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被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(49)
大阪地裁第7民事部 2人の原告完全勝訴!
判決結果と判断基準に従って認定制度の速やかな抜本改革を求めていこう!
2016年10月30日(日)

10月27日(木)、ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟・地裁第7民事部(山田明裁判長)の2人の原告E・Kさん(84歳、男性、奈良県大和高田市、申請疾患は陳旧性心筋梗塞と腹部大動脈瘤)とU・Kさん(84歳、女性、神戸市、申請疾患は乳がん)が判決言い渡しの日を迎えた。

判決前集会_convert_20161030124503

午後0時25分、いつものように裁判所前の若松浜公園に集合。判決前集会を行ない、入廷行進をして806号法廷に向かった。澄み切ったさわやかな秋晴れ。集団訴訟の頃からいつも藤原精吾弁護団長によるお天気占いが恒例で、判決前の緊張感を和らげていたが、今回は「もはやお天気占いなどしている場合ではない」とにこやかに宣言。それだけ緊張感のある、決意のこもったあいさつが行われた。

判決前集会・横断幕_convert_20161030124536

入廷行動_convert_20161030124438

近畿訴訟は、昨年の10月29日、今年2月25日と控訴審で2回連続の逆転敗訴判決を許した。今度こそ絶対に勝たなければならないという思いを胸に、一方でそうはならなかった場合のことも頭をかすめながら傍聴席に着席、開廷を待った。
1時10分開廷。山田裁判長が毅然とした態度で、ゆっくりと落ち着いた口調で主文を読み上げていった。2人の原告の名前こそ読み上げられなかったが、ともに「厚生労働大臣による原爆症認定申請却下処分を取り消す」ときっぱりと言い渡された。やった!勝った!瞬間、ぐっとこみあげるものがあった。裁判官退廷と同時に、法廷内で誰からともなく拍手が湧き起こった。裁判所正門前では、駆け付けた小林務弁護士と愛犬クルーを伴った吉江仁子弁護士によって「全面勝訴!」、「被爆者には時間がない、早期全面解決を!」の旗出しが行われ、歓喜の輪に包まれた。報告集会のために北浜ビジネス会館に向かう支援の人々は、久々に足取りも軽く感じられ、全員の顔に安堵と喜びの笑みが溢れていた。

旗出し(西撮影)_convert_20161030125432

午後2時から勝利判決集会が行われた。最初に愛須勝也弁護団事務局長から判決の結果・要旨が次のように報告された。判決全体について、二人の申請疾患(陳旧性心筋梗塞、腹部大動脈瘤、乳がん)のすべてが原爆症と認められ、完全勝訴であった。判断基準もこれまでの原爆症認定訴訟の基準が集大成されたようにきっちりと示され、すべてが的確なものだった。その上で特に4つの重要な点が説明された。
第一は、残留放射線の影響や内部被曝の可能性が特に強調され位置づけられたこと。そして国の主張する「推定被曝放射線量」などの個別問題が否定されただけでなく、今日の判決は2013年12月に国が策定した新しい審査の方針そのものが間違っていると、立ち至って判決されたこと。
第二は、国が盛んに主張してきた他原因論について、仮に他原因があってもそのことによって放射線起因性が否定されるのではなく、むしろ放射線の影響と他原因とが重なりあって複合的に発症するとみるのが自然であり、合理的なのだと判決されたこと。
第三に、心筋梗塞におけるしきい値論も否定され、しきい値は認められないと明確にされたこと。
第四に、事実認定については原告である被爆者の供述に重きをおいて判断が下されたこと。U・Kさんの場合唯一の争点は入市日の事実認定にあった。U・Kさんは自らの体験と記憶から8月11日~12日に長崎市街を歩いて縦貫したと供述し、国は被爆者手帳の記載を根拠に入市日は8月14日だと主張した。裁判所は被爆者の体験に基づいた供述にこそ重きを置いて判断すべきとし、当時の長崎の状況なども事実関係を詳細に調べ、一つひとつ丁寧な事実認定を行なってU・Kさんの訴えを認めた。手帳申請時の記載の方が間違いであるとした。被爆後71年が経過し、被爆者の記憶の減退や証人による証明も難しくなってきている今、被爆者の供述を中心にして判断、判決していく姿勢は大きな意味を持ってくる。
今回の判決で、控訴審で2回連続して逆転敗訴してきた悪い流れはきっぱりと断ち切ることが出来た。第7民事部はこの後も5人の原告の裁判が続く。同じ裁判長の下で、同じ判断基準が示されていけば私たちは希望を持ってのぞんでいける。第7民事部だけでなく、第2民事部にも、高裁Cグループにも、そして全国の裁判にも影響を与え、力にしていくことができる。

判決報告集会1_convert_20161030124716

記者会見を終えて勝利報告集会に足を運ばれた二人の原告に支援のみなさんからお祝いの花束と万雷の拍手が贈られた。お二人からはお礼とこれからもよろしくとのあいさつが述べられた。その中でU・Kさんは昨年10月22日の本人尋問での国側代理人の反対尋問のことに触れられた。本人にとって忘れることのできない尋問だったのだと思う。あの日の尋問の様子は傍聴記№33でレポートしたが、まるで刑事事件かと思わせるような酷くて異常な尋問だった。最後は「手帳記載内容が間違っているというなら、その手帳は返納しなければならなくなるが、そのことは分っているのか」と、おどしをかけるようなことまで言われた。原告側代理人席から厳しく批判され、裁判長も注意を与えるほどの尋問だったことは忘れない。あの時の若い女性の国側代理人はあれ以来代理人席に姿を見せない。今日も出席していなかった。
昨年12月2日に行われたE・Kさんの証人尋問でも、国側反対尋問は被爆場所や昔の喫煙のこと、高血圧、糖尿病のことなど傍聴席で聞いていてもうんざりするほどのしつこく長時間に及ぶものだった。二人ともよくあの尋問に耐え、乗り越えてこられたと思う。
二人の提訴は同じ2013年で3年前だが、認定申請からとなると更に1年前の2012年まで遡ることになる。そして申請に至るまでの病気との闘いの人生は更に長くなる。E・Kさんは若い頃から体調不良に悩み続け、50代で心筋梗塞を発症。4年前には腹部大動脈瘤も発症した。U・Kさんは18歳の頃から疲労と微熱でしばしば寝込む生活を強いられ、30代で右、4年前に左の乳がん切除手術を余儀なくされた。U・Kさん本人の意見陳述で忘れられないのは家族のことだ。原爆投下直後の長崎の街を一緒に歩いたお父さん、お母さん、お姉さんはいずれもがんで亡くなった。弟さんも心臓病で他界した。そしてお母さんの胎内で被爆した妹さんも今U・Kさんと同じ乳がんを発症して苦しんでいる。原子爆弾の惨たらしさをこれほど示す、U・Kさんの乳がんの原因をこれほど明らかにする状況証明はないのではないかと思った。
今日の判決は、お二人の長年のご苦労にやっと、少しでも報いることになったのではないか。そして、先立たれたご家族のみなさんにもご報告されることになるのだろうと思う。

この後、二人の担当弁護士をはじめ報告集会出席の弁護士からそれぞれにコメントが述べられた。E・Kさんの担当である小林務弁護士は原爆症認定の歴史に思いを馳せられた。かっては外部被爆のみが対象で爆心地からの距離だけを問題にしていた。今日の判決はあらためて誘導放射線による被爆、内部被爆なども重視しなければならないことを明らかにした。歴史は少しづつでも進歩している、私たちの闘いも進歩していることを実感する、と。小林弁護士は長崎市出身で、しかもE・Kさんとは同じ町内。小林弁護士がまだ乳呑み児だった頃顔を合わせていたはずのことが、実は今日分ったのだと、思いもかけなかったエピソードも紹介された。

控訴審Bグループで逆転敗訴となった梶川一雄さん(故人)担当の塩見卓也弁護士は、控訴審の判決文と今日の判決との関係について触れられた。控訴審での主な争点は心筋梗塞と禁煙効果との関係だった。我々は禁煙によって心筋梗塞発症の原因とはならなくなることを主張し、立証してきたが、そのことには一切触れず、全く無視して、国側証人の意見だけを採り入れた不当な判決文が書かれた。控訴審で無視された我々の主張は、今日の判決で採用され、蘇ることになった。このことは追加の意見書として上告された最高裁にも送り届けたいと思っている。

藤原精吾弁護団長からは記者会見の様子も含めて報告、コメントがされた。お二人の原告は元々の認定申請の時まで遡れば、4年もかかって今日の判決に至ることになった。本当にご苦労様と申し上げたい。今日の判決は、昨年からの控訴審2連敗の苦い経験を打ち消すほどのきっぱりとしたものだったが、2連敗をしっかりと教訓にし、弁護団全体も頑張ってきた成果だと思う。これからも闘いは続くが、決して気を許すことはできない。国は国の意向に沿った医師や学者を総動員してでもやってこようとしており、それに負けるわけにはいかない。被団協ではこれから国会議員への要請行動も予定されている。厚労大臣との定期協議も久方ぶりに開催される見通しのようだ。こうした動きを実りあるものにするためにも、裁判の勝利が推進力になっていく必要がある。当面は国に対して「控訴するな!」の運動を頑張ろう。

E・Kさんのもう一人の担当の諸富健弁護士は今回の判決が先延ばされてきた経緯をふりかえられた。二人の結審は本当は今年2月9日の予定だった。それが国による直前の意見書提出によって3ヶ月延期となった。それでも国の抵抗を一掃するような判決となったことを喜びたい。また原爆症認定訴訟で腹部大動脈瘤が認められたのは初めてのことで、そのことの意義も大きい。

判決報告集会3_convert_20161030124817

U・Kさんを担当し寄り添ってきた吉江弁護士は、昨年10月22日の酷い反対尋問によく耐えたU・Kさんの姿があったので、その思いに応えて裁判長が事実認定の判断をしたのではないかと感想を述べられた。判決を確定させるまでは頑張らなければならない。原告、弁護団、支援の人々が一丸となって引き続き頑張っていきましょうと訴えられた。

判決報告集会4_convert_20161030124841

報告集会は尾藤廣喜幹事長のまとめで締められた。自公政権によって社会保障全体が切り下げられる中に原爆症認定行政もある。そういう意味で今日の判決は厚労省にとって大きな打撃となったのではないか。今日の判決は、国の新しい審査方針そのものを批判した。また被爆者に寄り添って事実認定することも示された。すかっとした秋晴れのような判決だったと思う。これを機会にあらためて原点に立ち戻ってどのような認定制度にすべきなのかを強く求めていく必要がある。戦後70年も経って未だに被爆者が裁判で争わなければならないのは異常とも言うべき事態だ。早期に、そして根本的な解決をはかっていく上で大きな力となった判決だと思う。これからもみなさんと一緒になって頑張っていきたい。

最後に報告集会参加者全員で“団結頑張ろう”を唱和してあらためて決意を固めあった。

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尚、第7民事部の原告の一人W・Hさん(72歳、男性、京都府木津川市、申請疾患は慢性腎不全)の本人尋問が年明けの1月11日(水)、奈良地裁で行われることになった。本人の体調が厳しいため、配慮して現住所から比較的距離の近い奈良で行なわれることになったものだ。法廷は大法廷。近畿訴訟支援ネット挙げて傍聴支援に駆け付けようと呼びかけられた。

私は求めに応じて被爆者の方の原爆症認定申請のお手伝いをしている。先週もお一人71歳の男性被爆者の申請手続きを済ませた。この人の申請疾患は腹部大動脈瘤だ。もう何度も胸部大動脈瘤手術などを繰り返していて、よく今日まで、と思われるような体調で、初めて申請することになった。腹部大動脈瘤は原爆症の積極的認定疾病には含まれていない。原爆症裁判でもこれまでほとんど認定されたことのない疾病だ。「そういうことなので認定は難しいかもしれませんよ」とは話したが、本人はそのことは重々承知で、それでも申請しないではおれない強い気持ちがあって踏み切った。自分の人生を振り返ってみても、こんな体になった原因が、母子一緒に受けた原爆被爆以外には考えられない。後いつまで生きられるか分らないが、せめて原爆が原因でこうなったことだけでも認めて欲しい、という強い気持ちからだった。
そういうことがあったので、E・Kさんの申請疾患の一つである腹部大動脈瘤に対してどのような判決が下されるのか強い関心を持ってきた。E・Kさんの医師証人尋問でも、穐(あき)久(ひさ)英明医師によって放射線被曝が原因で動脈硬化となり腹部大動脈瘤を発症していくことが証言されていた。今日の判決は腹部大動脈瘤についても放射線起因性を認め、原爆症だと認定した。腹部大動脈瘤で苦しむ被爆者にも大きな勇気と励ましを与える判決だったと思う。

判決の翌日(10月28日)、国連総会第一委員会で、核兵器禁止条約交渉の会議を来年招集する決議案が圧倒的多数の賛成で採択されたと、ビッグニュースがもたらされた。被爆者が“自らを救うとともに、自らの体験を通して人類の危機を救おう”と訴えてきた核兵器廃絶への扉に現実的に近づく大きな一歩、歴史的な成果だ。しかし、世界で唯一の被爆国だと標榜してきた日本政府はこともあろうにこの決議案に反対し、国の内外から厳しい批判を浴びている。被爆者の訴えに応えるのではなく、同盟国の要請に応えてそれに従うことを基軸におく今の日本政府の本性、卑屈さがこれ以上なく明らかになった事態だ。被爆者の願いに背いて、被爆の実態とかい離した原爆症認定に固執する行政と共通する姿ではないか。
被爆の実相を徹底して明らかにし、実態に基づいて被爆者の全面救済をはかり、そのための原爆症認定制度抜本改革を実現し、核兵器の非人間性を訴えて、一日も早く禁止条約の締結、核兵器の廃絶がなることをめざしていこう。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月16日(金) 14:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 1月11日(水) 13:00 地裁 第7民事部 奈良地裁大法廷 本人尋問(原告1人)
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年3月7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)


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被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(48)
放射線被曝影響を隠し他原因のみ取り上げる国側意見書を徹底批判!
放射線被曝との関係を語ることのない証人申請に断固反対!

2016年10月23日(日)

 10月20日(木)、7月22日以来となるノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟控訴審・大阪高裁Cグループ(一審原告6人、高橋譲裁判長)の口頭弁論が行われた。前回法廷において、一審原告・被告双方ともに心筋梗塞や甲状腺機能低下症など個別疾患についての意見書を提出すると表明しており、国側は、これまでの判決が「心筋梗塞と放射線被曝との関連性について一般的に肯定できる」や、「心筋梗塞と放射線被曝との間には低線量域も含めて関連性が認められる」としてきたのは科学的に間違いだとする意見書(「赤星意見書」と言われている)を提出していた。

 一審原告の被爆者側は、国のこの赤星意見書こそ科学的に誤りだとする反論の意見書を提出し、この日の法廷で和田信也弁護士がその内容を説明する陳述を行なった。被爆者側の意見書は数多くの被爆者の実際の診療や健康診断にあたってきた医師団によって作成されたもので、法廷では「真鍋意見書」と称された。
 和田弁護士は陳述において、放射線に被曝すると心筋梗塞の発症リスクが高まることがこれまでの数々の研究で裏付けられ、一般的に認められていることを証明していった。まず、放射線影響研究所の多数の被爆者を対象とした調査であるLSS報告(寿命調査報告)やAHS報告(健康調査)において心筋梗塞と原爆放射線との有意な線量反応関係は既に報告され指摘されている。そのことは国連科学委員会(UNSCEAR)2006年度報告文書でも紹介されている。UNSCEARは他の危険因子の影響に関わりなく放射線被曝によって心筋梗塞の発症リスクが高まることまでを強調している。そして他ならぬ国側の意見書の幹をなす赤星氏自身がこれまでの論文で放射線被曝と心筋梗塞発症リスクの有意な関係を報告している。さらに、清水論文によって、心臓血管疾患と放射線との間には低線量域でも関連性のあることが明らかにされ、その論文は国際放射線防護委員会(ICRP)2012年報告において、しきい値ゼロと算定されたことが紹介されている。
 放射線と心筋梗塞発症の関係がこれだけ明らかにされていて、そしてそのことを十分に承知していながら、放射線と心筋梗塞との関係は未だ不明であるかのような意見書を作成するのは、科学者の意見書として不誠実極まりないものだと、和田弁護士は厳しく批判した。
 和田弁護士の意見陳述はさらに放射線被曝による心筋梗塞発症のメカニズムにも及んだ。マウスによる実験で、放射線被曝によってアテローム(血管の内側にたまるコレステロール等)生成が促進され、そのために動脈硬化が進展することが明らかにされている。アテロームの発生には血管内皮の慢性皮膚炎が不可欠の要因としてあり、放射線障害によってその炎症が発生する。最近の他の動物実験論文でも低線量被曝による累積放射線量の増加とともにアテロームが生成促進されることが発表されており、これらの研究結果を受けて、国際放射線防護委員会(ICRP)も「線量効果関係と(血管)障害のメカニズムが明らかになってきた」と報告している。
 被爆者を対象とした最近の報告でも、放射線被曝による影響は心臓血管疾患のリスクだけでなく、高血圧や慢性腎臓病との関係も示されている。国連科学委員会(UNSCEAR)の2006年度以降の報告でも、交絡因子(喫煙、飲酒、糖尿病、肥満、教育程度、職業)はLSS(被爆者の寿命調査)にはほとんど影響を与えておらず、放射線の心疾患への影響は、放射線による血圧の変化、炎症反応、脂質代謝などが影響している、とまとめられている。したがって、心筋梗塞の原因とされる因子の高血圧、糖尿病、脂質異常、アテローム性動脈硬化、慢性腎臓病などは、すべて放射線被曝によって引き起こされており、こうした危険因子の存在は、原爆放射線被曝の影響を否定するものではなく、むしろ肯定する根拠となるものだ。
 和田弁護士は結論として、赤星意見書は、被爆者の放射線被曝の影響を考慮することなく、他原因だけをことさらに取り上げ、一般的な心筋梗塞発症の総論を述べたものに過ぎない、とその誤りを指摘した。今日、放射線被曝によって高血圧、慢性腎臓病、脂質異常症等が引き起こされることは明らかになっていて、にも関わらずそうした研究成果に触れることなく、被爆者の心筋梗塞の発症と放射線被曝との関係を否定することは、国際的な科学的知見に反する非科学的なものだと断じてまとめられた。

 和田弁護士の意見陳述が終わった後、裁判長から今後の裁判進行について双方の予定、意見が尋ねられた。原告側からは今回の心筋梗塞に続いて、甲状腺機能低下症についての国の意見書に対する反論の意見書も用意していることなどが示された。国側からは甲状腺疾患の証人として紫芝(ししば)医師の証人尋問の申請をしたいとの意向が示された。いつもは双方が言いたいことを言い、それぞれが聞き置くだけで終わってしまう法廷だが、この日は国側の医師証人の意向が示された瞬間から様相が変わった。一審原告代理人席から藤原精吾弁護団長、尾藤喜廣弁護団幹事長が次々と立って、国側承認申請の問題について批判し、問い詰めることになった。
 国側は甲状腺機能低下症についても意見書を提出しているが、その内容は、放射線被曝との関係には一言も触れない、放射線以外の他原因で甲状腺機能低下症が発症する一般論を縷々述べたものに過ぎない。裁判の争点は放射線の影響にこそあるのだが、そのことには触れず、「他原因がこれだけある」ことを強調して、強く印象づけることを目的にした意見書だ。証人申請の狙いも同じところにある。藤原、尾藤両弁護士は、放射線被曝とは関係ない内容の国側意見書の根本問題について厳しく批判しつつ、甲状腺機能低下症一般論しか語らない証人尋問には何ら意味の無いこと、争点とは関係の無い証人申請には同意できないことを強く主張した。
 国側の今の基本戦略は徹底した他原因論を展開して、司法判断を他原因重視に向かわせようとするところにある。そうはさせず、本来の争点である放射線被曝の影響問題こそ中心としていくために、短い時間ではあったが、極めて重要な局面、主張であったのではないか。後の報告集会でのコメントだった。
 国側代理人は批判にはまともに応えず、私たちからすると意味不明の説明に終始していたが、最後は裁判長が証人の採否は正式に申請が出てから判断するとして、この場はひとまず納められた。国側は次々回の期日を証人尋問の日とする目論見があったかもしれないが、次々回期日の3月7日(火)はあくまでも弁論期日としての日程確認に止まった。

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 閉廷後の報告集会で藤原弁護団長から述べられたことだが、昨年の10月、高裁Bグループ、故梶川一雄さんの控訴審で山科章という国側証人の尋問が、十分な検討もされずに日程設定されて行なわれた。心筋梗塞の一般論を述べるだけで放射線被曝との関係は何ら見識のない証人だった。しかしこの証人尋問が効果をもたらしたのか、今年2月の判決では梶川さんの心筋梗塞は放射線起因性が否定され逆転敗訴となった。今回の紫芝(ししば)医師の証人申請もよく似た同じようなパターンだ。同じ轍を踏むわけにはいかない。だから今日の法廷では国側から証人申請の話が出るとその場で直ちに反論し、その不当性、欺瞞性を訴えたのだ、ということだった。

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 この日の国側代理人は14人が席を占めた。和田弁護士が意見陳述を始める前、国側代理人は陳述書の事前提出を求めたり、陳述内容の範囲について確認したりと、いつもにはない注文をつけてきた。証人申請の件についても執拗に食い下がった。これまでになく神経質な対応で、いつもとは違う力の入れようを感じさせるものだった。国もそれだけ追い詰められていることの証であり、また、なお一層被爆者に立ち向かおうとしていることの表れでもある、との報告集会での感想だった。

 来週10月27日(木)はいよいよ地裁第7民事部の2人の原告に対する判決言い渡しの日だ。絶対に完全勝訴を勝ち取り、近畿訴訟の巻き返しをはかっていくスタートにしていこう。当日の判決前集会から始まる一日の行動計画などを確認して、この日の短時間の報告集会を終え、散会した。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月16日(金) 14:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2017年3月7日(火) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)



2016.10.25 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(47)

最高裁でのより前進した判決を求めて、「松谷訴訟最高裁判決にもとづく、
公正な判断を要請する」署名運動を積極的にとりくみまましょう!
2016年10月3日(月)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の大阪地裁第7民事部(山田明裁判長)の弁論が9月30日(金)行なわれた。これまでのノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟では例のない午後4時という遅い時間からの開廷だ。できるだけ速やかに訴訟進行させたい原告側と裁判所の意向に対して、いたずらに時間をかけようとする被告国側の態度。その結果がこういう期日設定になったように思う。
 第7民事部の原告は7人。その内2人はすでに結審済みで10月27日(木)判決言い渡し日を迎える。後5人の内、この日3人についての書証確認がそれぞれ行なわれた。が、傍聴席からはよく分らない。それに続いて原告代理人の豊島達哉弁護士による意見陳述が行われた。内容は、先日9月16日の第2民事部での陳述と同様で、9月14日の名古屋地裁判決に基づいたものだ。原告全員の放射線起因性を認めた名古屋地裁判決を十分参考するようにと訴えられた。

 第7民事部の進行状況は閉廷後の報告集会で愛須勝也弁護団事務局長から簡潔に報告された。原告の内2013年提訴のT・Iさん(申請疾患は慢性肝炎、糖尿病)、W・Hさん(慢性腎不全)についてはすでに主張と立証が尽くされている。2014年提訴の宮本義光さん(労作性狭心症)の主張、立証も追いついてきている。これから本人尋問、医師尋問に入っていこうとした矢先に、国側からT・Iさんについては個別の医師証人申請をしたいとの申し出があり、その上で以降の対応を決めていきたいとの主張になった。
今、全国的な傾向として、国は原告一人ひとりについて個別の医師意見書と証人尋問をどんどん申請しようとしてきている。それも放射線被ばくと当該疾病との関係を証明しようとするものではなく、放射線については何の見識もない人物に疾病の一般論について語らせようとするものだ。昨年10月の大阪高裁控訴審において、放射線については何も語ることのできない山科章という医師を心筋梗塞の「専門家」証人として登場させたのと同じやり方だ。このようなやり方についても対策を考えていくことが必要となっている。
 こうしたことから、第7民事部の次回以降の期日も12月16日(金)、来年の2月28日(火)と決められたが、今のところいずれも弁論の継続ということになっている。

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 報告集会では二つの具体的な行動が提起された。一つは10月27日(木)地裁第7民事部の2人の原告の判決日支援行動。当日は12時25分裁判所前の若松浜公園に集合して判決前集会、入廷行進、傍聴、旗出し、判決報告集会を行なっていく。近畿エリアから最大限の参加で支援をしていきたい。
 もう一つは、最高裁に上告した2人の原告の勝利のための「松谷訴訟最高裁判決にもとづく、公正な判断を願う」要請署名のとりくみ。できるだけ早期に開始し、近畿から要請団を編成して最高裁への要請行動を行なう計画だ。署名の要請項目は次の3点となっている。①本件訴訟の重大性に鑑み大法廷で審理・判決して下さい。②本件訴訟につき口頭弁論を開いて下さい。③上告(申立)人を原爆症と認定して下さい。
 
 最高裁への署名活動については、報告集会において藤原精吾弁護団長からその重要な意味が分りやすく説明された。
2000年、最高裁は松谷訴訟において、放射線起因性の判断は被爆者の状況を総合的に判断しなければならないとして被爆者の立証責任を実質的に軽減する勝訴判決を確定させた。その後の原爆症認定集団訴訟、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟において被爆の実態に基づいてこそ原爆症認定は判断されなければならないとする判決が積み重ねられてきた。
しかし最高裁松谷訴訟の判決文はまだ不十分で、分りにくいものだ。集団訴訟以来の判決に基づいてきちんとした判断を最高裁に示してもらいたい。そうしないと大阪の控訴審で続いたように間違った判決が出てしまうことがある。“松谷訴訟判決の精神はこうだ”ということを最高裁判所として示していただきたい。そのことが、世界で唯一の被爆国である日本の裁判所は、原爆、被爆者、核兵器についてこういう立場をとっているのだ、ということを社会と世界に示していくことになる。だから、小法廷ではなく大法廷での審理・判決を求め、口頭弁論を開くことを求めていく。
 最高裁で松谷訴訟をさらに前進させる判決が出るなら、今も続いている全国のノ―モア・ヒバクシャ訴訟に大きな影響を与えることになる。

 藤原団長はもう一つ、これからの政治に向けた働きかけについても報告された。これだけ司法判断が積み重ねられてきても、裁判と行政は別だとして厚生労働省は認定行政を改めようとはしない。この事態を変えていくためには政治への訴えも重要な段階に来ている。先日の9月13日、全国弁護団はあらためて日本被団協との話し合いをもった。日本被団協のめざす現行被爆者援護法改正のためにも、8・6合意の当事者として合意を反故にしている政府を正していくためにも、今こそ日本被団協が中心になって原爆症認定制度の抜本改革をめざしていかなければならない、そのことが確認された。
 10月14日(金)、日本被団協の中央行動が予定されている。日本被団協に、弁護団も原告団も一緒になって各政党議員団への要請行動を行なう。自民党の原子爆弾被害者救済をすすめる議員連盟をはじめに、民進党被爆者問題議員懇談会、公明党被爆者問題対策委員会、日本共産党被爆者問題委員会、そして社民党、日本維新の会にも働きかけをする。要請の内容は、原爆症認定訴訟の全面解決と法改正を伴った認定制度の抜本的改正のために、早期に超党派の議員連盟を結成していただきたい。そして早期の国会上程をめざして日本被団協の提言に沿った援護法の改正要項を作成し、日本被団協との協議に入っていただきたい、である。

 ノ―モア・ヒバクシャ訴訟の勝利をめざす院内集会はこれまで幾度となく開催されてきた。そして自民党以下主要政党のすべてが集会では激励と前向きな内容の挨拶をしてきた。そのことを思うと今日まで超党派の議員連盟が結成されてこなかったことが不思議なくらいだ。もちろん議員連盟結成がまだ約束されているわけではなく予断は許さない。決して容易な話でもないのだと思う。しかし、政権与党の中にも被爆者の訴えに真摯に向き合い、志を同じくしていける議員は必ずいるはずだ。そうした人たちと力を合わせて運動を作り出し、一歩を踏み出して行く努力が今求められているのだと思う。
 戦争被害や公害被害などについて様々な救済や補償を求める運動がとりくまれてきた歴史がある。その時、超党派の国会議員連盟が結成され、有力な力となっていった例は少なくないはずだ。その例にならってこれからの政治への働きかけは大いに期待したいと思う。政治の力とも一体となって、それを支えていくためにも、私たちはノ―モア・ヒバクシャ訴訟の現場から一層力強い運動をすすめていきたい。

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 この日の法廷にはT・Iさん、S・Sさん、宮本義光さんの3人の原告が出席され、報告集会でもそれぞれから挨拶が行われた。ご夫婦で出席された宮本さんは挨拶の中で、今年の夏、故郷の長崎にいる妹さんから送られてきた写真のことを紹介された。それは7歳だった宮本さんが被爆の翌日から10日間ほど家族と共に避難生活をした長崎市本原町にある防空壕跡の写真だった。周囲の状況はすっかり変わってしまっているのに、この防空壕跡だけはなぜか当時の様子をそのまま止めているかのようだ。宮本さんは防空壕跡の写真を目にして、あまりにも凄惨で過酷だった71年前の日々を思い出し、今年は辛い夏になったようだ。
 報告集会でたまたま隣席となった宮本さん担当の小瀧弁護士から宮本さんの写真を見せてもらうことができた。文中に掲載して紹介する。
(写真省略)
 9月13日付で準備されていた宮本さんの陳述書も読ませてもらった。8月10日、稲佐町から長崎の市街を貫けて本原町まで歩いた地獄の道程、死体で埋め尽くされた浦上天主堂の周りの惨状、避難した防空壕の中で凄惨な姿の人々と昼夜を共にした毎日等々、悲惨な体験は7歳の少年の脳裏に深く刻み込まれたのだと思う。
 宮本さんは祖母、兄、いとこたちを原爆によって奪われた。宮本さん自身も病弱な体になってしまい、健康を損ない、闘病を余儀なくされて生きてきた。それなのに「お前の病気は原爆などとは関係ない」と言われて原爆症認定申請は拒否されてきた。決して忘れることはない地獄の体験、家族のいのちと自身の健康を奪ったものへの許すことのできない思い。防空壕跡の写真はそのことをあらためて訴えているようだ。

アジア太平洋戦争は国家の意志によって引き起こされ遂行された。その犠牲者、被害者に対しては、国によって謝罪され、適正に補償されなければならないはずだ。しかし犠牲者、被害者への国からの謝罪の意志は今もって示されず、補償も軍人・軍属だけに限定され、圧倒的多数の一般国民は切り捨てられてきた。現行被爆者援護法による給付も限定されたものであり、原爆被害者に対する国家補償ではない。
謝罪をしないことは過ちを認めないことであり、それは再び同じ過ちを犯すことに通じる。安保関連法の強行成立によって自衛隊が海外で戦争できる道が作られた。国会で始まろうとしている改憲論議の本丸が第9条の改定であることは明らかだ。憲法前文において「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」したが、その決意は自民党の改憲案においてそっくり葬り去られようとしている。
戦争の犠牲と被害を、その実態に応じて国の責任で補償させていく。それは傷ついた被爆者の救済をはかることのみならず、国が再び同じ過ちを繰り返さないための、私たちの国をも救っていくことにつながる道だ。再び同じ過ちを繰り返しかねない今日の政治状況の下で、原爆症認定制度の抜本改革の持つ意味、そのためのノ―モア・ヒバクシャ訴訟勝利であることをあらためて確認しながら、とりくみを強めていきたい。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 9月30日(金) 16:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月16日(金) 14:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)
2017年 2月28日(火) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)

2016.10.07 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(46)
9月14日名古屋地裁判決でも全原告の放射線起因性を認定!
近畿でも地裁、高裁、最高裁の勝利めざして今秋からの運動強化を!
2016年9月18日(日)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟は7月21日(木)の地裁第7民事部、22日(金)の高裁Cグループと法廷が続いた後、猛暑の8月を挟んで1ヶ月以上お休みとなり、9月16日(金)、地裁第2民事部(西田隆裕裁判長)の弁論から再開となった。この間第2民事部では9月9日に新しい提訴者があり原告は合計7人となっている。前回期日の6月15日以降、6月29日の原告全員勝訴を勝ち取った東京地裁第2陣の判決、つい先日9月14日の名古屋地裁判決があった。

 9月16日の第2民事部は午前11時開廷。この日は豊島達哉弁護士によって名古屋地裁判決の要旨が説明され、裁判所はこの内容を十分に参考にしていくように、と求める意見陳述が行われた。
 名古屋地裁判決は、4人の原告の申請疾病についていずれも放射線起因性を認めたことに最大の特徴がある。原爆症認定訴訟の歴史で積み重ねられてきた司法判断が今回もはっきりと示された。すなわち、国の言うDS02等により算定される被曝線量はあくまでも一応の目安に止めるのが相当であって、個々の被爆者の被爆状況、行動、症状等に照らし、様々な形態での外部被曝・内部被曝の可能性を検討し、健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたかどうか判断していく必要がある、とするものだ。国の定める放射線起因性判断基準は今回も明確に退けられた。
 判決は、被爆を検討するに当たっては、初期放射線に加えて残留放射線の影響も十分考慮する必要があり、また若年被爆者にみられるように放射線に対する感受性には個人差もあるので、被曝の影響は爆心地からの同心円距離などで単純に測れるものではない、とまで丁寧に指摘されている。
 前もって届けられていた判決要旨を読むと、原告4人の被爆状況と申請疾病が示されていた。原告の一人Mさんは20歳の時に被爆、被爆状況は不明だが申請疾病は右目白内障。Yさんは12歳の時に5.4㌔で被爆し、原爆投下当日1.5㌔まで入市、申請疾病は右上葉肺がんと左乳がん。Tさんは9歳の時に5.4㌔で被爆し、原爆投下当日1.5㌔まで入市、申請疾病は慢性甲状腺炎。Kさんは2.6㌔で被爆し申請疾病は心筋梗塞と狭心症。Mさんの白内障、Yさんのがんは言うまでもなく国の定める積極的認定疾病の対象であり、被爆距離の条件などから国は却下処分したものと思われるが判決はそれを誤りと断定した。Tさんの慢性甲状腺炎は、積極的認定疾病の一つである甲状腺機能低下症の原因となるもので、低線量域においても放射線被曝との関連性は否定できないとして起因性が認められた。Kさんの心筋梗塞は積極的認定疾病ではあるが国は被爆距離を2.0㌔以内などと条件付けており、わずか600㍍の差を理由に却下処分していたのかもしれない。判決は心筋梗塞についても「低線量域においても放射線被曝との関連性は否定できない」としてしきい値論を否定している。
 ただ今回の名古屋地裁判決は原告4人の内2人については要医療性がないとして棄却した。放射線の起因性は認めながら、要医療性の否定を理由に2人が敗訴となった。判決は、被爆者が積極的な治療行為を伴わない経過観察が必要な状態にある場合は、被爆者援護法上は健康管理の検査等で対応すべきで、法の言う医療にはあたらない、と極めて制限的な解釈を示した。
 これに対し豊島弁護士は、外形的には同じように見える「診察」であっても、疾病の再発や悪化の状況有無を判断する「診察」と一般的健康診断とは明確に区別され、当該疾病の場合は医学的処置と判断されなければならないものだと主張し、名古屋地裁判決の不十分さを厳しく指摘した。
 判決要旨を読んで疑問に思ったのは、要医療性の判断についてことさらに被爆者援護法の第3章第2節「健康管理」が持ち出されていることだ。被爆者には健康管理に係る援護として健康診断が行われているのだから、積極的な治療行為を伴わない検査等の経過観察などは「医療」の援護ではなく「健康管理」の援護でカバーすればいいではないか、したがってその場合には原爆症認定における要医療性にも適合しないことになるのだ、と。国がそんなことを主張するのならまだしも、裁判所がそのような理屈を述べることに強い違和感を覚えた。被爆者援護法の趣旨にもとる、物事をまったく履き違えたこんな理屈が通用するのだろうか。国の言う理屈がそのままとりこまれてしまったのではないかと危惧されるような判決だ。
 豊島弁護士の意見陳述は最後にもう一度、名古屋地裁の特に放射線起因性についての判断を尊重し、参考とするように訴えて終えられた。



 いつものように大阪弁護士会館に会場を移して短時間の報告集会が行われた。豊島弁護士からあらためて今日の意見陳述の要旨が説明された。国は放射線起因性で争っていたのではもはや国の主張に沿った判決を得ることができなくなっているので、それに代わる意見をなりふり構わぬ形で強めており、そのターゲットが要医療性の否定であり、もう一つが徹底した他原因の主張だ。今回の名古屋地裁だけでなく、近畿も含めた全国的な状況となっていて、それは国側が追い詰められていることの証でもある、との説明だった。
 愛知県の被爆者支援ネットワークからは、名古屋地裁判決での勝訴原告に対して国は控訴しないよう求める要請運動を、全国から強めて欲しいとする訴えが呼びかけられている。控訴期限は9月28日(水)。近畿からも厚生労働大臣に対する要請を積極的に集中していきたい。

 報告集会のまとめの中で尾藤廣喜弁護団幹事長から全国の状況、全国弁護団会議のことなども簡潔に紹介された。裁判に勝たなければ原爆症認定を得ることができないこの異常な状態を一日も早く解決し、司法判断の到達点に従った認定制度の抜本的改革をはかるために、今一番重要になっているのは圧倒的な国民世論の形成だ。そして与野党含めて国会議員への働きかけも強めていく必要がある。そうした状況の中で、近畿から上告されている2人の原告の最高裁での動向が決定的に重要な意味を持ってくる。最高裁の場合は国民の声が届かないまま判断されていく可能性もあり、そうはさせてはならない。そうはならないよう私たちの声をしっかりと届けていくとりくみがとても重要になっている。先日の全国弁護団会議でもこの最高裁に対して全国的な支援を行なっていくこと、そして全国の弁護団として最高裁への要請活動を強化していくことも確認された。最高裁の動向と、各地のノ―モア・ヒバクシャ訴訟の地裁・高裁の状況とがお互いに響きあって、相乗効果をもたらしながら大きな運動にしていく必要がある。この秋、運動を一層強めていこうと訴えられて報告集会は締められた。
 尚、大阪地裁第2民事部の次回期日は12月21日(水)15:00となったことが報告された。
 近畿訴訟は、地裁、高裁あわせて3つの法廷が同時進行しており傍聴参加も結構大変だ。閉廷後の報告集会を毎回々々時間をかけて丁寧に行なう必要もないとは思うが、オール近畿の支援者が一堂に会するこの貴重な機会を生かして、時にはしっかりとした状況報告、意見交換、とりくみ方針の確認などが行なわれるようにしていくことを望みたい。
 7月末には弁護団、医師団合同の会議が行われ、個別疾病についての意見書作成がなされると前回期日後の報告集会で説明されていた。8月5日・6日には全国の弁護団合宿も行なわれている。こうした夏の期間の弁護団、医師団の大奮闘と成果が、私たち支援者にも分りやすい内容で伝えられ、共有化され、力になるようにしていきたい。9月3日にはノーモア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団支援団体合同会議も行なわれている。その内容が近畿のみなさんにも報告されて、近畿の実態に即したとりくみが検討がされていく必要があると思う。最高裁に上告された二人の原告の闘いは全国的な支援でとりくまれるとの報告だったが、私たち近畿こそその先頭に立たなければならず、そのための具体化も急がれる。近畿の次の判決、10月27日の地裁第7民事部の2人の原告の判決も目前に迫っている。
残暑は厳しくても、夏の間に培ったエネルギーと成果を今こそ発揮して、これまで以上に力強い運動を進めていきたい。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 9月30日(金) 16:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年12月21日(水) 15:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告7人)


2016.09.19 Mon l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世のノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(45)
東京地裁第二次判決全員勝訴に引き続いて、近畿での巻き返しを!
7月21日、22日二日連続の法廷で奮闘!

2016年7月26日(火)

 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟は7月21日(木)と22日(金)2日連続の法廷となり、近畿の原告、弁護団、支援の人々は梅雨明けの猛暑の中連日大阪裁判所へ集結することになった。
 21日(木)は午前11時から地裁第7民事部(山田明裁判長)の弁論期日。第7民支部の係争原告は7人。この内E・KさんとU・Kさんの二人は既に結審済みで10月27日(木)が判決言い渡し日と決まっている。後の5人の内、最も新しい提訴となった原告、苑田朔爾さん(神戸市在住)本人による意見陳述がこの日行なわれた。

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 苑田さんはあらかじめ用意された意見書をはっきりとした口調で読み上げて陳述していった。苑田さんは1941年(昭和16年)9月生まれで74歳。3歳と11ヶ月の時、長崎市東小島町の自宅で被爆した。両親と本人と妹さんの4人家族だったが、父親は昭和18年にビルマへ出征し、昭和20年1月中国で戦死している。苑田さんの生い立ちの中で触れられた父親についての簡潔な一節だったが、そこには聞き流すことのできない重いものを感じてしまう。苑田さんの父親は何のためにビルマへ出征したのか。アジアの国々への侵略のために駆り出されたのではないか。そして家族のもとに帰れないまま異郷の地で果てることになったその無念さはどれほどだったか。白い布に包まれた遺骨を迎えた親子3人の悲しみはどれほど深かったか。苑田さんの父親についての陳述は、今、日本の自衛隊の海外派兵計画が現実の可能性をもって浮上しつつあることと重なりあっていく。何のために、何を目的に、日本の軍隊が外国に出ていかなければならないのか。一切の誤魔化しを許さず、真実を見抜き、自衛隊員を戦争の犠牲になど絶対にさせてはならない。

 苑田さんの住んでいた自宅は爆心地から4㌔ほどの距離ではあったが、高台にあって爆心地方向がよく見える、向き合うような位置関係にあった。このため爆風をまともに受け、その時の凄まじい様子と体験は母親からよく聞かされてきた。原爆投下の8日後、8月15日に母方の祖父の家を頼って一家揃って疎開することになり、爆心地付近の真っ只中を、長崎の街中を歩いて縦断していった。

 苑田さんはその後、母親の手一つで育てられ、小学校、中学、高校時代を過ごし、成長していく。被爆者であることによるいじめは随分ひどく辛いものだった。また、自分はいつか原爆症で死ぬのではないかとの恐怖にも襲われてきた。そのため原爆のことからは逃げ回るようにして生きてきた苦悩の人生だった。しかしベトナム戦争の残忍な実態を知ることが契機となって、核兵器の非人道性も追及するようになり、自身の被爆のことにも向き合うようになっていった。
被爆する前は手に負えないほどの腕白坊主だった苑田さんだが、被爆後は全身倦怠感、気管支疾患等に悩まされ、終生虚弱な体質となってしまった。いろんな病気に見舞われた後、2012年に前立腺ガンが見つかり全摘手術を受けた。被爆が原因で前立腺ガンになってしまったことをはっきりさせたいとと思い原爆症認定申請をするに至った。しかし、申請は却下。爆心地からの距離が500㍍ほど遠いからとか、爆心地への入市日が4日ばかり遅いからとか、たったそれだけの理由で、機械的に判断された結果だと思われる。
 苑田さんは陳述の最後に、「出来ることなら生まれ変わって3歳11カ月からもう一度生きなおしてみたいです」と締めくくって裁判長に訴えた。

 裁判終了後は短時間報告集会がもたれた。意見陳述された苑田さんから、被爆の悲惨さ、むごさ、辛さは、思いはあってもなかなかその通りには文章にできなかったと率直な感想が披露され、みなさんへの感謝の挨拶が述べられた。

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 愛須勝也弁護団事務局長から6月29日東京地裁第二次判決のその後の状況について報告が行われた。全国から寄せられた「国は控訴するな」の声にも関わらず、山本英典原告団長一人が控訴された。山本団長が立派なのは「他の原告は判決確定し、控訴されたのが自分一人で良かった」と思いを述べられていることだ。その思いを支え応えるためにも早期の解決をめざして全国的な支援を強めていく必要がある、との報告だった。藤原精吾弁護団長もまとめのあいさつで山本団長の控訴を厳しく批判しつつ、一審で全員勝訴を勝ち取ったことは近畿訴訟をもう一度押し戻していく大きな力になると訴えられた。

 藤原団長の以下のような最後のあいさつでこの日の報告集会は終了した。今世界ではバングラデシュやフランスなどでテロが相次ぎ大きな問題となっている。しかし、普通の暮らしをしている無防備の市民を何のためらいもなく無差別に大量虐殺したのが原爆、核兵器であり、これ以上のテロはない。そのことを改めようとしないこと自体に大きな間違いがあり、私たちは声をあげ続け、政府を変えていかなければならない。7月末には医師団と弁護団の合同会議を、8月5・6日には全国の弁護団合宿も予定している。みなさんと一緒に完全勝利をめざしていきたい。
尚、最高裁に上告されていた故梶川一雄さんの裁判が最高裁第一小法廷に係属となったこともこの日の報告集会で紹介された。

 翌日の22日(金)は午後2時から今度は大阪高裁Cグループ(一審原告6人)の控訴審口頭弁論が行われた。高裁Cグループは今回から裁判所の構成が変わり、新しく高橋譲裁判長となっていた。裁判の更新が確認された後、この日は豊島達哉弁護士による意見陳述が行われた。

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 豊島弁護士の陳述は6月29日の東京地裁第二次(原告全員勝訴)判決の内容を用いたもので、高裁Cグループでも大いに参考にすべきであると訴えた。東京地裁判決は従来から積み重ねられてきた司法判断をより明瞭に示すものだったが、中でも「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(通称:原発事故子ども・被災者支援法)」第1条を引用しての判決は特筆ものだった。第1条はその文中において、「現時点において放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険については科学的に十分解明されていない」ことを明らかにしている。この指摘は、国の主張する「科学的知見」なるものの信頼性を根本から突き崩す判決ではないか、ということだ。しかもこれは原告側からの主張で示されたものではなく、裁判所自身の判断で採用明示された判決文ということでも重要な意味を持つ。

 また、大阪控訴審において国は依然としてDS02、DS86による推計被曝線量の「定量的評価」が不可欠だなどと主張しているが、それは過小評価になると東京地裁判決は断じていること、他原因によって疾病の発症が説明できれば放射線起因性を否定できるかのようにいう国の主張もその誤りがはっきり指摘されたことなど、ことごとく国の主張は排斥されている。そうしたことを徹底して明らかにする意見陳述だった。

 陳述後、今後の訴訟進行についての主張が行われた。一審原告側は甲状腺機能低下症及び心筋梗塞についての詳細な意見書を検討、作成中で、8月中には提出の見通しであることを明らかにした。一審被告の国側も甲状腺機能低下症一般論について意見書を準備中で、原告側の意見書を見た上で意見書を出したいとした。しかし一般論であるなら、過去の例を見ても放射線被曝との関係は何ら明らかにされるものではない。そうであるなら、原告側の意見書とは関係なくさっさと提出すべきではないかとの主張に、裁判所も同意し、国側の速やかな意見書提出が確認される一幕があった。

 この日も昨日に続いた報告集会が短時間もたれ、まず愛須弁護団事務局長から控訴審の状況について説明がなされた。近畿訴訟は高裁での逆転敗訴が2件続いており、その経験からしっかりとした意見書を作成してのぞむべく準備が進められている。そのための7月末弁護団、医師団合同の会議であり、個別疾患についての意見書作成だ。場合によっては証人尋問も予定していくとのことだった。豊島弁護士による今日の意見陳述についての説明の後、最後に尾藤廣喜弁護団幹事長からまとめが行われて報告集会を終了した。東京地裁第二次判決で一人だけ控訴されたということは、それだけ国も追い込まれているということだ。控訴して係争状態を続けていかないと現状が維持できないからだ。8月5日・6日と全国の弁護団合宿を行なうが、そこでは原爆症認定制度改定の今後の方向について運動面も含めて議論することになる。福岡、東京とすばらしい判決が続いてきた中で、いよいよ近畿の地裁、高裁判決が非常に重要な意味を持ってくる。裁判はもちろん、裁判以外の場面での運動も含めてこの夏大いに頑張っていきたい。

 尚、両日の法廷でそれぞれ今後の期日が決められた。地裁第7民事部の次回は9月30日(金)午後4時から、高裁Cグループの次々回は12月16日(金)午前11時から。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年 9月16日(金) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告6人)
2016年 9月30日(金) 16:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年 12月16日(金) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年 9月14日(水) 名古屋地裁 判決(原告4人)





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2016.07.01 Fri l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
今回は平さんの被爆二世の裁判傍聴記ではなく、ノーモア・ヒバクシャ東京第2次訴訟判決の傍聴記を、復代理人として言い渡しに立ち会った私近畿弁護団事務局長が報告します。

2016年6月29日、東京地方裁判所民事38部(谷口豊裁判長・平山馨裁判官・馬場潤裁判官)は、6名の原告全員(遺族原告1名を含む)全員について、国の却下処分を違法として、取り消す全員勝訴の画期的判決を言い渡しました。
昨年2015年10月29日の原告17人全員勝訴の判決に続き、東京訴訟の大勝利です!!

写真は、旗だしを担当した白神、萱野、武田の若手弁護士。
東京地裁の被爆の実相を明らかにする総論書面、それに基づくプレゼンは素晴らしかったという評判です(立ち会えなかったのが残念)。

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判決は東京地裁103号法廷で言い渡されましたが、法廷は東京、埼玉、千葉、神奈川等からかけつけた被爆者の皆さんでびっしり満員でした。近畿訴訟は被爆者の皆さんより支援者中心ですが、傍聴席いっぱいの被爆者の姿に圧倒されます。

原告団長の山本英典さんは、集団訴訟の原告ですが、そのときには1審敗訴、控訴後に厚労省が認定(自庁取消)されたので、初めての勝訴判決ということで、ひときわ喜びが大きい。本当に嬉しそうでした。

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判決後、衆議院第2議員会館に場所を移し、東友会の家島さんと長谷川弁護士の司会で始まった判決報告集会。
最初に、「これまでの原爆症認定裁判の結果」について、吉田弁護士が報告。
2013年12月16日、厚労省が現行審査の方針に再改定後、2015年10月29日、東京地裁で原告17人全員勝利の大勝利を収めたが、同じ日の大阪高裁では、まさかの逆転敗訴。
その後、捲土重来を期した2016年2月25日の大阪高裁で、まさかまさかの逆転敗訴で連敗(悪夢がよみがえる)。
しかし、2016年4月11日の福岡高裁では、1審熊本地裁の勝訴原告について国の控訴を棄却。
そして、今回の6人全員勝訴。素晴らしい!!

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喜びの山本英典団長。
判決の言い渡しは、「主文が別表「申請者」欄記載の者がした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請(同「疾病」欄記載の疾病に係るもの)につき、処分行政庁が同「処分日」欄記載の日付でした却下処分をいずれも取り消す。」と原告の名前を一人一人読み上げなかったので(大阪地裁では、読み上げることが多い)、聞いただけでは分からない。
ちょっと不親切かなと判決内容についても心配になりましたが、判決要旨を読むと、何と素晴らしい。

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原告水野正治さん。
広島の爆心地から2.2kmで被爆し、甲状腺機能低下症を申請疾病とする原告。

判決要旨では、「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険については科学的に十分に解明されていない」(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律1条参照)状況にあるとされている」という記載が目に付いた。いままでの判決の中にはなかった記載で、東京弁護団が新たに主張したのだと思って確認したところ、弁護団が主張したのではないということ。裁判所が、公知の事実として記載したのか。いずれにしても、素晴らしい!

5水野さん_convert_20160630165419

(挨拶の順番は前後しますが)原告の川崎武彦さん。長崎3km、2日後に西山地区に入市という甲状腺機能低下症を申請疾病とする原告。
判決は、川崎さんのような遠距離被爆者については、「放射性降下物や誘導放射化物質による放射線の被曝や内部被曝の影響については、別途の評価を経る必要があり、個々の被爆者についての原子爆弾の被爆の状況や急性症状の有無等の具体的な事実関係のいかんによっては、急性放射線症候群が発症し得る水準の放射線被曝が確信されるような場合もあり得る」と直曝線量にこだわる国の主張を否定。

6川崎さん_convert_20160630165439

原告の立野季子さん。長崎3km、心筋梗塞。判決は、立野さんのような「現行の新しい審査の方針が積極認定の対象として定める各疾病に係る被爆距離及び入市時間の範囲には多少及ばない被爆者であっても、その被爆の状況等からみて、実質的にみて放射線被曝の程度が同等であることが推認できる者であれば、現行の新しい審査の方針において放射線起因性を原則的には積極認定するとされる者と同様に取り扱うことが要請されるべき」と判示。素晴らしい!
娘さんの差別のことをお話されていましたが、集会には娘さんも一緒に参加され、お二人とも本当に嬉しそうにされていたのが印象的でした。

7立野さん_convert_20160630165139

参議院選挙で国会議員の皆さん、ほとんど国会を留守にする中、お一人駆けつけてくれた民進党の初鹿明博議員。
貴重な時間を割いてかけつけていただいたことに感謝。
民進党の皆さんも選挙で躍進していただき、政治解決に尽力していただきたいです。

8初鹿議員_convert_20160630165506

埼玉の被爆者の会の参加者としても参加された日本被団協の田中熙巳事務局長。
これだけの被爆者の皆さんが集まれば、政治を動かすこともできるという実感。
ぜひ、これからも一緒に裁判に取り組んでほしい。

9田中さん_convert_20160630165558

判決内容の報告をする中川重徳弁護団事務局長。
中川さんも本当に嬉しそうでした。おめでとうございます!!
これからも全面解決向け、一緒にがんばりましょう。

10中川さん_convert_20160630165533

東友会代表理事の大岩孝平さん。
原告とともに裁判をたたかって来られた。
高齢の原告の皆さんに、これ以上、裁判を強いるのかと国、厚労省に控訴断念することを訴えられたが、同じ思いです。

11大岩さん_convert_20160630165645

判決に対する声明を読み上げる東友会の山田玲子さん。

12さん山田_convert_20160630170631

         2016 年6月29 日

厚生労働大臣  塩崎 恭久 殿

ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国原告団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京原告団
ノーモア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団連絡会
ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京弁護団
日本原水爆被害者団体協議会
一般社団法人東友会(東京都原爆被害者団体協議会)

声 明

  ノーモア・ヒバクシャ訴訟東京地裁(2次)判決について


1 本日,東京地方裁判所民事第38部(谷口豊裁判長・平山馨裁判官・馬場潤裁判官)において,6名の原告(遺族原告1名を含む)全員について,国の却下処分を違法として取り消す全員勝訴の画期的判決が言い渡された。

2 判決は,放射線起因性の判断について,援護法の趣旨に立脚し,「現時点において確実であるとされている科学的な経験則では証明できないという理由のみによって,放射線線起因性を直ちに否定することには慎重であるべきである」と判示した。
また,積極認定の距離・時間には多少及ばない被爆者について原則的には積極認定対象者と同様に扱うことが要請されるとし,距離・時間に乖離がある被爆者についても,個別的な特殊事情の有無や当該疾病の発症機序等を踏まえ放射線起因性の有無を慎重に検討すべきであると判示した。

3 今回勝訴した原告6名のうち5名は,2013年12月16日に改定された新しい審査の方針(平成25年新方針)の積極認定に関する疾病,被爆距離ないし入市時間の基準に該当しない原告である。そして,前立腺がんの要医療性が争点となった原告についても,定期的なフォローアップも必要な医療にあたるとして国の主張を斥けた。

4 厚労省は,全国の被爆者が原爆症認定集団訴訟に立ち上がる中で,2008年「新しい審査の方針」を策定して積極認定の制度を導入し,国は2009年8月6日に日本被団協代表との間で「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」を締結した。この確認書には「訴訟の場で争う必要のないように,定期協議の場を通じて解決を図る」と明記されている。それにもかかわらず,厚労省は,みずから策定した「新しい審査の方針」の運用を狭め,原爆症認定行政を後退させたため,被爆者はノーモア・ヒバクシャ訴訟を全国の裁判所に提訴せざるを得ない状況となった。
  今回の東京地裁判決は,昨年10月29日の東京地裁民事第2部における17名全員勝訴の判決,本年4月11日の福岡高裁判決とともに,国の後退する原爆症認定行政を痛烈に批判し,かつ司法と行政の乖離がいまだ埋められていないことを明確に示す内容となっている。

5 原爆症認定集団訴訟以来の司法判断の流れに沿う今回の東京地裁判決に対して,国は控訴を断念し,重い病気で苦しんでいる原告らに対する早期救済をはかり,原爆被害に対する償いをはかるべきである。
  被爆71年に当たる今年5月,原爆投下国であるアメリカのオバマ大統領が広島を訪問し,「いつか証言する被爆者の声が聞けなくなる日が来るでしょう。しかし,1945年8月6日の朝の記憶は薄れさせてはなりません」と述べた。原爆症認定問題の最終的な解決をはかるべき時は今をおいてない。国は,これまでの認定行政を断罪した累次の司法判断を厳粛に受け止め,日本被団協の提言に沿って司法と行政の乖離を解消する,法改正による認定制度の抜本的な改善を行い,一日も早く,高齢の被爆者を裁判から解放すべきである。
  私たちは,国が,18万余の被爆者が生きているうちに,原爆被害に対する償いを果たすことこそが,核兵器をなくすという人類のとるべき道の歩みを進めることになると信ずる。                     以  上

最後は、懇親会でともに勝利を喜び合いました。
写真は、一度、掲げてみたかったという「全面勝訴」の旗(正式名称は「びろーん」あるいは判決等速報用手持幡というらしい)を掲げる東友会の村田未知子さん。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟の事務局として、訴訟を支えてくれています。
今回の全員勝訴判決は、原告と被爆者を中心とする支援の皆さん、医師団、弁護団の共同の力で実現したもの。
これからもよろしくお願いします。

13村田さん_convert_20160630165711

近畿訴訟では、集団訴訟の終結に関する「8・6合意」の趣旨に反した国の控訴により、2人の原告が高裁で逆転敗訴という悔しい思いをしました。全面解決に大きく道を開くためにも、この素晴らしい判決を確定させる必要があります。
控訴期限は、7月13日(水)。
全国から厚労省へ、「控訴するな!!!」の要請をお願いします。


2016.06.30 Thu l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(44)
“ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利をめざすつどい”に86人の参加!
文字通りの全面勝利を誓いあう!
2016年6月20日(水)

支援集会1

 “ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟全面勝利めざすつどい”が6月11日(土)、大阪グリーン会館で開催された。86人の参加だった。プログラムの最初は藤原精吾弁護団長による「ドイツからのレポート」と題した特別報告。今年3月ドイツ・フランクフルトとアルノルツハイマンで開催された“核使用に反対する世界会議-「路上で、裁判所で、核リスクに抗議する法と宗教」”に出席されての報告だ。

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この世界会議は、市民の運動と法的な闘いとを合体させて核兵器廃絶をめざしていこうとするもので、プロテスタント教会の人々の主催による。5年目を迎える福島原発事故発生の日、3月11日に焦点をあて、3月9日~11日が開催日にあてられた。広島・長崎の被爆者の今も続く苦しみ、ビキニ環礁含むマーシャル諸島における核実験被害、そして福島第一原発事故による被害の実相が報告されている。藤原弁護団長がノ―モア・ヒバクシャ訴訟の現状を報告、マーシャル諸島の核実験被害はドイツの研究者が調査報告、フクシマについてはデルテ・ジーデントップ医師(核戦争防止国際医師会議)、中島孝氏(生業を返せ!福島原発訴訟原告団長)、おしどりマコさんらによって報告された。全体の報告者は20人ほどにもなっているが、中には、自然エネルギーから起業し、再生エネルギー発電で商業ベースにまで達しているシューナウ電力会社設立の報告もあった。
世界会議では、どのようにして核廃絶への道筋をつけていくのか、様々の角度から報告、提言、意見交換が行われている。中でも特に関心を持った報告は、マーシャル諸島共和国による国際司法裁判所への提訴のことだ。小さな国マーシャル諸島共和国が核保有9ヶ国を相手に、NPT条約に従って早期に核軍備競争を停止し、誠実に核軍縮の交渉開始を行なうよう訴えている。ちょうどこの世界会議の開催時期と同じ時、3月8日~16日の日程で国際司法裁判所での口頭弁論が行われていた。意見陳述したのはオランダの弁護士とマーシャル諸島共和国の外務大臣とのこと。訴訟の道筋は容易ではないようだが、今後の動向を注視していきたいと思う。
 世界会議では、法律と宗教の力、それに市民の運動を加え、世界中の市民運動が連帯して核兵器廃絶の実現をめざしていくことが確認されている。この日、藤原団長の特別報告は15分という短い時間枠でのものだったが、もっと詳しく聞きたいと思った人は多かったのではないか。

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 次いで、福島医療生協わたり病院の斎藤紀(おさむ)先生による記念講演が行われた。当初の開催案内では「ヒロシマ・ナガサキとフクシマをつなぐもの」(仮題)と題した講演テーマだったが、講演時間との関係から「なぜ原爆訴訟を継続してきたか」に内容変更されてお話しされることになっていた。
 講演は、原爆投下から医療法、特別措置法の制定、原爆個別訴訟、集団訴訟、ノ―モア・ヒバクシャ訴訟へと続く71年の歴史を俯瞰することから始まり、被爆者と援護制度の成立、それを生みだしてきた一つひとつの裁判闘争の成果、意味が語られていった。歴史全体を振り返りつつ、その中での一つひとつの運動と事象の意味、値打ちがあらためて解説され、私たちの認識が深まっていく。ABCC(後の放射線影響研究所)の研究目的が被爆者の疫学調査へとシフトしていき、それに伴って残留放射線の人体への影響が否定されることになっていったこと、それを背景にした1968年の原爆特別措置法成立であることなど、あらためて学ぶことが多かった。原爆症認定集団訴訟は初期放射線決定論から脱却して被ばくの実相を切り拓いてきた。ノ―モア・ヒバクシャ訴訟は「他原因」自体も放射線の影響によるものだと新たな知見を示し、被爆の実相をさらに明らかにしてきている。人間に及ぼす放射線の影響、その真実を解明していく営みの中に私たち自身も参加してきたことを教えられたように思う。原爆個別訴訟以来被爆者の闘いは、法を土台にした闘いであり、同時にその法を克服の対象にした闘いでもあったという説明には、なるほどと深く同感するところがあった。講演の最後に述べられた “原爆症裁判は国民の財産である”という訴えはあらためて強く受け止めたいと思った。
 ノ―モア・ヒバクシャ訴訟に際して私たちは、広島・長崎の被爆者だけでなく福島原発事故被災者救済のことも絶えず念頭に置き、ノ―モア訴訟の結果が原発事故被災者救済にも深く関係していくのだと自覚しながら裁判を闘っている。その原点は被爆者と同様、原発事故被災者の身に起こる健康問題、今と将来の健康被害の実相だ。そういうことからも、現地福島の医療現場の第一線で活躍されている斎藤先生から、フクシマの現状についても是非お話を聞かせていただきたかった。

支援集会Kシュガー_convert_20160621132402


“つどい”はその後ケイ・シュガーさんの歌とトークを楽しみ、原告のみなさんに激励の花束が贈られ、続いて愛須勝也弁護団事務局長から「弁護団からの報告」が行われた。2013年末の「新しい審査の方針」策定以後、国は猛烈な巻き返しをはかってきており、その影響は残念ながら武田武俊さんや梶川一雄さんの控訴審逆転敗訴判決にも及んだ。しかし一方で、昨年10月29日の東京地裁第一次判決では17人の原告全員が勝利判決を勝ち取っている。また今年4月11日の熊本訴訟福岡高裁勝訴判決は、集団訴訟以降の判決水準をあらためて確認する重要な内容をもつ判決だった。
今近畿訴訟の原告は、最高裁2人、大阪高裁6人、大阪地裁の第2民事部と第7民事部合わせて13人、合計21人となる。この間の流れを食い止め、最高裁の2人も含めて近畿訴訟の全員勝利、全面勝訴をめざしていかなければならない。弁護団もあらためて体制を整え、民医連医師団との全面的な協力関係を再構築してのぞんでいる。裁判官が被爆の実相を見ずして安易な判決を下すことなどないよう、法廷でのあり方ももう一度様々に工夫していきたい。今が踏ん張りどき。法廷の内外でこれまで以上のとりくみを、一層の活動強化を、と訴えられた。

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最後に西晃弁護士から4つの行動提起が行われ、参加者全員で確認。文字通りの全面勝利を誓いあった。
① 毎回の裁判傍聴支援と10月27日の判決に向けた署名等の活動の強化
② 上告した2人の原告勝利のために最高裁への要請行動の強化
③ 全国の運動と連帯して認定制度の抜本的改革を求める
④ 核兵器廃絶と脱原発社会実現に向けて2016年夏のとりくみを積極的に。

 翌週の6月15日(水)午前11時から、ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟地裁第2民事部(西田隆裕裁判長)の口頭弁論が1007号法廷で行なわれた。この日は第2民事部の6人の原告の内の一人Y・Mさんについて、国の主張に対する反論の準備書面を説明する形での意見陳述が担当の崔信義弁護士によって行われた。Y・Mさんは7歳の時長崎の爆心地から4.0㌔で被爆。その後2度も爆心地を通過して入市による被爆もしている。申請疾患は食道がんだが、ご本人は既に他界されており、奥さんの承継によって裁判は闘われている。
 Y・Mさんに対して国は入市被爆の事実を否定し、さらには他原因を持ち出して放射線起因性をも否定している。国による入市の事実否定の理由は被爆者手帳申請書にそのことが記載されていないからという、もはや難癖としか思えないようなものだ。4㌔での直爆の事実だけで申請事由が足りれば入市のことまで書く必要のなかったことは明らかではないか、と崔弁護士は説明される。Y・Mさんの放射線起因性否定の理由は飲酒と喫煙の相乗効果論を根拠にした他原因論だ。しかしY・Mさんは食道がん手術の20年も前から禁煙を徹底していてその記録もはっきりと残されている。崔弁護士は飲酒と喫煙によるリスク増加論と禁煙によるリスク減少論の二つの角度からの論文を示して、Y・Mさんの食道がんと飲酒・喫煙との間に関連性のないことを証明していった。さらにLSS第14報に示された新しい知見に基づいて、7歳という若年時の被爆、爆心地への長時間入市という事情によってもY・Mさんの食道がんと被爆との間に強い関連性のあることを説明されていった。
閉廷後の報告集会には第2民事部の二人の原告も参加されて行なわれた。崔弁護士から今日の意見陳述の内容についてあらためて説明された後、愛須弁護団事務局長から現在の弁護団のとりくみ状況が報告された。国は近畿、東京、名古屋、広島の各地それぞれについて、個別の疾病ごとの意見書を出してきており、我々の側もそれに対応するために疾病ごとの反論意見書作成を進めている。悪性腫瘍、甲状腺機能低下症、副甲状腺機能亢進症、白内障、心筋梗塞、という具合に。そのための医師団・弁護団合同の集中した対策会議も精力的に重ねられていることが紹介された。
報告集会は最後に尾藤廣喜弁護団幹事長の次のような挨拶で閉じられた。国は一人ひとりの原告の症状や被爆の状況について詳しく立ち入り、言わばケチをつけるようなやり方で原告の訴えに対応しようとしている。そのことによって裁判を引き延ばし、負ければ控訴し、最終的に負けとなればその人だけを認める。遠からず被爆者のなくなるのを待つ姿勢だ。原告一人ひとりへの個別のやり方には個別の対応もしなければならないが、本来はそうした個別の立証を求めること自体間違っている。本質的にはそういう状況を変えていかなければならない。相当程度の被爆があって、病気との一般的な因果関係が明らかになれば、明確な他原因がない限り原爆症と認める。このことを裁判所も理解するようにしていかなければならない。また政治的な決着も含めて運動を強めていかなければならない。被爆者の救済について政府の決断を迫っていくことになる。ノーモア・ヒバクシャ訴訟は被爆者救済政策のあり方を問うていく裁判だ。法廷も裁判の回数も多くなってきて大変だが、今こそ力を尽くして頑張っていこう。
尚、地裁第2民事部の次回期日は9月16日(金)午前11時からと決められた。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年7月21日(木) 11:00 地裁 第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年7月22日(金) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年9月16日(金) 11:00 地裁 第2民事部 1007号 弁論(原告6人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁 第7民事部 806号 判決(原告2人)
2016年 6月29日(水) 15:00 東京地裁第2次訴訟 判決(原告6人)
2016年 9月14日(水) 名古屋地裁 判決(原告4人)

2016.06.21 Tue l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
被爆二世の
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・裁判傍聴記(43)
「線量評価」と他原因論に固執する国の主張を徹底批判して弁論終結!
地裁第7民事部の二人の原告の判決が10月27日と決まる!
2016年5月11日(水)


 ノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟の地裁第7民事部(山田明裁判長)は7人の被爆者が原告だが、その内の2人が5月10日(火)結審を迎えた。一人は内田和子さん(83歳、神戸市在住)。13歳の時長崎で被爆、申請疾患は乳がんだ。もう一人はE・Kさん(83歳、男性、奈良県大和高田市)で、同じく13歳の時長崎で被爆し、陳旧性心筋梗塞と腹部大動脈瘤の認定を求めている。提訴以来既に内田さんは2年半を超え、E・Kさんは3年近くになる。解決を急ぐため審理の進んだ二人は分離して結審、判決されるという異例の措置となっている。二人の結審は元々は3ヶ月前の2月9日に予定されていたものだった。本当なら今頃は判決が近づいていたかもしれない。2月9日の期日直前になって国が突然要医療性を否定する準備書面を出してきて、拙速な判断を避けるために、やむなく今日まで結審が遅れることになった。

 この日は弁護団を代表して3人の弁護士が最終意見陳述を行ない弁論を締め括った。最初に中森俊久弁護士が総論となる意見陳述を行なった。国は依然として「被爆者の放射線起因性の判断には的確な線量評価が不可欠である」とか、「他原因が存在する可能性が否定できない時は放射線起因性を認めることはできない」と、旧態依然たる主張を繰り返している。これに対し中森弁護士は、長崎松谷訴訟の最高裁判決を引用して国の主張を厳しく批判した。「国の主張するDS86としきい値論を機械的に適用する限り、入市被爆者や遠距離被爆者などに生じた急性症状を説明することはできない」、「例えば、発生するはずのない地域で発生した脱毛を放射線以外の原因と断ずるには、ちゅうちょを覚える」等々だ。国の主張は最高裁判決が明確に排斥した当時の厚生省の上告意見となんら変わらない、すでに破綻済みの主張だ。起因性についての判断の基本はそれ以降、原爆症認定集団訴訟とノ―モア・ヒバクシャ訴訟に引き継がれ、被爆者の被爆の状況、急性症状、被爆後の行動と生活状況、発症に至る経緯などを総合的に把握、考慮して判断されなければならないとする、司法判断の基本が積み重ねられ確立されてきたのだと強調された。
 国は主張の中で、昨年10月29日に下された東京地裁の17人全員の勝訴判決を「極めて特異な判断基準を使用した裁判例」となどと攻撃し、大阪高裁で続いた二つの敗訴判決を殊更に強調して取り上げているようだ。一方で今年4月11日の熊本訴訟福岡高裁での3人の原告勝訴判決には一言も触れていない。こうした国の偏狭な姿勢についても中森弁護士は厳しく批判した。自ら描く「推定被ばく線量」だけに固執する国は、入市被爆者や遠距離被爆者の身に実際に生じた深刻で多大な被害にどう向き合うのか。被爆者の被害の実態にこそ目を向け、そこに立脚点をおいて、被爆者援護法の趣旨に沿った適正な判断が行われなければならないはずだ。そうした判決となることを願う、とする陳述だった。

中森_convert_20160510202029

 次に原告内田和子さんを担当してきた吉江仁子弁護士が陳述に立った。内田さんの場合、入市日が原爆投下の2日後頃であったのか、国が主張する被爆者健康手帳に記載されている8月14日であったのかが唯一最大の争点になっており、吉江弁護士はその点に絞って意見陳述を行なった。そもそも手帳記載の日付が入市日を特定する決め手にはならないことは、手帳交付申請時に記載された日付が必ずしも正確でないことを幾多の実例が示し明らかにしてきている。内田さんの場合も手帳申請は被爆後36年もの年月を経てからのことであり、そこに過誤が生じたとしても何の不思議もない。そんなことよりも当事者の語る生々しい被爆の実相から真実に迫っていくことの方がはるかに重要だ。吉江弁護士は内田さんの手帳交付申請書に記載されている具体的な被爆体験の記述と、法廷で供述された内容がしっかりと合致していることを示しながら、あらためて内田さんの見たこと、聞いたこと、体験したことの詳細を述べていった。内田さんの証言は本当に迫真に富むもので、そのことが真実性を雄弁に語っている。
 吉江弁護士の陳述を聞きながら、昨年10月24日の本人尋問の日のことを思い出していた。国側代理人による反対尋問は常軌を逸した、まるで刑事事件の被告人尋問と勘違いしているのではないかと思われるような異常さ、執拗さだった。国はなんとしても入市日を8月14日にしてしまいたい。そうすれば積極的認定範囲の条件を外れることになる。そうした意図が見え見えの尋問だった。内田さんは唇をかみしめながらも酷い尋問に耐え、最後まで頑張り通した。今日はその内田さんも、反対尋問をした国の代理人も法廷にはいない。あの日を思い出しながら、あの恨みを判決で晴らしたいものだと密かに思ってしまった。

吉江さん_convert_20160510202153

 意見陳述の最後はE・Kさんの担当である諸富健弁護士が行った。諸富弁護士は最初に、結審が今日の日まで遅れてしまったことの原因が国の不誠実な訴訟態度にあることを指摘し、厳しく批判することから陳述を始めた。提訴以来今日まで国はE・Kさんの要医療性について一切主張することはなかった。それにも関わらず結審期日直前になって不意打ち的に要医療性についての主張を持ち出し、反論の余地のないまま審理を終わらせようとした。重い病気を抱えながら裁判を闘っている高齢のE・Kさんがどれほど公正な判決を待ちわびていることか、国は想像することもできないのか、と強い思いの籠った抗議だった。
 その上で諸富弁護士は、E・Kさんの被爆状況、被爆直後からの様々な健康障害、戦後の闘病生活をもう一度丁寧に述べていった。国は相も変わらず被曝線量がどれほどのものかと持ち出し、申請疾病の他の危険因子の主張を繰り返しているが、すでに決着済みの議論だ。本人尋問、医師証人尋問の際国は喫煙歴、高血圧、血糖値のことに固執していたが、証人の穐久医師の的確な回答の前に大した追及もできないまま尋問は終わったことを思い出す。国は危険因子の一つに年齢のことまで持ち出しているようだ。年齢まで危険因子にされてしまうと平均年齢80歳を超える被爆者は今後一切原爆症認定はされないことになってしまう。とんでもない恥ずべき主張だ。最後に一刻も早くE・Kさんの苦しみが解放される公正な判決が下されるよう求めて陳述は終えられた。

諸富さん_convert_20160510202114

 この後、山田裁判長が弁論の終結を宣言し、判決は10月27日(木)午後1時10分から言い渡すとして、この日の法廷は閉じられた。

裁判報告集会_convert_20160510202211

 法廷での陳述に時間を要したこともあって、終了後の報告集会は短時間での開催となった。今日意見陳述を担当した3人の弁護士からそれぞれに陳述内容のポイントが簡潔に説明された。続いて今日傍聴参加された第7民事部の他のグループの二人の原告が紹介された。一人はノ―モア・ヒバクシャ近畿訴訟のすべての裁判に傍聴参加し続けているT・Iさん(京都府城陽市)。もう一人は昨年8月の提訴で今回初めて参加されたS・Sさん(神戸市)だ。

苑田さん_convert_20160510202419

その後6月11日(土)に予定されている「全面勝利をめざすつどい」のことをもう一度確認して、最後はいつものように藤原精吾弁護団長の閉会挨拶で報告集会を終了した。挨拶の中で5月4日(木)に全国の弁護団・医師団の合同会議が催されたことなども紹介された。
 第7民事部の次回期日は7月21日(木)と決まった。翌日が控訴審Cグループの弁論期日であり2日連続の裁判となる。立て続く裁判日程だが、一つひとつの裁判に全力をあげてとりくみ、勝利をめざしていきたい。
 結審の前日の5月9日(月)、アメリカのビキニ環礁水爆実験で被災したマグロ漁船の元船員と遺族45人が国の責任を問うて国家賠償請求訴訟を高知地裁に提訴した。元漁船員たちも紛れもなく放射線被ばくの被災者、被害者であり、核兵器による犠牲者だ。若くして多くの漁船員が命を奪われ、今日まで生き延びることのできた数少ない人たちも重い病気に苦しんできた。ビキニ水爆実験の行なわれた1954年(昭和29年)1年だけでも延べ1000隻近いマグロ漁船の被災が記録されていたことが分り、推計によると被害者は万にのぼる。しかし、日米両政府はこれらの資料を隠匿し、被災者の救済も一切放置してきた。棄民政策以外のなにものでもない。
 同時に進められている被災者救済の船員保険労災認定申請と、今回の国家賠償請求訴訟を皮切りに、被災者救済への道が切り開かれていくことを願ってやまない。そのために私たちも連帯したとりくみをすすめていきたい。ビキニ水爆実験の被害は第五福竜丸だけだとされてきた歴史は塗り変えられなければならない。教科書は書き変えられなければならない。


ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟今後の日程
2016年6月11日(土) 14:00 近畿訴訟全面勝利をめざすつどい 大阪グリーン会館
2016年6月15日(水) 11:00 地裁第2民事部 1007号 弁論(原告6人)
2016年7月21日(木) 11:00 地裁第7民事部 806号 弁論(原告5人)
2016年7月22日(金) 14:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月20日(木) 11:00 高裁C 第13民事部 202号 弁論(原告6人)
2016年10月27日(木) 13:10 地裁第7民事部 806号 判決言い渡し(2人)

2016.05.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
5月10日の第7民事部の口頭弁論期日における吉江仁子弁護士の意見陳述の内容です。

吉江さん_convert_20160510202153
意見陳述の要旨
(原告Uさん)
平成28年5月10日
大阪地方裁判所第7民事部合議4係 御中
原告ら訴訟代理人 弁護士 吉江仁子 


1 本件の争点
  本件では、Uさんの被曝線量に関し、入市が、Uさんが当法廷で述べたように被曝後2日後頃であったのか、被爆者健康手帳交付申請書類に記載された8月14日であったのかが、唯一最大の争点です。その点に絞って、意見陳述を行います。(以下では、被爆者健康管理手帳のことを単に「手帳」といいます。)

2 入市日の特定方法について
(1)被告は、手帳交付申請書類の記載を唯一の理由に、Uさんの入市日は8月14日であると主張し、Uさんの当法廷での供述を、「新しい審査の方針」を意識して、変遷させたものである等と論難しました。
(2)しかし、その批判は当たりません。なぜなら、そもそも、日付や数字の記憶は曖昧になりやすく、手帳交付申請書類記載の日付が、入市日を特定する決め手にはなり得ないからです。ことに、Uさんの場合、手帳交付申請書類を作成したのは、被曝後36年もの月日が経過した後の昭和56年のことです。
   このように、入市日の特定は、類型的に過誤記載となりやすい手帳交付申請書類の記載だけでなく、被爆者の体験した事実に関する供述等に基づき慎重に判断されるべきです。

3 Uさんが体験した事実について
(1)手帳交付申請書類には、次のような記載もあります。入市した長崎の街のありさまとして、「ヤケノ原になって居ました。鉄コツ丈け。死亡者をカサネてヤイテおりましたのが今だに忘れられません」。また、「道ノ尾駅に行く途中、原爆にあった人の蚊の鳴く様なうめき声、水を呉れという声、道ノ尾駅で被爆者のやけどただれ、はえがたかりウジ虫がたかった姿はほんとうに忘れられません」。
(2)この入市時に体験した事実に関する記載は、Uさんの当法廷での供述内容と符合しています。それは、これらが、Uさんの体験した事実だからです。
Uさんは入市時の状況について、当法廷で次のように述べました。「嬉野へ行くため、国鉄の線路沿いに歩いて、長崎駅を通り、道ノ尾駅まで行った。線路沿いに歩きながら、汽車を見かけることはなかった。建物もなく焼け野原だった。道のわきでは、こっちもこっちも死体を薪のように積み重ねてぼんぼんぼんぼん焼いていて、赤い炎が見えた。戦争で脚を負傷して帰ってきていて杖をついて歩いていた父親、身重だった母親、姉、5歳年下の盲目の弟が一緒だった。死体を焼く臭いもきつく、道はがたがたで、妊娠中だったUさんの母親は道に足を取られてバランスを崩しよく転倒した。一家は、道ノ尾駅に着いたものの同日は汽車に乗れず、道ノ尾駅の表で夜を明かした。駅の表の大きな木の下に座って夜を明かしていたら、原爆にあった人の「水くれ、水くれい。」という声がした。翌日の汽車で道ノ尾駅から出立した。汽車は、道ノ尾駅からは出ていた。Uさんは、汽車に乗るとき、原爆にあった人たちが駅のベンチに座っていた。その人たちの足はずるむけになって、硫黄のただれで黄色くなって、ハエがいっぱいいた。玉音放送は、嬉野で聞いた。嬉野に着いた翌日ではなく、2、3日後のことである。」このように、Uさんの供述は具体的で迫真性に富むものでした。
(3)ところで、「長崎原爆戦災誌(第3巻、続・地域編終戦前後編)」によれば、8月15日頃には、長崎の町の中は、道ばたなど人目につくところの死体はすでに処理されていたとのことですので、その前日である8月14日の夜には、死亡者を重ねて焼いたり、やけどただれ、はえがたかりウジ虫がたかった被爆者が救護されないまま駅にいたということは考えられません。
   つまり、Uさんが入市時に体験した事実は、被曝2日後頃までの最混乱期の事実であって、8月14日の事実ではないのです。つまり、Uさんが体験した事実によれば、Uさんが、入市したのは、8月14日ではなく、被曝後2日後頃で間違いありません。
(4)被告は、Uさんが体験した事実には目を向けず、手帳交付申請書類に記載された日付だけにこだわり、Uさんを論難しましたが、高齢化した被爆者の救済という被爆者援護法の目的に照らし、かかる被告の態度が誤りであることは明らかです。
2016.05.11 Wed l ニュース(原爆症裁判) l コメント (0) トラックバック (0) l top
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