと思わざるを得ない。手帳発行申請が実際はどのように行われていたか、入市の記載がないことが単純に入市を否定することにはならないことなど、多少ともノーモア・ヒバクシャ訴訟に関わっている人なら誰でも知っていること。そんな基本的なことも無視して強引に判決理由にするなど言語道断、許されることではない。
 二つ目の控訴理由の放射線起因性についても、医学的知見と言うより、Y・Mさんの喫煙に対する事実認識が焦点となっている。Y・Mさんには14年間に及ぶ問診票が残されているが、その中で喫煙について記載されているのは1994年の「1日1本」という記録しかない。しかもそれは食道がん発生の20年も前のことになる。こんなわずかな喫煙歴にも関わらず、それを根拠に一審判決は、喫煙期間も喫煙量の確定もしないまま、飲酒と喫煙等のリスクが「重畳的に作用して食道がんが発症した」とした。崔弁護士は、起因性に関わる一番の間違いはY・Mさんの喫煙歴の事実認定の仕方にあると厳しく主張した。
 陳述の最期に崔弁護士からY・Mさんの主張立証のために眞鍋穣医師の証人尋問が求められた。Y・Mさんは手術後2年4ヶ月という短期間で急死されている。食道がんの術後の急激な症状悪化には放射線被ばくの影響が大きいという論文もあり、それは眞鍋医師提出の意見書にも言及されている。放射線被ばくによって被爆者の免疫機能がどう阻害されるか、詳しい証言が可能になるとの主張だった。次回期日での証人採用を重ねて求めて陳述は終えられた。
 これでこの日の意見陳述はすべて終了した。当初の予定時間をかなり上回ることになったが、それだけ強く熱い思いのこもった訴えであったことを示している。証人採用申請に対する結論は出されないまま、次回期日を年明けの1月26日と確認して閉廷となった。

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 終了後は会場を中の島公会堂会議室に移して報告集会が行われた。本人意見陳述を行われたO・Hさんからは「絶対に諦めず、最後まで頑張りたい」との強い決意が披露された。陳述された二人の弁護士からも今日の陳述の意図が簡潔に報告された。会場の都合で集会は短時間で終了せざるを得ず、西晃弁護士のまとめを最後にこの日は散会となった。
報告集会の後、年明け1月14日(木)に判決の迫っている原告T・Iさんの控訴審の継続部署である第6民事部に、「公正な判決を求める署名」が提出された。短期間の署名のとりくみであったが全体で754筆が寄せられた。
 報告集会のまとめで西弁護士からは「もしかしたら今日(10月23日)にも核兵器禁止条約批准国が50ヶ国に到達する可能性がある」という期待の発言があった。その通りの10月23日というわけにはいかなかったが、翌日の10月24日(土)中米のホンジュラスが批准書提出、遂に批准国50ヶ国到達!のニュースが、日本の私たちには25日(日)の早朝飛び込んできた。
被爆75年の節目の年に、核兵器禁止条約採択から3年を経て、いよいよ条約発効確定の日を迎えることになった。核保有国、それと同調・同盟する国々の姿勢が決して容易に変化するわけではないが、核廃絶に向けて歴史的な大きな一歩を築いたことは紛れもない事実だ。何より私たち自身が確信を持ち、一層の勇気を抱くことになった。
 全国でも、国内外でも核兵器禁止条約発効確定をお祝いし、核廃絶に向けて雄々しく進んでいこうと訴えるメッセージ発信や街頭行動が繰り広げられた。京都でも10月27日(火)、緊急に街頭宣伝行動を行い市民にアピールした。その中心は被爆者のみなさんであった。
 10月29日(木)、日本原水協のよびかける「唯一の戦争被爆国 日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」運動のスタートが切られた。核兵器禁止条約発効が確定した今、私たちに課せられた最大の課題は日本政府の条約参加、条約参加する日本政府を作ることにある。絶好の、どうしても成功させなければならない署名運動だ。「どうして日本は核兵器禁止条約に参加しないのか?」という素朴な、しかし率直な疑問の声がごく普通に日常会話の中でも語られる、そんな状況を感じられるようになってきている。メディアによる世論調査では72%の人々が核兵器禁止条約を支持している。
さらに世論を喚起しながら、国民的要求に応えて、核兵器禁止条約に参加する日本政府を作っていこう。そのことも力にしながらノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の全面勝利をめざしていこう。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2020年11月13日(金) 10:00 地裁第2 民事部 1007号法廷 S・Tさん弁論
2021年01月14日(木) 13:15 高裁第6民事部  202号法廷 T・Iさん判決言い渡し
2021年01月21日(木) 13:30 高裁第12民事部 74号法廷 高橋一有さん弁論
2021年01月26日(火) 14:00 高裁第14民事部 202号法廷 Y・MさんとO・Hさん弁論
弁論期日未定         最高裁上告審 苑田朔爾さん
2020.11.29 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(82)
高裁第6民事部の判決は年明け1月14日(木)に決定!
認定被爆者の更新打ち切り処分に対する裁判も開始、より広い被爆者援護のために
2020年9月13日(日)


 猛暑の続く8月下旬から9月にかけて、ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は3つの裁判が続いた。最初が8月26日(水)高裁第6民事部、続いて9月7日(月)地裁第2民事部、そして9月9日(水)高裁第12民事部と。

 最初の8月26日(水)高裁第6民事部(大島眞一裁判長)は原告T・Iさん(男性、76歳、京都府城陽市)の控訴審。法廷は202号大法廷。コロナ感染防止対策で席数も思い切って減らされているが、傍聴者も9人だけと寂しい法廷になった。前回は2月28(金)、阪南医療生協診療所所長の眞鍋穣医師による証人尋問で、T・Iさんの被爆状況と症状、放射線と糖尿病発症の関係、肝機能障害の最新の医学的知見について、多数の資料とデータに基づいた精緻極まりない証言だったことが強い印象として残っている。圧倒的な証言の前に、国側代理人は質問に窮してしまい、反対尋問を10分にも満たない時間で切り上げ、尋問放棄に近い事態を招いてしまった。かってないことだった。
 その証人尋問を受けて今回が最終弁論となった。担当の中道滋弁護士が立ち、最近では珍しくなったパワーポイントを使っての最終意見陳述が行われた。既に眞鍋医師の証言によって放射線起因性などについては詳細な主張立証が行われていることから、今回はそれを補充する内容ではなく、あらためて被爆の実相を示し、被爆者援護・救済の重要性、必要性を説くことに重点を置いての陳述となった。写真、絵などの画像、援護法前文、松谷訴訟最高裁判決の要旨、眞鍋証言の要点などを示し、それらを簡潔にまとめたコメントによって20分間の陳述はまとめられた。
 裁判長から弁論の終結が宣せられ、判決言い渡しは来年年明けの1月14日(木)午後1時15分からと告げられて閉廷となった。

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 報告集会は大阪弁護士会館で行われ、弁論された中道弁護士と、今回も出廷された原告のT・Iさんからの挨拶から始められた。T・Iさんは振り返れば原爆症認定申請したのは平成22年(2010年)のこと、今日まで10年もかけてくることになった。ここまで応援していただいたみなさんへの感謝の言葉が述べられた。判決が意外と先となり、これから4ヶ月も先となった。それだけのじっくり時間をかけての判決なら裁判長にも期待したいところだが、裁判長頼みではなく、眞鍋医師の意見書の力と、私たちのこれから4ヶ月もある期間の運動-公正な判決を求める署名運動-を最後まで取り組んでいくことが呼びかけられ、みんなで確認した。
 
 報告集会では8月22日(土)に行われた全国の弁護団と支援ネットの会議内容も報告された。会議の目的は2020年1月21日(火)の最高裁判決を受けて今後これをどう克服していくかについての意見交換だった。最近、せっかく頑張って原爆症認定を勝ち取っても、5年の経過後には機械的に更新却下される事例が全国的に頻発するようになっている。最高裁判決を受けて今年4月からは厚労省がより厳しくなる行政方針も出している可能性もある。この事態を克服していく基本は日本被団協の提言に沿った法改正が必要。その実現のためにどう運動を進めるか話し合った、と言うのが報告の要旨だった。

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 最後に尾藤廣喜弁護団幹事長からまとめの挨拶が行われて報告集会は終了した。ノーモア・ヒバクシャ訴訟も全国で残された原告は7人、その内5人が近畿訴訟となった。裁判は最後まで戦ってすべての原告が認定を勝ち取るようにしていこう。認定後の更新で打ち切られる人が増えている可能性がある。これに対して全国的に対応していくことが確認された。手を緩めることなくとりくんでいきたい。最後の最後まで被爆者の願いを完全に実現していくことが私たちの課題だ。核兵器廃絶と共に。尾藤弁護士からは京都「被爆2世・3世の会」が刊行した書籍、『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心』〈上巻〉も紹介していただいた。被爆二世・三世でなければ書けないようないい証言集だと評価いただき、これをもっと広げて、私たちの闘いの武器としても使っていこうと紹介していただいた。

 9月7日(月)の地裁第2民事部(森鍵一裁判長)は今回2回目の弁論期日だが、これまでの原爆症認定訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟とは内容の異なる裁判だ。閉廷後の報告集会で愛須勝也弁護団事務局長から行われた説明をまとめると次のようになる。
 原告のS・Tさん(74歳・大阪府)は広島での胎内被爆者。下咽頭がんを発症し、原爆症認定を申請、認められてきた。当初は放射線治療で治癒をめざそうとしたがそれでは叶わず、がんの切除手術を余儀なくされた。しかし手術はがんの切除だけで済ますことはできず、リンパ節の手術など合わせて3つの手術を伴なった。その結果後遺障害である嚥下障害、甲状腺機能障害なども発症し、現在もその治療を続けている。
 S・Tさんは原爆症の引き続く認定を求めて現況届け、更新の手続きを行ってきたが、こともあろうに決済者である大阪府は更新手続きを拒否、却下の処分を行ってきた。理由は、当初の認定申請疾病である下咽頭がんはすでに切除して完治しているとみなし、後遺障害の嚥下障害や甲状腺機能障害は、当初の認定申請疾病には含まれていないので認定対象とはならない、というものだ。更新が拒否されるとそれまでの医療特別手当給付は終了し、特別手当給付に切り下げられる。もともと下咽頭がんの発症、治療に伴って生じた後遺障害。当然それは当初の下咽頭がんと一体の原爆症として認められなければならないとしてS・Tさんは提訴に及んだ。

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 報告を聞いて、今被爆者をめぐる状況にはこのような事態も生まれているのかと驚きを隠すことができなかった。がん手術後の経過観察をどこまで要医療性の範囲とみるかなどについて争いのあることは分かっていたが、明確な後遺障害、それも今現在歴治療中であることが明確な疾病まで拒否するとは。
 毎年3月末、被爆者に関わる基本的なデータが厚労省から公表される。それを見ていると、原爆症認定を受けている被爆者(医療特別手当受給者)数は年々減少し、一方原爆症認定の更新を終えたとされる被爆者(特別手当)数が年々増加していることが顕著に示されている。原爆症認定の更新基準、判断基準の変化(後退)がそこに存在していることをあらためて気付かされることになった。
 このような事態が進行していて、それが法廷の場で争われるのは全国でも初めてのケースとなる。裁判長からも全国の先例となるので慎重に審理を進めていきたい旨語られた。その上で、「認定疾病とは何か」、「要医療性とは、その範囲は何か」などについての考え方を整理して提出するよう原告側代理人に求められた。被告側代理人にも「後遺症に対する対応」の考え方を提出するよう指示がなされた。それぞれ提出期限は11月6日(金)までとされ、次回弁論期日を11月13日(金)と確認してこの日の裁判は閉廷となった。
 その後の大阪弁護士会館での報告集会では、上記の愛須弁護士からの報告を受けて意見交換。この裁判の被告は大阪府だが、当然被爆者行政の基本方針は厚労省からのものであり、実質的に国、厚労省を相手にした裁判となる。私たちはこれまで新しく原爆症認定を求める人たちを応援してきたが、認定を得た人たちがその後継続更新できているのかどうかには十分な関心を払うことができてこなかった。S・Tさんのような事例、納得できないまま医療特別手当を外された被爆者は少なくない可能性がある。そうした人たちの現状を掴み、被爆者支援行政の実態にもう一歩踏み込んでいく必要がある、等の意見が交わされた。

藤原先生

 連続した裁判の3つ目は9月9日(水)、高裁第12民事部(石井寛明裁判長)での高橋一有さん(79歳、兵庫県三木市)の控訴審で、今回が2回目の弁論となる。1回目の6月10日には愛須弁護士から一審判決の不当性が訴えられ、それと共に眞鍋医師の証人採用が強く求められた。この時、証人採用については保留とされ、結論は今回の法廷に持ち越されていた。
今回の法廷の焦点はこの眞鍋医師の証人採用について。国側からは証人採用に反対する意見書が提出されているようで、それに対する反論も込めて、担当の小瀧悦子弁護士から証人採用の必要性を説く意見陳述が行われた。高橋さんのひどくなった化膿しやすい体質、細菌感染に対する抵抗力の低下(その結果の右目眼球摘出手術)等は原爆放射線による影響であり、それを立証できるのは免疫アレルギーを専門に長年にわたる臨床経験と豊富な医学的知見を持つ眞鍋医師こそであること、脂質異常症や高血圧症と放射線被ばくとの関連について最新の知見や報告を正しく理解するためにも眞鍋医師の尋問が不可欠であることが述べられた。
国側からの反対意見は、こじつけに過ぎないようなものだ。医学上の専門的意見は口頭で説明されても理解し難いので書証の方が適切であるとか、尋問したところで見解の相違が明らかになるだけだから証拠調べの形式にそぐわないとか。まるで司法制度そのものを頭から否定するような、司法官としての資質、資格を疑わせるようなものだ。2月28日の高裁第6民事部の証人尋問でまともに反対尋問できなかった痛烈な体験がここまで逃げの姿勢にさせているのか、と憶測してしまった。
 この後裁判体による証人採用についての合議が5分間程度行われた。結論は証人申請は却下。理由は既に眞鍋医師からの詳細な意見書が提出されており、その内容を信用して検討すれば足りる、という説明だった。意見書が詳細なものであればこそ、裁判所も直接眞鍋医意見に直接耳を傾けるべきで、そうあることを願っていたが、期待は裏切られた。
 この後、裁判長から「審理は熟していると思うが」と結審を急ぐような発言があったが、今後どう進められていくのか、傍聴席にいる私たちにはよく分からないまま、この日は閉廷となった。閉廷後、進行協議が開催された。

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 この日の報告集会は中之島の中央公会堂で行われた。進行協議の結果が報告され、裁判長が結審・判決を急ぐ理由が明らかにされた。今の裁判体の人事異動が予定されていて、なんとか現裁判体で判決を書きたい、というのが理由のようだった。証人申請が却下されたので補充の意見書を作成すること、国の意見書に対する反論も準備することを想定するとこれから最低2ヶ月は必要となる。そうすると判決が先延ばしとなる可能性があるが、ということの話し合いの内容だった。弁護団は裁判に“悔いは残さない”という思いを最も大切にして、時間を要しても十分なとりくみをして判決を受けることを決断された。その結果次回の弁論期日は年明けの1月21日(木)となった。小瀧弁護士からは医師証言に代わるようなしっかりとした補充の意見書を準備していく決意が語られた。
 藤原精吾弁護団長からも進行協議の経緯が紹介された。最近の裁判事例には、期待を裏切る判決が相次いでいる。裁判官に安易な期待や根拠の薄い希望を託してはならない。裁判長は早く結論を出したいようだったが、私たちはやるべきことはすべてやり尽くして判決を受ける道を選んだ。その結果判決が先に延びることになってもそれで良かった。一審で不当判決を受けてそれを翻す控訴審を闘っているのだが、流れを変える機会はある。年明け1月14日(木)に決まったT・Iさんの判決で勝訴できれば非常に大きな力、ステップになるのではないか。そのような判決を積み重ねていきたい。さらに頑張っていこう。
控訴審の公正な判決を求める署名を当面10月23日(金)までに集めることを確認して報告集会は閉じられた。

 コロナ禍に襲われた今年の夏だが、被爆者援護と核廃絶をめぐっては大きな出来事が相次いだ。7月29日(水)、広島地裁で「黒い雨」訴訟の判決が言い渡された。84人の原告全員の訴えが認められると言う画期的な判決だった。判決内容は、原爆症認定訴訟が勝ち取ってきたものと同様、被爆者救済の立場を明確にして判断すること、特に内部被ばくについてはその危険性・可能性を重視することが強調され、国の行政の誤りが断罪された。被害を受け原告となって闘ってきた人々、それを支えてきた人々の喜びはこの上ないものだった。
 しかし、2週間後の8月12日(水)、国の指示によって広島県、広島市は控訴の手続きを行った。「判決は科学的知見が十分とは言えない」というのが理由とされた。これほど非情な判断、行政のあり方はない。原告のみなさんはみんな高齢だ。一審判決を聞くまでに他界された原告は12人にものぼる。さらに裁判を続けて、「国は原告たちの亡くなっていくのを待っているのか」という声が、決して大袈裟でなく聞こえてくる。非人道的控訴と言われても仕方ない。
被害に遭われた人々、広島県、広島市による「黒い雨」被爆の範囲拡大の要求に対して、厚労省は2012年当時有識者検討会議を設けて「検討」し、「地域拡大は困難」との結論を出した。今回の控訴もこの結論が基本にある。しかしこの時、有識者会議メンバーで現地調査に赴いた人は一人もいない。また有識者会議から聞き取り調査を受けた現地住民も一人もいなかった。被害者に直接向き合うことなく、耳を傾けることも一切なく、すべて机上の論理、空論で片付けられてきた。これが厚労省の言う「科学的知見」の実態だ。
 今回の控訴については、日頃被ばくの問題や被爆者支援に関わっていない一般の人々からも怒りと疑問の声が広まっていた。京都原水爆被災者懇談会と京都「被爆2世・3世の会」は連名で控訴に対する抗議声明を出し、8月29日(土)には街頭で控訴に抗議するアピール行動も行った。声明文を書いた文字ばかりの宣伝チラシだったが、普段以上に受け取りは良かった。
同じ広島・長崎の原爆被害者として、核被害者として、これからも「黒い雨」訴訟を闘うみなさんを応援し、共に被害者救済と核廃絶をめざしていきたい。

 8月6日(木)広島の日、8月9日(日)長崎の日、両日に合わせて合計4つの国が新たに核兵器禁止条約を批准した。これで批准国は合計44ヶ国となり、条約発効まで後6ヵ国に迫ってきた。年内にも発効をという願いが現実味を帯びてきた。その一方で、自国優先第一主義、世界の分断を厭わない動向が強まっており、核兵器をめぐる状況も核拡散につながりかねない事態を目の前にしている。核兵器禁止条約の一日も早い発効を実現し、その力と、核廃絶を願う世界の圧倒的な世論で核保有国を包囲し、危険な策動を断念させていきたい。そのことを強く願う今年の夏だった。

 今年の「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の完全勝利をめざすつどい」は、当初5月30日(土)に予定されていたがコロナ感染拡大防止のために延期され、8月22日(土)に大阪府福祉会館で開催された。基調講演は関西学院大学の冨田宏治先生。オンラインで開催された今年の原水禁世界大会の成果と次年度に向けた展望、間近に迫った核兵器禁止条約発効の見通し、国内外の情勢の特徴と私たちの課題についてお話しいただいた。特に、人の命の尊厳について世界中の多くの人々が気付始めており、コロナのことも、貧困と格差、差別のことも、そして核兵器廃絶のことも、ここを原点に世界の人々の共同した運動を強めていくことの大切さが強調された。
 「つどい」では「原爆症裁判が切り拓いたもの、今日の課題」と題して西晃弁護士から弁護団報告がなされた。原爆症認定集団訴訟とノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の営みが到達した司法判断を5点にまとめられ、それでもまだ到達できていないと限界とその基本的要因が具体的な判決事例に沿って報告され、最後に私たちの課題と進む道が提示された。これからの課題として提示されたのは、集団的闘いの重要性の再確認、国家補償を求めるたたかいの意義の再確認、核兵器廃絶運動との連動であった。
最後に3つの行動提起が行われて参加者全員で確認した。①係争中のすべての裁判の勝利めざして公正な判決を求める署名運動をとりくむ、②国・厚労省に対し認定基準の抜本的改定と、被爆者全てを救済する制度策定を求めていく、③核兵器廃絶発効に向けて「ヒバクシャ国際署名」をさらに広げていく。
 コロナ禍の下、猛暑の影響もあり、他の弁護団会議と重なった事情もあって、参加者は39人とやや少な目だったが、それでも有意義な「つどい」となった。2020年後半期からの運動と闘いにエネルギーを加えることになった。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2020年10月23日(金) 11:15 高裁第14民事部 202号法廷 Y・Mさん、O・Hさん弁論
2020年11月13日(金) 10:00 地裁第2 民事部 1007号法廷 S・Tさん弁論
2021年01月14日(木) 13:15 高裁第6民事部  202号法廷 T・Iさん判決言い渡し
2021年01月21日(木) 13:30 高裁第12民事部 74号法廷 高橋一有さん弁論
弁論期日未定         最高裁上告審 苑田朔爾さん
2020.11.29 Sun l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(81)
高裁第12民事部で地裁第2民事部の不当判決を翻す弁論開始!
最高裁の“被爆者に対する姿勢”を正すため、苑田朔爾さんが上告へ
2020年6月13日(土)

新型コロナウイルス感染防止の緊急事態宣言が解除され、5月末から6月前半にかけてノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の法廷は3週連続で設定された。5月27日(水)は大阪高裁第2民事部苑田朔爾さんの控訴審判決、次週の6月3日(水)は大阪地裁第2民事部でN・Kさんの判決、そして今週6月10日(水)は高橋一有さんの控訴審第1回目の弁論と続いた。

苑田朔爾さんへの不当判決に対しては、こんなに酷い判決をそのまま看過することはできないとして6月5日(金)、上告の手続きがとられた。N・Mさんの勝訴判決については国に控訴させないことが喫緊の課題であり、厚労大臣に対する働きかけが全国に呼び掛けられている。控訴期限は6月17日(水)だが、今日現在控訴手続きはとられていない。

高橋一有さん(79歳、兵庫県三木市、心筋梗塞で認定申請)は、昨年11月22日、地裁第2民事部で却下処分の不当判決を受けた。判決を下した裁判長は先週のN・Kさんの判決も書いた三輪方大裁判長だった。半年の期間を置いてやっと控訴審の最初の弁論機会を迎えることになった。係属の高裁第12民事部の裁判長は、法廷前の掲示板を見ると石井寛明裁判長とあった。なんとなく記憶にある、かなり以前の一審かまたは二審でノーモア・ヒバクシャ訴訟を担当したことのある人ではなかったかと思いつつ、開廷を待った。帰宅して過去の傍聴記を見直してみると、2015年から2016年にかけて高裁第13民事部で6人の被爆者の裁判を担当した人だと分かった。但し、この裁判長の前で弁論が行われたのは3度だけで、4回目からは別の裁判長に代わり、高裁第13民事部の審理はその後2年も続いて、2018年に判決を迎えている。弁論だけであったので石井裁判長の印象は薄く、特別の感想を持つことは何もなかった。ただ、当時、傍聴参加者が次第に少なくなりつつある中で、あくまでも202号大法廷の使用にこだわり続けていたことが思い出に残っている。
今日の会場の74号法廷は今回も傍聴席は3分の1に限定され、わずか13人の席数はただちに埋まった。高橋さんの担当は小瀧悦子弁護士だが、大変力のこもった控訴理由書が提出されていると後刻の報告集会で紹介された。その小瀧弁護士は急に体調を崩されたようで今回は欠席。高橋一有さん本人は出廷を希望されていたようだが、遠距離で、コロナ禍の下、今回は無理をしないでおいた方がいいということで、欠席されることになった。
冒頭、控訴側からの控訴状、控訴理由書、非控訴側の答弁書等の提出が確認されて審理は開始された。控訴側からは眞鍋穣医師の証人申請もされているようだったが、その決定はとりあえずのところ留保された。
この日の口頭意見陳述は愛須勝也弁護団事務局長によって行われた。愛須弁護士は弁論で、一審判決の判断枠組みの誤りと、高橋さんの被曝後の状況についての判断の誤りと、二つに分けて述べ、分かり易くも、厳しく原判決を批判した。
一審判決はまず、「DS02等により算定される被曝線量は、飽くまで一応の目安とするにとどめるのが相当」であるとし、「被爆者の被曝線量を評価するに当たっては、当該被爆者の被爆状況、被曝後の行動・活動の内容、被曝後に生じた症状、健康状態等に照らし、様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性の有無を十分に検討する必要がある」としている。また申請疾病である心筋梗塞については最新の医学的知見を受け入れ、既に積極的認定疾病に加えられていることも理由に放射線起因性を認めている。ここまではこれまでの原爆症認定集団訴訟の判決で繰り返されてきた判断枠組みと同じことになる。しかし、判決はこれらの到達点を述べながら、高橋さんの心筋梗塞の放射線起因性の具体論になると、突然、浴びた被曝線量を「具体的・定量的に明らかにすることができない」という、まったく異質の基準を持ち出し、高橋さんの浴びた線量は大したことはないとして切り捨ててしまった。
被爆者の浴びた放射線量を定量化するなどできるわけがなく、被爆者に不可能なことを強いるもので、被爆者援護法の趣旨にも真っ向から矛盾し、被爆者が長年の原爆症認定集団訴訟、ノーモア・ヒバクシャ訴訟で勝ち取ってきた判断基準の成果を冒涜するものだ、と愛須弁護士は原判決を厳しく批判した。
高橋さんの一審判決以降4人の原告が同じ地裁第2民事部(同じ裁判長で)判決を受けているが、前段の判断枠組みでは4人とも同じことが述べられている。しかし、具体論になると2人については被曝線量が明らかでないとの理由で請求を棄却し、後の2人については具体的線量が明らかでないのに請求を認めるという、まったく矛盾した判決が行われていることも付言された。
一審判決は、高橋さんの被曝状況について、入市後に爆心地近くで飲食をしたこと、怪我や予防接種でもひどく化膿するようになったこと、結膜炎の悪化から眼球摘出をして失明したことなどのここまでの事実認定は認めている。しかし判決は、化膿がひどくなっていった具体的な状況や失明に至った詳細も明らかでないとして、「放射線被曝の影響で免疫力が落ちたことに起因するものであるとは直ちに認めることはできない」としまっている。
このことについては、免疫アレルギーの専門的知見を持たれている眞鍋穣医師の詳細な意見書が既に提出されている。その意見書の要点に触れながら陳述は続けられた。眞鍋医師によると、高橋さんは被爆した4歳までは元気な子であったにも関わらず、被爆後ひどく化膿するようになったこと、また若くして結膜炎から眼球摘出を受けることになった経過は、細菌感染に対する抵抗力の顕著な低下がなければ考えられないこととされている。高橋さんの免疫力低下は先天的なものではありえず、後天的なものとしか考えられないこと、その原因は原爆放射線の被曝によるものと考えるのが最も妥当だとされている。眞鍋医師の意見のポイントは、高橋さんの症状は被爆後に生じているという点にある。一審判決はその評価を見誤り、症状発生の程度や時期が明らかでないとして、放射線の影響を無視してしまっている、と批判された。
愛須弁護士の陳述は最後に、多くの被爆者が自らの生命をかけて築き上げてきた司法判断の到達点を後退させる原判決を確定させることは認められないと訴え、審理においては眞鍋医師の証人を採用して審理を尽くすよう求めて、閉じられた。
陳述の後、次回期日を9月9日(水)とすることを確認して、閉廷となった。

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今回も大阪弁護士会館に移動して報告集会が行われた。最初に愛須弁護士から、今日の陳述を補足する説明が行われた。
地裁第2民事部、三輪裁判長の判決は高橋さんたちの判決を皮切りに3回行われたが、前段の判断枠組の記述は3回ともまったく同じ文章で、それは見るからにコピペしたものと言わざるを得ない。それが具体論に移ると態度がコロッと変わって、被爆放射線量の推計まで具体的に計算して示しながら、それを前提とした判決にしている。敢えて余計な判断枠組みを滑り込ませ、それを理由に足切りをはかっている。4人の原告の2人には原爆症を認め、2人は却下。どこが違っているのかさっぱり分からない、極めて恣意的な判決だ。要は国が許容する範囲なら認め、それ以外は切り捨てるという、原爆症認定訴訟の歴史と実績を明らかに踏み外している。

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証人申請している眞鍋医師は臨床医師であると同時にアレルギーの研究、専門家でもある。この間の原発事故、原発労働者の問題、チェルノブイリ事故などから、たくさんの医学論文、科学論文が集積されており、白血球の中の好中球異常が免疫力の異常をもたらすことが明らかにされている。眞鍋医師はそれらの研究成果に基づいて、放射線被曝によって免疫機能に異常を来し、被爆者には今日までずーっとそれが続いていることを示されている。高橋さんの被曝後の症状を診ても被爆した後に免疫力が低下してきたことは明らかであり、原因は原爆による被曝以外考えられない。非常に説得力のある意見書となっているようだ、
意見書の内容は必ず裁判所にも伝わるであろう。裁判所は証人の意見を聞かなければ、と思うはずだ。一審判決はきっと見直されるのではないか、という期待と思いが語られた。
その後、現在の近畿訴訟の全体状況が報告され、確認された。

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(支援集会で講演する眞鍋穣医師)

苑田さんの事件は上述のように6月5日(金)上告された。先週判決のあったN・Kさんについては、国に対して上告するなと働きかけ、判決確定を求めている。そして今日の高橋一有さん。その他、近畿訴訟では3人の原告がいずれも控訴審での審理開始の日を待っている。係属部は1人は第6民事部、2人は第14民事部と決まっているが、期日は未定のままだ。
報告集会では藤原精吾弁護団団長から、苑田さんの上告について、その目的、理由が以下のように説明された。

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今年2月25日(火)、最高裁で原爆症認定に関わる不当な判決が下された。被爆者に向き合わない、ただ言葉の解釈だけで要医療性を否定した結論だった。行政のやっていることを追認、追随するだけ、被爆者援護制度の理解もできていない。最高裁の判決とはとても思えないようなずさんな間違いがある、との批判も出されている。
被爆者の問題、被爆被害の問題をもう一度最高裁に考えさせる必要がある。そういう意味で苑田さんの上告をすることにした。これを機会に、最高裁は被爆者問題をもう一度考え直せという運動にしていきたい。現在、『賃金と社会保障』という雑誌で特集号を編集中だ。いかに最高裁判決が間違っているか、そしてそれらがいかに世論は受け入れ難いものであるか、が書かれた特集だ。8月6日前に発行の予定で、是非読んでいただきたい。
報告集会の最後に、尾藤廣喜弁護団幹事長からまとめが行われた。

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苑田さんの事件の上告については弁護団会議の中でも様々な意見が交わされた。事実認定が争点になっているので上告は難しいという意見もあった。しかし、私たちが原爆症認定訴訟を起こしてきた原点は、裁判所は被爆者の被爆の実態をきちんと正確に捉えて、それに基づいて判断し、認定のあり方を考えていかなければならない、というところからだった。小西訴訟以来ずーっと私はたちが主張してきたことだ。小西さんの場合、1.8㌔の被曝で、白血球減少症と肝機能障害が申請疾病だった。当時の基準からするととても認められるようなものではなかった。相談した斎藤紀先生からも、今の基準ではとても認められるものではないと、訴訟については否定的な意見をもらっていた。
しかし、現実に小西さんは白血球減少症が続いており、肝機能障害もあった。この事実から考えて認定されないのは基準自体がおかしいのだと、かなりの議論を行った。斎藤先生もそうかもしれないと言われるようになり、小西さんの症状を自らも分析され、それから見解を改められるようになった。小西さんのために法廷での証言もしていただいた。
医師、科学者は、事実に謙虚でなければならない。被爆者の訴えていること、その事実をどれだけ尊重して被爆の実相を正直に見るかということ。それは裁判所にも当てはまる。苑田さんの判決には微塵もそのような姿勢が見られなかった。「被爆者の言うことは信用できない」という立場に立ち、認定には被曝線量を厳しく考えないといけないとし、何より厚生労働大臣の打ち出した方針には素直に従わなければいけない、といった考え方が随所に見られた。私たちの築いてきた到達点を踏みにじる判決だった。
この判決をこのまま終わらせるわけにはいかないと考えて、上告することを決めた。弁護団はもう一度最高裁にチャレンジする、ということだ。
今日の高裁第12民事部の裁判も同じ立場を求めていかなければならない。本当に被爆者に向き合って、正しい判断は何かを実態から見ていくようにする。
私が水俣病訴訟をやっている時、原田正純医師から教えられたことがある。医者は患者さんから学ぶ、医学は患者さんから学ぶということだ。裁判もそうあるべきだ。この裁判所がきちっと事実を見て判断するように、またさせるようにしていかないといけない。是非とも勝っていきましょう。

 報告集会終了後、関係者の間で、延期になっている「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の全面勝利をめざすつどい」の開催について話し合った。日程は、会場都合との調整もあり、8月29日(土)と決まった。詳細は追ってお知らせすることになる。



ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
 2020年 8月 29日(土) ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟の全面勝利をめざすつどい
2020年 9月 9日(水)14:30 控訴審・高裁第12民事部 74号法廷 高橋さん弁論

 弁論期日未定          控訴審・高裁第 6民事部 81号法廷 T・Iさん弁論
 弁論期日未定          控訴審・高裁第14民事部 73号法廷 Y・M、O・Hさん弁論
2020.06.13 Sat l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top